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恐竜境に果てぬ第1章第2節その1
「恐竜境に果てぬ」第1章『先史時代』第2節・白亜紀の光景その1「白亜紀の異景」 (2014年3月10日執筆開始)
改めて書いておかねばならないが、タイムマシンとも探検車とも呼び分けるこの戦車のような、あるいは自走砲のような乗り物には、車内に操縦桿と発射桿を中心とした座席空間が車体前部に置かれていることは、既に述べるまでもなく、画像でも複数回掲載しているが、ハッチへ続く簡便な昇降用のハシゴのほぼ後ろ半分は、居住区域である。
くだいて言えば、ここは二人の寝室であり、またトイレ・バスが置かれている。この二つは共同である。機能重視のせいか、前部の操縦席と同じく、壁などは塗装してなく、すべて白である。
寝室と言っても、それは壁などで仕切られたものでなく、操縦席から振り返れば丸見えの空間というだけのものである。ベッドはシングル・サイズのものが二つだが、ここにもパーテーションのような間仕切り一つない。不要とも言えるが、探検車内外の行動の機動性に配慮したのだろう。
ついでに記しておくと、トイレは大小用便後、田所の発明による原子分解装置で、たちどころに排泄物は消え去り、便器から下に通ずる排出口から、空中へ放出される仕組みが出来ている。尾籠(びろう)な話だが、排泄物が、排出口に吸い込まれた時にセンサーが作動して、次々原子に分解される原理なので、使用中の臭気が一時こもるが、トイレ内の壁と天井にファンが設置されて、ものの数分で臭気は消える。これは原子分解装置が、便器空間の上まで機能して、腰かけた人間の肉体の一部までをも分解しないように安全設計されていることを意味する。
バスも画期的発明品であり、水道設備などがないから、空気中の水蒸気をバスタブに取り入れて、一種の電子レンジの原理で入浴可能な温水に暖める機能が施されている。
実は二人が寝室を使うのは、白亜紀に到着したその日の夜が最初である。
これまた実は、この物語は、二人の私生活に触れることを避けて来たが、このことは二人の冒険出発の時代や季節にも言える。
四季の別をあえて書かないし、二人の年齢も書かない。
人跡未踏の恐竜境の冒険物語は、時空を超えたものであることは明らかだが、それゆえに、出発時期がいつであれ、帰還時期も自在に選べる。
これもくだいて言えば、二人の冒険の全期間の合計時間が、たとえ10年に及ぼうとも、帰還時期を出発時期のすぐあとぐらいに設定すれば、元の現代の環境の中へ帰った時は、家も家族もほとんど出発時と同じ状態にあることになる。
この意味でもこの物語に時間というものは存在しない。
登場人物主役の二人のうちの田所修一は、SF界の巨人、故・小松左京氏原作の大ベストセラー「日本沈没」に登場する田所博士の息子と思わせる設定だが、実は改めて言うと、そんな無礼を働く思い上がりはない。
ただし、そう誤解させるややこしさに設定した気持ちは、「日本沈没」への敬意ゆえである。
正確には以下の設定だ。SF小説「日本沈没」登場の田所博士には、モデルとなった同名の地球物理学者が実在したと勝手に設定、この人物を小説中に活躍させたことにした。
そしてモデルとなった田所博士の一人息子が、田所修一である。
なお、私の間違いかも知れないが、原作中、田所博士のフルネームが書かれる箇所は見つからない。私は姓名のうち、下の名前は不要と判断したのか、小松左京氏が『田所博士』で通したものだと思っている。
ウィキペディアなどにはフルネーム「田所雄介」と書いてあるが、光文社の新書判上下巻のどこにも見つからない。あるいは昭和48年(1973)暮れ公開の映画の中に、例えば深海底探査スタッフ名簿に、田所博士が、急きょ思いついて「小野寺俊夫」と書き込むシーンがあるから、その名簿に田所博士のフルネームが映ったのか、もはやこれ以上つきとめる意志はない。
余り種明かしのようなことはつづりたくないのだが、わずかな事柄に絞って書くならば、現代世界に戻ったとたん、二人を取り巻く環境は変化がない。
田所の両親は割合早くに他界しているが、私には、出発直前に急死した父親のあとに残った、80代の母親がいた。過去形で『母親がいた』との書き方をした通り、甘えん坊だった私に、その生涯のほとんどの生活時間に於いて、常に優しくしてくれた母も、86歳で老衰で旅立った。母存命中、田所は、私の母親を驚くほど気遣っていて、時空を超えた受信装置で、常にその様子をスクリーンに映し、母の生活行動のプライバシーに関わることを避けたうえで、息災かどうか確認してくれていた。
私の意志にかかわらず、田所は時々元の世界に帰して、母親の世話をするように促していた。
私は、気づくと元の自宅にいて、母親と一緒の生活をしているということになる。正直これは私には常に戸惑いをもたらし、時差ボケならぬ時空ボケに見舞われる。これに関して、田所はパートナーの母親を見守り続ける労から解放された。私は母への追慕の思いとは別に、これで田所が本来の仕事に専念出来るので、良かったと思った。
この話はこのへんで措(お)く。
話を白亜紀に戻す。
二人はたった今、変死を遂げたT-レックスの死がいのある場所から移動し、探検車を別の場所へ停めたばかりで、車内にいた。ただし走行は停止しても、常にエンジンはアイドリング状態である。
田所はあっさり座標位置を変更して調整したばかりだった。
操縦席前方の巨大なスクリーンには、新しい風景が映っていた。
この世界では、どこへ探検車をとめても、必ず安全という保証はない。
私は最前のT-レックスからの逃走と、直後に目の当たりにした恐竜の絶命の光景が強烈に脳裡に焼き付いていた。そして田所が出発前にそれぞれの身体に施したバリアーへの疑問がくすぶっていた。
私「おい田所よ、バリアーは絶対安全と聞かされた気がするけど、そろそろお前が後回しにすると言った詳しい話をしてくれないかよ」
田所「何しろ出発前の気ぜわしさで、ろくな説明もしなかったからな。村松、繰り返すが、原則としてバリアーに守られた俺たちは生命の危険からは逃れられる」
私「じゃあ、問題ないじゃんかよ」
田所「まあ、もう少し聞いてくれ。わかりやすい例で説明するとだな、例えば先ほどの肉食竜からの攻撃にはバリアーはほぼ100パーセント機能する。ということは必ず100パーセントではないことも意味する。
村松は、格闘技で修羅場の度胸は備わっていることがわかったが、先ほどのT-レックス出現の瞬間は心拍数が恐らく一分間につき100回を超えたはずだ。
お前の平静時の心拍数が平均60回で、これは実に理想的な数値だ。
大事なことは、危険を感じた時にこれが急激に上昇することだ。もう一つ例を挙げるが、例えばベロキラブトルのような小型の恐竜は、体長約2mで、直立した人間の身長からみると、身体の高さ、つまり体高は、そのおよそ半分ほどしかない。こいつの恐るべき武器は発達した前足のカギづめだが、攻撃の瞬間は、かなり跳躍して、人間の胴体か首に致命傷を与える可能性がある。
村松は、5匹ほどの猛犬に囲まれた経験があると聞いたが、シェパード程度の体高60cmの犬であっても、攻撃姿勢の時は、視線が必ずしも低くは見えなかったはずだ。これが今例にしているベロキラブトルとなると、体高は80から90cmになるから、人間からの視線はもっと高くなる。
だから小型の恐竜に出くわしても、心拍数は上昇すると推測するのだが、どうだ。村松、シェパードの群れに囲まれた時は、どうやって切り抜けたと話したのだったかな。さすがに俺も詳しいことは失念した」
私「家庭教師の最後のお宅を出て、原付バイクで家までの近道を急いでたんだ。途中に頑丈そうなオリがあって、犬畜生を飼ってることは前から知ってたけどな、夜遅くだからと思って、飼い主が放し飼いにしてたんだ。
俺は元の道路へ出て逃げるつもりだったけど、たちまち囲まれて、まあキザな言い方をすると、前門の虎後門の狼といった危機に陥った。
この飼い主の野郎が犬畜生たちを制しようとする気配もないんで、かまれる恐怖の中で、ゆっくりバイクを降りたんだ。そしたら、一匹の前足が背中に飛びかかる感触があったから、振り返りざま、犬畜生の首を腕でつかんで、骨を折って殺したんだ。バイクのライトに照らされた大きめの石が目に入ったから、拾って、残りのうちの一匹の顔に投げつけたら、何んとか命中してそいつは地面に倒れた。
この頃になって飼い主の野郎、残る三匹を制しながら、文句言って来やがった。
俺は地面の石つぶてを次々拾って両手に握りしめて、怒鳴ったんだよ。
『てめえこそ、こんな危ない犬っころどもを、道に放して、もし弱い人が通ったら、どうなったかぐれえ、わかんねえのか、このボンクラ野郎 ! 動物愛護精神も何もあったものかよ ! ついでに全部タタッ殺してやろうか ! 』って興奮と恐怖の勢いでまくしたてたんだ。
そしたら、それでおしまい。ついでに後日同じ道を昼間のうちに通ったら、オリが空っぽになってた。あのクソ野郎、五匹も飼ってたってことは、ちょっとしたブリーダーだったかも知れねえな。
俺はシェパードをはるかにしのぐグレートデンって犬を飼ったことがあるけど、しつけをして、散歩の時はヒモをつけて歩いたよ。こいつは人間で言うお人好しで、一回も人をかんだことはなかった。ただし、ケガをして弱っている鳥をかみ殺したことはあった。俺はその時、こいつを思い切り蹴ったり殴ったりして、『お前は弱っている鳥は殺しても、猫一匹相手に出来ねえで、すごすごと俺のところへ戻って来たことがあったろ』って、徹底的に痛めつけたんだ。
ま、俺は元々犬猫が嫌いでな、以後、全く飼ってないよ。ペットとして認められてるのは間違いで、犬畜生は猛獣同然と心得て、動物愛護なぞという考えの反対の見直しをすべきだ」
田所「凄い話だな。なかなか面白かった。ところで、バリアーの話に戻るけど、恐らくシェパードに囲まれた時も、心拍数は上昇したはずだ。実はバリアーはこの時から作動を始める」
私「でも田所よ、万一上昇しなかったら、不意の一撃に機能しなくなるってことはないのかよ」
田所「いや、お前がどんな戦闘態勢で落ち着いていても、心拍数は上がるように身体が出来ている。猛犬だろうとラプトルだろうと、変わりない」
私「だけどもし背後からいきなり襲われた時はどうなんだよ」
田所「いい質問だ。先刻、探検車の中で俺がお前の頭を軽くたたいた時を思い出してくれ」
私「言われなくても思い出してるよ。軽くどころか、かなり痛かったぞ」
田所「あの時、俺はお前との口論のさいちゅうに、ひそかに測定器で測っていたのだ。俺が軽くたたいたことを仮に攻撃の一種と定義すると、あの瞬間、お前の頭に加わった攻撃の瞬間質量が、つまり衝撃力が頭部への危険数値をはるかに下回っていた」
私は、何が一種の攻撃か、立派な暴力ではないかと言いたいのを抑えた。
バリアーの原理が詳細に語られて、ようやく安心出来るようになったからでもある。だがまだ田所の話は終わっていなかった。
私「じゃあ、お前の暴力の衝撃力をかなり超える恐竜なんかが襲って来た場合は、どういう原理で、身体が守られるんだよ」
田所「これにも量子論が関与していて、村松、覚えているだろうか、『遅延選択の実験』の原理が働いて、攻撃が加わる一瞬前に、致命傷の有無の選択機能によって、身体を保護することになる」
私は既に『遅延選択実験』の仕組みとその実験結果がもたらした画期的な理論を全く忘れていた。
ここでごく簡単に補足しておく。ただし、私の脳みそは空っぽなので、田所に頼んで、説明文章を書いてもらったものを書き写しただけのものだ。
量子(電子や光子)には波動性と粒子性の二つの性質があり、観測器でいずれかの性質を測定しようとすると、量子は波動・粒子のどちらか一方の性質しか残さなくなる。
これにつき、理論物理学のある権威者が、二種類の経路と観測器を設置して実験すると、量子が経路の終点に到達したあとから経路追跡を行なうことにより、量子の性質を判別出来ると提唱した。
そして、これは後年、レーザー・ビーム・システムを組み込んだ研究チームの実験により、十億分の何秒というゼロ秒に近い時間経過後に、言わば振り返って過去の量子の行動経路を、観測する追認実験に成功したことで、観測者(観測器)が、過去の量子の動きを決定するという、驚くべき結論が導かれた。
このことをもっとくだいて言うと、観測者の意志が、量子のわずかな過去の運動性を選択・決定出来るという事実である。
田所は、この理論のうち、極微の世界では、時間逆行が起きているとは認めたが、次第に見解を変えてゆき、むしろこの世界に「時間」という絶対的な物理法則自体が存在しないとの推測を得て、一般に言われている「過去」というものは、物理現象が起こした「痕跡」であるとの仮説を立て、立証するに至った。
よせばいいものを、無い頭で、じっと考えつめて、それでも私なりに忘我の空想世界に浸っていると、田所が声をかけた。
田所「どうした、村松。バリアーの話は余り納得出来ないか ? 」
私「いや、改めてお前の頭の凄さを痛感してたとこだ。田所、物理量としての時間は存在しないんだったよな」
田所「ああ、そのことか。その通りだ。例えるなら、タイムトラベルとは、一秒間24コマでいかにも動いて見える映画のフィルムを取り出して、その中の一コマの世界に入って、映画の世界に参加するようなものだ。10秒間の映画というのは、240コマの画像痕跡があるだけで、フィルムで見れば永遠に止まったままの連続写真が並ぶに過ぎない。ところで村松、そろそろこの世界も日が傾いて来た。カレンダーなどないが、俺なりにここでの生活のあいだの便宜を考えて、まあ、人間が作り出した時間というものに素直に従って、少なくとも何日経過したかがわかるように、機械をセットしてある。
今日はこのあとしばらくしたら食事をとって休むことにして、明日になったら、周囲を歩いてみないか」
私はさすがに昼間の疲れが出たのか、田所が用意した食事を共々雑談しながら済ませると、早速ベッドに横になった。
いつしか眠りに落ちたようだ。ところがかなりの衝撃で目が覚めた。一瞬、新たな恐竜の襲撃かと思ったが、私が寝ぞうが悪くてベッドから床(ゆか)に落ちたと気づいた。ちなみに、探検車は装甲と性能を重視して造ってあるから、このシングル・ベッドは、幅が恐ろしく狭く、家庭で使うコンパクトな90cm前後のものよりさらに狭く、80cmほどしかない。
同様に、田所の食事はごく簡易なもので、言わば軍隊の非常食に似た食品ばかりだった。
食器類やコーヒーカップもすべて紙製で、あとの処理が楽だった。
また、小さな冷蔵庫と電子レンジが置いてあり、冷凍食品を主に収めるようにしてあった。つまり調理する必要は全くなかった。
では食品を一定量保つ方法はというと、これは田所が時々現代世界に帰り、調達する労を引き受けてくれた。
ただし、ごみ出しなぞというやっかいな作業は不要で、原子分解ですべて処分していた。
話を戻す。私は自宅の寝室で寝る時、セミダブルのベッドを使っていた。これは母が買ってくれたもので、母は睡眠の快適性を考えて、幅の広いサイズを用意してくれた。ただし、布団がズレることが始終なので、これについてはのちに私が、丈夫な金属製のズレ止めを購入し、ベッドの左右にセットし、以後とても役立っている。
探検車のベッドは簡便性を重視することはわかっていたが、安眠を妨げられる転落には困った。とりあえずベッドに戻って、腰かけた姿勢で車内を見ると、隣りのベッドに田所の姿はなく、何かの支度なのか、操縦席についていた。フロント・スクリーンをやや遠く眺めると、既に明るくなっていた。この世界に到着して二日目になっていた。
私「おい田所、バカに早起きだな」
田所「村松、よく眠れたようだな。一応現地時間を設定して、まだ早朝だけどな。何んならもう一休みしててもいいぞ」
私「ナニ、俺は体育会系だ。今ベッドから落ちたところでな、おかげで目覚めはすっきりだ。ところでお前、何をしているんだ ? 」
田所はこういう時も、自分の仕事が終わらないうちは、装置に向かったまま、会話をする。ようやく彼は席から立ち上がり、居住区にやって来た。
田所「この周囲の環境を調べていたのだ。危険な生物がいないとは断定出来ないが、昨日のT-レックスのような巨大で凶暴なヤツは今のところいない。
昨日のヤツは何かが原因で、テリトリーから、はぐれて近くまで来たとも推測出来る。さてと、村松、朝食を済ませたら、このあたりを散策してみよう」
散策とは余裕のある言い方だが、なぜか安心出来た。
朝食はあっさりしたものだった。食パンと飲み物くらいだ。
ところが田所はもう一つだけ、何か丸薬(がんやく)のようなものを小さなテーブルの上に出して言った。
田所「これは一種の栄養食だが、現代世界でハヤリの健康食品とは全く成分が異なる。食パンなどは、余り栄養価が高くないが、多く食べることは、消化器官の刺激という効果がある。ただそれだけではカロリーが不足して、スタミナにかかわるから、これを飲んでおいてくれ」
私たちは探検車から外へ出た。昨日の到着位置とはやや景色が異なって、丈高い雑草などが生い茂っていた。
田所「一応、行動は共にしたいが、ある程度互いの距離が離れても、俺が追跡装置をチェックするから、何か興味深いものがあったら、村松は気楽に行動してくれ。ただし、木の実のようなものは絶対口にしないでくれ。それから小型の恐竜はトカゲと区別がつきにくいものもあるから、バリアーの機能で安全だが、不用意に近づかないでくれ」
田所はそう告げると、もうスタスタと勝手に歩き始めた。
私は探検車を埋め尽くしそうな雑草の中にしばし佇んで、遠くへ視線をやっていたが、気づくと田所の姿はなかった。
バリアーの原理を前より詳しく聞いたせいか、だいぶ気が楽になっていたから、私も雑草群をかき分けるようにして、歩き始めた。
まもなく雑草はまばらになり、緑一色に近かった色彩に別の色が混じって見えるあたりに出た。とは言っても、草が枯れたような色の雑草が点在する程度だった。さらに歩き続けた。
行く手に、鮮やかな色彩の一帯が現われた。それは整然たる花畑というほどの景色ではなかったが、明らかに今まで飽きるほど続いた雑草とは異なる複数の花々が咲いていた。
黄と赤が目立った。
・・・・・・・・・・
田所が私を呼ぶ声が聞こえ、通信装置もないのにと驚いたが、とにかく田所がそのまま応答せよと言うので、何が何だかわからないまま、私は彼の姿の見えない空間に向かって、なるべく大きな声で答えてみた。
田所「よし、お前の位置を確認した。その様子だと散策は目下のところ無事に進んでいるようだな。俺が今からお前のいるところへ行くから、別に立ち止まったりせずに、散策を続けてくれ」
田所はまるで私の歩いた道筋を追尾していたかのように、ものの数分でやって来た。
田所「実はな、バリアーの原理の中に、俺たちの離れた空間を結ぶ機能があるのだ。これは副次的に出来たものとも言えるがな、バリアーには時空を結ぶ機能があることは、ずいぶん前に恐竜を呼び込み、かつ元の世界に帰す仕組みの説明の時に簡単に話したが、今はお互い同じ時代に存在するから、これを音声に限定して・・・、ん ? 村松、どうかしたか・・ ? お前にしては顔色がさえないようだが、何かあったのか ? 」
私「田所よ、俺は別に気分が悪いというわけじゃないから、それは気にする必要ないよ。何しろ、体力は人並み外れているし、食欲もたまの風邪をひいた時でさえ、普段と変わらないくらいだからな。
でもよ、そんな俺でも、何んて言うか、頭の中が気持ち悪くなる思いをすることがあるようだ」
田所「何かお前にとって異形(いぎょう)のものでも見たのか ? 」
私「そう、それだ、その異形のものをたった今見たばかりで、何んとも言えない気味の悪さを感じていたところだ」
私は、田所に呼ばれる少し前に戻るような気持ちで、話し始めた。
雑草の生い茂る探検車のところから、どんどん歩き続けると、やや開けたあたりに出た。それと共に、先刻の描写の通り、急に黄や赤の花々が点々と咲く光景に出くわした。
殺風景だった景色がいきなり明るくなったように見えて、鮮やかな色彩の花が何輪か咲いて目立つ塊のほうへゆっくり近づいた。
近づくうち、私の視界の端に、別の花々の塊が入って来て、そちらに視線を移すと、東南アジアあたりに咲くラフレシアよりも一回り大きな薄紫の花が黄や赤の花々を覆うように咲いているのが目に入った。
ところがそれは巨大な花ではなかった。そちらに向き直ってよく見ると、広げた新聞紙よりも大きな薄紫の何かが、ゆっくり上下に羽ばたき始め、次の瞬間には、私の頭より高い空中に舞い上がって、ひらひらと飛んで行った。
・・・・・・・・・・
私「あれは恐ろしく巨大な蛾に見えた。蛾の化け物が俺の頭上を飛び去った」
田所は私の話を聞き終わると、色鮮やかな花々の咲く周囲を見回した。
そのうち、私のことなど無視したかのように、スタスタと花々の咲く一帯より向こうのほうへ歩き出した。
私も彼のあとをついてゆくしかなかった。
やがてある場所へ来ると、そこで田所は立ち止まって、視線を下げた。
同じく私も草むらの下のほうを見たが、そこにまた別の驚くべきものが見つかった。見た感じで言うと、何かの生物の卵のようだった。
田所「村松が巨蛾を見たのは間違いないかも知れない。これは恐竜の卵ではないようだ。ここにあるのはその巨蛾の卵と推測出来る可能性がある。確かめたわけではないが、この卵からかなり大型の幼虫が生まれて、変態過程ののち、巨大な蛾に成長すると見ることが出来るかも知れない」
私は田所の進むほうへとさらに歩いて行った。
田所「村松、見ろ。ここは巨蛾の卵が産み落とされた一帯のようだ」
言われるまでもなく、私も大型の卵が無数に転がっているのを目撃した。
さらに見回してみると、形や大きさに大小様々あって、これは巨蛾に種類が幾つかあることを示しているようだった。
私「これは化石が見つかってないよな」
田所「うむ。この種類の生物がいかなる環境下にあったかにもよるが、あるいは地殻変動や成虫の死がいを食べる小動物などによって、痕跡が消えたのかも知れない。しかし驚きだな。古生代の石炭紀末期に繁栄していた最大のトンボのメガネウラの化石が見つかっている事実があるのに、これだけの巨大昆虫は一匹も出土していない。もっとも、翼開長70cmほどのメガネウラは中生代つまり恐竜時代のジュラ紀まで生き続けたというから、この時代に巨大な蛾がいてもおかしくはない。
化石は必ず形成されるとは限らないしな。もし、この地域だけに限定的に生息していたならば、大量絶滅で跡形もなく死滅したとも考えられる」
・・・・・・・・・・
この日は格別の用事、あるいは田所にとっては火急の任務があるというわけではなく、白亜紀到着から一夜明けた朝の散策と、先ほど述べた程度だった。
私はベッドにくつろぎ、田所は操縦席にいた。
田所が操縦席で計器類に向かったまま、私を呼んだ。また来たかと思ったら案の定だった。
田所「村松、お前の自宅に一時帰宅だ。時空転送するから、発射桿席についてくれ」
私「何んだよ。家(うち)はもう空っぽだし、郵便受けに未だに投函される塾関係の郵便物や無用の広告は、お前が原子分解処置してくれるし、防犯措置もやっててくれるから、もう帰る必要ねえよ」
田所「村松、これは俺にも大いに責めのあることだから、なおさら頼むのだがな、本来なら母一人、子一人の水入らずで、今よりも二人一緒のひとときを、様々に過ごせたはずだ。お母さんはドライブが好きだったな。その楽しみも俺が奪ったわけだ」
私「いや、それがな、お袋も以前のようなドライブ旅行は口にしなくなったんだよ。70代半ばから、お袋はあれほどしつこかった持病のめまいも出なくなって、毎日、庭木の手入れ、と言っても、落ち葉拾いぐらいしかやらないけど、それが日課として楽しみになったんだよ。食事も昔ほど台所に立つことがなくなったんで、電気釜で飯炊いて、おかずは人を頼んで調理してもらってた。だから俺は毎日帰宅の必要がなかったんだ。ま、それさえも今や過去の生活模様になった。それでも一時帰宅しろと言うのかよ」
田所「うむ。実は数日来、お前を訪ね続けて来るレディがいる。即刻素性を調べると、お前の拳法道場の師範代時代の弟子ということがわかった。それでな、時間が惜しいので、今は話を省くがな、村松、結果の如何にかかわらず、まずは一時帰還して、このレディと会ってくれ」
私「早苗(さなえ)・・・。まさか、こいつが敵の一員ってんじゃないだろうな」
田所「とにかく熱心に村松宅に日参する理由が知りたい」
私「田所の発明品にテレパシーってなかったっけ。あ、時空を超えた通信装置はあっても、人の心を読む発明まではしてないんだっけな」
田所「村松、先刻断わった通りだ。これ以上、無駄な時間の浪費をさせないでくれ」
私「何んだよ。お前、短気ばっか起こすなよ。これからが大変なんだろ」
田所「村松、頼むと言ったら、頼む。一時帰還してくれ」
こうまで言われると、それ以上拒否する理由もなかった。
私は軽くうなずき、田所の操作が始まった。ねばつく静電気のような例の感覚が、全身を包んだと思う頃には、私の身体は発射桿席を離れて、薄闇のようなグレー一色の空間に浮かんでいた。しばらくすると、目の前に見慣れた景色が見えて来た。それがハッキリした輪郭になったと見た時、私は自宅玄関の近くにいた。ただし、近所に悟られぬよう、門の陰にしゃがむ姿勢である。ちょっと「ターミネーター」みたい(失敬)。
その時、玄関に向かって立つ者がいた。初め、我が家に用のある誰かが、死亡の事実を知らずに母を待っているのかと思い、私もゆっくり立ち上がったが、その人物がこちらを向いた。
早苗「あ、師範代 ! お久しぶりです。あたし、どうしても師範代がいないと、うまくなれない気がして・・。師範代、今、何してるんですか ? 」
私「いやそれが、タイム・・じゃなくて、あの・・」
早苗「え ? タイムって、何か言い訳でも考えてるんですか ? それなら待ちますけど。でも、道場へ戻ってくれないんですか。もうこれからずっと」
私「いや、だからタイム・・あ、いけねえ、俺は機転が利かねえバカだなぁ」
早苗「タイム、タイムって、だから師範代のご都合の話がまとまるの、待ちますよ」
不意の来客が予期せぬ人物というのもあって、私はしどろもどろになったが、ようやくその場しのぎの言葉を思いついた。
私「あのな、俺はちょっと遠出のツーリングに行ってたとこだ。用があって急に帰って来た」
早苗「車庫がしまってるのにですか ? 師範代、バイクに乗る時は、車庫開けっ放しだと思ったけど・・」
私「いや、たった今バイクしまったところだよ」
早苗「ウソばっか。車庫はしまったままですよ。師範代、何か隠してるんですか ? 」
この場で言い合ってもラチがあかないと思い、彼女を家に入れることにした。
彼女はブツブツ文句を言ってたが、背中を押して、半ば強引に中に入れた。
玄関の上がりがまちに立った彼女は、無理やり上がらされたことが不愉快なようだった。
早苗が鋭い視線を私に投げるように向けた。「ウソにウソを重ねてるわね」と顔に書いてあるように見えて、ややゾクッとした。
早苗「師範代は正直者だから、ウソついてもすぐばれるんですよ。」
彼女の言葉から敬語が取れて来た。
私「お前、アパレルの店抜けて来たのかよ ! 」
早苗「何言ってるの。あそこは年中無休で、今日はあたしの休みなの。全く拳法以外は世間知らずなんだから」
私「お前、俺に道場戻れって言うけど、俺はあの拳法の組織体制がイヤで退会したんだぞ。今さら戻れって言われても・・。それに新しい師範代いるだろ」
早苗「村松師範代じゃないと、かよっても上達しないんです」
私「新しい師範代に問題でもあるのかよ」
早苗「いえ・・その・・」
私「何んだよ、さっきまでの威勢の良さはどうした」
早苗「あたしは村松師範代の指導で、ここまで強くなれたんです。だって、村松師範代は、あたしに素質があるって励ましてくれて、それであたしも異例の早さで初段取れたんです。それで・・ずうずうしいかも知れないけど、村松師範代の独特の方法で、個人指導受けたいってお願いしようと迷ってる矢先に、突然姿を消したんで、あたし、技が伸びなくなる気がして、実際やる気もなくなって、・・・さびしかったんです」
早苗の顔が赤らむのがわかったが、妙なムードになってもマズいと思い、平静を装った。実は私の頭の中は、たった今田所に説得されて帰って来たばかりなので、都合がつき次第、白亜紀に戻りたい思いがあった。
田所自身も、早苗の連日の訪問の目的を確認したら、即座に時空転送のつもりで、私を送り出したはずだ。
ここは、早苗に悟られても、また彼女を巻き込んでもいけないと思い、わざと彼女をからかってみようと思った。
私「お前、もしかして、俺の指導もさることながら、俺と一緒に稽古したいってのが本音じゃねえのか。お前、今『さびしい』って言って、恥ずかしがったろ。まさか俺に気が・・」
早苗「師範代、ひどいこと言うのね ! 以前はもっと堅物なくらい真面目で、それでいて指導は優しかったのに・・。あたしは、さびしいって言ったけど、あたしも、誤解される言い方したかなって思ったから、思わず恥ずかしくなって・・ただ、それだけなのに・・もお、いいです ! あたし、帰ります」
彼女を傷つけたのは悪いと思ったが、この死活の冒険のことを明かすわけにはいかない。これで、気まずいながらも、彼女がおこって帰れば、一件落着と、ややホッとしかけた。
腹を立て、帰ると言い放ったばかりなので、正直私は彼女が立ち去るのを期待していたが、なぜか彼女は背中を向けたまま、動かない。
私は、焦りを感じつつも、彼女の拳法への一途さに、久しぶりに若い頃、連日猛稽古して、熱い思いをたぎらせた日々の感覚が脳裏をよぎった。
私「ところでよ、俺はお前を何んて呼んでたっけ ? 」
早苗「お前とか北沢とか、あと時々名前を呼び捨てしたわよ。『早苗』と呼び捨てでいいわよ」
私「わかった。じゃあな、あの・・早苗よぉ、・・・何んかピンと来ねえな」
彼女がくすっと笑った。
早苗「村松さんの話し方って、昔から江戸っ子みたいね。何んか、懐かしい」
早苗は、私を名前で呼んだ。名前の下に『師範代』という言葉がつかなかった。
私「あのな、早苗、俺の今の生活のことを、ほんの少しだけ打ち明けるから、俺の師範代復帰のことはあきらめてくれないか。その代わりと言っちゃなんだがな、お前の指導は、何んとか復活させるよう、計画を立てることにする」
早苗は妙な顔をしながらも、指導復活と聞いて、表情が明るくなった。
早苗「村松さん、何か、大きな仕事でも始めたの ? 」
私「そうじゃねえ。しかしお前、村松師範代って呼ばなくなったな。どうでもいいけど」
早苗「だって長ったらしいんだもん。で、その仕事って何 ? 」
私「仕事と言えば仕事にゃ違いねえが、どっちかというと冒険旅行だ」
早苗「うわ、凄い ! じゃあ、バイクで世界一周とか・・」
私「バイクは使うことも少しあるけどよ、そんな悠長なツーリングじゃねえんだ」
早苗「もう少し具体的に話せないの ? 何んか、あたし、テキトーにあしらわれてるみたい。場所はアフリカとか、アメリカとか・・」
困った。田所が私をパートナーに選んだのは、充分信頼性を買ってくれてのことだ。拳法に血道を上げてるこの娘に、白亜紀冒険の話の一端でも明かせられようか。もっとも、そんな話をしたところで、この娘が真面目に受け取ることもないとも思った。
早苗「また、黙っちゃった。さっきみたいにタイムって言うなら、あたし待つわよ」
私「お、そうだ。悪いけど、トイレット・タイム、ちょっとトイレ行って来るから、待っててくれ」
彼女の横をすり抜けようとしたとたん、腕をつかまれた。
早苗「その手は食わないわよ。あたしから逃げるつもりでしょ」
私「帰ったばかりで小便がたまってんだぞ。便所ぐらい行かせろよ」
早苗「あら下品な言葉。ホントは便所って言うんだ」
私「しょうがねえ。俺が用足しするあいだ、便所の前で見張ってろ。逃げられねえように」
私はトイレのドアをきつくしめ、便器に腰かけながら、あることを思いついていた。
私「こちら村松、田所よ、現状を追尾してるはずと思って、至急頼む。俺を時空転送してくれ。以上」
なるべく小声で言ったつもりだが、トイレを出て、見張りをしている早苗の姿を見ながら、しまったと思った。田所は、トイレや浴室のようなところは、追尾確認しない規則を自らに課していることを。無駄なことをやったと後悔した。
トイレを出ると早苗を促して早速二階の元の教室に上がり、苦し紛れに、机のパソコンのスイッチを入れた。
早苗「あ、わかった ! メールか何かで、冒険仲間に連絡するんでしょ。違う ? 」
私「うるせえぞ、いちいち。少し黙ってろ」
早苗「ごめんなさい・・・」
ちらと横を見ると、彼女が泣きそうな顔をしていた。
私「悪かった。お前が納得いくように話すにはどうしたらいいか、困ってたんだ。お前の個人指導だけは約束するから、機嫌直せよ」
パソコンをあけると、何んとディスプレイに、田所のほぼ上半身が現われた。
田所「隊長の田所だ。村松副隊長、束の間の休息を、いい相手と過ごして何よりだ。俺は今、周囲状況の確認中、目下異常無し。横にいる娘さん、もう少しパソコンに顔を近づけて下さい」
早苗は、さすがに普通のパソコンと違う雰囲気を感じ取ったか、驚いた顔つきで、田所の言う通りにしたが、その顔つきのまま、黙っていた。
田所「早苗さんと言いましたね、村松は今、詳しくは明かせない大事な任務を遂行中なのです。別に国家機密に関わるような大げさなものではありませんから、安心して下さい。そうだよなあ村松」
私「え ! まあ、地質学的研究旅行といった程度だからな」
私は思わずデタラメなことを言ったが、田所が画面上で微笑を浮かべたから、問題ないと判断した。
田所「早苗さん、村松は先ほど、北米大陸から、ロケットに乗って、一時帰還したばかりです。今夜また、私のいる現地に戻る予定ですが、もしよければ、村松と一緒に、こちらへロケットでいらっしゃいませんか ? ただし、ほんの数分間、宇宙空間へ出て、再び大気圏突入しますが、快適な宇宙旅行をなさいますか ? 」
これにはさすがの早苗も、信じがたい思いと共に余りの突飛な田所の勧めに驚いたようだった。
早苗「ロケットなんて、訓練も何も受けてないから、私は遠慮します。それに仕事もあるので。あの、立ち入ったことを聞いて申し訳ありませんでした」
田所「それは残念。ではまた機会があったら、ゆっくりお話ししましょう。ところで村松」
私「おお、いるぞ」
田所「予定通り、今夜現地に戻ってもらう。では連絡終わり」
田所の即興芝居も見事というより傑作だと思ったが、早苗の表情が今までとは全く違っていた。
パソコンの画面には、いつものプロバイダーのホームページが映っているだけだった。早苗はしばらく画面を見つめたままだった。しかしやがて、その表情が穏やかになった。
早苗「村松さん、今のは新しいタイプのゲームか何んかでしょう。ロケットでアメリカへ行くなんて、さっきの画面の人と遊んでるんじゃない ? 」
私はしめたと思った。田所の芝居じみた話も、信用していない様子だ。だが私はさらに彼女の疑心を固めようと、芝居話を続けた。
私「本当だぞ。今夜俺はロケットでアメリカへ戻るんだ。その代わり凄い重力がかかるから、息がとまりそうになるんだぞ。それでもお前、行くか ? 」
早苗「ええ、わかったわ。せいぜい気をつけて行ってらっしゃい」
彼女はすっかり、私たちの冒険旅行をホラ話と決め込んだようだ。一時はどうなるかとハラハラしたが、これで一安心出来た。
私「さあ、俺たちの話も見破られたようだし、お前も個人指導の約束して安心だろうから、これで一件落着だよな。お前も休日で、自分の仕事や何んかあるだろ。個人指導のことは、俺がよく計画したうえで、必ず連絡するから」
何となく階段を降りて、彼女が帰るようなムードに持っていこうとしたが、私のあとから階段を降りて来た彼女は、玄関近くで、急に私のほうを向き直った。
早苗「村松さん、どうも早くあたしを帰そうと焦ってるみたいね。それにさっきの画面の人、何となく知的な人に見えたわ。村松さん、あたしがお二人の芝居にだまされたって思ってるでしょ ? 」
彼女は下からにらむような視線を向けて、私に顔を近づけた。
早苗「ホントはゲームじゃなくて、もっとスケールの大きな研究調査か何かでしょ。あたし、案外カンが鋭いのよ。どうなの、ウソつきなのに正直者の村松さん ? 」
このやり取りも、田所は追尾していることはわかっていた。玄関を少し出たところは門があり、そこにしゃがむと周囲からの死角になる。人が来ない限り私の姿は見えなくなる。私は思いきった行動をした。
私「ようし、それほど言うなら、お前の疑念に答えよう。さ、玄関を出るぞ。ただし、今度こそ俺をつかまえとく必要はない。俺がお前を逃がさない」
さすがの彼女もただならぬムードを悟ったか、私の勢いに思わず靴を履き、玄関に出たが、そこで身体をつかまえたまま、しゃがもうとした私の表情に恐れをなしたか、急に暴れ出した。
早苗「何するの ! ? 離してよ ! 」
この時、例の身体にねばつく感覚が始まった。
早苗「何これ ! ? イヤよ、あたし、恐いとこ連れてかれたくない ! 」
早苗は私の身体を押しのけて、立ち上がり、きびすを返して逃げ出した。
この瞬間、ねばつく感覚はさらに強くなり、私の身体は背中を向けて走り出した彼女が気づかぬうちに、この場から消えた。
ただし、私の身体は白亜紀に転送されたのではなく、自宅の裏庭に移動していた。
早苗の200ccちょっとの単気筒バイクの排気音が遠ざかるのが聞こえた。
私は再び玄関から家に入った。
何んとなく気にかかったので、すぐ二階に上がり、机のパソコンをあけた。
案の定、田所の姿があった。
田所「村松、とんだめにあったな。しかしお前の機転は良かった。こんな話はまず誰も信じないからな」
私「田所よぉ、一時帰宅の間隔、もう少し減らしてもいいんじゃねえか」
田所「ま、そのことは改めて俺も考えておくとして、今からする話は、村松も驚くかも知れないがな、あの早苗という娘さんは、この冒険に使えないだろうか ? 」
私「ええッ ! 田所、それ本気かよ ! ? 」
田所「早速、あの娘の出自・経歴・性格・素行などを免許証を確認して、調べてみた。村松に関わりのある人物のことを勝手に調べて済まないと思ったが、余り恵まれた私生活環境ではないようだな」
私も師範代時代に、気さくで隠し事のない早苗の境遇を聞かされて、だいたいのことは知っていた。
田所「村松、俺がお前をパートナーとして頼んだ理由は、今さら繰り返すまでもないが、あの娘を加えたい理由をわかってもらう目的があるから、改めて話すが、まず村松は、行き来ひんぱんな友人を持たないこと。これは誤解してもらっては困ることだから言うが、要するにお前の行動が容易に外部にもれるかどうかということを考慮したのだ。
俺もそうだが、広く浅くという友人を持たぬことを信念の一つと決めている。また逆に少ないが親交が深い友人も然りだ。今や、村松が絶対の信頼をおける友人と言っても良い。
それから、お前の身体頑健と体力と、抜群の格闘技の強さも、大きな要素だ」
私「何んか、照れるじゃねえか。で、早苗をどう仲間に入れるつもりなんだ」
田所「彼女はなかなかいい性格とみたが、意外にも友人がいないと言える生活ぶりだ。これには高校から大学へ進学する時の、彼女の身に起こった不幸な出来事が関係しているのは、村松も承知していると思う。
彼女を村松のパートナーにすると共に、コンピューター知識と抜群の扱いの巧みさを確認して、場合によっては俺の助手もしてもらいたいと考えている。
もちろん彼女をいきなり驚かせてはならないから、順々に諭して納得してもらおうということだ。どうだ村松、もう一度彼女に接触して、話をもちかけてはもらえまいか。ただし、了解を得られぬ時は、あきらめるが、俺の直感では、どうも見込みがありそうだ」
私「うーむ。何んだか帰還したとたんに、話が急展開になって、ちょっと頭が混乱しちまったようだ。で、あいつをもう一度呼び出すとして、俺はどんな話に持ってったらいいか、教えてくれ」
田所「わかった。その段取りは改めて考えを整理して、お前に伝える。そこで村松、予定変更で済まないが、もう一、二泊、自宅で過ごしてくれないか。
そのあいだに、彼女に会って、村松から話をするよう頼みたい」
いくら思慮に欠ける私でも、あの頭脳明晰にして、計画行動には慎重な田所が、コンピューターに長けているという早苗の特技だけを主な理由に、新たなスタッフに招き入れる考えなのには、首を傾げざるを得なかった。
─第1章「先史時代」第2節その1了、
第2節その2
へつづく─(2015年9月7日 更新)
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