『驟雨』



この物語は主人公山村英夫が道子という娼婦に傾いていく気持ちとの葛藤を描いている。
今流行の淡々とした記述でもなく、かといって気持ちを全面に押し出すような表現の仕方はしていない。
印象としては谷崎潤一郎を男っぽくした感じか。
(って谷崎も男性なんだけど。。)

山村にとって娼婦とは裏表無くストレートに男女の交渉が持てる相手であった。
彼にとっては結婚は社会的通念、慣習によって生み出された偽りの男女関係でしかなかった。
それは彼の友人、古田五郎の政略結婚という形で暗に示されている。
娼婦との間の「好き」はうしろに結婚というものはなく、素直な「好き」だ。
少なくとも山村にとってはそうであった。

ところが、山村はだんだんと道子に惹かれていくことに焦燥感を覚え、道子の一言一言に敏感に反応していく自分に苛立つ。
「好き」ということばに嘘は無いが、ほかの客にも同じ事を道子は言っている。
徐々に独占欲や嫉妬という感情が山村の中に芽生え、やがて自分の手に負えなくなるであろうところで物語りは終わる。

道子は次に山村に会うまで「貞操」を守ると約束する。
娼婦の貞操。。。相反する言葉であるが、ここで関係は精神の領域にまで押し上げられる。
本来であればその領域での男女の関係こそ、山村の望んでいたものであろう。
しかし所詮、そんなことは奇麗事でしかないことに気づく。
相手を縛りたければ結婚しかない。
でもそうなると「言葉」に嘘が含まれる。。
結局、「結婚」を前提とした男女関係など欺瞞だと否定した自分も、こっち側の世界から抜け出すことなどできないのだ。
「娼婦」であることでしか、自分の道子に対しての気持ちを整理することができなった山村は、それがなんの拠り所にならないことに気持ちが揺さぶられる。
アカシヤの木から葉っぱが驟雨のように落ちていくさまは、一所懸命あっち側の世界へ行こうとしていた山村がこっち側へ落ちるさまとダブる。
所詮、人間同士の関係にニュートラルな価値基準を持ち込むことなど、それが男女関係ならなおさら難しい。
娼婦の世界にそれがあるとしながらも、それを求める男は所詮こっちから抜け出せはしないのだろう。

追記:
娼婦の立場で境界線を行き来する様を描いたのが、『原色の街』ではなかろうか。

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