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わだつみ判官の勝手なイメージとして、ツユクサは梅雨頃に咲く花だからツユクサと呼ばれるのだという風に感じてしまっていました。でも、ツユクサは"露草"と表記するのが正しい漢字の植物名となるようです。朝露に 咲きすさびたる鴨頭草の 日暮るるなへに 消(け)ぬべく思ほゆ (万葉集)ちなみに、露草は万葉では秋の季語とされます。 万葉集では、別名で詠ったものが9首も存在しており、どれも儚さを象徴する表現となっています。それ以外にも、ツユクサほど多くの別名や通称で呼ばれている植物は稀で他にはあまり見かけません。 例えば、見た目からも青花(アオバナ)、藍花(アイバナ)、帽子花(ボウシバナ)、移草(ウツシグサ)、月草(ツキクサ)、鴨頭草(ツキクサ)、蛍草(ホタルグサ)、 縹草(ハナダグサ)などと、実に多彩な呼ばれ方をしています。 フゥ~!(―。―;)゜゜゜月草に 衣は摺(す)らむ朝露に 濡れてののちは 移ろひぬとも (万葉集)露草の花の色素は、水洗いをすると流れてしまうため、染付けの下絵を描くときなんかにもりようされるそうで、移草(ウツシグサ)の別名はそこからのようです。 本来の和名の露草の露草と呼ばれる由来は、朝露を受けて咲きはじめる一日花であるため"露を帯びた草"からきているようです。『ツユクサ』科属:ツユクサ科 ツユクサ属学名:Commelina communis 開花期:6月~10月別名:アイバナ、アオバナ、ホタルグサ、ボウシバナ、ウツシグサほか原産:日本在来種
2008年10月02日
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映画業界では、おもに日没直前から日没後の20分ほどの撮影に適した時間帯をマジカルアワー(Magical hour)と呼び、独特の柔らかな間接光がもたらす色彩の美しさは、昼間の撮影では出すことができない魔法のような効果を生み出してくれます。わだつみも、このムーディーで柔らかな光を得られる日没の時間帯は好んで撮影をします。強い直射光では不可能な、何か物語を感じさせる仕上がりが好きです。写真は、勿論性能のよいカメラで撮影するに越したことはないのですが、それ以外にも出来映えを左右する要素が色々あります。撮影テーマや被写体選び、カメラアングル、シャッターチャンス、コントラスト、etc、それに撮影時間帯。 でも、大切なことは撮ることが好きであること。 そして自分自身が健康であることだと思います。さてさて、わだつみの愛車はミラーをカスタムしてみました。(自己満足)
2008年08月27日
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クリックしてくださると、とっても嬉しいです! イタリア・メディアによると、ホセ・カレーラスやプラシド・ドミンゴと並んで、"世界3大テノール"の一人として有名なルチアーノ・パヴァロッティが6日午前5時(日本時間同日正午)に膵臓癌のため、イタリア北部のモデナで死去しました。 わだつみが大好きだったのは、彼が高音で伸びやかに歌うドニゼッティ『連隊の娘』のアリア。 昨年2月のトリノ五輪開会式では、美しく豊かな声量で歌い上げたトゥーランドットの『誰も寝てはならぬ』は、今も強く印象に残ります。"誰も寝てはならない"と歌いながら、パヴァロッティは一人で永遠の眠りに・・・ クリックしてくださると、とっても嬉しいです! ●心が疲れたとき、一杯の珈琲があなたを優しく癒してくれます●
2007年09月07日
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雨の連休の最終日、わだつみ判官は世界有数の陶磁器コレクションの美しさに酔いしれて過ごしました・・・ クリックしてくださると、とっても嬉しいです! わだつみが出掛けたのは、開館25周年を迎える大阪市立東洋陶磁美術館の特別展です。 『安宅英一の眼』と題した今回の展示は、大阪市立東洋陶磁美術館が収蔵する"安宅コレクション"が勢揃い。(特別展HPより)昭和42年、民間コレクションとしては、はじめて"国宝"に指定された飛青磁花生(とびせいじはないけ)と、油滴天目茶碗(ゆてきてんもくちゃわん)の2点をはじめ12点の重要文化財や、初公開となる青磁象嵌牡丹文鶴首瓶(せいじぞうがんぼたんもんかくしゅへい)、など、関連作品を紹介しながら、安宅コレクションの形成過程とともに、コレクションの生みの親である故安宅英一氏の眼力に迫るという内容でした。安宅コレクションというのは、かつて故安宅英一氏が率いた安宅産業株式会社が事業の一貫として収集した古美術品コレクションをいいます。 コレクション内容は、現代の高麗青磁を評価する上での基準ともなるほど国際的的に名高いもので、陶磁器を主体とするのコレクションでは世界第一級の質の高さと量を誇ります。 この安宅コレクションの成立に関しては、元取締役会長の故安宅英一氏の卓越した審美眼と功績を抜きに語られることありません。 いわば、安宅コレクションは安宅氏の美的感性と、価値観と、情熱によって生まれたコレクション群であり、安宅氏なくして安宅コレクションは築かれなかったと評価されているからです。 (特別展HPより)国宝・飛青磁花生龍泉窯 元時代(13~14世紀)表面に"鉄斑"を散らし、その上から"青磁釉"をかけて焼かれた器。 釉表に滲み出た鉄斑が、空に浮かぶ雲のように見えることから、その名がついたと言われているそうです。 本作品は、器形、釉色、鉄斑の現れ方など、すべてにおいて優れており、飛青磁中、最高のものとされます。(特別展の説明より引用) (特別展HPより)中でも、わだつみのイチオシはコレ。 "五彩"の中でも、これだけ鮮やかなの朱色の発色は珍しいのです。この特別展の開催期間は平成19年4月7日~9月30日まで。 諸行無常さん、あやめまま、phantom(*^^)vさん、これは必見ですよ! クリックしてくださると、とっても嬉しいです!
2007年05月07日
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この世の名残り、夜も名残り、死に行くこの身をたとうれば、あだしが原の道の霜。一足ずつに消えて行く、夢こそ夢の哀れなれ。あれ数うれば暁の、七つの時が六つ鳴りて、残るひとつが今生の、鐘の響きの聞きおさめ。寂滅為楽と響くなり・・・ ポチっとしてくださると喜んだりします。元禄十六年(1703)四月七日の早朝、大阪 内本町の醤油問屋 平野屋の手代徳兵衛(当時25才)と、北の新地の遊郭天満屋の遊女お初(当時19才)とが、曽根崎の梅田堤で心中をします。 心中の動機については、徳兵衛は金銭トラブルと江戸転勤に悩み、遊女お初は田舎に身請け話が進んでおり、このままでは互い仲が引き裂かれてしまうと将来を悲観した末のことでした。北の新地の遊郭天満屋の遊女お初が、客に連れられて観音巡りをしていた折り、生玉神社の茶屋で一休みしているところに、ちょうど得意先廻りを済ませた徳兵衛が通りかかりました。 若い二人は、こうして出逢い、やがて恋に落ちるまでそれほど時間は必要ありませんでした。平野屋の主人の九右衛門は徳兵衛の叔父で、働き者の可愛い甥っ子の徳兵衛の将来を思い、女房の姪を徳兵衛の妻にしようと徳兵衛に縁組みを迫ります。 徳兵衛は、この縁談を逃れるため、金の工面に奔走し、お初に逢うこともままならない日が続いておりました。そんな折も折り、徳兵衛は友人の久平次に一時の借金を頼まれ、やっとの思いで都合した金を久平次に貸してやりますが、これが後に仇となって、逆に久平次の悪巧みで着服の罪人に仕立てられ、窮地に追い込まれることになります。 突然、降って湧いた縁談に転勤話し、それに金と義理の板挟みとなり、苦しめられ、追いつめられ、思い詰める徳兵衛でした。一方、お初の方でも、不意にふって湧いた身請け話に心を悩ませ、恋しい徳兵衛にもここしばらく逢うことが適わず、一人で気を揉んでいました。 そして、お初は逢うやいなや徳兵衛を責めて恨み言をいいますが、逆に徳兵衛から打ち明け話に、お初は事のすべてを悟ります。 こうして、座敷で徳兵衛が偽版を使ったなどと偽り事を言い触らす久平次を前に、打掛けの裾に徳兵衛を匿いつつ、心中を固く心に決めたのでした。やがて、夜も更けて皆が寝静まった頃、天満屋を抜け出しした二人は、手に手をとって曽根崎の森へと向かいます。暗闇に足を取られては何度も転びながら、それでも二人の手はしっかりとお互いを握りしめ、森を抜けてゆきました。 そして、ようやく辿り着いた梅田の堤。 ちょうど松の木と棕櫚(シュロ)が夫婦のように寄り添った根本までやって来ると、二人はここを死出の旅路の場所と定めます。青い月に照らされる中で、二人は一時の名残を惜しむように長い間お互いの顔を見つめ合います。 そして涙を流し、"来世では必ず夫婦に"と誓って肌を寄せ合い、互いの腕を帯で一つに結びました。 「潔く死のう・・・」そういいながらも、七首(あいくち)を抜いた徳兵衛の手が震えます。 「嗚呼、もう夜が明ける・・・」夜風に乗って、聞こえてくるのは寺の読経の南無阿弥陀仏。徳兵衛の顔を見据えて迷いを断ち切るように「早う殺して殺して」と、覚悟したお初が絞り出した言葉。 お初に促され、覚悟した徳兵衛は、お初の着物の胸を開いて、匕首(あいくち)で一刺しし、血の滴る七首で自らの喉笛を一気に掻き切ってお初の上に重なりました。こうして、二人の悲恋は心中によって幕を閉じたのでした。 ちょうど、東の空は少し明るみ、西に傾きかけた蒼い月が、美しく二人の骸を照らしましていました・・・。 徳兵衛とお初の、悲恋の舞台となった梅田から北新地の界隈は、今では大阪の中心地となっています。 曽根崎には、太宰府に流される途中の菅原道真が『露と散る 涙は袖に朽ちにけり 都のことを思ひいづれば』と、詠んだ歌に由来した露天神がありますが、徳兵衛とお初の心中事件以降、いつしかここは『お初天神』と呼ばれるようになりました。近松門左衛門は、この心中事件を"世話浄瑠璃"の題材として取り上げ、元禄十六年(1703)五月、大阪竹本座で『曽根崎心中』が上演されるやいなや舞台は未曾有の大ヒットとなります。近松にとっては浄瑠璃の処女作で、浄瑠璃舞台から一時は心中が大流行し、社会現象にまでなったため、享保八年(1723)には心中ものの出版や上演が幕府によって禁じられる事態にもなりました。歌舞伎では昭和28年になって、宇野信夫のリメイク演出で中村雁治郎(当時)と扇雀(当時)の二大キャストで上演され、その後人気の演目になっています。誰かよう 月夜の逢ふ瀬 いにしえの 悲恋憂うか 五位鷺の声 (わだつみ判官愚歌) ポチっとしてくださると喜んだりします。
2006年12月18日
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それは15年ほど前のことです。 当時駐在していたマドリッドで私はその作品と出遭い、それ以来、大変興味を持った画家の二枚の絵にまつわるお話です。 ポチっとしてくださると喜んだりします。 この肖像画は、プラド美術館のゴヤのブースに二枚並んで展示されています。 この『裸のマハ』と『着衣のマハ』と呼ばれる肖像は、フランシスコ・デ・ゴヤの代表作なのですが、何のために二枚描かれたものなのか、未だ不明なままのです。 実は、ゴヤはこの絵を描いた14年後に、"猥褻な絵画の作者"として異端審問所に告発されていますが、モデルが誰で誰の注文で描かれたものかも、一切明らかにしませんでした。 一説によると、この絵のモデルは有力な宮廷貴族の婦人で、絵の注文主はその夫だったといわれています。 そして、ゴヤとこの貴婦人は当時愛人関係にあり、夫が公務で留守中の間、二人は濃密な時間を過ごし、ゴヤは夫人の裸の絵を描き上げます。 しかし、公務を終えた夫が帰国するとの知らせを受け、ゴヤは貴婦人に服を着せて、注文主に見せる絵を慌てて仕上げました。その後、二人の関係は夫の知ることとなります。 夫は怒りに身を震わせますが、宮廷での我が身の立場と世間体もあり、ゴヤを異端者として匿名で告発することで復習したのだといわれていますが、私はこの説が正しいと考えています。 なぜなら、『裸のマハ』の方は筆運びが繊細で緻密に描かれ、それに比べると『着衣のマハ』の方は、明らかに"雑"に仕上がっているのです。(笑)ちなみに"マハ"とは、スペインの俗語で"いなせな女"とか、ちょっと小粋な女という意味で伊達な格好をして自由奔放に生きた女性をそう呼びました。『フランシスコ・デ・ゴヤ』(1746~1828年)ゴヤは、カルロス4世に任命された宮廷画家で、彼の肖像画は、正確な諧調と新鮮な色彩が際立ち、モデルの性格をリアルに描くと評価されています。プラド美術館には、彼の傑作である『カルロス4世とその家族』や『王妃の肖像』など、数多くの絵が収蔵されていますが、ゴヤが異端の裁きを受け、『裸のマハ』は教会によって封印されます。そして、その封印が解けたのは1901年のことでした。 ポチっとしてくださると喜んだりします。 情熱の国スペインで出逢う第一級の美術 そんなとっておきの旅も楽天から
2006年11月22日
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ポチっとしてくださると喜んだりします。明治25年(1892)1月8日、日本文学史に名を刻み、日本の現代詩の生みの親ともいわれ、昭和の文芸活動に大きな影響を与えた一人の偉大な詩人が生まれました。父親が、東京帝国大学法科(現東大法学部)に在籍しており、住居も赤門前だったためその子は"大學"と名づけられます。 父親は、卒業後は外交官となって朝鮮に赴任しました。 ところが、その一年後の明治28年に、母の政は23歳の若さで病死してしまいます。 この時、大學はまだ3歳で、幼くして失った母への想いを、後に一つの詩に残しています。 「母の声」 母よ 僕は尋ねる 耳の奥に残るあなたの声を あなたが世に在られた最後の日 幼い僕を呼ばれたであろうその声を 三半規管よ 耳の奥に住む巻貝よ 母のいまはの その声を返せ中学在学中の彼は病気がちな少年でしたが、文才は豊かだったといわれています。 明治42年に、中学を卒業した彼は上京して与謝野鉄幹、晶子夫妻に師事。 翌年入学した、慶応大学文学部では永井荷風と出会うなど、この時期に将来に繋がる良き師、良き友を得ます。明治44年になると、当時メキシコ赴任していた父の招きを受けて、彼は19歳で海外に出ます。この頃、ベルギー人の継母からはフランス語を学び、父に習ってフランスの詩に目覚め、彼はこの時からフランスの詩集を日本語に訳すことを始めたのでした。 ベルギー、スペイン、ブラジル、ルーマニアと、33歳まで続いた海外生活の中で、大學は訳詩集「昨日の花」、詩集「月光とピエロ」の出版に続き、コクトーやアポリネール、ラディゲなどの詩人を日本に紹介します。 大正14年に出版した、「月下の一群」やポール・モーランの小説「夜ひらく」の翻訳など、大學の著訳書はこの頃すでに300を超えており、川端康成、横光利一らに大きな影響を与え、新感覚派を生みました。 昭和32年には芸術院会員に。 昭和33年、詩集「夕の虹」で読売文学賞を受賞し、昭和45年には文化功労者として顕彰され、昭和54年には文化勲章を受賞。 そして昭和56年、89歳だった堀口大學は静かにその生涯を閉じました。 ポチっとしてくださると喜んだりします。◆疲れたときにホッとする瞬間 カップ一杯の温もりはそっと心を鎮めてくれます◆◆世界遺産熊野古道の秋を歩く、そんな想い出に残る旅をしませんか◆
2006年10月21日
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ポチっとしてくださると喜んだりします。秋の日の ヴィオロンのためいきの 身にしみて ひたぶるにうら悲し。(ベルレーヌ)秋の歌といえば、有名なものでは上田敏の訳詩集「海潮音」の中に紹介されているベルレーヌの詩です。 原題は文字通りに「秋の歌」。 まるで、ため息のような誰かが奏でるヴァイオリンの哀しげな音色が、街角に流れているとも思える秋の黄昏・・・ そんな静かな情景を思い描くことができる美しい詩です。 ところが、同じベルレーヌの秋の歌でも、堀口大學が和訳をすると、「秋風の ヴィオロンの節ながき啜(すす)り泣き もの憂きかなしみに わがこころ傷つくる。」となり、また少し味わいや印象が変わるのが解るでしょうか。 ともあれ秋という季節は、美しくもあり、ヴィオロンの音色のように切なげな悲哀の表情も併せ持ち、まさに女心なのですね。ベルレーヌの詩といえば、1944年6月6日の夜明けの北フランスでのこと。 海を埋め尽くした4,000隻の連合軍艦艇が、ノルマンディの海岸に上陸作戦を決行。この死闘の前に、米、英を中心とした連合軍の兵力は15万6,000人。 一方、ドイツ軍は海岸に無数の地雷を埋設して連合軍を迎え撃ちました。 このノルマンディ上陸作戦の暗号にベルレーヌの「秋の歌」の一節が使われたのは有名な逸話です。1944年6月6日、悪天候に油断していたドイツ軍の不意を突き、夜明けの干潮を狙って連合軍はノルマンディ海岸に上陸作戦を決行しました。アメリカ軍のコータ准将らの指揮によって、連合軍は上陸に成功。 不意を突かれたとはいえ、ドイツ軍はブルメントリット少将のもとに激しく抵抗して"最も長い一日"が始まるのでした。 ポチっとしてくださると喜んだりします。◆やっぱりこれからは、熱々のラーメンが恋しくなる季節◆ ◆秋の夜空を見上げながら飲む珈琲は、心の苛立ちを鎮めてくれます◆◆南近畿の秋を感じる旅、そんな想い出に残る旅をしませんか◆
2006年10月20日
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あなたがポチっとしてくださると、かなり喜んだりします。デッサン魂の起源は、緑のバターカップさん。 その後、しばらくご無沙汰だったのですが、あじゅ子さんの日記で復活を知り、参加してみました。 デッサン魂は、基本的には鉛筆デッサンをお互いに披露するというものですが、とにかく絵を描くということ。今回のお題はガラス。 さっき、9時半頃に自宅に戻ってから、必死に今まで描きましたが、いつもながら、お粗末な出来でございます。 あじゅ子さん! ヘタクソな絵にも関わらず、参加させていただき有難うございます。 ●過去の作品はこちらでどうぞ。^^ デッサン魂 『手』 デッサン魂 『アケビ』 さきほどから、ちょっと熱っぽいので、今夜はこの辺で失礼します。。。 あなたがポチっとしてくださると、かなり喜んだりします。●秋の星空を見上げながら飲む珈琲は、心の苛立ちを鎮めてくれます●●南近畿の秋を感じる旅、そんな想い出に残る旅をしませんか●
2006年10月10日
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病院の帰りに、面白いソフトを見つけて買いました。 自宅に戻り、早速インストールを済ませて、デジカメで撮った写真の画像処理を試してみます。実験用のオリジナルの写真はコレ。機能も、彩度調整・輝度調整・コントラスト・反転・拡大縮小・回転・ソフト仕上げなど以外に盛りだくさん。では、試してみましょうか。"ボタン"を選択するだけで、簡単にモノクロに。おぉ! 憧れのセピア写真もこんなに手軽に。コントラストを強くするとこんなにシャープにも。 このソフト、お手軽で結構使えます。 それにお値段も、なんと210円(税込)と超お買い得!100円均一のダイソーで見つけました。 シメシメ!(^-^)ポチっとしてくださるとメッチャ喜んだりします。 ◆近畿の春野を満喫する旅、そんな息抜きの旅をしませんか?◆
2006年04月14日
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今日は、緑のバターカップさん主催で昨年の秋にはじまった企画で、Web上で行のデッサンコンペ、題して『第四回デッサン魂 』。 悪代官は今回3回目の出品。でも、今回のデッサンは残念ながら失敗作。 描きはじめからまったく集中できなくて心ここにあらずで、描いても描いても、思うとおりに鉛筆が運べません。 自分でも非常に不満足&不本意な仕上がりです。 花は難しい・・・ギブアップ!ちなみに悪代官のデッサン魂の参加作品集はこの下をクリック。第一回目デッサン魂参加作品 第2回目デッサン魂参加作品************************************************◆お知らせ◆『くまぷう&YaYoiライブ』3月19日(日) 横浜 東神奈川:かなっくホール音楽ルームにて。詳しくは、車椅子のミュージシャンくまぷうのブログへここをクリック!ポチっとクリックしてくださるとかなり喜んだりします。 お気に入りの曲を聴きながら、朝のカフェオレはいかが?春を味わう日本の旅、そんな自分らしい旅の計画はここから・・・
2006年03月18日
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クミコという歌手をご存知ですか。言霊(ことだま)を唄い紡ぐ歌手クミコ(高橋久美子)1954年9月26日生まれ。24歳で、「ポプコン」本選や「世界歌謡祭」に出場をしますが望み儚く、小さな舞台でファンと支援者に支えられながら活動を続けてきた歌手です。長い下積み生活。 離婚を経験し、小さなライブ会場で歌った日々の自分を評して、「居候シャンソン歌手」、「窓際シャンソン歌手」、「自転車操業シャンソン歌手」、「隙間シャンソン歌手」、と笑いながら好んで観客に話すクミコは、本音を漏らせばシャンソン歌手と呼ばれるよりも、何の枠組みもない「歌手」と呼ばれることを願いながら歌い続けているそうです・・・彼女の歌声は"聴く人は皆涙する"と評判を呼ぶクミコ。 そんな彼女に、この春大きな転機が訪れました。 宮崎駿のアニメ「ハウルの動く城」のインスツルメンタルのメインテーマに、作詞家 覚 和歌子が詞を書き、クミコ自身のボーカル曲として生まれ変わったのでした。この歌のメロディーに載せた彼女のほろ苦い半生は、まさに彼女自身の人生のメリーゴーランド。 その歌声は心にジンと響きます・・・クミコ・ベスト わが麗しき恋物語◆クミコの公式ページ◆ポチっとクリックしてくださるとかなり喜んだりします。 お気に入りの曲を聴きながら、朝のカフェオレはいかが?春を味わう日本の旅、そんな自分らしい旅の計画はここから・・・
2006年03月15日
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本日二回目のブログは『デッサン魂』。この企画は、昨年の秋に緑のバターカップさんの呼びかけで実現した楽天ブログでの絵のコンペです。 今回の私のテーマは『Good Lack!』手はいわばコミュニケーション・ランゲッジともいうべきもので、海上自衛隊航空部隊での任務フライト前、整備とクルーで交わされる"Good Lack!サインを描いてみました。 言葉にすれば「GoodLack to Comeback!(グッドラック トゥ カムバック!)」、これが任務前の一種の儀式です。新しい年2006年もスタートしたばかり、皆さんもGood Lack! m( _ _;)m※予告※明日のブログは、今日一回目の日記「帝国海軍とカレーのお話」のつづきで、「海上自衛隊とカレーのお話」です。 お楽しみに・・・(^-^)人気blogクリックしてくださると幸せです!明治より語り継がれたこの味!よこすか海軍カレー NV-30 ショッパーズプラザ横須賀店食事のあとは薫り高い珈琲!日本初登場の招き犬 しあわせと金運を運ぶ招き犬貯金箱旅をしよう! この国の歴史を、政治を、日本を見つめ直そう!
2006年01月15日
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川島睦郎「響」日展は、「文展」を基礎として創設され、「帝展」、「新文展」と時代に伴って名称を変えながら続き、現在では「日展」として98年もの長い歴史の中で、日本の美術・工芸界の成長と芸術家の育成に貢献してきました。第37回 日展の巡回展は京都市美術館で1月15日まで開催されています。ヨーロッパの文化芸術に対する保護育成の歴史は古く、フランスではルイ14世の時代からサロンで開かれていた鑑賞会が公設展に発展して、それがフランス市民芸術のクオリティの高さに貢献していました。 一方、長い鎖国から目覚めた日本が目を見張ったのは、欧米列強のこうした文化の高さでした。 列強と方を並べようと躍起になっていた日本は、産業の育成のみならず文化芸術の質を高めることの重要性も感じたのでした。齋藤清策「同居の庭」明治33年当時、オーストリア公使だった牧野伸顕は欧州の文化芸術に触れ、日本の美術の水準をもっと高めたいという想いを抱きます。 やがて文部大臣になった牧野の夢が現実となったのは、明治40年に開催された「第1回文部省美術展覧会(文展)」でした。日展へは約十年振りに足を運び、久しぶりに現代日本画の見応えのある作品を鑑賞しました。クリックしてくださると、とっても嬉しいです! ★日展入選作 花路地柴田一雄画伯日本画 【2割引SALE】1000Pジグソー「桜花爛漫」 ◆福を招く開運画秀逸な絵画を堪能したあとは、温かい珈琲が飲みたくなるものです!アートに触れて感性を磨く旅、そんな自分らしい旅の計画はここから・・・
2006年01月06日
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本日はデッサンの発表日。 実は緑のバターカップさんのブログ日記「this.is.バターカップ」の40,000アクセス達成記念として、彼女の提案で実現したデッサン・コンペ。 ちなみにイベント名は"デッサン魂!"で、お題は果物となったのでした。けれども果物といっても、この辺にあるのは柿かミカンくらいのものです。 それじゃあ、あんまり芸が無い!ということで、木通(アケビ)を描くことにしました。 複雑な形は面白いけど、いざ描くとなるとコレが意外に難しく、描き上がったのを見るとなんだかデッサンというよりスケッチって感じ。(苦笑)木通 (アケビ)木漏れ陽が降りそそぐ気持ちのいい朝、照葉樹の中を散策していると、藪椿(ヤブツバキ)に覆い被さるようにして実をつけた木通(アケビ)を見つけました。 アケビはスッキリとした甘さで、日本の秋を代表する野生のフルーツとして珍重されています。 春の新芽はおひたしや茶にもでき、江戸時代頃にはアケビ実の種子から油を採取していたそうです。つるの部分を煎じ薬に用いると利尿作用があるため、漢字で「木通」と「通草」の二通りの当て字があります。 いずれも小水の通じが良くなるという意味で使われたものだと思われます。「アケビ」 :アケビ科 アケビ属 つる性植物学名:Akebia quinata和名:アケビ(木通または通草)この絵がお気に召せばクリックしてやってください!
2005年10月29日
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ダビンチコードを読み終えたら、無性に最後の晩餐が気になったので、以前ミラノのサンタマリア・デルグラティエ修道院で写した「最後の晩餐」の写真を蔵から探し出しました。この写真、1987年の早春に私が撮影したものです。オリジナルのリバーサルフィルムで撮影した映像は鮮明なのですが、取り込んでデータ化すると画質が落ちて、かなり不鮮明になってしまい、残念です。ダビンチコードの記述によると、「最後の晩餐」はその後1991年に修復が完了。私が訪れた時は、修復作業はちょうど半ばです。絵の右側が鮮やかになっていますね。正面から見てイエスの左側に、問題のマグダラのマリアがいるのですが、これでは見えないですねぇ。ダビンチコードを読み終えて、キリスト教の起源とマグダラのマリアに興味津々です。 でもこの分野は、小川ジョージさんにお任せしましょう。
2005年06月19日
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フランス象徴主義を代表する画家、ギュスターヴ・モロー。ギリシャ神話や聖書の物語をモチーフに、卓越した技法で描かれたモローの作品群は、目にする私を神秘と幻想の世界へと導いてくれます。今回のモロー展は、代表作「エウロペの誘惑」、「一角獣」をはじめとした48点の秀作に、水彩・素描などを合わせた160点の展示で、緻密にして大胆な構図と、きらびやかな色彩に溢れたモローの独創性の確立を伝えています。その中でも「出現」は、サロメを題材にした彼の絵の中でも、とりわけ異彩を放つ画期的な絵といえます。塗り重ねた陰影を背景に、モロー独特の繊細な線描で表現された神殿は、空間の無限性を印象づけ、サロメの物語をより叙情的に演出しています。それにしても、ギュスターヴ・モローの描写力は秀逸でした。雨の日曜の午後は、上質な絵をご覧になってはいかがですか?兵庫県立美術館 休館日(月曜)JR灘駅から南に徒歩10分観覧料 一般1,300円
2005年06月12日
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昨日の思わぬLucky! 西梅田で、ふい出来た貴重な2時間でした。映画にするか、それとも美術鑑賞にするかと思案の末、ゴッホ展へ行くことに。今回、催されたゴッホ展の魅力は、全てがクレラー・ミュラー美術館収蔵品という点。「ゴッホ=狂気」という、これまでの疎外感や異端的印象を強調するものではなく、ゴッホと親交のあった印象派の画家達の作品も交えて、初期の写実的な技法から晩年の強烈な色彩世界へと変貌を遂げた、画家としての創作活動とその画風変化の足跡に迫るというのがテーマです。多くの資料とともに、ゴッホが試行錯誤を繰り返しつつ、彼独自の描写を獲得するまでの変遷を辿りながら、クレラー・ミュラー美術館収蔵の「夜のカフェテラス」や「糸杉」など、名作の数々を味わえたのが、大いに心に残る展覧会でした。
2005年06月10日
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さっき、湯船に浸かりながら、ふと思いました。もう、長く絵筆をもっていないなぁ~と・・・。それに、3月に大坂中之島で「中国国宝展」に行って以来、大きな美術館の展示も覗いていないなぁ~と・・・。ここ何年か、絵筆から遠ざかっていますが、以前は、時々絵を描いていました。私は中学1年のとき、はじめて油絵を描き、その後、剣道や居合いの稽古の合間にはじめた「書」のついでにと水墨画を描くようになりましたが、出来の方はというと、ただの下手の横好きです。私の観る絵はというと、非常に範囲が広いのです。ジミーちゃんのPOPアート~狩野探幽まで、自分の感性に合うものなら洋の東西も古い新しいなんて関係なく何でも観てみたい!今一番観たいのは、円山応挙かなぁ
2005年05月05日
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