つながるこころ

アチェからのお便り



●○● メダンからのたより ●○●

以下初産をひかえた奥さんを訪ねメダンに滞在中の知人、Tさん(カメラマン)から年末から約2週間にわたって寄せられたメールを公開します。

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丁重なお返事ありがとうございます。力づけられます。

メダンの空港で3日待ち続けた妹が得た情報から、彼女たちが住んでいた町は80%以上が壊滅、存在する人と建物は、ほとんどが消えていることが判明しました。

道、回路、空路、電気、水全ての生命線を断ち切られながらも、わずかに生き延びた住民たちは、ほぼ政府に見捨てられた状態で4日間食べ物、水がない状態で放置されています。

昨日、その町にヘリコプターで行った人の話だと、町には人影がまったくないとのこと、人々は、飢えをしのぐため山に移動した可能性があります。

しかし、軍隊のヘリコプターから空撮されたTVの映像を見る限り、町は深い汚泥で覆われ、とても歩ける状態ではありません。死の移動も考えられます。

家族たちは、一日中泣いています。

実は、海外のメディアには伝えられていない事実が、当地には沢山あります。
まず、インドネシア政府が本気でアッチェを救う気がないのではと思えるからです。アッチェはこの何十年インドネシアからの独立を願い長く政府と対立関係にあります。このアッチェは、隠れた資源の宝庫で、埋蔵される原油は、
インドネシア政府にとって、なんとしても死守したい魅力なのです。今回の災害は、政府にとってまたとないチャンスだとも考えられるのです。

実際、政府は民間や海外に援助金の要請をするばかりで、どうも政府自体からお金を出す気はないようです。

回復した空路も、国営のガルーダ航空が、身包みをはがれた被災者から通常の料金の2倍を払える人間しか乗せない、悪徳な商売をしている状態です。

救援している軍隊も、遺体の移動するにも金を要求、金持ちが優先される現状です。また、救援に行きたい家族、親類縁者も女性の派遣には躊躇しています、軍隊のレイプを恐れているのです。

昨晩、私も家族たちと相談して、ヘリコプターをチャーターをすることにしました。自分達の命は自分たちで守る。これしかないようです。しかし、電話をかけまくっても一機のヘリコプターも得ることが出来ませんでした。特に、私の妻の家族は、華僑なのであらゆる面で状況は不利に動いています。いまさらながら、なぜ華僑があれほどの血の結束をするのか、良く分かりました。今年結婚したばかりの私も、今や、華僑の一員です。しかも長女の旦那ということで、大きい兄と呼ばれ、私の果たすべき役割が大きいことを実感します。
あと残された救出の道は、コンボイを編成して、自ら行動することです。


長い間、カメラマンとして世界中を取材して回った私も、いざ自分の家族がこういう状況に遭遇した経験はありませんでした。幸せボケの甘い日本人の一人だったと痛感しています。情報では、ここメダン市に裸一貫で逃げてくる被災者を収容できる特別地区を華僑たちが作り始めたそうです。私も何らかの形で、この運動に参画したいと思っています。

発展途上国の現実は、あまりにも悲惨でやるせないものがあります。



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先のメール届いているでしょうか?やっと日本語でメール打てるようになりましたので、再度お送りします。

ここインドネシアは、現在地震と津波で混乱しています。

わたし達の家もマグニチュード6の揺れが15分以上は続き、壁が割れたりしましたが、命には別状ありませんでした。おそらく4万人以上の死者が出るでしょう。

親戚が住んでいた町は、一瞬にして津波で消失しました。妻の妹の家も店も全て消え去り、いまだ彼女のフィアンセの消息がつかめない状態です。
まさに、地獄図の状態です。あらためて、日本の安全性を感じます。

T

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インドネシア政府のひどさは、ポニラから聞いていましたが、ここまでひどいとは思っていませんでした。

実際、政府は対海外諸国、海外マスメディアの為に形だけの軍の派遣をしていますが、その軍隊に食料を送っていません。

つまり、銃を持たせられた屈強な腹を空かした兵隊たちを送り込んでいるのです。そうなるとどうなるか?

ただでさえ食料がない被災地ですから、腹を減らした兵隊達どうしで食べ物の奪い合いが始まります。そこに非力な被災者達の取り分は・・・。
これが、現実です。

狡猾というか、政治屋達の対アッチェに対する政策は、非道なまでに完璧にシナリオ書きが行われていたのです。地元の人々は、TVで見る海外から届く援助物資は、そのまま軍の食料庫に密かに運ばれてしまうのではないか、と噂しています。誰も、援助物資がアッチェに素直に届くとは信じていません。

命からがらに逃げ延びてきた被災者の話だと、被災地でトラックに乗せて救ってくれと叫ぶ被災者たちを無視して、軍は立ち去ったそうです。

放置された死体が8日も経つと腐乱が始まり、20km離れた村にまで悪臭が届いているそうです。当然、感染症のまん延が懸念されます。ちょっとした怪我も、8日も経てば、医療品が無いため悪化して、死にいたるでしょう。

もし、そこまで計算して政府が救援を遅らせているのならば、これは犯罪にに等しいものです。

思うのが、日本政府の対応の悪さです。こちらのTV番組では、台湾、アメリカ、オーストラリア、フランス、イギリスの速い援助活動を報道していますが、日本に関しては、私が見る限り、ただのひとつもありません。

これほどインドネシアの木という木を伐採しつくし、丸裸にしてしまった日本の商社が一社でも援助金の寄付なり、援助活動をしたのでしょうか?

TVで、多くの海外、国内企業が多額の援助金の申し出をしている中に、一社の日本企業の名もありません。インドネシア中の町に溢れる、TOYOTA、HONDA,SUZUKI、YAMAHAこれらの企業の名をつけた車やバイクをを見るたびに複雑な思いがして、自分が日本人だと悟られるのが恥ずかしく、つい下を向いて町を歩いてしまいます。

一体、日本人って、何者なのでしょうか?
良く海外援助金が首相の独断のように簡単に発表されていますが、これらもほとんどが、日本の企業への発注で消えてしまうのではないでしょうか。

心がない、他人(外人)の痛みが分からない、アジアを心のどこかで馬鹿にしている(自分たちもアジアの一員なのに)、西洋諸国に媚びへつらう、こんな言葉が渦を巻いて私にまとわりついています。

日本政府は、こんなときに自衛隊の船を現地に急行させるべきです。なぜなら、ジャカルタから何日も前に救援物資を積んだ船をインドネシア政府は現地に送っています。しかし、船は、被災地の沖合いに停泊したままで、
援助物資は目の前の現地に届けられていません。

理由は、関係者の話では、現地の沖合いまで来るのに燃料を全部使い果たしたから、届けられなく停泊している、とのこと。
うそか本当か、これが政府のやっていることです。国民もボランティアで現地に行きたい気持ちはあるものの、現地の安全性が確保されない限り、強盗にあうか、感染症で死ぬかの恐怖が付きまといます。

実際、私の親戚でアッチェに住む人からの話だと、家の前で、「水が届いたよ!」と声がしたので、戸を開けたら強盗だったのであわてて戸を閉め、難を逃れたそうです。

何を信じていいのか、誰を信じてよいのか?妻の実家にほとんど家具がないことに疑問を感じ、その理由を尋ねた日本人の私の知人がいました。

母親の答えは、「いつ何が起きてもおかしくないので、家は身を守る要塞、暴動が起きればすぐに体一つで逃げられるように、家具はほとんど置かない」。

実際数年前の暴動のときは、なぜか、刑務所の門が開け放たれ、暴徒化した囚人たちが町を襲い、略奪、レイプの限りを尽くし隣の町々は、地獄と化したそうです。

そのとき、このメダン市の裏社会を牛耳っている白龍と呼ばれる親分が、手下数千人でこの町の外に人の壁っを作り、押し寄せる暴徒を体を張って防いだため、この町は救われたそうです。

だから、町の人々は、政府に期待せず、体を張ってくれたこの翁を崇拝しているそうです。かつて、戦後の殺伐、混乱とした中で、義理人情で人々にある意味で一目おかれた、かつての仁義があった日本やくざを彷彿とさせる話ではないですか。政府は国民を守っててくれないから、自らの命は自らで守る。これが、インドネシア流、サバイバル術のようです。もう一つたくましくなって、帰国したいと願う今の私です。

T

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お便りありがとうございます。昨日も、タイ在住のMさんの知り合いの方が、
是非バンコクの新聞に載せたいと連絡がありました。

今日は、昼から、夜の11時半まで、台湾の医療チームと行動を供にしていました。このメンバーには、台湾当局のジャカルタ大使館の高官2人もサポートに入っていました。チームは、いち仏教系の慈善団体が編成したものです。彼らに寄せられた募金は、一般庶民ならず、台湾政府からもありました。

インドネシアでこの活動をサポート、コーディネイトしているのが、かつて台湾に留学の経験があるインドネシア人のOB達で作るメダン市のグループす。
23歳から60歳過ぎまでの約500名のメンバーが、毎日20人ほどサポートに送っています。この中で中心メンバーの高さんという45歳の実業家に密着取材しました。書きたいことが、言いたいことがいっぱいで、胸が苦しいほどです。

私も、どうすれば、一番多くの人に真実の手紙を伝えられるのか・・・・。
どうか、一緒に考えてください。

××さんのお便りをもらい、大きく力づけられました。ありがとう。一人の人間の力など微々たる物でしょうが、多くの人の想いで波紋のように世界中に、真実の輪が広がってくれれば、そう願っています。

話は戻りますが、何故、インドネシアの政府高官がわざわざジャカルタの大使館から来ているのか。実は、華僑の人たちは自らが政府から迫害を受けた過去があるので、弱いものの立場を充分に理解しているのです。

それは、募金をインドネシア政府に渡してしまったら、6ヵ月後には、どこか得消えてしまうか、政府高官達のポケットマネーと化して、海外に別荘が建つ可能性があるからです。

ですから、台湾政府の担当者たちは、ボランティア活動の現場に同行して、どうすればいかに確実に、出来るだけ早く被災者たちに直接渡せるかを、勉強しているのです。

しかも、訪れた病院でこの慈善グループから医療支援を受けている被災者は、
どういう方法で選ばれたのか、という私の質問に、ある台湾に住んだことがあるいちメダン市民から、ジャカルタの台湾の大使館に電話が入り、「道端に動けないひどい傷を負った被災者が居ます。どうも彼には身よりも無く、お金も無いようです。何とか台湾政府として助けてもらえないでしょうか。」すぐに台湾大使館は、高さんグループに連絡を入れると同時に、高官たちを送る、すばやい対応をしたのです。

負傷した被災者はアッチェ人で、台湾とは何の関係も無い人です。

日本の大使館に、もし同じ電話が名も知らぬ市民からあったら、どうしたでしょうか?
「Tさん、あなたたちのこの活動はいつまで続くとおもいますか?」
「多分1年以上、もしかしたら5年ぐらいかかるかもしれません」
「それを、あなたの毎日続けるのですか?」「そうです」「・・・・・・・・・」

質問した自分が情けなくなりました。

温かい!そう、それは本当のヒトの血の温かさなのです。
台湾医療チームが滞在しているホテルに、ある日本人が何かフロントのスタッフともめているような感じでしたので横で聞いていると、どうも、自分の行きたかったレストランにドライバーが道を知らず、行けなかったと苦情を言っているようでした。苦笑するフロントを前に、直接尋ねてみると、ある大手TV局スタッフでした。話だと、昨日朝に被災地ムラブに小型機をチャーターして行き、当日の夕方にメダンに帰り、明朝日本に帰るということでした。

実に流暢に現地の状況をシナリオを読むように喋り続ける彼女と会話をした後。Tさんが、「一日現地へ行っただけで何がわかるのでしょね?」とつぶやいたのが、鋭くわたしの耳を差しました。

あの悲惨な現場を見たはずなのに、もうその翌日に行きたかったレストランに行けなかった、クレームをつけている日本人ジャーナリスト。

一体日本でどんな報道がされているのか・・・・・。

あまりにもショックなことが多かった今日なので、書ききれません。明日も朝から被災者たちを病院に訪ねるので、手紙は明日以降になりそうです。明日は、津波で失った孫を捜し求め続け、1000体以上の遺体を運び続けた、祖父の話をします。おやすみなさい。 

T
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今日も朝から、地元TVではアッチェの被災地の映像とレポーターの悲しみを誘う話が続く。どれも、この2週間同じ映像が流れ続け、レポーターの話の内容も一向に変わり映えしない。そう、マスコミの全てが、何かを深く、固く覆い包み、隠している。

26日朝、激震を受けたとき、妻は生まれたばかりの赤ん坊を胸に抱いて母乳を与えていた。もし、ベッドの上に寝かしたままだったら、下の固い陶器製のタイルで、赤ん坊の頭は頭蓋骨陥没になっていただろう。あらためて我々に運があることを感じていた。急いで、TVをつけニュース番組を探した。

画面には日本のようにいち早くテロップが流れるなど無く、延々とお笑い番組の馬鹿笑いと、濃い目の化粧をした歌手たちの歌が続いていた。その日は、一日待っても、地震の情報、ましてや津波の警報など無かった。我々は、地震の規模の割には大した被害もなかったのだろうか、と安心して少し余震が残る部屋で眠りに着いた。

しかし、このとき既にアッチェでは津波で10万人近い人々が亡くなっていたのだった。

それから2日間、被害を伝える映像は、ここ北スマトラで最大の人口200万都市のメダン市では流れなかった。ただ、ニュースの合間にキャスターへ現地からの電話だけが時折入る程度だった。このときに既に報道規制が入っていたのではないだろうか。

日本であれば、マスコミはすぐに情報収集に関係機関へ走るだろうし、自社のヘリコプターを飛ばしいち早く現場に飛び、最新の映像を送っただろう。あまりにも、静かだった。

情報がほとんど無いことに疑問を感じた私は、日本から持ってきていたラップトップで、web情報を日本サイドからとることを思いつき、キーを打ち始めた。

画面に現れた現実に、私は、愕然とした。

家族たちへ、日本からの情報を流し、友人たちへ事実を伝えるのが私に出来る唯一のことだった。先に話した、ボランティア活動をしているTさんたちは、
既にこの28日の時点で、台湾当局と連絡を取り合い、既に医療チームとレスキューチームを飛行機で現地バンダアッチェへ送っていたのだ。海外の情報と対応が当のインドネシア政府、マスコミより速い。何故だろう??

電話などの連絡網がインドネシアは遅れているのか。

否、街では日本並み、それ以上にNOKIA製の携帯電話が氾濫、メールはあちこちで飛び交っている。

この携帯がすべてアッチェにつながらなくなった。

1月4日、やっと政府は住民用の回線をつないだ。津波発生から9日目である。最大の被災地メラブにいたっては、12日後の1月7日である。
では、インドネシア政府はその間何をしていたのだろう。
小出しに出てくる情報から少し事実が見えてきた。

インドネシア政府は、1970年代から独立運動地アッチェに対し強硬な対抗手段をとってきた。アッチェの年間予算の約6倍の予算を使い政府軍を送り込んでいる。この軍隊が津波当日、アッチェで大規模な軍事訓練を行っていたらしい。その為、軍事訓練参加者の多くが死亡している。警察官もバンダアッチェだけで、1500人が死亡している。

想像されることは、政府はこの軍隊の家族の救援に全力を注いだことである。
このための報道規制、通信規制、民間への救援規制の可能性がある。

その間に、何人の救われた人が死んでいっただろう。これで、あれだけの多くの救援物資がありながら。現地の被災者に届かなかった訳が見えてくる。

現地の人が一番先に恐れていたのが、インドネシア政府軍隊だった。

略奪、レイプを怖れたのだ。

事実、避難後再びメラブの妹の婚約者が2人で住んでいた家に貴重品を取りに戻ったところ、貴金属、お金、そして男物の洋服が盗まれていたが、妹の洋服は全てそのままだった。もし被災者がやむにやまれず入ったのであれば、男女とも洋服は必要だったろうが、男物のみとなると、軍隊しか考えられないというのが、婚約者の話だった。

政府は被災者救援に軍隊を送ったのでなく、軍隊救済のために軍隊を送ったのである。インドネシアの一般市民から、現大統領に対する不信感は高まるばかりである。地元TVは、連日海外からの来賓客を迎え、多額の義援金をもらい、しかも過去の借金まで棒引きにしてもらえるボーナスつきの恩恵にあずかり、笑みを浮かべる大統領の顔が映し出されている。

おそらく日本のマスコミには流されていないかもしれないが、現地アッチェでは「政府はアッチェを利用して海外から借金をするな!」というプラカードを掲げてデモが行われている。

そう、政府は対立するアッチェの勢力を抑えることが出来ること(住民の5分の1が死亡)、アッチェの経済の立ち直りに5年から10年はかかるがそれをコントロールできる可能性があること、アッチェの被害を理由に多額のお金が手に入る(政府高官の懐が潤う)こと、過去の多額の借金が帳消しになること、政府はお金を一切出さずにいられること、しかもその上に海外から借金をしようということ、濡れ手に粟とはこのことである。

政府としては、笑いが止まらないだろう。

救援物資が軍の飛行場で野積みのままであるのは周知の事実。

いくら海外が支援の物資を送っても、それをインドネシア政府や軍に渡せば、
そのほとんどが彼らの懐に入ると考えるべきである。ましてや、日本政府のように、お金の問題で済ませようとするならば、近隣諸国の高級住宅地に政府高官たちの別宅が半年後に立ち並ぶだろう。

ただ、海外の軍隊がアッチェに自ら救援物資を運べば、話は別である。

まず、インドネシア政府軍の略奪、レイプが抑制されるからである。

彼等は、海外の軍隊が入ってくれば何も出来ない。だから、被災者たちは、海外の救援物資も嬉しいが、それ以上に海外の軍隊の駐留にほっとしている。
被災地の安全を確保してくれるからだ。

それにしても、近隣諸国、特にアジアの同胞達の民間支援の早さとと確実性には、驚かされる。町の85%の建物と人命が失われたメラブに、津波発生2日後には、シンガポールの貨物船がやってきて、瓦礫をかたずけるショベルカーなどの土木重機を運び込んで救援活動に入っている。

近くの村々からは、被災を免れ人々から手渡しで食料が運ばれ、被災者達の命を救っている。日本でも、神戸の震災で多くのボランティア達の活動が被災者達の心に活力を与えた。

これだけ通信ネットで国境が無い世の中になったのだから、政府どうしのやり取りなどあてにせず、民間のレベルでいち早く、いかに確実に支援、協力できるか、みんなの持てる全ての力を出し合うことで実現することは可能である。

そうなれば、どんなに被災者たちは救われるだろう。

T

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大統領が3月26日で全ての救援活動をインドネシア政府が引き継ぐので、
救援各国は退去するように正式表明しています。これ以上各国が滞在すると、真相が明るみに出るおそれがあるからでしょう。

国民たちは、当初から6ヶ月したら、全てがうやむやになり、救援物資、義援金、援助金はどこかへ消えてしまうだろう・・・・と噂していました。

救援する側は、出すからには、最後までやりとげる責任があると思います。

金を出すというデモストレーションで責任回避する政治的思い上がり行為には、隣人としての、ヒトの心が無いように思えます。

T

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やはり今朝の新聞に珍しく日本の救援の内容が書かれていた。

オランダと日本が空港の管制塔を寄付したというのだ。

一見、美談に見えるこの記事も、よく読むと現地新聞記者の皮肉が込められていることが分かる。オランダは、寄付して配線から機械の実用にいたるまでの設置、引渡しを行った。日本は、機材だけ置いて放置して帰った。とある。

日本のやることは、これだから地元のマスコミは冷ややかに傍観して、あまり記事にしないのでは。むしろ、記事にしたら、管制塔の記事のように、かえって皮肉になるのかもしれない。

この一ヶ月、自分が日本人であることをこれほど恥じたことは無い。

津波以降、多くのインドネシア人に会ったが、ただの一人も「日本は救援してくてありがとう」とか、「あなた達の慈悲はすばらしい」などの言葉はかけてくれなかった。

「日本人?あ、そう」で終わりである。

ただ唯一、華僑の老人から、「あなたのレポートで、日本から救援が来るといいですね」と声をかけられた。

日本が、今回のインド洋被災地全体にどの国よりも一番多くの援助金を出していることは誰も知らない。二番目のイギリスの3倍も出しているのに。

インドネシアにおいては、オーストラリア、ドイツ、日本、アメリカの順である。なのに、アメリカの救援の報道がいつも大きな写真で新聞の一面を飾っている。何故こうなってしまうのだろう。

人々は、心の無い行為に対しては、直感的に感じるものである。

日本の巨額の金銭的援助は、あくまでも政府間どうしのなあなあ外交と、何らかの見返り密約がなせた技と感じている。だから、直接国民たちにその恩恵は無いと、本能的に感じているのかもしれない。

どれだけ多くの一般の日本国民がこの津波の被災を憂い、心を痛め、何か自分たちにも出来ることはないのだろうか、と想っているのに。

そう、想っているのです、我々は、ただ心が苦しいと想っているのです。

それで終わりになれば、日本政府が、金、救援物資を送ったのだから、いいだろう。と思うことと、何が違うのだろう。

想うことで、自分達の役目は終わってしまっていいのだろうか?

こういう私も、その一人です。

多分、自分の妻が日本人で、日本に住んでいたら、こんな便りは書いていなかったでしょう。
自分の身に直接降りかからなければ、本気に動けないのは事実です。

T

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このTさん情報よりスマトラ取材を決めようとした日本のあるメジャー局がインドネシアからのビザ取得に失敗。支局長からの残念メールに返送したTさんからのお便りです。
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××様

丁重なご連絡ありがとうございます。

やはり、ビザは下りませんでしたか!

今インドネシア政府は、必死で海外からのジャーナリストの入国を規制しています。

実際、NHKは、何とか2人をアッチェに入れることが出来ましたが、ほとんど情報収集できないと聞きました。何かが動いています。こちらメダンでは、数年前の暴動がまた起きると噂されています。

昨年末に新年から全ての物価が上がるという噂がどこからか流れ、国民は、我先に買占めに走りました。

特に、赤ん坊のミルクは代替が利かないので、我々も買いに走りました。

確かに、スーパーに行っても全てが値上がりを始めています。

この時期に、物価の値上げ、海外からの豊富な物資、おそらく救援物資は軍の倉庫にストックされ、賄賂を払う闇商人たちが転売することになるのではないでしょうか。被災者に渡ることなく。

政府にとって、アッチェの被災はまたとないアッチェつぶしの好条件です。
政府は、のらりくらりとしながらあいまいにすることで全てを闇に葬ろうとしている感じがします。

こんな状況の中で、金、物資の援助をいち早く決めた日本政府の動きにも、
疑問を持ちます。

あの動きが遅いわが国の政府が、あんなに早く決定するなんて。

NGOの民間支援の方に、あの巨額なお金と、物資は振り分けられるのでしょうか?

タイに援助するつもりでいた援助金は、拒否されたので、それをそのままインドネシアの取り分にしたそうでが・・・・・・。

今、個人的に危惧しているのが、私が帰国した後、妻と長女が帰国できなくなるのでは、ということです。

いったん、ビザ再申請のため日本に帰国する私ですが、再び戻ってきたときに入国できないのでは・・・・・。

暴動が起き、真っ先に攻撃の的になる華僑の妻子の身に危険が迫るようなことがおきれば、ことは重大です。

大変なときに遭遇したというのが、正直な気持ちです。

××さんと会えるときに、妻子も一緒であることを祈っています。

T


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