2006年08月03日
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私たちは、愛を考える時に恋と混同しやすいことがあります。恋と愛の違いは、恋は相手のいい部分だけを見ていたり、相手を過大評価している場合があります。ですから、結婚をした後に理想と現実のギャップを感じたり、性格の不一致等の理由によって離婚をします。

次に、愛と恋の違いはなんでしょうか? 愛とは、相手のすべてを知った上で、なおも愛するということです。最初、あばたもえくぼに見えていても、やがて、あばたはあばたであったと気が付きます。そして終いには、えくぼまでがあばたに見えることもあります。愛は、恋が終わったところからはじまるものです。

人は人の欠点がよくわかりますが、自分の欠点や罪はなかなか見えません。しかし、はっきりわかることは、自分には愛がないということです。そうは言っても、恋する相手はいるでしょう。相性のいい人や好きなタイプの人等。しかし、愛せないタイプ、許せないタイプの人に遭遇するのは時間の問題です。

聖書は、『神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。』と語ります。これははっきりしています。今、インターネット上で出会う人々を心から愛し、祝福を祈れるかどうかで愛があるかはっきりとわかります。あるいは、身近な人を愛し、祝福を願っているかで愛があるかどうかはわかります。

天皇陛下とか、総理大臣、大スターと呼ばれるような人にねたみを感じる人はまずいません。しかし、自分とたいして年も変らず、同じような能力の人が少し成功したり、脚光を浴びたり、賞賛を得たり、豊かな暮らしをしたりしているのを見る時にねたみを感じることはないでしょうか? ねたみというのは、自分が興味のあるジャンルで、しかも自分がこうなったらいいなーと思っているものを得ている人が身近にいたら、それを心から祝福し、「よかったねー」と言えるでしょうか?案外それは難しいだろうと思います。しかし、愛とは、少なくても、あなたの身近な人の幸福や成功を心から喜べる心を持つというところからはじまります。

また、愛とは、あるがままの相手を受け入れる心を持つということです。それは、誹謗中傷をしたり、うわさ話をしたり、拒絶したり、無視したり、嫌がったり、否定しないことです。そういうことをやめることから愛ははじまります。今日から、愛をはじめて見ないでしょうか? 愛に生きることは最高に幸福ですし、人を生かす人です。共にそんな愛に生きていきたいものです。

聖書の言葉の裏を返せば、目に見える兄弟(人々)を愛することが、神を愛することになるということです。パウロは、聖書を一言で要約すると、「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」であると語りました。この愛に生きようとしたら、実は、聖書を生きることになるのです。すごいことですよね。そんな歩みをさせて頂きましょう。God bless you!






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最終更新日  2006年08月03日 22時32分09秒
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