PR
カレンダー
カテゴリ
コメント新着
キーワードサーチ
「ばなな」 つながりである。
「旧世代の人間には想像もつかないような感覚と思考を、伝統的文学教養をまったく無視して、奔放に描いた作品で、旧来の観念からして、文学の枠にはまろうがはまるまいが勝手にしろ、という無邪気な開き直りに、新しい文学を感じた。」 とどう考えてもけなしている、あるいは私の理解外だから好きにしろと言っているとしか思えない選評だし、 富岡 のコメントは中村ほどではないにしろ、
「その文章のすすみ具合が、昔のひとから見れば頼りなげにうつるとしたら、それは吉本さんにとっての文学が昔のひとのレシピでは料理できなかったからであろう」 と 「新世代」の文学 だから、 「旧世代」 にはわからん、と、やんわりというよりはっきり言っている。
「しかし私は台所を信じた。それに、似ていないこの親子には共通点があった。笑った顔が神仏みたいに輝くのだ。私は、そこがとてもいいと思っていたのだ。」
「いつか必ず、だれもが時の闇の中へちりぢりになって消えていってしまう。そのことを体にしみこませた目をして歩いている。」
「闇の中、切り立った崖っぷちをじりじり歩き、国道に出てほっと息をつく。もうたくさんだと思いながら見上げる月明かりの、心にしみいるような美しさを、私は知っている。」
「冬のつんと澄んだ青空の下で、やり切れない。私までどうしていいかわからなくなる。空が青い、青い。枯れた木々のシルエットが濃く切り抜かれて、冷たい風が吹きわたってゆく。」 「書く意志」 に直接結びついているのではないか。
「私は昔からたったひとつのことを言いたくて小説を書き、そのことをもう言いたくなくなるまでは何が何でも書き続けたい。この本は、そのしつこい歴史の基本形です。」 と書く。
「気持ちがしゃんとする」 と言って、彼はきかなかった。
「あさっての早朝に、あの橋で何かが見えるかもしれない」 という。
等。 ということで30年経っても、やはり涙が出てしまった。
私はもうここにいられない。刻々と足を進める。それはとめることのできない時間の流れだから、仕方ない。私は行きます。
ひとつのキャラバンが終わり、また次が始まる。また会える人がいる。2度と会えない人もいる。いつの間にか去る人、すれちがうだけの人。私はあいさつを交わしながら、どんどん澄んでゆくような気がします。流れる川を見つめながら、生きねばなりません。
あの幼い私の面影だけが、いつもあなたのそばにいることを、切に祈る。
手を振ってくれて、ありがとう。何度も、何度も手を振ってくれたこと、ありがとう。」
追記2024・02・02
100days100bookcoversChallenge
の投稿記事を
100days 100bookcovers Challenge備忘録 (1日目~10日目)
(11日目~20日目)
(21日目~30日目)
(31日目~40日目)
(41日目~50日目)
というかたちまとめ始めました。日付にリンク先を貼りましたのでクリックしていただくと
備忘録
が開きます。
週刊 読書案内 いしいしんじ「いしいし… 2024.11.05
週刊 読書案内 岩井圭也「われは熊楠」… 2024.11.03
週刊 読書案内 山下澄人「月の客」(集英… 2024.10.18