MATRIX7

MATRIX7

2009.01.09
XML
カテゴリ: サッカー


 サッカー監督は精神的にも、肉体的にも頑強でないと続かない。タフな人間でも耐えられなくなって辞表を出す世界がサッカーになる。夜眠れなくなるで済めばましだろう。災難は本人だけではなく、家族や関係者にまで及ぶ。勝てばすべては解決するけれど、必勝と行かないのがサッカーの運命というしかない。野球でも「星野バッシング」が起きてけれど、同じことは次のワールドカップでも起きるはずである。「代表監督にだけはならないで」と家族がすがりつくのも無理はない。勝って当たり前、負けると総批判が待っている。近親者は昼間街を歩けなくなるという。そんなんでは監督業は長続きしない。
 オシム理論に心酔するプロ選手は多い。引退を惜しむ声が上がるのも当然だろう。しかし、医学的な見地から見れば、オシム監督が生き残ったことが奇跡であり、静かな余生を送ることが望ましい。それが許されるのは欧州の地であり、故郷になる。アマル監督の最後などを見ると、日本のサッカー業界はそんなに楽しい場所ではないし、居心地もよくない。オシム一家が帰国しても、心残りはなかろう。
 オシム理論はたしかに傑出していた。トルシエに始まった改革路線はジーコで挫折し、オシム就任で強制的に転換させられた。緻密な分析と効果的な戦術を組み立てられなかったジーコはW杯で惨敗する。傍若無人なトルシエですら、日韓WCで結果を出したのに、ドイツの惨敗は甘い野望を消してしまった。それ以来、サッカー悲観論が続いている。オシム監督といえども、日本サッカーの本質を変えられることは不可能になる。小学校から始まるサッカーの流れの中で、代表監督にできる範囲は狭い。ジーコはそれをさらに限定してしまった。ジーコ時代に甘やかされて、緊張感の切れた選手を本当に再生できるかがテーマだった。病に倒れるとそれも終わりを告げている。
 寄せ集めの選手で戦うワールドカップ大会は、日本人特有の緻密な連係プレイが期待できない。豪華スターだけ集めても、軽業師を集めても、それだけで強豪に勝つことはできない。新たな戦術とそれを可能にする厳しいトレーニングがオシム作戦だった。本音ではバルセロナのような攻撃サッカーを目指していたのだろうが、日本代表には戦力が足らない。不足する分を速さと訓練によって補おうとした。アジアの世界では珍しい速いパス回しと攻撃重視のサッカーは驚きを与えた。その意味でも、結論が見えないうちに病に倒れたのは実に惜しかった。
 オシム理論は独自すぎて真似ができないという。日本人で理解しているのは千葉の旧戦士たちや代表選手の一部に過ぎない。細かい蓄積がオシム理論に結びついているのだから、外野が読み取ることが難しい。一つ一つは理解できても、全体を把握することは不可能だろう。それでも、オシム理論を学んだ監督が世界に輩出している。少なくとも、選手から信頼される監督になるには、どうすればよいかを示す手本にはなる。現実の世界では、選手から信頼される監督は少ない。これは他の社会でも同じだろう。心優しい人間は弱肉強食の世界を生き残れず、その例外がオシム監督だったのかな。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2009.01.10 11:31:03
コメント(0) | コメントを書く
[サッカー] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: