2007年04月05日
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恐れとは、誰の心にも潜んでいる感情の一つです。しかし、もちろん必要な恐れもありますが、恐れとは、百害あって一利なしのつわものです。

まず、必要な恐れとは、小さな赤ちゃんを見ていたらわかりますが、赤ちゃんは恐いもの知らずです。ですから、車がビュンビュン通り過ぎるような道に来ても、危険な崖っ淵に立っても恐がることがありません。しかし、そのような場所に危険があることを知らないと命はいくらあっても足りません。そんな恐れは必要でしょう。

しかし、私たち大人が持つ恐れの多くは不要な恐れである場合がほとんどです。多くの宗教のモチィベーションとなる感情は恐れです。「~をしないと祟りに合う」とか、「~しないと裁かれる」というようなアプローチをします。ですから、恐れを動機として信じたり、帰依したり、お布施をしたりします。

しかし、イエス・キリストは恐れを動機として私たちを導くようなことはされません。むしろ、繰り返し「恐れるな」と語られました。ある聖書学者の研究によりますと、聖書の中には366回「恐れるな」という言葉が言われます。それは、閏年を入れて一年間毎日、神様は私たちに「恐れるな」と語って下さっています。

聖書の第一ヨハネ4章18節には、「愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。」と書かれています。

主の愛は、私たちから全ての恐れを締め出して下さいます。主の愛はイエス様の十字架で完全に現わされました。ここに主の愛が示されました。

ですから、罪が完全に、永遠に赦されました。悪魔は追い出され、聖霊の満たしが与えられます。心と体の病がいやされ、健康が与えられます。あらゆる問題が解決され、のろいは消え去り、アブラハムの祝福が与えられました。死と地獄は撤廃され、永遠の命と天国が与えられました。この事実を知り、信じることが出来るならば、全ての恐れは完全に消え去るでしょう。

そして、「恐れには刑罰が伴う」と聖書には書かれています。恐れに伴う刑罰とは何でしょうか?

それは、恐れたことが自分の身に及ぶという刑罰です。貧しくなる恐れを抱くと貧しくなり、病気になる恐れを抱くと病気になり、愛を失う恐れを抱くと愛を失うことになるでしょう。結婚できないという恐れは結婚を遠ざけています。死の恐れは死期を早めます。人を赦さないと主の赦しを締め出し、心と体に病をもたらします。



今日私たちは、胸に手を置いて、「恐れよ、出て行け!」と祈ってみましょう。みなさん、恐れは私たちの持つ感情ではありません。それは、サタンの感情です。サタンの感情が伝染し、私たちはその恐れの影響を受けています。サタンは絶えず恐れているのです。どうぞ、恐れの霊を追い出し、断ち切り、聖霊様を受け入れて参りましょう。

今日も素晴らしい一日でありますようにお祈り致します。
シャローム。





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最終更新日  2007年04月05日 07時43分16秒
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