不倫日記

不倫日記

2008.05.13
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 貧乏やったからな。
今でも貧乏やけど。結婚式もでけへんし、写真も撮ってへん。それでも俺らは夫婦やった。ほんまは間隔開けたほうがよかったみたいやねんけど、すぐにお前ができてもうた。
 その頃かな……
 また膿が出てきたんや。
 汁が出てきた時に思ったで、またあいつが出てくるって。
 案の定、子供の頃よりは頻繁に出てこんかったけど、何か、俺が困ったときとか、寂しいときにだけ、出てきよった。
 最後に見たんは、お前のお母ちゃんがおらんようになった時や。
 俺が悪かったんやけどな。けんかばっかりの毎日やった。何回も、お前を連れて出て行っては、連れ戻して、出て行っては連れ戻しての繰り返しや。
 何で連れ戻せるかってゆうたら、その膿が教えてくれるんや。お前とお母ちゃんの隠れてる場所を。

 最後にはもう逃げ切れへんと思うたんやろな。しばらく大人しくしてたけど、それは九州へ行くつもりで、こそこそと準備してたみたいなんや。
 それも膿が教えてくれた。
 その時やな。膿がいったいどういうやつなんか教えてくれたんは。
 膿はどうやら俺の兄貴らしいんや。どういうわけでそうなったんかはわからんけど、本当は産まれてくるはずやったけど産まれてくることのでけへんかった兄貴。
 もし産まれてたら俺が産まれてくることのでけへんかったかもしれへん兄貴。
 そうや! 兄貴が俺の悪い足に憑りついてたんや。兄貴が産まれてこられへんで、俺の足が悪くなったんやないらしい。
 俺の足はもうどうしようもない状態らしく、悪い部分にどうやら憑りつきやすいんやとゆうとった。
 それも、いつでも顔を出してくるわけやなく、俺が困ったときにだけ、出てくるんや。
 こんなことも妄想ってゆうてしまえばそれで片が付くけどな。
 俺は妄想やないと思うんや。
 今でも酒を飲んで、いい気持ちになって、この天井を見上げるやろ)

(あの天井な! 顔がいっぱい見えるんや。お前にはそう見えへんやろ。俺にはいくつも顔が浮き出てるように見える。あれも、これも、ほんで何かゆうてるけど聞こえへんのや。俺は耳が悪いやろ。これも子供の時からなんやけど、まったく聞こえへんわけやなく、難聴なだけやから、大きな声で喋ってくれたらわかるんや。せやから、いっぱいの顔がぶつぶつゆうてるくらいしかわからんから、心の中で叫ぶんや! 聞こえへんからはっきり大きな声でゆうてくれ、って。
 ほしたら、いっぱいあった顔が一つの大きな顔になって、ぶつぶつの声が大きくなるんや。一人のくせに何人も喋りやがる。
 それは決まって、俺の悪口なんや。
 子供の頃、兄弟達が俺を虐めてた言葉。
 十五で大阪に出てきて、百貨店で働いてた時に、足が悪いから周りから軽蔑されて言われた言葉。

 建設会社で犬みたいに扱われて、虐められてる時の言葉。
 今までのそんな罵る言葉が一気に降りかかってくるんや。
 そういう時は自分も、無意識にうんうん唸ってるのがわかるし、これは妄想なんや、幻なんや、ってわかる。
 けどな。
 その膿から出てきた兄貴の顔は妄想やない。それははっきりとわかる!
 何でか理由は言葉では説明できひんけどな。俺にはなんとなくわかるんや。
 困ったときしか出てけえへんのも、俺を思ってくれてるからや。それに、膿が喋るのも俺の膿……兄貴のだけやないで。
 お前の母ちゃんがおらんようになったとき。銭湯に行ってくるっちゅうてそのまま帰ってこんかったんはほんまのことや。
 その時、困ったんよ。
 あいつはお前を連れて行こうとしてたからな。それだけは絶対に嫌やった。
 そん時も教えてくれたんや。
 そん時は俺の膿やなかった。
 お前の左足の甲の火傷。
 そいつが俺にしゃべりかけたんや。ほんでどうしたらええか教えてくれたわ。せやから今、お父ちゃんとお前はここで一緒に暮らせてるんやで)
 そこまで話したらお父ちゃんはもう、何も喋らんようになってもうた。
 酔っ払って寝てもうたんかもしらん。
 その時以外、お父ちゃんの子供の頃の話聞くこともなかったし、ましてや膿の話もすることもなかった。
 結局、足の腫れはいつの間にか治まってた。って言うか、俺が気にせえへんようになったんかもしらへん。お父ちゃんという存在が嫌で嫌でたまらんかった。
 成長していくと、薬を塗らされることもなくなった。
 せやからゆうて、足が治ったわけでもなく、酒を飲まんようになったわけでもない。
 区役所の民生委員の勧めもあって、中学三年の頃には、猫屋敷ってゆわれてた、アパートを出たんや。
 昔勤めてた建設会社で借りとった、文化住宅に引っ越した。大家さんのことも少し知っとったから、区が保証人になってくれるんやったらと、部屋を借りることができたんや。
 同じ部屋やないけど、その並びの二階の部屋やった。六畳と四畳半。今まで住んでた場所に比べたら、全然、綺麗なところで、普通の貧乏人の暮らしができるようになった。
 中学の学区内やったので、転校する必要もなかったし、ちょっと通学は遠くなったけど、ふすまを閉じたらプライベートな空間もできる。
 わからんように新聞配達のアルバイトしてたけど、気づかれてお父ちゃんに給料取られて、酒代に変わったから、おもしろくもなくて、バイトは辞めた。
 中学卒業したら働くもんやと思ってたけど、高校くらい行く入学金や学費は生活保護から出るみたいやった。
 そのためには公立やないとあかんかったから、ほんまはレベル下げても確実なところにするべきやったんやけど、下げた高校は全部遠かったんや。
 俺は近いところがええと思って、自転車で行ける距離の高校を受けたんや。先生は危険やからやめとけってゆうたよ。
 試験のできもあんまりよくなかったけど、たまたま定員割れかなんかで、あっさりと入ることができた。
 区の民生委員はソーシャルワーカーとかゆうて、お父ちゃんを何とか更生させようとしてた。
 俺は、もうそん時はあんましお父ちゃんに興味はなくなってた。
 早く、大人になって、一人で生きたくてどうしようもなかったんや。
 それは、片親で一応それまで育ててくれたお父ちゃんを、捨てる事になるかもしらへんけど、もうどうでもよかったんや。
 お父ちゃんはソーシャルワーカーの勧めで、半ば強制的にアルコール依存症を治す病院へ入れられた。
 まあ、行かんかったら生活保護受けられへんようになるんやろな。入院するしかないわな。
 大阪でも南の光明池っちゅうところにその病院はあった。山の中や。
 結構、遠い場所にあったから、あんまり見舞いには行かれへんかったけど、それは俺にとっては好都合やった。
 お父ちゃんにあんま会わんで住む。
 中学の時も入院したけど、毎日、病院へ行ってたから、それほど自由やと思わんかったし、小学生以下はほったらかしやったけど、自由っちゅうより、子供やったから寂しかった。
 それが高校にもなったら、お父ちゃんがおらんようになった事で、自由を満喫できるようになったんや。
 クラブは入ろうと思ったけど、それより金や、と思うて、バイトを始めた。
 ファミリーレストランの調理の仕事や、今考えると時給は無茶苦茶安かった。五百円くらいや。それでも、俺には充分やった。
 バイトの先輩には大学生や、社会人もおって、悪い遊びをいろいろ教えてくれる。
 麻雀も覚えたし、バイクにも興味を持った。
 お父ちゃんが入院してる光明池っちゅうとこは、運転免許試験センターもあって、とりあえず、原付だけでも取ろうと思ったけど、結局、取らんかった。
 病院は結構、ええ感じやったんや、酒、タバコは絶対でけへんようになってるし、普通の病院とは違って、精神的な教育もしてくれる。隣人との将棋や碁とか、ゲートボールとかのレクリエーションもいっぱいできたみたいや。
 足悪かったけど、それくらいはできるみたいで、お父ちゃんもゲートボールに興味を持ったみたいや。
 健康的に暮らせるし、しばらくここにおったらええ感じになるやろうと思えた。
 俺は俺で、夜更かししようが、遊びに行って友達のところに泊まろうが、誰も文句言えへん。自分で稼いだ金を自分で遣って、自分で買い物行って、自分でご飯作って食べる。そんな自由な暮らしは最高やったよ。
 高校生やったからかもしらへんけどな。





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Last updated  2008.05.13 08:59:01
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