★No015029 名牝イクノディクタス


3歳の夏のデビューから4年余りの間に。
積み重ねた戦歴は51戦。
同厩の先輩、ミスタートウジンの99戦が
11年余りをかけてのものだったことを思うとき、
改めて彼女のタフさに感嘆させられる。

51戦中、9つの勝利。
その中にはG1はおろか、
G2も含まれていない。
G3が4勝馬がたどり着いた、
歴代賞金女王の座。

無事に走り続けることの偉大さを、
如実かつ痛烈に示す事実。
球界に衣笠あり、角界に青葉城あり。

そして競馬界にも、比して恥じぬタフネス、
イクノディクタスあり…。




自分が初めて地元の競馬場で彼女を見かけたのは、産経賞オールカマー(1992.09.20)の時であった。
パドックで見たその眼はウルウルと輝いていた。胸前と尻の筋肉は男勝りであった。
人気は4番人気で決して高くは無かったが、栗色のその走る姿に魅了した。
当時、中山芝2200mのコースレコードホルダーのオグリキャップの出したタイムを破る2分12秒1である。


そして8ヶ月の月日が流れ、彼女が走るたびに少しづつ応援するようになった。
G2やG3ではソコソコには上位に来るのだが、G1ともなると掲示板はおろか8着にも載らない事ばかり。
そして、彼女が再び東上して参加したのは第43回安田記念(G1)でした。





1993.05.16 安田記念は驚きの45戦目でした。
負けても負けても、機会ある事に彼女を馬券の買い目に入れてました。
この日もまったく人気はなく、単勝は全16頭中の14番人気です。
狙いは他の馬(7枠14番)でしたが、それでも彼女の目(3枠6番)を一点500円だけ付け加えました。


7歳と言う年齢は牝馬にとって既に繁殖入りしてもおかしくない年齢です。
14番人気は妥当な評価だったかもしれません。

常識破りの彼女は脚質転換で最後のひと殻を破ってみせました。
先行するこれまでのパターンを捨てて、道中は後方で死んだふり。
4コーナー13番手から、馬群を割って一気に追い込む。

ゴール前、横一線の2着争いからハナひとつ出て、9度目の挑戦で初のG1連対。
デビュー45戦目でついに歴代賞金女王の座に躍り出たのです。





永~い写真判定の結果、その2着の着差は…
 ハナ、頭、鼻
…と言うきわどいものでした。

彼女を追い続けて、初めて手にしたプレゼントは35万円弱。
当時は、 馬連までの発券しかなく、G1レースでは珍しい高額配当 になりました。
この時、記念に買った磯竿5号は、今では現役を退いて手元に置いてあります。


1993年5月16日 第43回安田記念






彼女もその後、宝塚記念G1で2着に連続して好走し、史上初の5億円賞金獲得牝馬になりました。
その時の1着馬メジロマックイーンは未来の亭主になったのも、一部のファンでは有名な話です。





その後、京都で1勝を上げ、1993年11月14日の東京で行われた富士ステークスを最後に現役を退きました。
直線では一度、先頭に立ったが押し寄せる後続馬に抜かれ、8着が最後の成績でした。

現在は北海道新冠にある「五丸農場」で余生をおくってるイクノディクタス。
初仔はシンボリルドルフとの間に男の子が出来たが、その後イクノディクタスの子供達が競馬場で結果を出せませんでした。
しかし、 いまだに彼女の誕生日には…リンゴを贈るファン が居るそうです。 【←誰でしょう f(^^;) 】
※誕生日1987.04.16生

未だに心に残る名牝の一頭です。






【イクノディクタスのデータ】
父ディクタス /母ダイナランディング
昭和62年4月16日~
【現在】
平成17年6月15日現在、北海道・新冠町の五丸農場でお母さん。
(「あの馬は今?」ガイド2005-2006(流星社)、より)
【代表産駒】
特にナシ

【主な親族】
特にナシ

【主な成績】():順位
平成2年:桜花賞(11)、オークス(9)、エリザベス女王杯(4)
平成3年:京阪杯(1)
平成4年:金鯱賞(7)、小倉記念(3)、オールカマー(1)、天皇賞秋(9)、マイルチャンピオンシップ(9)、ジャパンC(9)、有馬記念(7)、
平成5年:天皇賞春(9)、安田記念(2)、宝塚記念(2)、天皇賞秋(10)

生涯成績:51戦9勝 2着8回 3着5回 着外29回
生涯連対率:33.3%
走破距離:9万6300m
走破時計:97分37秒
総収得賞金:5億3112万4000円
タイトル:H4年度JRA賞・最優秀5歳以上牝馬
騎乗騎手
    村本善之:31回 西浦勝一:8回 松永昌博:4回 内田国夫:2回
    武    豊:2回  中舘英二:2回 田島信行:1回 安田隆行:1回



『女傑』、『鉄の女』
これが、彼女が現役時代にもらった異名です。
母ダイナライディングの3番仔としてこの世に生を受た彼女は、現役時代一度も故障することなく7歳まで走り続け、出走回数全51戦。そのうち重賞は4勝。G1レース出走11回。
ただ、無理に走らされたわけではないらしく、調教師さん曰く「休ませようと思ったけど本人が元気だったから走らせた」のだとか。
そして、その1戦1戦の積み重ねが「賞金女王」という称号を彼女にもたらしたのでした。
けして高額で購入されたわけではない馬が5億円以上を稼いだ…凄い!
彼女の名前は冠名のイクノに父の名前をくっつけたものです。
G1レースでは、平成5年の安田記念・宝塚記念の2着が最高でしたが、平成3年を除き、平成2年から引退するまでコンスタントにGIレースへ出走。
平成5年11月14日の富士S8着を最後に引退。新冠の五丸農場で母となりました。



『母として』
■『発情も全く見せなくて、あて馬を見せても寄りつかないし、最後に注射で一応呼んだ形で受胎させたんだ』(五丸農場場主 五丸忠雄/「黄金の母たち」より)
娘として優秀だった彼女も、今のところ、母としては特に目立った子供は出していません。
母としての彼女は愛情一杯に子供を育てるそうですが、決して過保護ではなく、子供の自立心を尊重する、現代の人間が見習わなければならない母のようです。

※彼女の初仔の父親であるメジロマックイーンですが、実は現役中、彼女が想いを寄せられていた相手だったとか。。。
マックイーンの厩務員が…
『レース前、イクノが出ているのを見つけると、マックがイクノばっかり気にしていて落ち着かない』
…と、こぼしてたそうです。

その恋人同士(マックの片思いだが)でゴールをしたことが一度ある。「宝塚記念」である。



『子供たち』
誕生日
H7.5.11   キソジクイーン   メジロマックイーン     元中央馬
H8.4.16   フユノシェクル    メジロライアン       中央→金沢抹消(H11.9.17のレース後)
H9.4.22   イクノハレスガタ   アルカング         -
H10.4.10   マジカルコマンド   シンボリルドルフ    中央→名古屋→佐賀抹消(H16.7.24のレース後)
H11      不受胎        -              -
H12      不受胎        -              -
H13.4.12   アンベリール   サクラローレル        元中央馬(H16.9.25のレース後抹消)
H14.3.26   シゲルアマゾネス  クロコルージュ      元中央馬(H17.4.9のレース後抹消)
H15.3.6                キャプテンスティーヴ   登録待ち
H16.2.29               アジュディケーティング  登録待ち
H17                 コロナドズクエスト      出産予定

参考資料
黄金の母たち―日本母馬列伝(小栗帽子・夏目書房)/追い込み馬50の蹄跡(ラジオたんぱ)/
サラブレッド怪物伝説平成版(市丸博司・廣済堂文庫)/週刊100名馬イクノディクタス/優駿2004年11月号たずね馬(中央PRセンター)







最近の様子→ イクノディクタスを訪ねて~新冠 五丸農場








昨年(2019年)の二月、静養地の北海道新冠の五丸農場で32年間の長きに亘る無事是名馬の生涯に幕を下ろしたことを・・・先頃 知った。

引退後、静養地で1995年にメジロマックイーンとの間に初産のキソジクイーン(牝) が中央ターフで走った。
名牡と名牝の子供は期待されたが、親達の様には活躍することはなかった。

その後、10頭の子等を出したが、やはり母馬の様な活躍はしなかった。

2009年から繁殖引退し、のんびり余生を過ごしていた。
現役を退いてからも一部の根強いファン達が牧場訪問をしたり、誕生日に大好きな林檎を贈ったりしていた。
G1勝ちもないのに人気がある牝馬であったと思う。


今でも心に残る自分には忘れ得ぬ名馬である。
三十二年間、
沢山の思い出をありがとう~




                      =2020.07.11up=







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