4/16  その2


声明7(転載可)

 私たちはひとつの山を越えました。人質となった日本人三名、郡山さん、高
遠さん、今井さんが解放され、心から喜びたいと思います。しかし、この喜び
を戦争開始以来、占領軍の攻撃によって犠牲となられた無数のイラク市民の家
族の方々と分かち合うことができないのは、たいへん悲しいことです。また新
たに拉致された日本人二名、渡辺さん、安田さんのことを考えると、手放しで
喜ぶことはできません。
 また、私たちは、ファルージャ周辺で、イラクの罪のない普通の市民たちが
ハエのように叩きつぶされ殺戮されている最中に、日本人だけ<助けて!>と
どうしていえるでしょうか?私たちはその殺戮を犯しているアメリカと肩を組
んで歩いているのです。
 とはいえ、私たちは私たち市民としての可能な限りのネットワークを広げる
ことによって、市民社会の連帯パワーの可能性を夢見させてくれたと思いま
す。そのきっかけとなったのは、なんといっても今回拉致された三人の方々で
す。彼ら、彼女は日本政府が主張しているようなアメリカの大義のない戦争に
自衛隊を持って加担するのではない方法、すなわち愛情と友愛の原則に基づい
て、勇気を持って関わろうとした数少ない方々です。また現在の日本の硬直し
てしまった時代の空気の中では小声でしかいえない本当の日本人としての真心
と良心を身を持って示してくれたからこそ、多くの市民や団体が彼らが何者な
のかをあらゆる手段で拉致グループに伝えようと努力をしたのだと思います。
 政府が日本の大半の民意を代表しようとしないとき、市民は市民独自の判断
で行動を起こす権利があります。そのことを実践したのが、これらの方々でし
た。
 そして、拉致したイラク人たちは、政府とは違う良心と愛に基づいた日本市
民たちがいたことに気がついたからこそ、またそのような市民を無為に殺傷す
ることはイスラムの精神に反すると説いた宗教指導者たちがいたからこそ、彼
らは開放の呼びかけに答えたのだと思います。私たちは、彼らがイラク民衆の
心の絆を結んでくれた人たちであると解釈しています。その彼らを助けよう
と、陳情し、デモし、アピールした多くの心ある市民たちが初めて得た大きな
成果だと自信を持っていいのではないでしょうか。
 私たちはこの連帯と共感をより広げ、イラクやアフガニスタンやパレスチナ
などの最も抑圧された民衆へと繋がっていくことを期待します。

 明日以降、日本で郡山さん、高遠さん、今井さんたちを待ち受けているの
が、<北朝鮮>から戻られた拉致被害者の方々と同じのように、何も言えなく
なってしまうような鉛の状況を作り出してはならないとと思います。日本政府
や保守のメディアが主張する自己責任論は、政府の責任回避であり、根本的な
問題を不問にし、回避してやまない現政府のレトリックにすぎません。生命を
一顧だにしない政府がなぜ人道支援ができるのか、人道とはまず生命を尊ぶこ
とではないでしょうか。自衛隊の軍事的なプレザンスこそが、真の緊急人道支
援を妨げているのです。
 本末転倒をしてはいけません。このような緊急時で、こうした事態にあった
日本人がいた場合に、日本政府が彼らの救援するのは当たり前のことで、その
ために政府があり、行政府があるのです。日常の事務ばかりではなく、そうい
う救援保護活動も公的行政府の遂行すべき任務のひとつなのです。<迷惑をか
けるな>などという福田官房長官の言辞は、私企業の社長のいうことです。誘
拐や拉致にあった犠牲者の家族が<心配をかけてすみません>と表明しなけれ
ばならぬ事態。これこそ本末転倒です。緊急時や不可抗力による場合は<迷惑
>かけてもいいのです。

 戦火がこれ以上、広がれば、あらゆる人道支援が不可能になります。そうな
らぬためにも、今予期されているこれからの再度のアメリカ軍のファルージャ
に対する大攻勢にストップをかける運動やアピールがぜひとも必要だと思いま
す。ブッシュ政権の対応をみていると、パレスチナでも然りですが、自分たち
の利益に役立たない国や民衆をゴミのように廃棄しようとしているのです。そ
れにストップをかけるための世界的な運動が不可欠です。そのひとつの運動を
今回も経験しました。
 あらたに拉致されているお二人のためには、同じような努力が私たちには必
要です。アルジェジーラ放送局は理想的な放送倫理を持っているとはいえない
にせよ、中東社会への大きな影響力を持つメディアです。様々な働きかけをし
ましょう。私たちの闘いはこれからです。

グローバル・ウォッチ/パリ
コリン・コバヤシ

声明7付記(転載可)

庇護権について

緊急時に、国民は国に保護してもらう権利と、国は国民を保護しなければなら
ない義務があります。
その点が欧米でははっきりしているから、欧米の記者たちは拉致された家族が
なぜ謝らねばならないのか、理解に苦しむわけです。拉致事件の場合は、どう
考えても緊急時です。
福田官房長官、川口外相の発言がおかしいのは、この点です。
ところが、ペルーのフジモリ前大統領のような人には特別な庇護を与えてい
る。あの方はペルー人と認識するのが真っ当な判断だと思われます。彼はペル
ーから、弾劾され国際刑事法でインターポルを通じて国際指名手配されている
にも関わらず、かばっている。迷惑だ、自己責任をとれとは、けっして言わな
い。あの人こそ、自己責任をとるべき人です。ところが、一般の市民が良心の
人道支援をしていて、拉致されると、迷惑だ、自己責任を取れといわれる。こ
れまた全く本末転倒した事態です。泥棒にあった人が、泥棒にあってごめんな
さいとはいわない。単純なことです。

犯人たちはテロリストか?

今回の事件の場合、拉致グループ(武装集団)をテロリストと判断するのは、
困難だと思います。これは戦時下、不当な占領に対する住民の抵抗の一形態と
思われます。とりわけ、ファルージャのような無差別攻撃があった場合には、
なおさらです。この戦争の本質を考えずに、しかも犯人像が明らかになってい
ない以前から、テロと交渉するのはまずい、と小泉政権から社民党までいって
います。池沢夏樹氏でさえ、そのステレオタイプにはまっています。強盗にあ
ったら、百万円払っても、命を救うべきです。ましてやこのような民衆の抵抗
の一形態としての挑戦にあったときには、撤退・譲歩も当然、選択肢のひとつ
としてあるべきでしょう。

グローバル・ウォッチ/パリ
・・・コバヤシ



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