★No002002 インフォメーション 磯釣りとの出会い

《釣りとの出逢い》
立山連峰

 郷里では子供等の遊び場は近所の雑木林か、近くを流れる黒部川。川釣りは幼い頃から川遊びの延長上で嗜んだ。
黒部川鮎釣りの解禁時期になると町の釣具屋で「年間 釣り鑑札」を常買い。小学校でも当時は買うことが出来たぐらい釣りは盛んだった。
自然遡上の鮎も沢山いるが、地元民や他府県からの太公望から徴収した釣り料金で得た資金を基に地元釣組合での漂流事業も行われてた。
夏場の泳ぎはプールや海ではなく、いつも川だし、釣りも川…それぐらい川は地元子等の身近な遊び場である。
中学に上がる頃から山菜採りに山に入る度に、沢支流で枝川を堰き止めアマメやイワナを捕る。そして渓流釣りに嵌る。


黒部渓谷

 上京してから近場にあるのは淀んだ隅田川、江戸川ぐらい。渓流釣りからは縁が遠くなる。
趣味は何? 中学時代は文科系は写真部、運動系はバトミントン部に所属。
しかし、高校ではどちらもなくて、運動系はテニス部に入るが…ラケットは似ても違いざるものと知り、半年で退部。以降…スポーツは観戦専門。
だが絵だけは兄等の影響で物心ついた頃から好きで、上京後も房総半島(外房 鵜原・守谷)へはスケッチに出かけていたが海釣りはしなかった。




 上京し勤めた国営企業。19歳の初配属先は日常メンテナンス業務と地方への技術支援のある職場であった。配属四年目(22歳)には業務PDCAも一人で行える様になる。
後輩も入って来たこともあり、夏期に青森本局(一ヶ月間)に続いて、冬期の長崎 対馬(一ヶ月間)への長期出張に行ったのが磯釣りに嵌る切欠になる。
アジア大陸が近い玄界灘に浮かぶ孤島対馬、厳原局(いずはら)にお世話になる。
こちらの職員の方々の趣味はお酒(焼酎)か海釣り。主産業は観光と漁業で島民の方は気さくで良い人ばかり。

酒は成人してから上司や先輩等にかなりしごかれるも下戸…。
投宿先は勤め先から徒歩5分の居酒屋の二階。ところが…就業後に職員等が一階の店に立ち寄り「東京の人、降りてきて飲もうや」 と毎日誘われる始末…
そんなある日。見るに見かねた宿の女将が勤めから戻ると釣り道具を貸してくれ、勧められるままに宿裏の磯場へ逃がしてくれた。
時間(宿の夕食)になると女将が呼びに来てくれ、獲物(メジナ、イサキ、鯵)だけバケツに入れて、道具はその場に置いたまま~ご帰還。
(ご当地は12月なのに日没が19時頃で、殆んど宿の私有地化しており道具は無くならない)



 怪我の功名で覚えた磯釣り…職員等に釣り好きな人と思われ、それじゃ釣りに来ないかと週末二日間は釣り三昧!
磯釣りと思って行ったら、美津島湾奥に面した 船着き場。
誘ってくれた職員宅のプライベート船着き場。水深10mはあるが透き通っていて底まで見える。
そこで初めて見たのが南洋オキアミと言う南極海域で獲れるエビ。長崎から定期船で仕入れ対馬離島で唯一ある餌屋で手に入る。
この南洋オキアミは岡海釣りでは 寄せ餌も付け餌にもこれ一つで賄える万能餌だと教えられる。

オキアミをパラパラ撒くと何処からともなく アジ、イサキ、メジナが集まり、ベタ底にはカサゴがいる。
魚の濃い釣り堀みたいなのに船着き場で釣りする人は珍しく見え…どこから? と職員親族に声掛けられる。
(地元職員等は自家用船を持っており、釣りと言えば湾内でイカ釣りらしい)


 この出張を切欠に磯釣りの世界で彷徨うことに…。
当時は都内(世田谷 等々力)在住で、近くの用賀東京インターから東名高速道路に乗り伊豆半島にも出掛けたが…
主に隣り第三京浜道路を利用し気軽に一時間半で行けるた三浦半島がHG(ホームグランド)だった。
右後方に富士山をバックに東京湾入口の景色は良いのだが…魚はまったく 『釣れない! 釣れない~! 釣れない~~!!』

その後、千葉 海浜地区に引っ越して、房総半島がHGとなり釣行回数も増え、釣果も
『時々 釣れる! また釣れる~! 釣れる~~!!』 の右肩上がり~
磯や堤防釣り場は外房勝浦から半島最南端まで隅々 巡り歩き、釣り手法もフカセ釣りから底物釣りまで手を出す様になる。

後日談~出張から戻り千葉 稲毛の馴染みの餌屋で聞くと…県内で寄せ餌は冷凍鰯ミンチか冷凍アミしか置いてないと言う・・・
そこで詳細を説明したら 仕入れ先に問い合わせてくれ、数か月後に1kgサイズの冷凍塊を取り寄せてもらった経緯がある。
当時、関東ではコマセ用冷凍オキアミは普及してない時代背景で それだけ西日本に比べて遅れていた。



 そんな初夏も近い1973年7月、偶にやる遠征釣りで石鯛狙いで静岡県 熱海市の沖合いに浮かぶ初島へ釣行した。
ここは世田谷に居た頃、三浦半島ではナカナカ釣れず、どうしてもメジナが釣りたい時にフェリーに乗り一泊泊まりで通ってた島。
初日釣行が終わった夜、宿のテラスで涼んでいると 流れ星の如く夜空を飛ぶ電気ウキ が目にとまった。

初島表堤防でイサキと言う初夏が旬の魚が釣れてるらしい。(対馬では昼間に釣ったので夜釣りがメインとは知らなかった)
日中は暑さのため釣り人は少ないが、陽が暮れる頃になると大変な賑わいになる。
電気ウキを投げることと、石鯛の仕掛けを投げることは、どこかストレス解消に共通している風に思えた。
波間に揺れる一点の電気ウキに当りがきて、大きな波紋ができるその様に興味をもった。



《適当な仕掛け》
 翌年の1974年7月まだ梅雨明けしてない頃。
千葉 房総半島の南に位置する洲崎灯台跡地磯へ釣り友 山崎 T男 氏と釣行した。

彼とは当時、同職場で休み時間は釣り談義~週末になると一緒に釣り歩く気心の知れた後輩でもあり盟友でもあった。
彼は後に翌年1975年冬季の房総半島 外房興津港東堤防の夕まず目に、風船ウキにコマセ籠と五本サビキを付けた
奇妙な投げ籠サビキ仕掛けなるもので良型鯵を大釣りした籠鯵釣りのパイオニアである。

当時これを見たフカセ釣り人等が直ぐに真似をして翌週からの岸壁は大賑わいになった。
今では鯵釣りで誰しもが知ってる「投げ籠サビキ仕掛け」は、彼が房総でのパイオニアであったことは知る者は少ない。


房総でもイサキは釣れる。しかしそれは船釣りで、各種釣り情報では岡から釣れると言う記事も話もは聞いたことがない。
彼も籠釣りは初めて。熱海で見たあの籠釣り仕掛けを話したところ興味を持ち、果たしてあの釣法が房総でも通用するか試してみようと言うことに…
見よう見真似で作った籠釣り仕掛けでの初釣果は45cmの黒鯛。残念ながらイサキは釣ることは出来なかった。
果たして釣り方が下手なのか、仕掛けが悪かったのか、それとも魚が居なかったのか…判断出来なかった。

翌週、場所を変えて もう少し潮の流れの緩い布良港(めら)に再挑戦した。



当時の仕掛けは…投げ竿4.5mにspリールを装着し
 a:道糸6号(テーパーライン6~8号)
 b:電気ウキ(サーフライトA 単三電池式)
 c:ミツカンヨリモドシ
 d:布網カゴ
 e:ハリス6号
 f:カイズ(orセイゴ)針14号
籠釣り仕様磯竿や小型両軸も持ってなかったので 投げ竿にSPリール…
何ともバランスの悪い仕掛けで飛ぶ距離も精々50m~
初島で見た仕掛けとは縁遠い大雑把な仕掛け(笑



 今では考えられない様な仕掛けでこんな良型が釣れた
何よりも嬉しかったのは、房総でも場所次第ではイサキが回遊することが解かったことである。

コマセは冷凍アミ、餌は岩イソメを使用して二人でイサキ四匹の釣果に大満足した。
当時、岡っぱり釣りでイサキを狙う釣人は誰もいない。
恐らく 房総半島で籠仕掛けで狙うイサキ釣りのパイオニア(先駆者) は自分等だったと思う。



布良港赤灯船道に電気ウキが飛び浮いてるのが珍しく、地元の人にはスズキを狙ってる様に見えたらしい。
時々 夕涼みがてら見にやって来て、定期的に仕掛けを上げてコマセを詰める様子を見てた。

やがて傍まで寄って来て不思議そうに見たこともない仕掛けをジロジロ・・・
「何!! コマセ袋を付けて スズキ釣りかい?」
「変わった釣り方してるなー」 なんて馬鹿にされ 笑われる。
でも、椅子代わりに腰掛けているクーラーBOXには、シッカリと本命のイサキが入ってる(知らんぷり~)
ところが間が悪いことに山崎氏のウキに当たりが来て、釣れたのがスズキじゃない良型イサキと解ると、
急に真顔になり…
「その仕掛けと電気ウキはどこに売ってる?」
「餌はなんだ?」「コマセはなんだ?」と煩いほど質問の嵐!!
当時、南房の釣具屋にはこうした籠釣り用大型サーフライト電気ウキや籠仕掛けは置かれてなかった。
翌週に布良港に行ったら 既にあの地元の人が竿を出していて、暫くすると知り合いとかが割って入って来て俄然賑やかになった。

地元常連釣人は二人だけ、この釣り場が知れ渡るまでの一ヶ月…大変良い思いをした。
外道も多彩で
・シマアジ(1kg級)
・黒鯛(2kg級)
・スズキ(メーター級)
・ヒラマサ(4kg級)
・本コチ(タナボケで…笑)
・メイチダイ(30cm級) 等々が釣れた。



《マナーは最低》
 本来、房総でのイサキ釣りは船釣りが常識であり、サンダル履きで行ける堤防で良型が釣れるとなれば、俄然、場所取り争いが激しくなる。
地元の利とかで昼早々に空クーラーBOXとバケツが置かれており、夕方に堤防に行くと空いてる場所すらない。
(当時の布良表突堤は改造前の小さな赤灯旧堤。釣りが出来るのは精々四人ぐらい)
やがて陽が落ち夕食を済ませた道具持ち主…コマセが効いてるかなぁ~なんて呟きながら登場~はぁ~?
その仲間等にはコマセ等持たないマナーの悪い地元釣人もいる~

赤灯で釣りをする前、始める前に赤灯下に捨てられてるゴミ拾いをし、集めたものは袋詰めし地区指定集積所に出してた。
ある日の釣行での出来事。この日も山崎氏同行、竿出し前に赤灯付け根に捨てられたごみ拾いをしていたら…
先に竿出してた奴が ”ほれ~これも序に捨てといて~”と自分が持ち込んだコマセが入っていた空ビニール袋を投げよこした。
それを見た自分は頭にきて ”自分のゴミは自分で持ち帰る様に!” 注意したら訛り口調で…
「ここはおら達の港だ。どうしようがおめえ等よそ者に文句言われる筋合いない!」「 嫌ならここに入るな!」 有り得ない馬鹿げた言い掛かり。

先般、自分等が仕掛け、釣り方を教えた地元俄か釣り人の仲間らしい。当人は仲間の暴挙を止めに入らず、バツが悪そう見て見ぬふりをしてた。
その輩、まさか自分等がのこの籠釣りの仕掛けや釣り方を教えた者とは知らぬ様だ。典型的な功罪の広がり見本事例である。
地元風を吹かし、さも自分等が前々からこの釣りを知ってたかの様な高慢な態度。人間の本性を見た気がした。


以降~布良港赤灯で竿出ししていない。そしてこうしたトラブルの多い岸壁釣りは避ける様になった。
その後、あちこちと釣り歩き、籠釣り3年目(1977年)から地元釣り人があまり入らない磯場を見つけ、そこをホームグランド釣り場にした。
南房の磯は浅いが潮通しは良く、夜半までやり 最高36匹(25~40cm) の自身数釣り記録を1983年8月に達成!

因みにその後、 『我が籠釣り発祥の聖地』 としている 布良港 は悲惨な末路を辿った・・・
迷惑駐車、船用具悪戯、海産物密漁、ゴミ放置等… で 今は 有刺鉄線、フェンスまで張り巡らされ釣り人は締め出され 現在も立入禁止 である。
一部の釣り人(俄か釣り人)のマナー違反が原因とされてるが…総て釣り人だけが悪いわけじゃない。ルール順守してた釣り人とって悔しい仕打ちである。



自身籠釣り元年スタートから手痛い目に遭い、これに懲りて 釣り場、仕掛け投入、コマセ振り出しpointや詳細所作等 は教えない と決めた。
勿論、顔見知りに聞かれればそれなりの返答はするが、 詳細は言わない! 特に グループ釣行する者 釣りクラブ所属する者 には 絶対!!
例え馴染みの人はマナーの良い人でも…その人の友達、はたまたその友達の友達…と口伝えに拡散し、最初に教わり友達にまた教えた本人さえも知らぬ間に情報が拡散する。ともすれば…マナー違反どころかルール無視する暴挙者も出るやも知れん。
一度広がったらもう元には戻らない。戻らぬものなら最初から広げないのが賢明な策であろう。

釣りノウハウとは・・・ 『人から聞き知るものでなはく、自分で知恵を絞り身につけるものである』
安易に人から教えてもらい 己がさも知ってたかの様に振る舞う者が多いのには呆れる。




《ブレない座右の銘》
 偶に顔見知りの人に・・・
”どうして皆と一緒に釣りしないのか?” と問われこともある。
夜釣りだからウキ灯りは同じでも、狙う魚により仕掛け等は全く異なることに気付かない愚問である。
居付き魚、回遊魚、地磯からではほぼ釣れない宝くじ的な魚等…狙いは様々である。
見た目は同じ夜釣りだが、 狙い魚により違う人と並んで釣りはしない と決めている管理人。
いちいち理由とか言い訳、アドバイス等を説明するのが面倒くさいのもある。


『釣りは 寂しさを感じずに 孤独を楽しめる 唯、ひとつの遊び』
   ”釣りは自分の世界で独りで楽しむもの”  ”結果も総て自分に跳ね返る遊びである”

現役時代に年いちでOB先輩等に声掛けして開催する「釣り同好会」の礼状を今は亡き大先輩 新美 利幸 氏から頂いた直筆の言葉…。
その一文の『釣り信条』に感銘を受けて、自分の座右の銘にし 大先輩の教えは胆に銘じて今も ”ブレ” ずに守り続けている。
そんな訳で偶然に出会った一期一会の人等には ”また次の機会にも楽しみましょう~” 深く考えもせず応えてるが…基本、独りが好きな釣り氏である。



《磯トンボのHN (ハンドルネーム) 由来》
 仕掛けは素材UPと技術進歩で現在は大きく変貌したが、やってる本人は昔と変わらない…。
変わったのは歳(経験年数)が増えただけで、釣果は減ってる次第です(笑

自然の中で得られるももの大きさに嬉しくて、相いも変わらず週末に房総に出掛けている。

潮騒の中で何気に見上げた夜空。
瞬く星が降る日は何時までも岩の上に居る、変な磯トンボです。

磯トンボの由来は、南房総の秋口(10~11月)の磯、上空で見られる赤トンボの群れ。

何千匹の数が風上に向かって静止してるかのように飛んでる。
その下の磯では~~~本日も当りの来ない底物師が一人。
ボケーッと岩の上で自分の世界に入っていた…言われの始まり(笑





こちらは元々は中国のことわざが発生源とされている有名な言葉です。

『一時間、幸せになりたかったら 酒を飲みなさい
 三日間、幸せになりたかったら 結婚しなさい
 八日間、幸せになりたかったら 豚を殺して食べなさい
 永遠に、幸せになりたかったら 釣りを覚えなさい』


 酒は…教育されたけど下戸のまんま~
 結婚は…バツイチの身で語る資格なし~
 豚は…生家が乳牛酪農家で殺してまで食べたことなし~
 釣りは…誰に教わるでなしに幼子時代から竿を握ってた。

やっぱ…これだな~生涯の友は。
兎にも角にも、釣り好きなとんぼです。





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