不倫日記

不倫日記

2008.05.02
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 俺はゆっくり、音で気づかれへんように、ゆっくりと戸を開けて、首だけを隙間から出して、覗き込んだ。
 右側が手のないおっちゃんのところで、そっち側のほうがちょっと遠い。左側の山姥はすぐの場所にあった。
 廊下には電灯なんかあらへんかった。昼でも暗かった。けど、俺の部屋の裸電球と山姥の部屋の電球で照らされて、その鍋の中身が見えたんや。
 それは犬より強烈やったなあ。
 大きな両手鍋やった。でこぼこの犬のごはんでも入れるような鍋やった。ついさっき火から下ろしたんやろ、まだぐつぐつ煮えてた余韻を引きずって、湯気を立ててた。
 醤油の臭いか違う調味料の臭いかわからんけど、とにかく料理の臭いやったよ。
 おいしそうな臭いやった。
 その中身が赤ん坊やなかったら……
 もう、それを見たときは死ぬかと思った。どれくらいそうしてたんかわからへん。鍋の中に、茶色い汁の中に、風呂に入ってるかのように赤ちゃんが丸ごと入ってたんやからな。

 両手がちゃんとあったことも覚えてるし、目も開いてなかったけど、瞼が瞑っている線も顔にちゃんと二つあった。
 髪の毛がどうやったかも忘れたし、大きさも今となっては思い出されへん。
 ただ、その鍋の中におった赤ちゃんの姿だけは、脳裏に焼きついて離れへん。
 大阪では関東焚きって言う、おでんに絶対入ってた、たこみたいな色してた。汁も小豆色で濁ってた。今、考えたら解体はされとったのかもしらへん。胴体は汁に漬かってあんまり見えへんかったけど、手足は見えとった。その手足もありえへん方向に突き出してたような気がする。顔の近くに足があったような……。子供の頃の記憶やからな。俺は絶対にまるまんまやったと信じ込んどったけど、赤ちゃんと言えども結構な大きさやった。頭からかぶりつくなんて、妖怪か獣やなかったら無理やろ。山姥が少しでも人間やったら無理や。せやから、手とか足とか切り離されとったんやと思う。
 詳しく観察しとったわけでもあらへんけど、どうやら結構な時間が経ってたみたいや、気が付いたら、山姥が便所からでてきて、俺が覗き込んでるのを見つけた。
 何やらわけのわからん奇声をあげて、走ってきた。
 おばあちゃんやからそんなに早くなかったんやろうけど、子供にはすごく早く走ってるように見えたわな。
 俺はあわてて戸を閉めて、思いっきり開けたらなんとかなりそうな閂をかけて、必死に戸を押さえた。
 山姥はしばらく、(死ね!)とか(喰ったる!)とか怖い叫び声をあげては、戸をがたがたやってたけど、すぐに諦めて、さっき煮込んだ赤ちゃんを喰うたほうが得策やと思ったんか、部屋に戻ってった。
 怖かったよ。
 がたがた震えてた。

 その夜はお父ちゃんにそのことを話したような気がするけど、無茶苦茶、怒られたような覚えがある。山姥かお産婆かわからへんけど、あいつには絶対近づくなって、何度も怒られた。
 大きくなって西成を出てから、お父ちゃんに山姥のことを聞いたことがあって、その時にやっぱりお産婆や、って説明された。
 西成にも産婦人科はあるし、結婚する人もいるし、子供も産む。けど、貧乏暮らしの人らばかりやからな、産まれてきたらあかん子供もおるし、どうしようもなく産んでしまう人もおる。山姥がそういう資格、持ってたかどうかしらんけど、大人になってやっと理解した、山姥はそういう(処分)せんとあかん赤ちゃんを(処分)してたんやないかって。それでいくらかのお金をもらって、処分せんとあかん赤ちゃんも貰う。。
 これはほんまにに怖くて、恐ろしい話なんやけど……
 ほんまに……

 赤ちゃん専門やったんか、大人の肉も喰ってたんかはわからん。けど、あの街は生きるためやったら、何を喰ってもおかしくない街やった。
 山姥がいつも持ってたのは、包丁やと思ってたけど、よくよく考えたら大きな鋏。多分、へその緒を切るためのものやったんやろな。
 ほんで、高校くらいの時に、考えたんや。
 俺も産まれるときは、あの山姥にお願いしたんやないかって。
 何で喰われへんかったんかわからんし、お父ちゃんも、顔も知らんお母ちゃんも、何で産まれてええと思ったんかもわからん。それがもしかしたら、お母ちゃんが出て行った理由かもわからんし、今となっては何があったんかもわからん。
 ただ、はっきりしてるのは、当時、あのアパート周辺で、俺くらいの歳の子供が生きてるって事が不思議やったし、たまに山姥が子供の俺に向かって言う罵声。
 (やっぱり、あの時、喰っときゃよかった!!!)
 その言葉が耳に張り付いて離れへんかった。
 たまに山姥は汚いビニール袋を持って歩いてた。多分、その中には胎児か産まれたての赤ちゃんが入ってたんやろうし、周りの大人も、何をして暮らしてるのか知ってたんやろ。けど、その連中の中では山姥みたいな奴も必要やったんやろうし、今やったら、警察とか調べに来るんやろうけど、当時は何か……無茶苦茶やったんやろな。
 暴動とかもあったみたいやけど、それは俺が産まれる前のことみたいやし。
 西成では、強いもんも弱いもんも、酒と小便にまみれて毎日を生きてた。
 証拠って言うても、山姥は赤ちゃんを腹の中に入れてるわけやし、川とかに捨てたらやばいけど、喰ってしまったら、証拠も残らんわ。
 もし、喰えへん内臓とか骨とかあったとしても、裏の残飯置き場に捨てたら、野良犬とカラスと蛆やゴキブリが分解してくれるわ。
 そんな街やった。
 俺はほんまに子供の時、ほったらかしやったんや。お父ちゃんは俺を育てるために、毎日働きに出てた……ってな感じやなく、酒のために毎日、ゴミや屑を拾いに行ってた。結果的に、何か食わしてくれとったから、育ててくれたことになるんやろうけど、食わしてもらってもお父ちゃんのことは好きになることはでけへんかった。それどころか成長すれば成長するほど、憎しみが増してったんや。
 ほったらかしやたから、俺はどういう風に子供の頃を過ごしたんやろって、考えたんや。当然、小学校に行くようになったら友達ができたから友達と遊ぶんやけど、それは西成を離れてからや。
 西成にいるときは、本もなかったし、字もだれも教えてくれへんかったし、大人達も学のある人間なんか一人もおらへんかった。
 紙芝居の裏の字を読んで遊んでたような気がするけれど、ほんまに読めたんかと思う。俺はこう思うんや。
 子供の頃、俺が一人でしていたことのほとんどは、頭の中で妄想をしてたんやなかったのかって。
 この癖は大人になってからも、続いてるし、実際、友達ができた小中学生のときも、みんなと遊ぶより、妄想してるほうが楽しかった。
 怪獣がやってきて街を破壊したり、そこにヒーローが現れて人類を救ったり。
 妖怪が町中を徘徊してて、時間と場所によって出会う場所が決まってる。その時間と場所を避けて歩かんとあかんのやけど、ある日、うっかり会ってしまうスポットに取り残されて、動くことがでけへんようになって、脅えて泣いて、お父ちゃんが迎えに来てくれるのを待つ。
 金縛りのようになって、周りには人っ子一人おらん。
 小便臭い風が路地を吹いて、足元から奇妙な虫が這い上がってくる感覚。客観的に見たら汚い子供や。服も着てるし、靴も履いてるけど、多分それはお父ちゃんが拾ってきた物やろう。
 洗濯機がないから洗濯もされず、胸の部分は色んな汚れを拭くから、かぴかぴになってしまっている。
 まあ、子供っちゅうんはそんなもんやけど、服が拾い物で、洗濯してもらわれへんなんて、今考えたら、普通の子とは違うわな。
 魔の刻に入ったっていうんか、路地の前も後ろも道は続いてていつもの景色なんやけど、そっちに進んでも何もないような気がする。
 そして、だんだん近づいて来るんがわかるんや。
 向こうの角に何かが近づいてくるんが。それはもうすぐ待ってたらその姿を現すんやけど、逃げられへん。見んとあかんような気がする。
 した! した!
 そんな足音が、水滴が土間に落ちるように耳の奥で響いた。
 俺は今、何かが出てくるであろう一点を凝視してた。ちょうど顔が出てくるであろう部分や。
 一瞬、赤くて細いもんが見えて、消える。最初は短く、それが次の一瞬現れるときには長くなって、現れる。
 しゅっ! しゅっ!
 なんでかわからんけど、そんな音が聞こえるようやった。
 それはゆっくりと姿を現した。
 鈍い色をした鱗と、死んだような目ん玉が顔を出し、最初は横を向いてたけど、それがゆっくりとこっちを向こうとする。
 子供の俺が叫んだのは(蛇や!)
 ってゆうてからの記憶がない。





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Last updated  2008.05.02 09:36:28
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