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ブログの更新を10ヶ月以上もしていないことに気づいてログインしたところ、以下のようなブログを書きかけていたので、アップロードする。大学時代の友人が私の音楽を聴いて、「ボーカルにカリスマ性がない」と批判していた。PILとかを聴いていたので変則的で音階もぶれるような歌い方だし、英語にはアクセントはあるし、自分でジムモリソンやイアンカーティスのような水準の歌だとは思っていない。大学時代の友人はたぶん知らないだろうが、音楽制作のテクニックで、時間をかければ、クオンタライズという機能で完全な音程やリズムに変えれるし、フィルターで声の厚みや質を変えることはできる。現在、私はできるだけ多くの曲を作ろうと思っているから、プロダクションに時間をかけて、自分の歌を完全にしようとは思わない。また、自分の歌は不足な部分も過剰な部分も両方、面白いと思っている。音楽のプロダクションをやってもらっているPから、いろいろな有名なボーカリストがいかに歌がへたくそで、かなりの時間をかけて音を調整しないと聴けないようなものであるという話を聞いている。それこそ、数百回録音して1つの子音のレベルで徹底的に洗いなおすのだ。私の歌は例えばLET GOはワンテークだけ、冬眠は4回歌っただけ、パラレルライフは7回歌った。通常のメジャーレーベルのプロダクションに比べれば一発録りに近い。そのため、私は彼の批判に対しては、時間があればもう少しプロダクションに時間をかけるつもりと答えるだけとしたいと思う。
2008年12月20日
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大学時代のバンド「殿様の生活」の曲「冬眠」をモダナイズして音楽サイトのマイスペースに載せた。以下のリンクで4番目にあるHybernationという曲。ここをクリックwww.myspace.com/sakanapヒップホップのビートがベースに入っていて、出だしに少し構成が変であるのが見えるかとは思う。原曲は2つのバージョンがあり、基本のギターは後期ヴァージョンに近い。歌詞は以下の通り。咲いた、咲いた、花が咲いた。僕の上に土が降る。僕は春まで冬眠。愛されたい。愛されたい。愛されたい。咲いた、咲いた、月が咲いた。人の声が刃物になって僕の耳を切り落とす。僕は春まで冬眠。春は来ないか。僕の芽は土の中で眠り続ける。咲いた、咲いた、花が咲いた。僕の上に月が降る。僕は春まで冬眠。愛されたい。愛されたい。愛されたい。www.myspace.com/sakanap
2008年12月18日
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週末は近所のアパートで、SF作家がオペラの台本を書いて、彼の家族と俳優が朗読するという集まりがあったので、見に行った。「エディプス」やギリシャの神が火星に移住して、同じ悲劇が繰り返されるという話。言葉はいかにもオペラらしく派手だが、果たして歌になって筋がわかるのかと思った。本人は割りと売れたSF作家らしい。やっぱりご高齢となると、もっとインテリっぽい作品を出したくなるのか?彼の息子(50歳ぐらい)と彼の後妻(60歳ぐらい)がそろって朗読していて、彼らが交わることを想像してみたが、年をとっていてあまり魅力がないので、あまりにもありえないと感じてしまった。20年前には彼の後妻はきれいだったように見えるので、そのときにはありえたのだろう。大学時代のバンド「殿様の生活」の曲「冬眠」を録音している。曲のつくりを分析すると、ほとんど禅のレベルの簡素なギターコード、奇奇怪怪な構成で、即興でできたものが凝固したというのがわかる。また、持っている音源が変則的な演奏のもので定番のものではないから、どうもよくわからない。(郡山さん、定番の音源ないですか?)まあ、なんとかなるだろう。グランジっぽいギターで「パラレルライフ」という曲を書いた。妙なメロディーで、友人から「ああ、頭にこびりつく...」(ほめ言葉だろう)というコメントをもらった。自分の声を想定して曲を書いているわけではないので、ある部分は自分には高すぎる音階だ。1オクターブ低くすると妖怪人間のような声になるし、困ったものだ。高音のだせる英国人の音楽学校生徒にでも歌ってもらうことを考えている。一方、ほとんど即興でつくった「レット ゴー」という曲は、どろどろとした歌と暗く間があいたギターで結果に満足している。これらの3曲をアップロードする予定。私の音楽に興味のある方はここをクリックしてください。魚Pサイトwww.myspace.com/sakanap
2008年12月08日
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先週末は、ベルリンの近くにあるフェロポリスというイベントホールにテントを担いで3日間、メルト!フェスティバルでポップとダンスミュージック三昧をした。http://www.meltfestival.de/index.php?page=info&language=gb&action=3フェロポリスという会場は7,000トンの戦艦のような5つの重機に囲まれていて、異様な光景だ。高さ130メートルほどのキャタピラのついたクレーンのような重機は、「ハウルの動く城」を思い起こさせた。宮崎駿だけでなく、第二次大戦のドイツの戦車などが好きだった私は重機を見てうっとりとしてしまった。小さめのモスキートがいいか、壮大なマッド・マックスがよいか決めかねている。http://www.ferropolis-online.de/ferropolis.htmlhttp://www.ferropolis-online.de/ferropolis/mosquito.htmlhttp://www.ferropolis-online.de/ferropolis/mad-max.htmlフェロポリスは湖に面していて、1キロぐらい歩いたところにテント場がある。ビッグ・チルなど英国の大規模フェスティバルに比べて、グルメ風の屋台もなく、トイレの数なども比べものになく少なくて、けっこう腹が立ったこともあったが、湖でバタバタ泳いでいるうちにそんなことなど忘れてしまった。出演バンドは、有名なところでは、Pet shop Boys, Aphex Twinsなど、The Streets, The Editors, We are scientistsなどの売り出し中のバンドも出ていた。アメリカ、英国のバンドはメインステージではけっこう多かった。この1年半前にゲーテ・インスティチュートでアルバムを借りてから、私とガールフレンドはドイツのインディーバンドのKLEEに凝っている。今回ドイツくんだりまで行ったのも、彼らが出演するからだった。音はファーストアルバムはダンス・ミュージックで、2枚目はニューオーダーなどのマンチェスター色が濃くなり、もうすぐ出る三枚目はもう少しアコースティックになっている。なんといってもスージィちゃんの書く歌詞がロマンティックで心をうつのである。ドイツのモリッシー女版という感じだ。実際、スミス時代のモリッシーのようにステージでは水仙の花束をもって現れた。(試聴はこちら。最初のアルバムUNVERWUNDBARのNICHT IMMER ABER JETZTとHOFFENTLICHなどが好き)http://www.kleemusik.de/indexnu.htmステージの一番前に立ち、ほとんどの曲を「なんちゃってドイツ語」で歌った。ガールフレンドなどは涙ぐんでいた。中学校のときにYMOのコンサートなどに行ったことがあったが、こんな感じでポップグループのファンをやったことはない。40近くになっていやはや、これはナンでしょうな。KLEEのTシャツを買い、バンド全員にサインしてもらい、スージィと握手をした。10代にしなかったことを今するのはだいぶん恥ずかしい。しかし、ポップの追っかけというのは楽しい。また、ドイツにKLEEを見に行こうかと思う。
2006年07月20日
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ふっふふ。全国のジョイ・ディビジョンや80年代後半ニュー・ウェーブファンには、まさにタイムワープした気分になる音の、She Wants Revengeのギグに行ってきた。売れないヒップホップをつくっていた2人のDJがつくったバンドは、金儲けのために方向転換したと疑われ、「オリジナル性の無さ」から、批評家からは「ジョイ・ディヴィジョンのモロパクリで素面でやっているとは思えない」とけちょんけちょんである。曲のタイトルまで"Tear her apart" "Out of control"なので、確信犯の臭いがしてくるのは否めない。ヴォーカルは、アフリカ系の血がかなり入っていると思われるカルフォルニア出身の男で、プリンスに似ていないこともない。ステージでは、ヴィクトリア調ともいえるヒラヒラの飾りつきのシャツにもはや誰も着ないベストをつけていたので、「アメリカ人の考える英国貴族っぽい服」を着ていたと考えられる。アメリカのGOTHにとって英国は、切り裂きジャックとロンドン塔のゴシックな世界で、一種のあこがれがあるらしい。ネットサーフィンをしていたら、アメリカ人のデュオで「ロンドン橋落ちた」というタイトルの曲をシングルとして出した輩がいて、腰がくだける思いがした。She wants revengeさん、そんな服を着てはダメです。アメリカのスノップで拒否反応がある音楽は、さらにスノッビズムが激しい英国では受けるはずがないとも考えられる。一流バンドは20ポンド以下ではギグをやらない市場で、入場料を8ポンドしかチャージできないことからも、She wants Revengeさん、申し訳ございませんが、お引取りくださいというメッセージがちらちらしていた。しかしっ!そんなことはどうでもよいのだっ!この手の音が私は好きなのだ!責任者を呼んで来いっ!英国貴族っぽい服を着た、プリンスもどきがモリッシーのようにくねくね踊りながら、イアン・カーティス風の深い声で歌う。むっつりしたギタリストはどっか性格がジョニー・マーみたい。西海岸経由の80年代マンチェスター・サウンド。これは、奇怪だ。ああ、私は誰、ここはどこ?今は何年だっ?デブのアイライナーを塗ったGOTH女が、私に冗談を数回言った。脳みそが電子レンジで調理されたような気分になっており、彼女が何を言ったのかよくわからん。気が弱そうな微笑みを返し、狂ったように踊る。ああ、幸せだ。青春よ、もう一度。
2006年06月04日
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西ロンドンで日本のバンド「ボアダムス」のライブを見に行った。いいライブだったと思う。圧倒的なドラムスの音に打たれて高揚感を感じた。しかし、私の大学生時代に覚えているボアダムスというのは、もっとノイズがぎゃんぎゃん耳を裂く荒削りで不快な音で、観客を金返せと怒らせ、これが音楽とはなめとるのかと酔っ払いが瓶を投げたりするバンドであり、あらまぁ、そうなの、よかったわねぇという気分になった。音楽は、絶叫をある程度やっちゃうけどアングラっぽくはなくて、トリプルドラムスでポリリズムが絡み合い、70年代風のハモンドオルガンとスペースエージ音楽のレトロサウンドがぴーひゃら、ぴーひゃらと奏でられる、乱暴な一般化をすれば和太鼓バンド「鼓童」をサイケデリックにアレンジしたニューエイジ音楽とでもいえた。千五百人ぐらい入る会場は1階と2階は満員、観客は5%ぐらいが日本人、後はいかにも耳が肥えた音楽スノッブという感じの観客だった。「これは俺が覚えているボアダムスと違う!」とフランス人の友人に説明していたら、入道みたいな大男に肩を叩かれ、「しぃぃー静かにしてよね、僕ちんにとって、この音楽は神様からの贈り物なのよ」という顔で注意をされた。その後、この大男は1時間半の間トランス状態で頭をゆすり続け、むち打ち症で手当てが必要になるのではないかと思った。ウエブでみるとボアダムスは90年前半にソニックユースに助けられて、US市場に進出しようとしたけど、失敗したことが垣間見られる。ライブバンドとしてはタイムアウトなど英国のメディアの評価も高いようなので、期待はできるのかもしれない。音楽性の変遷のせいで、もはや私の聞く音ではないが、昔好きだったよしみで、がんばって欲しいと思う。
2006年05月30日
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バー・トーク(Bar Tok) というのはハンガリー人作曲家バルトーク(Bela Bartok)にちなんで名付けた、北ロンドンにあるバーだ。ああ、しょうもない命名。しかし、うるさい音楽が鳴っている普通のバーと違い、マイケル・ナイマンやスティーブ・ライヒなどの音楽が静かに流れるバーで、出来た当時には友人と飲みに行ったものだ。実験的な音楽を演奏するためにはけっこういい場所らしい。今日は、知り合いの恋人がそこでギターを弾き歌を歌うということで、ベルギーの白ビールをぐびぐび飲みながら待つ。大きいソファーが散在する店の中は快適だ。しかし、ワインレッドの壁はくたびれているように見えるし、古くなった紫色の横長の電灯は、もはやキネティックアートではなく、蠅をおびき寄せて焼く装置に見える。週末の夜だというのにあまり客がいないせいで、儲かっていなくて改装していないんだよなぁ。知的な音楽でチルアウトできるバーというアイディアはいいし渋いバーなんだが、やっぱりマイケルナイマンとか毎日は聞かないもんね。クリント・イーストウッドの映画にでも登場しそうな、怪しい70年代風の長髪にサングラスの男たちやチープシックのレプリカのミニドレスに身を包んだ女たちは、トレンディなのかもしれないが、私には変装しているように思えて、「おまえたち、本当の正体は誰なのだ!」と尋問したくなってしまう。「あら、ここにいたのね」知り合いの女が、バーの奥のほうから現れる。彼女は私のガールフレンドの大学時代の友人だ。最近7歳年下のミュージシャンと交際をしはじめたという話を聞いているので、私たちは好奇心を隠しながらバーの奥に歩いていく。実は数週間前にこのミュージシャンのつくった音楽を聴いたことがある。大手出版社ペンギンブックスがウエブサイトで公開する詩や小説を音読した録音(オーディオ・ブック)に渋い音楽をつけたミュージシャンの曲を10曲に限って出版するというコンペがある。そこで、このミュージシャンのつくった曲が現在「ペンギンリミックス」で上位に入っているのだ。このコンペのサイトは以下の通りだ。面白い企画だからチェックする価値はあるかも。私はランキングに影響を与えたくないので、このミュージシャンの曲がどれだか教えない。www.penguinremixed.co.ukシステムとしては、聴衆がそれぞれの曲に点数をつけ、そのランキングと編集者の意見の組み合わせで受賞者が決まる。知り合いの女の弟もミュージシャンで、曲を出品し、自分で100回ぐらい投票して、それがばれて失格となったらしい。ペンギンブックスも馬鹿じゃないからIPアドレスをチェックしているのだ。知り合いの女の恋人は24歳だ。むうう、私より14歳年下。2メートル近いひょろりとした長身で長い金髪だが、気のいいあんちゃんという感じの性格だ。ケミカルブラザーズのメンバーで似たような顔のやつがいたっけ。アコースティックギターの黒いケースがソファーに立てかけてある。ミュージシャンは英国の深夜放送でいまだに時々放映されているビートたけしの番組「風雲たけし城」のファンで、しょうもない話に花が咲いた。しかし演奏前なので、ときどきソワソワしているのが見える。ミュージシャンがトイレに行ったときに、彼の恋人の知り合いの女が「彼はギターをこの一ヶ月ぐらいあまり弾いていないので、今晩うまくいくかどうか、ちょっと心配してるのよ。だから、友達もあなたたち以外しか招待しなかったの。ああ、私も彼が心配そうだから、心配になるわ」と言って、しきりにミニスカートを引っ張って足をカバーしようとする。50歳ぐらいだろうか、白髪のDJがミュージシャンの横につかつかと駆け寄り、「おめえの新しいアルバムから数曲かけようと思うが、どの曲がいい?」と聞く。彼が何か答え、DJは灰色に塗られたブースに戻り、音楽が流れ出す。こいつの曲はまったく悪くないと思った。基本的に高音のVocalにアコースティックギターの音楽だ。ライクーダーのようにギターの指版に指がスライドする音が響く。寺院で読経する坊さんの声などいろいろな音源がサンプリングされて、メリハリをつけている。彼の本当の職業は広告代理店のために広告につける音楽がどれがいいかリサーチする仕事をしているので、「耳が肥えている」のだろう。私がほめると彼はうれしそうだった。前座の2人組みが演奏を開始する。アコースティックギターとチェロの組み合わせだ。思索的な歌詞を目を瞑りながら歌う男の声は深い。ギターもピックでビキビキと力強く弾かれ、乾いた音だが、どことなく中近東のメランコリーのようなものを感じた。こいつは本物だわい、と思った。チェロ奏者は6曲目ぐらいまで弾かなかったので、「あのチェロ女、飾りじゃないの」とガールフレンドが私に耳打ちする。7曲目からチェロもギターに絡み出す。砂と水のような相反する音が繋がり、離れる。渋い。こいつら、只者ではない。深く乾いた声の男は全曲目を瞑ったままだった。拍手が鳴り響く。白髪DJがしゃしゃり出て、「すごい演奏だった。ブラヴォー。またバートークに出てくれるよね?それじゃ、みなさん、また拍手っ!」と叫ぶ。それから30分後、知り合いの女の彼氏がギターを抱えて舞台に座る。白髪DJはこのミュージシャンを「旧友」と呼ぶ。「彼はこのバートークの常連だよ。アルバムを出したんだよね」と言うと、ミュージシャンはぼそぼぞと早口で肯定する。あがっていて神経質になっているのがまるわかりだ。ミュージシャンは聖歌隊団員のような高音の美しい歌声があった。ギターはじゃっかんジャカジャカとまどろっこしい和音に走るきらいはあったけど、クラシックの素養があるのだろう、安定したしっかりした演奏だった。しかし、音源サンプリング無しの曲はのっぺりとしていて、前に演奏した深く乾いた声の男に比べて、ぜんぜんオリジナリティやカリスマに欠けているように思った。才能の違いがくっきりとでる音楽の世界は残酷だ。しかも曲の合間に「さっきのはちょっとまずっちゃったぜ。ごめんな。練習最近してないからな。ええっと次の曲は俺が旅行してたときに作ったやつだ。ああ、そんなことはどうでもいいよな。とりあえず、行くぜ」なんてことをボソボソ早口でしゃべるのだ。ああ、駄目だ。自主制作をしたアルバムをプロモートするために演奏しているのに、The next song is from the album I am….sellingと吐き捨てるようにつぶやくのはやめてほしかった。演奏が終わり、拍手がぱらぱらと響き、白髪DJもじゃっかん失望を隠しきれないように見えた。私は彼の顔を見るのが少し恥ずかしい思いまでしたので、トイレに行って、すぐに舞台から帰ってきた彼としゃべるのを避けた。トイレから帰ってくるとミュージシャンはソファに身体を投げ出して、演奏が済んで安堵している感じだった。私はお世辞をいい、「君、CDを売っているのだろう、買いたいのだが」と言う。彼の顔が輝く。多重録音のことやCDジャケットのデザインなどを話し、私がアラブストラップが好きかどうか彼に聞き、その話で盛り上がる。ガールフレンドと知り合いの女はあまり音楽について知らないので我々ふたりが話すのを聞いている。「そおいや、ヒカルもバンドやってたんだよね。確か、何か、顔をメリケン粉か何かで真っ白にして母親のドレスか何か着たりして…大阪の家で写真見たわよ」と突然ガールフレンドが言う。こらこら、そんなことは14歳年下のミュージシャンの前で言うべきではないのが、わかっていないなぁ。沽券に関わるではないではないか。
2005年06月27日
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楽天仲間のピーニョさんが教えてくれたファクトリーレコードを偲ぶウエブサイトから、私の北ロンドンの家の近所のパブで「ポストパンク討論会」があるということを発見し行くことにした。仕事の帰りに真っ暗な国道沿いにあるパブまで歩いていった。「ここかなぁ?」と思い窓ガラスを透かして見ようとしたが、曇っていて見えない。ええい、とドアを開けようとしたが、鍵がかかっている。消防法を無視した、とんでもない数の人間がパブに入っているのが、曇ったガラスの向こうに見えた。もうひとつのドアは開いた。蒸気で眼鏡が一瞬にして曇ってしまい、入り口近くの連中にぶち当たりそうになる。元バズコックスのマンチェスターシーンのスポークスマン、NMEのジャーナリスト、聴いたことのないポストパンクガールバンドのギタリストなどのあまりパッとしない中年パネラーだったが、盛り上がっていた。聴衆は私ぐらいの30代後半の男が主力だったが、20歳ぐらいの女の子や50歳以上の女性もいたりして、ファクトリーレコードの影響力とファンの裾野の広さを感じた。伝説かと思っていたが、サンドペーパーでレコードジャケットを作ったバンドは本当にいたらしい。4日間バンドメンバーが集まって、ざらざらの紙を鋏で延々と切ったそうだ。「ファクトリーレコードを代表とするマンチェスターシーンは本当のインディー音楽の先駆けだった。よかったよなぁ。あの時は」というノスタルジーを語る地味イベントにしては観客の動員数はすごい。しかし、これは一般的傾向であるらしい。The Smithsなどは、文学的風味があるので大学でけっこう研究されていて、先月The Smiths研究発表の学会があり、ガーディアン誌が面白がって取り上げていた。「あの時はみんな、トップ4000でも気にしなかった。今は音楽産業じゃなくて、CD産業だよ。消費財を売ってるだけだ。」「ポップのディスコースも変わっちゃったよ。もちろん、あの時はみんな自分の部屋で孤独にレコードを聴いていて、悦に入っていただけだけどね」「読んだ本のイメージをパクって曲をつくったりしたからなぁ」80年代の英国のポップは本当に手作りの個人的なものが多かったと思う。音楽の素養も訓練も受けていなかった私も大学時代には友人とバンドをやったのは、このマンチェスター発の時代精神とやらに影響されていたのだろうなぁと思った。
2005年05月03日
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心斎橋さんと桃牡蠣さんに続いて私もInterpolのコンサートに行った。www.interpolny.com 相棒が病気で静養中で外出ができず、友人たちは都合がつかなかったためチケットをダフ屋に売って一人で行くことになった。本当は売値を聞いてから「それが売値なのかい、実は俺は売りたいんだよ」と言って交渉するのがうまいというのは知っている。しかしギグが終わってから友人と会う予定だったので満員売り切れイベントのチケットを原価で売却することにした。中年になると根性がなくなるのだ。それでも「追加公演でチケットがいっぱい余っているんだよ。原価の半額しか出せないね」と言う強気のダフ屋とだらだらと交渉する羽目に。ああ、勘弁してくれよなぁ。ロンドンで生きていくのは本当に疲れる。場所は数ヶ月前にMassive Attackを見に行ったブリクストンアカデミー。このロンドンの音楽震源地の中心にあるネオクラシカル調の舞台のある渋いVenueは最近ビール会社が買収したので、正式にはブリクストン・カーリング・アカデミーという名前だ。しかしメディアも含めて誰も会社名付では呼ばない。ざまあみろ。好きなバンドのコンサートに行く醍醐味の一つはサポートバンドで面白いものを発掘することだ。馬鹿大統領の領地テキサスのバンドのくせにえらく知的なバンド、SPOONがサポートを演った。音は悪くない、悪くないのだが、政治的理由から今ひとつ金髪のテキサス人のCDを聴く気にはなれない。http://www.spoontheband.com/site.htmlダフ屋にチケットを売るために早めに来たので、ずーーーーっと立ちぱなしになった。ギグに行くのは何回も場所を選んで聴けるCDを買うのにくらべ割に合わないものだ。しかし、すごいギグは本当に値段などつけられない。エネルギーを充電された気分になり、それが数日続く。コンサートに来ているのは20-25歳ぐらいのアートスクール風が多かった。3分の1ぐらいは80年代ニューロマンティック風か70年代風のジャケットと限りなく細いネクタイをしめた痩せた男たちだった。男のほうが若干多い。16歳ぐらいの少年なども来ていて、彼らがInterpol風のセーター+シャツ+ジャケットのファッションをしてもただの学校の制服に見える。ちらほらとJoy Divisionをしのんでいると思われる中年がみえる。おお、同志よ….お湯に漬け込んでいるため風味が消し飛んだ不味いホットドッグを頬張りながら、ブリクストン・アカデミーをうろうろする。ついつい、赤いクラゲの絵のついたInterpolのTシャツを買ってしまった。公式ウエブサイトによるとギタリストのDaniel Kesselerが始めたらしい。しかしギグを見た感じではリード・ヴォーカルPaul Banksの所有物という印象を受けた。直立不動で浪々と謳うPaulは威厳があり、名前もInterpolからInterPAULに変えたほうがよいのではないかとまで思った。しゃべりはまったく無し、ただ「ハロー」だけである。セカンドアルバム「Antics」のような洗練された音楽に世間話などを付け加える理由など何もないのだ。演奏はまったく完璧だ。透明なライトが照らされるなかで黙々と演奏をするInterpolの連中はなにやら怪しげな世界に突入しているようにまで思えた。ファーストアルバムTurn on the bright sideからの曲は熱い。しかし、パンクっぽい音楽につきものの、適当なリフや即興性や自己主張などまったくない。レーザービームのように耳にスパスパと斬りこんでくる。ギグ開始時点では女の子がたくさん前のほうに陣取っていたので、窮屈であってもけっこうラッキー状態であった。しかし次第に野郎どもがどんどん飛び跳ねながらやってきて、山手線おしくら饅頭3次元版の異次元に飲み込まれてしまった。左の靴ひもがほどけてしまい、それを踏まれて押されて私は操り人形のようにぐるぐる廻った。財布が飛び出さないようにズボンのポケットを抑えながら飛ぶ。ひじが頭がぶつかる。2千人ぐらいが一度にパンク跳びをしている状態では飛ぶタイミングを間違えると、ヒールとブーツとスニーカーで踏まれ足がひりひりする。甚だしきに至ってはパンクのタテノリ海老跳びをやるにも、ぎちぎちに人間で詰まってしまい動きがとれない状態になった。パニック状態の女の子が何人も阿鼻叫喚の空間から脱出するのを横目で見ながら頑張った。「軟弱者め!」とつぶやく。頭に衝撃が来て何かと思えばステージダイビングだった。蹴るなよな、おい。後半にはダイバーが続出した。うう、こんなにすごい狂乱状態はひさしぶりだっと思い笑いが止まらなかった。汗だくになり、人にもまれ、もまれてもまれながらあがく私のはるか上をInterpolの「NYC」が天上から降ってくるように響いていた。
2005年04月11日
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