しゃらしゃらと菅掻きが鳴った。
 島原の夜見世が始まろうとしている。
 今夜は誰からも逢状が届いていないから、見世に並ばなければならない。
 明里は、自室の窓から格子越しに往来をぼんやり見下ろしながら、溜め息をついた。
 何度こうして息をついただろうか?
 お茶をひくことも、ここしばらく増えている気がする。
 待ち人は、昼見世にも現れなかったから、今日も会えないのだろう。
 以前なら、線香一本燃え尽きるまでの花一切りの時間であっても、三日にあげず逢いにきてくれたのに、このところまったく足が遠のいている。
 もう十日にはなろうか。
 いや、二十日か。
 幾度か天地紅の文も書いた。
 すると、はじめの頃は…そう、秋口だったろうか、慌てたように来てくれたものだが、度重なると間遠くなった。
 それでも来られない訳を丁重にしたためて寄越してくれるのだが、理由はいつも体調の悪さを訴えるものだった。
 使いにたってくる彼の配下も山南の体調の悪さを肯定するのだが、度重なると怪しむ気持ちも芽生えてきたし、会えばなじりの言葉の一つも出てしまう。
 前に逢ってから、ついに文への返事が途絶えた。
 そのせいだろうか、時の流れが判然としないのは。
 文を待ち焦がれるあまりに、ぼんやりし過ぎている。
 季節は冬がそろそろ終わり、春になろうとしている。
 桜のつぼみが膨らんできたと、禿(かむろ)が嬉しそうに話していたのは、今日だったか、昨日だったか。
 山南の体の具合も心配ではあった。
 長く剣術に明け暮れてきたという体は、やさしい見た目にそぐわず固く引き締まっていたのに、確かにこのところ、ずいぶんと痩せてきていた。
 が、熱があるわけでもなく、吐き気や腹下しが続いているわけでもない。
 ただ、食が進まず、始終体がだるく、頭痛がして、床に臥していることが増えたのだとか。
 一度、そんなに悪いのなら、自分で自分を買う身揚がりをして、新選組の屯所まで見舞いに行くと言ったことがある。
 島原の女郎には、江戸の吉原とは異なり、金さえ払えば大門の外に出られる権利がある。
 しかし、そうしたら、男ばかりのところにおなごが来るのは良くない、とやさしい口調でたしなめられた。
 他に恋しい女ができたのだろうか。
 そんなことも考えないではない。
 だが、最後に逢ってくれたときの憔悴ぶりでは、そんな余裕はないように思える。
 第一、 明里を虜にしたのは山南の並外れた誠実さだった。
 山南を信じている。
 けれど。
 お逢いしとおす。
 思わず呟きが唇からこぼれた。


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