「007 スペクター」21世紀のボンドにスペクター
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憂国愚痴φ(..)メモ by 昔仕事中毒今閑おやぢ in DALIAN
WGIPについて
日本は、占領軍GHQに、どう洗脳されたか?
WGIP(War Guild Infomation Program)を検証する。
※保坂正康氏と山本武利氏の対談、横山陽子さんのインタビューは平成16年1月号の「諸君」(文藝春秋社)に掲載されました。転載に快諾頂いた、保坂氏、山本氏、横山氏並びに、文藝春秋社、「諸君!」編集部に心から感謝いたします。
二つの占領--
狼のイラク、羊の日本
イラクに手間取る米国が日本占領に成功した秘密を、プランゲ文庫の資料と歴史証言に探る
保坂正康(評論家)vs 山本武利(早稲田大学教授/20世紀メディア研究所代表)
■巧みな占領軍の洗脳工作
--保阪さんは近著『戦争観なき平和論』(中央公論社)の中でマッカーサーが昭和天皇と吉田茂首相に「占領政策がこれほど円滑にいった例は歴史上なかったとして、いささか驚きの口調で感謝の念を伝え」たと書かれています。
イラク占領で手こずっている現在のアメリカを見ていると、なぜ、日本がそれほどまでに簡単にマッカーサーを受け入れたのだろかと改めて考えさせられます。
山本さんの『日本兵捕虜は何をしゃべったのか』(文春新書)によれば、戦争中米軍の捕虜になった日本兵は、重要機密でも何でもスラスラと尋問に答えた。
アメリカはそこから大量に情報を収集し、捕虜への対応のノウハウを占領下の日本人にも適用したことを、アメリカ国立公文書館での資料収集によって明らかにされました。
そうしたアメリカの日本研究があったがために、日本人が天皇への崇拝の念を持っているから、戦争責任を天皇に問わない方が上策であるという認識にアメリカは達しました。
山本さんは二〇世紀メディア研究所を設立されて、米国で公開されている戦時期・占領期の膨大な一次資料を収集、解読しつつ、戦中戦後の日本に新しいスポットを当て、保阪さんは三十年にわたって昭和史の証言を四千人の方々から聞き取り、現在も「昭和史を語り継ぐ会」を主宰されています。原資料と生の証言という歴史の森の中から見えてくる、日本の占領、戦後についてお話しいただければと思います。
【保阪】 日本とイラクとを比べると、本当に日本はおとなしかったと思います。占領下にテロ行為や抵抗運動はあるだろうと思い、改めて調べましたが全くなかった。
日本人の反抗があまりにもないことで逆にGHQが驚いているくらいです。それは、もう本当に不思議だなあ、と思います
。
(
「負けっ振り良くしよう」と言ったのは吉田茂氏だったかな?w
)
【山本】 日本は温暖な気候の島国国家で、長い間、海外との戦争経験がなかった。倭寇や豊臣秀吉の侵攻とか、元寇もあったんだけど、
局所的戦いで、国民全体での戦争という経験ではありません
でした。
(
戊辰戦争「会津戦」での板垣退助の嘆きw
)
いま保阪さんがおっしゃった事は、私も調べましたが、アメリカのFBIやOSS(戦略諜報局・昭和二十年年十月一日からCIAと呼ばれる)が、戦争中、日系人スパイがいないかを随分調査しましたが、
ハワイでも、西海岸でも、日系人はスパイ行為をやっていない
んです。
日本人は国内で軍部に対して反乱を起こさなかったし、外国でもスパイ行為とか、サボタージュはなかった
。転覆的な行動が性に合わないんでしょうね。
(
大勢順応型なのかなw 長いものには巻かれろとか まぁ、お天気次第の農業国でその傾向はあるわね
)
そういう民族性をマッカーサーは掴んだのでしょう。穏やかな占領が可能だったのは国民性も大きかったと思います。
【保阪】 国民性については、まだ誰もが納得できる論というのは書かれていないし、僕にも分からないけれど、ただ、僕が戦争にこだわるのは、戦争のメカニズムが日本の場合、特異性を持っていたということです。
ドイツや、イタリアと比べても、
軍事指導者が軍事以外のことについて無知で、高度国防国家といっても
日本全体を兵舎のようにしてしまうだけ
だった
。
(
で、それは単に当時どこであった「戦時体制」というだけではなかったのかと竹山道雄先生が指摘されてますネ
)
【山本】 私はまた別の面を見ています。知識人、軍の指導者、官僚、あるいは大会社のリーダーというエリートたちは、戦局の動きをよく知っていました。彼らはVOA(ボイス・オブ・アメリカ)放送を盗聴していたんです。憲兵隊は知っていてもそれに介入しなかった。支配層、エリート層には相当正確な情報が浸透していて、一般庶民との間の情報に量的・質的な違いがあった。
戦争末期は支配層はいわば負け組、庶民層は勝ち組でした
。
(
フラジル移民の「勝ち組」「負け組」ですか
)
支配層がマッカーサーの支配体制に組み込まれるような準備体制がうまく醸成されていたと思います。
【保阪】 僕は大本営発表に興味を持って、今、調べています。
大本営発表は
八百四十六回
ある。
例の昭和十六年十二月八日午前六時の「帝国陸海軍は本八日未明、西太平洋に於いて米英軍と戦闘状態に入れり」というのが一号なんですが、終わりがないんです。八月十四日が最後で、「我が航空部隊は鹿児島東方二十五浬に於て航空母艦四隻を基幹とす敵機動部隊の一群を捕捉攻撃し航空母艦及び巡洋艦各一隻を大破炎上せしめたり」という内容です。
(
1941/12/8~1945/08/14ですかね
)
で、いきなり二十一日に飛ぶ。大本営の代表がマニラで連合国から指令を受けたという内容です。奇妙な情報伝達です。
八百四十六回を並べると、昭和十六年の十二月だけで八十何回で、全体の一割です。勝った勝った、のときは多いですが、二十年の六、七月になると二、三回。ほとんどもう伝えないですね。正直と言えば正直なんです(笑)。
内容も
初めは主語と動詞が明確なんですが、だんだん主語に形容句がつく
。「忠勇無比なるわが皇軍部隊は」とか。緒戦ではつきませんよ。「わが陸海軍部隊は」というんですね。
(
統制国家の情報は「逆読み」が正解とか。現代の中共の「喉」の、北チョンのやたら威勢のいいTV放送ようにw
)
国民へのメッセージ伝達も大本営発表しかなかったわけですが、新聞がその情報を膨らます
わけです。国民が本当の情報を知らないのは、それだけを読んでいたからです。内容も、戦況が逆転してから誇大になりますが、ある時期からはさらに精神化します。軍事じゃなくて、美学のカタルシスに入っていく。その一方で、マニアックに大本営発表の内容を吟味していた国民なら、
毎日、撃墜される飛行機の数を足し算すると、アメリカの飛行機はすごい数になるし、艦船もすごい数になる。これはおかしいな、と分かってしまう程度の情報だった
んです。
【山本】 新聞は
紙背で
読者に真実を密かに伝えていたんでしょうかねえ。
(
なぃなぃw 自分から酔っていたダケでしょ
)
【保阪】 読み抜けば何か掴めるんです。たとえば私の縁戚の数学の教師はわかった、と言っていました。大本営発表を聞いていると、勝ったなんて思えないと。それまで「敵は」という言葉だけだったのが、やがて「膨大なる布陣をしいている何とかの強大な敵は」という形容になり、勝っていると言っているけど、負けているなと分かったそうです。
【山本】 情報感度が良くて読み取れた人がどこまでいたかですね。
【保阪】 大正期に旧制中学、旧制高校の教育を受けて、昭和期に大学教育を受けている人は、見抜く目はあったように思いますね。
【山本】 中等学校卒業以上の人をインテリとしても少数ですから。一番ショックを受けたのは、情報の不足している一般庶民だったでしょう。
【保阪】 そうですね。普通の人は読み抜けなかった。
【山本】 一番影響力が大きかったのは
爆撃機が爆弾とともに落とすビラ
ですね。量たるや、莫大ですから。それと戦況を示す経済的、社会的混乱で、庶民もある程度戦局は把握できたでしょう。
【保阪】 国民の七、八割とか、もっと多いのかもしれませんが、そういう人たちが戦争が終わると、
憑き物が落ちたように
、今度はマッカーサーが来たというので連合軍を信用してしまった。
その構図がどうも僕は気に入りません
。
聖戦必勝、神風が吹いて勝つんだ、と思っている人が、いっぺんにマッカーサーのほうにスライドする。このスライドの仕方に日本人の国民性の弱点があると思うんです。
もっと言うと、戦争に行く前にも一回スライドしている。満州事変前と事変後を調べると、国民はここでもスライドしている。
戦後のGHQへの傾倒ぶりは、ある意味で大正期からのインテリが持っている価値観とかなり共有するものがあったのでしょう。だから、国民の大半がスライドさせようと先頭に立って旗を振る。それが
日本人の調子よさかもしれないが、原則がない
。
【山本】 今おっしゃるように大正デモクラシーとか、大正期の自由な教育の遺産は決してバカにならないもので、昭和初期あたりのデモクラシー論や宣伝論を見ますと、かなりリベラルな考えで、第一次世界大戦から発達したアメリカの政治論とか、プロパガンダ理論を受け入れているんです。
軍人が台頭するまでの
大正デモクラシーの自由な雰囲気
が戦後復活して、昔あった遺産と伝統が蘇った。戦前までの日本にデモクラシーの基盤がなかったというのは明らかに誤り
です。
(
コレを最初に指摘されたのは岡崎久彦先生ですよネ
)
【保阪】 だから、何から何までGHQが教えて日本人が初めて民主主義を知ったわけではありません。
むしろ戦後、ファナティックな民主主義というか、占領されたときのファナティックな意識のほうに僕は問題があるんだという気がします。
ちょっと世代論になるんですが、
昭和二十一年の四月、北海道で国民学校一年生になったとき
、御真影が入っている奉安殿を校長一人が壊しているんですよ。何でああいうことをやっているのか不思議だった。
それから、家庭でも学校でも僕らを「民主主義の子」だという。「ミンシュシュギ」って何かと訊いたら、みんなで話をして、みんなで決めることと言われた。
そういうプロセスで一番ショックだったのは、小学校三、四年のとき(
昭和23年・24年頃=戦後2・3年目ネ
)に映画に連れていかれたら、
戦争の記録映画で日本の特攻機が撃墜される。そこで、拍手が起きるんですよ。僕らも促されたように拍手するんですが、その拍手の張本人は先生だった
。
(
気違いだネw でもそれが時代の空気だったのか?それとも教師という職業だけがそうだったのか? 自祖虐の事始
)
【山本】 あ、先生が拍手する。
【保阪】 ええ。
そういう先生が、日本は悪い国です、と。東條英機が悪いとか、アメリカは正しいと教え込む。「正義は必ず勝つんです」と言いましたね
。そういうものすごく単純な二元論で教わりました。
(
「誇り」というものを見失ったのか? 反面、TV・映画では能天気なアメリカンスタイルの番組にそれを謳歌したような人材が幅を利かせていたと
)
【山本】 私は保阪さんの一つ歳下(
終戦時は小学校上がる一つ前の6歳かな?
)で愛媛県で育ちました。父はシベリア抑留で亡くなり、戦争未亡人の母が郵便局長をしていました。
パラシュートで降りてくる米兵を目撃した
大江健三郎さんの所とそんなに離れていません
が、占領軍を直接目に接する機会は私は全くなかった。ただ、道後温泉へ行ってチューインガムを買おうとしたら、進駐軍だけにしか売らないと言われて反発を感じました。
占領下の被支配者としての子供の反発心はありました。学校の教育に対する違和感も多少感じました
。
【保阪】 一番最初にアメリカ兵を見たときは、ものすごく怖かったですね。何かもう全然違う生き物だと思いました。その恐怖感は今でも残っていて、電車で隣にアメリカ人が座ると、時どきフィードバックしてきます(笑)。
アメリカに行くとそんな感覚はないのに、日本にいるとそういう感情が起こる
。不思議ですよ。やはり、その怖さっていうのは、四、五歳で植えつけられたイメージが潜在化しているんじゃないかという気がします。
【山本】 確かに、私も
日本は敗戦国で、三等国という教育を受けた
んでしょう。
マッカーサーは解任された後、昭和二十六年五月十六日に米議会上院聴聞会で「文明的に我々は四十五歳の成熟した人間だが、日本人は十二歳で
勝利にへつらう
」という証言をしました。
その言葉も心に残り、アメリカにはとても勝てない、白人は優秀で日本人は劣等で能力がないという意識はありました。そして、軍閥を批判したり、日本の軍人にいい人は誰もいなかった、東條は悪人だと教わったんです。
■「見える検閲」と「見えない検閲」
【山本】 保阪さんがNHKのラジオ番組「真相箱」を使ったGHQの日本人洗脳工作について分析された『日本解体』(産経新聞社刊)を大変面白く読ませていただきました。
昭和20年12月9日
からNHKラジオが日曜の夜八時から八時半まで放送した、戦争中の歴史の真相を伝えるというふれこみの「
真相はこうだ
」という番組
は、かなり聴取者の反発があったようですね。
戦争中とは打って変わって、掌を返すような激しい軍部批判が同じ放送局から流されることに対する
国民の反発
ですね。その背後にアメリカがいるというのはみな薄々感じとった。
それで、
昭和21年2月17日から「
真相箱
」という番組に衣替えして、日本人は軍国主義に騙されていた、軍閥はこんな酷いことをやった、あなた方は被害者だというプロパガンダをもっとソフトにやりました
。
(
中共の「日本人民も被害者だ」宣伝は、コレの継承だったかw
)
もちろん、GHQが背後にいて、NHKにつくらせたわけですが、こうやって国民は、戦後、頭の切り換えをうまくさせられ、それが現在に至っているということは間違いない。
アメリカのやり方は非常に巧みでしたね。「真相はこうだ」の激しいやり方では強い反発を受けると反省して、すぐにソフト路線に軌道修正する。しかし基本路線は一貫して変えない。
【保阪】 「真相箱」もその一つですが、新聞、ラジオ、雑誌、映画を検閲した
CIE(民間情報教育局)
がやった検閲は、普通の庶民には見えないわけですね、検閲されているのが。
【山本】 そうです。目に見える検閲としてはCCD(民間検閲局)が行った郵便検閲などがあります。
封書を開けて日本では珍しかったセロテープで封をして検閲したことが分かるようにした。パーソナルメディアの検閲はやっているぞと日本人に恐怖感を与え
ながら、マスメディアの本や雑誌、ラジオ、映画に対しては、検閲自体を隠すというやり方です。
後ろでコントロールしてその背後で糸を引っ張って存在を出さない。非常に巧妙です。表と裏とを巧みに使い分けた作戦ですから、うまく絡められ、GHQの再教育路線に・・・。
【保阪】 レールに乗せられた。
【山本】 乗せられて、それが
現在にまで至っている
と思います。
(
「自己検閲」という無意識の呪縛w 文学評論の不毛の原因をそこに見た故江藤淳氏はそれを確認した、というわけですネ
)
【保阪】 「真相箱」の内容をくわしく吟味していて、私が感心したのは、日本人が権威に弱いことと、理論よりも感情を重視することを巧みに用いています。
怒りの感情をかきたてて考えないようにすること
をまず主眼としています。
昭和初年代から十年代の初めに、日本は情報鎖国帝国になっていますが、私は、その特徴は教育の国家統制、情報の一元化、暴力装置の発動、立法による威圧の四つがあったと思います。GHQはこれを全部解体するのが、真の自由を確保する体制とといったわけですが、実際にはこの四つを目に見えない形でつくりあげていったわけです。そのからくりは、検閲体制を検証することで暴かれると思う。私は、「真相箱」の研究をその視点で進めてみたわけです。
「真相箱」は明らかに誘導していきますね。「日本が南京で行った暴行についてその真相をお話し下さい」という質問に「婦女子二万名が惨殺されたのであります」と答え、
まず二万人から南京虐殺が始まっている
。「"侵略"という言葉の本当の意味をお知らせ下さい」という質問には「ウエブスターのニュー・インターナショナル・ディクショナリーの第二版、決定版によりますが」と、言葉の定義から始まって、日本の戦争は侵略戦争という結論に導かれています。
この誘導が僕は面白いなあと思いました。「東京裁判」での起訴状や判決文とか、戦後の歴史教科書の記述と一体化していくんですね。
アメリカの占領政策は国民の意識を誘導していくための大きなシステムをもっていた。で、「真相箱」はそのパーツの一つだと感じました。
【山本】 それで、その背後にアメリカがいることを隠す。
【保阪】 日本人アナウンサーが「私たちは」と言うわけですから。
【山本】 うまいですよね。
■日本占領とイラク占領の差
【保阪】 これは一九三〇年代のアメリカの大衆社会の中のPR術や宣伝術のノウハウを駆使しているということですか。
【山本】 たぶんそうだと思います。とにかく世論誘導というか、大衆心理の分析、大衆操作、あるいはプロパガンダもそうですけれども、社会心理学、政治心理学が第二次世界大戦中にアメリカで非常に精緻になりました。軍部と諜報機関がどんどんお金を出して、若い研究者を育てたんです。そういう人たちが戦後、アイビー・リーグの有力大学の教授になって学界を指導しました。第二次世界大戦はそういう広い意味での洗脳といいますか、大衆を操作するテクニックが急速に発達した時期です。
ですから、その成果を十分戦後の占領に反映させるような努力がなされました。実際、ルース・ベネディクトの『菊と刀』をはじめ、占領を前提にして日本人の心理、行動様式を把握する研究をアメリカは積み重ねています。米軍人のレポートを見ますと、みんなかなりの学問と知性がありますね。
【保阪】 GHQの将校自体がかなり学者の人が多いんですね。日本研究の第二世代は、あの戦争から生み出されたわけですし・・・
【山本】 ユダヤ人なんかで、あまり本国では優遇されなくて、日本で活躍の場を見いだすという人がいたし、そういう人たちがみんな知恵を絞った。マッカーサーは大局でそれを動かしていたという点では偉い人だと思います。別の意味でも、
私はマッカーサーはほんとに偉い人で、元帥という、そういうイメージでした。それはずーっと抜けきれませんでした
。
【保阪】 ええ。僕も偉い人だなあ、と思って、退任したとき国じゅうがみんな「マッカーサー、ありがとう」みたいになりましたね。国会で感謝決議までしている。
【山本】 涙を流すんですね。母親なんかもそう言っていました。
【保阪】
六年八カ月の占領は、僕は小学性時代に体験したんですが、あの時代は何だったのかという検証は、
アメリカの資料が公開され、やっとこれから始まる
んでしょうね。
私は
少年期の心理的呪縛
という意味で、私自身に関心を持っているんです。
【山本】 アメリカのイラク占領は、日本占領をモデルにするとアメリカは言っていましたが、唐突な感じがして意外でした。しかし、アメリカ側から見れば、基本的には同じ発想なんですね。日本統治がうまくいって、アメリカが
丸め込んで成功した
。だから、アメリカ文化とは全く異質な国でもうまく統治できると。イラクもキリスト教と全く違う国なんだけど、日本があんなにうまく成功したんだからという発想があったんでしょう。
【保坂】 日本人がイラク人ほど性根がすわっていないというか(笑)、言いすぎだけど、
自国の権力者に対して庶民が戦った伝統がない
わけですから。
(
いや、同じ日本人同士ではそんなアコギな真似は「支配者」(この言葉自体天子様が頂上にマシテルわけだから有得ないでしょうし)はできなかったというのが正解でしょうがw
)
そういう国民……まあ、イラクだって、あったかどうか知りませんけど。あれだけ強固な天皇制に対してうまくコントロールできたというのがアメリカの過信になったのではないですか。
【山本】 そうですね。アメリカ人は天皇制をどうするか、資料を見ると、ほんとにとことん考えています。
【保阪】 結局はマッカーサーが昭和天皇を訴追しないことを大統領に要求して受け入れられたのが、占領政策の一つの成功のポイントだった。
【山本】 天皇を訴追してしまったら、大混乱に陥ったことは確かだと思います。いまの選挙の出口調査と同じで、開票速報の出る前にアッという間にアメリカは天皇の重要性が分かったんです。
開票速報の楽しみもないような出口調査ってありますね。あれと同じで、
太平洋戦争中の捕虜や、中国延安の捕虜収容所の調査で、日本人は天皇以外の軍部に対しては、みんな非常に反発を感じているとか、簡単にアメリカ側についてくるという調査、分析が完全になされています
。
日本人捕虜はみんなすぐにアメリカ側になびいて、アメリカの言うとおりに重要な軍事機密も自分たちの心の中も喋りました。それをアメリカは社会学者を総動員してやっていたわけですから。洗脳というか、広く言えば宣伝ですが、大衆の心理を操作するというテクニックです。戦後はマーケティングとか、その他に導入されている基本的な考え方です。
【保阪】 私は大学を出た後、電通PRセンターに就職して二年ほどいて、それから出版社へ移ったんですが、ちょうど昭和三十年代の終わりごろで、電通PRセンターではアメリカのPR戦略について多くの書を読まされ、論文も書かされましたね。一九三〇年代のアメリカの社会で作られたPR技術は、戦争によってさらに発展します。それが企業活動にも活かされていくわけですが、日本でこのPR戦略をもっとも早く学んで活かしたのは、映画の新作キャンペーンだといいます。私自身は広告やPRは形を生むものでないので辞めたんですが、当時の同期入社の者が日本のPR戦略を今は担っていることになります。
彼らとこの前三十数年ぶりに会って話しを聞いていたら、PR戦略と自らの信念や社会基準をどう合致させるかが依然として問われていると言っていますね。そのアメリカのシステムが最も成功したのが日本だったわけですね。
【山本】 たぶん最初の応用は日本だと思いますね。ドイツでは連合軍各国がそれぞれ分割支配するという形で、アメリカの支配というのはミュンヘンでしたが、うまくできなかった。しかし、日本では一国全体を支配できた。洗脳を実験できたという点では、壮大な社会実験ですからね。
【保阪】 二十世紀の最大の実験ですね。で、我々は実験材料(笑)。
■今も日本を支配する占領メカニズム
【山本】 そういうテクニックは冷戦下にも随分精巧なものができたはずです。カタールの衛星放送アルジャジーラなどもアメリカの放送じゃないか、という気がテレビを観ていてしました。オサマ・ビン・ラディンの肉声が出てきたとかだいぶ怪しいけど、疑えばプロパガンダ機関と取れなくもない。相当入り組んだプロパガンダのテクニックは第二次世界大戦を通じて開発されたし、イギリスはもっと伝統があるんですね。
【保阪】 イギリスは裏が絶対出ない形になっているんだそうです。イギリスのジャーナリストから聞いたことがある。
【山本】 ところが、今回は国防省顧問のケリー博士がBBCへ情報をリークした話が出たのも不思議です。ブレア首相への忠誠心が全くない組織があるのかという感じがします。MI-5(保安部)やMI-6(秘密情報部)とかイギリスは諜報機関が正体を現さないという伝統で来ていたのに。
【保阪】 ソ連はソ連で、東西冷戦下にはすごいKGB(国家保安員会)の仕掛けがあったし。彼らの世論工作はソ連解体後にいくつかは明らかになっています。一九九一年にソ連の社会主義体制が崩壊したとき、モスクワに取材で行ったんです。KGBの退職者会のような組織があって、日本人ジャーナリストにも話をするというので、ある新聞記者と元KGB部員の何人かに会いました。その折
冷戦下での彼らの活動を聞いて、情報工作、世論誘導は日本社会がもっともやりやすかった
という部員がいた。彼はベトナム戦争の反対運動を具体的に指摘していましたが、話半分としても日本の社会構造や世論の形成の仕方をたっぷりと研究していることには驚かされました。
【山本】 プーチン大統領はKGB長官でしたからね。ロシアも、今、相当やっているわけです。
【保阪】 占領下の日本の情報操作では、何か暴力的な手法も使われたのでしょうか。
【山本】 ありました。郵便検閲で、進駐軍の残虐行為を受けたというウソの手紙が見つかると、差出し人は密かに逮捕され、軍事裁判にかけられています。
【保阪】 裁判に?
【山本】 ええ。東京の日本人のある男が知人への手紙でMPに銃撃され、負傷したと伝えた。この手紙は検閲で見つかり、その男は占領軍を虚偽で誹謗した科で軍事裁判にかけられました。取調べによると、彼は知人が東京の家に訪ねてくるのを断りたいがために、自分の銃撃の作り話を書いたようです(山本武利著『占領期メディア分析』)。ただ、軍事裁判の記録はまだ出ていません。
【保阪】 普通に手紙を出しているだけでもですか?
【山本】 そうなんです。
【保阪】 それはどういう人ですか。各地のジャーナリストとか?
【山本】 普通の人ですね。とっても怖いことが行われていたんです。
【保阪】 そういう事実自体が日本では知られていませんが。
【山本】 そうなんですよ。それから、
江藤淳さんが指摘したことですが、検閲に協力した人々の証言がほとんどない
んです。
例外は、熊本に復員して阿蘇のホテルに勤務していた東大英文科卒の
甲斐弦
さんが書いた『GHQ検閲官』(葦書房)と、日本女子大の学生だった
横山陽子
さんが自費出版した『鎮魂の花火輝け隅田川』です。「私は人々の心の中を見て、検閲者側に立ってやって、初めて懺悔する」という告白をしています。
また、当時東大生だった神谷不二さんもアルバイトで検閲に携わっていた事実を「諸君!」(平成十二年七月号)に書いています。
検閲で働いていた日本人はピーク時には八千人もいたのですが、もっと明らかにされるべきです。
【保阪】 GHQの裏側ですね。『GHQ検閲官』を読んだときに、本当にこんなことをしたのかと驚いた。もう関係者は証言するべきですよ。
(
決して誇れることではないが、戦後の貧窮で致し方なかったでいいでしょ。しかし、給料は日本政府から出て、また破格ではあったらしいネ。そういう意味でも後ろめたいんでしょうけどね
)
それにしても高度にテクニックが発達した裏側の情報管理で我々を変えていったわけですね。
【山本】 どうなんでしょうか。アメリカ自体が独立後の日本に対して、どういう工作をしているのかは秘密ですから分からないんです。ただ、資料収集でアメリカのやり方や資料を見ていると、非常に執念深く、丹念に裏側の情報を集積しています。
驚いたのは、暗号書です。戦争中、日本の船会社が使っていた暗号書を、船会社ごとに暗号表の原本を集積しています。メリーランド州のフォート・ミードに
NSA(国家安全保障局)
という機関があります。秘密に包まれた機関ですが、そこには暗号博物館があって戦争中の暗号関係資料を一部公開したんです。それを見たら、戦争中に沈没船とかから回収したものもあるんでしょうけれども、非常にまっさらできれいな状態の暗号表が揃っている。ということは、占領下の権力で集めたと思うんです。どうしてこんなに集める必要があるのかと思うぐらい、その執念は大変なものです。
アメリカはシステマティックに基本的なデータ収集を継続する方針でしょうから、今でも丹念に暗号解読は行われているはずです。日本の実体の把握を
やり続けている
わけですから。
【保阪】 検閲と洗脳工作が占領中から継続しているわけですね。それは十分考えられますね。
年表には表と裏がある
というのが私の考えで、裏の年表も明らかになれば、継続の実態が分かるんですけれど・・・・
【山本】 太平洋戦争でアメリカも大変な被害を受けたと思っていますから、日本がまたいつ裏切るか分からない、同盟を破棄するか分からない、石原慎太郎が何考えているか分からないというのがある(笑)。
田中角栄のピーナツの領収書も、私はCIAから出ているのではないかと想像しますが、そうした類はきちんと蓄積されているわけです。
【保坂】 太平洋戦争下での日本の情報将校は個々の能力はアメリカに劣っていないが、システムをつくることはできなかったと述懐していましたね。彼らの一部はその能力をある者はアメリカに、ある者はソ連に利用されて東西冷戦の中に放り込まれています。
田中角栄も裏の年表の読み方では、占領政策の枠を出る怖れがあるから狙われたというんです。正直なところ、戦後の五十八年間も占領期の支配がそのまま続いていると考えていいわけですね。
【山本】 と思いますね。NSAの表の顔は暗号記念館です。ドイツや日本が使っていた暗号解読機械とか、資料を公開していますから一般の人は誰でも行ける。ところが、その背後が地図を見ると膨大な敷地です。そこに三万八千人が働いているらしい。
CIAどころじゃない。世界中のパソコンを全部把握でき、電子メールを盗み見しているエシュロンもそこにあります
。
【保阪】 すごい世界ですね。我が国の占領期六年何カ月なんて、ちょろいもんですね(笑)。
【山本】 孫悟空がお釈迦様の掌に乗って踊らされている、なんて思いたくないですけど。
【保阪】 いや、そうですよ。
【山本】 日本は素直ですから……。
【保阪】 ずーっとそういう資料を読んでて、時どき虚しくなることありませんか?
【山本】 あります(笑)。こういう研究自体、アメリカへ行かざるを得ないのが、まず情けないし、日本で調べたい。しかも、苦労して調査した内容も、日本人捕虜がスラスラと敵国に協力したといったような話ですから。日本兵捕虜を弁護する余地はあるにしても、
ちょっと嘆かわしいし、先祖がそうしていたことは、やはり虚しい気持ちになります
。
(
うぇ~、辛いでつネw
)
【保坂】 私もアメリカのアーカイヴやナショナルレコードセンターへ行って、占領下に集めた日本に関する資料や文書に触れて、ここまで集めるのかと驚きました。
日本人がマッカーサーへ宛てた手紙を読んでいて、
こちらが恥ずかしくなるほどの媚態
を示す内容が多い
んです。これではGHQからバカにされるなと思いましたよ。
■中国・ソ連共産党の洗脳工作
【保阪】 シベリア抑留の人に聞くと、抑留所の中に一種のヒエラルキーとか、そういう空気があったと言います。それをソ連は利用して「同志」をつくる。「
アクティブ
」と呼ばれる共産主義の活動家をつくったんですが、アメリカとは洗脳の方法が全く違いますね。
【山本】 アメリカの洗脳のシステムはかなり自由です。強制はしません。
【保阪】 ソ連は強圧的でした。暴力も使っていますし、脅迫もしますしね。
【山本】 延安で日本兵捕虜を洗脳した中国共産党のやり方は、二重、三重の洗脳というか、日本兵捕虜を社会主義へ転換させるための学校システムが精巧にできていたんです。
「全く管理されずに逃亡も自由だった」と日本兵捕虜が証言していますが、
一種の砂漠みたいなところに入れられて、特殊な空間の中で繰り返し、繰り返し同じ教育をされて洗脳されていく
という過程でした。
(
砂漠の中じゃ逃げても死ぬだけだわなw そりゃあ「自由」とは言わんわな
)
アメリカ軍が延安に入り、日本兵捕虜を調査した『延安レポート』をいま、翻訳していますが、日本兵は中国大陸で結構抵抗しました。
日本兵というプライドがあって反発した兵士は第二学校に入れられる。
野坂参三
は一切言わなかったのですが、延安に第二学校がありました。不満分子を集め、苛酷な環境で再教育し、洗脳されれば第一学校へ戻す。そして、その中で優秀な兵士をプロパガンダ用兵として前線に送り込むプランがあった。
日本の本土戦に彼らを連れていく予定
でした。そういう息の長い洗脳システムを中国共産党は考えていた。アメリカは中国に比べるとまだ単純でした。
【保阪】 なるほどねぇ。確かに占領期にGHQが新聞に掲載を命じた「太平洋戦史」やラジオの「真相箱」をよく読むと、日本人の基本的な考え方を変えるためにまず「憎むべき敵」をつくります。それからそこにいたるまでの感情をレールを引いて、引っ張っていく。
情報を相対化する能力
に欠ける日本人はひたすらそのレールをまっすぐに走ることになる。そのような国民性はどこの国からも見抜かれていたように思います。そのレールの上を走る充足感にひたるのでしょう。
ニューギニアやガダルカナルなど、太平洋のいろいろな戦場で日本は負けますが、負けた兵士たちに聞くと、ある朝、目が覚めたら、海岸にアメリカの船が何千隻も押し寄せ、水面が見えない状態だったと証言しています。しかも、必ず上陸する一週間前から爆撃機が来て激しい爆撃で裸にされる。で、次に想像もできなかった艦数が海を覆い尽くし、一斉にそれがドーン! と艦砲射撃をしてから上陸してくる。戦術も全部システマティックなんです。そういう状態で上陸してくるから、アメリカに対する怖れを感じざるを得なかったでしょうね。それでも戦って玉砕するという戦術は悲惨としか言いようがない。最後には玉砕というレールを走ることが目的になっていたと思われるほどです。
【山本】 そうですね。それは三十八度線で韓国軍、米軍に対峙する現在の北朝鮮軍兵士たちが感じていることと、似ているのではないでしょうか。
投降したいと思っていても背後から撃たれますからね。日本兵にもおそらくそういう恐怖感があったのかもしれない。だから、捕まってしまうと一気に本音を吐き出すというメカニズムがあった
んでしょう。
(
う~ん、ちょいと辛いなぁw しかし、寄りによって「北の腹ペコだが特権兵士」と「皇軍兵隊さん」を同列に置くかなぁ。銃後の辛い負け被爆撃小学生の世代的限界感じるなぁ
)
【保阪】 でも、僕らの世代も、GHQの洗脳システムの上をまっしぐらに走り、
実験室の中でずーっと育って大人になった
ようなものです。
結局、
軽武装、経済至上主義の「吉田ドクトリン」
で育って、「吉田ドクトリン」の中で死んでいく世代だとしみじみ感じたんですけれど(笑)。
(
最初に「劣等感」ありきの研究者の「世代的限界」かも知れませんしネw
)
【山本】 そうですね。
【保阪】 いくらアメリカに抵抗すると言っても、その意味が不透明になっています。
それと、私が危惧していることがあるんです。昭和二十年八月九日にソ連が旧満州に入ってきたでしょう。そのときに、新京(現在の長春)の関東軍司令部から二十八両の列車で関東軍の資料をモスクワに運んだといいます。この資料を解析するのはまだすべて終わったわけではないようですが、今後はこうした日本にとって不利な資料がときに公開されて、その時々の日本の政権には圧力がかかるのじゃないだろうか。
こうしたことはソ連だけでなく、アメリカ、中国、イギリスにもいえるでしょうから、
私たちは逆に日本の過去の政策についてつねに検証しつつ、そうした資料の位置づけを考えておかなければなりません
。
■
日本メディアの発信力強化を
【山本】
メリーランド大学のプランゲ文庫
には膨大な日本占領政策の資料があります。占領中に検閲された出版物、検閲記録の宝庫です。
データベース作成や資料の発掘のため、アメリカにしばらく滞在することが多いのですが、いつも残念に思うのが、アメリカでの日本メディアの存在感です。存在感がほとんど無い。名前さえ出てこない。かつてなら「日経平均」というのがありました(笑)。ところが、九八年に、長期滞在したときはもう消えていました。今や全く日本メディアのことは報道されません。株式市場で極端な暴落をしたときは出るでしょうけど、例えば朝日新聞の記事を転載するという形で日本の新聞の名前が出てくればいいけれど、それさえも出ていない。共同通信も、NHKも全然出ませんね。
ところが、戦争中は
同盟通信と、ラジオ・トウキョウ
(現在のNHK)が有名でした。よくアメリカのメディアにも登場していました。日本の強烈なプロパガンダ機関として傍受しなければならないし、アメリカのメディアに転載して、日本の動向を把握することが重要でした。
しかし、現在ではバブル崩壊後、日本が経済的苦境に陥ってから、日本メディア軽視の傾向があります。それまでは日本の情報もけっこう多くて、発信源が日本のメディアというニュースもあったんですが。
【保坂】 日本の政策も文化もすべて独自性を失い、アメリカのコピーのようなものだからでしょうね。それに日本からはあまり情報が発信されていない。
【山本】 それには日本のメディアそのものが
英語の発信力、宣伝力に欠けている
という根本的な問題があります。我々……、いや、私もその典型で、偉そうなことは言えない(笑)。
どんどん英語で発信しなければならない時代なのに、日本メディアの英語発信力が劣っているんです。
共同通信の偉い人に聞くと、社員を養成して、留学させて、アメリカの大学で鍛え上げても、共同の英文は書き直される。だから、緊急の時に利用できないと言われるんだそうです。
それだけ我々の英語の発信力が弱いということも、国際化、プロパガンダ、宣伝、PRの時代に日本が後れを取っている原因です。
英語が一番下手なのは日本人で、その次は韓国人で、その次は中国人
です。中国人はまだ日本人より上手なので、現在の国際的な競争の中でも中国の発言力の向上につながっています
。
蒋介石一家も語学は上手でした。保阪さんの『蒋介石』(文春新書)を拝見しましたが、日本人よりはうまいですね。
メディアの使い方が下手なのと、メディア自体のパワーがないということとか、いろんな要因が重なって、日本の存在感が非常に稀薄になりつつある。ますます一層ね。今までは経済力がそれをカバーしていたんですが。
【保阪】
日本で語る論理と外国で語る論理に一貫性がないから
でしょう。
つまり、日本人ならこの話は分かるんだよ、という回路で論理が完結するものがあります。そういう論法は日本の国内では成立するんですが、それを外へ持ち出して、そのまま訳しても全然つながらないんです。この
論理のインターナショナルな回路
を日本人はつくらなければいけないと思いますね。
(
にゃんじゃそりゃw 余計にわけがわからんが
)
【山本】 確かに我々は、島国の中で通用するレトリックを使っていますが、国際化の中で日本人もどんどん海外へ行く時代です。企業もどんどん海外に行き、どうしても世界的に交流しなければ生きていけないのですから、だんだん進歩はしていくでしょう。
しかし、そこでアメリカナイズされて、アメリカの考え方、思考様式まで学ぶ必要はないわけです。とにかく
向こうの人が積極的に理解してくれるような発言の論理
がないと駄目です。
(
「技術的な」問題か?
)
■閉ざされた思考空間からの解放を
【保阪】 論理の強さがないと駄目ですね。その強さを主張する意思の強固なことが必要だと思います。ところで、江藤淳さんのことを最近お書きになっていましたね。
【山本】 江藤淳さんの占領研究は、メリーランド大学プランゲ文庫の雑多な資料の中で、短期間のうちに占領軍の検閲の方針を示した第一次資料を見つけ、それをアメリカの国立公文書館の中にあるGHQの英文の資料の中から、検閲の方針と関連する資料で検証し、「
言語空間
」という概念をつくりました。
占領期は検閲によって自由な発言ができず、閉鎖された言語空間が形成されたということを解明したという点は、我々研究者から見て、非常に素晴らしい先駆的な仕事(『閉ざされた言語空間-占領軍の検閲と戦後日本』文春文庫)だったと評価しています。
必ずしも江藤さんのことをよく言わない研究者もいますが、正当に評価しなければ、江藤さんを克服できない
と思います。
(
門外漢にしてやられてマルで立場がないってなだけジャンw 特に「憲法学者」が出鱈目晒されたからな。その中でも目立った当時東大法学部憲法教授で司法試験委員の小林直樹教授。他もおして知るべしw
)
GHQの検閲が事前検閲から事後検閲に変わった昭和二十三年に、
朝日新聞社の嘉冶隆一出版局長が「各自の心に検閲制度を設けることを忘れるならば、人災は忽ちにして至るであろう。事後検閲は考えようによれば、自己検閲に他ならぬわけである。」と部下たちに「
自己検閲
」を呼びかける
文献を見つけました。
これなどは江藤さんが描いた「閉ざされた言語空間」そのものです。
ただ、一面、江藤さんは一般人の目に見えない検閲に力点を置きすぎて、検閲ですべて戦後空間がつくりあげられたという言い方になってしまったと思います。
アメリカの表の機関がマスメディアを指導、啓蒙して日本人は間違っていたと民衆を誘導したという動き
を軽視しているのではないか。
後進の者のないものねだりはありますが。
保阪さんが分析した「真相箱」が一つの典型例ですけれども、CIE(民間情報教育局)が指導した反軍国・民主主義とか、あるいは天皇制に対する考え方だとか、そういうもののほうがパワーと影響力があったはずです。
★
CIE
が基本的につくった世界観と歴史観を
CCD
(民間検閲支隊)の検閲が補強したという関係だ
と思います。
問題なのは、江藤さんのような大事な業績を日本人が残したのに、アメリカにいて研究条件に恵まれているアメリカの学者が二次資料しか使っていない。
評判になった
ジョン・ダワーの『敗北を抱きしめて』は二次資料で書かれたものにすぎません
。
【保阪】 そうなんです。『昭和天皇と戦争』を著したピーター・ウエッツラーは、この書の解説を書いたこともあって、来日時に話をするんですが、彼は具体的にその指摘をしています。
【山本】
アメリカ人の日本研究者にあちらの公文書館であまり会わない
ですね(笑)。
(
へぇ~、そりゃ意外でしたw
)
【保阪】 今年の八月に北海道新聞の文化面にある原稿を書いたんです。八月十五日になると、いつも僕は気にかかることがあると。正午のサイレンにあわせて甲子園で高校球児たちが黙祷します。彼らに何で黙祷するかということを教えて、理解させて黙祷しているならいいけれど、そうでないのではないかと書いたんです。
一九八六、七年の生まれの子に自分が生まれる四十年前に終わった
戦争を悼んで黙祷しろ
、ということですよね。
僕の場合に置き換えれば、一九三九年生まれなので、四十年前だと日清戦争の戦没者に頭を下げろ、というようなものです。
僕はそういう実感を持ってなかったと思います。それと同じことをやっているのでは、と書きました。
史実を語り伝えて、高校生が納得して黙祷するならいいけれど、何も教えないで頭を下げろ、とだけ言うのは
世代のエゴ
ではないかと書きました。
すると、「だからこそ、私たちは史実を語らなければいけない」という反響がすごくありました。
【山本】 歴史事実を語り伝えるということは、今日のお話のようなものも含めて次世代に伝えていくということですね。
【保阪】 私たちの国は昭和のある時期から軍事を支える思想や文化が、かなり狭隘なものになっていったと思います。
日本人の本質的な文化や物の考え方と違う、もともと
地肌ではない文化や思想
が、戦争のために用意されたのではないか。だから、戦争に負けて憑き物が落ちたと言えるのではないでしょうか。
あの戦争を本当に誰が行なって、誰が進めたかということを子細に検討していくと、日本の国民は実は戦争を知らなかったんじゃないかという疑問を持ちます。
戦争のメカニズムも知らないし、二十世紀で約束された軍事行為そのものの意味も知らなかった。二十世紀で一番遅れた戦争の感覚を持って戦った国だと僕は思います。二十世紀の戦争をする資格を持っていなかった。そういったことも伝えていかなければならないと思っています。
(「諸君!」平成16年1月号所収)
保坂正康
昭和十四(1939)年生まれ。(
終戦時6歳の2004年現在65歳
)
同志社大学文学部卒。個人誌『昭和史講座』を主宰。著書に『日本解体』(産経新聞社)、『戦争観なき平和論』(中央公論社)、「昭和史七つの謎』(講談社文庫)他多数。昭和史の聞き書きを続け、延べ四千人を取材。証言を元に評伝、評論を発表。
山本武利
昭和十五(1940)年生まれ。(
終戦時5歳の2004年現時64歳
)
一橋大学大学院社会学研究科博士課程修了。マスコミ論、情報史専攻。20世紀メディア研究所を主宰、プロパガンダ、占領期の検閲等を扱う雑誌『インテリジェンス』(紀伊国屋書店)を発行。著書『占領期メディア分析』(法政大学出版局)他多数。
【関連サイト】
■占領期雑誌記事データベース
http://www.prangedb.jp/
■20世紀メディア研究所 http://www8.ocn.ne.jp/ ̄m20th/
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