さすらいの天才不良文学中年

さすらいの天才不良文学中年

新しい顔に入れ替わる

新しい顔に入れ替わる

 ニューヨークにいたとき、ハリウッド映画「Face Off」(97米)をタイムズ・スクエアの映画館で見た。主人公ニコラス・ケイジと悪役ジョン・トラボルタとが、悪役の策略により、二人の顔を入れ替える(勿論、手術によって)という荒唐無稽のストーリーである(写真は「Pulp Fiction」のトラボルタ)。


トラボルタ


 荒唐無稽ではあるが、壺どころを押さえているアクション映画だったので、それなりに楽しめた。監督がアクション映画の鬼才「ジョン・ウー」というのも良かったのだろう。

 さて、荒唐無稽だという理由は、如何に医学が発達しても、顔の移植など出来るはずがないと思っていたからである。

 ところが、世の中は想像を超える動きをするものである。英国の国家医療制度(NHS)王立自由病院の倫理委員会が顔の移植手術を許可すると先月発表したのだ。

 倫理の問題もあり、顔の移植は火傷や戦争などによる修復等、厳しい条件が付与される予定というが、将来は鼻や耳などの部分移植を含め、ある程度自由に行われることが予想されよう(臓器移植同様、亡くなった人の顔面の提供を受ける)。

 ただ、問題は骨格まで変えることは出来ないという。それは当然だろうが、理屈上はお面を被るのと一緒だから、やはり顔は変わるはずである。そうだとすると、解決しなければならない問題は多々ある。移植を受けた人の心理上の問題(人は顔に左右されている部分が多い)や、安易に顔を変えても良いかという倫理上の問題である。

 しかし、世の中はとうとうここまで来ましたか。長生きすると良いこともある。




© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: