11.ザ・バニーズ

寺内タケシとバニーズ


バニーズ


(文中敬称略)

エレキの神様、寺内タケシはブルージーンズで一世を風靡していた、しかしその神様も、病魔に襲われ(当初の病名は結核リンパ腺炎。しかし、誤診と判明。過密スケジュールの中での過労が原因と判り音楽関係者を安心させました)休業を余儀なくされた。

南房総の守屋海岸で療養生活を送る。療養生活中、何度か挫折しかかったこともあるという。
しかし、その間、全国の熱狂的なファンより温かい激励の手紙などに励まされ、健康を取り戻していった。
『そうだ、俺にはエレキしかない!!』、『自分で創ったエレキ・キダーだ』、『よし、早く身体を治し、俺の生涯をエレキに捧げよう!!』そう決意を固めた。
エレキの神様、寺内タケシの復活である。三途の川の手前から、不死鳥の如く蘇った。

病気完治後の、'66年にブルージーンズを脱退した寺内タケシが、結成したバンドがザ・バニーズである。寺内タケシの本拠地(横浜)に会社を設立(寺内企画)後、ビートルズ型のバンドをつくる為に、横浜のアマチュア・バンドからメンバーを選りすぐる作業に入る。

当時の横浜は、音楽に対する感性の鋭い街で、新しい音楽の発祥の地でもあった。
デンジャーズで活動していた、小野 肇、関東学院大学(寺内タケシの母校)でバンド活動していた、興石秀之、アメリカ留学より帰国したばかりの荻野達也、若大将の映画に出演していた東宝のニュー・フェース黒沢年男の弟の黒沢 博、スクール・メイツで活躍していて井上 正(尺八の法山流の名手)を召集した。

早速、寺内タケシらメンバー全員で、鎌倉の別荘で合宿生活に入る。
全員朝、5時起床、座禅後、海岸をランニング更に深夜まで続く猛特訓、いわゆる、スパルタ教育を数ヶ月間を行いメンバーを育成した。

加入直後の、井上 正はスリムな若者であったので、寺内タケシは足腰を鍛える為、井上 正に鉄下駄をはかせ、鶴岡八幡宮の石段を登らせたり、砂浜のランニングの賜物で熊のような、大男に変身させたのである。井上 正は、このくまのような風貌から、この後マーク(業界の逆さ読み)井上と呼ばれるようになる。

バンドの名前は、寺内タケシの干支に因んでバニーズと命名した。

メンバーは、寺内タケシ(Lg)、興石秀之(Rg)、黒沢 博(Sg)、小野 肇(Bg)、荻野達也(O)、井上 正(Ds)の6人。興石秀之、脱退後('67年5月)、鈴木義之(Rg)が参加。

'66年9月19日から29日までの10日間で、第一作のLP「バニーズ誕生!~レッツ・ゴー・寺内タケシ」を完成させ12月10日にリリースした。(担当プロデューサーは寺内タケシが、マウンテン・プレイボーイズからブルージーンズまで在籍していた時のレコードを手がけてきた名プロデューサーの本吉)

10月には、黒のバニーズ号(ツアー・バス)が完成する。

'66年12月1日セブンシーズより「テリーのテーマ(イントス/テスト・ドライバー(インスト)」でレコード・デビュー。

'67年2月より全国ツアーを開始する。ステージ構成は、第一部(ボーカル中心)、第二部(インスト中心)。
'67年5月、日劇ウエスタン・カニーバルを最後に、興石秀之(後の大石吾郎)が脱退その後任に、寺内企画に在籍していた数あるバンドの中から、鈴木義之(当時大学生)が選ばれ参加する。

それから間もなく、寺内タケシは、当時誰も演じてないクラシックの名曲を、エレキで演奏しようと決意する。
これを決意させたのは、'65年10月、栃木県足利市教育委員会が引き起こした、エレキ追放運動であった。
エレキ・ギーターが不良少年をつくるとい言動に対して、寺内タケシは激怒する。

これに端を発し、世論を巻き込んで、全国の学校でエレキ追放運動が起きた。
バニーズがツアーを各地で行う都度、大勢の高校生が楽屋に押しかけてきて、「寺内さん。僕たちは純粋に音楽が好きなんです。なぜ学校や親は聴くことも見ることも許してくれないのですか」、「会場の入場口に、教師がいて生徒手帳を取り上げるんです」などと嘆願するのだった
当時、中・高校生が生徒手帳を取り上げられ、会場の外に大勢いたという。

寺内タケシはすぐさま、教育委員会に赴き、「あなた方が望む好きな音楽とは?、良い音楽とは?」と尋ねると、「民謡とクラシック」という返答があったと云う。
その結果、誕生したのが、「正調寺内節」、「民謡お国めぐり」、「レッツ・ゴー運命」である。

「レッツ・ゴー運命」は業界に革命を起こし、金字塔を打ち立てて、レコード大賞編曲賞を受賞した。(当時は、歌謡曲中心で歌のないインスト・バンドが受賞したことに、多くのミュージシャン達に勇気と喜びと希望を与えた功績は素晴らしい、更に、この後も「エレキ民謡大百科」で企画賞も受賞している。)

この「運命」を最初に演奏したのは、ブルージーンズ時代で、池袋のジャズ喫茶『ドラム』である。
その後も、アレンジを重ね出来上がったのがバニーズの時であった。

「レッツ・ゴー運命」のアルバムが完成するやいなや、足利教育委員会、文部省とには学校関係者を呼び、レコードを聴かせ感想を求めた。
反応は、若い教師から直ぐ出た。
「素晴らしい!学校の視聴覚教室で早速、かけましょう」の声に先導され殆ど皆が賛同した。その声を聴いて寺内タケシは「あの時の、エレキ追放運動は何だったのだ!!」と叫んだと云う。しかし、誰も答えられず下を向いていた。

この後、寺内タケシは、手弁当で全国の高校を対象に始めたのがかの有名な、ハイスクール・コンサートである。これは、現在も続いている。(詳細は、改めてブルージーンズの項で。)

'75年10月に寺内は、バンド・リーダーを荻野達也に譲り荻野達也とバニーズとして活動し、以後ゲストとして寺内タケシが参加することになる。

バンド・リーダー変更後の第一弾として、「東京のサンセット/炎の恋」をセブンシーズより'73年9月20日にリリースする。
寺内タケシは、バニーズにゲスト出演しながら、新たな音楽の可能性を追求し始める。
ちょうどその頃、ブルージーンズ時代の名ドラマーの工藤文雄より「一緒に新たな音楽を創って行きたいので力を貸してください」と、頼まれレッド・ゾーン(その後、寺内企画の傘下に入る)と両面のサポートを続けることになる。

バニーズは、'69年頃になると、ボーカル中心のバンドに変革していき、インストを主張する寺内タケシと対立するようになる。
3月には会社の承諾なしに自分達で、仕事を取り始め活動をしている事が、発覚しバニーズの全員が失踪すると云う事件が起こる。
寺内は激怒し、全員を3月28日付けで解雇した。
この時、バニーズが2つ存在するという珍現象が起きたのである。

荻野達也らは'70年、東芝音楽工業に移籍しバニーズとして再デビューする。が、泣かず飛ばずでGSの衰退と共に解散する。
その後荻野達也は、荻野達也とフーリンカザンというバンドを結成する。

一方寺内タケシは、ブルージーンズ復活のプロジェクトをこの時点で立ち上げるのである。

バニーズはデビューから解散までに、次の19枚のシングル・レコードを発売した。

「テリーのテーマ(インスト)/テスト・ドライバー(インスト)」'66年12月1日発売、「帰らぬ誓い/ドリーム・イン・ジ・オーシャン」'66年12月20日発売、「勧進帳(インスト)/元禄花見踊り(インスト)」'67年3月1日発売、「レッツ・ゴー・シェイク/シェイクナンバー1」'67年3月20日発売、「ライジング・ギター(インスト)/サウス・ピース(インスト)」'67年5月20日発売、「悪魔のベイビー/ストップ」'67年8月1日発売、「運命(インスト)/未完成(インスト)」'67年10月1日発売、「愛のリメンバー/二人の噴水」'67年10月20日発売、「津軽じょんがら節(インスト)/黒い瞳(インスト)」'67年11月1日発売、「太陽野郎/ワールド・ボーイ」'67年11月20日発売、「フィード・バック・ギター(インスト)/思い出の星空(インスト)」'68年1月20日発売、「太陽の花/青春をかけて」'68年3月10日発売、「レッツ・ゴー・ブガルー/サマー・ブガルー」'68年5月20日発売、「東京のサンセット/炎の恋」'68年9月20日発売、「たそがれ/淋しそうな少女」'69年1月20日発売、「ウスクダラ(インスト)/黒い瞳(インスト)」'69年3月10日発売、「ブルー・スター(インスト)/アンチェインド・メロディー(インスト)」'69年5月1日発売、「金色のほほ/青春は甘く悲しく」'70年3月5日発売、「双子座の奇跡/運命」'70年10月5日発売、「悲しき雨音/思い出は涙だけ」'71年3月25日発売、「北風/アイ・ビリーヴ」'71年10月5日発売(「テリーのテーマ/テスト・ドライバー」から「勧進帳/元禄花見踊り」までは、キングより発売、以降全て、セブンシーズより発売)

バニーズは'01年12月28日に、浜松町/東京メルパーク・ホールにて「寺内タケシとブルージーンズ/青春のメツセージ~今宵 バニーズ復活!」で結成40周年記念コンサートを行った。
参加メンバーは、寺内タケシ、大石吾郎、鈴木義之、小野 肇、井上 正の5人。黒沢 博は風邪のため、荻野達也は渡米中のため欠席。第一部は、ブルージーンズが出演、バニーズは第二部の出演。
演奏した楽曲は、「テリーのテーマ」、「この胸のときめき~アンチェイン・マイ・ハート~テル・ミー~男が女を愛するとき」、「ビートルズ・メドレー」、「元禄花見踊り~佐渡おけさ~テスト・ドライバー~フライング・ギター~ピンと針~黒いカーネーション~フィード・バック・ギター」、「レッツ・ゴー・シェイク~太陽野郎~ワールド・ボーイ~悪魔のベビー~愛のリメンバー」、「テリーのテーマ」
第三部で再び、ブルージーンズが演奏し、アンコールでブルージーンズとバニーズが合体し一緒に演奏した。
アンコール時の楽曲は、「運命」、「津軽じょんがら節」、「青春へのメッセージ」
寺内タケシとバニーズ レコード・ジャケット集/



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