パクス・ジャポニカ Vol.2

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2012/09/11
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テーマ: 史跡めぐり(508)
企画倒れによる中断を案じながらも、「片葉の芦」・「落ち葉なしの椎」に続く本所七不思議は、すばり「馬鹿囃子」です。

そんな跡を探しに行く方がよほど馬鹿かも知れませんが、これと言った特定の場所もないのが悩みどころです。

そこで訪れたのが、馬鹿囃子を聞いたとされる 肥前平戸藩 松浦氏の下屋跡です。
本所七不思議馬鹿囃子 (500x372).jpg
グーグルアースの江戸時代(1680年)の古地図には、確かに「松浦肥前守」の文字が見えます。

ところで「落ち葉なしの椎」も、平戸藩松浦氏から分家した平戸新田藩松浦氏の江戸屋敷跡でした。
七不思議のうちの二つまで松浦氏が絡んでいるのも不思議な話です。

その平戸藩松浦氏の下屋敷跡は、本所中学校の敷地になっていました。
本所七不思議馬鹿ばやし (3) (500x375).jpg
ところでこの本所中学校のOBには、王貞治・いかりや長介・津本要が名を連ねています。



本所七不思議馬鹿囃子浮世絵 (324x500).jpg

考えてみれば、当時は世界一の人口を誇った大江戸とは言いながらも、現代とは違って木造平屋建ての広がる町割りです。
夏も冬も季節風の吹き方は現代以上だったと思われるので、風に乗ってお囃子が聞こえてきたとしても不思議ではありません。

夏の夜に、浦安の方からパレードの音が風に乗って深川で聞こえたとしても、さほど不思議ではないとは思いますが、江戸時代では大騒ぎだったのでしょうか。

ましてや、「 堀江猫実 でネズミとアヒルが行列を作って騒いでいる」などとなると、旗本が緊急招集されて総動員くらいの話かも知れません。


その馬鹿囃子を聞いた松浦氏も人を出して音の元を探ったそうですが、南割下で音源を失ってしまったそうです。
(現代の潜水艦風に言うならば「音源ロスト」でしょうか)


南割下は現在の両国から錦糸町の間にあった排水路で、その幅は広くてもせいぜい2間(3.6m)ほどの薄暗い水路だったようです。

他の本所七不思議も南割下付近に集中しているのですが、それだけ薄気味悪い場所だったことでしょう。

今回は本所七不思議を自転車で巡ったのですが、「馬鹿囃子」の松浦氏の下屋敷から南割下までは、自転車でもしんどい距離にあります。
よくも南割下まで追いかけたと思う反面、南割下でお囃子が消えたとなると、いくら主命とは言え、引き返したくなるのが心情かも知れません。





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最終更新日  2012/09/12 01:51:07 AM
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