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jiqさんの金継の記事に寄せて私の金継のキット、漆は乾いちゃっただろうなあ。☆★割れたもの壊れたものの景色ゆえ 繕う心優しくあれと
July 1, 2013
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出発の日は、雨模様で厚い雲に覆われていました。しかし、1時間ほど飛んだとき、雲が晴れて海岸線や、小さな町並みを見ることができました。先日、息子の住む広島から飛行機で帰ってきた時、1時間ほどで羽田に着いたっけ。すると、このあたりは中国地方だろうか。☆☆ 置き去りの吾子住む国を覆う雲 地震(なゐ)よ襲うな 母帰るまで
June 16, 2013
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古稀寒夜ひとごとのやふなり想定外 気づけば闇に慣れた目を持ちjiqさんつながり
January 5, 2013
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★☆ アイデンティティ揺らぐ水草底深く 自らを探す旅といふかも
November 30, 2012
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木枯らしや 見果てぬ夢の枯葉影 jiqさん から
November 28, 2012
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いつものように、jiqさんのブログに触発されて、、、最近、自力でイメージが沸かないなあ。jiqさん、頼りにしています。(*^_^*)そして、すてきな写真と俳句をありがとうございます。残りたる行方ひとつの蔦紅葉 孤立無援の君を飾らむ
November 26, 2012
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☆ 秋冷やわくら葉一葉離れまじ そのひとことに揺れる限りはjiq さんから、いただきました。
November 15, 2012
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★★ 空港に降り立ちて親子立ちすくむ 地球はどこもまだフロンティア子供たちが8歳と7歳の時に、デトロイトについたとき、作ったのが、これ。☆☆ 空港に降りてしばらく肩寄せる 地球はどこもまだフロンティアなぜか、今朝、突然思い出し、浮かんだのが、「立ちすくむ」の文字。この17年の間に起こった変化って、こういうことなのかな?
October 30, 2012
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浮かぶなら アルカナキカの水蒸気 見上げる目には雲の絨毯jiqさんの写真から。久々の作歌でした。
October 19, 2012
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☆☆ 薔薇一輪 開き続ける宇宙かな花が開く様子が、肉眼で見られたらいいのにね。
May 30, 2012
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かうもりの影飛び去れば銀満ちる あなたは欠けた月ではないと jiq さんの日記に寄せて
May 22, 2012
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4月2日、今日は、息子の入社式です。遂に社会人か。昨日は、これから4か月ホテルに缶詰めになるので外食はせず、最後の晩餐に「ハンバーグ」を作りました。こんなもんしか作れないんですけどね。私って母親は。そして、荷物をトランクにつめる息子を見ながら、手伝いたいけど我慢していました。だって、自分でやらないと後で困りますよね。つまり、過保護という名の作品だったわけだなあ。我が子よ。それなのに、難しそうなテキストの字が読めないと可哀そうなので、読み仮名をふってやり右手がけんしょう炎になりそうなのだ。だって、この期に及んで、「ねえ、せいみゃくって読むの?これ。」と来たもんだから。「何?」「静かって書いて、脈って書いて、何て読むんだっけ。」わが耳を疑っちゃいましたよ。この子は大丈夫か。そりゃあ、じょうみゃくと読むのだ。あっという間にクビになったらどうしよう。頑張れ!息子よ。ずっと前にこのブログでも紹介した寺山修司の、辞世の歌、また、思い出しました。*** 駈けてきてふいにとまればわれをこえて ゆく風たちの時を呼ぶこえゴールデンウィークには、ちょこっと帰ってくるよ。と言ってましたが。大丈夫かなあ。
April 2, 2012
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月曜の夜、6時ごろ、お月さまと星二つが空で、一直線に並んだのを見ましたか?私はスーパーの駐車場から見ました。あまりの美しさにぼお~っとしました。と、星は月を中心にした回転をはじめました。そこで、一句。★☆ 天空に時を刻むや月と星チョー久しぶりですが、浮かんだのでブログを再開しようかと。下の写真は借りものです。私のカメラでは撮れなくて。でも、綺麗だったなあ。
March 28, 2012
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先日、10年ぶりに、デトロイト時代にお世話にな元ウィメンズ・クラブの皆さんとお食事をしました。 懐かしかった。デトロイトは、寒かったなあ。-20度とかね。 すると、肺が痛くなります。息をすると、肺の形を感じることができるんです。 そんな2月ある日の投稿です。今回は、自分で作った歌でした。 たん・たん・短歌 5 早いものでミシガンに来て一年が過ぎた。この一年間、夫も子供も本当に大変だったと思う。特に子供たちは自分の意志と関係なく転校し、外国語の中にほうり出されてどんなに心細かったことか。今でも初登校の日の朝のことははっきりと目に浮かぶ。私たちはバス停までゆっくり歩いていった。(以下自作) 額二つスクールバスの窓につけ さらわれてゆく姉と弟 バスのガラス窓からじっと私を見つめている目が行きたくないと訴えている。私は早く学校にも友達にも慣れてくれることばかり祈っていた。子供はすぐ環境になじむなんていうのは神話なのだ。小さな心がふるふる震えている。 席替えの ざわめき消えて吾子ひとり まだ選ばれずいる 黒板の前 何度目かの転校なのに娘はたくましくならない。そのたびに無口になり閉じこもってしまう。時間が解決するよと娘にも、私自身にも言い聞かせながら長い冬が始まっていった。 そして二月に初めての個人面談の日がやってきた。つらそうな娘に比べ元気で登校してくれる息子にはつい安心していたのがいけなかった。自主性なしのやる気なしだそうな。 如月の紅き冬芽を断つごとき 教師のことば吾子に伝へず 面談の帰り道は「英語がわからないんだからしょうがないじゃないの。」とショックとくやし涙で運転も危ないぐらいだったのだが、日がたつにつれてやはり先生のお話も一理ある。母として手抜きをしていたと反省した。家族の中で母だけが毎日楽しく遊んでいたわけで......。アメリカ大好きママだったわけで......。思えばこの頃が一番きびしかったような気がする。今年はそれでも暖冬だったそうで五月になると急速に緑がふえ、それとともに生活も健康も安定していった。 そして、楽しい夏休みが過ぎ、娘は相変わらず日本に帰りたいと言うもののあきらめ始めたのもこの頃からだろうか。 異国にて飼ひ犬の死を聞きし夜 飼ひ犬ごときに帰れないのだ 人もうらやむ海外生活だけど現実はきびしい。でも必ず乗り越えられるよね。 最後に息子の作った歌。 でんでらのでんでらでんでゆく道を寒さに負けず歩きつづける がんばれ、ミシガンの子供たち。
March 3, 2011
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日曜日、「昭和歌謡ショー 笠置シヅコvsエノケン」に行ってきました。いえ、さすがに、私の趣味ではないですよ。 よく利用している、クーポンサイトで見つけました。レビュー70分 + 1 ドリンク + 虎姫御膳 = 4000円 が半額の2000円というものです。 昭和の歌謡曲の、それも、戦争直後の復興期の歌謡曲は、今から60年も前のもの。両親は喜ぶかしら、ってことで、プレゼントです。 当日は、東京マラソンの日だったので、3人で地下鉄で出かけました。父は、ペースメーカーを入れていて階段が苦手なので、浅草の古い地下鉄駅では、ふーふー言いつつ・・やっと、地上だあ。。 我が家のお墓が浅草にあるので、お彼岸前ですが、まず、お墓参りです。とにかく、ご先祖様に頼みたいことが山積みなので、かなり、ここは、真剣です。 そして、いざ、浅草まねきねこ館へ。 なんと、カラオケ館の一室でした。かなり早く着いたので、一番前の席で、まさに、かぶりつき。ちょっと恥ずかしいくらいでしたが、迫力あったわあ。虎姫一座は、名前と裏腹に、かわいらしいお嬢さんたちが構成員で、歌も上手、踊りもばっちり、コントも楽しくて、あっという間の1時間半でした。 歌も、どこかで聞いたことがあるものばかりで、特に、エノケンの「オレは村中で一番、モボと言われた男~~」 って、すごいなって思いました。今、聞いても可笑しいですよ。 父も母も大満足。なんだか、非常に得をした気分でしたなあ。 で、父曰く、「知ってる歌ばっかりで、ほんとに楽しかった。だけど、好きな歌って訳じゃないよ。あの頃は、ビング・クロスビーとか、ジャズが全盛だったのだ。」 はい、もちろん、知ってますよ。 そして、銀座が大好きなんでしょ。 って、 さっきのエノケンの歌とおんなじなんですけどお・・・ ★ ダンディであらむ 戦後は意地のほか 何一つなし 父の若き日
March 1, 2011
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東京では、かなり雪が降っているそうですが、ここ湘南は、まだ、雨だけ。やはり、すこうし、暖かいのかもしれません。 さて、また、けん家持さんのお写真とお歌に触発され、昨夜は楽しいひとときをすごしました。********雪の上に 照れる月夜(つくよ)に 梅の花 折りて贈らむ 愛(は)しき兒もがも (大伴家持 巻18-4134)雪の上に 照れる月夜に 水仙を 摘みて贈らむ 愛しき妹がも (偐家持) ★ 照る月に 水仙はやや傾きて 次の言葉を 待ちいるごとし そして、なんと、大胆にも、「雪月花」にも挑戦です。一首の中に、雪と月と花が、詠み込まれているんですね。パズルみたいです。ダブル家持さんの歌は、自然ですねえ。いざ、先ほどの歌を下敷きに。 ★ 雪明かり やや首かしげたる水仙の 月の色にも通ふ 静けさ そして、水仙といえば、ギリシャ神話のナルキッソスを思い出します。バカラには、ナルシスという、美しいシリーズがあります。 そして、グラスも ★ 春恋はば 湖面に映る水仙に ナルシスの影 清らに揺れぬ
February 11, 2011
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尊敬するけん家持さんのブログに、なんと、紹介していただきました。ニコニコ 偐万葉田舎家持歌集http://plaza.rakuten.co.jp/YAKAMOCHI35/diary/201102070000/ びっくり、でも、恥ずかしいような・・・ そこで、ずっと何か、お礼をしたいと思ったのですが、思いつきません。仕方がないので、私の肖像画を・・・・・・・ ちょっと、無理があったでしょうか。しかし、イメージは沸いたのではないか。。。と。。 とりとめも なき人生に 栞さす 言の葉として うたは親しき 本当にどうもありがとうございます。 これからもよろしくお願いします。 (しおらし郎女)
February 7, 2011
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斎藤史さん、もう、亡くなりましたね。この投稿を書いた頃は、まだ、健在でしたが。 ダイナミックな、憧れの女性でした。 たん・たん・短歌3 恋の歌について書くと、何だか自分まで浮きうきしてしまう。歌には恋がよく似合う。だって、もし俳句で恋を語ったらスパッと歯切れがよすぎる感じがするし、川柳だったらからかわれているみたいでしょ。やはり、恋の歌を作りたい。とはいうものの、ロマンは男女の間にのみ存在するわけではないのだから、別の角度から人生を見つめてみよう。そう思う女性歌人も結構多いみたいだ。 たとえば、世界を「見える世界」と「見えない世界」に分けたと仮定する。そして、「見えない世界」について表現しようとすると、これはむずかしそうである。私は、この「見えない世界」に私を導いてくれる歌と出会うのが楽しみなのだ。それもたった三十一文字の中で。 薄紙の火はわが指をすこし灼き蝶のごとくに逃れゆきたり これは蝶でない蝶の歌。作者斉藤 史はもう80歳を越える歌壇のゴッドマザーである。彼女の父斉藤 瀏 は、二・二六事件の中心人物で、史自身、事件の真相について今だに何かを隠し通しつつ、昭和をぎりぎりと生き抜いてきた。彼女のきびしい体験も、劇的な人生も何にも知らない私だが、この歌に魅せられている。この蝶の軽やかさ、はかなさ、灼かれた指が一瞬ちりちりしたことまで、共有している自分がいる。そして、この蝶の逃れ去った先を我が目で追えば、そこは日常の中の非日常。あなたの蝶はまだ飛んでいますか。 植物は歩めず涙ながし得ず枯れゆく樹皮をわれはさすりぬ この歌には「歩めず 涙ながし得ず」という二つの否定がある。確かに植物にはできない。しかし、この否定を読めば、逆に草や木の涙が見えてこないだろうか。作者は否定することによって私達にはっきりと見せてくれるのである。「樹皮」という言葉は、ミシガンに住む私にとってはまさしく大きな古い木のイメージ。12マイル沿いの鹿を見かけた木立や、サブの裏手の暗い沼を抱く雑木林を思う。私が鹿なら、ここがゴルフ場になる前に逃げ出したいよね。しかし、それは決して叶わぬ鹿の夢。 氷彫刻 人に見らるる白鳥は長き首より溶けはじめたり 限りなく美しくて悲しい白鳥の歌。この一行に会場のざわめきや、並べられた料理、そこに人身御供のように置かれている瀕死の白鳥を、あなたもどうぞ感じて下さい。
February 7, 2011
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迷宮美術館で、また、大昔の記憶の底の絵に出会いました。 アルノルド・ベックリンの「死の島」です。 これは、ものすごく有名な絵なのでそうで、ドイツでは誰もが知っているとか。そして、誰もが、この暗い絵に、言いようのない安らぎを覚えているのだそうです。 たとえば、第一次世界大戦の時は、この絵のついた、膨大な数の絵ハガキが、戦場と家族を行き来し、お互いの無事を祈りあったそうな。 この絵に何故、人は惹かれるのか。番組は、そういう分析をしてくれました。 私がこの絵に出合ったのは、小学校4年生の時。家を建て替えるとのことで、両親が子供部屋に掛ける絵を選んでいいと、古い複製の画集を渡してくれたのでした。 その中には、モナリザやドガのエトワールなど、有名な絵の複製がたくさんあって、それぞれA4くらいのサイズの、台紙からはずせるタイプの、それは、もう、とても古い画集で、ところどころ虫食いがあったり、実際に、小さな虫が押しつぶされてはさまっていたり、ちょっと気味の悪い本なのでした。 その中に、この絵がありました。題名は、横文字だったので読めなくて、しかも、画家を長い間、ギュスターヴ・モローだと思っていました。たぶん、ドクターモローの島と混ざっちゃったんですね。 この絵を見ていると、絵の中の島に上陸し、森の奥まで入って行かれそうでした。 そこに何があるのか、わからないけど、そこは、懐かしい場所で、落ち着けそうでした。 番組の解説を聞くまで、この「死の島」が、死者を葬るための島で、真ん中の船に乗った人は棺桶を運んでいるのだと知りませんでしたが、この島が、最後の場所であることは、よくわかっていました。 ギリシャ神話の、オデュセウスの探検した島だと、勝手に思っていましたっけ。 解説によると、この絵の包み込むような島の形が、胎児となって包まれる幻想を抱かせる。とかなんとか言ってましたけど、確かに、そう言われてみれば、そんな気もします。 画家の自画像は、髑髏と仲良しみたい。 いつか死の床にある時、許されるなら、幼子のように安心して眠りたいものです。そんな安らかな自分を、想像します。「死の島」の絵を見ると、そんな、思いが沸いてきます。 許されて 眠れる我は 幼きに 死の島となり 抱きしめんかな なんだか、よくわからない歌だわ。 無理かも........
February 2, 2011
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昨日、ほんのかすかに雪が降りました。ほわり ほわり 豪雪地帯の皆さんに申し訳ないような、ささやかな雪でした。 「あ、雪だ!!」って、絶対、言いますよね。そして、しばし、見入って、「綺麗ねえ。」ともう一回。 おっ、、今、少しずつ読んでいる、「よみがえる万葉人」永井路子著に、大伴旅人の素敵な歌を発見。 我が園に 梅の花散る ひさかたの 天より雪の流れ来るかも 永井先生によると、口調がいいだけの、どうということのない歌だそうですが、私は、梅の花盛りを控えた1月の末に、雪とこの歌に出会ってとってもハッピー。 しかし、実は、大変なことも起こっていますよね。エジプトの内乱です。そのせいで、今朝の日経平均は大幅ダウン。私は、朝から、PCの前で頑張っていました。しかし、ザラ場は、小動き。こういう時に、下手に動いてやられるのが、いつものパターンです。 心静かに、別のことをしようとします。とりあえず、メモ帳を立ち上げて、昨日の雪を思い出して、うたを作ろうとします。すると、別のことに集中するので、イライラしないって訳。 私は、大体、昼間はこの調子で、トレードとうたと、家事を中途半端にこなしながら過ごしています。 ★ 不意打ちのやうに 粉雪舞い始む 予兆か夢か 受け止められず 雪と株価の暴落と、なんか、コラボった歌ができました。
January 31, 2011
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河野裕子の歌が好き、と書いたことがありました。 たん・たん・短歌 枯葉の季節になった。ミシガンの冬はすぐそこまで来ているらしい。この時期にいつも思い出す歌がある。 たとえば君 ガサッと落葉すくふやうに私をさらって行ってはくれぬか 作者は河野裕子。彼女のごく若い頃の作品である。「たとえば君...」というどこかつき離した呼びかけと、「ガサッと」という効果音をほうり込んで、当時、そして今も斬新な感じの歌だが、その内容にはズキンと胸が痛む。あんな時代もあった。っていうヤツかもしれない。 「たとえば君...」そこの君、ちょっと君、誰でもいい、たとえば君でもいいから私をどこかに連れていってというのである。ただし、親だけは不可。親の甘い庇護を含む現状から自分というものを丸ごとひっさらってくれる外からの手を期待しているのだ。そして、どこにも所属できず、若いくせにどんどん若さを失っていく不安におびえ、ここじゃない所でならやり直せそうな気がしていた。しかし、泣く程ではない。この歌には、そんな自意識の強い夢見がちな女の子が見え隠れする。 ところが、ある日彼女に答える人が現れた。何てラッキーな。お相手は永田和宏氏。京大医学部教授で歌人で、しかもハンサム、しかも年下というまさに理想の恋人でしょう。そして彼の歌。 あの胸が岬のように遠かった。畜生!いつまでおれの少年 気のせいか、男の人の方が素直みたい。そして二人は結ばれて赤ちゃんが生まれた。その結婚生活は......。 君を打ち子を打ち灼けるごとき掌よざんざんばらんと髪とき眠る 恐いですね。まだまだ、情熱は失われていないというべきか。ただ、生きている限りいくらシチュエーションを変えても生活はついてくるのだ。白雪姫にも、シンデレラにも、裕子さんにも。そして、この歌は子育てしている時の私自身の姿でもある。 しかし、勿論彼女だって毎日お岩さんみたいに暮らしているわけではなくて、むしろ同時代のフェミニズム歌人から「幸せな歌ばかり作って。もっと問題意識を持ちなさい!!」と糾弾される程幸せな人なのである。そこで永田氏の歌。 食えと言い、寝よと急かせてこの日頃妻元気なり吾をよく叱る それぞれ作った時期も違うし、本来の相聞歌ではないのだろうが、並べてみると結構面白い。 さて裕子さんは今でも枯葉の季節になるとどこかへさらわれてしまいたいと思っているのだろうか。 たったこれだけの家族であるよ子を二人あひだに置きて山道のぼる
January 29, 2011
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たん・たん・短歌 和英辞書で引くと、英語では恋も愛もloveであるらしい。本当は別にあるのかも知れない。どなたか、どうぞ教えて下さい。 しかし、日本語では、恋と愛は明らかに違うニュアンスを持っていると思う。恋の方が激しい感じ、刹那的、突然訪れ、真っ逆様に落ち込む感じ。誰かを好きになる、それが恋のイメージ。 そして愛はもっと熟成した感じ。男女の間だけでなく、親子でも兄弟でも、物に対しても感じることができる。 「私は、おじいさんから頂いたあの机に恋してるのよ。」とは言わないけれど、「転勤で手放す時は涙が止まらなかった。」と愛情表現することはあるでしょう。日本語では「恋がいつか深い愛に変わり......。」と言うけれど、英語ではそれをどう表現したり、または、そういう感情の変化が一般的にあるのかしらと思う。翻訳物にはよく、「二人の恋は実らなかったが、よい友人になった。」なんて書いてあるけど、愛と友情もまたちがうはず。 実際、結婚前は恋で、結婚後は愛というような、恋が実って愛となるような感覚もある。すると、恋は花で愛はフルーツかしらと哲学的に考えてしまった。 さて、先月号のニュース・レターに「チョコレート革命」のことを載せて頂いて、あの2冊はどなたかのお手元へ旅だったようです。ひなの巣立ちを知った母鳥の気分。 そして、一方、ここアメリカでは、ほしいと思っても日本の本は簡単に手に入らないので、読んでみたかったという声も聞こえてきました。そこで、私の好きな歌をいくつかご紹介したいと思います。 明治屋に初めて二人で行きし日の苺のジャムの一瓶終わる 冒頭の一首である。非常に具体的なイメージの湧いてくる歌で、京橋の明治屋の古い建物、狭い入口、レジまで見えてきそうだ。 俵 万智は大阪出身、大学生の時、東京に住むようになった。私はこの一首から、大勢の少女の姿が見える。大学に受かって、希望にあふれた瞳で一人暮らしを始め、初めて恋をした少女たち。 ちょっと古めかしい場所を訪れるのもデートコースである。そこで服や靴でなく、買ったものは苺ジャム。明治屋の苺ジャムである。赤くて、甘くて、せつなくて、胸がキュンとなってしまう。しかし、その一瓶が終わってしまった。作者は何も結果について触れていないけれど、食べ終わったからまた買いに行ったのだろうと思う人はいないだろう。ここは象徴的に、この恋も終わったと見るのでは。 いや、恋は終わっていないのかも知れない。しかし、一瓶が終わっても二人の間には結果として実るようなものが何もないのかも。彼女は、相変わらず根本的には孤独で、空になったジャムの瓶を捨てもせず見つめているのかも知れぬ。 この歌集はそうして始まっていく。 空瓶を見つめる少女は、やがて恋の痛みも喜びも知るようになる。 幾千の種子の眠りを覚まされて発芽してゆく我の肉体 赴任して、家族で暮らしていると、もとより恋とは無縁の状況である。恋なんて遠い日の記憶の断片かも知れない。むしろ、私の子供達が近い将来親元を離れていった時、辛い思いをしないように祈りたくなる。もう、既に、主役は交替しているのだ。残念のような、ほっとするような......。 そう思いつつ、読みすすむと17歳で夭折した山田かまちという少年への歌に出会う。 過ぎてゆく時間よ戻れ手のひらに「待っています」とぼくは書くから 幻を射止めるために矢を放つ青く乾いている秋の空 是非、中高生にも読んでほしい。痛々しくて、はかなくて、しかも、親は無力である。その親へ、こんな歌もある。 故郷とは生地にあらず「家族」という花ことば持つ花咲くところ
January 29, 2011
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迷宮美術館、見てますか? 今週は、かわいい絵の特集でした。天使といえば、私は、かわいらしい赤ちゃんのイメージがあります。ムチムチした裸の赤ちゃんの背中に、小さな羽根がはえていて、ほっぺは、ほんのり赤く、目が大きくて純粋な、無垢な感じ。 天使みたい。と言えば、そのイメージが浮かんできますが、それは、ムリーリョの宗教画のデジャビュだった??? 私は、小学生の頃は、毎週教会に行っていたのですが、帰りに、小さなカードをもらいました。 このこと、今日、突然、思い出しました。 一番、大切にしていたカードの絵。 迷宮美術館で、発見。ムリーリョという画家の絵だったんですね。 この絵が、好きだったんです。 懐かしいなあ。足がねえ、かわいいんですよねえ。 もう、とっくに、その小さなカードは無くしちゃったし、忘れていたのです。でも、だんだん、思い出してきました。色々な、かわいらしい宗教画。いいえ、当時は、宗教画などとは思わず、その愛らしさが嬉しくて、大切にしたものです。 あ、これも、覚えてる。 ムリーリョは、悲しみと畏れによって、人々の信仰心をあおろうとした当時の宗教画に対し、子供の絵で、心の癒しを求めたのだそうです。それは、恐ろしいほど、辛い子供時代があったから。裕福な両親が亡くなってから、ストリート・チャイルドだったらしいです。しかも、成人してようやく幸せな家庭を持ったのに、ペストで5人の愛する子供たちを失ったのだそうです。 だから、彼の描く天使は、子供たちに似ているとか。 そう思って見ると、泣けちゃいますね。彼は、絵の中で子もたちと遊び、話し、育て、彼自身が癒されたかったのでしょうか。愛する対象を失った、父親の気持がかわいそうで、、、 かわいいとだけ思っていた絵も、その奥行きには、そんな背景があったのか。 私は、知らなかったけど、ムリーリョのおかげで、癒されていたんですね。 ★ ムリーリョも イタリアの地も 知らぬまま 祈りし日々が 我を育みぬ 今日という日に、感謝しよう。。。
January 22, 2011
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デトロイトにいた頃、ウィメンズ・クラブ(?)だったか、在住の女性の会があって、そこで、月刊のお知らせが出ていました。そこに、投稿していたものが、なんと、マイ ドキュメントの片隅から出てきたので、懐かしいのと、保存のために、コピーしておこうと思います。あしからず たん・たん・短歌 昨年10月にデトロイトに越してきて、早速書店に行ってみてところ、俵 万智の「チョコレート革命」が2冊、新刊書コーナーに置かれていた。 俵 万智は「サラダ記念日」でブームになった口語体の歌を作る人で、あのセンセーショナルなデビューからもう10年だそうである。 彼女の3冊目の歌集「チョコレート革命」は「サラダ記念日」以来のヒット作。くるくる動く大きな目でひたむきにはなす様子は10年たっても変わらず、テレビや雑誌でこの本について大いに語っていた。 そして私は風薫る5月までその書店に行くたびに、"もう売れたかな"と書棚をのぞく。しかし、その2冊はずっとそこに「ある」というか存在し続けている。 「さすがにデトロイトは日本人が多いので歌集まで置いてあるんだわ。」と感心していたものの半年も売れていないのを見ると、ここには現代短歌が好きな人はあまりいないのかなとちょっぴり悲しくなってしまう。 私は書店の人ではないのだが「この本の中の歌にとってもいいのがありますよ。」と、どうしても言いたくて長々と書いてしまった次第である。 木曜のドラマ終わればそののちを生きずともよい 椎名桔平 椎名桔平という俳優さんをほとんど知らないのでこの歌は、始め印象に残らなかった。しかし、気がつくと、うまいことを言うなあと思う。 彼は勿論生身の個性を持った人だが、木曜のドラマの中では、あるひとつの人生を生きている。演技であろうとフィクションであろうと彼はその時間をその人生に拘束されている。しかし、そのドラマ後彼は自由で本来の自分に戻るわけだ。 「生きずともよい」という断定の仕方にその男性の負の部分を感じる。わがままなのかもしれない。平凡なのかもしれない。逆に強烈な個性をドラマの中では抑えているのかもしれない。 椎名桔平に限らず、いや、私のよく知っている誰かさんも私の見ていない所では、何もそののちを生きずともよいのではないか。 そして、また、私は次の一首にめぐりあう。 優等生と呼ばれて長き年月をかっとばしたき一球がくる 誰にでも「呼ばれて長き年月」がある。「きれい好き」と呼ばれて長き人、一日家事をほうり出してみたい時がありますか。「明るいのね」と呼ばれて長き人、本当は誰より傷つき易いはずなのに。あるいは疑いもせず、そのように生きてきてそれでもある日...。 しかし、実はこの本辛い恋の本である。実際に歌集を最初から読み進めれば自ずと先の二首にも違った意味が見えてくる。 相手は、椎名桔平に似ているのかもしれない。あの優等生の○○ちゃんがまさかあんな恋をしているなんてと、言われたかもしれない。 妻という安易妬まし春の日のたとえば墓参に連れ添うことの いずれにしても、こういうテーマの歌集を発表した彼女の時代感覚の鋭さに脱帽という感じの一冊である。
January 21, 2011
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俳句は、まったく知らなかったのですが、jiqさんのブログを拝見して、急に、面白そう!!と思いました。jiqさんの句も素敵です。 時に、美しいバリトンです。 去年今年幻花となりぬ薄れゆく そして、誰かの句に誰かがつけていく、連句や連歌も魅力的です。 食わず嫌いだったかなあ。と思います。 で、「寺山修司の俳句入門」という本を買いましたので、ウキウキ、読んでみました。懐かしいことに、私が短歌に出会ったのは、寺山修司の短歌集がきっかけだったのです。高校生のリンゴのほっぺの頃、繰り返し読んだものでしたの。 しかし、この俳句入門は、ちょっと、違っていて、非常に理屈っぽくて、ホントに入門??って感じでした。求めていたタイプのハウツーものではなかったってことです。 しかし、好きな句もありました。 蛍来てともす手相の迷路かな 目かくしの背後を冬の斧通る ところで、高校生の男の子は、こんなに母親が好きなのでしょうか。母親の句がいっぱいあるんですが、、、ちょっと、見たくないものを見たような気もします。 ps. jiqさんへ、勝手にブログに書いてごめんなさい。
January 6, 2011
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院展を見てきました。那波多目 功一(なばため こういち)画伯の、「燦燦」という作品があって、すっかり魅了されました。小菊の蕾の絵で、横に作品について画伯のコメントがありました。ご友人から、菊が咲いたのでどうぞ。とお誘いを受けたので行ってみると、まだ、蕾だったのだそうです。しかし、その蕾のひとむらを見て、これだと思い、夢中でスケッチした。というようなことが書かれていました。蕾ですから、小さいのです。しかし、近づいてよく見ると、その蕾の花びら一枚一枚までが、そして、菊の葉、茎の重なりが、本当に燦々と月明かりに照らされ、自らも照り返して深い空間を作り出しています。小菊が小さすぎて、というか、絵が大きいので、写真では今一つ、はっきり見えませんけど。。 ★ 空に星 庭に小菊の 秋の夕 ひとむらの小菊のつぼみ庭を埋め ピリオドのみの手紙のごとし★ ピリオドを集めて撒かむ この庭に小菊のつぼみ埋め尽くすなり 過去の院展出品作も素晴らしいです。個展があったら、行きたいです。 「朧」 「待春」
December 30, 2010
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先日は、主人とデートでした。銀座で映画を見て、日比谷公園に「ダ・ヴィンチ展」を見に行って、グルーポンでゲットした薬膳料理をいただいて、大満足で帰ってきました。実は、ロードショーを見るのは久しぶりです。映画って、高いですよね。1800円でしょ。でも、夫婦50割だと、一人1000円だから、見てみようかと思える。だって、1800円出して、すぐ、テレビに登場する映画を見るより、やっぱり、お芝居がいいかなあ。と思ってしまうんですよ。で、主人が一時帰国したときと、娘と水曜日にレディースデイに行く時以外は、どうも、敬遠しちゃいます。さて、「武士の家計簿」面白かったなあ。いい映画でした。お勧めです。私もわが子を、もっときびしく躾けるべきだったわあ。自立させたい。マジで。さて、印象的だったシーンですが、堺雅人と、仲間ゆきえの出会いのシーン。夏の川のほとり。辛い仕事をまじめにこなす算盤サムライの堺くんが、汗をぬぐっているところに仲間さんが、麦茶を差し出す。その時、二人は、お互いがこれからお見合いする相手だとは知らないのよね。彼女は、川で、加賀友禅を洗い流している。彼の名を聞いて、彼女は、一瞬、友禅から手を離してしまう。彼は、麦茶のお礼に、りんどう(?)を水筒に活けて去ります。彼女は、はっとします。いいひと。って思った瞬間かも。。 ☆ 青い花 甘露の礼に筒に活け
December 28, 2010
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再度、けん家持さんのうたにつけさせていただきました。けん家持さんのうた、素敵でしょう?ロマンチック。こんな夫婦になりたいなあ。 天つ船 いつしか来(く)らむ 夫婦岩(めをといは) 星降る里に 寄り添ひ待ちぬ (貴種流離) ★ 星流れ天つ船かと問ふ人に 寄り添ひしまま消えなましものを なんでだか、悲しいうたになっちゃったのが、悲しい。 (伊勢物語 芥川より)
December 17, 2010
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疲れて帰ってくると、部屋が妙に広く感じることがありました。明りをつける前の、一瞬のことなんですが。 まあ、今住んでいる所は、とっても狭いので、問題ありませんけど。(笑) ★ ほの白くタオルは光る いつもより奥行き深き部屋の彼方に
December 16, 2010
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けん家持さんのブログ、 偐万葉田舎家持歌集 に素敵なうたがありました。万葉集の虫麻呂のうただそうです。そして、それにけん家持さんが、また、うたを作っていらっしゃいました。これもまた、すてき。 それで私も真似してみたくなりました。でも、如何せん、勉強不足で古典の文法も和歌のこともわかりません。それでも、いいか。メモみたいなものでも、、、 ★ 行き逢ひの坂のふもとの風祭汝が髪に降れ紅葉のかんざし
December 7, 2010
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このところ、息子に付き合って、就職のためのエントリーシートを作っている。もちろん、本人が作らなきゃいけないんだけど、なんたって、筋金入りの帰国子女なので、常識がないだけでなく、「どこの国にいた時の話だっけ。どの学校のことだっけ。」など、頭の中がめちゃくちゃなので、ママと一緒に思い出しながら、自己PRだの、経歴だのを書いているわけ。駄目だ。過保護過ぎる。って、わかってるんですが。 でも、おかげで、私もいろいろ思い出しちゃった。いいことも悪いこともいろいろあったなあ。 アメリカでは週末に日本人学校に行っていて、そこで、娘が作った短歌が出てきた。小学校5年生で、むずかしい時期。現地校に対して、少し、不登校気味だった。子供が学校に行きたくないと言う時、いいお母さんだったら、叱っても行かせるのかなあ。でも、私は、今ひとつそう出来ずに、担任の先生に言いわけばかりしていた。風邪気味なんだとか、おなかが痛いと言っている。とか。 いったい、子供は、なんで学校に行かなきゃいけないのかしら。そして、やめることが出来ないのかしら。不公平な気がする。って、親が言ってどうする。。。この弱気を見透かされてたかなあ。 でも、子供って、子供だからといっていつもいつも、楽しく無邪気でいられるとは限らないよね。そんなに単純じゃないでしょ。人間なんだから。。 で、日本人学校で娘が作った短歌です。★ 教室の窓から見ると友達がみんな楽しそうに遊んでる やり切れないと思った。今は、大きくなった。よかった。。。 ★ 満月のうさぎよ丸き菓子やらむ そしたら夜道照らしておくれ
December 1, 2010
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年を取ったのか、眠りが浅い気がします。しかし、昼間は、うつらうつらしてしまう。そう言えば、昔、おばあちゃんはよく、こっくりこっくりしていたような。きっと、夜は眠れなくて、「ああ、あたしは、近頃眠れないのよ。」なんて、こぼしていたりしたんじゃないかしら。 子供たちはというと、ピクリともしないで、ぐっすり眠っています。電話がなっても、朝日が差しても、大丈夫。夢も見ないんじゃないかな。 しかし、私は、今朝、怖い夢を見ました。うたにして、お祓いしておこうっと。 ★ 自転車の子供の目大きく見開かれ車窓に迫る夢と思へず
November 27, 2010
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ニュースで、どこかの短歌賞の入選作が、歌謡曲のパクリだったので、取り消されたというのを見たような、見なかったような、、、はっきりしないのですが、なんだか、かわいそう。大昔は、うたは、コミュニケーションの手段だったんですよね。相聞歌とか、返歌とか。 さらに、本歌取りなんて、パクリどころか、教養の表れって言われたんじゃなかったっけ。きっと、子供の頃から、そうやって、色々なうたを模倣することで、うたの勉強をしたんじゃないかしら。うただって、いきなり出てくるとは限らなくて、訓練が必要で、そのノウハウを昔の人は知っていたんじゃないかなあ。日本の文化を、おおらかな気持ちで育ててほしいものです。むしろ、本歌取り大会とか、しちゃったらどうかしら。。あるんでしょうかね。どこかに。。。。 で、今日は、週末の午前中なので、私も挑戦してみました。歌は、私のテーマソングです。始めて息子が聴かせてくれて以来、勝ってにそう決めた、斉藤和義の「ずっと好きだった」 斉藤和義の新曲「ずっと好きだった」 この町を歩けば 蘇る16才教科書の落書きは ギターの絵とキミの顔俺たちのマドンナ イタズラに困らせた懐かしいその声 くすぐったい青い春ずっと好きだったんだぜ 相変わらず綺麗だなホント好きだったんだぜ ついに言い出せなかったけどずっと好きだったんだぜ キミは今も綺麗だホント好きだったんだぜ 気づいてたろうこの気持ち話し足りない気持ちは もう止められない今夜みんな帰ったら もう一杯どう? 二人だけでこの町を離れて 幸せは見つけたかい?今夜みんな帰ったら もう一杯どう?二人だけでこの町を離れて幸せは見つけたかい?「教えてよ やっぱいいや」あの日のキスの意味ずっと好きだたんだぜ まるであの日みたいだホント好きだったんだぜ もう夢ばかり見てないけどずっと好きだったんだぜ キミは今も綺麗だホント好きだったんだぜ 帰したくないこの気持ちずっと好きだったんだぜ 相変わらず綺麗だなホント好きだったんだぜずっと好きだったんだぜ ホント好きだったんだぜ これ、資生堂のCMになっているけど、その前からずっと好きだったんだぜええ。 この歌を踏まえて、作ってみました。 思ってた君が現れこう言うとずっと好きだった今も綺麗だと 全然だめ、原作に負けてますね。だから、こういうふうに、本歌取りって難しいのだと思います。やれるものなら、やってごらん。って思う。 しかし、もう一首。負けないぞ。。 木漏れ日はマリーの頬に影作り実年齢をあらわに見せり ★ 木漏れ日はマリーの頬に影作りホントの年をあらわに見せり 思うに、私の場合、うたは、シチュエイションは適当に選べるけど、常に現在形でしか作れないんですね。今の自分がいる時間は、動かせない。で、マリーって誰かっていうと、なんとなく、思いついた名前です。
November 20, 2010
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とりあえず、今週は終わり。週末は、静かに過ごそう。 来週も忙しいしね。 ★ 竹林に風ザワリと吹き抜けて金色の眼の猫抱き上げる★ 心研いで暗闇の中で目を凝らす見えないものが見えて来るまで★ 街の風竹林の風海の風君を待つ時吹く南風 先日、母から聞いた話。黒姫山のふもとに疎開していたそうだが、終戦の年、竹山の竹が一斉に花をつけたのだとか。竹の花は、100年に一度だけ。そして、その後、全部枯れてしまうのだそうだ。戦後、60有余年、あの竹山がどうなったか、見に行きたいと言う。私も、興味がある。 ★ 百年に一度の竹の花白く全山覆へり終戦の夏 実体験ではないのに、母の話を聞いていたら思わず浮かんだ一首。
November 19, 2010
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流木でオブジェを作る、高瀬省三展が、堀文子展と同時開催されていました。 http://hk-kishi.web.infoseek.co.jp/kokoro-20.htm これが、すごい。 朽木の形状を活かし、作り上げた人々は、木に変身する人間のように見え、人間に変身する木にも見え、 ダフネが月桂樹にメタモルフォーゼする瞬間もかくやと思う。 年月をかけて樹木に変わらむと身よじり逃ぐるダフネ恋しき 流木の内より出ずる人形は身よじり逃ぐるダフネ恋しき ★ 流木の内より出ずる人形(ひとがた)は ダフネ身よじりまだ逃ぐるとか
November 14, 2010
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平塚市美術館で、「堀文子展」を見てきました。堀文子は、女流日本画家の代表的な人。彼女のかなり若い頃から、現在の絵まで、制作年代順に見ることができます。http://www.city.hiratsuka.kanagawa.jp/art-muse/2010206.htm 若い時は、アンリ・ルソーみたいな感じ?色彩も輪郭もはっきりしていて、猫の絵以外は、それほど印象に残らないかも。 そして、絵本の世界。まさに、私が幼稚園の頃に毎月とっていた月刊誌の絵が展示されていました。 それらは、なんとも可愛らしく、おしゃれでなつかしい。あまりに昔なので、自分の思い出なのか、絵本の中の出来事なのか、判然としません。で、一首。 ★ あの頃はあの頃読んだ本の中絵本の君は思い出の我 そして、彼女は絵本と訣別し、本格的日本画へ向かいます。 それは、やわらかい色彩と線でできていて、一段高みに上がったことがよくわかります。 それから、さらに数年後。ミクロの世界に命が満ちる絵が現れます。ミジンコの絵とか。。 これ、好きだなあ。
November 14, 2010
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ミミまでやわらかヤマザキ ふんわり 6枚切 ヤマザキのふんわり食パンが大好き。そういえば、食パンは、日本のものが美味しいなあ。と思います。外にいる時は、おいしいパンに巡り合うのが意外に大変で、堅くてぼそぼそしたものが多く、日本のふんわりパンで、サンドイッチを作り、お弁当にしたいと思ったものです。パン焼き機が出始めのころは、ちょうどエチオピアにいて、ブリッジのたびに、パンを焼いた。これが、評判で、日本の技術とグルメは世界に冠たるものだと改めて感じた。そういえば、サンヨーが、「ごぱん」とかいう米粉でつくるパン焼き機を出して、大評判とか。ほしいけど、パン屋さんで普通に買った方が簡単ね。 ★ たふたふの食パンの上で目覚めればぷつぷつとろり苺ジャムかな★ たふたふの食パンの上で目覚めればほのかに苦しママレードの皮 上は、新婚さん。下は、20年後以降。 言っておくけど、私は、ママレード党。
November 13, 2010
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今日は、鎌倉の鶴岡八幡宮でお茶会でした。すごい青空で、お茶会日和?着物のみなさんも、足元を気にしなくていいのは助かりますよね。 八幡様の本殿ではなくて、向かって右手の建物でしたが、なんと、携帯の電池が切れて、今回の写真は、内部の、なんとなくニッチな2枚。これは、お茶会の写真には見えないなあ。でも、仕方がありません。これは、階段です。 って、誰が見ても階段の写真ですよね。自分では、気に入っています。天井が斜めなところが特にいいでしょ? 次は、 お庭が見えます。 まあ、こういう所でした。ってことで。。。 さて、青空がきれいでした。うたを始めて間もない頃、NHK短歌に投稿したことがあって、佳作になりました。しかし、下の句を忘れてしまいました。思い出せないんですよねえ。 で、今日の青空を見て、再度、挑戦。おめでたい日に、そぐわないのですが、青空を見たら、鳥も飛んでいたので。 ★ ひとふでの鳥の軌跡は大空にさよならと書き東へ向かふ
November 10, 2010
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うたが出来る時って、どんな時だろう。例えば、昨日、テレビを見ていたら、野菜の収穫のシーン(?)があって、細長い箱の中にぎっしりと、そしてきちんと長ネギが収まっていた。それは、緑と白に2等分されているのだけど、明らかに長ネギ1本ずつの集合体で、かわいらしい女子アナが、「きれいですねえ。」と思わず溜息をついたほど。私も見ていてびっくりした。長ネギに感動した。そして、出てきたうたは、 長ネギの白と緑を隔つもの日の光こそ敵とみなさむ これが、推敲なしの一首めです。一本の長ネギが、あんなに鮮やかに白と緑に分かれていることと、一方は土の中で、一方は日の当る場所で、同時に成長してきたことが、面白いと思った。しかも、葱は、すーーと一枚剥かれて、一気に泥が落ちる。そのパフォーマンスにも圧倒された。出来あがったうたを読むと、なんだか、不倫のうたみたい。お互いに妬ましく思っているほっそりした、しなやかな、匂いの強い女たちみたい。しかし、男から見ていると、彼女たちは、1本の葱の上下だったりして。。 と、こんなふうに妄想をふくらましてうたができていきます。できたての方が、勢いがあるし、てらいもあるのですが、しばらくすると、たいてい恥ずかしくなります。ごちゃごちゃして、言いたいことが多すぎたり、矛盾したり、無理があったり。で、そこから整理していきます。省略して、鎮める。いいえ、省略を通して鎮めたいと願います。 長ネギの白妬ましき薄皮をすっと剥ぐ時日なた緑は 日なた緑は、が、まだまだです。こうして、いつまでも推敲を繰り返してしまう。のでした。 ★ 長ネギの白妬ましき一息に薄皮を剥いで垂直に置く
November 6, 2010
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姪は11月で25歳になる。早いものです。あんなにかわいい赤ちゃんだったのに。。。その姪が、去年、結婚を前に、別れてしまった。そして、今は、自由でルンルン。(古い表現ですが、)仕事に女子会に、充実してるみたいです。 一方、彼は、今でも「元気?大丈夫?」と電話やメールをくれるらしい。「すっごくヤダ。うっとおしい。」と、彼女は言う。でも、かなり年上だった彼は、どうやら、今更未練があるとか、そういうことではなく、コンサルタントという職業柄か、たまに、彼女が気になるんですと。 で、おばの私が作ったうた。 ★ 未来への長いフィルムをランダムに切り取ってみむ 君笑顔かと 果てしない時の流れの、どの時点を切り取っても、君が幸せでいるといい。と、いじらしい男心なんです。君を吾子に代えると、わが子へのうたになっちゃうね。 いい人だったんじゃないかなあ。たぶん。別れた相手を思いやるのは、やはり、男性の方が多いかも。女性は、「死ね! どっか行っちゃえ!」と、思うんじゃない?それは、振ったかどうか、未練があるかどうか ということではなくて、もっと本能的なもの。 いや、しつこい男性もいるよね。やっぱり、彼がいい人だった。ってことかもね。
November 4, 2010
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恋は、明確に終わっていても、気持ちは、終われないことが多い。そして、人混みでは、知らないうちにその人の面影を探したり、似ても似つかない人を、一瞬、その人だと思って目で追ってしまったり。 もしかしたら、そんなよそ見が原因の交通事故なんかもあるのではないかしら。ただ、その真相は誰にも言わないだけで。 朝の8時ごろ、駅に向かう人の群れは無言でまっすぐで急いでいる。その大きな流れは、目的が同じだが、全く親しみがない。 その流れに、一本の杭のように君が立ち止まる。 喧騒が消える。 ★ 人波に逆らって立つ君残し無声映画はカタカタ終わる
November 3, 2010
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疲れて帰ってくると、部屋が妙に広く感じることがありました。明りをつける前の、一瞬のことなんですが。 まあ、今住んでいる所は、とっても狭いので、問題ありませんけど。(笑) ★ ほの白くタオルは光る いつもより奥行き深き部屋の彼方に
November 2, 2010
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母の実家には、大きなお蔵(おくら)が二つあって、そこは私たちの格好の遊び場だった。夏でもひんやりとして、カビ臭くて、ぼんやりしただいだい色の電球がともっていた。階段は、黒い木で少しすべる。必ず、梯子を登るように両手をついて四つん這いで上り下りした。お蔵なので、二階は天井がなく、太いはりがわたっていて幼い目には、非常に高く見えた。窓は金網が張ってあって外開きの黒い観音開き、扉は30センチもありそうな黒い鉄だった。祖父が亡くなった時、お蔵は壊されて更地になったのだが、それが、思ったより狭くて驚いた。お蔵の中は、宇宙のように広かったのに、更地になったら、こんなものか。 うす暗い二階に続く階段を見上げる我は未知におびえて階下から見上げると、階段の向こうはいつだって未知の世界だった。だいぶ前に、そのことをテーマに詩を書いたけど、今回は、短歌にしてみた。ちょっと言葉足らず。★ うす暗いお蔵の二階を見上げれば階段は未知の世界に続く
November 2, 2010
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一向に下がらない円高や、大敗しそうなオバマ陣営や、金融緩和期待など、まあ、さまざまな要因で、株価が乱高下しています。これは、ドカンとやられた日のうた。こういう日もあります。ビイカーにドライアイスを放り込み いきなり気体になって消えた日ふだんは、ドライアイスの煙?湯気? なんていうのかな、白い気体が大好きで、スーパーでアイスクリームを買った時は、必ず、ドライアイスをもらって、水に入れる。それは、子供のころからの、楽しみなのです。本当は、そういう、ちょっとノスタルジックなうたを作りたかったんだけど、ま、いいか。たとえば、ビイカアにドライアイスをほおり込み いきなり気体になって消えたいと、すると、告白失敗って感じになる。玉砕っていうか。ならないかな。びいどろにドライアイスをそっと入れ いきなり気体になって消えようこれでどうかしら。でも、これだけでは、白い気体が見えないね。もう少し、推敲の余地あり。葡萄酒にドライアイスをそっと入れ 白い気体になってしまおう赤いぶどう酒に入れても、煙はやっぱり白いのだろうか。う~~ん、やっぱり、水に入れたいし。。
November 1, 2010
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昨日は、季節外れの台風で、日本には、四季がなくなった。と、識者は嘆くやら、警告を発するやら、不穏な雰囲気です。わたしはといえば、夕べ終電で帰ってくる娘が心配で、寝るわけにもいかず、かといって、テレビを見るのもなんだしね。そして、今朝、台風一過の朝日を期待していたのですが、残念ながら、どんより雲がいっぱいです。それなのに、心の中には、晴れた朝がイメージされて、うたが生まれました。★ 花々に色よみがえる朝の陽に君の秘密はしばし眠らせモノトーンの夜が明けて、待ち遠しかった朝になる。朝日に光る花々は、こんなにも鮮やかに浮き立ってみえる。家庭や、仕事や、昼間の私は忙しくて、好奇心にあふれ、スケジュールもいっぱい。昔の友達にも会いたいし、美術館にも行きたいね。でも、それは昼間の顔なのです。夜ともなれば、私は孤独。ひそやかな秘密を抱え、うつうつとする。しかし、朝日が昇れば、また、希望を持ち、生きている。それは、どちらも私自身ですが、お互いは、相手を理解できず、否定している。それでも、花は鮮やかに咲いている。どちらも本当なのだ。
October 31, 2010
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つたないうたを、読んでくださってありがとうございます。コメントを今、読ませていただいて、感激してしまいました。実は、叔母の告別式で、昨日・今日と、実家に帰っていたので、ブログを開くのが遅れました。うたは、最近、妙に出てくるのです。今更、恋の歌は恥ずかしいのですが、よく考えると、百人一首にしても、映画にしても、本にしても、私は、恋愛ものが好きなんです。自分が誰かをいつも恋していられたら、なんて、そんなずうずうしいことは言えませんが、恋のうたは、いくつになっても大好き。泣いたり、笑ったり、怒ったり。ずっと、素直に、感じていたいと思っています。で、恋のうたも、書いちゃえと。。。結婚してから、主人に悪いような気がして、作らなかったんですが、本当は作りたかったし、妄想してたし、楽しいのです。だって、恋は、一番本音が出るところだと思うしね。heren’sさん のブログ、やはり、とても素敵ですね。そして、静かな感じがうらやましいです。私は、どうも、平常心に欠けます。これからも、よろしくね。
October 30, 2010
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猫のひげよお前の誇りの先端が秋の日差しに光って揺れる
October 28, 2010
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寒くなると、空が青いね。空が青いと、つい、見入ってしまう。空はなんで青いのか。雲は、なんで浮かんでいるのか。そういうことを、最近、考えたことはありますか?おずおずと指からめても青空の雲はほどけてちぎれゆくらん話はまったく違うけど、「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」をWOWOWで見ました。あれは、すごい映画だったんだ。知らなかった。ブラピがよかった。姪の話によると、あの映画を好きな女の子は少ないそうだ。そして、男の子は、みな映画に共感しているんだとか。それは、つまり、男の子は、純情だってことかしら。久しぶりにいい映画だった。
October 27, 2010
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北海道では、雪が降ったとか。今年の夏は、異常に暑かったから、冬は反動か、余計に寒く感じるらしい。昔、鶏卵の会社をやっている人が、雪はおそろしいと言っていたのを思い出す。雪は、降る時に音がしないから、夜、ひそかに降る雪に、鶏が被害を受けるのだという。美しい雪は、怖ろしい一面を持っているのです。ギシギシと心が軋む 音もなく降り続く白い雪の重さにこの歌は、心が、とするか。心は、とするか、迷っている。
October 27, 2010
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「夜明け前が一番暗い。」これは、なんでも、株式の文言らしい。数か月も、下がり続ける相場。もう、これ以上持ちこたえられないわ。売っちゃおう。と、泣く泣くロスカットしたら、そこが文字通り底だったりするわけで、なんで、もう少し持っていなかったんだろう?売らなきゃよかった。と嘆くことは多々ある。このうたの彼女は、株のことを考えていたのかしら?それはわからないが、彼女にとって、今は、夜明け前の、一番暗いときなのです。明け前が一番昏いといふ君を広い背中で覆い隠さむ今が、辛いのです。もう少し、待てばよくなるかもしれないが、持ちこたえる自信がない。と嘆いている。その女を、男は、どうしてやることもできない。せめて、隠してしまおう。と、思う。いや、隠してあげようと、思った。ただ、そう思った夜明け前の一瞬のこと。
October 26, 2010
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