アンティークな琥珀堂

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ポール・ドラローシュ - ロマン派



生涯 [編集]
ドラローシュは、パリで裕福な家庭に生まれ、多くの門弟を抱え等身大の歴史画を得意とする画家グロの元で修行を積んだ。

最初に展覧会に出された絵は、1822年の『ヨザベスを救うヨアス』である。この展覧会で彼はジェリコーとドラクロワと知り合い、友人となった。この3人は歴史画家たちの骨幹を成す中心的存在となった。

義父オラース・ヴェルネがローマのフランス・アカデミー総裁を務めていた1838年と1843年の2度、ドラローシュはイタリアを訪れた。

パリの彼の画房はマザリーヌ通りにあった。彼の絵の中の人物は不動で、がっしりとしており、ムラのない表面を持ち、高い完成度を表していた。この肌理は当時の技法であり、オラース・ヴェルネ、アリー・シェッフェル、ルイ=レオポルド・ロベール、アングルの作品からも見られる。

ドラローシュの作品が常に歴史的に正確であったわけではない。『棺の蓋を開け、チャールズ1世の遺体を眺めるクロムウェル』は、利用できる言い伝えによって創作されただけの出来事である。しかし、『タバコをふかす兵士らに囲まれる王』は、ピューリタン時代の名誉毀損である。そして『死せるエリザベス1世』は、海龍のように誰もあえて女王に触れようとせず、衝撃的である。『レディー・ジェーン・グレイの処刑』は、地下牢で行われる処刑の様子を描いており、ひどく事実と異なっている(実際のジェーン・グレイは、ロンドン塔内のタワー・グリーンで処刑されている)。

一方で、『処刑へ引き立てられるストラッフォード』は、彼の独房の小さな高窓の外を薄手のリンネルの紋章布で覆い、通廊を通る彼に祝福を与える者たちが描かれる。『枢機卿リシュリュー』では、豪奢な屋根付き船の中にいる枢機卿、後続のボートに乗るのは警護兵に囲まれ処刑場へ向かうサン=マール侯、歴史家ド・トウの姿が見える荘厳な光景を描いている。かつてない最も劇的な半歴史的作品であろう。彼の1835年の作品『ブロワでのギーズ公暗殺』は、正確な歴史的題目で、人間の本性のうちの劇的洞察力をよく表している。その他の作品には『ロンドン塔の若き王と王子』、『若き殉教の娘』がある。


ピョートル大帝の肖像、1838年オラース・ヴェルネの下の娘ルイーズへのドラローシュの愛は、彼を夢中にさせる情熱だった。1835年、彼はルイーズの頭部を元にした、『天使の頭部』を出展している。ドラローシュは、1845年のルイーズの死の衝撃から二度と回復できなかったと言われている。妻の死後、彼の秀でた作品は極端に深刻な、『キリストの受難』にある事件の小さな詳細な絵の連続である。

ドラローシュは理想によって悩むことはなく、それを気取ることもなかった。しかし厳しい製作は彼と彼の中心思想との間に何の神秘も介在することを許さなかった。常に製作は大衆に対してわかりやすく、カンヴァス上で詩人になろうとし苦しみ画家たちが全て精力を消耗することから、彼が逃げたせいであった。キリスト教信仰の創始者、彼と同時代を生きたナポレオン・ボナパルトのような人物、遠い歴史上の人物を描くことで本質的には同じ手法が彼により用いられた。『フォンテーヌブローのナポレオン』、『セント・ヘレナ島のナポレオン』、『死刑宣告の後法廷を発つマリー・アントワネット』などである。


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