★No015022 What a beautiful memory





Zard 坂井泉水 What a beautiful memory




1991年

01 Good-bye My Loneliness
 (2月10日:作曲・織田哲郎/編曲・明石昌夫) オリコン最高9位
02 不思議ね…
 (6月25日:作曲・織田哲郎/編曲・明石昌夫) オリコン最高30位
03 もう探さない
 (11月6日:作曲・織田哲郎/編曲・明石昌夫) オリコン最高39位



1992年

04 眠れない夜を抱いて
 (8月5日:作曲・織田哲郎/編曲・明石昌夫+池田大介) オリコン最高8位【ZARD人気の下地を作った曲 】
05 IN MY ARMS TONIGHT
 (9月9日:作曲・春畑道哉/編曲・明石昌夫) オリコン最高9位





1993年

06 負けないで
 (1月27日:作曲・織田哲郎/編曲・葉山たけし) オリコン最高1位/ミリオン達成【自身最大の売り上げ枚数 】
07 君がいない
 (4月21日:作曲・栗林誠一郎/編曲・明石昌夫) オリコン最高2位
08 揺れる想い
 (5月19日:作曲・織田哲郎/編曲・明石昌夫) オリコン最高1位(2週)/ミリオン達成
09 果てしない夢を【ZYYG,REV,ZARD&WANDS featuring 長嶋茂雄名義】
 (6月9日) オリコン最高2位
10 もう少し あと少し…
 (9月4日:作曲・栗林誠一郎/編曲・明石昌夫) オリコン最高2位
11 きっと忘れない
 (11月3日:作曲・織田哲郎/編曲・明石昌夫) オリコン最高1位


1994年

12 この愛に泳ぎ疲れても/Boy
 (2月2日:『この愛に~』作曲・織田哲郎/編曲・明石昌夫/『Boy』作曲:栗林誠一郎/編曲:明石昌夫) オリコン最高1位
13 こんなにそばに居るのに
 (8月8日:作曲・栗林誠一郎/編曲・明石昌夫) オリコン最高1位
14 あなたを感じていたい
 (12月24日:作曲・織田哲郎/編曲・織田哲郎) オリコン最高2位


1995年

15 Just believe in love
 (2月1日:作曲・春畑道哉/編曲・葉山たけし) オリコン最高2位
16 愛が見えない
 (6月5日:作曲・小澤正澄/編曲・葉山たけし) オリコン最高2位
17 サヨナラは今もこの胸に居ます
 (8月28日:作曲・栗林誠一郎/編曲・葉山たけし) オリコン最高1位





1996年

18 マイ フレンド
 (1月8日:作曲・織田哲郎/編曲・葉山たけし) オリコン最高1位/ミリオン達成【自身最大のロングセラー 】
19 心を開いて
 (5月6日:作曲・織田哲郎/編曲・池田大介) オリコン最高1位


1997年

20 Don't you see!
 (1月6日:作曲・栗林誠一郎/編曲・葉山たけし) オリコン最高1位
21 君に逢いたくなったら…
 (2月26日:作曲・織田哲郎/編曲・葉山たけし) オリコン最高2位
22 風が通り抜ける街へ
 (7月2日:作曲・織田哲郎/編曲・徳永暁人) オリコン最高3位
23 永遠
 (8月20日:作曲・徳永暁人/編曲・徳永暁人) オリコン最高1位
24 My Baby Grand ~ぬくもりが欲しくて~
 (12月3日:作曲・織田哲郎/編曲・池田大介) オリコン最高3位


1998年

25 息もできない
 (3月4日:作曲・織田哲郎/編曲・葉山たけし) オリコン最高3位
26 運命のルーレット廻して
 (9月17日:作曲・栗林誠一郎/編曲・池田大介) オリコン最高1位
27 新しいドア ~冬のひまわり~
 (12月2日/作曲・北野正人/編曲・古井弘人) オリコン最高3位
28 GOOD DAY
 (12月2日:作曲・綿貫正顕/編曲・池田大介) オリコン最高2位


1999年

29 MIND GAMES
 (4月7日:作曲・綿貫正顕/編曲・綿貫正顕+古井弘人) オリコン最高1位
30 世界はきっと未来の中
 6月16日:作曲・岩井勇一郎/編曲・徳永暁人+古井弘人+シオジリケンジ) オリコン最高2位
31 痛いくらい君があふれているよ
 (9月15日:作曲・シオジリケンジ/編曲・シオジリケンジ) オリコン最高5位
32 Can't Take My Eyes Off Of You〈邦題:君の瞳に恋してる〉
 (9月15日) オリコン最高50位
33 この涙 星になれ☆
 (12月1日:作曲・岩井勇一郎/編曲・古井弘人) オリコン最高5位




2000年

34 Get U're Dream
 (9月6日:作曲・大野愛果/編曲・葉山たけし) オリコン最高4位
35 promised you
 (11月15日:作曲・栗林誠一郎/編曲・Cybersound) オリコン最高6位


2002年

36 さわやかな君の気持ち
 (5月22日:作曲・徳永暁人/編曲・徳永暁人) オリコン最高4位


2003年

37 明日を夢見て
 (4月9日:作曲・大野愛果/編曲・小林哲) オリコン最高4位
38 瞳閉じて
 (7月9日:作曲・大野愛果/編曲・徳永暁人) オリコン最高4位
39 もっと近くで君の横顔見ていたい
 (11月12日:作曲・大野愛果/編曲・池田大介) オリコン最高8位


2004年

40 かけがえのないもの
 (6月23日:作曲・大野愛果/編曲・小林哲) オリコン最高4位
41 今日はゆっくり話そう
 (11月24日:作曲・大野愛果/編曲・徳永暁人) オリコン最高5位


2005年

42 星のかがやきよ/夏を待つセイル(帆)のように
 (4月20日:作曲・大野愛果/編曲・葉山たけし) オリコン最高2位


2006年

43 悲しいほど貴方が好き/カラッといこう!
 (3月8日:作曲・大野愛果/編曲・葉山たけし) オリコン最高6位
44 ハートに火をつけて
 (5月10日:作曲・大野愛果/編曲・葉山たけし) オリコン最高10位














《追悼・坂井泉水 ZARDが愛され続けた理由》

 2007年5月27日、不慮の事故による脳挫傷のためZARDのボーカリスト、坂井泉水が死去した。
 ZARDがデビューしたのは1991年2月10日。そのみずみずしい歌声とサウンドで、ファーストシングル『Good-bye My Loneliness』が
 オリコンチャート初登場9位を獲得。それ以降、ミリオンヒットを記録した『負けないで』をはじめ、『揺れる想い』『マイ フレンド』
 『Don't you see!』『運命のルーレット廻して』、多数の楽曲でオリコン初登場1位を獲得。
 そのほか、代表曲と呼べる楽曲は名前を挙げ始めたらキリがないほどだ。
 生涯、開かれたコンサートはわずか12回。メディアではテレビ歌番組(Mステーション)に一度だけ出演し、流れたのみである。
 会員2万人を抱えるファンクラブ、今後も存続運営の方向で、要望に応えフイルムコンサートの予定があるという。

 ZARDの楽曲はどの曲も、いつ聴いても新鮮に響いてくる。
 それは、流行に左右されないサウンドや親しみのあるメロディーラインも大きな理由ではあるが、
 やはりバンドの中心となっていたボーカリスト坂井泉水の歌声が持つ優しさとぬくもり、そして透明感によるところが大きい。
 それに加えて、作詞家として生み出す歌詞が、年齢性別を問わず多くのリスナーに共感を与えたことも、ZARDの楽曲が広い層に
 愛されてきた理由だといえる。
 所属事務所は「いつまでもZARD作品が、皆様の心のなかに生き続けることを願っております」とのコメントを発表。
 勇気と感動をもらったものとしてそれを切に願い、心よりお悔やみ申しあげるとともに彼女の冥福を祈りたい。









《追悼・坂井泉水 ZARD 天国への旅立ち》

2007年5月30日、脳挫傷のため亡くなった人気ユニットZARDのボーカル坂井泉水(享年40)の葬儀・告別式が都内の斎場で営まれた。

出棺の際、ユリの花で飾られたクールなまなざしの坂井泉水の遺影は、両親が「最も輝いていた」と選んだ数少ない正面向きのもの。
髪を1つに束ねたすまし顔で視線を左にそらしたアーティスト写真。
位牌は喪主を務めた父親が大事そうに両手で持ち、遺影は母親が優しく胸に抱いた。
両親はじめ親族は終始うつむき、憔悴しきった様子。母親は棺が車内へ収められると、こらえきれずに肩を震わせ涙をこぼした。
突然の死を受け入れられないショックをうかがわせた。


戒名は「澄響幸輝信女(ちょうきょうこうきしんにょ)」。
「澄響」は総売上3621万枚と幅広い世代の支持を得た歌声をほうふつさせ、本名の蒲池幸子の「幸」の文字も入っていた。
霊柩車が火葬場へと出発する際、号泣する女性ファンが「いずみちゃん、ありがとう!!」と大声で呼びかけ、参列者の涙を誘う場面も。

惜しまれながら ZARD 坂井泉水は、静かに天国へ旅立っていった。 合掌。
=2007年5月31日=





《坂井泉水 ZARD 自殺の謎!》

5月27日に脳挫傷で急逝した人気音楽ユニット「ZARD」のボーカル、坂井泉水さん(享年40、本名・蒲池幸子)の死因にさまざまな憶測が飛び交っている。ある音楽関係者は「身辺整理をしていなかった。詞を書くなど、復帰に前向きだった」と自殺説を完全否定するが、入院先の病院関係者は「自殺しかあり得ない。病院側の管理責任が問われる」と明かす。滅多に表舞台へ姿を見せず、謎の多かった孤高のシンガーの最期は深い闇に包まれている。

 自殺と事故の両面で調べを進める警視庁によると、坂井さんは26日午前5時40分ごろ、東京・信濃町の慶応大学病院の駐車場で、頭から血を流してあおむけで倒れているところを通行人に発見された。坂井さんは病棟脇にある非常用スロープ(高さ約3メートル)から転落したとみられている。
 慶大病院の関係者は次のように明かす。

 「患者があれほどの早朝に、非常通路に出入りすることはない。しかも、雨が降る早朝に散歩することも不自然だ。自らの意思で乗り越えたとしか思えない。状況から考えて自殺ではないのか。病院関係者の多くがそうみている」

 坂井さんは現場となったスロープのある病棟の4階に入院していたが、病棟からスロープへは施錠してあるため、直接出入りはできないという。

 この関係者は続けて、「患者に自殺を許してしまった病院側に管理責任問題が問われる可能性もある」とも話す。

 警視庁の発表によれば、坂井さんが手すりを乗り越えた痕跡が見つかっており、「足を滑らせた」と発表した事務所側のコメントと大きく矛盾している。

 一方、音楽関係者は「遺書もなかったし、病室が整理された様子もまったくない。病室では詞を書き留めたり、秋ごろをめどに、ツアーやアルバム製作を予定するなど、復帰にはとても意欲的でした」と真っ向から自殺説を否定する。

 坂井さんは発見時、私服で病室のベッドにはパジャマが脱ぎ捨てられていた。さらに、坂井さんはファンクラブの最新の会報にも「体調は思わしくないが、頑張っている」と前向きなメッセージを寄せていたといい、生前、自殺の兆候がなかったことを物語る。

 乗り越えたとされる手すりは1階部分で、警視庁では「自殺で3メートルの高さは低すぎる」と漏らす捜査関係者もいる。坂井さんが手すりに腰掛け、誤って転落した可能性も含めて調べているが、目撃者もなく死因の断定には時間がかかりそうだ。
=『夕刊フジ』の記事より=




ここから自分だけの独り言です。読み流してください。
彼女の死は、やはり自殺だと思う。

本当は1階からではなく、

確実に死ねる

もっと高い所から落ちたものかも。



HPV(ヒトバビロマウィルス)子宮頸癌の手術後

癌が再発し肺に転移し再入院した4月には

元気な頃の体重43kgが30kgまでやせ細っていおり、

精密検査の結果『余命二ヶ月』と親族だけに伝えられた。

4階は病室側からは出られないけど、

一度1階まで下りてスロープから昇れる。




警察の発表では

「1階の手すりに乗り越えた痕跡」

ほんと?

金を使えば発表は…

有名人や政治家はそうだと聞いた。



ガンは肺に転移すると、歌手は本来の声量はなくなる。

転移とは癌細胞が血液中に出てしまった事を意味し、

脳等に転移する可能性も有る。



数年前に自分は…

胃癌から髄膜に転移し大切な身内を亡くした。

脳まで転移しては、手の施しようがない。



最初の関係者コメントを出したのは

事務所やレコード会社サイドで、

”事故”と言った。



自殺と事故ではイメージが全く違う。

家族への配慮?

自殺…それは自身の選択である。




利害関係者を除いて、他人に迷惑を掛けた訳でない。

本当は、遺書も有るのかも知れない。




憶測であり、他人がどうのこうの言うべきではない。

真実は…、

彼女自身と

残された家族だけが

知っていることである。









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