でっかい独り言、内緒話に戯言三昧

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派遣社員 その3



 派遣先の大本は、鉄道広告を主にする広告代理店で、派遣先はその子会社で、ファックスを利用したサービス提供やDTPを行っていた。
 今でこそPC一人1台は当たり前だけど、当時PCを一人一台、それもMACなんで驚異的だった。
 それまで扱っていたPCと段違いのきれいさと、簡単さ、そして雑誌等の紙面が自由にPCで作ることができる驚き。私にとってMACはまさに無限大のパンドラの箱に見えた。
 そして丁度このころ、インターネットの商業利用が認められるようになった。

 それまでは学術的利用が主で、ネットショップや情報を提供するということは不可能とされていた。がしかし、商業利用が認められるということは、ネットの世界が一気に広がることを示していた。

 でもまだ、ダイアルアップが主で、パソコン通信とどこが違うんだ?という世界。一寸先がわからない世界だった。

 派遣先の上司は、コンピューター業界に長く、先見の明もあった。同時に心の機微にも富んだ人だった。これがのちのち、思わぬところで私に影響を及ぼした。

 さて、私の仕事としては、事務で、領収書の入力やその他雑務だった。見るもの聞くものすべてがはじめてのものばかりなので、合間合間にはいろいろと教えてもらった。
 入力方法をかなからローマ字入力にしたのもこのとき。PCの使い方も一通り教わり、個人で買うなんてとんでもない代物だった、フォトショップやイラストレーターなど、がんがんに使わせてもらえた。
 カラープリンタも個人保有するには高値の花だったのに、いいものがあった。とはいえ、今のようにすぐにプリントはできず、夜帰る時にセットしていって、朝、トラブルもなくできていたら上等!だったけど…

 当然のめりこみ、とうとう自分でも1台買うことにした。今でも忘れられないが、それほど高機能ではないマシン(今となっては、だけど)が「いつかはケリーバッグ!」と貯めていた金額とほぼ同等だった。
 子供の頃からの憧れだったケリーバッグ、それをあきらめて買った最初のPC。あきらめただけのことはあり、その後の私の仕事の観念そのものを変えていってしまった。

 事務仕事のほかに、ちょくちょく下請けもさせてもらえるようになった頃、親会社が子会社をすべて引き上げるという事件が起きた。社員さんたちは親会社に復帰という形になったのだが、派遣社員の私は契約そのものは親会社とだったために、「派遣社員を必要とする部署がなくなったために、契約打ち切り」しかも契約期間が残っているのに、突然打ち切られることになってしまった。
 これには派遣会社も猛抗議したのだが、派遣先の子会社の人たちも猛反発した。というのも、全員ばらばらの部署に配属されることになり、今までやってきたことがそこで断ち切られることになったのだ。
 納得できない面々は、時期をずらして退職し、新しい会社を立ち上げることになった。時期をずらして退職するため、事情もある程度わかり、連絡を取るとき、まわりにばれないような心配りができ、小さな事務所に常駐する人間がいるということで、新しい会社に誘われた。
 契約解除を受け入れ、すぐに新しい派遣先を紹介してくれようとしたのを断り、小さな会社を立ち上げる準備に入った。

 この子会社にいた間、本当にいろんなことをした。
PCの使い方はもちろん、ホームページの製作(HTMLを組んだり、企画を考えたり)の下請けをしたり、企画を立ち上げるために、ロールプレイングゲームを延々としていたり…
 自宅勤務(SOHO)の可能性を知ったのもこのときだった。(のちにそんな甘いもんじゃないというのは痛感したが)

 また、新しい会社を立ち上げた上司2人は、お子さんがいなかった。結婚後数年たっていた私が、その手の詮索にさらされることは全くなかったし、病気の家族を抱えてもいらしたので、母は発病後は、どんな無茶を言っても聞き届けてもらえた。
 妊娠中と看病中の私が仕事をする上で、「自分の仕事がこなせるならば、出勤日数にはこだわらない」というのは、本当にありがたかったし、無言のサポートは、事実上退職した後も続いた。

 人と仕事に出会えた職場だった。

(2006/07/11記)

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