不倫日記

不倫日記

2008.05.01
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そこに行ったら、日雇いの仕事があったり、戦争中でもないのに、炊き出しとかあって、お粥みたいなもんが食べれた。けど、そういう仕事はたいていが力仕事や。歳を考えたら、お父ちゃんは当時、二十代後半やったはずやから肉体労働もできたはずやけど、なんせ足が悪かったからな。
 結局、お父ちゃんのやっとった仕事っていうのは、拾ってきたものを売る仕事やった。
(古物商)ってお父ちゃんは言ってたけどな。店舗なんか構えてへん。拠点としてるのは四角公園の一辺や。逆側一辺は西成警察署って言う、怖い警察署があった。鉄格子の窓が公園側に向いとって、いっつも変な叫び声が聞こえとったわ。
 そういう場所でも、しょば代とかいるんやろな。親方みたいな人がいて、お父ちゃんは平日はせっせと、粗大ごみとかから、売れそうな物を拾ってきてた。
 自転車の後ろにリヤカーつけてな。足悪いのに、なんでそんなパワーあるんやろって今になったら思うけど、子供の頃はそんなこと考えへん。普通やった。
 半分くらいは、一緒にごみ拾いに連れて行ってくれた。給料とかもどういうふうにもらってたのかわからんけどな。公園の囲いのところにリヤカーがあって、その土日に売れそうなもんはそこにしまってある。他の物は倉庫があって、そこにしまいに行く。
 そういう店が西成にはいっぱい並んでた。
 せやから土日はまだ良かった。
 お父ちゃんがござを敷いて、売ってる横で手伝いができたから。

 売ってたもんっちゅうたら、ほんまに拾ってきたもんばかりや。服からベルトから、時計、古銭、レコード、電化製品、本、置物……なんでもありや。値付けもええかげんなもんでな、言い値で売ってた。百円で売るもんが多かったけど、テレビとかプレーヤーとかで直して売ってるもんは元手が掛かってるから、ちょっと高く売らんとあかん。お父ちゃんも多少直せたけど、今考えたら、親方がそうゆう技術を持ってて、商売ができるんやろな。今は何で捨ててしまうけどな。
 子供ながらに欲しいおもちゃ……そうやなボウリングのゲームとか輪投げとか、自分の欲しいもんもあったけど、売ったらお父ちゃんが喜ぶから、ほんま、ちっさい身体で、よう声出しとったよ。
 多分、月給とかや、なかったんやろな。それやったらもっとちゃんとしたとこに住めたし、ご飯も食えたんやと思う。売れた金額から、いくらか貰ってたんやろ。
 親方も一緒におるからちょろまかすこともでけへんかったんやろ。
 せやから、店を開く日は、おいしいもんを食べられた。
 ほとんどはお父ちゃんの酒代で消えていくけど、俺は店が開くのが待ち遠しかった。
 周りも店がいっぱいあった。
 一〇〇円のお好み焼き屋台やら、夏は西瓜とか売ってたり、同じような拾ってきたもんを売ってる店もいっぱいあった。
 おいしいもん食べれるってゆうても、前にあるいっぱい飲み屋みたいなところに連れて行かれて、枝豆やらすじ煮やら、おでんやら……おでんは関東炊きって言って、たこの足とか、コロっていう鯨の皮ぎしの部分が入ってたなぁ。
 たこ焼きも当たり前のように百円やった。
 西成ってそういうところやった。

 そりゃ、珍しかったやろ、幼い子っていうのは大体がお母ちゃんと一緒にいるもんや。
 けど、その辺は若い女は怖くて寄り付くような場所やなかった。
 歩いてたとしたら、ヤクザの関係か、気が狂ってるか、家出かや。
 あとは、もう、どうしようもないおばあちゃんか、男の集まりやった。せやから、幼い子供もあんまりおらへんのやけど、中には、お父ちゃんみたいに小さい俺を育てる人間もおったわけや。これが、お母ちゃんとかやったら、また違う仕事で、違う場所に住んどったんやろ。
 ほんまに、西成は汚い街やった。

 全然、かつきにはわからんやろうけど、何か急に全部話したくなってしまったんや。パパの昔を。これはママにもゆうたことないし、誰にもゆうたことない。かつきとパパの秘密や。これから怖い話になるからな。
 とにかく汚い街やった。
 住む場所が、あったりなかったりしてる人間が密集してるんや。便所も何もかも、その辺でするわな。それでも、道路の真ん中ではせえへんけどな。
 店を出すときは、まず、公園の外壁の溝を掃除するところから始めた。
 竹箒をお父ちゃんが持って掃いとった。
 何でかと言うと、平日はそこにはリヤカーや屋台が店じまいの状態で置かれてるんや。
 もちろん盗まれへんように、ブルーシートとロープでぐるぐる巻きやで。
 今考えると、簡単に盗めそうやけど、それだけで誰も盗めへんかったな。暗黙の了解やったんか、親方がヤクザみたいやったから怖かったんか知らんけど。
 とにかく平日は店が開いてなかったので、大人らは大抵、その溝でおしっこするんやな。大便まではそこではせえへんけど、それが溜まりに溜まって、臭くなって。せやから西成の街はいつも小便臭かった。
 小便の集まりや。ずっとほったらかしやったら、やばかったけど、週一回、店を出すために掃除するから、そこの溝はそれほどでもなかった。
 ばけつに水を汲んできて、溝に流して竹箒でなぞる。中にはごきぶりの死骸や、ねずみの死骸もおるよ。夏なんかもう、大変や。汚くて。
 そういう汚い仕事も、お父ちゃんは平気でやっとった。
 平気やなかったんかもしらんけど、食べるためにやってた。
 夏は蝉も飛んでたけど、ごきぶりもよう飛んでたな。電柱から電柱へ飛ぶんや。今考えたら恐怖やな。夜は蝙蝠がいっぱい飛んどった。
 大人になってから、蛆虫なんか見ることもないけど、公園には普通におった。住む家のないやつは、公衆便所で大便するんやろうな。公衆便所にいったら、鼻をつんざくアンモンニアの臭いと、大量の蝿。
 今のデパートのトイレとかは自動的に流れるけど、昔の公園の公衆便所なんかそんなもんあれへん。ただ、溝があってそこに小便するんや。
 今の話は小の話やで。何でか大のほうの記憶はあんまりあれへんけど、水洗やなかったんとちゃうかな。
 とにかく、その壁っちゅうかなんちゅうか、小便する壁には気持ちの悪い蛆虫がびっしり張り付いてるんや。けど、子供の頃はそんなに怖くはなかったな。面白がって小便かけてたわ。
 そんな汚い街やったけど、今となっては失われてしもうたええもんはいっぱいあったよ。
 夏になったら、いろいろ売りにくるのが子供ながら楽しかったし、面白かった。冷やし飴っていう飲み物や、ワラビもち。これは冷たい氷水の中に沈んだワラビもちをおっちゃんが網ですくって、水を切って、きなこをかけるんや。アイスクリームやさっき言うた西瓜な。これは塩をたっぷりかけて食わなあかん。西瓜の皮が詰め込まれたゴミ箱にはなた、ごきぶりがようさんたかる、たかる。
 お好み焼きも含めて、大体が五十円か百円で食べられた。
 毎日お祭りみたいなもんやな。店舗を構えてる店は毎日商売してたからな。
 土日はそれに露天商が増えて、活気はあったよ。戦後の復興とか見たことないけど、多分あんなもんやったんやろうなあと思う。
 けど、今のほうが肉だけはまともなもん食べれるな。
 牛肉なんてあったんやろか? 大抵は鶏肉か豚肉やった。それもとんかつとか焼き鳥とかじゃなかったな。
 豚はホルモン。牛もホルモンやったんやろな。ホルモンがごちそうやった。内蔵のことやな。
 鶏も……よく考えたら内蔵ばっかり食わされてたな。
 玉ひもっていう部分があって、未成熟の卵がくっついてるんやけど、それを甘辛く煮たもんを、よく食わされとった。
 肉のおいしい部分はみんな、金持ちが買うんやろな。貧乏人はそんなもんしか買われへん。カルビとかロースとかそんなもん食われへん。
 冗談抜きで犬や猫も食うてた。今では中国とかで食ってて、嘘やろーって噂話みたいなこと言ってるけど、実際食べてたんや。赤犬。
 その二帖くらいのアパートにいる頃や。
 平日は、外では何も食われへん。そこで、父ちゃんの帰りを待って、パンを食べたり、肉を買ってくることができたら、それを捌いて、酒のあてのような料理をお父ちゃんが作る。フライパンとかなかったから、ほとんど、煮物か網でめざしを焼いたりしてた。
 ごはんは鍋で炊いとったよ。
 お父ちゃんはなんかしらプライドがあったらしく、自分は調理人やと思ってた。本当は調理人したいといつもゆうてたけどな。だから、出刃包丁とかは持ってたんやで。鶏を捌くのが本当に好きで、ちょっとお金が入ったら、丸ごと一匹買ってきて、水場で首をちょんぎって、羽むしってばらばらにしてた。





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Last updated  2008.05.01 08:53:57
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