PR
Comments
娘は3月末に15歳になり、この春、高校生になりました。
これから先
2011/03/11~のことは特別な記憶として、何度となく思い起こされ、語られるのでしょう。
その日、家族はバラバラでした。
私は勤務先の近くの歯医者の待合室で。
娘は学校で。
娘校の近くに会社がある夫は、その日はたまたま横浜にいました。
地震後、最寄駅に行くと人・人・人。
夫へ無事かの確認のメールを入れて
一瞬、娘校に歩いて向かうべきかと頭をよぎりましたが、夫の会社が近いから夫が行けるはずと思い、私は自宅へ向かうことに。
偶然見つけた渋谷行きのバスにギリギリ乗り込みました。
はじめの停留所こそ、まだ数人は乗る余裕があったものの、
あっという間に満員で、停留所はノンストップに。
窓から見える、停留所で待つ人の列もどんどん、どんどん長くなっていきました。
ワンセグからは、津波で家屋が押し流される映像が流れ、尋常でない事が起こっているの?とその光景をただ呆然と信じられない気持ちで見ていました。
間もなく、夫から「横浜に居るけれど無事だ」とメールが届き、
娘の学校からも、講堂で行事中の被災だったが、全員無事だというメールが届き一安心。娘は娘校に全面的に任せよう。
あとはわんこ。
ざわついた気持ちで渋谷駅に着くと、
「終日JR運休」と発表があったばかりのタイミングだったらしく、
職場の最寄駅で見た人とは比にならないくらいの人であふれていました。
今まで見たことの無い人の数。
整然と並んではいつつも明らかに空気が違いました。
バス停の列も、各3列くらいの長い列になっていましたが、
都バス・京王共に 臨時増発を出し始めたところだったので
とてもラッキーだったことに、少し待っただけでバスに乗れました。
ここから延々2時間半。ほとんどバスは動きませんでした。
だんだん日が落ちて、真っ暗になりました。
甲州街道を見ると、歩いている人の方が早く、追い抜かれました。
卒業式だったのでしょう。袴姿で歩いている女の子達を見ました。
普段、1時間で通勤出来るところを4時間半で帰宅しました。
娘校からは随時メールで連絡きました。
(学校の対応の手厚さは、とても心強く信頼出来るものでした。)
わんこも、無事でした。
夫は横浜で大渋滞に巻き込まれ、12時間かけて帰社。
学校に泊まった娘を朝7時に車で迎えに行き、家族3人12日の8時に無事を確認しました。
それから娘校は登校停止になり、卒業式も中止になりました。
役員で企画していた、親子の卒業お祝い会も中止。
つまり、3/11が中学生最後の登校日ということになりました。
その後次々と新たな問題が積み重なりました。
余震・原発・放射能・計画停電・大規模停電予告(交通マヒが起こる)・買占め・風評被害等など。気が気でない毎日が続きました。
卒業式のはずだった18日。ぽかんと空いた休日は出かける気にもならずに、最低限の買い物や用事を済ますだけで家族でじっとしていました。
卒業式が出来ないなんて、想像したことが無かった。
お祝い会では、関わって頂いた先生方にアンケートを取り、クイズも用意していた。
合唱コンで3位に入賞した「手紙」をアカペラで歌ってもらう予定だった。
2年間、同じクラスで過ごした子供たち。よく頑張りました!と、この会で「ありがとう」「君たちなら大丈夫」って気持ちを伝えたかった。
現実のようで現実で無いような、なんだかぼーーーっと虚無感に包まれました。
・・・・・続く。
Calendar
Category