嫁様は魔女

嫁様は魔女

硝子窓(山口)



それもまさかの配属場所で僕は大いに驚いた。
おばあちゃんが、いっそ辞職してくれと泣き出したその配属先は、

捜査一課。

殺人や強盗の捜査を担当するそのセクションには
一筋縄ではいかなさそうな人ばかりがいて
僕のような若造なんて歯牙にも引っ掛けてもらえない空気があった。

その中で、僕の指導についてくれたのが船越さんだ。

20年前はきっと女性にモテただろうな、と感じさせる整った顔立ちと
ソフトな物腰は、この中にあっては紳士的と呼べると思う。

しかし過酷な捜査と残酷な歳月は、船越さんの眉間に深いしわを刻み
額の髪をごっそり奪い去って行っていた。

本当に残酷だ。

普段は温厚な人なんだが、いざ事件となるとその眉間の下の目が
何もかも見透かしているような無機質で冷たい迫力を持って光る。

そう言うのが刑事としての天賦の才なんだろうな、と僕は思う。

本人は嫌がっていると思うけど。

僕への指導にあたるときにも決して感情的になる事はない。
自分で考える時間やきっかけをくれて、その様子を冷静に分析している感じだ。

刑事として尊敬している。
その気持ちに一切の嘘はない。

だけど、今、僕には船越さんの考えていることが理解できないでいる。

21日に起きた通り魔事件。
犯人の松浦は現行犯逮捕されていて、自供もある。

充分な目撃証言も得られていてすぐにも送検できるような事件だと思うのに、
船越さんにはこの松浦の『自供』が納得できないらしい。

取り乱す事もなく淡々と自分のした事を話す容疑者。
その動機は本当に「え?」と思える些細な内容だった。

だけど現実、今の世の中。
なんでそんな位のことで、と言う動機での犯罪はどこにでも転がっている。

人を殺してみたかった。
自殺しようとしたけど自分だけ死ぬのはイヤだった。
スキーに行きたいから幼児を一人ほおっておいた。
付き合いたいと思っていたのに彼氏がいたから。

数え上げたらキリがない。

そしてあの松浦もそんなロクデナシの一人だ。

初めて自分で取り調べにあたったとき
船越さんの言う『人としての違和感』を感じたのは確かだけれど
多かれ少なかれ、こんな事件を引き起こすヤツは
どこか異質なのがあたりまえだと僕は思う。

それに、僕らがそう言う世代なのかも知れないけど・・・。

松浦みたいに世間からも自分自身からも一歩おいて『どーでもいい』感じで
ただそこに生きているだけってヤツは
それこそクラスに一人ずつは必ずいたように思う。

こう言うヤツは相手にも自分自身にも愛情や執着がない。
執着していないから目指すものもなけりゃ、向上心もない、意志そのものが薄いのだ。

『秘められた才能』が覚醒するまで、運命の導きなんかを待っている夢の中の住人。

そんな連中がイコール犯罪予備軍ってことはない。

ただ特別な違和感を感じるほど、珍しい存在でもないって事を僕は進言してみた。

だけど船越さんは僕の話なんかまったく耳に入っていなかったかのように
それこそ何度も何度も繰り返し、松浦の『動機』を知ろうとした。

取調べ、家宅捜索、聞き込み、被害者の人間関係。
トラブル、金、愛情のもつれ、委託殺人・・・・。

どんな方向からも松浦と清水貴信さんを結ぶ線は見つからないのに
それでも本人の言う動機だけでは納得できないと。

今も船越さんは調書と首っ引きだ。

僕はうーんと伸びをした課長にコーヒーを持っていく。

「おう、山口。気がきくじゃないか。」

「ちょっといいでしょうか?」

「あーん?女と金の相談なら責任もてないぞ。」

絶対あなたには聞きませんよ、と言う台詞は頭の中だけで置いておいた。

「松浦の件なんですが・・・どうしてあんなにこだわるんでしょうか。
 船越さんは。」

船越さんと対照的にパグのような丸い愛嬌のある顔をした課長は
器用に片方の眉毛だけをヒョイとあげて、からかうような目で僕を見ている。

「船越シンパのお前にしちゃあ、おかしな事をいいだすじゃないか。」

「おかしいですか?」

「大方、船越が松浦をさっさと送っちまわないのが気に入らないんだろう。」

「気に入らないと言うんじゃないんですが・・・。」

あくまで主観ですと前置きをして
松浦のような人種は、僕らの世代でもさほど珍しい存在ではない事。

そして、自分本位の安易な発想で非常識な行動に出ても
それがおかしいと理解できない精神構造の持ち主も中にはいると
課長に話してみた。

「つまりコレだ。」

ボールペンをくるくるとこめかみのあたりで回した課長は
「だから常識や理屈は通用しない、そんなもんだと割り切れって事か?」と
意地悪く僕に結論を押し付けてくる。

「ああ言う人種の論理を船越さんが理解できないと仰る気持ちはわかるのですが
 これだけ調べて何も出てこないのであれば
 本人の言う動機で納得するしかないんじゃないでしょうか?」

「お前も取り調べた時には、アイツはおかしい、変だって散々怒ってなかったか?」

「それは、実際に凶悪犯罪を犯した人間を目の当たりにすれば僕だって。
 それにあの時はまだ他の動機を隠している可能性もありましたし
 わざとそう言うキャラを演じているのかとも考えていましたから。」

「まぁ、こんだけ叩いて出てこないんならオレなら決め打ちするわな。」

やっぱり、と僕は膝を打ちたいような気持ちになった。

「そこなんです。僕にわからないのは。」

「ふふん、オレに言わせりゃあなぁ、船越は究極のロマンティストさ。
 刑事のクセに性善説を信じてやがる。」

性善説?ロマンティスト?
思いもよらない単語が出てきて、一瞬聞き間違えたと思った。

「性悪説ですよね?」

あれほど全ての人の言葉を疑い、
執念深く嘘を探すのは根本に人間性悪説があるからだろ?

「性善説さ、アイツは人が人をなんの理由もなく手にかけるはずがないと信じてる。
 凶行に及ぶには当人なりののっぴきならない何かがあるんだと。」

「それはそうでしょうけど。」

松浦にとっては、休日に車を洗って過ごす『普通の』存在こそが
自分に牙を向く『のっぴきならない』ものなんです。

「恐らくお前の言うように、松浦にソレ以上の動機なんてない。
 船越も最近のくだらん事件をあれこれ見てきて、頭ではわかっているはずだ。
 だけどアイツの中のロマンがそれを飲み込んでくれないんだろうよ。」

「いいんですか?」

このまま調べを続けても徒に時間と人員を浪費するだけのように思われた。
他にもやらないといけない捜査がそれこそ山のようにあると言うのに。

「期限いっぱいまではやらせておくさ。  
 アイツの粘りのお陰で『真相』がでてきたことも一度や二度じゃないし。
 いいかぁ、諦めは刑事にとっての敗北宣言だぞ。」

うんうん、と自分の言葉に満足してうなずいている課長に船越さんが声をかけてきた。

陰口ではないけれど、話題にしていたので僕はちょっと緊張してしまった。

その手にしている船越さん自作の『松浦年表』は何か思いつくたびに書き込んでいるせいで、
とても他人からは読めないシロモノになっている。

「課長、いいですか?」

「おう、なんか出たか?」

「学生時代、フリーターになってからも松浦の周囲ではもめごとが耐えなかったようです。
 内容は警察沙汰になるような大それた事ではなく、子供のケンカの延長の様な。」

「あのぶっ壊れたかーちゃんもしゃしゃり出ていそうだな。」

「母親は息子の事は『こころの風邪』なのに、病院に行こうとしなくて困っていると、話しているようですね。」

「あーん?精神鑑定かぁ?」

課長は苦虫を噛み潰した顔でウンザリとした声を出す。

ふん、と船越さんも鼻白むようすを見せる。

「トラブルメーカーと言うなら、今までの職場で被害者となんかあったのかと
 考えたくなるわな。それで?」

「本人に確認したり、これまで振り込まれた給与から職歴を作ってあたりましたが、全部網羅できていないでしょう。
ある日急に行きたくなくなって辞めたと言うようなところからは給料はでていないかもしれませんし、本人の記憶もかなり抜け落ちています。
面接に行っただけのところでも小さなトラブルを起こして不採用になった事もあるようですし・・・。」

「キリがないか。」

「清水夫妻に関わりが出そうなところは特に重点的に聞きこんでいるんですが。」

「しかしまぁ、そこで何も出てこないようなら。なぁ。」

「そうですね。納得せざるを得ないでしょう。
よし、山口。最後の粘りだ、頼むぞ。」

・・・・やっぱりそう簡単には諦めないんですね。

はいはい。わかってました。

諦めは敗北、砂漠に落とした砂金をさがすつもりで頑張ってみます。




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