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裏金国家 日本を覆う「2015年体制」の呪縛 (朝日新書970) [ 金子勝 ]金子先生のは、折に触れてメディアにご登場の際には記事を読んでいるので飛ばし読みが可能。細かい細かい。字も細かい。一度参加させていただきたい、と、英語教室の生徒さんのうちの一人のママが希望される。昨日の6年生のクラスだ。生徒の方に、いいかしら?と言うと、、「一日参観やな、。。」と一言。本人は、焦点が合って来て面白くなってきているところ。家で宿題ね、は一切しないが、やってます。とのこと。ええ感じや。こちらは、生徒が一人増えた感じで、全く違和感がない。マジで、ホワイトボード、、いるかも だな・・。「朝日の当たる家♪」は弾き語りだ。今週は3時間、練習した。いよいよ、射程距離に入ってきているのにあきませんわ。。(ダメですの意味)ネトフリで、エルビスのドキュメンタリーを観た。声がいいなあ。なんといっても。彼は兵役の時にドイツに行き、イタリア歌曲と出会っている。ああ、それで、IT'S NOW OR NEVER♪が出来たのか!とか分かった。最近の若い方々のポップス、息の音も込みで、流れるのであの、スーハ―、が気になるし、呟くように歌うのが感じいいとなってるのか?女子も男子も。メロディーについていけない。でも、歌は世につれ、世は歌につれ、と言うし・・。いい歌だねえ、歌ってみたいなあ、、と言う気持ちにはならんけど。ラジオを聴いている。はさん、(高校の同級生)いよいよ、藤井風(かぜ)君の、ライブに行くらしい。ジャカルタ!である。今月の末に出発だそうだ。ようやく、チケットが手に入ったという。へえ!ジャカルタ!と言ったきり、次の言葉が出てこなかった。かさんに彼知ってる?と聞くと、知ってる。こないだえねちけーに出てたし、紅白にも出たと思うよ。とのこと。へー。あたしはテレビ無しになりもう数十年も経つので、まったくしらんかっとってん。知識としての仕入れをマメにしなくてわ。で、はさんの送ってくれたユーチューブ、観ました。藤井風と言う若いアーティストの。飛び抜けて素晴らしい、という、その歌。何も感じない。はさんは、熱狂する。これだけ、人は違うのか。仕方がない。ちなみにはさんは、数年前まで羽生君の追っかけだった。だから、海外公演にもマメについて行ってたんだ。その時は、まだあたしにこれいいよ、とユーチューブは送ってこなかったけど。多様性バカ 矛盾と偽善が蔓延する日本への警告 (扶桑社新書) [ 池田清彦 ]読了。ここにこの本の紹介をするのは皮肉ではありませんぞ、念のため。
2024年11月16日
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日本の「運命」について語ろう (幻冬舎文庫) [ 浅田次郎 ]【中古】 日本の「運命」について語ろう / 浅田 次郎 / 幻冬舎 [単行本]【メール便送料無料】【最短翌日配達対応】借りてきたのは後者の方。読了。版を重ねているようだ。対談本か?と思って引いたが、講演録だった。でもストーリーテラーの功者である。本の途中から、ひょっとしてこれは、、講演をまとめたものか?と思ったけどおそらくまとめる、、なんてすごい労作じゃないの?一体どんな風に編んでいかれたのだろう、、などと、思いながらの読み進み、結局かなり速く、一気に読んでしまった。で、あとがき。(ピックアップして以下引用)書くことと語ること、としている。 ・本書は私の講演録である。 ・声ではなく文字として読んでいただきたかったからである。 ・したがって本音は、小説の読者の方々にとっては著者自身の作品解題であり、未読の方にとってはガイド・ブックにもなりうるはずである。 ・書こうが語ろうが、読者にとっては同じ私の文章なのである。そう思えば無謀な企みであったかもしれぬ。 ・かく言う私は、眠っているか読み書きをしている以外の時間はたいがいしゃべっているので、講演はまったく苦にならない。 ・講演会は物語の普遍性を鍛錬する場所でもある。平成26年(が初版?)とあるので、この本は、2014年に出た。10年前である。そうか、。10年前か・・。250年以上も、戦争をしなかった江戸時代と言う世界でもまれな政治体制が、明治維新と言う歴史の転換点を経て、現在の日本になっている。あたしも、この近代史には興味があるので、勉強になったし、なるほどザ・江戸時代、ってわけ。その経緯について、知見を新たにすると、また新しい観点が発見され、面白いと思った。多様性バカ 矛盾と偽善が蔓延する日本への警告 (扶桑社新書) [ 池田清彦 ]と併読である。
2024年11月14日
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アウシュヴィッツの小さな厩番 [ ヘンリー・オースター ]一気読了。もしあなたが、人間の、地球上に生きる生きものとしての人間、について、考えたりすることがあるのなら、必読の書と思います。中学か、高校の時に、「夜と霧」-ピーター・フランクルを読んで以来、世の中にこういう事が起ったことがあると衝撃を受けて以来、(長い長い時間の休暇ーつまり読書することに時間を割けない―を経てまた出会うみたいな感じだったけれど)折に触れて、この、第二次大戦におけるユダヤ人虐待の問題には、興味があって、関連図書を読んでいます。この本は、ケルン市に在住のユダヤ系ドイツ人が、1935年のある日に、一斉に検挙(その人数2011人)されてから10年間、に、彼らに何が起こったかを記録してある本です。書いた人は当時6歳で、10年間なので、解放時は16歳。従って、小さな、とタイトルが付いています。今までの収容所関連の本と違い、迫害に関しては解放までの記録が本の3分の2、残りの3分の1は彼の余生?というと大げさだが、16歳から90歳近くなるまでのレポート。だから、いかに、精神的に回復して行ったかも読めるので、救われます。書いた時点では、その2011人の内の生き残りは数人、本の最後では、彼一人だけが、生き証人となっておられます。本中、得体のしれない殺戮の夜のことが書いてあるが、ナチスが43人の収容者を撃ち殺す場面が出てくる。著者は、その集団殺戮の現場にいるが、仲間の4人とともに逃げおおせるのだが、後で聞くと、殺戮の理由がその前日、収容所から一人の脱走者が(生きて)出たことに対する、それに対する報復処置であったとのこと。私は、即座に↓、を想起しました。既読だからです。アウシュヴィッツ潜入記 収容者番号4859 [ ヴィトルト・ピレツキ ]6歳から16歳まで、という人生の初めの時期にこのような体験をしたということだけでも衝撃であるが、数々の幸運?とでもいうのだろうか、、にめぐり合わせ、多くのことを成し遂げられた著者、そして配偶者の方に敬意を表します。(敬意以上なんだけど言葉が見つからない)
2024年11月07日
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【中古】 錢金について / 車谷 長吉 / 朝日新聞出版 [単行本]【メール便送料無料】【最短翌日配達対応】人生の四苦八苦 [ 車谷長吉 ]以上読了。思わぬ出費が生じて、この数か月悩み、お金を生み出すため、実はマイコレクションを売却した。御代官様、、これだけは、、これだけはもってかねえでくださいまし!とセリフが出るようなものは、売らなかった。これだけは、、という、思い出を離したくなかったのかも。売ってみれば、それで良かった。という気持ちがある。持って死ねない。銭金、、の方には、もう少しお金関係のことがつらつら書いてあると予想したけど、あんまり書かれていなかった。しかし、2冊とも、良き伴走者だった。資本主義の中で生きるということ (単行本) [ 岩井 克人 ]著者は、米国の大学で、教えていらしたんですね。知りませんでした。時々拾い読み。【中古】 歴史・小説・人生 / 浅田 次郎 / 河出書房 [単行本]【宅配便出荷】対談集。興味のある作家さんがいると、対談集を必ず読むことにしてる。対談の相手との言葉の調子で、一層、ご本人のお姿が、立ちあがってくるので。対談のお相手の立ち位置も。だから、ははーん、そうか。と感じること多い。見果てぬ花 [ 浅田 次郎 ]かなり、現在に近いところのエッセイ集。浅田さんが初めて飛行機に乗り、海外に行かれたときがあたしのそれと同時期。彼はハワイ。あたしは欧州(その後目的地に居ついてしまう)。彼は団体旅行、あたしは個人。彼の費用は20万円、あたしは100万円、ほどだったか、、一年の節約で自分で貯金した。(親がかり?違います。一人暮らしでした)そう比較すれば、あたしも、頑張ってました、と言えるよね。。失われた古代文明 歴史に消えた40の民族 [ フィリップ・マティザック ]ネトフリで、グラハム・ハンコック、という方のドキュメンタリーを観たので、12800万年前のことかもと思って引いたけど、違って、従来の古代文明の歴史観をなぞった形での失われた民族の数々についての論考。急に、興味が失われた。こないだ、なさんに交響ホールで会った時に、あなたを図書館で見かけて、声掛けしようと思ったのよ。ところが、、あまりの、真剣さ(本を立ち読みする姿)に、たじたじとなり、声掛けしなかったのよ。あなた、すごいね。(何がすごいんだか)単に、目がしょぼついているだけだったかも。ほんま、図書館にはお世話になっております!感謝!昨日は、その、経済の屈託の案件を振込、で済ませた。一つ山越えた。これから、怒涛の節約生活である。お父さん、、とお仏壇に手を合わせる。(えらい殊勝な)
2024年11月02日
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【中古】 錢金について / 車谷 長吉 / 朝日新聞出版 [単行本]【メール便送料無料】【最短翌日配達対応】読了。滋養成分満載。ちょうきっつあん、の本の表紙は、駒井哲郎の作品が多い。この作家さんのは好きだが、深い。暗闇に足を踏み出すような感じだ。特にエッチング。本書中、多くの図書を紹介されている。町田康の「夫婦茶碗」。出ました!と思った。もう一度、読もうかな、。本棚にある。彼は、全く正直に、感想を言うている。飾りが一切ない。好感を持つ。褒めておられる。ホッとした。そして、白洲正子との関係も。文中は必ず、「白洲正子さま」と書いてあった。恩人と思っておられる。ほのぼのする。ただ、、読み進むほどに眉根の中央に皺が寄る。そこで、アジフライの正しい食べ方 [ 浅田 次郎 ]も引いてある。結局、併読できずに、上が終わってから読み始めている。併せて、人生の四苦八苦 [ 車谷長吉 ]これから。表紙のカエルの絵は著者。上手いのだが、弱い、と感じる。なんでも、小学校の時に市の絵画コンクールで1等を取られたらしい。文章にしても、俳句にしても、高みに登っておられる。修行あってのことと思う。あらためて。。選挙の立会人の振る舞いについて、考え続けている。着席したまま動かずに、12時間以上留まる、というのは、強制?じゃないよね、まさか。選挙管理委員会に問い合わせたところによれば、投票者が、投票所に入ってきたときから、その役目が発生する、と理解した。ので、こちらの体力温存のための対策は、自分で考えるということ。3人の立会人がいるので、適宜交代などの行為はオッケー、となっている。ところが、周りの女性に聞くと、アタマからじっとしてなさい!と言われて、座っており、異議申し立てをしていない。だから、もう、嫌、となるわけで、。言う事を聞かない=自由奔放、と誤解しているようだな・・。与えられた仕事に盲目的に従うのではなく、疑問点があれば問い合わせ、自分はこう思う、と意見を言い、また、その意見に対して反論され、そしてまた、しかし、、と答えて問題の核心に迫り、最後、お互いが納得して、その職務に向い、完遂する。ってのが、本来と思う。だけど、そういう、行動様式の事を、「心臓に毛が生えている」と描写される。昨日はプールのウオーキングで、言われた。おかげさんで。
2024年10月22日
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予防医学の名医が教える すごい野菜の話 [ 一石英一郎 ]以下引用 本書 はじめに からp8 2行目→ 野菜にはものすごいパワーがあります。その源泉は、植物の生存戦略にあります。植物は動物と違って、逃げも隠れもできません。有害な紫外線や、土中の病原菌、害獣や害虫から、自分の力で身を守らなければならない。そのために植物は、紫外線による酸化の防止、殺菌や解毒、害虫の駆除などに役立つさまざまな成分を、自ら生み出しています。 私たちは野菜を食べることによって、そうした有益な成分を摂り入れているのです。 また、そうした成分の中には、薬に転用できるものもたくさんあります。私たちが現在、使用している薬剤の七割以上は、植物由来であるか、もしくは植物にヒントを得ているものと言われています。 そうした事実に触れれば触れるほど、そしてその背後にある、生物としての野菜の持つ実に精妙なメカニズムについて知れば知るほど、「人は野菜を食べるべきなのだ」ということが心の底から納得できるようになります。 本書を手に取った皆さんには、野菜をめぐるその謎解きにぜひおつきあいいただきたいのです。(太字は著者)引用ここまで。p9 3行目。虫ではありません。トマトのヘタです。美しい6条ですよね。6条線、といえば、、スタールビーとかの、結晶の6条線、を思い出します。鉱物の分子の並び方で、ヒトの眼には、6個の線に(3個か?)みえるアレ。その昔、、植物学の本で、5条、と6条の、生存戦略、(たとえば5枚の花弁か、6枚の花びらかとか)について、長々と論の展開があったのを覚えている。。植物たちも、真剣に生きているのだなあ・・。
2024年10月20日
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鹽壺の匙 (新潮文庫 くー19-1 新潮文庫) [ 車谷 長吉 ]【中古】忌中 /文藝春秋/車谷長吉(文庫)まだ車谷かよ。訳がある。あたしの母方の叔父は、加古川で薬局をしていたそうだが、太平洋戦争中、か、終戦直後に自殺している。(伝聞で直接会うことは無かった)上記2冊、著者の叔父の自殺に関するお話。姫路付近。直接の動機はそれであったが、父方の叔父の話や、さる親戚の親の世代の話や、が、、記憶の深いところのことであったものが、この本を読むことにより突然、目前に現れて、、。本を読む、ことの、奥深さを知った。そしてなぜあたしが、、この、作家の叔父の自殺に関して興味が向かったのか、、そのわけの一つ二つが現れた数日だった。母方の叔父、母の兄であった人は、加古川に薬局、、と書いたが、ごく小さいころ、一度だけ母に連れられて加古川に行ったことがある。川の畔の風景(それはたぶん加古川だったのだろうが)と、クッキースの大きな四角い缶に、溢れんばかりのイチゴジャム、の(途中で、シールをしていたところからイチゴジャムが漏れて来てたいへんだったこと)べたべたした感じと赤い色とが、唯一、残る記憶。あたしはおそらく、就学前。昭和27年(1952年)ごろかしら。母は8人か9人兄弟姉妹。そのうちの男兄弟、2人が戦死、そして一人が自殺。もう一人は、病弱でこの人が長男だったが、顔に大きな痣があり、小さいころそれを取り除く祈祷?やなにかをして、、亡くなったと聞いている。・・。小さいころから、叔母の一人とは親しかったが、こうして数えても8-9人には届かない。あとはどうなっているのだろう。父方の叔父も8人兄弟で、その戦争中に、一家で疎開し、(父は出征中)北海道に移住している。稚内までの家族旅行の際に、(関西在住の叔父と一緒だったのだが、)結構長く、いろんな話を聞いて、ああ、そうだったのかと思う事が多かった。この8人についても、あたしの脳内は、計算が合わず、もう、数えるのをやめている。とにかく、あたしの親世代は、子だくさんであったのだ。明治維新の前後に興味があるのはそのためである。鹽壺の匙 (新潮文庫 くー19-1 新潮文庫) [ 車谷 長吉 ]が、文庫であったので、ハードカバーはないかと探し、【中古】忌中 /文藝春秋/車谷長吉(文庫)これに、鹽壺の匙 のつけたし?の文章があったので、合わせて借りた。先にこれを読んだら、脳が混乱した。これは、良くないなあと思って、文庫の「鹽壺の匙」に戻り、はー、とため息をついて、読んだ。ちと、努力が必要だった。(字がこまいので)あたし達の親の世代までは、子だくさんで、長子相続の社会では、長男以下の男の子は教育もろくに与えられず、放り出されることが多かった。ということが、分かった。その放り出し方も、シンプルで、お前出て行け、というだけである。過酷である。艱難辛苦の末に彼らは、のし上がっていくもの、それなりのもの、落ちぶれて消えていくもの、、いろいろだったろう。時代が彼らを拾う場合もあった。この小説の起点として、実際、3つの物語が、想起されたのだ。あの人も、この人も、、という具合である。一種のドクメンタリーであるから、あたしは、自分の身の回りの人びとに照らし合わせることができた。だからどうなんだということなんだけど。。
2024年10月09日
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パリのすてきなおじさん [ 金井真紀 ]しびれたセリフ 以下 飛び飛びに引用します。→〇「表に出ない仕事ってやつだ。誰にも知られずにやるのさ」〇「おれは派手なことがきらいだ」〇「なんとか美術館の作品を手がけました、なんて自慢げに写真を公開する職人もいるけど、アホかって思うね」〇「おれは細かいところまで丁寧にやりたいの。機械を使えば二時間でできる仕事を、手で百時間かけてやりたいわけさ。その気になりゃいまの三倍は稼げるかもしれないけれど、それはおれの仕事じゃねえから」〇「いまは3Dプリンターを使った復元でも商売になっちまう。このセーブル焼の取っ手だってな、3Dなら七百ユーロでできるんだと。それを聞いておれは言ったのさ。じゃあ手仕事だけで六百ユーロでやってやるよってな」〇「一時期、古い武器の修理をしていたこともあった。でも武器コレクターの多くは、現代の武器商人なんだってことがわかってきた。武器を売って稼いだクソみたいな金でおれに仕事を頼んでくる。そういうのはいやだから」以上引用 本書中 アートなおじさんの章 「下町の彫金師」章のタイトル「機械を使えば二時間でできる仕事を、手で百時間かけてやりたい。ーフレデリック・モレル」より。p48-p55 (太字引用者)このおじさんは、本で言えば7人目。総勢40人以上のおじさんのレポート。それぞれのおじさんは著者の描くポートレート付き。しかも、カラー!どれどれ、。。「テヘランのすてきな女」同じ著者で最新のだけど、これを図書館の方に勧められて読み、そして、ありがとうと御礼を言ったら、、こういうのもありますと、また進めて下さり、ありがとう。
2024年10月08日
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旧暦の呼称なので、実際は11月に入ってから。カンナ、という洋花があるが、これは関係ないようだ。しかしあたしは、関連しているように覚えてしまっている。色と言い、名前の響きと言い、そして、中村メイコさんのお嬢さんの名前と言い、、いろいろで。庭のヒガンバナが一斉に広がった。あたしは、バーミリオン、という色も!好きなので、気になる。(一番下の写真の色が、バーミリオン。)かみなしづき、そして、出雲地方では、かみありづき、。神さんが、出雲にお集まりになるとの事で。それでも、神さんがお出かけでも、こちらの集落もお祭りをするのだが・・。完本 神坐す山の物語 [ 浅田次郎 ]読了。リクエストして、順番待ちだった。短編をまとめてある。底流には、夏休みにいとこはとこが、山の上のお里(神主さんが宿坊をしている)の大きな神社に併設されている宿坊に集合!そこの大広間で、寝物語にいろんなお話を聞く。ってのが共通の背景。著者はあたしより3歳年下。弟と同い年。いとこはとこの大集合、山の上の大きなお家、夏休み、という思い出があたしにもあるので、本の内容はとにかくとして、懐かしい感じだった。車谷長吉の前は、浅田次郎の著作を続けて読んでいて、作家それぞれの色合いの違いが興味深い。なぜここで、(車谷、、に耽溺し、ふと、浅田?)思い出して読んでみようかと思ったのだろうと、思っていた。やはり前者には独特の暗さがあるのかもしれない。と思った。
2024年10月07日
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水と清潔 風呂・トイレ・水道の比較文化史 (朝日選書1043) [ 福田眞人 ]地球上の水は、ざっと98%が海水、残りが真水。人が日常接する、この真水についての論考。(海水に関しても少しあります)ガンジス河の人びとの沐浴行為の描写から始まるこの本、引用したいしたい・・とあたしの欲をそのままにしていると、ほとんど全部を書き写してしまいそうになるので、困った。まことに、珍しい事なんだけど、昨日の電車で、読書を。(普通はしません、目がチカチカするし・・)それほどに、魅力的な本です。では、第三章 水と衛生行政ー英国の場合 から以下引用p155 14行目から、p156の4行目まで。→一八四六年には、浴場や洗濯場を建設することを許可する法令が出され、多くの町でこうした施設が公費で建設された。一八五〇年代からは、比較的裕福な階級で自宅に風呂場を併設するようになったが、完全に普及するには至らなかった。さらに一八六〇年代からは貧困層に、清浄な飲料水を供給するための水飲み場が設置されるようになったが、労働者階級の自宅に水道水が水道管によって供給されるようになるのは、ずっとのちのことである。しかし、それから百年後の一九六〇年になっても、英国全体の家の四分の一にはなお風呂もシャワーの設備もなかったのである。清潔という観念も、またその設備も、社会の末端に至るのには、相当な年月を要したということになる。引用以上。(文中の太字引用者)(1960年、と、この辺りで一気に時系列が身近なものとなって来る。1960年と言えば、あたしが12歳のとき。23歳―25歳の間、英国じゃないが、欧州大陸の北の端の国に滞在したので、下宿屋のシャワー設備や、古いアパートの共用キッチンや、当時最先端の学生寮のLDKなど、使用経験があるので、まざまざと、思い出している。)ほんの数行ではあるが、この本の中に、ホンマ、実際のところ、、心配なく「水道の蛇口」からゴクゴク水が飲めるのはスイスと日本だけじゃないのか?という言葉もあったけれど・・。ジェンダーがどうやら、オトコだけの会議がどうやら、、男尊女卑やら、女性の地位やら、言うてますが、美しい水、のある、稀な場所なんだね。日本って・・。(だからと言って、今回の組閣に女性がやはりごく少数、ってのはいただけないけど・・)今日は久しぶりの雨だ。
2024年10月03日
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声を大にして言いたい!この2冊は、現代人必読書だ!人類はどこで間違えたのか 土とヒトの生命誌 (中公新書ラクレ 819) [ 中村桂子 ]最初に図書館で背表紙を見たとき、自分に問うて、、どこで?どこでって・・?やっぱり、産業革命くらいじゃないの?と思ったけど。著者は、人が農業を始めたくらいの1万年前、が、、分岐点という論で、この本を書かれている。水と清潔 風呂・トイレ・水道の比較文化史 (朝日選書1043) [ 福田眞人 ]一方こちらは、宗教史の観点からお話が始まり、ところは、インド。人びとの夜明け前からの行動、、沐浴、、(お参り行為?)ガンジス河の、茶色い水の中に、あまた民衆が、一斉に河の中に入っていく、、そういうシーンから、「水と清潔」って??の論を進められる。いやあ、、面白いお話ばかりである。図版も多く、知らなかったことだらけで。。今現在、清潔な飲料水をば、無意識にゴクゴク飲んでいる我ら日本人よ。
2024年10月01日
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放置資産がコミュニティを毀損する 地域社会に放置された家屋・農地・山林をどう管理するのか [ 片野 洋平 ]イギリスの政治家・外交官であるジェームス・ブライスは、彼の著者で「地方自治は民主主義の学校」と言いました。正確には、「地方自治は民主主義の最良の学校、その成功の最良の保証人なり」と表現したことに由来しています。だそうだ。関わり続ける、ことの大切さ。人類はどこで間違えたのか 土とヒトの生命誌 (中公新書ラクレ 819) [ 中村桂子 ]中身に何が書いてあるか、分かりながら、としても、新たな知識がまた得られる。飆風【電子書籍】[ 車谷長吉 ]読了。ハイ次は、、【中古】妖談 / 車谷長吉薄紙が重なり、光が澱んで、静謐な空間が出来上がっている。おそらく、二度と読むまい、と思われる方もひょっとしたらおいでになるかも。そこんところが、あたしは好みである。かつて読んだ時代小説で(作家は違う)、色の表現が素晴らしいと感じたのもあった。一方、ちょうっきっつあんは、色彩は、ほとんど表現されず、てか言葉にはしておられないが、極彩色、なんである。あたしにとっては。派手じゃない、ところがまたいいなあ。。水と清潔 風呂・トイレ・水道の比較文化史 (朝日選書1043) [ 福田眞人 ]ゴミと日本人、は図書館から借りて来て、汚してしまい、それを返却したら、これは、、(ダメ)と言われ、弁償のため新しく購入し、図書館にお渡しした。従って、よごれっちまった方の本がウチの本棚にある。図書館のハンコが押してあるので、なんだか、、返却してないように誤解されそう、と、その本の背表紙を見るたびに思う。ああ、見るたびに気になるのだったら、見開きにメモしておけばいい。そうだそうしよう。この、「ゴミと日本人」以来、水関連は多くの本を借りている。水、H2O、地球上の水分、、などに関心があるので。読書手帳は(シールを貼って記録とするミニノート)13冊目になった。このゴミと日本人は、読書手帳、というものがあるのを知らなかった時代の、数百冊のうちの1冊。10年前くらいに読んでいるかな?ごみと日本人 [ 稲村 光郎 ]
2024年09月29日
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飆風【電子書籍】[ 車谷長吉 ]読了。再読、読了。犬が3匹に風、で、ひょう、と読むのか。カッコイイなあ。あ、(装画)駒井哲郎や!(好きな版画家)実際、車谷さんは、絵も上手かったらしい。この本は、短編集であるが、その最後に「私の小説論」という講演の文章が入っている。私は、貧乏が、好きなんです。と、書いてあった。お金持ち、が好き、なのは、普通。やっぱり、作家さんは、違うのか。それとも、彼が変わっているのか。でも、この、貧乏が好き、には、惹かれる。そして、風が吹く。大場みな子(作家)の物言いに、「作家ってのは、公共の橋の欄干の上で、まっぱだかになって踊るようなものよ」というのがあるが、何やら、共通項があるような感じだな。人類はどこで間違えたのか 土とヒトの生命誌 (中公新書ラクレ 819) [ 中村桂子 ]併読はこれだが、こちらが今はメインになりつつある。耳が痛いので、つい、読み進めず、止まる。ときどき。プール再開。(長期休業、と言っても半月だが、)ホッとして、また行く。
2024年09月27日
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テヘランのすてきな女 [ 金井真紀 ]読了。おススメ。女性対象のインタビュー集。必ず、著者の描いた対象者の肖像画が付いている。のほほんと軽い、と思っていたら大間違い。昨日は、武田砂鉄さんの書評がネットのメディアに掲載されていた。国を見るか、人を見るか。で全く違うよね。みたいな、素晴らしい書評だった。なんせ、レイプを裁判所に訴える、という場面があるとして、弁護士(女性)の方が悩む。どうして(訴える事)悩むのですか?と聞く。イランの法律では、レイプ犯は、死刑なのである。なるほど。ザ・ワールド。そうだよな。スカーフに関してだって、場合によればむち打ち30回とか、になるくらいだもの・・。以下引用→おわりに から。p308「イランの女性の話を聞いてきて、あなたはどう思った?日本と比べてどう?」 取材中よく、この逆質問を受けた。毎回うまい答えがスッと出てこなくて、しどろもどろになった。「ええと、日本も男と女は全然平等じゃないし、弱い者いじめする人も多いし、けっこう生きづらい国なんです。でもやっぱりイランの方が何倍もたいへんだと思う。だからって、イランの女たちは縮こまっているわけじゃない。パワーがあって、おおらかで、楽しい人が多かった。東京でぼんやり生きているわたしなんかより、テヘランで会った女性たちの方がずっと自覚的だと思いました。」 とかなんとか、もごもごとそんな事を言った。ぜんぶ本心だけど、なんだかいかにも模範解答っぽい。たぶんわたしはもっと経験し、もっと考えないと、イランの女性について語ることばにたどりつけない。いや、結論めいたことなんて永遠にいえないかもしれない。←引用ここまで。p308彼女のドロウイング(イラスト)が素晴らしい。多くを語る。この「おわりに」、の最後の方で泣いたので、小説よりドラマティックだった。と思う。
2024年09月23日
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赤目四十八瀧心中未遂 (文春文庫) [ 車谷長吉 ]読了。平野から、草原へ、丘へ、そして山に入り、いよいよ一つの高みへ、というわけで、この方(つまり著者)の書いた本を、ちゃんと読んでみようと、いよいよ、直木賞受賞の作品に入った。そして、一気読みだった。この本に登場するすべての地名、(東京都方面は除いて関西部分)は全部、アタマに入っているし、なんせ、書かれる人のセリフの関西弁はイントネーションに至るまで、読んで再現できる。なんという、、幸運。テーマとなっている、「アマ」ー尼崎。住む、ことは無かったけど、もちろん、何度も行ったことはある。しかも、小学生の時に、今でいう古物商取り扱い、昔はそういうのを骨董商、と言ったがお嬢、の母親が、趣味で始めたこのお商売のために、関西の、所謂、「市(いち)」ーオークションの場ーいうまでもないがリアル、、に、連れて行ってもらっていたので、その「市」の一つに、尼崎の下町があって、、(3のつく日か、8のつく日か、、だった)裸電球と、ほの暗さ、埃っぽさ、、人いきれ、、の空気を経験しているので(小さいとはいえ、強烈な印象)なおさら、臨場感あふれた。大阪府になるが、「じゅうそう(十三)」の商店街の(行政府はまたぐが、すぐ隣り町)魚屋さんの奥さん(苗字)という方から、母は、ブルドッグを買っている。奥さんの紹介だったのかもしれない。奥さんちには、ブリンドル(毛色)の、名前は忘れたがチャンピオン犬のオスが居たのだ。母はメスを買って、このブリンドルと交配し、子犬をゲットしようと思ったんだと思う。栗色の犬だったので、名前はクリ、になった。(今でいう、ブリーダー)。子犬は3匹生まれたが、クリは出産時に亡くなった。(ブルドッグの出産は難産)あたしが、中学2年のときである。(ちなみに、この3匹、家族総出で、哺乳瓶で育て、3匹とも大きくなった)小学校の時にさあて、4年か5年か、、アマの市(いち)に通って、イスやら、ピアノやら、壺やらの大きなものの競りの場所を知り、その市(いち)の帰途、犬の事を知り、、子犬が産まれたのは、中学2年生だから、すでに5年ほどは経過。”市”に出向くことはフェイドアウト。その時くらいから、母は宝飾品の商いをするようになり、業者が、ウチに来て、顧客のリクエストに、お答えしていたみたい。その宝石屋さんは、ウチで宝石を広げて、見せてくれる、、というのがその人のお仕事、、なのだから、あたしも同席であったが、(当時は母40歳くらい、47歳で亡くなるのだが)皮の袋から、チャラチャラと石を出すのではなく、ジャーン!と、一列に並んだ指輪が10列ギッシリあるような、四角いケースを開けるのだ。光が出ているように、思ったものだ。母の商売など、たかが知れているので、見せてもらっても、それはまたすぐに閉じられたが。。この本を読んでいる間に、断片的にいろんな思い出が浮かびあがり、それはそれは、至福のひとときだった。直木賞、という関門のなんたるか、が示されていると思った。そろそろ、ちょうきっつあん、は卒業か。しばらく。
2024年09月21日
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国民の35%が65歳以上という事になったらしい。3人に一人は、老人である。敬老の日のお祝い、して欲しいですか?と、女性高齢者に聞いたさるアンケートで、して欲しくない、まあまあして欲しくない、が7割、と結局して欲しくないが多数であったとの記事を見た。また、62歳女性が、職場で、「おばあちゃん」と、先輩男性に言われて、抗議をしたら、おばあちゃんなのに、おばあちゃんと言って何が悪い、と逆にいい返された、とか言う記事もあった。彼女はさるサイトに、私はおばあちゃんなのでしょうか?と、投稿してる。老、という字に反応する、それもマイナスの、、気分、時代の気分を感じた。アンチエイジング、の負の側面である。たしかに、老いる、のは、誰しも歓迎していない。皺、シミが、出てくれて、ありがとう、と思いますの、と樹木希林さんが言ったとか言わないとか、。なぐさめか、はたまた哲学か、はわからんが、。あるがままに、歳を重ねることのむつかしさよ。というわけである。今の時代でも、かなりの割合で、女性それも中年以上の女性に対し、公の場で、おかあさん、おばあちゃん、との呼び方がまん延している。今を去る、40年前、あたしが、当時住んでいた自治体(兵庫県)に我が子の通う小学校に学童保育の制度を導入せんとて、市役所に、鉢巻きしてママさん達と出向いたとき、役所の担当、(男性)が最前列にいる私におかあさん、、と呼んだことを思い出した。即座に私は、おかあさんは止めてください。私はあなたの母親ではありません!と、抗議した。こないだ、プールで、同じウオーキングのクラスで、ふさんが、(彼女は幼稚園の先生)おかあさん、とあたしに呼びかけた。彼女は、還暦を過ぎている。「やめてくれる?その、おかあさん」と言う。職業上、癖になっているのだろう、とは分かったけれど、あたしに言ったのが運のつきだ。彼女は、すぐに、ごめんなさい、と言ったけれど、。もっともっと、訂正を求めていい。女性たちよ。ここだけ、今だけ、自分だけだから、このひと言を流しさえすれば、このまま、ハナシは進むのだから、、と、役所で、学校で、銀行で、郵便局で、スーパーのサービスセンターで、ありとあらゆるところで、話しかけられる中高年女性は、異議申し立てをしないといけない。身内関連の呼称を、他人が安易に使うべきではないのだ。逆に男性がその立場に立ったらどう思うか。まだまだ、と自覚しているところへ、おじいちゃん、おっさん、オジサン、仕事の場で呼ばれたら、、ああ、呼ばれることは無いか、。。話は関連するようなしないような・・。あたしはこないだ、自治会の役員会で、おばはん、と言われて以来、その事がアタマから離れず、おばはんについて、調べている。自分事としては、こちらに来てほどなく、JAのスーパーの横のATMで振り込みをしていた時、(いらちのおじさん)突然ドアを開けて(そこのATMは定員1名ドアつき)大声で怒鳴られて、おばはん、と言われた。おばはん!の洗礼である。その顛末は数回このブログに書いたが、、それ以来の出来事だった。こないだのお盆休みに娘が帰省し、犬と一緒オーケーのホームセンターに出かけたときの事、店内で買い物した娘と孫、他の場所で買い物していたあたしは、店の入り口に車で寄せて、車のドアを開け、迎え入れようとした、。そこは買い物をするために入る入り口通路の手前、20メートル(ああ、20メートル歩かされた人、怒ってましたねえ)くらいで、丁度その時、クルマのドアは開けてる状態(つまり待ってる状態)で、反対側に高齢の母親とその息子さんが、歩いてきていた。おみ足が不自由なそのお母さん?を息子さんがサポートしている。結局、彼らの進むべき道を塞いだ状態で車を停めたのだった。あたしは彼らには気がつかなかった。気がつかなかったことは反省して、ああ、悪かった。とは思ったが、こちらも、娘孫と荷物を乗せればすぐに移動できる。その時間、数秒乃至、10秒いかない。ところが、その息子さんが切れて、おばはん連呼!他にもいろいろ。娘は、おばはんと呼ばれたのが、生まれて初めてだったらしい。こちらは、一切の抗弁なしに、すみません、すみません、、と2回ほど言ったと思う。車を発進させてから、娘が言う。こんなことだから、田舎に若い女性がいつくわけがない。ま、あなたも立派なマダム、なんだけど。と思ったけど口には出さず。プンプンと憤慨しておった、ねえ、。もともとの言葉が生まれたときは、おばはん(大阪の船場あたり?)は敬称だったのだろう。言葉の価値は堕落する。蓋し名言。名前で呼ぶ。職場の肩書で呼ぶ。など、考えてよネ。男性諸氏。心で思っても、口には出さないでね。。
2024年09月16日
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【中古】女塚 車谷長吉初期作品輯/作品社/車谷長吉(単行本)読了。すでに亡くなっているので、お顔を見に、サイン会とかには行けない。彼の、極若いときの作品集。この年で、こういう風か!(老成)とびっくりするやら、唸るやら。特に、最後の、天皇制と私、に関したエッセイは、秀逸。安全に狂う方法 アディクションから掴(つか)みとったこと (シリーズ ケアをひらく) [ 赤坂 真理 ]アディクションをテーマに。こういう、自分とは離れたところにいる方の文章をば、時々読むのも、またいいかもと思いながらの読み進み。テヘランのすてきな女 [ 金井真紀 ]図書館の係の方が、あたしが新刊書のコーナーに居ると、これなどいかが?と、小声で、勧めて下さり、ありがたく、借りてきた。イラストがいいので、楽しく読み進む。日本が、ジェンダーの哲学に大いに後れを取っていることも、あらためて、考えさせられている。
2024年09月15日
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共感ベース社会の陥穽(というタイトルで、今年7月の終わりに書かれたものを全文コピーです。) 先日、ある文学賞の選考にかかわっている編集者からこんな話を聴いた。この文学賞では投稿されてきた作品を編集者たちがまず「下読み」をして、候補作を絞り込んでから選考委員会に上げる。何百本も応募作が届くのだから当然である。その「下読み」の時に、若い編集者がある作品について「これは落としましょう」という低い評点を付けた。理由を訊ねたら「主人公に共感できないんです」とこともなげに言ったそうである。「驚きました」と私に話してくれた人はため息をついた。「主人公に自分が共感できるかどうかが文学作品の質の判定基準なんですよ・・・」すごいですね、と私も応じた。その基準だと『悪霊』や『変身』はたぶん一次選考で落ちてしまうだろう。 共感できるかどうかというのは個人の気質の問題である。「自分と近い」ということはその作品に「価値がある」ということを意味しない。そんなのは自明のことであるだと思っていたが、いつの間にかそうではなくなっていた。自分とケミストリーが近いかどうかがある時期から「価値」の基準に採用されるようになった。 今回の都知事選を論じたものの中に、二位になった石丸候補について、「若い人たちの共感を集めた」という分析を多く読んだ。そうだろうと思う。攻撃的で冷笑的であることが生き延びる上では力強い「ウェポン」になるということを経験的に習得してしまった若い人たちが、石丸候補のうちに「自分と同じケミストリー」を感じることに不思議はない。 左派系の人たちは「若い人たちは情報が不足しているから、こんな選択をしたのだ。事実を開示されたらこんな投票行動をしなかったはずだ」という「啓蒙主義的」総括に傾きがちだけれど、私はこれには容易に同意することができない。投票行動が共感ベースなら情報の多寡は問題にならないからだ。共感ベースなら、石丸候補がいかなる政治的立場を取っているかも、公約が何であるかも関係がない。動画を見て、街宣を聴いて、自分と「同じ生地」でできている人間らしいと感じたら、投票行動を決定する情報としてはそれで十分である。 でも、「共感」ベースで政治的判断を下すことについては、それがいかに危険なことかはしっかりとアナウンスしなければならないと思う。「共感」ベースで政治的判断を下すということは、理解も共感もできない人たちとのコミュニケーションは初めから放棄するということだからである。 ただ、このリスクについては左派の人も決してそれほど神経質であるようには見えない。ずいぶん前から「市民目線」とか「生活者視点」ということを左派の人々も言うようになった。それに基づいて公約の適否を判断してよいということなのだとすると、それは要するに「自分にとっての損得」を基準にして政治的に行動してよいということである。しかし、自己利益の増大が集団全体の利益の増大に結びつくわけではない。部分最適と全体最適はしばしば背反する。当たり前のことである。だとしたら、どのあたりが「おとしどころ」かを思量するのが、政治的に成熟した市民のなすべきことではないのか。それをあっさり「自分目線で」と言い切ってしまう人が右派の共感ベースの投票行動を批判することができるだろうか。 不安なことに、共感ベースの政治に対するつよい懸念や批判を私はこの20年ほど目にした覚えがない。それどころから人々は久しく「理解でき共感できる身内」がどこからどこまでか精密な境界線を引くことを「アイデンティティーの確立」と称して、その不毛な仕事にひたすらうちこんできた。そうやって「身内」とはわずかな目くばせや符牒だけで身内認定できる技術を磨いてきた。みごとな達成だと思う。けれども、そうやって孜々として共感の輪を創り上げていたら、気がついたら「身内」以外とは意思疎通が困難になってきていたということはないのだろうか。 その「身内」認定にしても本人が「あいつはオレと同じケミストリーの人間だ」と思い込んでいるだけで、一種の関係妄想に過ぎない。非正規雇用の若者が「経営者目線」を内面化したり、年収200万の人間がIT長者に喝采を送ったりする光景は珍しくないが、先方は別に「貧しい身内」を内輪のパーティに呼ぶ気なんかありはしない。 近代市民社会がそれまでの部族社会から脱却できたのは「共感ベース」を廃して「社会契約ベース」にしたからである。共感ベースではある程度以上の規模の集団を維持することができないからである。 旧ユーゴスラビアはかつて「六つの国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字」から成る混成国家だったが、「政治単位は共感ベースであるべきだ」というイデオロギーが支配的になったせいで内戦の果てに六つの国に分解した。 ホセ・オルテガ・イ・ガセーは今から100年近く前にこう書いている。「文明とは何よりもまず共同生活への意志である。他人を考慮に入れなければ入れないほど非文明的で野蛮である。野蛮とは、分解への傾向である。だからこそ、あらゆる野蛮な時代は、人間が分散する時代であり、たがいに分離し敵意をもつ小集団がはびこる時代である。」(『大衆の反逆』) 今世界は再び野蛮に退行しているように私には見える。(『週刊金曜日』、7月17日)(上の記事は、、今の世相をよく表していると感じたので、引用しました。)昨日、ネットでニュースを見ていて、かねてより、兵庫県民であるあたしは、現在の兵庫県知事の百条委員会での発言に興味があったので、衝撃を受けた。というのが、、知事の、「道義的責任、が何かわからない」という発言である。知事は、息子と同い年だ。いつもお米を分けてもらってるなさん、昨日、稲刈りだったそうで、(それは知らなかったが、いつものようにお米を所望した)刈り立てホヤホヤだよ、と、分けて下さった。やったー!新米だ!早速、娘と、息子に送ってやろう。
2024年09月07日
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癲狂院日乗 [ 車谷長吉 ]日記。その日の出来事を書く。これは一年間、書かれて25年後に出版された。事細かに人間をも描写。あさん、いさん、、(名前のアタマ文字)と、敬称、というあたしの書き方と、同じ方法を取っている。(文中は〇氏として。これは後書きで知ったことだが、もともとは実名)ので、びっくりしたわ。ただ、その、アタマ文字(ひらかな)に、傍点がつく。以下引用p141-142 九月三十日・水曜日。雨、午後、陰、夜、雨。(この行のみ前p) 中略ーー 夜、十一時半帰宅。嫁はんに留守番電話を聞かされる。も氏から抗議の電話。声が慄えていた。ほとんど泣き声だった。悲鳴だった。私が新潮社「波」十月号に書いた「意地っ張り文学誌」第三回の原稿に対する抗議である。平成四年秋、も氏、よ氏に神田小川町の「円居(まどい)」で私の『〇壺の匙』の出版記念会を催してもらった時の、も氏の発言をそのまま、「波」に書いたのが、氏をうろたえさせたようだ。「車谷、これできみも処女小説集を出したわけだが、問題は第二作品集で、第一作品集をいかに超えるかだ。人はともすればマナリズム(自己模倣)に陥りがちだがね。俵万智の歌など、その典型だろう。一遍うまく行ったら、そのうまく行った自分の作品を、次ぎの作品で、も一遍なぞるんだ。」「それから、小説家の場合、だんだんに作品を多く書いて行って、もう書くことがなくなったら、だいたい苦し紛れに伝記小説に手を出すね。高井有一が立原正秋の伝記を書いたのなど、その一番よい例だ。」文士は悪人である。悪(わる)である。悪である事の苦しみに堪える辛さを忍ばなければならない。しかるにも氏はそれが忍べない。従って善人として生きようとする。弱い。抗議の電話は泣き声だった。己れのけちな体面ばかりを考えた声だった。酒を呑んだ席の私的な話を、いきなり公の場に発表されたので、あたふた、じたばた、おろおろ。泣き声で抗議してきたが、要するに人間が弱いのだ。文学者というのは因業なものだ。因業に堪えうる人だけが、文学者として生きて行けるのだ。その点では、も氏は自分ではいっぱしの文学者づらをしているが、到底文学者の器ではない。阿呆な奴だ。も氏の言は世の中のどこへ出しても、恥ずかしくないものだ。にも拘らず、それに自信が持てなくて、ぎゃあすか言うのは、ただ肝ッ玉が小さく、小心、度胸のない男だということだ。文士は悪に堪える苦しさを忍ばねばならない。分かったかッ、阿呆ンだら。順子ちゃんが「また友達を一人失った。」 手紙3通。引用以上。(引用文中、〇は難し過ぎて出ませんでした、監、に似ている字)読む方は、10月の30日くらいまで来た。引用文のようなものは、時々しか出てこないが、、その時々が、、豪華絢爛である。これじゃあ、、25年後(出版)、ってのも、納得できる。
2024年09月06日
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【中古】 灘の男 / 車谷 長吉 / 文藝春秋 [単行本]【メール便送料無料】【最短翌日配達対応】三篇の聞き書き仕様小説(と言っても、、実名?目白押し)最後の、御姫様、、のお話は、あたしの亡母がほぼ同じ世代で、ほぼ同じ境遇であったこともありなんだか、、不思議な気分で読み進んだ。読者(あたしのこと)がすでに後期高齢者である。癲狂院日乗 [ 車谷長吉 ]一年間の日記。出版までのイキサツを、妻である高橋順子さんが後書きに書いておられる。この後書き、読んで、、納得。ご本人は、なくなって久しい。(実は知らなかった)こうして、世の中に出る(出版される)まで、25年もかかった。時間軸が、びょーーーんと伸びた感じの昨日今日。
2024年09月05日
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図書館には人がいないほうがいい [ 内田樹 ]この本が出版された、ということは数か月前には(先生のブログから)分かっていて、たまたま、新刊書コーナーで発見し、お持ち帰り。嬉しかった。ミニシミテ [ 田中 泯 ]人が地球上に現れて以来、気の遠くなるような時間が過ぎて、その間、言葉が意思疎通の手段となるまでは、ヒトは、しぐさや、身体の動き、つまり、踊ることによって、意思疎通を図っていたのではないか。もしそうならば、、身体性に関して、我々現代人は、もっと、関心を持ってもいいのでは?というのが、泯さんの基本スタンス。ということで、、鋭意読書ちう。『中古』愚か者—畸篇小説集版を重ねたかもしれない。だって、古書、じゃなかった。村上豊さんのイラストが、表玄関。(表紙)町内会 コミュニティからみる日本近代 (ちくま新書 1797) [ 玉野 和志 ]都市部中心のレポートだが、高齢化社会はあまねくこの国の様相なので、ほぼ、参考に出来る。ただ、カントリーサイドには神社、檀家、などの宗教的要素が入って来るので少しずれる。とまれ、こう言った、日本独特のコミュニティーの在り方について、網羅されているので、お勉強だ。(自治会の役員にならなければ、知らなかったことが多い。)仰せつかって、半年が経過した。昨日夜の、役員会でも、仰け反るようなことが起っている。待てよ、、、。と考えてみる。要するに、、地元会員皆様が、全員(ほぼ)家族。という感じなのかも。そう思って、お付き合いしなければ、。。とか。いやいや、、ひょっとして、、、家族よりもっと、バインドは強いのかもしれないね。ある意味。黙って喋って [ ヒコロヒー ]時間の流れ方が場所により異なる、という感じで、都会と田舎を捉えると、ハッキリして来るが、(要素的には、数字の世界-つまり経済ーが多くを占めているけど)その落差に直面するとショックである。誰でも。丁度、あたしが、教育機関から、卒業して、社会に出たときに展開される世の中の様相に愕然、としたように・・。(初めて就職した会社は、女性が全員、制服で、男性の補助役で、結婚退職が当たり前で、給料も男女で違いーもちろん、オンナが安い―異議申し立てすれば組合男子から恫喝され、制服拒否したあたしは、湯沸かし室で、御局様たちに囲まれて、、どうなってんの?)冗談でなく、半世紀後に、これまた同じショックを受けるとは!!!おもろいような、トホホのような・・。
2024年08月31日
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黙って喋って [ ヒコロヒー ]人生は、平坦な道ではない。凸凹がある。このところ、その、凹、の方面で、文字通り、凹むことがあって、しかし、表向きには、変わりがない暮らしなのだが、(あたしにすれば、、かなりの大金を支払う局面だ―仕事関連)だから、落ち込んだ。経済的に。しかも、台風である。気圧が低い。気分低調。さて、このへこみを埋めなければ。ようやく、、光が見えてきた、、(天国の、、ではありませんが)と思ったところへ、もうしばらく、キツキツの節約生活を余儀なくされる。電気ケシまくり、は継続して、他には、、他にはいろいろ。その、途上に、ヒカリ物が置いてあった。手に取り、矯めつ眇めつ、。よく出来た文章、かつての、町田康を彷彿とさせる。今度は女性である。実はもう読んでしまった。台風と、落ち込みとのダブルでおとなしくしている間のご褒美だった。連載されていたとの事。この数年。書下ろしが数編。中でも、「紙ストローって誰のために存在してんの」が良かった。ヒコロヒーさんの、追っかけになりそう。
2024年08月30日
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ミニシミテ [ 田中 泯 ]踊り、はオドリ、と書いてある。以前、笑福亭鶴瓶さんのテレビの番組にゲストとして登場した著者の言。畑をしてるんですが、今はジャガイモを作っています。田中泯の作るジャガイモなので、「ミンジャガ」と言われてます。と答えておられたのが印象に残っている。その、泯さんの文章。分かりにくい、というか、、ダンサー「田中泯」独特の文章で、世に言う、一つ事に飛び抜けてはまる研究者、の感じ。彼のオドリ、を間近に見たことないあたしがいうのもなんだが、なんか、すごそうだ。人がそう言うのではなく、今回は彼の文章からそう思った。読むのがしんどいのだが、それでもページはめくられて行き、もう、残りは少なくなっている。としたところへ、、黙って喋って [ ヒコロヒー ]入荷しました。と、図書館から連絡が入った。いそいそ、取りに行く。短編集。読み始めるまで分からなかった事だが、恋模様の短編集のようだ。最初の最初、オトコ(名前で分かった)が、謝るセリフ、そして、オンナが許す場面。なんか、軽いんやね。と思ったけど、この筆力は、なんなのさ!この人、すごい。で、結局、、サクサク。。「しらん」という短編まで読み進む。小一時間。恋だの愛だのは、もう忘却の彼方であるにもかかわらず・・・である。やはり、タイトル、「黙って喋って」のパワーです。このタイトルであたしは、読みたいと思ったもの。2冊併読の状態になり、、朝から思ったのだ。「芸」。昨夜、早く就寝した。「ふるさと」という知らない歌(あたしが知らないだけで結構有名な今の歌)の音取りをしたせいで、そしてそれがいい歌なので、音取りしてる間に、実はウルッと来て、涙がでたくらいで、、ホンマいい歌なんですが、音符が、ほとんど八分音符で、早さが84(一分間)と、結構早いので脳が集中したこともあって、疲れたのだと思うが。すると、律儀に、一時間早く起きてしまった。雨音は、梅雨のようにルバートなれど(ゆっくり演奏)台風の事も気になって、雨戸閉めなくちゃ。とか思ったりして。ひころひーのような芸人さんが居ると思うと、この国も大丈夫のような気がした。テレビ以外でしか、その雄姿?は見ることが出来ないのだろうか。いや、その内に、肉声も聞いてみたい。
2024年08月29日
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『中古』愚か者—畸篇小説集多くの短編の中から、「ぬけがら」より。p82 5行目より 以下引用→ その晩、北川氏はこんな話をした。ーーー僕の親父は鳥取県の寒村の生れで、東京へ出てきて、学校を出たあと会社員になって、世田ヶ谷区の祖師ヶ谷に家を買いました。それが昭和30年代のはじめ、高度経済成長がはじまったころです。そのころにはもう姉と私は生まれていました。あとに弟が一人生れました。その三人の子をそれぞれ学校を出し、嫁にやり、会社員と教員にしました。会社員になったのが、僕です。家の窓べに花を飾ったり、部屋の壁や便所の中に絵を架けたり、つまり「便所」を「トイレ」と言い抜ける、そういう都市近郊の生活です。併しこんな生活は、はじめからぬけがらです。何の目標も根拠もありません。親父は、家を買った時の借金を返して行くだけのその日その日です。返し終わると、癌で亡くなりました。僕ら子供たちもそれぜれ、たまたまです。学校を選ぶのも、嫁に行くのも、会社勤めをするのも、その場その時のたまたまです。無根拠性の中を漂っているだけです。ふとその場その時の出来心で盗みをしてきたようなものです。それがたまたまばれなかっただけのことです。 ーースーパーマーケットへ行くと、魚や肉を売っているじゃないですか。僕はある時まで、海には魚の切り身が泳いでいると思っていたんです。肉を買って来て、晩飯のおかずにする。だけど世の中には「お肉」なんてものはないんですよ。あれは牛の屍体なんですよ。牛の屍体を「お肉」と言いくるめて、平気でいるのが僕らの生活だった。何か耐えがたいほど居心地のいい、うその生活ですよね。ところが、そういう生活に平気でいる人は、牛をさばく人に感謝するどころか、逆に白い目でみたりします。引用以上。p83終りから3行目まで。(文中ルビは省いている。ただよう、と言う語の漢字はサンズイに羊の下に水。)もう少しで読んでしまう。(予定)
2024年08月26日
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ゆうびんの父 [ 門井 慶喜 ]筋肉痛がひどかった。木曜日なのに。本来は、金曜日に起こすはずなのに・・。なんで翌日?知らんけど。でも、積極的疲労回復をしなければ!と、プールへ。ウオークだけ。まだ、少々のこんな痛みだけ、というのは、有難い。杖をついてのウオーキング、しておられる方も。一人での着替えも大変そうだが、ここで手を出すのは・・。口だけにしておき、もし、何か、お手伝いがあれば、いつでも言ってください。と言う。昨日の朝に時間割を考えて、今日に引き延ばしたことが2つばかりあり、その確認と、連絡と、新たに、やり取りが始まった案件で、金額を知らないといけない事がありその処理方法を考えることが課題と、などのシゴト関係。決まった、家事、、(来訪者がある場合掃除をする)をよろよろやって、お稽古事関係。スティック掃除機の充電から。ハイ。などと、脳が忙しいのに、前島密さんが、いよいよ、郵便事業をわが国に、定着させる、、いやその前に基本構造を構成する、、などという、とてつもなく壮大な、面白いところに、、本が進んで、。。。。。。。デスクに座るやら、本を開くやら、で目まぐるしい、かった。福沢諭吉が、「自由」と言う字を考え出した、とは聞いたことがあるけど、前島密も、「郵便」と言う字を掲げた。「ゆうびん」という響きの事についても、論考がある。そして、切手、も ハガキ、、も、彼のアイデアによる。呼び名だけだけど。まさしく、、コピーライターの天才だ。その切手販売所、売捌き所に、小売店を利用し、「御用」の札を掲げる。庶民の、しあわせへの道、の一つ。そして、地方のネット作り。リアルな方。(今の時代じゃないので)今でいう、特定郵便局。の作り方を経過説明。ナイナイ尽くしの当時の我が国。グッジョブ!後日の弊害?はまだ、この時点では、見えていないが、。とにかく。必死のパッチ。その、ドラマティックなお話、に目が離せず、寸暇を惜しんで読み進めた。勇気をもらいながら、、って、大いに大げさ。あと少しで、読了となる。ホント、ゆうびんの父、だよ。ゆうびんの父 [ 門井 慶喜 ]
2024年08月23日
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「山上徹也」とは何者だったのか[本/雑誌] (講談社+α新書) / 鈴木エイト/〔著〕読了。当該人物をめぐる一連のドキュメンタリー。親族に法曹関係の方が居て、その方の事も述べられている。意見とか、立場とか。時系列で詳しく。こう言った、ああ言った、じゃないが、、それに近い。著者との対話であるから、一般解ではない、一般解ではないが、、グサリ、と抉られる。20年もつらつら書いているが、このブログにはそれを述べる資格、、は無いように思う。ひたすら、己が平板、に感謝するのみ。夕刻、町内会の副会長来訪。平日は通勤しておられるので、今までの経過説明と、打ち合わせ。こないだの役員会で、あまり落ち込まないようにと、言ってくれて(会長とのバトル?)お優しいんだなあ、と思って、、以来。(男性との言いあいこで、罵倒されようが、落ち込む?などあたしの辞書にはないのに・・)優しさ、はしかし本質を眺めてはおられないから、一定、距離感はあるが・・。一つづつの積み重ねである。喜ばしい。町内会の健全な運営を目指したい。
2024年08月19日
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「だいたい、自己責任でできるような決断にはね、大したことは、一つもないです。そうでしょう。頭の中で解決できる話は所詮、些事しかない。決定的な判断をせざるを得ないときには、違う力が働きます。自分とは別の、力。するのではなく、むしろ、決定させられる」違う力とは、何か。運命……?「わかりません。われわれはそれを、『縁』といいます」以上。今日は、ルーティンの他にする事と言えば、読書。結構、きついやつです。今回。【中古】 「山上徹也」とは何者だったのか 講談社+α新書/鈴木エイト(著者)鋭意、読書ちう。
2024年08月17日
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黙って喋って [ ヒコロヒー ]リクエスト。さる書評欄で見つけて。なんせ、タイトルが最強。著者、、のお名前が、、覚えられない。ひろこ、、と読んでしまう。で、。図書館のカウンターで、「黙って喋れ」という本はないでしょうか?と、聞いた、。先月。著者は?と聞かれ、、忘れました。探してくださるが、見つからなかった。はて、面妖な。立派な新聞社の書評欄だよ。なぜに、、無いのか?帰宅。時が過ぎて、、やっぱりもう一度と、、検索し、しゃべれ、ではなく、喋って。だった。再度挑戦。今度は、ちゃんと、著者の名前も覚えて行った。所蔵本ではないので、リクエスト、お願いします。タレントさんが書いておられますね。とは、受付の方の言。へー、。タレントさんねえ・・。知らない方だ。この方だけじゃなく、昨今のタレントさん、、ほとんど知らない。とにかく、無事にリクエストは完了した。以前、有名歌手の事を書いた本をリクエストしたけど、却下、になっている。一定の不安要素はあるが、、ま、待つとするか・・。
2024年08月16日
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日本語と漢字 正書法がないことばの歴史 (岩波新書 新赤版 2015) [ 今野 真二 ]読了。面白かった。実はこの本は、、こうして出来ました。という後書きを読み、納得。一年前ほど、著者は、さる大学に行き、集中講義をしている。その中身をそのまま本に。というわけで。文体に納得。「おりる」思想 無駄にしんどい世の中だから (集英社新書) [ 飯田 朔 ]実はこれは、前書き数ページ読んで、返却の予定。30歳超えて、実家住まいは、あたしとは相いれない立場の表明。何かわけが御有りになるかもしれず、けっして批判ではないが、。本を書いて、それを出版する、ということと、おりる思想とは、矛盾しているのではないか、と思う事と、おりるおりないを、この切り口から書く、、と、世の中の半数、つまり女の子たちは、どう思うか、、ということと、、おりるなら、ちゃんとおりろや、と思うし、。。ま、これから、読み進むにはあまりに、、難関?が続きそうなので、。。ゆうびんの父 [ 門井 慶喜 ]確か、、もう1冊、、借りてたぞ、と図書館の通いのバッグを見て、、あったがなー!前島密の伝記である。本人、5歳のときに母親に言い含められ、50キロ離れた叔父の家に初めてのお使い。北陸の冬である。5歳だよ。まったく、おりてない。この最後の5文字は不適切か。
2024年08月15日
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Good morning Diana,Thank you for your email, and checking in my blog of these days.I didn't think you'd learn Japanese. I laughed that Emoji!Just now, I'm reading the book about "Kanji & Japanese" written by a philology professor. It's very interesting.Why am I reading this?I wonder the situation of Japanese children have to Learn 3 kinds of letters from 7years old.They're 2 of sound letters and 1 mean letter.They called HIRAKANA and KATAKANA and KANJI.You can see KANA is co-sounds. is made by Japanese.KANJI, as you know, came from China about 2000years before.But nowadays China lost and changed a lots of Kanji compared to Japan.If you look at Kanji, you can understand the meaning. Isn't it nice?Pattern.Yes!So, I easily imagine you have had a lots of effort to learn Japanese.Almost all foreigners start from KANA.I think it's not useful.To read and understand directly, Kanji is a shortcut.(Speaking is not this issue)For instance,,川(kawa) means river.山(yama) means mountain.😉We can talk about many things to study...https://www.k-wam.jp/wamken/41576/Your place is going to winter and warmer day by day.My place is peak of Summer.Take care each other.Lots of LooooveM*****
2024年08月14日
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日本語と漢字 正書法がないことばの歴史 (岩波新書 新赤版 2015) [ 今野 真二 ]以下引用 第3章日本語再発見の部 p119最後の段落→ 言語を観察、分析するということは、観察、分析をする目が幾重にもなっていく、ということであり、観察、分析をする主体が人間であることからすれば、人間が人間を観察、分析するということも幾重にもなっていく。言語の分析、知の追及は、そのように内部に内部にと向かっていく営み、あるいは外部に外部にと向かっていく営みであることをまずおさえておく必要があると考える。現代日本語母語話者に分かりやすい説明は時に現代日本語母語話者にのみ分かりやすい説明に陥る危険性を常に持つ。(太字は引用者、原文は傍点)-引用ここまでp119英語を学ぶ子供たちにとり、言語感覚は一体どうなっているのだろうとかねてより思う事が多かった。学校では、国語で平仮名、カタカナ、漢字、と3種の文字を習得する。みていると、仮名はとにかく、漢字に関してかなり多くの時間を必要とする。あたしのような高齢者にとっても、小さい頃の学校での漢字の学習は今でも思い出すほどに、いやな事だった。(あたしだけ?)中国をルーツとするこの漢字が、日本語とどういうかかわりを持っているのか、丁度よい本が図書館にあったので、引いた。これがまた、書き手が、(つまり著者)キチキチ、チャカチャカ、と、論を進められるので、非常に難解なところもあるのだが、はまってしまって、読み進んでいる。奥が深いのである。表意文字、表音文字、のことをちょっとだけ知りたいと思っていただけなんだけど・・・。他に借りてきた本は以下のとおり。ゆうびんの父 [ 門井 慶喜 ]「おりる」思想 無駄にしんどい世の中だから (集英社新書) [ 飯田 朔 ]人生の救い 車谷長吉の人生相談 (朝日文庫) [ 車谷長吉 ]最後のは読了。
2024年08月09日
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ペットのぺ、の字も言わない娘が、帰省時に「ワンちゃんと行く」と知らせてきた。あたしは、都会のマンション暮らしの娘が、まさかまさか犬を飼う、、飼える、、とは思わなかったから、え?と、最初に聞きとがめた。明日、ブリーダーさんの所に行きます。と。はー、犬か。。。そうか。あり得る。ま、娘の家族のことだからとやかく言うのは筋違い。息子んちは、ママが、あまり積極的ではないから、子供の希望はかなえられずそのまま来ている。それもありだし。親の世代の意見を出せる場合じゃないし。お好きなようにあそばせ。である。であるが、。。犬との暮らし、を選択したのだね、。娘んちは。。そうか、。犬か・・。どんなワンちゃんか気になってしょうがない。だけど、ここは、おとなしく、静かにしていよう。と決心した。ここ数日はこちらも忙しく、気がまぎれる。でも、。。へー、犬か・・。と、また思ってしまう。ケッサクである。ニヤついてしまう。ついに、、もう、ワンちゃん家に来たの?と昨日ラインした。送ってきたのが、この写真。。泣けた。大吉クン、です。ウチの犬じゃないけど、近々ご対面の予定。楽しみ。アンディー、ビリー、チャーリー、と続いて、、ちゃんと、D がアタマ文字になっているじゃん。
2024年08月07日
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「いや、怒鳴られっぱなしで、おかしくなりそうです」 と話すのは、クレーム電話を受けている県職員のAさん。「斎藤を出せ。俺が辞めるように言ってやる」「県民は税金を払っている、斎藤の給料を出しているんだ」「斎藤知事がもらったワインを飲ませてくれ」「毎日、2キロ歩いて通勤しているのに、たった20メートルも歩かないのはおかしい」 いずれもAさんがこれまでに聞いた苦情だ。(以上アエラの記事から引用)いやあ、言葉もない。特に、2キロと20メートルのところ。一県民の一人として。
2024年08月06日
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人生の救い 車谷長吉の人生相談 (朝日文庫) [ 車谷長吉 ]名だたる有名人などが、新聞雑誌の人生相談のコラムに登場される。あたしは、人生相談を読むのが好き。と書いて、気がついた。答える人が好きなのだ。だから、特定の方のしか、読まない。車谷長吉、という小説家がおられて、彼の文章には、強く惹かれたこともあり、その彼が、人生相談の回答者となられていると知り、図書館から引いてきた。予想通り、のパーソナリティーであった。しかも、各相談には、様々な答えにくいことで、なおかつ、普遍的な日本人のお悩み、、が列挙されている。そういうお悩みは、多かれ少なかれあたしの悩みの一部分と重なる。程度の差こそあれ。だから、ヒトの悩みに興味があるというよりは、あたしのお気に入りの人が、どんな答えを出すか、というところに焦点が当たっているのだろう。その答えが、、あたしの答え、、あるいは、言葉以前の答え、とでも言おうか、、気持ち?印象?社会勉強?と照らして、奈辺にあるのか。遠ければ、これは違う、となるし、近ければ、、やっぱりね。となるだけなんだが、やはりやっぱり、激しく同意、を期待してしまう。自分が、当該作家に関して持つ印象が、地に着く。という感じか。この暑いのに、爽やかな風が、心に吹いている・・。王義之の書を、少し細くして発見した感じだ。あくまでも楷書ではあるが、その中身は、草書なのだ。彼はやはり、すごい人だ。今日読んでしまうだろう。もっと欲しい。
2024年08月05日
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老化は治療できるか (文春新書) [ 河合 香織 ]読了。〆をどうするのだろう?と、思いつつ読み進めた。著者は1976年生まれ。読者(あたしのこと)の子供世代。キチキチ、論を詰めていく様子がやはり、相対的には、若い。とも思いつつ。ま、そのトシになってみないと分からんしなあ・・。とかも思った。怪談屋怪談 怖い話を知り尽くした18人が語る舞台裏と実体験 [ 川奈 まり子 ]これにとりかかる。ライターの中に、北野誠、(大阪のコメディアン)さんがいて、そういえば、、、梅田で出会ったんだった。。とか思い出した。5-6人引き連れて、歩いておられた。広い場所で、、たぶん地下街だった。人のいない場所だったし、広く見渡せたところだった。こちらは、、一人歩いており、正面遠くからズンズン近くなった。そして、すれ違い、あなたは右へあたしは左に、。それだけ。それでも、、有名人との遭遇は覚えているものだ。(彼はこの本では最後の方でご登場)ま、最初から読み始めるが、、、。まてよ、。確かに、怖い話ではあるが、、昨今のスーパー、価格が怖い、、いや、怖い以上になっちゃって、。値札を一々、確認してる。かつての、、夫婦2人暮らしのとき、1400円、(1回買い物の予算)と呟いていたのだが、、それがなんと、、一人暮らしになっても、1400円が生きている。ちょっとでも油断すると、もう、超えてしまっている。怖い事、この上ないし、、。怪談話、読んでる場合じゃない。とも、思った。
2024年07月29日
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老化は治療できるか (文春新書) [ 河合 香織 ]ご存じ、ハダカデバネズミ君の登場!この本から読み始める。奇跡のハチミツ自然療法 [ 崎谷 博征 ]リクエストしていた。楽しみ!シャネル 人生を語る (単行本) [ ポール・モラン ]ブラッサンスとシャネル、ほぼ同時代人。怪談屋怪談 怖い話を知り尽くした18人が語る舞台裏と実体験 [ 川奈 まり子 ]あまりに蒸し暑く、、なんとか涼しくしようかと・・・。
2024年07月26日
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私はアウシュヴィッツと5つの収容所を生きのびナチス・ハンターとなった [ ヨセフ・レフコヴィッチ ]読了。本の途中で、序文に戻ったように、読み進んでいるときに、、この本がどうやって日本語になりこうして出版されて、図書館から借りてくることが出来たか、、とかのイキサツを知りたいという思いが強かった。主人公は存命で、現在イスラエル在住。一人暮らし。百歳に近い。サヴァイバー(収容所から生き延びて帰還した方々)も高齢化して、2年前(2022)で、もう300人ほどになられているそうだ。後世に伝えなくては、との思いが、晩年になってハッキリして来る、、というのはどのディザスターについても言えることだと思う。一つの大きなムーブメントとして、想像以上に多くの方々がこの問題に関わっておられるようだ。(だから「シンドラーのリスト」とかの映画も作られるわけだし)5年間で10万点のドキュメントの精査、といえば、、1年で2万点。すごい仕事量である。なるほど、、こういう風に集まって、、そしてこんな風に仕事をして、、そして、、(本が出来上がっていくんだね)、、ここにこの本があるんだね。と分かる。最後の最後に、ヨセフさんの近影が、本の裏表紙の内側に掲載されている。本を読み進む途中、なにかそういう写真(ポートレート)は無いのだろうかとは思ったが、無かった。最後の最後に、、こんな人(写真)というより、、こんな顔、の方だ。と、眺めることが出来た。意外や意外。想像していた語り手さん、とは違った。(あくまでぼちぼちの想像)第一、収容所にいたときは、彼は思春期もしくは思春期直前のほぼ少年であったのだから。それもある。何度も、自分は小柄だったので、、と述べておられた。ああ、そうか。。そうだったなあ、。と、ミステリーの謎解きのようだった。その写真を氷山の一角とせよ。ということだろうと思った。もちろん、中身とて、とてつもなく多くの方々の努力の結晶である。ユダヤ教という馴染みのない宗教についても、大いに勉強になった。まずもって、ヨセフさんが敬虔な宗教者であるからして。(そう言う事々を理解の上読んでね、との記述も後書きにはある)多くの道しるべがあったなあ、、と感動した。
2024年07月23日
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私はアウシュヴィッツと5つの収容所を生きのびナチス・ハンターとなった [ ヨセフ・レフコヴィッチ ]この自伝の主人公はご夫婦で引っ越しをしている。世界中。ある時、ブラジルに引っ越すつもりがいろいろあって叶わなくなり、前もって送っていたお商売のものや移住用の資産を、ブラジルで処分しなければならなくなり、ビジネス上のつながりを頼って、ブラジルのダイヤモンド鉱山の経営者と会う事になって・・。引用ここから→p2783行目から:: 彼は、私が保管している商材に興味を持ち、すべてを買い取りたい、という意向だった。一方の私は、そこで彼が研磨中のダイヤモンド原石に興味を抱いた。28個のカラーダイヤモンドのコレクションで、大きさは1.60~7.00カラットだった。それらは、赤いピジョンブラッド、青、ピンク、緑、コニャック、透明な黒など、様々な色彩の美しい宝石だった。これは国際市場でよく売れる、と確信したので、ストレートスワップ(お互いの商品の交換)という条件で、すぐに取引成立の握手をした。 ちょっと自慢話をさせていただくが、私はおそらく、かなり時代を先取りしていたのだろう。その当時、ヨーロッパや北米のディーラーは、カラーダイヤモンドについてほとんど、あるいは全く知識がなかった。私はこの時入手したコレクションを数年間、手元の金庫に保管し、次いでニューヨークの私の代理人モシェ・エリアスに送った。彼は数年がかりで、購入してくれそうな顧客をパリで見つけた。結局、更に1年ほど交渉期間が続き、私が適正価格だと感じた金額で、そのコレクションを売却した。 しかし、結局のところ、私は相場を読み間違えたようだ。カラーダイヤモンド、特にピンクとイエローのダイヤモンドはその後で大流行し、非常に価値あるものになった。最近の例を挙げると、ジュネーブのサザビーズ・オークションハウスで、1カラット未満のピンクダイヤモンドが100万ドル(1.5億円前後)で落札された。28個のコレクションなら、今日の価格で5000万ドル(50億~70億円前後)の価値があると思う。 私の売却価格は、そこまでには至らなかった。とだけ申し上げておこう。 ::引用ここまで。もう最後の方まで読んでしまった。一番、穏やかな語り口の所に来たから読み進める。早く・・。今日は読了の予定。
2024年07月22日
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私はアウシュヴィッツと5つの収容所を生きのびナチス・ハンターとなった [ ヨセフ・レフコヴィッチ ]中ほどまで読んで、序文に戻る。(どういうイキサツが、この本に結実したかを確認したいと思った)序文は2度目。序文:「ラビ・ナフタリ・シフ と、ジョナサン・カルマス」 とあるが、書いているのはシフ。2018年に私(シフ)はヨセフ・レフコビチ (この本の語り手、つまり本人)に会って、「これは語られなければならない」と思った。とある。ヨセフは、この重要な歴史における自身の役割について、ほぼ完ぺきな記憶を持つ生き証人だ。彼は、それを証明する証拠書類を何一つ持っていない。逮捕されたナチスの大量殺人犯については、博物館やアーカイブ、世界中のどこにも文書的な証拠は存在していないようだ。唯一あったのは、興味深いユニークな写真である。それはあのオスカー・シンドラーが自分の肖像写真に、「親愛なる友人ヨセフへ」と署名して贈ったものである。(この5行序文より引用)続いて、、 ヨセフの話を証明する新たな発見について、画期的な貢献をしたのはジョナサン・カルマスである。映画製作者、ジャーナリスト、そして私(シフ)の同僚でもある彼は、ヨセフの経験を歴史的に検証するための重要な証拠基盤を構築し、実に10万件もの文書を精査した。アーモン・ゲートの逮捕と身元確認、そして最終的な裁判について、本書で明らかにされた新たな歴史を発掘したのは、もっぱらジョナサンの功績として認められるべきである。とある。(こちらも引用)そして、この本の執筆者、マイケル・カルヴィン。本書の内容はヨセフの声と精神に忠実であり、この作品に対する私たちのアイデアが、ベストセラー作家のマイケルによる誠実、謙虚な達意の文章によって具現化したことはまことに光栄であった。(と、ここまで引用)(本書p10-p11)実は、、止められないで(読むのを)ここまで来たけど、、、て中ほどまで。一体全体、どうやったら、こんな本が世の中に出ることが出来るか、それよりか、まず、ヨセフ翁の記憶力の膨大なことに圧倒されて、ちょっと、もう一度、、序文に戻ろうと思った次第。また本文に帰ります。
2024年07月21日
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ジョルジュ・ブラッサンス シャンソンは友への手紙 [ フロランス・トレデズ ]監訳者の高岡先生に、今、シャンソンを習っているので、先生から購入させて頂く。図書館にもリクエストしたが、蔵書にしたので、図書館から連絡が来てすぐに、手に入ったので折角リクエストしたけど他の方に、、と、言いにいきますた。本邦初訳。私はアウシュヴィッツと5つの収容所を生きのびナチス・ハンターとなった [ ヨセフ・レフコヴィッチ ]驚異の100歳近い生存者のモノローグ、という形で、書かれている。人間、、の限界、、を垣間見るようなすごい本。
2024年07月19日
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昨日のかさんから依頼のあった写真をアップしておきます。最初と最後は上の畑と下の畑ので、中4枚はブルーベリーと無花果です。ご覧になること出来ればいいですが・・。
2024年07月18日
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その調理、9割の栄養捨ててます! [ 東京慈恵医科大学附属病院 栄養部 ]なんとも、衝撃的なタイトルだ。昨今、価格が5割上がる、などと言う文言は、珍しい事じゃないが、。買ったものを料理して食べるのだから、その過程で、この、大いなる損失!は出来れば避けたい。それでなくても、、栽培方法の変化などによって、お野菜そのものの持つ栄養価がダウンしてます!などという事も時々聞かれるというのに。。ケチなあたしとしては、元を取る?には、やはりここんとこ、押さえておいた方がいいかもと、、借りたのである。早速、ページを開いて読み始める。まず、ざっと読み。そして、、次にちゃんと読み。。の予定。しかしなんですな、世にあまたあるレシピ本、美味しそうな料理の写真、時短のアイデア、まず、求めているのは、、お味、そして見た目である。食欲を満たすためだけではない、なにかこう、、人生の満足に繋がる要素が確かにあるわけだ。最近あたしは、入り口の方もさることながら、出口、、の方も考えなければ、と思うに至り、快食・快便、を基本にと、考えつつ食生活と取り組む日々だが、これは、、この、入る方、出る方、とさらに、、その途中、つまり体内の消化吸収過程をも、考えましょう、ということなんだ。。体内コスパ。ふううむ。さてと、。。ちなみに、、今日は、水中ならぬ、地上にて、運動能力がどのように退化しているか、一度、調べてみようと思い、市のスポーツセンターに行って、いろいろ数字的に見てみようと思ってます。
2024年07月15日
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蓮舫叩きに見る日本の問題をノルウェーの女性政治家の連帯から考える(写真はコピーできませんでした。ご興味ある方は元記事をお読みください)鐙麻樹北欧・国際比較文化ジャーナリスト|ノルウェー国際報道協会役員7/14(日) 6:56アジア人系の顔、笑顔、若い女性で差別対象になったランさん 筆者撮影東京都都知事選をノルウェーから観察していて、気になることがありました。メディアの蓮舫さん叩きです。10年ほど前のノルウェーを思い出しました。特に「怖そうに見える顔写真」をあえて使うイジメ手法。ノルウェーでは、一部の市民を感情的(イライラ)にさせる政策の記事だと、「笑顔」の写真も使って、さらに読者の感情をあおることもありました。異文化背景のある女性政治家は、ネット差別の大好物です。なぜこのような現象が早くに起きていたかというと、北欧のマスメディアのデジタル化が日本よりも早かったのと、ネット選挙に規制が少ないからです。ノルウェーの「緑の環境党」のランさんは、若いアジア系を背景に持つ女性で、まさにこの現象の餌となり、差別オンパレードでした。クリック数を短期間で稼げるので、メディアは依存的にこの現象にのっかっていました。2015年の統一地方選挙で、首都オスロで緑の党は躍進し、無名だったランさんが、市議会議員になるだけではなく、都市の交通環境政策のリーダーとなりました。突然誕生した、異色の政治家1987年生まれの当時の彼女は32歳。彼女は単なる「若い女性政治家」ではありませんでした。母親はノルウェー人だが、アジア人の外見父親はベトナム出身でノルウェーに移住常に笑顔美人ファッション大好き政治の経験は一切ない政治家としてインタビューに慣れていないから、言葉選びに失敗することもある本来は「美人」はルッキズムになるので使用は避けたい言葉ですが、彼女の場合は「恵まれた外見」も差別された要素のひとつでした。ノルウェーでは、外見に恵まれた他の政治家に対しても「美形・美女だから、その権力の座につけたのでは」ということがメディアから問われることも当時はありました(フィンランドのサンナ・マリン元首相にも始終つきまとった指摘のひとつです)。「若い政治家」「女性政治家」という点での差別はノルウェーにはこれまでもありました。しかし、ランさんが受けた差別の嵐は、これまでとは比較にならないほどひどいものでした。それには彼女の「アジア人にしか見えない外見」が大きく影響しました。「笑うのをやめろ」「あまり笑わないほうがいいんじゃない」と言われ続けたランさん 筆者撮影ノルウェーにはイスラム系の政治家はいますが、アジア人の外見の議員はほとんどおらず、ランさんのような外見の議員に市民は慣れていませんでした。驚いた一部の市民が、内在化された差別や偏見をむき出しにして、パニックになりました。「黄色人種が」「笑いすぎ」ノルウェー国籍、ノルウェー育ち、ノルウェー語もネイティブとして話せるのに、「国に帰れ」「出ていけ」「黄色人種が」と、SNSでは差別の言葉が飛び交いました。それだけではなく、ランさんは「これまでの政治家らしくない」要素が他にもありました。「いつも笑っている」彼女の顔写真をニュースで見て、さらに苛立つ人もいました。公式な場などでも、カラフルなワンピースなど、ファッション好きが出ている服装選びにも文句がつきました。「そんなに笑わないほうがいい」「口を開くと、IQが低いってバレちゃうよ」「バカが」「ベトナムのビッチ」「服装は選んだほうがいい」「あなたはまだ子どもも産んでいないから、私たちの気持ちはわからない」「ノルウェー語、そこ間違えているよ」「黄色人種が」ランさんの妊娠が発覚すると、さらにひどい言葉がSNSに溢れました。「政策の議論から、認知症がひとり、しばらく席を外すね」「彼女は体内に子どもを宿せるのか」「ノルウェーがかわいそう」他にも様々なヘイトの言葉がありましたが、性的な罵声もあり、この記事では掲載することができません。アジア人がリーダーの座に立ったら、北欧ではいかにヘイトの対象になるかも示唆していました。女性政治家の変顔写真でクリック数をあげる当時のメディア状況にも問題がありました。マスメディアが紙・テレビからネットへとデジタル化する中、経済的にどう生き抜くかを迫られていた時期。ニュース記事をSNSに掲載してクリック数が高いことは、当時のビジネスモデルで重要とされました。そこで、ランさんの顔写真をトップ写真にすると、クリックされることは多かったのです。顔のシワが目立つ写真、大きな笑顔の写真、変顔写真は定番でした。首都オスロから気候排出量を減らすために「車を追い出す」カーフリー政策も、「まるでランさんひとりに権力があるかのように」「ランがひとりで決めたかのような」印象操作が強い記事も、当時は差別を悪化させました。また、北欧では写真サイズが日本のメディアよりも何倍も大きく使用されるために、もともとランさんにイライラしていた一部の市民は、SNSを開くと、ランさんの笑顔の写真がドアップでスマホに表示されるので、さらに怒りをため込みました。結果として、ランさんの顔写真を採用したネット記事はページビューを叩き出しました。同時にコメント欄には差別の言葉が続きます。もはや、その記事の内容が良質かは関係ありませんでした。ランさんに起きていたのは、性差別、外見差別、人種差別、アジア人差別、年齢差別、女性嫌悪など、さまざまな「差別の交差」(インターセクショナリティ)でした。そして、それを黙って見て耐えられなかったのは、特に誰だったと思いますか?政治家たちでした。白人ばかりの政治家が多い北欧諸国ですが、政治家は権力者という理由で、ネット時代になり、毎日たくさんの差別や批判を浴びています。特に、若者、女性、出産していないのに政策を進める女性政治家、移民背景のある政治家は。しかし、ランさんに起きていることは、もはやだれから見ても「異常」でした。そこで数年経つうちに、「緑の環境党」とは、本来は政策では絶対に折り合わないだろう、中道右派や極右政党の議員たちまで彼女を守り始めたのです。右派左派を超えて、「いいかげんにしろ」当然ながら、中道左派や極左政党はランさんの擁護にすぐ回りました。しかし、差別はひどくなる一方で、とうとう「ミソジニーだよね、人種差別だよね」と、右派左派は関係なく、「いいかげんにしろ」と政治家たちが次々と声を上げ始めたのです。「ランさんに起きている差別は非民主的であり、容認できない。彼女が今経験していることは、誰もが経験したことのあることの大半をはるかに超えている」当時のソールバルグ首相(保守党の党首、ノルウェーで二人目の女性首相)「ネットのいじめっ子たちは、マナーを学んだほうがいい」(リストハウグ移民大臣・極右政党の進歩党・女性)「いい加減にしなさい」(アストルップ開発大臣・保守党・男性)「大人たちには礼儀というものが欠けている」(イーサクセン産業大臣・保守党・男性)「私は緑の環境党の政策には強く反対です。しかし、すべての政治家は尊敬されるに値し、ヘイトを浴びせられる筋合いはない。罵声を浴びせる人たちはマナーを学ぶべきでしょう。ラン、がんばって、そして赤ちゃんおめでとう!」(イェンセン財務大臣、極右の進歩党の党首・女性)これらのコメントは、緑の環境党とは政策が両極端で、普段は政治的には対立する政党からのものでした。当時のソールバルグ首相、保守党は石油政策を積極的に進める。石油産業に批判的な緑の党と政権レベルで協力する可能性はゼロだが、ランさんに起きている差別には黙っていなかった 筆者撮影さて、当時、首相率いる「保守党」や極右「進歩党」のトップらまでが動いたことには大きな意味があります。ランさんが特に差別を受けていた当時は、中道右派率いるソールバルグ政権下でした。「政策には同意できない、けれど……」「白人男性だったら、これほど差別されていただろうか」と、「政党の政策」と「彼女に対する差別」を別として議論する傾向は強まりました。「ランに起きている差別」を「社会の構造問題」として考えることができたのは、北欧がもともと「個人の問題」は「社会の構造問題」として議論することに慣れていたこともあります。自己責任論が強い日本では、まだ苦手な部分といえるでしょう。差別は、政府や国会が国レベルで取り組まらなければいけない問題です。だから、市民は首相がなにか言うのを待っていました。左派色が強めの「緑の党」の政治家に起きていることとはいえ、もう右派も黙って見過ごしてはいられなくなったほど、差別がひどくなっていたのです。「もう我慢できない、耐えられない」今でも有名な、2021年のティーナ石油大臣・保守党のフェイスブック投稿を紹介します。「もう我慢できません。本当に耐えられない。 もう耐えられない! いい加減にしろ 黙れランがどうやって持ちこたえているのかは疑問です。私だったら、とっくに打ちのめされてる。私はランを知らないけれど、彼女は明らかに私より強い人間だ。 それは彼女の功績だ。 あなたがこの状態を我慢したり、耐え続けるだろうと、誰にも望むことなんてできない。公人であるために、こんな代償を支払いたいなんて、誰も思わない。こんなことは止めなければならない。 でも、そうはならない。これが今の現実だ。 私には答えがない。 だから、私に残されたのは『黙れ』という苛立ちの叫びだけだ!」石油大臣だった保守党ティーナさん。緑の党はノルウェーの石油政策を批判するため、正反対の立場にいる両党。しかし、ランさんへの差別をティーナさんは見ていられずに、怒りを露わにした 筆者撮影ティーナさんは、英語のFワードに当たる、汚いノルウェー語も使いました。それほどランさんに起きている差別を、他人事とは思えなかったのでしょう。ランさんは、差別に対して公のコメントはあまりしない戦略をとっていました。しかし、「公人だからと」普段から言われたい放題の立場にいる女性政治家や、市民たちが、連帯して「いいかげんにしろ」と声をあげたのです。特に、女性政治家たちに差別や偏見の経験がない人はいません。「これは個人的なことではなく、社会の構造に問題がある」と身をもってわかっています。だからこそ、右派左派の垣根を超えて、政策の違いは別として、ランさんに起きていることは「明らかにおかしい」と次々と指摘が続いたことは大きな変化でした。差別の議論に政治家は参加しているか他国の背景も持つ女性政治家を差別することは、時間をかけて、じわじわと自国のヘイト問題の強化につながります。だからこそ、差別がひどい時は、政治家が率先して議論に参加しなければいけないのは、北欧の常識です。ノルウェーのマスメディアが女性政治家を対象に顔写真の意地悪な使い方をするのは、何年かかけてやっと激減しました。緑の党の政策を取り上げる記事でも、トップ写真にはランさんの変顔写真ではなく、決定に関わった他の政党や政治家たちとの写真や現場写真などが使用されることが増えました。民主的な社会が大事なら、メディアはクリック数に依存しない勇気をマスメディアに必要だったのは、クリック数の依存症治療で、そのためには女性政治家たちが右派左派の垣根を超えて、「叱る」必要があったのです。記者やカメラマンの中にも、社会の差別を悪化させる原因になりたくないという人も、もともといたでしょう。反省を含めて、公共局とかはこの種の記事はSNS掲載をやめました。コメント欄がヘイトと差別の温床になるから。編集部も最初はコメント欄の管理・注意をしていましたが、差別が終わらないために、コメント欄を閉じるだけではなく、記事で取り上げられた人物が差別される可能性が高い場合は、記事そのものをSNSで紹介するのをやめました。公の場から去る女性たちただ、残念なことに、いま、優秀な女性の国家議員が、来年の選挙立候補を次々と辞退しています。ランさんもティーナさんも、来年の国政選挙には出馬しないと表明しました。家事育児も求められて「もう無理」問題というもあるけど、クリック数狙いで若い女性政治家にヘイトのシャワーを浴びせる装置になったメディアの責任もあるでしょう。ノルウェーでは精神科医などのさまざまな立場の人も、権力者や公人がネットで差別されると、見ている多くの人の心も破壊すると警告を出していました。ノルウェーでは、ランさんや女性政治家に起きる差別を「民主的な問題」とよく呼びます。このような人たちがお構いなく差別されることで、移民・難民・女性・若者などのマイノリティ要素を持つ人たちが、公の場で発言することを控えるようになるからです。想像してみてくださいランさんに起きた問題では、常に構造に「レイシズム」と「ミソジニー」が指摘されました.日本では、蓮舫さんに起きていることを、「民主的な問題」「社会構造の問題」「ミソジニー」「人種差別」だと捉えている人はどれほどいるでしょうか?右派左派は関係なく、社会構造の問題であれば、連帯して「おかしい」と声を上げることはあるでしょうか?政策は違えど、連立する可能性はゼロで、普段はその政治家を好きではなくても、相手がジェンダーや人種で差別されている時に、「いじめを止めようとする」政治家はどれほどいるでしょうか?小池百合子さんも女性ですが、「人種」要素を含んだ差別対象ではないことが蓮舫さんとの違いです。「女性」に「人種」の要素が重なると、差別は何十倍もの破壊力を持ちます。女性政治家だから起きるミソジニーや人種差別を放置したままだと、数年後に女性がリーダー職を断ったり、政界に出るの避けたり、続投を辞退したり、ネットいじめを目撃した市民がネットで意見を言うのためらうことになるでしょう。蓮舫さんへのバッシングを遠くから見ていて、「これはノルウェーで見たことがある光景だな」「他の女性議員は黙っているのかな?」「閲覧数の依存症にメディアがかかると、社会の差別構造が悪化するけど?」ということが気になったので、この記事を書きました。だれもが差別を内面化しています。蓮舫さんに対して、何か「もやもや」を感じるのであれば、それは本当に政策に対する不満なのか、それとも自分の中で向き合ったほうがいい内在化された差別、嫉妬、恐怖、女性蔑視、いじめ意識があるのか。タイムラグで同じことを日本で繰り返すのではなく、他国での反省を参考に、ひどい社会問題になる前に、立ち止まってみることが必要なのではないでしょうか。鐙麻樹北欧・国際比較文化ジャーナリスト|ノルウェー国際報道協会役員あぶみあさき。オスロ在ノルウェー・フィンランド・デンマーク・スウェーデン・アイスランド情報発信15年目。写真家。上智大学フランス語学科卒、オスロ大学大学院メディア学修士課程修了(副専攻:ジェンダー平等学)。2022年 同大学院サマースクール「北欧のジェンダー平等」修了。ノルウェー国際報道協会 理事会役員。多言語学習者/ポリグロット(8か国語)。ノルウェー政府の産業推進機関イノベーション・ノルウェーより活動実績表彰。著書『北欧の幸せな社会のつくり方: 10代からの政治と選挙』『ハイヒールを履かない女たち: 北欧・ジェンダー平等先進国の現場から』SNS、note @asakikiki
2024年07月14日
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【中古】 小説以外 新潮文庫/恩田陸【著】読了。1994年から2005年の間に書かれた小文をまとめたもの。著者は1964年生まれ。あたしより、16歳お年下。と言う事は今年、、還暦。この本は、2005年発行なので、来年で、20年前、となる。従いまして、、彼女が30歳から40歳のときに書いたもの、、の集大成となる。こないだ読んだ、spring (単行本) [ 恩田 陸 ]衝撃的だったので、ああ、こんな作家さんがいるんだと分かり、まず、エッセイだよな、、と思い、図書館から引いた。「小説以外」こればかりになってしまい、読まずに図書館に返した他の本、数冊あり。読んでしまえば、、エッセイか?とか思ったりするが。。まとめた方も、読んだ方も、、オツカレさん。って感じ。でも、興味が湧いた作家さんのことが一回り広くわかって、ホッとした。ゴウジャスな、ミラーボールのようだった。キラリキラリとその鏡のひとひらひとひらが、ちゃんと光っている。「一人の時は二人のように、二人の時は一人のように」ドキッとする。そのように生きようと自分で発見したつもりであったが、昔からの格言だったか・・。最後の方で、、「スズキ・メソード」が、「スズキメ・ソード」になっていた。まだまだ、彼女のエッセイ集があるので、次回。と、。
2024年07月14日
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シャンソン・フランセーズの諸相と魅力 民衆文化の花束 [ 吉田 正明 ]ジョルジュ・ブラッサンス シャンソンは友への手紙 [ フロランス・トレデズ ]いつもの、本のご紹介とは違い、シャンソン教室の講師の先生ゆかりの2冊をご紹介させて頂きます。昨日のレッスンで、最後にちょっとお話があり、知りました。最初のは、編者がおられて、10人以上の研究者の方の論文集?のようなもの。ブラッサンスのは、翻訳者として、。ご登場。すごい!レッスンの意義がこれらで、さらに広がりそうで、読みたいとは思うけど、最初のは、、お高い。で、図書館にリクエストしようと思い立った。後者のも合わせてリクエストするが、これは、、蔵書にしようかと思ってます。歌は、言葉なので、かねてより、シャンソン、、(いわゆる日本での)に一定の違和感があった、あたしとしては、やはりここは、、勉強しないとだな・・。
2024年07月04日
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★大阪市は、2025年に結婚する新婚夫婦へのお祝いとして、「ミャクミャクの輪島塗夫婦箸」をプレゼントする。とのニュース。要りません。と、何かのインタビューで答えていた結婚予定のカップルのコメントも添えてあった。このニュースに、思わず、プッ、となった。めちゃ昭和だし、外してる感じがした。みゃくみゃくについては、悪しき方向で、とにかく目立つので、出来れば、、実は、、あの姿を見たくないのだが、致し方なし。言葉も尽くしたくない。★このたび組織改編なった万博協会で、ペット入場オーケー、のニュース。条件が以下の通り。 会期中の10日間に限る。 一日100頭まで。 連れて入る人18歳以上。 ハーネス装備、口輪等、必要なものを着けること。など・・。その予算、8300万円だそうだ。あらたに計上する。のべ、1000頭の(おそらく小型)犬。予算が8300万。たった10日のために、8300万。連れて入るために、だけの8300万。うううむ。唸ってしまった。それだけあれば、TNRの活動に回して欲しいわ!と、すぐに気がついた。TNR(トラップ・ニューター・リターン)、つまり、罠で捕獲して、避妊去勢し、元居たところに返す、という野良猫対策の運動である。サクラ耳にするのでサクラネコ、という。ざっくりだが、1000頭の猫の費用にあたる。この1000頭が、彼らねこ生の残りの時間が、救われる。犬の飼い主が10日続けて入場ではなく、飼い主にしてみれば一日のことだ。一日、お留守番してもらって、猫が一生、生きられるのだ。牛も、豚も、食べる、ということで、命を頂いて(奪って)いるあたしが、いのち、命、と大上段に言える立場じゃないかもしれないが、それをしないと、ケッサクなほどに猫ちゃんの数が増えるのである。ペット入場オーケー、ただし、10日間だけ、、って、なんだかなあ・・。一日800万円以上のお金がかかっても、それでもわんことゲートをくぐりたいのだろうか。何だかヘンだよね。
2024年07月01日
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spring (単行本) [ 恩田 陸 ]読了。図書館には、ヒトはあまりいない方が良い。と言ったのは内田樹。本の森は深い方が良い。ということ。今回の一気読みは、これだった。まず、初めての作家さん。若い作家さん。あたしは、書評を時々チェックして、あまりの誉め言葉に気持ちが動き、いっちょ、読んでみるか。となった。バレエ、現代舞踏、、の世界がテーマであり、入りやすかった。主人公、およびそのごく近い周辺の数人が、入れ代わり立ち代わり一人称として登場する。だから、彼らの間はもちろん、近しい関係で、共通の知人?親戚、、も登場するので、プロットするのが容易い。著者ご本人も、サックス(楽器)を一時期、してはったようで、。音楽の世界にも、一読者として近いので、楽しいイメージがさらに広がった。文章に動きと、色彩が加えられてさらにそれらが一緒に動き出すのだから読む方にはたまらん。場面の舞台が、日本と欧州、ってのにも違和感なく、一つの芸術分野(今回はバレエ)の俯瞰が出来たしそれぞれの、ダンサーの技量や、コンテンポラリーダンスの現状など、興味津々。いくつもの、舞踏の名称のついた新作を観覧席で堪能する、、みたいな経験、、は本を読んで出来るものなのか?出来るんだろう。それほど、動きが激しい。だから、一つの踊りが終わると、読んでいる方もどっと、疲れる。ふう。って感じ。一つの言葉、が引っかかった。主人公のダンスの音楽を担当する、作曲家(女性)、彼女もかなりの踊り手でもあるが、ある演目で、中折れ帽にトレンチコート、という衣装で、踊る場面を作っているところ、その中折れ帽が似合う人だと感心する場面で、「宝塚歌劇の男役」という単語が出てくる。わが国で、たからづか といえば、あの、レビュー。宝塚の男役くらいしか思い浮かばない。彼女よりその中折れ帽が似合う、、となれば。としてあり、それ程、宝塚の男役がカッコイイのだ、という流れで文章があったんだけど、あたしは、へえ、宝塚の男役?そんなにカッコイイ?んだろうね・・。と受け止める。個人的には、あのセンスを認めがたいものだから・・。作家さんとしては、メチャ分かりやすい言葉として選んだのだろう。と思った。マニッシュ、という概念がファッションに存在することは知っている。だけど、ここで、宝塚かよ。と思う。この本は、全くフィクション(小説だから当然)です。との断り書きも読み、スペシャルサンクスで20人ばかしのお名前が最後に上がっている。彼らの一人として知らない、ど素人のあたしだ。ま、時代が違うのかもしれないね。また、ベルバラ以降の世代だしね。でっかい一つのフェミニンカルチャー(と言えば言えるが)として、大きな存在であることは確か。それに連なり少女漫画、アニメ、、など広く普及しているもの・・。あたしは、14歳のときに、一度だけ、宝塚大劇場に行ったことがあってそれは、上等のボックス席だったんだけど、父が、お友達と行けば?とチケットを用意してくれたんだ。そのお友達、ともこさんは、宝塚歌劇の大ファンで、ピョンピョン飛び跳ねて喜んでくれたっけ。1回観て、それも、小さいときに、、なんだが、あたしは、ダメだった。許されよ。今、進化?した女性の体躯、ダンスの技能、声楽の能力、などなどなどすっかり変わっているかもしれない宝塚、、観ていないのにいうもおこがましいけれど、やっぱり、、ちっちっち、、なんである。そんな事ごとを思い出させるほどの、、本でした。感謝。彼女のエッセイを今度は借りて来ようと思ったとさ。
2024年06月29日
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spring (単行本) [ 恩田 陸 ]全く予断無く、ある書評を見て引いた。さてと、。読み始めたら止まらない。バレエ、の世界がテーマとなっている。だから、、(少し高校時代にやったことがあって)バレエのレッスンの単語(フランス語)などがすぐに現れたので、本の中に、ダンサーが立ち現れ、踊り出して、、止まらないのだ。著者は還暦目前の女性作家である。ずいぶんと、人気があるようで、借りたときは順番待ちだったし返す時も次の方が待っていますから、期日厳守で返してね、のメモがはさんである。そのバレエ、だが、あたしは、生まれつきの鼠径ヘルニアであったので、小学校6年の時に、手術している。それまでは、両親はかなり心配したようで、運動関係は、、と書き始めてあれれ?そうじゃないよな、パパはかなり、連れまわしてスポーツやってたはず、。。でも、スキー、スケート、サイクリング、キャンプ、、くらいかな?バレエを習いたい!と、訴えても絶対にダメ!だったなあ、。華奢で小さな体だったが、中学になると俄然元気になった、、という記憶はある。さて、高校になり、ダンス部、と言うのに所属し、バトントワリングを仲間と始めた。この関係で、代表の和子さんがどこかに行っては、(ってバレエの塾?のようなところ)にわか知識を仕入れてきては、メンバーに伝える、、くらいのことではあるが・・。バーレッスンを、ひたすらやった。これが、きつい運動で、滴る汗、の思い出しかない。それでも、秋の文化祭にはチャイコフスキーの音楽でクラシックバレエの群舞、らしきものを披露したこともあったっけ。それが、あなた、タイミングよく、最近は同級生のはさんと、猫談義の日常モードだ。あなた、クラブに4個も入ってたでしょう?とはさん。よく覚えてるわねえ!とあたし。そりゃあそうよ、4個も入って、4個とも文化祭で発表するものだから忙しい忙しい、、って、言ってたじゃない!ガハハ。そうなんです。あたしは、高校時代には、美術、茶道、華道、ダンス、と、4個のクラブに入っておりました。美術は、作品を作るだけ、。茶道は、お茶のお手前して接待の係。華道は、草月流であったので、でっかい抽象の作品を共同制作。ちょうど、、出始めていた発泡スチロールの畳一畳分の厚さ10センチほどの大きな板を販売しているところが川西市の猪名川の下流にあり、それをば、場所を調べて買いに行ったのは、あたしなんだけど、。。(と、遠い目)ダンス部は、体育祭の、入場行進の先頭でバトン!バレエの衣装もミシンで作ったなあ・・。(他のご本は、また別の機会に)人間、変わりませんわ。などと、本は、ホンマに有難い。なんやそれ。
2024年06月27日
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小山裕史のウォーキング革命 初動負荷理論で考える歩き方と靴 [ 小山 裕史 ]かさんは、フルートが上手な、音楽仲間の一人。また、法曹関係なので、専門家のご意見をたまに、、聞きに行ったりする。ちゃんと、相談料はお支払いする。彼が、何かの折に、(あたしが、膝が、、と発言したそのことば一つで、)皆まで言うなと、進めてくれたスニーカーを履いて一月ばかりになった。それが、【送料無料】ローカット ビモロ スーパートラディショナル 刀 KATANA かたな カジュアル ウォーキング 歩きやすい スニーカー トレーニング #0010 #0011 楽これ。彼の行きつけのカフェが、ぐんと山側にあり、そこへ自転車で通うのを習慣にしておられ、途中にあたしの自宅があるので、たまに、お立ち寄りしてくださる。膝、、と発した言葉一つでこのスニーカーをおススメされ、あらそうですか。とその日に買う方も買う方だが、ひと月、仇のように穿いた。結果、、膝の痛みは軽減した。ほとんど、忘れるくらい。靴のおかげか、自分の良くなろうとする体の都合か、庇う(かばう)ように注意しているから、グギ!とならないのか、、たまたま、履いた時期が回復途上にあったのか、因果関係は、何とも言えぬが、とにかく、気にしないで歩けるようにはなっている。せっかく、このブログを書いていることだし、暮らしの手帳、通販生活じゃないが、やってみたことのレポートもしたいと思っていたところである。ひと月やそこらで劇的な改善は無理だろうとも思っており、少なくとも半年はかかるだろうとも思っている。ただ、率直に言うと、悪くはない。こないだ、、また立ち寄って下さったときに、いいみたい。と言うと、、上の本を届けて下さった。いつもかさんとは、門口で話すだけなのだが、ま、読んでみてください。とご親切。靴は履けばわかるが、本は、、読まないと分からない。読んでも、この本は、なかなかわからない。著者が、この靴を開発された、、というだけで、文章を書いておられるから、作家さんではないからだろうと、思っている。靴の研究に対する思いだけは、伝わります。ま、引き続き履き続けます。
2024年06月24日
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図書館の本は2週間借りることが出来るので、ほとんどは、期間内に読む。たまに、完了しない本があって、それは、必要に応じて早めに延長手続きをする。タイトルに惹かれても中身が想像と違った場合には、早々に離す。通常の暮らしの流れだとこういう風にうまく行くのだが、、ちょいと忙しくなると、返却期限を忘れたり、延長が出来なかったり、などと、、脳の在庫に影響が出てしまう。さて、日曜日の今日、ようやく、図書館に行くことが出来る。何を漁ろうか??【中古】マンチュリアン・リポート(蒼穹の昴シリーズ4) / 浅田次郎楽しく読了。NHK「100分de名著」ブックス 維摩経 空 と慈悲 の物語 [ 釈 徹宗 ]まあ普通に読了。古代日本の超技術 改訂新版 (ブルーバックス) [ 志村 史夫 ]文章に馴染めず、途中でギブアップした。報告、以上。
2024年06月16日
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