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さすらいの天才不良文学中年
名投手 史上最強のオーダー 黒田
日刊スポーツ広島版(前編・長谷川投手へのオマージュ)
カープファンにとって、また一時代が過ぎることとなった。あの不世出の名投手長谷川良平(元広島監督)が、肺炎のため鬼籍に入ったのである(7月29日。享年76歳)。
おいらが、幼少のみぎり、カープのピッチャーと言えば、長谷川、備前、大石であったような気がする。長谷川良平は半田(愛知県)出身にもかかわらず、何故か謎の広島弁を喋るRCCラジオ(中国放送)の名解説者でもあった。東京にいるとき、あの独特の長谷川節を聞くと、やっぱ、解説は長谷川良平しかないと思っていた。土屋五郎の名解説もはずせないが。
その長谷川良平である。生涯成績197勝208敗。防御率2.65。背番号18。身長167センチ。右投げサイドスロー。シュートが武器であった。
おいらが小学生のころのメンコで、ピッチャーの王者は長谷川だった。因みにジャイアンツは藤田、タイガースは村山、国鉄(現ヤクルト)は金田と覚えている。長谷川は、あの大投手金田を抑えて昭和30年には最多勝利投手(30勝)にまでなっている。広島の監督には、昭和40年シーズン途中から白石監督の後をついで5位の成績を残し、以降、4位・6位であった。なお、広島カープが3位になるのは、翌43年の根本監督時代が初めてである。それまでカープがAクラスになることなどは決してなかったのだ。したがって、長谷川監督が4位の成績を残したのは立派と言って良い。
ところで、長谷川で不思議だったのは、後3勝だけすれば名球会入りが出来たのに、それをせずに引退したことである。恐らく当時は名球会がまだ存在していなかったか、名球会の価値が今ほどなかった時代かも知れないと思い調べてみたら、名球会の発足は昭和53年であった。なるほど、これでは止むを得ない。
しかし、長谷川投手の実力は誰もが認めるところで、2001年に金田大投手から推薦を受けて、野球人の憧れである野球殿堂入りを果たしている。それはそうだろう、金田と一緒で、あの弱い広島カープにいて、197勝も挙げているのだ(金田は国鉄、巨人で400勝)。長谷川以外が投げているときのカープはほとんど負けなのだ。何しろカープは点が取れない。長谷川は「俺が投げているときは、カープは相手と対等だ」と思って投げたという。また、金田投手と長谷川投手の投げ合いは名勝負として残っているという。脱帽である。
長谷川投手に乾杯!!
日刊スポーツ広島版(後編・あっと驚く地方版)
さて、その長谷川良平が29日に逝去して、ブラウン監督が同日、2度目の退場となった。カープにしてみれば、弔い合戦である。弔い合戦は、勝たねばならない。幸い6対3で完勝し、翌日の広島駅スタンドを見ると、日刊スポーツ(朝日新聞系)1面トップは「長谷川良平元監督死去、広島弔い星」とあるではないか。あの全国紙の日刊スポーツである。デイリー・スポーツ中国版ではない。しかも、ブラウン監督退場である。
迷わず、横浜への帰りの新幹線での楽しみにと買い求める。そうか、流石に広島で読むスポーツ新聞は地元を弁えていると思ったのは、ほんの一瞬であった。何と開けて読んでみると、1面と地方版の15面だけが広島カープ関連記事なのであった。羊頭狗肉である。
うーん、騙された。つまり、種を明かせば、日刊スポーツは1面のみを地元優先の記事とし、全国版の一部と地方版の記事を関連記事としてお茶を濁しているのだ。他紙も、多かれ少なかれこれと似たりよったりではなかろうか(他の地区、例えば東北楽天も同じではないか)。
これでは、中国新聞の方がまだカープ関連記事が多い。何せ、中国新聞は、社会面でも長谷川良平を取り上げるほどである。
しかし、そうは言っても、日刊スポーツ記事の中身は濃い。長谷川良平がカープの勝ち星32勝の半分以上の17勝を挙げた昭和26年、この年のカープが勝率3割を切ったら球団はお取り潰し(強制解散)という危機を長谷川が救ったとある。しかも、この年のオフ、長谷川の地元である中日ドラゴンズがこの長谷川を引き抜こうとして「長谷川問題」事件が噴出し、最後は、コミッショナー裁定で広島に残留したというのだ。流石に、これは知らなかった。ドラゴンズが宿敵というのは、どうやら今に始まったことではないようだ。また、長谷川は中日のコーチも勤めていたことがあるのだ。日刊スポーツよ、貴重な情報、有難う。
長谷川良平はすごかった(前篇)
16年7月5日(火)、広島カープはとうとう2位に10.5ゲーム差とした。
過去2回あった「10ゲーム差以上」では両方ともカープが優勝している。だからという訳ではないが、いよいよ25年振りのカープ優勝も見えてきたように思う。
嬉しい話しはそれだけではない。新井が今春、2千本安打を達成した。黒田も200勝達成まで「あと1」となり、この偉業達成も早ければ本日のことである。
200勝と云えば思い出すのが、長谷川良平である。カープ草創期に通算197勝を挙げた大投手である。
おいらは小学校低学年のころ、打っては大和田、投げては長谷川の大ファンだった。
長谷川良平、愛知県半田市出身。身長167センチの小柄な体からサイドスローで跳ね上がるような投球フォームから威力のあるストレートとカミソリシュートを投げた(写真上)。
このカミソリシュートの威力が抜群で、長谷川の投球を受けた捕手は左手の人差し指にいくつもひびが入ったという。
どうでもいいことだが、カープでは長谷川の後に太田垣(備前)喜夫、安仁屋宗八、外木場義郎、北別府学、佐々岡真司、大瀬良大地と漢字三文字姓の投手が活躍する。だから、カープでは今でも「三文字エース伝説」が生きているのである。
さて、長谷川良平を一言で云い表せば、カープの金田正一である。金田が弱小球団国鉄スワローズのエースであったように長谷川は同じく超弱小球団カープの中で一人奮戦したのである。
実際、入団初年から8年連続の二桁勝利を記録しているが、この間、チーム全体の勝ち星の半数近く(4割以上)を彼一人で挙げている。驚くべきである。
長谷川は金田同様、私生活では健康面や身体の手入れを最重要視した。右肩を大事にし、列車の座席では必ず左肩の方を窓際に寄せた。寝る時は右肩に布を当てて冷えるのを防いだ。また、どんなに暑い夜でも扇風機は勿論、窓を開けて寝ることを禁じた。同部屋の選手が暑さにたまりかねても長谷川は一人寝入っていたという。
酒も一滴も飲まなかった。貧しい実家に送金する必要から余分な出費を嫌い、酒席は極力避けた。彼自身も、負けても遊びに行ったり麻雀をするばかりで練習しない同僚には我慢できなかったのである。
だから、チームメイトと軋轢を生み、特に酒豪の武智修にはよくいじめられ、わざとエラーされたり村八分にされたという。
当時かわいがってもらっていた力道山が同席していても頑なに酒を拒み、そのうち力道山も理解したのか酒を勧めなくなったと云われる。
金田も長谷川同様にストイックな私生活を送っていたことは有名だが(金田のストイックな生活は筋金入りである)、長谷川良平もそうだとは知らなかった。長谷川良平、プロである。
その金田は長谷川の親友であった。大男で正統派左腕の金田と小柄でサイドスロー右腕の長谷川という対照的な両エースは同じ愛知県出身、弱小球団の屋台骨を支える両エースという点も同じで二人には共通するものがあったのである(この項続く)。
長谷川良平はすごかった(中篇)
昨日、黒田は200勝がお預けになったが、それでも日米通算200勝の達成は時間の問題である。黒田にとって、200勝は通過点に過ぎない。
さて、長谷川良平は昭和38年に現役を引退した。14年間のプロ生活であった。通算197勝。
なお、この197勝は、北別府学に抜かれるまでは球団記録であった(北別府は213勝あげている)。
では、なぜ長谷川は200勝を目指さなかったのか。
これには、当時、200勝を挙げれば名球会と云う基準がなかったからであろう。名球会の発足は昭和53年であった。
しかし、長谷川にとっては「数字は単なる記録、そして思い出にしか過ぎなかった」。「今日は絶対に打たれないという自信を持って投げた勝ちは20か30しかない。自信がなくても勝ったゲーム、負けると思ったのに結果として勝ったゲーム。これらの勝ちは反省材料にしか過ぎなかった」というプロの自負がある。
長谷川にとって、伝家の宝刀であるカミソリシュートの切れ味が落ちれば、未練がましく現役にこだわる理由はなかったのである。こういうのを男の美学と云うのである。
ところで、長谷川の引退後でおいらがよく覚えているのはRCC(中国放送)のラジオ解説である。この解説は良かったねぇ。
先日、述べた安仁屋同様、謎の広島弁を喋るのである。安仁屋の広島弁もデフォルメされているが、長谷川良平の広島弁は独特になまっているのである。
しかし、おいらは長谷川が愛知県出身ということでその謎が解けたのである。あの不思議な広島弁は、名古屋弁とのミックスだったのである。
おいらは名古屋が嫌いではない。独自の名古屋文化には味がある。名古屋文化は偏っているように見えるが、今や時代の最先端でもある。その名古屋文化の基盤にあるのが名古屋弁と中華思想である。考えてみれば、広島文化の基盤も同様にあの広島弁と中華思想である。「仁義なき戦い」はその典型である。
そうしてみると、長谷川良平の謎の広島弁は広島と名古屋の中華思想がミックスし、言葉もアウフヘーベンしてあの名解説になったことが分かるのである。何のこっちゃ。だけどねぇ、味があったねぇ、あの解説を東京で聞くと涙が出たよねぇ(この項続く)。
長谷川良平はすごかった(後篇)
その長谷川は現役引退後も長い間、ユニフォームを着ている。
カープの第4代目監督に就任したのである(石本、白石、門前、白石に次ぐ)。
引退翌年から広島の一軍投手コーチに就任し、昭和40年の途中から白石勝巳監督の後を受けて監督を務めている(5位の成績)。
41年には初代監督の石本秀一をヘッドコーチに招聘し、補強に頼らない「戦力の2割アップ」を掲げ、緻密な野球を目指した。
実際、この年は5月に3週間首位に立ち、翌6月にも再び首位に返り咲く。だが、層が薄いので主力打者が故障するとたちまち連敗が重なり、結局4位でシーズンを終えた。
翌年は近鉄から根本陸夫を参謀役に招いたが(写真下は長谷川監督と根本陸夫)、出足からつまずき6月中旬から最下位に定着する。そのままずるずるとシーズン終了し、同年に退任した。
結局、長谷川の成績は、5位、4位、6位であった。なお、広島カープが3位になるのは、長谷川の後任である翌43年の根本監督時代が初めてである。
それまでカープがAクラスになることなどは決してなかったのだ。したがって、長谷川監督が4位の成績を残したのは立派である。
しかも、長谷川は自分の持てる技術を安仁屋宗八や外木場義郎らに伝えたのである。後の広島を支える原動力を造ったのは長谷川である。
その後は地元、中日の一軍投手コーチ(43年)、二軍投手コーチ(44年~50年)を歴任。杉下茂や水原茂監督の下、近藤貞雄コーチと共に小川健太郎、星野仙一らの若手を指導した。
そして、再び48年には広島の一軍投手コーチ、翌49年にはヘッドコーチを務める。
その後、50年からRCC解説者として活躍したことは前回のブログのとおりである。また、同時に日刊スポーツの評論家としても長きに渡って活躍した。
平成13年に野球殿堂入り、18年に肺炎のため没した(享年76歳)。
こうしてみると、長谷川はカープ中興の祖だったということが分かるのである。長谷川良平、あなたは偉かった(この項終り)。
津田恒美というピッチャー
津田恒美というピッチャーがいた。
カープ全盛期のころである。抑えのエースとして活躍した伝説の名投手である。プロ実働10年間(32歳で夭折)で49勝41敗90セーブという素晴らしい成績を残した。93年脳腫瘍で他界。
“炎のストッパー”と呼ばれた津田は、古葉監督時代である82年に広島へドラフト1位で入団。先発投手として11勝6敗の成績を残し、カープ球団初の新人王となる。
その後、中指の血行障害から投げられなくなるが、86年には抑え投手として復活、カムバック賞を受賞。チーム5度目の優勝に大きく貢献したのが津田であった。
88年には故障が続き、リリーフ失敗を繰り返すなど9敗を喫し、一時は「サヨナラの津田」と酷評される。しかし、翌年、12勝5敗28セーブという活躍によって最優秀救援投手受賞、津田は不死鳥の如く復活するのである。
得意の剛速球で、バットにしか当てていないのに手首を骨折させた巨人の原との勝負や、全投球とも渾身の直球で三振に打ち取った阪神のバースとの勝負は、いまでも名勝負と語り草となっている。
「弱気は最大の敵」という名言を残したが、津田と云えば、あの感動的な始球式を忘れてはならない。
津田が亡くなって3カ月後、親友だった森脇浩司(近鉄-広島-南海)のはからいで、長男の大毅さん(当時4歳)が津田の背番号14のユニホームを着て、福岡ドームの始球式のマウンドに立ったのだ。
あれから15年が経過、大毅さんは熊本の九州学院高を卒業後、九州の私立大に進学し、投手兼外野手として野球を続けていた。その大毅さんが古葉氏の東京国際大監督就任の話を聞き、昨秋東京国際大の編入試験を受け、見事合格したのだ。津田親子は、二代に渡り古葉監督の指導を受けることになったのである。
東京国際大は「東京新大学野球連盟」(平成19年秋一部リーグの成績。優勝・流通経済大、2位・創価大、3位・東京国際大、4位・共栄大、5位・東京学芸大、6位・杏林大の順)に所属し、神宮での「全日本大学選手権」出場に向け、頑張っている。
古葉監督と津田大毅さんの活躍を期待せずにはいられない。
史上最強のオーダー
今年も野球が始まる。
春は1年の内で、スポーツにとって一番の楽しみである。何度も云うが、今年こそはカープが優勝するかも知れないと淡い期待を抱かせるからである。
さて、少々話しは古いが、昨年末(12月12日)の「すぽると」(フジテレビ系スポーツニュース)で「発表!野村克也の最強オーダー」というのがあった。
録画していなかったので、慌てて、その最強オーダーをメモに取った。
<歴代編>
1番ライト イチロー
2番センター 福本
3番ファースト 王
4番サード 長嶋
5番レフト 張本
6番キャッチャー 野村
7番セカンド 高木
8番ショート 広岡
9番ピッチャー 金田(ストッパー江夏)
流石に唸るオーダーである。現役のイチローが入るところが凄いが、自分を入れるところも野村流である。名キャッチャーは、森、梨田、古田を始めとして数多いる。
ところで、野村克也はこのオーダーにどうしても後数人を入れたいとして、ファースト(サード)に落合博満(三冠王)、ショートに吉田義男(阪神タイガース)か木塚忠助(南海ホークス)の名前を挙げていた。
おいらは、木塚の名前を知らなかったので、ウィキペディアで名前を探すと、名ショートとされていた。昔の名人で名前が出るのだから本物だったのだろう。
<現役編>
1番センター 青木(ヤクルト)
2番セカンド 片岡(西武)
3番ライト イチロー(マリナーズ)
4番ファースト 松井(エンジェルス)
5番レフト 松中(ソフトバンク)
6番キャッチャー 城島(阪神)
7番サード 小笠原(巨人)
8番ショート 中島(西武)
9番ピッチャー ダルビッシュ(日本ハム)
これも夢のオーダーだねぇ。WBCのオーダーとして文句なしと考えられるだろう。面白いのは、キャッチャーに城島を起用しているところである。
野村さんも芸が細かいのぉ~。
栗原健太選手を目撃する(広島帰省編余話)
広島の母を遠距離介護して、昨日横浜へ帰った。
今回は時間のやりくりをして、帰路、京都へ立ち寄った。広島を朝出て、昼前に京都に到着すれば、半日は京都を愉しめる計算である。
ところで、広島への帰省と云えば、前回は10月ポルトガル訪問の直後であったので、広島帰省のことはこのブログへの書き込みを割愛していた。
そのときのトピックスをお話しすると、広島への帰路、ポイントが溜まったのでおいらはグリーン車を利用したのである。
10月10日(月)、新幹線(のぞみ3号博多行き)のグリーン車(8号車)はガラガラであったが、何と、広島東洋カープの栗原健太選手が同乗していたのである。
黒の背広上下で、ネクタイはピンク。靴は流行のとんがり系でおしゃれである。体格が良く、背が高い。やはり、スターである。オーラがある。
記憶をたどれば、前日は神宮球場のスワローズ戦であり、カープは4対3でサヨナラ敗けをしている。
当日はマツダスタジアムでの試合のため、ナイトゲームに間に合うように新幹線に乗車したのであろう。他の選手の帯同がないので(カープの選手の移動は、飛行機が多い)、栗原選手だけは何か用事があって新幹線に乗車したのかも知れない。
その栗原選手と一緒に広島駅でのぞみ号を下車したのだが(おいらは栗原さんの後ろを歩いた)、驚いたのは、下車したホームで既に栗原選手のファンがカープのユニフォーム(もちろん栗原さんの背番号)とサイン用のマジックペンを持って待ち構えているのである。
不思議だと思ったことは、何故、栗原選手が乗車していることがこのファンには分かったんだろう。
ともあれ、ファンが「お願いします」と云ったら、栗原選手は無言でサラサラとサインを書いたのである。
いやはやこれは人気者であるための税金か。これでは「選手は、たまらないのぅ」と思う。
栗原選手の後ろをおいらは歩いているので、下りのエスカレータ-でもおいらは栗原選手のすぐ後ろに立つ。
すると、エスカレーターを駆け下りてきた野球小僧が色紙とサインペンを栗原選手の前に差し出した。ここでも栗原選手は無言でサインをする。
う~む。そっとしてやれないものだろうか。
コンコースに降りると、栗原選手を見付けた女学生二人がサインしてくださいと近寄るが、栗原選手はゴメンと云いたそうな表情で北口の出口に足早に歩いていった。売店のおばさんが「栗原よ~」と騒いでいる。
そのままタクシーを拾ってマツダスタジアムに行くのだろう。栗原選手は、あっという間に視界から消えてしまった。
さて、おいらが妙に覚えているのは、栗原選手がエスカレーターを降りながら、右手で切符を握り直していた光景である。
栗原選手は真面目な人なのだ、とおいらは思った次第である。
人生の分岐点
二宮清純氏(以下、人名敬称略)の「瀬戸内スポーツ紀行」(アスリート社、平成14年)が面白いからというので弟がおいらにくれた。
これが滅法愉しめる。
「カープに革命をもたらした人」の章で、根本睦夫(カープを初の3位に導いた中興の祖)に言及されていたので、その受け売りをする。
二宮清純が根本睦夫に質問したときの話しである。
二宮「プロで成功する選手と失敗する選手の一番の分岐点は?」
根本「それは、結局プロ意識の差だね。選手は子供のころから野球が好きで上手だし、今でも野球をやっている。皆がそうなの。
しかし、ここからが問題で、自分は何をしたら商売になるのか、何をしたらこの世界で残っていけるのか。
そのことに気付いた者は成功し、気付かなかった者はいなくなってしまう」
という趣旨のことが書いてあるのである。
流石に根本である。人生の本質をついている。プロとアマ、職業と趣味の差を一言で現わしている。
おいらが現役生活のときもそうであった。何をしたら商売になるかが分かっている連中と一緒に仕事をしていたときは最高に幸せじゃったのぅ。
おっと、おいらの作家人生はまだまだこれからである。何をしたら今後、商売になるのか、それは秘密、秘密。
黒田は男である
中央マスコミではあまり大きく取り上げられないニュースだが、ヤンキースの黒田が8年ぶりに広島カープに戻ってくるという朗報が年末に届いた。
黒田は男である。いや、サムライである。死に場所を知る男である。
これは、21億円の金を振り切って日本球界に復帰したという単純な話しではない。
人間はどういう生き方(死に方)をしたらよいかという男の話しである。
詳細は省くが、世が世なら教科書に載る美談である。
おいらは中国新聞(実弟のブログによれば、黒田復帰は1面に掲載されたという)を読んでいないので分からないが、広島市長は名誉市民にすると述べていないのだろうか。そうでないなら、広島市長の感度は鈍いと思う。
広島県内の隅から隅まで黒田の復帰を祝っている様子が目に見えるのである。
実は、おいらは今回の黒田の快挙が国民栄誉賞に匹敵するものであるとまで考えている(黒田の大リーグ通算79勝は、野茂に次いで2位)。イチロ-は一度受賞を断っているので、黒田もオファーがあったとして断るだろうが…。
石原慎太郎氏は惜しくも引退したが、氏がプロ野球に造詣が深ければ今回の話しを、「まだ、日本にもサムライが生きていた」と絶賛しているはずである。
いずれにしても、今回の話しは年末に一服の清涼剤である。来季、カープが優勝しようがしまいが、黒田の復帰の姿を観るだけで、おいらは日本人に生まれて良かったと心底思うものである。この国はまだ捨てたものではない。
黒田は投げる高倉健である
黒田がカープに復帰し、地元広島ではフィーヴァーである。
先日もこのブログで書いたとおり、黒田復帰記者会見について述べる。
当日(15年2月16日)は、地元の放送局は全て生中継の特番を組んだという。
これを解説すると、広島ではテレビ新広島(フジ系)、広島ホーム(テレ朝系)、RCC(TBS系)の3局は復帰会見を生放送で中継した。広島テレビ(日テレ系)だけはミヤネ屋をそのまま放送したが、ミヤネ屋終了後に黒田特番を組んだようだ。
しかし、こりゃすごいよね。
横浜にいるとこういう番組が見られないというのは実に寂しい。そこで、記者会見の一問一答を掲載している新聞記事を読むことになる。
おいらはこれを熟読するのである。何回も読むのである。毎回、泣きながら読むのである。
ところでいつも思うことだが、カープの記事で一番詳しいのは地元紙である中国新聞である。
スポーツ新聞は表紙のみがカープの記事であり、中身は全国紙と同じである。つまり、表紙の写真が黒田だからといっても、頁をめくると2頁以下にはカープのカの字もないのが普通である。これを世間では羊頭狗肉とかサギと呼ぶのである。
したがって、カープの情報量では圧倒的に中国新聞が勝っているのだが、この会見の内容についてだけはスポーツ新聞に軍配が上がっていた。中身や裏面まで黒田の記事が満載されていたのである。
しかし、中国新聞も負けていない。おいらがこの日の中国新聞でしびれた記事は、「ある(カープの)選手はこう言った。『登板後、いつもロッカーで精魂つき果てている黒田さんの姿を一度でも見てほしかった』」である。
そうなのだ、黒田は日米を問わず全身全霊で野球に打ち込んできたのだ。そこに男が惚れるのである。黒田は、投げる高倉健なのである。
その黒田は今シーズン18勝すれば名球会入りであり(現在、日米通算182勝)、ローテーションピッチャーを守ることができれば、今シーズン200勝達成も夢ではない。
ただし、あまりにも黒田に期待しすぎてはいけない。おいらを含め、今のカープファンの黒田への期待は少し度が過ぎる。こういうのを贔屓の引き倒しというのである。これでは黒田が可哀想だろう。
アメリカにいたとき同様、周りにひきずられることなく自分を信じて野球に打ち込んで欲しい。おいらが願うのは、それだけである。
今年のカープは(前篇)
いよいよ明日から今年2015年のペナントレースが始まる。
黒田が帰ってきた広島カープが優勝するという予想でにぎわっている。
ご同慶の至りであるが、それにしても黒田人気は異常である。
マスコミは黒田一色である。筋金入りのカープファンであるおいらでさえ、あれでは贔屓の引き倒しになりかねないと思う。プレッシャーもほどほどにしないと。
それはさておき、今でこそカープが優勝すると云っても誰も信じないが、第1期黄金時代のカープは強かった。
昭和50年、弱小市民球団は初優勝をするのである。
おいらは社会人3年目。それまでのカープは万年Bクラスで(一度だけ根本監督時代にAクラス(3位)になっている)あり、おいらが生きている間は優勝は絶対無理だと思っていたほどである。
それがルーツ新監督になり、故あって更迭された後の古葉監督がカープを初優勝させるのである。
その後、3年間は優勝できなかったが、昭和53年に江夏が加入し、54年(あの江夏の21球があった年)と55年に連続優勝(翌年江夏は高橋直樹とトレード)、その後も3度優勝し、再びカープの時代が到来するのである。
このときがカープの黄金時代であったのぅ。とにかくオーダーが凄かった。
1番 ショート 高橋慶彦(盗塁王、走る色男)
2番 セカンド 三村敏之(渋さ抜群の実力派)
3番 ライト ライトル(最多安打賞)
4番 センター 山本浩二(ホームラン王、打点王、ミスター赤ヘル)
5番 ファースト 水谷実雄(カープ史上最高の5番バッター)
6番 レフト ギャレット(40本塁打の長距離砲)
7番 サード 衣笠祥雄(打点王、ご存じ国民栄誉賞)
8番 キャッチャー 水沼四郎(実は頭脳派)
9番 ピッチャー 北別府、池谷、山根、福士、高橋里、大野、江夏
これだけのメンバーである。優勝して当たり前である。
ところで、今年のオーダーを見ると菊池と丸にグスマン、松山、梵、会澤などがいて、エルドレッドは故障しているが、新井も帰ってきている。無論、投手陣はリーグ1で問題ないだろう。
第2期黄金時代の始まりを予感させてくれるのが今年のカープである(この項続く)。
今年のカープは(後篇)
さて、2015年ペナントレースの予想である。
こういうときに競馬新聞では予想が掲載される。もっとも競馬では本命、対抗、単穴などの予想までで、順位までの予想はしない。
ところがペナントレースでは、マスメディアが順位の予想をきっちり行う。野球評論家が予想するのだが、これがからっきし当たらない。
そこで、コンピュータ予想の出番となる。
昔の競馬新聞にはコンピューター予想というのがあったが(ごめんなさい。最近の競馬予想新聞の実情を知らないので今でもあるかどうかは不明)、これも当たらなかった。データの精度が低かったためと思われる。
ところが、現代の野球は感ではなく、データで行うものである。
実際、週刊ポスト(3月20日号)がこの予想をしている。
それによれば、投打のデータを数値化して点数の多さ(打)と少なさ(投)によって順位付けをするのである。
特にピッチャーの計算方法は理に適っている。これは、ヒットか凡打かが打球によっては運に左右されることがあるため(ポテンヒットなどはその好例)、純粋に投手の実績である三振と四球、本塁打だけによって防御率を計算するものである。投手の実力が判定できることになる。
これに対し、打者はヒットや本塁打などに犠打、盗塁を加点し、三振、併殺打などを減点する方式である。
なんだか、ブラピの映画「マネーボール」の「セーバーメトリクス」を真似しているみたいだが(計算式は似ている)、統計の手法による予測であるので信頼性は高そうである。
さて、その結果である。
セリーグの優勝は広島。以下、阪神・巨人・中日・DeNA・ヤクルトの順(ただし、3位以下は接戦)である。
パリーグは、オリックスが優勝。2位以下がソフトバンク・西武・日本ハム・楽天・ロッテの順(こちらも3位以下が接戦)である。
なるほどここでもカープが優勝か。いよいよ、今日から本番を迎える。だけど、コンピュータ予想はあくまでもデータを統計学的に処理しているだけで、選手の怪我や監督の采配などまで考慮しているわけではない。
果たして今年のペナントレースの行方や如何に(この項終わり)。
本日と明日はお休み
本日と明日は休日につき、お休みです。
写真上は、神宮球場での今月6日(15年9月6日)の黒田投手の練習風景。
黒田投手は前日が登板でこの日の出場はありませんでしたが、翌日もこうして体を鍛え、福井や大瀬良にアドバイスをしていました。
残念ながらこの日のカープはヤクルト戦で負け、そして、昨日は今シーズン最後の天王山第一戦の阪神戦にも負け、カープは今季、事実上の終戦となりました。
南無阿弥陀仏。
でもね、おいらは今年、こうしてナマの黒田投手を目の前で見ることができただけで、ほかにはもう何もいらないと思うのです。
分かんないでしょうなぁ、この気持ち。カープファン以外には。
例えて云えば、黒田投手はあの稲尾と同じです。「神様、仏様、稲尾様」の稲尾投手と同じレベル、いや、それ以上の投手だと思います。
自分が生きていた時代にその時代のヒーローを自分の眼で確かめておくことができる愉悦。
それでは、皆様よろしゅうに。
平成27年9月26日(土)
謎の不良翁 柚木惇 記す
ペナントレース予想はかくも難しい
ヤクルトが混セを制して優勝した。そして、昨日はカープがタイガースを破ってどちらのチームがクライマックスに残るのかが分からなくなった。
これで、セ・リーグはシーズン最後の最後(今週水曜日)まで順位が決まらないというシーズンになってしもうたのぅ。
何が云いたいのか。
ペナントレース予想はかくも難しいということである。
写真上は、今年3月時点でのプロのペナントレース予想。
誰もが忘れているだろうが、今年の春の予想では優勝予想は判で押したように巨人・阪神・広島であった。
実際に優勝したヤクルトを候補にあげたプロの評論家は誰一人としていない。あまつさえ、ヤクルトは昨年最下位であったから、今年も最下位候補として予想したプロは少なからずいる。
結局、一番近いAクラスの予想をした評論家は、元巨人の篠塚しかいなかったという体たらくである。
確かに今年のペナントレースは混戦ではあったが、ここまで予想を覆したシーズンは珍しいのではないか。
その理由の一つに挙げられるのが、パ・リーグとの交流戦である。セ・リーグが弱すぎたのである。
だが、それにしてもこれだけ予想が当たらないというのはひどい。
それは、順位予想が難しすぎて初めから「当たるも八卦、当たらぬも八卦」というレベルなのか、それとも、評論家の眼が節穴なのだろうか。
これについては、株や為替、経済指標の予想と同じで、前提条件が当たっていれば当たっていたはずだという理屈が通用すると思っているのであれば、おいらはそういう予想はいらない。
不確定要素があるからこそ、予想に価値があるのである。未知の要素である変数を最初から決めて予想してしまうのであれば、小学生でも予想はできるのである。
評論家を名乗るのであれば、野球であれ、株であれ、不確定要素を織り込んで将来を計り(それが予想である)、その結果に責任を負うことがプロとしての矜持である。
お前ら、プロだろう、と云いたいのぅ。
今年のカープは
今年2016年のカープを占う。
それには、まず、昨年の「カープ10大ニュース」を振り返る必要がある。
某メディアによる「2015年広島カープ10大ニュース」は、次のとおりであった。
1位 黒田、現役続行&年俸6億円
2位 マエケン、メジャー移籍へ
3位 黒田、8年ぶり日本球界復帰
4位 世紀の誤審
5位 シーズン最終戦でCS進出逃す
6位 男気フィーバー? 年間シート完売&史上最多の総入場者数
7位 新井、古巣復帰
8位 栗原、退団&楽天入り
9位 赤ヘル打線、球団ワースト記録を更新
10位 菊池、侍ジャパン落選
こうしてみると昨年は黒田復帰にもかかわらず、不甲斐ない年であった(3年振りに4位陥落)。
その理由は、一にも二にも大砲がいなかったことによる。何せ、点が入らないのである。カープは1点取られたら終りであった。1対0で負けるのである。
首位打者、ホームラン王、打点王がいたヤクルトと比較すると、カープの貧打は明々白々である。
だから、今年のカープは点が取れるチームになれるかどうかである。
そこで、今年は中日からルナを取った。中日から移籍して活躍したアレックスの再来である。ある程度の期待はできると思いたい。
また、大砲として新外人プライディも取った。しかし、外人は蓋を開けてみなければ分からない。エルドレッドの復活に期待するようでは心もとないのぅ。
投手陣では、マエケンが抜ける。確実に10勝以上が望める投手がいなくなったのは痛い。だが、幸い黒田が現役続行してくれるので、投手の軸は存続する。
前田の穴は、ドラフト1位の岡田(大阪商大。威力のあるストレートと落ちるフォークで即戦力)と新外人ヘーゲンズ(先発要員)、それに先発に戻るであろう大瀬良に期待したい。
これによってカープの先発は、黒田、ジョンソン、大瀬良、福井、野村、岡田、ヘーゲンズと7枚が揃う。だから、投手で心配なのは、抑えである。
これについては、マエケンがポスティングにより抜けたことにより、約24億円がカープに入る。外人枠は後2人残っているので、金に糸目をつけず、抑えの切り札と大砲を取ることができれば、今年のカープはうるさくなる。
緒方監督も2年目。今年ダメなら潔く辞めるしかなかろう。そういう気持ちで臨んで欲しい。
なお、黒田の今年の年俸は6億円となった。現役ではオリックス金子の5億円を上回る球界最高年俸である。カープの選手が球界最高年俸となるのは85年の山本浩二以来だそうである。年俸で野球をするのではないが、何事も1番というのは気持ちが良い。
また、新井はあと29本で2千本安打となる。
今年のカープには期待したい(と願うばかりである)。
本日から3日間はお休み
本日から3日間は3連休(「春分の日」)につき、お休みです。
写真上は、広島の古書店「アカデミイ書店(紙屋町店)」に展示してあったペナント。
これは希少品でせう。
藤井は一塁手で中軸のバッターでありました。福山盈進商業高校出身で通称ゴジラ。永年カープのコーチでもありました。懐かしいのぅ。ご存知阿南は元カープの監督。橋本は馴染のない名前の投手ですが、おいらは野球カードで記憶しています。
アカデミイ書店の女性店員にお聞きすると、これは結婚のお祝いに三人から寄贈されたものらしい。昭和31~32年ごろのもののようです。
なお、昨年末にアカデミイ書店の紙屋町店は移転していました。下の写真が新店舗。中華蕎麦屋のきよちゃんの向かいの古書店跡に入っていました。
なぜか、旧店舗はそのままでした。解説不能。
それでは、皆様よろしゅうに。
平成28年3月19日(土)
謎の不良翁 柚木惇 記す
黒田 祝 200勝達成!
黒田200勝達成で、ほっとしている。
こういう場合、翌日のスポーツ新聞を買うのがおいらのルーティンである。
おいらは産経新聞ファンなので、サンケイスポーツは産経とダブりがあると思い、また、報知は読売系で嫌いなので日刊スポーツとスポニチを購入する。
さて、黒田200勝についての数多(あまた)ある記事はそちらに譲るとして、スポーツ新聞で面白いのはデータである。
おいらなんぞは、データだけ見てそのデータを読み解くのが愉しみなのである。
そこで、今回気付いたのは、黒田の対戦チーム別勝敗数である。
対阪神 24勝10敗
対巨人 22勝20敗
対ヤクルト 22勝26敗
対DeNA 21勝18敗
対中日 19勝18敗
国内のセリーグだけに限って云えば、黒田は阪神に24勝10敗とカモにしていることに気付くのである。
おいらはこのデータを見てハタと思い当ったことがある。
一昔前、阪神が広島から金本を獲り、シーツを獲り、新井まで獲っていたとき、何と黒田まで獲ろうと画策していたことがある。
これには理由があり、黒田の父親が病床で黒田が大阪出身のため、黒田のために触手を伸ばしたと云うものである。
しかし、実際は阪神をお客さんにしている黒田を阪神が獲れば、苦手の広島に分がよくなるというだけの話しだったのではないか!とヒザを叩いたのである。
阪神、せこいよ~。
(読者の方が縦じまファンでしたら、お許しのほどを)
日本シリーズの戦いは
いよいよ今週土曜日から日本シリーズが始まる。
カープファンのおいらとしては広島有利と予想したいところだが、日本ハムは手ごわい。
その心は、ペナントレースと違い、短期決戦なので選手の実力よりも監督の采配、監督の采配よりも運が左右しやすいからだ。
選手の実力は広島がやや有利、運はその時の勝負、そして栗山監督の覇道に対して緒方監督の王道。
何が云いたいかというと、緒方監督は勝負の駆け引きをあまりしない監督である。正攻法で攻める。これに対し、栗山監督は何をするか分からない。
だから、短期決戦では奇襲戦法で勝つチームが有利である。おいらはそれを心配しているのだよねぇ。
ところで、パのCS最終戦をNHKラジオで聴いていたのだが、解説は元カープの小早川毅彦。この解説が滅法良かった。まるで野村克也元監督の解説ばりなのである。
大変失礼だが、カープにいたときの小早川はスラッガーではあったが、あまり知的なイメージはなかった。
ところが、野村再生工場でヤクルトにいたときに野村監督の教えを学んだのであろう、攻撃時の作戦やピッチャーの替え時、替えるなら誰が最適かの解説がすとんと腹に落ちるのである。
例えば、摂津の替え時が違うとか、リリーフなら今一番出来のいいピッチャーからだすべきだとか(ソフトバンクは負けると終わり)、
また、中島のスクイズを見破り、初球の空振りはわざとしたのではないかとまことに的を得た解説に終始していた。
2千本安打の宮本の解説も辛らつだが、やはり、彼も野村監督の教え子である。野球は馬鹿がやってはいけないスポーツだと分かる。
その宮本も短期決戦でのカープの岡田の替え時について遅いと日刊スポーツで指摘していた。むべなるかなである。
閑話休題。
セ・リーグのCS戦(広島vsDeNA)がテレビ中継では広島エリア以外観られなかったことについて再び取り上げる。
前回も書いたが、地方ではカープ戦の視聴率が50%、札幌のファイターズ戦が30%、福岡のソフトバンク戦が20%になろうというのに、中央では地上波はおろかBSでも放送はなかったのである(2戦目のTVKを除く)。
これは偏(ひとえ)に、巨人偏重の放送スタイルに問題があるからだと思う。
要するに、未だにテレビ局は巨人なのである。
そして、プロ野球にも問題がある。メジャーリーグのようにテレビの放映権はプロ野球機構が所有していて、上り(利益)は各球団に分配すればよいのである。
それを許さないのは、巨人の試合が高く売れると思い放映権を未だに独占する読売である。おいらは強い巨人を倒す喜びが野球の醍醐味だと今までは思ってきたが、それはもう止めた。自軍のことしか考えないチームは見捨てられるのだ。
野球界全体が底上げを図って、再び、どのチームが勝ち上がってもCS中継が見られる時代が来ることを望みたい。
梅は咲いたか桜はまだか
昨日、寒いと書いたが、寒くても梅は咲く。
自宅の庭の紅梅が本日現在、五分咲きの様相である(写真上)。
これにはおいらも驚いた。寒風吹きすさぶ中、しっかりと芽を出し、力強く大きく咲いている。
梅はえらい。厳寒であっても芽を出すのだ。おいらに勇気を与えてくれる。この庭を造った人もえらい。庭には桜だと思っていたが、梅にはこういう力もあるのだ。
さて、冬の梅で思い出すのが、黒田博樹投手の座右の銘「耐雪梅花麗」である。
「雪に耐えて梅花麗し(ゆきにたえて ばいか うるわし)」とは、西郷隆盛がイギリス留学する甥にあてた手紙に書いた五言律詩(ごごん りっし)中の一節である。
その意味は、「厳しい雪に耐えてこそ、可憐に匂い立つ梅の花は美しく咲く」であり、黒田は野球の名門、上宮高校時代の国語の時間にこの一節を知り、深く感銘してこれを座右の銘にしたという。
五言律詩の全文
示外甥政直
一貫唯唯諾
従来鉄石肝
貧居生傑士
勲業顕多難
耐雪梅花麗
経霜紅葉丹
如能識天意
豈敢自謀安
「外甥(がいせい)政直(まさなお)に示す。
一度引き受けたと心に誓ったのならどこまでもただただひたむきにやり通さなければならない。
鉄の如く石の如く守ってきた胆力は、いつまでもそれを変えてはならない。
豪傑の士というものは貧しい生活をしてきた人の中から現れ、評価される事業というものは多くの困難を経て成し遂げられるのだ。
梅の花は雪に耐えて麗しく咲き、楓の葉は霜を経て真赤に紅葉する。
もしこれらの天意が理解できたのなら、安楽な生き方を選ぶことなどどうして出来ようか」(訳は、「ワンダフルプラス」から転用させていただいた。お礼を述る)。
う~ん、梅が咲くという自然の力には驚かされるが、それ以上にこの五言律詩はすごい。それを座右の銘にした黒田はもっとすごい。
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