ストックホルム通信-環境・野外活動・文化編

ストックホルム通信-環境・野外活動・文化編

日本旅行とスウェーデン生活の情報発信


ましてや夫にとっては列記とした海外旅行なのだが、あまり行くと他の場所にいけなくなると、彼との珍道中は2・3年に一度。
親不孝の私は、せめても親が生きているうちは毎年顔を見せようと、嫌がられても最低1回は行くようにしている。

そんな滞在記の中で、私の中でのスウェーデンの位置づけがかんじられる部分が垣間見える部分を、友人・知人たちに送っているストックホルム通信29号(2009年)から抜粋した。
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今は研究という言葉とはあまり縁のない環境にありながら、どういうわけか、私には大学に勤めている友人・知人が非常に多い。恐らく、大学院時代の友人たちが実直に研究者としてのキャリアを積んできているのと、スウェーデンに来てから知り合った人の中に研究者が多いからかもしれない。

スウェーデンに来てから知り合った研究者たちには、日本の中で専門分野にスウェーデンの特色を持たせている方が多く、持たれている授業の中で、スウェーデンの現実の姿を話してほしいと頼まれることが多くなった。
また、友人たちからも、市役所、・・・センターといった公共の場で話をしてくれないかということが意外と増えてきた。
恐らく、日本では海外を伝える番組が多いにしても、あまり具体的な作られたのではない現実の生の姿を知る機会が少ないのと、わたしの友人・知人たちがそれなりの年代になり、それぞれが持つ地位を利用してこういった会を企画しやすくなってきたからだろう。

夏に毎年帰省する際、お誘いがあればできるだけお付き合いするようにしており、今年は両親の介護・旅行の隙間を埋める様に、7箇所で話をさせていただいた。
ストックホルムに住む一市民というだけの私の話を聞いていただけるということだけでとても感謝している。

なぜ私がスウェーデンでのきちんとした知的基盤が無いにもかかわらず、厚顔無恥にもスウェーデン社会の情報発信をしているかというと、スウェーデン生活の方がいいといった自慢をしたいのではなく、スウェーデンの社会で暮らすことから垣間見えてきたものを話すことが、日本の社会も変わっていくということへの何かしらの刺激になるのではないかという思いがあるからだ。
現実の生活では、スウェーデンであっても、行政で決められているサービスがうまく機能しないことは茶飯事で、且つ平等ではないことを感じることはけっこうある。
それでも、外国人であっても、永住権を持っている市民としては、生活の安定を日本にいる外国人以上には感じることができていると思う。
一本化された税金と関わる医療・保険・教育・・・・などがだれにでもある意味平等に用意されているので、本当に何かあっても路頭に迷うことはないだろうとだれもが心の底で思っているに違いない。

また、自分がスウェーデン社会の中に入っていくために利用した「やり直しの効く生涯学習環境」、男女平等に仕事・勉強・家族を組み立てながら、ライフワークバランスを考えていくことを成り立たせている、学童で働いた中で接した「家族を取り巻く社会的ネットワークのあり方」など、自立した成人が生活していくのをサポートするシステムを、生活する中で具体的に感じることができているように思う。

こういったシステムは、来た当初もかなり整っていたとはいえ、私がここに来てからもずい分形を変えてきており、滞在年数が長くなるに連れ、現状のシステムは古くからあるものではないということもわかってきた。
知り合ったスウェーデン人の友人たちが、「30年前はまだまだ子供を持って働くことは当たり前ではなく大変だった」というのを聞くと、社会は人々の思いさえあれば変わるのだという思いが、すんなり湧き出てくる。
その意味で、スウェーデンの現状を話し、日本の社会も自分たちはこういう社会にしていきたいのだという思いを持っていけば、もっと日本人にとって住みやすい社会を築けるだろうというメッセージを伝えているつもりで、話をさせてもらっているのだ。
そして、思いは持っているだけではなく、政策や仕事、教育といったものに具体的に反映していかなければ何の意味もないと思うので、特に大学で次の社会を担う大学生に話をさせてもらう機会をいただけるのを嬉しく思っている。

・日本旅行での体験
夫と共に来るときは、旅行好きなのと彼に日本の良さを満喫してほしいのとで、2週間のJapan Rail Passをその3倍分の価格になるほど、計画を綿密に作って動き回る。もう、ほとんどの観光地には行っているので、近頃はマニアックな所に足を向けることが多い。
今年は、草津、高松、白川郷、京都、鹿児島、屋久島を約10日間で網羅した。

移動先の中に友人・知人と会うことも含まれているので、とても脈絡のない旅行計画に見えてしまうのだが、それを可能にしているのは、新幹線とインターネットのおかげだ。
細長くて、変化に富む日本の地形を縦横無尽に動けることを可能にしてくれる、新幹線には感謝!
まだまだ、全域開通していない鹿児島中央までの九州新幹線にも乗ったが、博多からの時間の早さに正直驚いてしまった。

・屋久島
屋久島は、前回日本に彼と来たとき露天の温泉好きな彼のために北海道にある海に湧き出す温泉に行ったのだが、今回は屋久島にもそれがあることを知り、南の海に湧き出る温泉に入ることを目的に行くことを決めたのだった。
さて、宿泊場所を手配しようとネット上を探ってみると、行きたい時にどこも空きがない。屋久島はそんなに人気があるのかと訝しく思っていると、なんとその時期に皆既日食が見られることがわかり、結局皆既日食後に日程を変更することで事なきを得た。

縄文杉に至るまでの山道は、途中まで昔のトロッコ道を利用し、その後も歩きやすいように丁寧に木道が作られ、今まで歩いた山道の中でも一番歩きやすいものに感じられた。
一辺にかなりの人々が数珠繋ぎのように山道に入るので、環境にかなりの負担がかかっていると思われるが、自然の大きさをあまり体に負担を欠けることなく、老若男女が楽しめすばらしかった。
屋久島の人々の暖かさ、魚料理のおいしさ、海にわく温泉・・・、是非また訪れてみたい場所だ。

・白川郷と美山町
今回、飛騨の白川郷を訪れ、合掌造りの民宿に泊まった。
以前、異なる合掌村を訪れていたが、どうしても特別の日本家屋に泊まってみたいという思いがあったからだ。
日本有数の観光地であり、大型バスが乗りつけ多くの観光客が町をぞろぞろ歩いている割には、町自体がこじんまりとし、ネオンサインのあるような建物が街中にほとんどないためか、あまり観光客だらけの煩わしさを感じることがなかった。
ただ、町中が多く訪れる観光客をもてなすことを生業にしている性か、合掌造りの家は本物だとしてもどうも作り物のような感じがしてしまい、寂しさを感じてしまった。

その後、京都に行き、毎年恒例にしている京都付近の小旅行先に、美山町を選んだ。
たまたまネットで、合掌造りに似た家屋を生活の場として保存している村という記事を見つけ、白川郷の後だっただけに興味を引かれたのだ。

そこは、京都の北にかなり行った所だったが、山を背にして小形の合掌造りの家がひっそりと10数軒固まっている村で、その中には観光客に門戸を開いている家や食事をするところは2・3軒しかなく、村の風景をスケッチする人々がのんびり見受けられるところだった。
村の中に観光客をもてなす施設を多く作ると雰囲気が壊れると、村の外の道路を隔てた所にお土産や、レストランなどが固まって建てられていた。

規模が違うが、同じような建物を中心とした、白川郷と美山町との雰囲気の違いに、いろいろなことを考えさせられたので、関心のある方は是非両方を訪れてみていただきたい。

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