「007 スペクター」21世紀のボンドにスペクター
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ブリュネと中島三郎助_No.1,箱館戦争
ブリュネ
と
中島三郎助
,青い目が「泣けた桜」と「泣かした桜」,箱館戦争終焉期,幕末WITH_LOVE,榎本軍,
ブリュネ
の大脱走と爆裂したガリア魂,彰義隊とブリュネ,田島応親発言,砲台構築に関して、ブリュネと中島三郎助,カズヌーブ
はじめに超簡単に:■
ブリュネ
とは:フランス士官、箱館戦争迄、幕軍側共に闘う。終焉間際明治2年5月撤退。
ブリュネの絵について
、
■
中島三郎助
とは:幕臣:浦賀の与力(ペリー来日時対応した人。榎本軍の敗北明確となった後も、散華覚悟の上、
・孤軍奮闘壮烈死。徳川報恩命を捧げた人。詳しく:
中島三郎助
助資料頁
幕末_WITH_LOVE玄関
<箱館戦争終焉期<
中島三郎助と蝦夷桜(不穏な年明けから宮古湾海戦迄)
<青い目が「泣けた桜」と「泣かした桜」:ブリュネと中島三郎助:
No.1
(現在の頁)<
No.2
<
No.3
<
壮絶終焉,中島三郎助親子_木鶏のほととぎす
ブリュネ
と
中島三郎助_箱館戦争終焉期
青い目が・・・
「泣けた桜」と「泣かした桜」_No.1
Jules Brunet & Nakajima
恭順説を
中島三郎助
がひたすら唱える。榎本武揚が曰く。
榎本:「しからば老兄は、どうするおつもりか?」
中島:「私はもとより、津軽陣屋を
死場所としてるからそれはそれでよい。
恭順説はあくまで、私以外の者のためだ。」
・・・
その翌晩であります。
ついに台場は落ちてしまったが、
生死に頓着なく、
言行一致(※)したのは、
あの人であります。
林董の回顧
中島三郎助
は翌朝、烈死を遂げた。明治2年5月16日。
今ここに、徳川二百六十年が終焉を迎えた。
徳川の殿(しんがり)はこの男が成し遂げ、散って果てた。
※台場とは:皆が籠もっていた弁天台場。
※言行一致とは、何を示唆するか:五稜郭の落城は真近。情けないことに、皆がぼろぼろ降伏するわ、脱走する者続出するわ、
見張りを置いたら、見張り係ごと一緒に逃げるわ・・・悲惨だった。なんといっても糧食弾薬、全て尽きていた。
惚れ惚れするような勇ましい発言をしていた人物まで逃げてしまった。中島だけは言行一致した人物と讃えている。
※林董:この人物は一度自尽を覚悟。今井信郎に己の首を斬ってくれと依頼。しかし明治を生きた。関連:
斬首の依頼
No.1_或る日_
中島三郎助
と
ブリュネ
一般に、砲台構築に関して、ブリュネと中島三郎助に
トラブルとされるが、晩年の田島応親発言から、真意追求
四十九歳にもなる中島である。こうなる前に、全て、結論を見透かしていた。
それでも、なにやら気ぜわしい。やつれた頬に冷たい海風を受けながら、
せっせと千代台砲台修理に余念が無い。
蝦夷の風神。箱館の荒くれ強風。髷が乱れて、鬢から僅かに毀れた彼の頭髪が物悲しい。
僅か半年で、髷には、めっきり白髪が増えた。
喘息を患う彼は、従来から極度の痩身である。しかし、この時期に至ってはその度合いたるや、
尋常でない。戦に窶れ、突出した頬骨。深く落ち窪んだ両の目。
生きながらにして髑髏同然の体だ。
・・・
その中島の背後から、可笑しな日本語が降ってきた。
「中島サン、この砲台、ダメね。構造、全然ダメ。良くないネ。
一生懸命、盛り土して、前固めても、後側、全然ダメ。
急いでウシロ、直しナサイ。コレ、ダメです。」
せっせと砲を磨き、土塁工事の指揮を取る中島。誰だか知らんが、いちゃもんつけられた。
五稜郭の桜は、とっくの前に散り果てた。
皮肉な事に、見事な満開桜は、丁度、あの
宮古湾海戦
の頃。
死者達の無言帰還の際、一斉に咲き乱れて、一気に散り果てた。
罪色の花びら達よ。冥土の添え華、満開桜。
この時、台場も五稜郭も皆、幻の薄紅霞に染められていた。
今は、遠くの山々に、まばらな山桜が微かに見える。
蝦夷の山桜は異種だ。艶やかに目一杯に咲くでなく、枝々の突端に、
ぽつねんと一つ二つ、咲かせるだけの花。
いうなれば、男咲き。その山桜とて、この時期、
ほとんど散り果てて、消えた。
男達の屍に、散った花びら達よ。
もはや終焉。山桜。
中島は、作業の手を休めて、振り返ってまでも声の主を探す気は、さらさらない。
先刻と同じ姿勢のまま、工兵隊の作業を見守っている。
ところが再び、へんてこりんな日本語が背中に刺さった。今度の声は、すぐ近くからだ。
「ソレ、ダメです。やり直しナサイ。砲も、全然コワレテマス。」
声の主は、予期したとおり、フランス士官のブリュネ。言うや、否や、
ブリュネ
は大股歩き。
即時、中島の目前まで到着していたのだった。
ブリュネは、けっして、せっかちではなく、むしろ、沈着冷静。
それでいて、行動力の男。思ったら、即時動く。
おやっ?
ブリュネ
は、何処だ?いつから居ない?皆が騒ぐのも、稀ではなかった。
今回もその例外ではない。いつも間にやら、
ブリュネ
とその影法師、田島金太郎が五稜郭から
消えていた矢先のことだった。
しかたなく、作業の手を休めた中島。見ると、赤毛の大男が身を捩らせて、丁度、
砲を覗いている最中だった。この時期、箱館の海風は節操無い。
日差しの強い日程、猛烈に吹き荒れる。ウェーブのかかった赤毛が、その海風に
吹き付けられて、あたかも絵に見る獅子のごとく舞い上がっている。
なんとも滑稽な姿。この男と並べは、砲が然程大きく見えないから不思議だ。
そもそも、次元が違う。説明するにも、面倒臭い。中島はそう判断した。
「・・・!今さら申しても仕方ない。伝えてくれ。とにかくこの砲が必要なのじゃ。
・・そうとでも伝えておいてくれ。」
彼は、
ブリュネ
を無視して、傍らにちょこんと立つ通訳の少年、田島に向って、そう言った。
「伝える?ですと?その程度、ワタシ、解ります。コレ、壊れてます。使えません。役に立ちません。」
・・・見ると、ブリュネは、真っ赤になって、カンカンだ。
といっても、感情論で理性を失っているからではない。ブリュネは、軍人として作戦の矛盾を発見し、
それを相手が理解していない場合、最期まで論破する人物だった。
たとえ嫌われようと、それには全く動じない。
外人さん特有の大検幕で、大声を張り上げてガルガルやる。いつもの姿だ。
中島は、大きな溜息をつくと、諦めるように、こう言った。
「・・・だからこそ、必要なんじゃ。この、ぶっ壊れた砲はのう、己の最期に使うものじゃ。
ぶっ壊れてるからこそ、必要なんじゃ。」
・・・
捨て台詞にならぬよう冷静に答えたつもりが、両の眉が、少し動いてしまった。
田島少年の視線が、それを物語った。色白の少年は、困り顔で、ちらりと、中島の
こめかみのあたりを見ていたのだった。痩せぎすの中島。おそらく、青筋が浮き立ったのだろう。
童顔の少年は、田島金太郎という。
年の頃を、中島が人に尋ねて聞いてみれば、16~17歳にはなっているという。
ところが、体は細いが、顔は、このとおり色白の上、男児には珍しい下膨れ気味。
年齢よりもはるかに幼く見える。
言い切って、さっさと背中を向けた中島だが、この苛立ちと裏腹、やはり後悔した。
なんといってもこの顔。まるで、いつも困り顔。
きつい口調でつい、ものを言いつけた後は、やはり我ながらやるせない。
年甲斐もなく、いい年の親父が、あたかも幼い女児相手に叱り付けたような錯覚に陥った。
可愛そうなことをしたか・・・。
田島は困惑したように、何やら長々と通訳している。
それにしても、この少年、田島金太郎は、何回見ても、どうも拍子が抜ける。
見かけと裏腹、実に冷静な子であり、何事にも動揺しない・・・との噂は、耳にするものの、
妙に物腰の柔らかな独特の口調と、この顔。
風の噂に聞き知ったこの子の話を、ふと思い出してしまった。昨年のことだ。
なんと、この子は、あの近藤勇を追い返そうとした強者だという。
肩に傷を負った近藤ながら、江戸で再起の前に、松本良順来訪中の病院施設に突如立ち寄り、
松本良順を出せと言って迫ったらしい。良順は幕府の砲兵等の負傷者治療に追われていた。
近々、新政府に押収されるであろう本来の医学所の他、数箇所を気ぜわしく往復していた。
鳥羽伏見の負傷兵などが原因だ。
田島金太郎達が学んだフランス語学所は、鳥羽伏見の影響で、臨時病院に指定されている。
また、怪我人にブリュネ達の教えた洋式砲兵も存在。そこで、フランス士官が絡む。
なりゆき、現れたのがこの子で、玄関先にちょこんと座った彼が一人で対応したらしい。
近藤は
意図的に軽傷を装っていた
為、この子の目にも、そうと感じられた。怪我の為に、
医師の良順を出せ!と言うが、どう見ても軽傷であり、聡明な少年は、目的を別と読んだ。
良順と言いつつ、つまるところフランス士官&軍との接点模索か。我恩師フランス士官には、
断固引き合わせるものか!幼い顔した少年が、粘り倒した。
(後の世、あの時は、あのような頑固な先生(近藤のこと)には、本当に困りました。と田島本人も語る。)
やはり、酷だったかもしれない。中島はそう思って、悔いた。論より証拠、
「コワレタと知っていながら、なぜ必要なのだ!?」
外人さん特有のストレートな質問が追い被さってこない。
敏感な少年は、察したのだろう。何が何やら、フランス語は滅法解らないにせよ、
あの童顔の子が、健気にも、赤毛の獅子舞、大男のブリュネをなんらかの言語で言い含めたのだろう。
少年の声は、今だ変声期が到来せぬのかと錯覚する程、高い声で透き通る。
その声で早口に、延々、訳のわからぬフランス語を連発させている。
中島の耳には、小鳥達の囀りに聞こえてくる・・・。赤獅子の声は、聞こえてこない。
またしても、蝦夷の突風が吹き荒れた。
木々の枝がぐらりと揺れて、
差し込む木漏れ日を、
猛烈に揺れ動かせた。
ブリュネの大検幕は、相手が理解していない場合に限った。
一方、中島にも、その誠意は伝わっていた。
気を取り直した中島。ぐるりと振り返るなり、二人組みが突っ立ってる砲の前迄、
ツカツカと歩いて行った。そして、その青い目を見つめるなり、彼はこう語った。
「構造の良し悪しなど、我には解らぬ。
また、それは、もはや重要ではない。
・・為すべきを為すに必する事のみ、
今ひたすら行っているだけなのだから・・・」
ガリア魂と武士道が、微妙に交差しては、相違う。
この時、ブリュネの青い瞳は、
さらに一層、青さを増して、碧く、碧く、
一瞬、微かに揺らめいたがごとく、
中島の目に映し出されていた。
揺らめいた原因は、己なのか、先方なのやら・・・。
この頃、八割方、答えは見え透いていた。
ブリュネ
も、沖の自国艦、コエトロ・ゴン(コエトロ-エン)号
艦長のヂドーと頻繁に連絡を取り交わし、フランス士官一同の今後を、たえず脳の中、照合している。
ブリュネは誠心誠意で、陣構造の盲点を指摘、アドバイスしたのだった。
もちろんブリュネはフランスの使命でここに居る。「フランス軍を脱走して参加」とは美談だが、
悲しいけれど、やはり、榎本達が自ら「脱走軍」と語ったのによく似た要素がある。
しかし、私的にも、ガリア魂に燃え、「不義に対する怒り」を露にした男であったことは事実だった。
回顧・・昨年のことは、もはや昔
ブリュネ
という男!
青い目の爆裂ガリア魂
1:江戸薩摩藩邸焼き討:慶応3/12/25(1868/1月/日)
・導火線は庄内藩だが、別途ブリュネは具体的プランを。
薩摩邸焼き討ち計画見取り図
しかし彼はこの後大阪の為上記事件に出動指導していない。現実は勃発乱戦となる。
2:鳥羽伏見:慶応4/1/3~6(1868/1/27~30)
・慶喜逃走後、メスローが闘志を見せる一幕。この為、奥州戦から戊辰クライマックス
へ雪崩れ込むはブリュネよりも先。しかし彼は会津で撤退影を潜める為、ブリュネの
ほうが広く認識される。
ブリュネの爆裂は、有名ながら、実は順番としては、メスローに負ける。一呼吸遅い。
真っ先に爆裂したのはメスロー。
彼らにしてみると、なんだか知らないが、フランス士官も艦に乗り込み、大阪城に登城させられた。
しかし、待てど暮らせど、慶喜が出てこない。JAPANの侍社会特有現象。回りくどい。
訳のわからぬ言い訳団子を山程食らうばかりで埒開かない。待つこと、待つこと。
ついに、真実が伝えられた。慶喜は逃げた!ここに居ない。目下、鳥羽伏見の激戦真っ最中の事。
誰かがキレた。なんちゅう馬鹿戯け!(外人さんと日本人の感情表現は、もともと異なる。)
その中で、外見は冷静に見えるものの、頑固一徹、言う事を聞かない男が一人居た。
メスローである。城内をくまなく点検して廻ると、こう言い出した。
「私たちの教育したあの兵達さえ、預けてくれるなれば、私一人で、闘ってみせましょう。
この城は堅牢だ。機能も充分だ。捨て置くは愚か以外の何ものでもない!!」
フランス顧問士官を江戸へ帰還させる艦の用意が整ったというのに、まさに、メスローは、
通詞泣かせ。てこでも動かぬ姿勢を示し、暫しの問答。ようやく、収めて江戸へ。
しかし、このメスロー、結果としては屈して去った為、その存在感は乏しいものの、この後、
真っ先に、会津へ軍の強化指導の任に馳せ参じた男。会津の隊構造を年齢別に、分隊したのは、
彼の発想が基本だとも言われる。
一方、江戸の薩摩藩邸、焼き討ち事件勃発。ブリュネの大活躍が始まった。
雄藩の手口の汚さ、これにはブリュネの肉体に宿る「ガリア魂」が大爆発した。
江戸に逃げ帰った慶喜に噛み付いたのは、罷免された小栗忠順だけじゃなかった。
ブリュネ
も噛み付いた。自ら、薩摩藩邸、焼き討ち計画を上申した男なのだ。噛み付いた。
■
薩摩邸焼き討ち計画イメージ見取り図
=スケッチは、現在も残されている。
(▲なかなか、凄い図なので解説頁SET。真上リンク先からどうぞ。ブリュネの熱い魂が伝わってきます。
一説によれば、この薩摩藩邸焼き討ち事件を耳にするなり、西郷隆盛は、
「待ってました!」と両の手を打って大笑い。「まんまと網に懸かりよった!」とばかり、
大口開けて、げらげらと高笑いともいう。確かに、ざっと、そんな感じ。
これで本格的征伐の大義名分「朝敵征伐」をミカドから授かる手間が省かれた。
赤みを帯びた茶髪の大男、ブリュネ。外人だから大きいには決まってるものの、やはりデカい。
当然、180以上ありそうに見える程、存在感が強烈な男。(調べてみると、約175~178だったが)
当時の日本人男性の平均身長は150センチ強で、160あれば大きい。165~7程度と
いわれる土方歳三が、長身といわれるのは、なるほど頷ける時代である。
ブリュネがブーツを履いた足はスラリと長い。シャキッと背筋を伸ばして直立。
眼光の鋭さはまさに軍人だ。
こんな話もある。
或る日のこと、江戸の住民は目撃していた。丁度上野で彰義隊が大暴れしてる頃だ。
赤毛青目の異人
が、戦火の砲煙立ち昇る上野の山で、天にサーベルを突き上げ、
現代でいえば、いわゆる「エイエイオー!」のボーズで何やら叫んでいた・・・というのである。
これが、もしも事実だとしたら、ある意味で非常に可笑しい。なぜならば、この時、彰義隊は、
死闘の真っ最中。ここに、シュプレヒコールを叫ぶドデカイ外人が居たことすら気付かぬ程
必死だった・・・ということになる。
可笑しいという表現は、彰義隊の皆さんに大変失恐縮ながら、客観的に、この後起こる事件を
思うと、不謹慎ながら可笑しくなってしまう。
脅威のご対面劇が、近日未来に発生する。
少々、脇道脱線しますが、補足。
徳川慶喜、二心殿の・・江戸無事ご帰還時の秘話
慶応4年1月3日勃発の鳥羽伏見。家臣達が命がけで闘っている最中、江戸に逃走。
このあたりから、ますます後の世まで、何かと評判の悪いラスト徳川将軍。(▲しかし相当懊悩。上リンク先
幕軍側として闘って犠牲になった者、数知れず。ところが、それだけでなく、この後、
各藩から、鳥羽伏見の戦犯責任者として、次から次へと、皆の首が捧げられることになる。
(関連:)
■
きな臭い!箱館戦争終焉後の『犠牲と謎の死』
、■御維新、即ち首。首。首!_・
首の犠牲_譜代小藩&代官所
・経緯を含めて読む:
林忠崇,幕末,戊辰,脱藩大名_林忠崇SERIES内
、■
桑名_森陳明弥一左衛門,出の旅立
■
会津の犠牲「萱野権兵衛」、■仙台の夥しい犠牲
また、幕軍側として闘ったでなく、恭順に転んだ側にも、戦乱混乱の悲劇、詰め腹切る宿命に
至った者も稀でない。淀藩主、稲葉正邦は左幕中の左幕。しかし恭順。淀藩が城門閉ざして、
まさかの事態。幕軍がさらに劣勢の悲劇。
しかし、この時、藩主、稲葉正邦及び、本来の留守居役、家老田辺権太夫も江戸に居た。
城の留守居役のそのまた留守役がなりゆき上、田辺権太夫の弟、田辺治之助。城門閉ざすその前に、
まさか淀藩が恭順と知らず、幕軍側の敗残兵が逃げ込んでしまった。この詰め腹が、哀れ、田辺治之助。
藩主、稲葉も兄、権太夫も明治に生きた。されど、治之助は犠牲となった。
一方、新撰組の近藤勇もまた、頑張った。壮烈剣士の彼にとって、致命傷同然の肩の傷。
その近藤も頑張った。生傷も癒えぬ体に鞭打って、当時既に直参の階級に登っていたことから、
大阪で、慶喜に直訴している。慶喜は、言った。(関連:
近藤勇の肩の傷
)
「志は解した。しかしながら、
その者共同様の屈強なる者が他に、一体何人いると思っているのだ。」
近藤は愕然とした。新撰組の人数では、実質的に、なんの足しにもならぬ旨を伝えられたのだった。
長らく、話が脱線しましたが、復帰。再び、ブリュネの話。
いずれにせよ、上野の山で、
赤毛青目の異人
が、戦火の砲煙立ち昇る中、サーベル振り上げ、「エイエイオー!」
・・・これが真実、かつ、はたして本人なのかどうかを裏付ける話は知らない。
しかし、行動そのものは不明ながら、当時の彼の姿、心の内たるや、まさにそうだったに違いない。
熱く、熱く燃えていた。不義への怒り。
任務の領域を脱っして、ガリア魂が大噴火していた。
大仕掛けな男、
ブリュネ
の大脱走劇
フランス軍事顧問団とは、1866年2月5日の意見書にスタートする。第一陣は、1867年1月13日又は12日
(慶応2年12月10日・or9)横浜到着。この時駐日フランス公使として既に日本に居たレオン・ロッシュ
の歓迎を受けた。この時、団長はシャルル・シャノワーヌ大尉。士官6人、下士官9人の15人。
同1867年4月頃、及び、1867年12月各2名づつ追加派遣。計3回来日総勢19名。 この後、箱館戦争で活躍
した
ニコールとコラッシュ
については、ミネルバ艦の乗員であり、顧問団とは異なる。
ブリュネ
は、上記、第一回目のメンバー。ベルフォール出身、1838/1/3(生)の砲兵中尉。
大動乱の1868年、維新の際、31歳。箱館戦争の際、ふと漠然ながら、榎本武揚より上のような錯覚
をしてしまうが、榎本(1836生)より2つ下。
上記1868年、維新の際、フランス陣営も一変する。公使ロッシュは罷免され、同年6月帰国。
後任はウートレー。 その一方、ブリュネの上司、シャノワンヌも、同年11月帰国。
ここで、微妙な時間的差異がある。ブリュネ達の脱走8月は、ロッシュは居ないが、
辛うじてシャノワンヌは、存在していた。メスローが会津応援に出陣した時の形は、ブリュネ達と
異なり、脱走でもなんでもない。今後の展開上、フランス国として都合宜しくない。撤退して影を潜める。
仙台艦内でブリュネに会ったとされるも完全に表舞台から撤退。一方、ブリュネ達は、脱走の形態をとった。
慶応4年(1868)8月17日、ブリュネは、横浜のイタリア大使館での仮面舞踏会にカズヌーブ伍長を伴い
出席した。この後、形式的に書面上は休暇届けが出ている。舞踏会を抜け出して、横須賀のベルニー家に
一泊。まずは、修理中だった神速が丁度修復されたところ。その為、神速、又は別途小船に乗り移動。
そこから、「開陽丸」に乗り込み、榎本武揚らの旧幕府脱走軍に合流。艦は東北へ進み、最終、
箱館戦争に至る。
但し、こうした行動は全て、彼ら二人の独断ではなく、シナリオはできていたはずだ。
4~5月頃、榎本武揚はロッシュ、又は後任が決定しているウトレーに対して、ブリュネ達の
雇い入れを申請。跳ね返されている。しかし、ロッシュは、お別れの挨拶と称して、
立ち去る前、一度、榎本を訪問している。
対して、上記海軍二人組、ニコールとコラッシュは、本物の独断脱走。ブリュネ達よりも早く蝦夷到着
していたにもかかわらず、ブリュネは彼らを入隊させず暫し待機させた。彼らの入隊はブリュネが彼らの
退職手続きを行い、本国の了承を得た後だった。
ブリュネは、脱走の前、フランス皇帝ナポレオン3世に当てた手紙を残し、ウトレイ公使には辞表を
提出。それらは、皆、上司シャノワンヌ大尉の机の上に残されたとされる。
横浜のイタリア大使館で催された仮面舞踏会。出席していたブリュネは、その真っ最中、
カズヌーブ伍長と共に、舞踏会を飛び出して、「開陽丸」の榎本武揚ら脱走軍に合流するといった
世紀の大仕掛けドラマを演じた。
仮面舞踏会、侍_SAMURAIワルツ
慶応4年(1868)8月17日、この日、横浜のイタリア大使館では、仮面舞踏会が催された。
ブリュネの上司であるシャノワンヌ大尉達も、当然、皆招待されている。
具体的には、仮面舞踏会なのやら、仮装舞踏会なのやらそのあたりは不明ながら、
まあ、とにかく、このご時勢に頓着なく、華麗かつ豪勢なパーティーだったにはかわりない。
色んな説もあるし、だんだんドラマに膨れあがっている為、詳細は目を瞑って読み流して下さい。
とりあえず、下記は、その一説。
高貴な人々が集い、豪華なドレスに身を包んだ各国の貴婦人。皆が各アイディアを競うようにして、
楽しい仮装。社交界にはつきもの、ダンスパーティー。
その中で、ひときわ目を引いて、皆の大喝采を浴びたチームがあった。
当然ながら、普通は男女が対で踊る。ところが、このチームは、野郎二人組。
ブリュネと、彼のお気に入り、忠実かつ勇敢な男、カズヌーブ。
なんと彼らの変装は・・・「JAPAN_サムライ」ファッション。ちょん髷は、髪を紐で束ねたのか、
なんだか、そのへんはどうしたのか知らないが、とりあえず、なんか、そこらの刀を腰にぶら下げて、
侍に変身。とことん惚けて、華麗なるワルツを踊ってみせたらしい。
皆の大喝采の様子が目に浮かぶ。大爆笑後、大喝采というところだろうか。
どんなに手の込んだ変装をしようが、まさか、誰も侍ファッションなど、思い浮かばない。
いわば、スーパースターとなった。
余談だが、ドデカイ男の二人踊りなら、同じ可笑しいにしても、さほどでないが、ちなみに、
カズヌーブは、小柄。髪は黒く、目も黒に近く、日本人体型に近い。何かと気の効く男、カズヌーブの
演出如何では、相当面白いコメディーダンスだったに違いない。
★写真イメージ雰囲気★
:ご免なさいね。写真は、キリがなくなるのであんまり添付しない事にしてます。
後列)2が実はカズヌーブ。1と4:マルランとフォルタン:一般には
1がマルラン。3:福島時之助。5細谷安太郎、6ブリュネ、7松平太郎、8田島金太郎。
色んな本に掲載された古写真にも、大男を指してカズヌーブと書かれた資料多。
しかし、複数資料の文章を読み合わせると、カズヌーブは小柄。大男は
マルラン、フォルタン。また、別途彼単独の写真を見ると、やはり上記大男ではなく、
2のブリュネの座った椅子に手を凭れているスーパーマリオみたいのがカズヌーブと解る。
大男がカズとされる理由は、
実際写真の裏書MEMOがその順番で
書かれているから。
その為大抵大男1がカズとされている事が多い。一人反旗を翻すわけではないですが、
カズは2の小柄男。乗馬得意のカズは皆の黒っぽいズボンでなく、白っぽいの履いてる。
慶喜が到着したアラビア馬に跨ってる写真ご存知の方なれば、あんなかんじの白ズボンと見えるが。
この本:超おすすめ!
★注)この本は、どの人物がカズとは書いてなかったはず。けっして指摘とか!
じゃなくて、超オススメとしてここに掲載してますヨ!短め文章でPOINT掴んだ本
上図に係る話の写真は、この本の場合表紙デザイン上、上図の向って左端
5の細谷安太郎が見えませんが、上から2番目の集合写真。但し本の中身本文
にある写真は端っこカットされてません。ちゃんと見えます。
他にも複数の本に掲載されてますから、いつかご覧いただけると思います。
お勧め本はココ
か、
幕末WITH_LOVE玄関
からお好みでどうぞ。
人目がある中、シナリオの共演者、シャノワンヌは、恐らく知らぬふり。ブリュネ達も別途、
別れ際に敬礼するわけにゆかない。侍ワルツが終わって、皆の大喝采。そのドサクサに紛れ、
戯けた侍風に、上司シャノワンヌの前で、JAPAN式のお辞儀。ますます大喝采。
あたかも戯れ風の動作に、上司と部下の今生の別れの瞬間だった。
この時、シャノワンヌは、一体どんな顔をして頷いてみせたのだろうか。
平静を装い、洒落で戯れを装いつつ、心は「成功を祈る!」
二人はそのまま、密かに馬を引き連れ、裏庭に控えていた田島金太郎(※)の手際良いリードを得て、
小雨の散らつく夜、賑やかな人々の笑い声と楽団演奏が鳴り響く会場を後に残し・・・
三頭の馬は、一斉に駆け出した。
・・途端に、雨足が強くなった。
・・・・降りしきる雨の音・・・
かくして、大仕掛けな男、
ブリュネは、風のごとく消え去った。
・・・このあたりは、ほとんどドラマ的領域ながら、大脈は、ざっとそんなかんじ。
(※)田島金太郎:後の田島応親。この時、彼はブリュネの教え子出身の通詞。箱館戦争迄追従。
彰義隊とブリュネ、脅威のご対面劇迄の経緯
1_江戸っ子と彰義隊_花のお江戸に彰義隊
彰義隊は、将軍、慶喜が謹慎に入った寛永寺一帯に、2月から続々と結集して、各藩の者、庶民も
参加するなどして、一時は3~4千人名とまで言われた。4月11日、江戸城無血開城。徳川慶喜が水戸へ
落ちた後も留まり、最終上記5月全壊の悲劇に至るわけではあるが・・・。
されど、彰義隊の人気は半端ではなかった。
・・・いわば、花のお江戸は、花の彰義隊。あっぱれ桜の彰義隊。
桜の蕾が膨らんで、見事満開を迎え、
その頃、彰義隊も同様の経緯。
・・・咲いて、咲いて、咲いて散った。
江戸っ子社会に聞きなれぬ薩長の異種の言葉が
あっちこっち、飛び交った。
不思議なもので、言語というものだけは、
つまるところ理屈抜き。
こればかりは、どうしようもない。
聞きなれぬものは、互いに生理的嫌悪感。耳障りな上、遊び下手のお粗末な動向が
伴えば、爆裂寸前。「こん畜生め!田舎侍!イモ侍!」江戸っ子のプライドだ。
そんな時、彰義隊は正義の味方。大層、格好良かったらしい。
幕府の権威失落を狙った訳のわからぬ暴動が全国に発生して、民心離反が集積する中にあっても、
やはり、お膝元、江戸は特異だった。そうした背景も伴って、花の彰義隊は、
江戸っ子魂がさらに盛り立てた。最大期の3~4千人という巨大な数値は、悲しからずや、
一時の烏合の衆も相当含まれていた。
事実、彰義隊は、実にもてた。
幕府が転んで早々、背に腹替えられず、花街に稼ぎに出された旗本の娘も居た。大きな顔して、
酒を煽り、否応無く、己の欲を満たそうとする雄藩達の横行に、ついにキレて、
逆らった為、耳を削ぎ斬られた娼妓も居た。「下半身で酒飲むな。酒飲むなら、口で飲め!」
武士の娘である以上、一度、キレるなれば、だいたい想像がつく。
態度はデカいは、遊び下手で、江戸マナーに完全にズレるは、まさに江戸っ子言葉の
「畜生め!」がそのまま当てはまる。「ぐたぐた抜かさんで、悔しかったら、惚れさしてみろやい!」
その点、正義の味方と江戸の民が讃える彰義隊は、逆に惚れられた。
彰義隊は、江戸に限らず、箱館戦争の際も、花街でもてた。
遊び上手で、紳士的で、金払い良く、からりと余裕綽々、さればまたと、あっさり帰って行く。
「そのかわり、今宵は、解っているだろうな。」などど、ダサい台詞を吐くでなく、むしろ、
切羽詰ってしつこい安物の男に懲りてる玄人さん達にとっては、憧れのヒーローだった。
こうなると、ますます、花の彰義隊はヒーローそのもの。
哀れ、親に売られた娼妓が、無理して、貢いだ話も
聞いた。榎本軍瓦解、捕虜となり、拘留地変更
にて、再び弁天台場に送り込まれた者達の内、
その特権を得た者も居たという。おそらく、看守に
幾らかのリベートを渡しての上だろう。
小遣や菓子を貢いでもらったらしい。
(誰なのでしょうね?)
(脱線!菓子の話、当時19歳だった林董もムッとした。
抑留生活、食べ盛りの年頃、餅菓子の一つも悔しかった。)
その彰義隊が、たったの一日で、
屍色の花びらに化して、地に舞い散った。
慶応4年5月15日(1868)未明、長州、大村益次郎率いる新政府軍。アームストロング砲がぶっ放された。
それまで、寛永寺一帯に立て籠もっていた彰義隊は全壊の悲劇に及ぶ。
降りしきる雨の中、壮烈な死闘が展開された。上野現地に於ける彰義隊死者だけでも、百余名。
実際はもっと居る。逃走経路で更に追い討ちされて命を落とした。
たった一日で吹き飛ばされた。
アームストロング砲は、佐賀藩のもの。しかし、これにて、長州の大村益次郎の名は轟いた。
花のお江戸の、花の彰義隊。
あっぱれ!桜の彰義隊。
桜が散って、彰義隊も・・・
咲いて、咲いて、咲いて散った。
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青い目が泣かせた「桜」
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