『年の残り』



人が生きるのに理由が必要なのだろうか。
主人公の上原は病院の院長。
登場してくる友人も、英文学者であったり、大学の教授であったり、銀座の菓子屋の若旦那であったり。
所詮はブルジョワのたわごとなのかもしれない。
生きがいなんて、生きることそれ自体に疑問を抱けるような恵まれた人間にしか思うことなどできなしない。
いや、それは逆に恵まれていないのかもしれない。
生きがいを、生きている意味を見失ったとき、いともたやすく自分の命を断つ。

生きがいはエゴだ。
自分が生きている証としての投企の対象。
それがなくなれば生きる価値を失う。
それに気づけば生きていくことに耐えられなくなる。

「知的労働者は早く退役になる」


そんなブルジョアをあざ笑うかのように、かつての上原の見合いの相手は本能のままにのびのびと生きる。
その様子が彼女の姪の息子である後藤正也の日記につづられる。
そんな彼女も、上原も正也からすれば赤の他人。
彼の人生の中では二人とも脇役でしかない。
上原の生に対しての真摯な態度と、そんな上原も脇役でしかないという無常観。
物語の最後の正也の日記によるどんでん返しに、一気に物語が現実味を帯びてくる。

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