2012年07月17日
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今朝7時頃、私の祖母が天に召されました。祖母は、私の父の信仰を通してクリスチャンになり、晩年は、キリスト教の老人施設「キングス・ガーデン」に入所しました。享年100歳の幸せな長寿を全うしました。お葬式の司式は私が致しますので、明日(18日)の早朝に家を出て、筑波のキングス・ガーデンに向かいます。

昨年のクリスマスに、家族で祖母を訪問した時には、元気に私の子供たちであるひ孫と会って喜んでいました。また、クリスマスの賛美歌を共に歌い、お祈りをして帰って来ました。その祖母がもうこの世にはいないと想うと寂しくなります。

牧師をしていますと、冠婚葬祭に立ち会う機会が多くあります。その中でお葬式は特に心に深く感じるものがあります。謙遜にさせれ、悲しみという同じ感情を共有しながら、命の大切さを想います。

人の死には大きく分けて三種類あります。

一つ目は、三人称で呼ぶ人(人々)の死です。これは、もちろん悲しみを感じますが、第三者的な部分があります。

二つ目は、二人称で呼ぶ人(あなた)の死です。これは、家族の死です。小さな頃から一緒に生活をしていた人の死というものを、私は今まで、一緒に生活をした人の死を経験したことがありませんでした。心震え、存在の深いところから悲しみを感じます。ところで、人間が一番ストレスを感じる出来事は、配偶者との死別だそうです。二人称で呼ぶ人の死に対して、神様からの特別な慰めと人々を通しての慰めが必要だと感じます。前夜式(通夜)であり、告別式(葬儀)などは、故人の遺族や近親者に取って慰めを受ける場になっているのだと想います。

三つ目は、一人称で呼ぶ人(私)の死です。これは自分の死です。今生きている人は一度も経験したことがありませんが、いつかその日が来ます。お葬式の司式をさせていただくときに、いつも「いつか私もこのようにして送ってもらう立場になるんだなー」ということを想います。その日をいつも心に留めながら、謙遜に、そして、大切に一日一日を歩ませて頂きたいです。

「イエスは言われた。『わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。 また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。』」 (ヨハネの福音書11:25~26)





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最終更新日  2012年07月17日 22時22分32秒
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