らっぱ親父のひとり言

らっぱ親父のひとり言

●指導の限界や挫折



そこで生徒に「教則本を信じるな」という指導をしています。

「私を全面的に信用するな」とも教えます。

「どんな教則本(私の言うことも)でも、書いた人には真実でもあなたにあてはまる部分は少ないかもしれない」という説明に結構な時間をかけます。

唇も体格もマウスピースも楽器も違うのに同じやり方が通用するとは限りません。

体を使うものである以上、この方法が絶対などというものがある方がおかしいと思っています。

吹いて見せても音を出す部分の殆どが隠れていて見えません。

思った通り生徒が伸びず、何度も挫折してきました。

技術を教えるというのは、思った以上に難しいものです。



<<キラ太さん>>


たまくながおさんが「私を全面的に信用するな」と言っている理由と少し違うかもしれませんが、私はある程度まで上達した中学生には、「私の言うことが絶対ではない」と教えます。それと同時に「他の先生が言ってることも絶対ではない」とも教えます。
教えてくれる人、先生、講師、また教則本などは、すべてひとつの情報として扱うように言い、それらの情報を自分で取捨選択し、自分に合うものを見つけるようにいいます。音楽って先生によっておっしゃることが180度違ったりするので、音楽経験少ない子とかはどうしても混乱してしまうものですから。(2005/03/22 01:35:10 PM)



<<取捨選択できるようになるまでには。。 すなふきん大売出し中♪さん>>


ただ楽器をはじめてしばらくの間は取捨選択なんて考えられないでしょうね。ある程度経験を経てくると指導内容の中からできそうなもの、そうでないものの取捨選択が可能になると思います。

学生時代にビブラート奏法を指導受けた記憶がありましたが難しすぎてできませんでした。でも必死になってやって余計に???となり、その後全くやる気がなくなったことを思い出しました。

指導は難しいですよね。相手がどこまで理解できるのか?を探りながら、こうなって欲しいという目標にいかに導くか?

羊飼い(指導者)が牧羊犬(指導技術)を駆使して羊たち(生徒たち)を誘導するさまが思い浮かびました。(2005/03/22 09:51:39 PM)



<<技術を教えれるってすごい。 そたぱぱさん>>


同じく吹奏楽を指導している人間の発言では
ないのですが,私は技術をほとんど教えられません。

一つの角度としてしか捉えられない結論ですが,

中学生に教えられることはなんだろうか?
と考えたときに,わたしには教える技術が
ないことに気付きました。
数年間吹奏楽を指導してわかったことは,

上達をするのは生徒であるということ。
生徒が上達するということは,
教師の役目は,それを育ててやること。

教育という言葉がありますが,

教える・育むの2面があるとすれば,
私は後者のみになってしまいます。

生徒が後に自分で育つための種を植えてやる
ことであれば,なんだっていいのではとも
適当ながら思ってしまいます。


・・・と思いつつも,技術を教えなくては,
話にならない現実に直面していますが。(2005/03/22 11:46:00 PM)


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