「007 スペクター」21世紀のボンドにスペクター
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第一話~第十話
本作品は、
「るろうに剣心小説(連載2)設定」
をご覧になってからお読みいただくことをおすすめいたします。面倒とは思いますが、オリジナル要素が強いので、キャラ人間関係・年齢等目を通していただきますと話が分かりやすくなります。
『剣と心』目次
『剣と心』
第一話「剣路と心弥」
明治二十二年。春。東京下町。
神谷道場の庭にも、桜の花びらが舞い降りた。
「次! 剣路!」
神谷活心流道場いっぱいに、師範弥彦の声が響いた。
「めーん!!」
剣路が弥彦の面に、パアンと鮮やかな一本を打ち込む。
「よしっ! 次! 心弥!」
弥彦は腰を落として、心弥と背の高さを合わせた。
「めぇーん!」
心弥は気合いを込めて、思い切り父の面を打つ。
「右足高く上げすぎだ! 次! 和!」
門下生の子供たちが、次々と弥彦に打ち込んでいく。道場は活気に満ちあふれていた。
稽古後、剣路と心弥は井戸端で顔を洗っていた。
「おーい! 和がまた熱出したぞ」
弥彦が小さな和を抱きかかえ、縁側から中へ入ろうとしている。心弥はすぐにとんでいった。心弥は和と同い年で、仲がよかった。
「だいじょうぶ? 和」
「うん。ありがとう心弥……」
和はにこにこ笑っていたが、汗ぐっしょりで、ぐったりしていた。
剣心と薫は、すぐに中から縁側へかけてきた。
「弥彦! 和は体が弱いんだから、無理させないでってあれ程言ってるでしょ!」
薫は、猛烈な勢いで責め立てた。
「ちがうよ母さん……。ぼくが無理言って、弥彦さんに稽古付けてもらってたんだ……」
和は、はぁはぁしながら、うつろな目で薫を見つめた。
「和、弥彦を困らせてはダメでござろう。さっ、奥で横になるでござるよ」
剣心は、弥彦から和を受け取った。
「兄ちゃん……今日も強かったね……。カッコよかったよ……」
和は、蚊の鳴くような声で剣路につぶやくと、剣心たちに奥へ連れられていった。
剣路はそれを、ただだまって見ていた。
道場の近所で、長い階段を登ると神社がある。剣路と心弥は、稽古後よくここへ来る。二人並んで神社前の石段に腰を下ろし、下町を見下ろしながらおやつを食べるのが日課となっていた。
「剣路兄ちゃんはいいなぁ。もっと大きい子もいるのに、門下生の中では一番強くって。なのにおれは、いつも父上に注意されっぱなしで……」
今日も神社の石段で、心弥は泣き始めた。
「いつも泣くな。弥彦兄の子供のくせに」
「だっ…て……、泣き虫…は……、母上似だもん……」
心弥はしゃくりあげながら、目をぐしぐしこすった。
「いいから泣きやめ。今日はおもしろいもん見せてやるからさ」
顔を上げた心弥に、剣路はにっと笑った。
「果たし状送ってやった。どっかの極道連中に。もうすぐ来るから、お前神社に隠れてろ」
「なっ、なんでそんなことするの!? 危ないよ!」
剣路は、心弥を無理矢理神社内へ閉じこめた。
「おれも一緒にたたかうよ」
「ばか。お前じゃ死ぬから。けど俺なら、瞬殺だから。俺の強さ、知ってんだろ」
「そっか。そうだよね」
まだ四つの心弥は素直に信じ込み、木戸のすきまから敵が来るのを待った。けれど、稽古の疲れもあったのか、すっかり寝入ってしまった。
しばらくして、やっと極道連中は現れた。
「なんだぁ? 俺様たちに喧嘩売ったのは、まさかガキのお前一人か?」
「……そうだっ!!」
威勢よく声をあげたものの、内心剣路は少しうろたえていた。せいぜい十人程度だと思っていたのに、その数五十人近くいたからである。
(まぁ、なんとかなるか……)
剣路は背中から竹刀を抜いて、男たちに向かっていった。一人、二人と鮮やかに倒していく。
「なっ、なんだこのガキ。強ぇ!!」
剣路は、十歳とは思えない圧倒的な強さで、次々と敵を倒していき、十人近くやっつけた。けれど、息が上がってくる。剣がにぶってくるのを感じた。
「……っ! しまった!」
十五人目の敵に、ついに剣路の竹刀は真剣で切られてしまった。
「へっ、身の程知らずのガキはとっとと死ね!」
敵は真剣を振り下ろした。剣路は、生まれて初めて襲いかかってきた真剣に足がすくみ、動けない。正に振り下ろされようとしたその時――。
きいんという刃がぶつかり合う音とともに、剣路は誰かに突き飛ばされた。
「や……、やひこ…にぃ…」
頼もしい弥彦の背中を確かに見た剣路は、安堵のあまり腰を抜かした。
弥彦は、逆刃刀でなければそれこそ瞬殺の勢いで、あっという間に全員片づけた。
辺りはいつしか、夕焼け色に染まっていた。
「弥彦兄……、どうしてここが……」
弥彦は無言で、剣路に一枚の紙を突きつけた。それは剣路が書いた、果たし状の失敗作だった。
立ち上がった剣路に、弥彦はいきなりげんこつをくらわせ、にらみつけた。
「だって……」
「言い訳は聞きたくねぇ」
弥彦は、さて次は心弥をさがさないと、とぶつぶつ言いながら帰っていった。
「だって……」
剣路は、遠い弥彦の背中を見ながら、つぶやいた。
「だって、強くなりたいんだ。弥彦兄のように……」
その声は、遠くの弥彦にはもう届かない。
「弥彦兄は、強くて、あこがれで……。大好きで……。だって……」
剣路の目から、涙がこぼれた。
「俺のことかまってくれるの、弥彦兄だけだから……」
剣路は、ひくっと肩をふるわせ、あとからあとから涙をこぼす。
「だから、強くなって、弥彦兄の跡を継ぎたいんだ」
冷たい春風が吹いた。桜吹雪が舞い降りる。
「剣路兄ちゃんが泣くの、初めて見た……」
後ろから、心弥の声が聞こえた。剣路は振り向かなかった。
「だけど、父上の跡を継ぐのは、おれだよ」
いつになく低い声の心弥に、剣路は思わず振り向いた。心弥は、怖いくらい真剣な目で、剣路を見つめた。剣路も、心弥をにらむように見つめた。それが、数秒間続いた。
「帰るぞ」
剣路は、急にいつもの調子に戻り、くるりと背を向けた。
「うん!」
心弥は笑って、剣路の後を追いかけた。
☆あとがき☆
第一話ですが、序章のようなものです。これから急速に剣路はひねくれていきます。恐ろしいほどに^^; 心弥はどうでるか? 和がけっこう重要人物だったりします。(いきなりネタばらしてどうするんだ……)
第二話「日本一の剣客」
神谷道場の朝。剣路は庭で素振りをしていた。
門下生で一番の実力を持つ剣路が、道場での稽古以外に自主的に稽古するなど、初めてである。それだけ、昨日の神社でのことは悔しく、そして早くあこがれの弥彦に追いつきたかったのだ。
「朝稽古か。感心でござるなあ」
ふと背中から声をかけてきたのは、父の剣心だった。
「話しかけんな。集中出来ないだろ」
剣路は父の顔を見もせずに、稽古に励む。けれど剣心はお構いなしに、息子の前に腰を下ろし、洗濯を始めた。剣路はそんな父の姿に、無性に腹が立った。
「俺の視界に入ってくるな!」
「剣路! お父さんに向かって、なんて口聞くの!」
縁側から剣路を怒鳴ったのは、いつの間にか現れた薫だった。
「母さん、だって……」
「まあまあ」
剣心が、二人を取りなそうとしたときだった。
「……ごほっ、……けほっ」
聞こえてきたのは、和の咳だった。剣心と薫は、あわてて中へ入っていった。
一人残された剣路は、和が寝ているであろう場所をにらむと、やけくそに竹刀を振り回した。
「おいコラ。朝稽古してんのはいーけど、剣筋乱れすぎだぞ」
竹刀を握り止められ、剣路は顔を上げた。
「弥彦兄……」
二人は、昨日の神社前の石段に腰を下ろした。普段の日曜日は、心弥が道場に遊びにきたり、弥彦が心弥を連れてきたり、剣路が弥彦の家へご飯を食べに行ったりと、とにかく弥彦一家と過ごすことが多かった。それは、和が生まれた頃からずっと続いている。
「心弥は?」
「ああ、あいつは今日、桜に大事な話があるって、出かけちまったよ」
桜は、弥彦の家の近くに住む、心弥の幼なじみである。桜はまっすぐな黒髪を肩までたらした、お姫様のように可愛い子だ。心弥と桜は同い年で、昔から仲がよい。
「ったくあいつはマセガキだぜ。誰に似たんだか」
「弥彦兄だと思う」
ため息をつく弥彦に、剣路はぽろりと本音をこぼした。
その頃の心弥と桜は……。
色とりどりのお花畑の中、二人は向かい合って座っていた。心弥は、桜の両手をにぎる。
「桜、けっこんしよ」
「うん!」
真剣な心弥に、桜は天使のようににっこり笑った。
「目、つぶって」
素直にしたがい目を閉じた桜の唇に、心弥はそっとくちづけした。
「あいしてるよ。桜」
「私も。心弥くん」
二人は抱き合った。
息子のマセガキぶりを少なからず気にかけていた弥彦だったが、それは想像を絶するものであった。
「で、お前昨日、なんであんなことしたんだ?」
弥彦は、石段の自分のとなりに座る剣路に、本題を投げかけた。
「……言い訳は聞きたくないんじゃなかったの?」
そう言いつつ、弥彦が自分を気にかけてくれるのは正直うれしかった。幼い頃から、剣路は弥彦を慕っていた。剣を教えてくれるのも、何かとかまってくれるのも、いつも弥彦だった。
「泣くほどの事情なら、聞いてやる」
弥彦は、遠くの下町に目をやりながら言った。ぶっきらぼうな言葉に、優しさがこもっている。剣路はそのことを、昔から理解していた。
「泣いてないよ。心弥がうそ言ってんだろ」
「心弥は、まだうそがつけるほど大人じゃねぇんだ」
「うっ……」
剣心の子供だけに頭の切れがいい剣路も、まだまだ十歳。口でも弥彦には勝てない。
「……強くなりたかったんだ。弥彦兄は、数えで十の頃から、俺より小さい頃から死闘をしてきたんだろ」
「だからって、無意味な果たし状出すなんて、バカな真似はしなかったぞ。そりゃあ、俺は剣心に憧れてたから、いつもつきまとって戦いに参加してたのは事実だけどな」
弥彦の言葉に、剣路は思い切りムッとした顔をした。
「父さんのどこがいいんだよ。いつもおさんどんばっかで、剣も弱くて、カッコ悪すぎだよ。しかも、やたら理屈っぽいし」
剣路の辛辣な言葉に、弥彦はまたかとため息をもらした。
「いいか? 何度も言うけど、お前の父さんは日本一の剣客だぞ」
「昔のことなんか知らないよ! 弥彦兄は父さんより強いんでしょ? 弥彦兄が日本一の剣客でしょ?」
剣路はすがる思いで、小さな子供のように弥彦の袖をつかんでゆすった。憧れの弥彦が日本一でないなんて、剣路にとっては耐えられないことだ。
「そりゃあ、剣心と一本勝負をすれば、俺が勝つ。初めて勝ったのは、数えで十六の時だった。日本一の剣客に勝ったんだから、俺が日本一にはなったわけだ。一応……」
「一応って?」
弥彦はしばらく黙り込んでいたが、やがて意を決したように話し始めた。
☆あとがき☆
父ちゃん嫌いな剣路と、恐ろしくおませな心弥です。剣路は今後手がつけられないほどになっていく予定です。いまのうちに、まだ少しはかわいい剣路を書いておきます。
第三話「飛天御剣流」
「剣心や薫は、お前に話したことないんだろーけど、話すなとも言われてねぇからな」
弥彦は自分に確認するようにつぶやくと、下町を見下ろしたまま剣路に語り始めた。
「剣心は、弱い訳じゃねぇんだ。戦いで体壊しちまって、俺がお前くらいの頃から、会得していた流儀がだんだん使えなくなっちまったんだ」
「ふうん。それで?」
剣路は、機嫌悪そうに続きを聞いた。
「ふうんってお前……。まぁいい……」
弥彦は、とことん父親嫌いの剣路にため息をつくと、話を続けた。
「だから、俺が数え十六で剣心に勝ったときは、もうその流儀は使えなくなってたって訳だ。だから……」
「弥彦兄は父さんに本当の意味で勝った訳じゃない。そう言いたいんでしょ」
剣路は立ち上がり、弥彦を見据えた。
「そんなことないよ! 体壊したのは、父さんが弱かったからだろ。どんな流儀だか知らないけど、父さんがそれを撃てたって弥彦兄は勝ってたよ!」
必死の剣路に、弥彦はふっと笑った。
「そーかもな。けど分かんねぇ。それに、ほかにも強い奴いっぱいいるしな。斉藤とか、蒼紫とか、左之助とか……。ほかにもたくさんな……」
「斉藤って、あの元新撰組の斉藤一?」
「有名なんだなあいつは……。今頃どこにいるんだか」
弥彦は、遠い昔の思いにふけった。
「斉藤一って新撰組では三番隊組長だったんでしょ。三番目だよ。どーせそんなに強くないよ」
「お前なぁ……」
無茶苦茶なことを言う剣路は、やはりまだ子供である。
「左之助って、央太さんのお兄さんでしょ。央太さんには悪いけど、父さんの友達ってだけで弱そうな気がする」
「あのなぁ」
兄のように慕っていた左之助を悪く言われ、弥彦はさすがにカチンときたが、剣路はお構いなしに続ける。
「だったら、蒼紫さんと戦えば? その他大勢はもうどーでもいいよ。蒼紫さんに勝ったら弥彦兄は正真正銘日本一! まぁ俺は弥彦兄が勝つに決まってると思うけど」
剣路は、蒼紫のことだけは知っていた。ごくたまにだが、蒼紫は妻の操と子供を連れて、神谷道場を訪れる。
「蒼紫とは、戦う理由がねぇ」
「理由がないって?」
はやる剣路に、弥彦は幼い頃と変わらぬ意志の強い目で言った。
「俺の目的は、日本一になることじゃねぇ。俺は、この目に映る弱い人たちや、泣いている人たちを守りたい。剣心のように」
「……そんなに父さんに憧れてたんなら、なんで父さんの流儀を教わらなかったの?」
剣路は、機嫌が直らないまま、けれど不思議に思いたずねた。
「教えてもらえなかったんだ。殺人剣だったから。俺はあこがれてたんだけどな……」
弥彦の憧れと聞いて、剣路は過剰に反応した。
「それ、なんていう流儀なの? どんな剣?」
「名前は飛天御剣流。技は……」
身を乗り出して聞く剣路に、弥彦は昔を思い出し、いつの間にか熱く語っていた。
☆あとがき☆
斉藤、蒼紫、左之助などなど、懐かしい方々が会話の中とはいえ登場し、書いてて楽しかったです。でも、剣路の斉藤や左之助に対する考えはひどいなぁ。ファンの方々がお怒りになるじゃないですか。剣路は謝りそうもないので、管理人がかわりに謝ります。ごめんなさい。
第四話「天才二人……!」
次の日、稽古後の神谷道場内はいつものように賑わっていた。
心弥は、自信たっぷりに剣路に話しかけた。
「おれね、昨日桜とけっこんしたよ。ちゃーんと桜の手をにぎって、だきしめて、あいしてるって言って、せっぷんしたよ。剣路兄ちゃんは、まだ千鶴さんとそんなこと、なあんにもしてないでしょ」
弥彦は、息子の恐ろしい言葉に耳を疑った。
「そうか接吻までいったか心弥。じゃあ次を教えてやる」
心弥を連れて行こうとする、さわやかな笑顔の由太郎。その襟首を、弥彦はぐいとつかんだ。弥彦の怒りは最高潮に達していた。
「てめぇ心弥に何て事ふきこんでやがる!!」
「いや、ただ俺は心弥に教えてくれって頼まれて……」
「デタラメ言ってんじゃねぇ!」
師範の二人は喧嘩を始めたが、いつものことなので誰も気にすることはなかった。剣路と心弥も例にもれず、話を続ける。
「ふっ、甘いな心弥。俺は千鶴とそんなことは全部すませてある。ただな、結婚ってのは大人になんないと出来ないの。バカだな」
心弥はあまりのショックに、目に涙をためて顔をゆがめ、こぶしをぎゅっとにぎった。
「まぁ泣くなって。今日はホントにいいもん見せてやるからさ。ああ和、お前も来いよ」
師範代の央太に剣術の話を聞いていた和は、驚いて兄を見た。剣路が自分に話しかけることなどめったになかったからだ。和は目を輝かせて、剣路たちの方へ走っていった。
「ねぇ弥彦兄。ちょっと来て」
剣路は由太郎から無理矢理弥彦を引きはがし、引っ張ってきた。
「弥彦兄かまえて!」
「えっ?」
言うが早いが、剣路は弥彦めがけて飛び上がった。その間に背中の竹刀を取り出す。
「飛天御剣流、龍槌閃!!!」
パァァーン……! 竹刀がぶつかり合う凄まじい音がした。道場は、一瞬のうちに静まりかえった。
弥彦は、穴の空くほど剣路を見つめた。幼い頃見様見真似でしか出来なかった龍槌閃を、剣路は話に聞いただけで完璧にやってのけたからだ。
「……剣路兄ちゃん、すごい!!」
心弥は興奮して真似し始めたが、出来るわけもなかった。和も、いつも以上に憧れの目で剣路に見とれていた。剣路はそんな二人に、優越感にひたった表情をみせた。そして弥彦に、意気揚々と言った。
「飛天御剣流、父さんの流儀だったなんて関係ない。弥彦兄が憧れていたなら、かわりに俺が会得するよ。もちろん父さんに教わるつもりはないから、弥彦兄が教えてよね」
パァーン……! とその時、再び竹刀がぶつかる激しい音がした。弥彦も剣路も心弥も、その方向へ振り向く。
央太の竹刀をたたいたのは、和だった。弥彦は、幻を見たような信じられない思いで和に近づいた。
「和、もう一回やってみろ」
「えっ? でもぼくヘタだし……。ただ兄ちゃんのまねしたくて……」
「いーから、やってみろ」
困ったように笑う和に、弥彦は真剣だった。
「はい。弥彦さん」
和はにっこり笑うと、真剣な表情に変わり央太に竹刀をかまえた。そして央太に飛び上がり、先程と同じように竹刀を振り下ろした。パァァンと道場に竹刀の音を響かせ、和は着地した。
「……完璧だ。龍槌閃……」
弥彦は、思わずつぶやいた。
「そんなことないよ。兄ちゃんのほうが……」
「すごいぞ和。お前、天才だ……」
弥彦は言いながら、身震いするような感覚を覚えた。和の剣才は、あの剣心でさえ比べものにならない。弥彦は確信を持った。
「すごい和! ねぇこれから河原行こう! おれにも教えてよ! ねっ」
「うん!」
和は心弥に笑ってうなずいたが、その直後、激しい咳をしはじめた。
「いけねぇ。悪かった和。無理させちまって……」
「ううん…けほっ……。ごめんなさ……弥彦さん……。ごほっ、けほっ……ごめんね、心弥……」
苦しげな息づかいの和を、弥彦は抱きかかえた。
「心弥。和を寝かせたら帰るぞ。来い」
「はい。父上」
心弥は、心配そうに和を見やりながら、弥彦の後をついていった。
「弥彦…兄……」
うめくように、苦しげに絞り出された剣路の声は、誰にも届くことはなかった。
☆あとがき☆
二人の天才、剣路と心弥。けれど弟の和にただならぬ差を見せつけられた剣路は……! そして天才二人の足下にも及ばない心弥……。
さてそろそろグレだすか剣路。心弥らぶらぶ話をしてる場合じゃないよ。剣路のライバルとしてやっていけるのか。
今回の話、また少し物語の核心にふれています。
第五話「年の差」
「父上……怒ってるの? おれだけ、りゅーついせんが出来なかったから……」
夕日に照らされた河原沿いの道を黙って歩く弥彦に、少し後ろを歩く心弥はおどおどたずねた。
「そーじゃねぇ。あいつらは天才だ。今のお前には出来なくて当然だ」
心弥は、それでもくやしくて悲しくて、やるせない思いだった。
「そんなことより、お前どうして桜にあんな事したんだ。由太郎に聞いてまで」
弥彦は、先程の由太郎との喧嘩で、由太郎の言葉が事実だということを知った。だからといって、まだ四歳の心弥にそれを教えるのは、弥彦にとって非常に許し難い行為だったが……。
「おれ、桜が大好きだもん。だから桜とけっこんしたんだよ」
心弥はまだつたない口調で、けれど必死に父にうったえた。
「で? 今すぐ結婚してどうするつもりだったんだ? 一緒に住めるわけでもねぇ。何のために結婚したんだ? 剣路に自慢したくてそうしたのか?」
弥彦のするどい指摘に、心弥は一瞬おじけづいた。けれど夕日の光に包まれた心弥は、先日の神社でのことを思い出していた。
『強くなって、弥彦兄の跡を継ぎたいんだ』
あの剣路が、泣きながらそう言った。
「だって……剣路兄ちゃんはもう十で、おれはまだ四つだもん……」
「……」
「ずるいよ……。おれ、剣路兄ちゃんと同い年で生まれたかった……」
「……」
黙って歩く父の背を見つめ、心弥は泣きそうに話し続ける。
「おれが五つになったら、剣路兄ちゃんは十一になっちゃう。おれが六つになったら、剣路兄ちゃんは十二に……」
「……」
「いつまでたっても……追いつけないよ……」
弥彦は、ぴたりと足を止めた。心弥も少し後ろの距離を保ったまま、同じく足を止める。
立ち止まったものの、振り向かず何も言わない弥彦。沈黙が流れたが、やがて心弥は言った。
「おれ、早く剣路兄ちゃんに追いつきたかったんだ」
心弥は、先程までの泣きそうな声ではなく、父譲りの意志の強い目で言った。
「早く大人になりたかったんだ」
「大人になるってのは、そーいうことじゃねぇ!」
弥彦は初めて振り向き、心弥を怒鳴りつけた。心弥はびくっとした。
「さっきから黙って聞いてりゃあ、泣き言ばっか言いやがって。甘ったれんのもいいかげんにしろ!」
心弥は心底驚いていた。弥彦に怒られたことは何度もあるし、怒鳴りつけられたこともある。けれどこんな風に、全く手加減無しに叱られたのは初めてだった。
「剣路は十でお前は四つだから、剣路に追いつけないだ? お前は、剣路より幼いから、自分は剣路より弱いと思ってんのか? それならお前は、自分より年上の奴には誰にも勝てないのか? 全部年のせいか? ふざけんな!」
「……」
心弥は、涙目で父の言葉を聞いていた。
「年の差なんて、関係ねぇ。強くなりたいなら、そんな甘えた考えは一切捨てろ」
心弥は必死で涙がこぼれないように、父の顔を真っ直ぐ見つめていた。
「本気で強くなりたいなら、真剣に稽古しろ。ひたすら稽古しろ。それだけだ」
「はいっ……。んっ……ひっ…ひっく……うぇ~ん……」
心弥は頑張って返事をしたのが最後、とうとうこらえきれなくなり泣き出してしまった。弥彦は少しの間心弥を見つめた後、ふっと優しい表情になり心弥を抱きしめた。
「……っく、…父上……、ごめ…なさい……」
弥彦は、黙って片方の手で心弥の頭をなでた。抱きしめられた心弥は、顔のすぐそばにある父の腰につけられた逆刃刀が目に入った。
「おれ……強くなるから……」
その先を、心弥は言わなかった。けれど心弥はこのとき誓った。誰よりもたくさん、誰よりも一生懸命稽古して、いつか剣路に勝つと。そして、逆刃刀と共に父の跡を継ぐのだと。
それからの帰り道は、弥彦は心弥の手をとり歩いた。
「いいか? 桜と接吻したとか、絶対燕に言うんじゃないぞ。あいつ、卒倒するからな」
「うん! 母上はどきどきすると、顔が真っ赤になっちゃうもんね」
心弥と弥彦は、顔を見合わせて笑った。
「父上、おれ、桜をあいしてるのは本当だよ。大きくなったら、今度こそ本当にけっこんするよ」
「ああ」
弥彦はふと、幼い頃を思い出した。燕と出会った頃、「愛してる」なんて言葉の意味などよく分からなかった。けれど、今思えば、出会ったときからそうだったのだろう。そして今、心弥がいる。
弥彦は、愛しげに心弥を見つめた。心弥は、にっこり笑い返した。
心弥は、父と母が本当に大好きだった。
その夜、やっと和の咳は治まった。和は眠りについていた。
「剣路、和のことお願いね。おみやげにお団子買ってきてあげるから」
薫は、ふとんで寝ている和の頭をそっとなでると、剣路に声をかけた。
「薬を取りに行くだけなんだろ。父さんにまかせればいーのに」
「でも母さんも、恵さんに和のことよく聞いておきたいから」
薫は、忙しげに部屋を出ていった。
「剣路、済まぬが和を頼むでござるよ」
かわりに部屋をのぞいた剣心を、剣路はあからさまに無視した。
「済まぬな……剣路」
剣心は少しだけ剣路を見つめた後、薫を追って出ていった。
独り残された剣路は、目の前ですやすやと眠るあどけない和に目をやった。
「……死ね」
剣路は、和につぶやいた。押し殺した、恐ろしく低い声だった。
☆あとがき☆
作者(管理人)を悩ませていた問題、剣路と心弥の年の差。弥彦に無理矢理片づけさせました。(オイオイ)……冗談です。弥彦の言うとおり、心弥には剣路との年の差を乗り越えて頑張ってほしいです。剣路はグレ度が強くなってきましたが、心弥同様に愛情を注いでいます。
第六話「嘘」
次の日の午後。剣路はいつものように学校からの帰路を千鶴と並んで歩いていた。千鶴は剣路より一つ年上で、神谷道場の少し先に住んでいる。学校が同じなので、初めは千鶴が剣路を送り迎えしているという感じだったが、今では剣路にそのような意識はまるでない。自分が千鶴を送っているという感じに思っている。
千鶴の家は、お琴の教室を営んでいる。千鶴も、日々稽古にいそしんでいる。
「ねぇ、和ちゃんまた昨日具合悪くなったんだって? 薫さんに聞いたんだけど……」
「ああ。おかげでこっちは大迷惑だ。今日も帰ったらお守りだし……」
「あんた相変わらずね。そんな態度だから学校でも一匹狼なのよ」
剣路は、学校でも友達を作ろうとはしなかった。「緋村剣心の息子」という目で見られるのも嫌だったし、剣才を持つ剣路はその面ではるかに劣る同級生を見下し、その者たちと馴れ合うことを誇りが許さなかったのだ。学校で唯一付き合っているのは、気が付いたら行き帰りを共にしていた千鶴だけだった。
「うるさいな。お前は俺の婚約者なんだから、黙って言うこと聞いてればいいんだよ」
「はいはい」
千鶴は、いつものように軽くあしらう。
「その返事、義務的だってーの」
剣路は、面白くなさそうに空を見上げた。青い空と、ひらひら落ちてくる桜が目に映る。
婚約者というのは、単に剣路が千鶴と出会った頃に決めたことで、別に正式に婚約しているわけではない。けれど、特に千鶴が反対している訳でもない。かといって、うれしそうな素振りを見せたこともないが……。
剣路が自宅へ戻ると、両親は入れ替わりに恵の元へ出かけていった。剣路は自室に乱暴にかばんを放ると、つっけんどんに和の部屋の障子を開ける。ふとんに寝ていた和は、目を輝かせて体を起こした。
「兄ちゃん! お帰りなさい!」
「……バカ。おとなしく眠ってろ」
「だいじょうぶだよ」
和はぶっきらぼうに座った剣路に、あれこれと話し始めた。稽古のことや友達のことや草花のことや……。まるで長年会っていない者にやっと出会えたかのように……。
黙って聞いていたがうんざりした剣路は、無言で立ち上がると自室へ戻り、再び戻ってきた。
「ほら、これやる。だからおとなしく遊んでろ」
剣路が和に渡したもの。それは、自分が使い古した剣玉だった。和は、顔を赤くして泣きそうに笑った。
「ありがとう……! 兄ちゃん!」
和は、本当にうれしそうに剣玉で遊び始めた。なにしろ、兄から何かをもらったことなど生まれて初めてだったのだ。カン、コン、カン……。和は楽しそうに続ける。それをしばらく黙って見ていた剣路だったが、ふと口を開いた。
「お前……、飛天御剣流とか、逆刃刀を継ぎたいとか、思ってるのか?」
さりげなく装いつつも、内心は真剣な剣路である。
「ううん。ぼくは剣術が好きだから、それが出来ればいいよ」
ほっとする剣路。和は、楽しそうに剣玉遊びを続ける。
そこへ訪れたのは、心弥だった。
「弥彦兄は?」
心弥を見るなり開口一番、剣路は聞く。
「父上は今日から一週間出稽古だよ。帰ってくるのは来週の夕方……あれ? 和その剣玉……確か剣路兄ちゃんのじゃ……」
「あ、その……」
和は、言葉を濁す。
「俺がやったんだよ」
「……そう。よかったね、和」
心弥は複雑な気持ちだった。よかったという気持ちも本当だったが、和に少し嫉妬した。なぜなら、剣路が使い古したおもちゃをもらえるのは、いつも心弥だったからである。
剣路はやっと解放されたといった感じで出ていこうとしたが、何かを思いだした心弥に引きとめられた。
「あのね……おれ、昨日父上に怒られたんだ。剣路兄ちゃんの方が大きいから追いつけないって言ったら……」
「ふうん。で、なんで怒られて嬉しそうなわけ?」
無愛想な剣路に、心弥は自信に満ちた目で答えた。
「だって、父上言ったもん。年の差なんて関係ないって。本気で稽古すれば強くなれるって」
心弥の言葉に、剣路は強烈な焦燥感を覚えた。剣路は弥彦に、一度もそんなことは言われたことがなかった。まさか……と、剣路は思わず不安を口にする。
「強くなったら、弥彦兄の跡を継いでもいいって……そう言われたのか?」
真剣な剣路に、心弥は返答にとまどった。けれど、どうしても父の跡を継ぎたい心弥。
「……うん」
心弥は、こくんとうなずいた。剣路は、しばらく心弥を呆然と見つめた後、静かに部屋を出ていった。
心弥が、生まれて初めてついた嘘。これが、剣路と心弥二人が争う直接のきっかけになろうとは、そしてそれが二人の未来を大きく変えてしまうことになるとは、心弥は夢にも思わなかった。
☆あとがき☆
剣玉は、和の重要アイテムとなります(笑)
そろそろ第一部、佳境に入ります。
第七話「罪と償いと勝負」
剣路は、千鶴の家の戸を乱暴に叩き続けた。
「なによ剣路。うるさいわねぇ。私今お琴の稽古終わったばかりで疲れ……」
剣路はいきなり千鶴を塀へ叩きつけると、強引にくちづけをした。そして千鶴の両肩を乱暴につかむ。
「……っ、離してよっ!」
突き放そうとする千鶴を、剣路は無理矢理抱きしめた。
「お前は、俺のことが好きなんだろ! 結婚するんだろっ!」
「あんたって……いつもそう」
自暴自棄になっている剣路の腕の中、もはや抵抗もせず動かないまま、静かに千鶴は言った。
「何かあると、決まってそうやって私にからんでくるのよね。でもね、もうそういうのやめなさい。あんた、もう十でしょ」
「……姉貴ぶりやがって」
剣路はぼそりと言うと、するりと手を離し、そのまま去った。
剣玉で遊ぶ和の横で、心弥は懐から本を取りだした。
「なんの本?」
「昔話。母上に、本を読む勉強しなさいって言われてるんだ」
心弥は浮かない顔で本を読み始める。
「ある、と、ころ、に……、えーと……、和これ読める?」
和は本を受け取る。
「あるところに、大きな木が立っていました。」
すらすら読む和に、心弥は感心していた。
「和は本当に頭がいいね。剣も上手いし。天才なんだね」
心弥はにっこり笑うと、また本を読み直す。
「あるところに、おおきなきが……たっていました……。きの、みきは……」
心弥の読む声には、元気がなかった。
「どうしたの? 心弥」
和に顔をのぞき込まれ、心弥はうつむく。
「……おれ、母上からの言いつけが三つあるんだ。おれ、絶対守るって約束して、今まで一度もやぶったことなかった……」
開いた本を見つめながら、心弥は泣きそうな表情になっている。
「どんな約束なの?」
「強く、優しく、正直な子になってねって……。母上はそう言ったのに、おれ……」
心弥は、苦しそうな表情で続ける。
「うそついたんだ。剣路兄ちゃんに……。父上はおれに跡継ぎになっていいなんて、一言も言ってない……。でも、剣路兄ちゃんに聞かれたとき、そう言ったら、おれが跡継ぎになれると思ったから……。でも、そんなのいけないことだよね」
落ち込む心弥をしばらく黙って見つめていた和は、やがて微笑して言った。
「間違ったことをしたら、罪を償いなさい……そうやってお父さんは生きてるって、母さんが言ってたよ」
「つみをつぐなうって、何?」
「罪っていうのは悪いことっていうことで……償うっていうのは、悪いことをした人にあやまって誠心誠意尽くすことだよ。父さんは、とても重い罪を抱えているんだって。でも父さんは、争いのない時代を作るためにしたことなんだって。だから許してあげてねって、母さんに言われた。許すも何も、ぼく父さんを初めから怒ってないのにね。でも父さん、時々辛そうなんだよ。かわいそう……」
和は、白いふとんに目を落としてさみしそうに笑い、また心弥に目を向けた。
「父さんはこう言ってたよ。誰かに悪いことをしたら、あやまりなさいって。許してもらえなかったら、許してもらえるまで努力しなさいって。父さんは、許してもらえないようなことをたくさんの人にしたんだって。だから、一生罪を償って生きているんだって。ぼく、父さんに言われたんだ。弥彦さんのように、真っ直ぐに生きてほしいって」
「……おれ、剣路兄ちゃんにあやまりに行って来る」
心弥は本を懐に戻すと、立ち上がった。障子を開けて、そのまま少し何か考えていた心弥だったが、和に振り向く。
「おれ、剣心さんの昔のことぜんぜん知らないけど、剣心さんのことは大好きだよ。それに、父上の次に尊敬してるんだ。だって、父上が尊敬している人だから。おれの名前、心弥の弥は父上から、心は剣心さんからもらったんだよ」
心弥はにっこり笑うと、障子を閉めて廊下を駆けていった。和は微笑して、再び剣玉で遊び始めた。
静かな路地で、剣路と心弥はばったり会った。辺りは夕暮れ。二人は向き合い立ちつくす。長い影を引き連れて。剣路は心弥を睨むように……心弥は泣きそうに……。
「ごめん……剣路兄ちゃん」
走ってきた心弥は、ハァハァしながら頭を下げた。
「ごめんね……。あれ、嘘なんだ。おれが跡を継いでいいって言われたの……」
剣路は、心底ほっとした。けれど、次第に心弥への怒りがこみ上げる。
「ごめんなさい……。 許して剣路兄ちゃん……」
剣路は心弥を殴りつけようかと思ったが、ふとあることを思いついて手を止める。
「年の差なんて関係ない……。弥彦兄がそう言ったのは確かだな」
「うん」
心弥はびくびくしながら、泣きそうに答える。
「許してほしいか」
「うん……」
既に半泣きの心弥。
「だったら俺と勝負しろ。弥彦兄の跡継ぎを賭けて。勝負は一週間後。弥彦兄が帰ってくる日の昼過ぎだ」
泣く寸前だった心弥は、その一言で表情を変える。剣路と同じように、目には強い意志が宿る。お互いにらみ合う二人。
「うん……!!」
心弥は駆けていった。その後ろ姿を見ながら、剣路は顔を歪めて笑った。
☆あとがき☆
今回は、剣心の息子に対する思いを少し書いてみました。
メインストーリーでは、第一部クライマックス「剣路対心弥」へと進んでいきます。
第八話「思いは同じだけ」
「母上! 今日から一週間由太郎さんのおうちに泊まり込みで修業に行きます!」
帰る早々、心弥は母、燕に言った。そして猛烈な勢いで支度を始める。
「えっ!? どうして急に……一週間もだなんて由太郎君に迷惑でしょう」
「由太郎さんは、いいって言ったもん。それより、母上はおれの留守中独りになっちゃうんだから気を付けてね」
おろおろしていた燕が、ふいに笑う。最近、急に我が子がしっかりしてきたと感じていた燕である。それでも、心弥もまだまだ四つ。
「ほら、荷物着替えだけじゃだめでしょ。ちゃんと手ぬぐいと……」
燕は荷造りを手伝ってやると、気を付けてね、と声をかけ心弥を送り出した。その背中を見ながら燕は思う。一度決めたことは絶対にやり通す。あの人に、とてもよく似ている……と。
心弥は由太郎と向かい合い夕飯を食べていた。由太郎は立派な実家を持っているが、自立して長屋で独り暮らしている。まだ独り身なのは、女の遊び癖があるからだ。
「まぁ剣路に勝ちたい気持ちは分かるけど、一週間で奥義を覚えるなんて無茶苦茶だぜ」
飯を掻き込む心弥を、由太郎は呆れて見つめた。
「弥彦だって、数えで十の時だ。それだって本当は早すぎるんだ。普通は師範代になっても難しい技……」
「父上が年は関係ないって言ったもん!」
心弥は由太郎の言葉を遮り、ご飯粒を吹き飛ばしながら言った。
「まぁ教えてはやるよ。そうすれば俺の言ってることが分かるさ」
心弥は由太郎を睨んだ。心弥にとって、父の好敵手である由太郎に教えを受けるのは不本意なのである。本当なら、父か薫に教わりたかった。けれど、約束の一週間中父はいない。いや、いたとしても、父の跡継ぎを賭けて勝負するのに自分だけ父に教えてもらうのはおかしいということは、幼いながらも理解していた。それに、薫は教えてくれないだろうと思った。何故なら、父でさえ教えてもらうのに相当苦労したという話である。そうなれば、他に奥義を会得しているのは由太郎だけである。
剣路はきっと飛天御剣流を出してくる。それに対抗するすべは、もはや神谷活心流奥義・刃渡りしか思いつかなかった。
「食べ終わったら、早速稽古つけてよね」
「早速今日からかよ。まぁいいけど……」
由太郎も燕同様、心弥に弥彦の面影を十分に感じた。
その夜から、心弥の猛特訓は始まった。裏庭で、月の光を頼りに、柄のかちあげを繰り返す。次の日から、道場へも行かず一日中裏庭で腕を交差させる構えを練習した。それを繰り返すこと三日間。心弥の手は豆がつぶれ血だらけになり、手や腕が震えて箸も持てない状態になってしまった。
「ったく、俺が道場へ行っている間に無茶しすぎだぜ。これで分かっただろ。もうこれ以上は無理だ」
夕飯を食べながら、由太郎は宣言した。
「嫌だ!!」
心弥は飯を掻き込んだが、うっと吐き気をもよおした。由太郎はあわてて裏庭に連れて行き吐かせる。
ハァハァする心弥の背中をなでてやりながら、由太郎はいつもより優しく言った。
「好敵手に負けたくない気持ちは俺もよく分かるよ。だけど、お前はまだ小さい。体がまだ耐えきれないんだ。なっ」
「嫌だ……」
吐いたいきおいで涙目の心弥は、再度つぶやく。
「……こんな風に体壊して、勝手に剣路と勝負しても、弥彦は……」
「分かってるよ!」
心弥は怒鳴った。由太郎ははっとする。そして、幼い心弥の気持ちを察する。
「……なら、頑張ってご飯食べろ。そうしたら、今夜から刃止めと刃渡りを教えてやる」
「うん!!」
心弥は、急いで部屋へ戻った。
「で、お前は特に何もしてないのか?」
神谷道場での稽古後、由太郎は剣路にたずねた。
「はぁ? 俺が心弥に負けるわけないじゃん。由太郎さんも、心弥に奥義を教えるなんて無駄なことするね」
その様子を心配そうに見つめる者が一人。和であった。
そしてついに勝負の日。場所は神谷道場内。時間は午後の稽古前。見届け人として兄に無理矢理連れてこられた和の前で、剣路と心弥は向かい合う。
「いいか和。しっかり見ておけよ」
「うん……」
和は、元気なく返事する。
「なんだ心弥。手、震えてるぞ。体もそんなにガクガクしてさ。怖いなら勝負を投げ出してもいいんだぜ。どうせ俺が勝つんだからさ」
心弥は無言で、震えて豆だらけの手を差し出した。
「なんだよ……」
「竹刀貸して。木刀で勝負しよう。防具もいらないよ。おれ、怖くないもん。震えてるのは、いっぱい修業したからだもん」
「……おもしれぇ」
剣路は心弥にパシッと竹刀を渡した。それだけで心弥の手に激痛が走る。けれど心弥は必死で我慢して、道場の隅に竹刀を置き代わりに木刀を持ってきた。
「勝負は、どっちかが倒れて動けなくなるまでだよ」
「別にいいけど? で、お前奥義会得できたわけ?」
「出来なかった。でも今日、剣路兄ちゃんとの戦いで成功させるんだ。だって父上もそうだったんだもん」
父が幼い頃、乙和という敵にぶっつけ本番で奥義を使ったという話を、何度も剣心にせがんでは聞いてきた心弥である。
「バカかお前は。弥彦兄は日本一の男だぜ」
「おれは父上の息子だもん!」
誇りに満ちた心弥の一言。それは剣路には痛い言葉だった。
「もういい。弥彦兄が帰ってくる前に、さっさと始めるぞ。和、合図しろ」
「う、うん……」
和は、不安そうに手をあげる。剣路と心弥は構える。剣路は自信たっぷりな笑みを浮かべながら、心弥はぼろぼろの体で必死に木刀を握りながら。それでも、弥彦の跡を継ぎたいという思いの強さは、二人とも同じだけある。
「……始め!!」
剣路と心弥は、ぶつかり合っていった。
☆あとがき☆
やっとここまでたどりつきました。天才剣路vs努力家心弥です。
第九話「剣路対心弥」
勝負開始早々、剣路と心弥は互いに踏み込み、剣を交えた。当然、押し倒されたのは心弥である。練習試合では最大限に手加減してやっている剣路も、今日はそうしない。弥彦の息子であることに自慢気な心弥の言葉に腹が立っていたし、何より気がはやっていたのである。この勝負に勝てば、弥彦の跡を継ぐことが出来るのだ。
心弥は倒れたまま、けれど木刀だけは必死で離さなかった。これだけでも、奇跡的なのである。普段の状態でさえ剣路が本気を出せば心弥の剣がはじかれるのは必至なのに、今日は木刀を握るのさえやっとなのである。
「勝負あったな。和、弥彦兄にちゃんと証言しろよ」
剣路は心弥を見下した目で見ると、満足げに木刀を放りなげる。だが、和は心弥を不安げに見つめたまま……。
「和っ、分かったのか!?」
だが和は、剣路が放り投げた木刀を急いで拾い剣路に押しつけた。
その直後だった。心弥が、再び打ち込んできたのは……! 剣路は間一髪、心弥と剣を交える。またも倒れる心弥。
「バカ。何また打ち込んできてんだよ。勝負の結果なんか初めから分かってんだよ。この勝負は弥彦兄の跡を継ぐためのただの儀式なんだよ」
呆れたように剣路は言う。だが心弥は、ガクガクする体で再び立ち上がりながら剣路をにらみつけた。
「けっ…剣路兄ちゃん……。もう…木刀……落とさないでよね……。おれ……さっきは気付かなくて……打ち込んじゃったけど……」
心弥は剣路を真っ直ぐ見据える。その目は弥彦にそっくりである。
「おれ……ひきょうなこと……きらいだから。おれは父上の……明神弥彦の息子だから……正々堂々と戦うんだ」
「……お前、俺を本気で怒らせたな。いい度胸だ」
剣路は、飛天御剣流の構えをとった。心弥も何とか立ち上がり、構える。和は、その空気にぞくっとした。
剣路が飛天御剣流でただ一つだけ使える技、龍槌閃を心弥が受ければ、ただではすまない。
「まぁ半殺し程度にしといてやるよ。弥彦兄の跡を継ぐ俺を見ながらぼろ泣きするお前の顔が見たいからな」
剣路は顔を歪めてにやりと笑う。
「……父上の跡を継ぐのは……おれだよ」
心弥は息も絶え絶えに、けれど強い意志を込めてつぶやく。
「……その言葉はこれが最後だ。お前、戦いで血を流したことないだろ。今日たっぷり経験させてやるから、ありがたく思えよ」
剣路は心弥の上に飛び上がった。そして、木刀を心弥の頭めがけて振り下ろす。
心弥は、とっておきの奥義、刃止めの姿勢に入る。
「無駄だぜ。例え……成功したとしてもな!」
剣路の忠告を無視し、構えをとり続ける心弥。幼い心弥にも、それは十分に分かっていた。剣路の圧倒的な強さは、良く知っている。奥義もきっと失敗する。万が一奥義が成功したとしても、初めての技で龍槌閃にかなうわけがない。
それでも、心弥は逃げなかった。もう負けると分かっていても、最後まで戦いたい。自分は尊敬する明神弥彦の息子だから……。ただそれだけを胸に……。
☆あとがき☆
二人の戦いの行方は……。今回、剣路のグレ度が少しアップしています(笑)
第十話「逆刃刀を継ぐもの」
飛天御剣流龍槌閃対神谷活心流奥義刃渡り。剣路が木刀を振り下ろし、心弥が刃止めで受けようとした――その時
「やめてぇぇーー!!!」
和は、二人の間に飛び込んでいった。
しんとした道場。心弥の代わりに肩に龍槌閃を受け、和は倒れて気絶している。和に押し倒された心弥も、ぼうぜんと腰を抜かして和を見つめている。剣路はただ一人立ったまま、苛立ちの目で和を見つめる。
「……和、てめぇ……!!」
和を木刀で打ち付けようとする剣路に、心弥ははっとして和をかばう。
「やめて剣路兄ちゃん!」
そして無理がたたったのと怖さのせいで震える体を心弥は必死で動かし、和を引きずり道場の外へ出た。そして神谷家の中に向かって、かすれた声を精一杯あげる。
「剣心さん……薫さん……和が……」
バタバタと部屋を駆けてくる音がする。それだけで心弥は察する。
「父上?」
「和っ。心弥?」
予想通り、飛び出してきたのは弥彦であった。その後すぐに、剣心と薫もかけつける。
「和が肩を……」
心弥の言葉に、薫はすぐに和の着物をずらす。肩は真っ赤に腫れていた。剣心もそれを見た後、心弥に目を向ける。
「心弥、お主も体が……。どうしたでござるか」
「剣心。こっちは俺が対処するから、二人は和を見てやってくれ」
「分かったでござる。お主が予定より早く帰ってきてくれて助かったでござるよ」
既に和を抱えて奥へ入った薫の元へ行こうとする剣心に、心弥は怖々聞いた。
「和……死なないよね?」
「ああ。だいじょうぶでござるよ」
剣心はにっこり笑うと、奥へ入っていった。
心弥から訳を聞いた弥彦は、道場へ入った。しんとした道場内。剣路、心弥は向き合って立ち、二人の横に弥彦が立つ。
「和を連れてきたのはどっちだ」
「……」
答えない二人。
「どっちだ!!」
弥彦は道場いっぱいに響き渡る声で怒鳴りつけた。
「……俺」
剣路はぼそりと答えた。
「木刀を使おうと言ったのはどっちだ」
「おれです……」
心弥はかぼそい声で、けれどすぐに答えた。
弥彦は、続けざまに二人の頬を思い切りぶった。パアン、パアンと頬を打つ音が鳴り響いた後、道場は少しの間しんとする。
「剣路……。お前は行っていいぞ」
落ち込んだ表情をしていた剣路は、はっとして弥彦を見つめた。
「でも……」
「いいから行け」
絶対的な弥彦の口調に逆らうことも許されず、剣路は黙って外へ出た。
「……初めてだな。俺に怒られて、泣かないでそんな風に睨み付けるなんて」
父の言葉に心弥は急に泣きそうになったが、必死でこらえて言った。
「木刀使って……和に怪我させちゃって……ごめんなさい。でもおれ、父上の跡を継ぐのだけは、誰にもゆずれないよ」
弥彦は心弥の手をとり、豆だらけの手を見つめた。
「無理しやがって……。小さいうちからこんなに無理したら、体が使いもんにならなくなるぞ」
弥彦の言葉は、心なしかやわらかくなっている。
「うん……。ねぇ父上。大きくなったら、父上の跡を継ぐのは、やっぱり剣路兄ちゃんなの? おれやだよ。おれが継ぎたいんだ」
「……そうだな。お前がうんと頑張って、俺がふさわしいと判断したらこれやるよ」
弥彦は逆刃刀に手を当て言った。心弥は驚いた表情を見せる。
「手、痛いだろ……」
弥彦は懐から白い布を取り出し、切り裂いて、小さな心弥の手に巻いた。心弥は、涙をこらえるのにただ必死だった。
道場の木戸の外。一部始終聞いていた剣路は、静かに後を去った。
☆あとがき☆
弥彦が怖い……。さて剣路くん、どうなっちゃうんでしょうね^^;
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