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2020年07月12日
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カテゴリ: 三百年ロマン
tonbo-anime.gif today diary



三百年ロマンの虜になった切欠のサラブレット
「イクノ
ディクタス」

昨年の二月、静養地の北海道新冠の
五丸農場で32年の長きに亘る無事是名馬の生涯に
幕を下ろしたことを・・・先頃 知った。


眼が大きくて栗毛のとても美しく牝馬だった。

引退後、静養地で1995年にメジロマックイーンとの間に
初産のキソジクイーン(牝) が中央ターフで走った。
名牡と名牝の子供は期待されたが、
親達の様には活躍することはなかった。

その後、10頭の子等を出したが
やはり母馬の様な活躍はしなかった。

2009年から繁殖引退し、のんびり余生を過ごしていた。
現役を退いてからも一部の根強いファン達が
牧場訪問をしたり、誕生日に大好きな林檎を贈ったりしていた。
G1勝ちもないのに人気がある牝馬であったと思う。













1993年5月16日 第43回安田記念

3歳の夏のデビューから4年余りの間に。
積み重ねた戦歴は51戦。
同厩の先輩、ミスタートウジンの99戦が
11年余りをかけてのものだったことを思うとき、
改めて彼女のタフさに感嘆させられる。

51戦中、9つの勝利。
その中にはG1はおろか、G2も含まれていない。
G3が4勝馬がたどり着いた歴代賞金女王の座。

無事に走り続けることの偉大さを如実かつ痛烈に示す事実。
球界に衣笠あり、角界に青葉城あり

そして、 競馬界 にも、比して恥じぬタフネス
イクノディクタスあり
と当時の競馬通は言ったものだ。



自分が初めて地元中山競馬場で彼女を見かけたのは、
産経賞オールカマー(1992.09.20)の時であった。
パドックで見たその眼はウルウルと輝いていた。
胸前と尻の筋肉は男勝りであった。
人気は4番人気で決して高くは無かったが、
栗色のその走る姿に魅了した。
当時、中山芝2200mのコースレコードホルダーの
オグリキャップの出したタイムを破る2分12秒1である。


八ヶ月過ぎ…彼女が走るたびに少しづつ応援し始めた。
だが、G2やG3ではソコソコには上位に来るのに
G1ともなると掲示板はおろか8着にも載らない事ばかり。

あれ以来、負けても負けても、
機会ある事に彼女を馬券の買い目に入れた。



そして、彼女が再び関西から東上して参加したのは、
1993年 第43回安田記念(G1) だった。
この時、出走した安田記念は驚きの 45戦目 だったこと。





この日もまったく人気はなく、
単勝は全16頭中の14番人気(109倍の万馬券)。
狙い本命軸(7枠14番)は他の馬だったが、
彼女の目(3枠6番)を一点500円だけ付け加えた。



7歳の牝馬、普通なら繁殖入りしてもおかしくない年齢だ。
流石に 14番人気 は妥当な評価だったかもしれない。




いつも先行脚質の彼女は、この時は脚質転換して
最後のひと殻を破ってみせた。
先行するこれまでのパターンを捨てて、道中は後方で死んだふり。
4コーナーでは13番手から、馬群を割って一気に追い込む。

ゴール前、横一線の2着争いからハナひとつ出て、
9度目の挑戦で初のG1連対。
デビュー45戦目でついに歴代賞金女王の座に躍り出たのである。








永~い写真判定の結果、二~五着までの着差は…
 二着06番、
三着07番(鼻差)、
四着04番(頭差)
五着15番(鼻差)

…と言うきわどいものだった。



当時の馬券は馬連しかない時代。
普通、買い目は番号の若い順位に購入シートに記入するが
自分は応援したい順番に書く(買う)拘り・・・
イクノディクタス(6番)を筆頭に買った。



1993.05.16 安田記念-01 (3)

彼女を追い続けて初めて手にしたプレゼントは・・・
35万円弱
当時の馬券は馬連までの発券しかなく、
G1レースでは珍しい高額配当になった。
(多分…当時の自分の給料近い額を頂いた気がする)



この時、記念に買った今では手に入らぬ

ベイシス極翔5-52
は、
デイクタスと共に現役を退いて
手元に大切に保管している。






彼女もその後、宝塚記念G1で2着に連続して好走し、
史上初の5億円賞金獲得牝馬になった。
その時の1着馬メジロマックイーンは未来の亭主になったのも、
一部のファンでは有名な話である。






今でも心に残る自分には忘れ得ぬ名馬である。
因みに今日、福島競馬場では恒例の 七夕賞 がある。
それに因んで笹の木の短冊に書こうかな・・・

2020.07.12 七夕賞-01
三十二年間、
沢山の思い出を
ありがとう~













五丸農場
所在地
新冠郡新冠町大富

生年月日;1987年04月16日
性別;毛色牝/栗毛
戦績国内;51戦9勝
総収得賞金531,124,000円
父;デイクタス(FR)

母父;ノーザンテースト(CAN)
生産者;高田 栄治 (浦河)
没年月日;2019年2月6日


2歳夏に小倉競馬場でデビュー。先行力を武器に新馬、フェニックス賞を連勝。3歳牝馬G1戦線はエリザベス女王杯(G1)4着が最高だったが、タフで使われながら力をつけた。4歳春の京阪杯(G3)で牡馬を相手に初重賞勝ちを飾ると、その後も中距離重賞戦線で活躍。重賞4勝のほか6歳春の安田記念(G1)でヤマニンゼファーの2着し、続く宝塚記念(G1)はメジロマックイーンの2着。コツコツ積み上げた賞金は5億3112万4000円にもなり、当時の歴代賞金女王となった。


血統解説

父ディクタスは1967年、仏国産。仏英18戦6勝。ジャック・ル・マロワ賞(G1)、エヴリ賞(G2)。主な産駒にサッカーボーイ(JRA最優秀2歳牡馬、マイルチャンピオンシップ(G1)、阪神3歳S(G1))、スクラムダイナ(JRA賞最優秀2歳牡馬、朝日杯3歳S(G1))、ザラタイア(オークトゥリー招待H(G1))、パリカラキ(アーリントンH(G1))。
母ダイナランディングは1980年生、白老産。1勝。産駒にエミノディクタス(4勝、もみじS、小倉3歳S(G3)2着、阪神3歳S(G3)4着)従兄弟ハセノトライアン(公営7勝、戸塚記念、全日本3歳優駿)近親マイネルレーニア(スワンS(G2))ジャガーメイル(目黒記念2着(G2))













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最終更新日  2021年08月27日 09時52分03秒
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