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11月の始めの週末に、父の田舎である徳島へ旅行へ行きました。
この前に行ったのは私が高校生の時だったので、約20年ぶりです(;^_^A
小雨の降る中、両親と早朝に神戸を出発。
幻想的な明石海峡大橋(世界一の吊橋)を通って淡路島へ。
淡路SAにて朝食。ここにはドッグランがありますので遊ばせようと思いましたが、雨上がり直後で足元が悪かったのでお散歩のみ。
その後、美馬市脇町のペットホテルにタンタンとスノオを一泊預ける事にしました。
ちょっと可哀想でしたが、優しそうなオーナーさんでホッとしました。
二匹とも、( ̄◇ ̄;)エッ?って感じでキョトンとしてました。
ごめんね~。おりこうさんに待っててね。私って鬼。
それから、いよいよ三好市祖谷のかずら橋へ!!
年間30万人が訪れる観光スポットです。
平家の落人が、源氏の追っ手が攻めて来たらすぐに切り落とせるように、カズラのつるで作られた橋です。
私は前に渡ったことがあるのでそんなに怖くなかったですけど、高所恐怖症のダー様はかなり怖がっていました。( ̄m ̄〃)ぷぷっ!
足元はこんな感じ・・・。ZIPPEIよぉ渡ったなぁ~。
みんな結構キャー♪ o(>▽<*)(*>▽<)o キャー♪言ってました。
安全の為、3年に一度架け替えられて、ワイヤーで強化されているので、大丈夫だよん。
かずら橋ライブカメラはこちら→ 三好市観光サイト
お昼ごはんは、名物の【祖谷そば】と【でこまわし】(焼き味噌味の里芋・豆腐・蒟蒻)をいただきました。
それから、父の実家である平家屋敷・阿佐家へ。
どんどんと山道を登って行きます。
途中、阿佐家の墓の場所を見つけた父は、「ここや!!」と車から飛び降り、お墓のある所をピョンピョンと軽々と歩き回りまるで10歳の少年に戻っていました。
もちろん墓石の普通のお墓もあるのですが、高知県~徳島県の山地周辺に点在する、平家一門の隠れ里では明治に至るまで墓石がなく石に名前を書いて並べておく風習があったそうですが、これは戦時の伊勢平家一門の風習と合致する上、彼らが最後に移り住んだ場所である信憑性が高いとされています。
こういう石を積み上げただけのお墓がい~っぱいありました。それで、父はどれが誰のお墓か説明してくれました。さすがは末裔の一族です。
さて平家屋敷・阿佐家に到着。
阿佐家は、平清盛の弟の教盛(のりもり)の息子・ 国盛(平教経・ たいらののりつね ) が壇ノ浦の戦いを生き延び、阿佐氏を名乗ったのが始まりです。
父は教盛から数えて、25代目になるそうです。そういえば、父がお酒を飲んだらよく「桓武天皇第二の王子葛原親王九代の後裔、平教盛23代の末裔、阿佐幾太郎の・・・・」なんて詠っていたが、いつも聞き流していた。
阿佐幾太郎さんは私の曽祖父にあたる人です。
ってことは、私の先祖の兄が平清盛ってことか\(◎o◎)/!今になって改めて聞くとなんだか凄いかも。
阿佐家の歴史はこちら→ 武家家伝_阿佐氏
あれ~??かやぶきじゃなくなってる~~。何かさっぱりしちゃったね。
民家なので阿佐家の内部は一般公開はされず、外から見学するだけになっています。
父はこの家に16歳位まで、住んでいました。
下の写真は祖父である、高英(漢字が出ません・・・鍋蓋部分が天の高)さんの産まれた時に植えられた松。阿佐家のまん前にあります。
この家には今、父のいとこの奥さんと息子さんが住んでいます。
いとこの奥さんは92歳だそうですが、父のことを憶えていてしきりに「太ったなぁ~」と言っていました。
3年前に、手入れが大変なのでかやぶき屋根を止めたのよと教えてくれました。
20年前に来た時には、阿佐家所蔵の平家の赤旗を見せてもらえたのですが、今は見せてないそうで無理を言わない事にしました。
てことで、東祖谷歴史民族資料館へ行き、平家の赤旗(本物は阿佐家門外不出なので展示品はレプリカ)を見てきました。そうそう、こんなんやったわ。
系図やその他の古道具もありました。
祖谷の古里に先祖の物語を思い浮かべ、ロマンを感じるひと時を過ごしました。
それから、大歩危小歩危峡にて遊覧船に乗りました。
エメラルドグリーンの水面に、雄々しい岩。めっちゃ綺麗でした。
一日目はこれで宿へ行き、温泉に入り阿波踊りのショーを見たりしてゆっくりしました。
タンタンとスノオは大丈夫かな~??
眠れているかしら。と気にしつつ夜が更けていくのでした。
続きはまた今度。
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