壮絶終焉,中島三郎助親子,箱館戦争

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壮絶終焉,中島三郎之助親子_木鶏のほととぎす
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No.4_壮絶終焉、中島三郎之助親子
碧い、碧い、なぜゆえ碧い

中島三郎助えとせとら



壮絶終焉、中島三郎之助
  • 親子世辞の句

    ほととぎす、
    我も血を吐く思いかな。

    ・・・(木鶏:雅号)



榎本達降伏後も説得に応じず、最期まで二人の息子及び、若い従者達と共に闘って散った。
※雅号:歌人としての一種ペンネーム的名)


最期まで闘った。
中島が撃たれた後、長男は抜刀して、敵陣に突っ込んだ。
果てると知りつつ突入して果てた。
次男も撃たれて散った。わずか十九歳。従者も従って果てた。
長男_恒太郎,次男_英次郎

何が彼にそうさせただろうか?
戦況がこの段階では、結果は見えていた。むしろ「恭順」の意を表意していた人物である。

彼は優秀な幕臣であり、外交、海防に明るい。造船、蒸気機関構造には滅法強い。
鳳凰丸は彼が1854年、いち早く造船した。 (この船、榎本軍、仙台で分捕り輸送船として使用した。)
■造船学、■航海学蒸気機関学、■砲術学、なども学んでいる。結果から見ると、黒田達が大好きな要素を
多分に備えている。恭順したとて、裁きの後、死を免れる確立はゼロではなかったはずなのだが・・・。
しかしながら、彼は「剣が立つ男。THE_SAMURAI」でもあった。


★彼こそは、浦賀にペリーが来た時、真っ先に乗船、交渉に赴いた浦賀の与力なのだ。
「奉行以外、話にならぬ。他は乗船させないゾ!」のアメリカ側の高圧的な発言に対し
すかさず、一発かました。「我は浦賀の副知事だ!(実はハッタリ!)我に見合う身分の者を出せ!」
聞きようによっては、「ナンバー2が自ら赴いたのだから、取るに足らない下っ端役人の面(ツラ)など見たくもない。
まともな男を出さんかい!」間髪入れずに一気に押し切る。剣の立つ男ならではの技である。
タイミングがズレれば追い帰されるところだ。案の定、効果抜群。
応対には、ちゃんと副艦長が出てきた。

通訳と二人ながら、堂々乗船成功。先に探らねばならない。義務を全うしている。
与力に与えられた権限など、雀の涙だ。それでいて失敗は許されない。いわば丸腰で挑んで、
きっちり土俵に登りきった。(黒船対応時の時の事関連頁: 黒船騒動の裏庭
中島三郎助えとせとら、中島三郎助を鏡写しに見た_幕末あれこれ年表


後日になってわかったアメリカ側の資料によると、この時の「中島」に対する印象は・・・というと
「なんでもかんでも、ジロジロ覗き込んで見たがる、なんとも感じの悪い男だ!」と書かれているらしい。
それもそのはず。中島の報告書は、非の打ち所がないほど、しっかり詳細が入っているのだそうだ。
思わず笑ってしまう。
いろんな著者のいろんな本、あっちこっち読むと、パッチワークのように、それぞれ縫い合わせで面白い。

・・・・ 中島三郎之助のブレーン、ルーツ、家族、交友関係等


だが、なぜなのだろう。謎は謎のまま。「義」を重んじ、本当に「義に殉死」したのだろうか?
・・・壮絶なラストの真意は・・・?
蝦夷ほととぎす


夢多き若者達が、命を惜しむことなく、付き従ってくる。そんな健気な彼らに対して、
せめて、片時ながら、微笑みを贈りたい。陣に付し、食も兵器も底をつきている。
表情にどことなく幼さが残る若い彼ら。

夢も恋もまだ、これからという年頃だ。やつれた姿が痛ましい。
世辞の句と聞き、神妙な面持ちで待つ彼ら。中島はゆっくりと手渡した。

緊張しながら、受け取り、読み終えた彼らの表情。中島は、従来からの痩身に加えて、この戦況下、
さらに窶れ果てて尖った頬骨。しかし、その頬にも、その時だけは、多少悪戯っぽい笑みを
浮かべて若者達の顔を、じっと見つめてた。



ほととぎす我も血を吐く思いかな

若者達が、ふふっ!と一瞬、緊張ほぐれて、
思わず吹き出してはくれまいか?
・・ほととぎす、泣くでない!
・・我らとて必死でござる!



彼の世辞の句は、専門家達の解釈はもちろん別にきちんとあるでしょうから、これはあくまで、
私の勝手な想像。 あえて悲壮感を出すまい ・・・
あの世へ若者を連れ発つ罪滅ぼしに。「ちょっとしたおとぼけ」ほんの小さな微笑みを。

この人は、究極死の刃境期こそ、静的描写を使う気がするのです。隊の中には、わが子より若い者もいます。
外語に秀でたブレーンだけに、戦闘にはあまり関与せず安全な事務職だった子も、この時期、皆共に散華する為に
わざわざ自ら志願して、ここに合流しました。血を吐かんばかり、鋭い鳴き声、潔いほととぎすの声
・・・これは、なんとなく、中島氏本来の重厚な静寂・・・とちょっと違う気がします。
若者が理解しやすい表現を使った・・・勝手ながら、そんな気もしました。

また、この人物は見かけと裏腹、若者達の前では、 ちょっぴり「おちゃめ」 なところのある人物でもありました。
医師の高松凌雲も、度々中島の冗談で爆笑させられたと後日語っています。


一般にこの句が辞世の句とされてますが、実際は、当日亡くなった日に、別途本当の辞世の句が有ったようです。
幕軍の救命活動に奔走した「田島圭蔵」は、終戦後の現場確認業務の際、それらしき紙片を発見しました。
完全に死を覚悟していた中島は、事前に、句を書き付けた短冊を己の衣服に縫い付けてあったのでした。
詳しくはこちら、「 敵への報恩、薩摩編 」表示先頁内で「田島圭蔵の大活躍とは」の行をご参照下さい。

中島隊、浦賀同心、「千代台」

土方歳三を失った瞬間 、既に榎本軍は、実質上の崩壊だった。それでも、暫しの間、
榎本軍は虚しい最期の抵抗姿勢を見せていた。(関連: 箱館総攻撃

がしかし、四十九歳にもなる中島である。既に、結論は見え透いていた。

高松凌雲院長が仲介となり、和平交渉が齎されて、
五稜郭の面々は既に全員降伏した後のことである。(関連: 幕末のオーバーザレインボー


今、彼は、二人の息子と浦賀同心一同を中心に「中島隊」として
この千代台の陣に籠もる。文字通り、花と散る覚悟のことだった。

五稜郭から駆けつけた自軍の使者達。彼らは皆、涙ながらに中島に恭順を促した。
しかし、再三の説得にもかかわらず、中島は、断固拒否した。
「此の地、我墳墓也。」

よく通る声で、そう言い返してきた。この半年の間に、めっきり白髪が増えた中島の髷。
戦に頬が窶れ、鬢から僅かに乱れ落ちた頭髪が、箱館の海風に窶れた頬に吹き付けられる。

喘息を患う彼は、従来から極度の痩身である。
しかし、この時期に至っては、その度合いたるや、常識の範囲ではなかった。

頬骨が突出して、落ち窪んだ両の目。
その姿は、生きながらにして髑髏同然の体である。

しかしながら、
彼の決心には、一切迷いはない。

今ここに、徳川二百六十年が終焉を
迎えようとしている。

徳川の殿(しんがり)はこの男が勤める。


碧い、碧い、なぜゆえ碧い


満天の星、
群青の海。


中島は、
こんなに
近くに見える星、


しかも、その大群を、
それまで見たことがない。

今にも手が届かんばかり、すぐ目の前で、眩いまでに輝いている。
目を見張るほど大きく見える星達が、溢れんばかりだ。
この地にしては珍しく穏やかな海。ことに今宵はこの上なく、波静かなのだ。

星達の色は、濃い海の色によく映えて、海面にゆらゆらと揺れる無数の燈篭のように、間に揺れていた。
天上人降り立ち、絵筆を振るっては、その鮮やかな色彩を、群青の海にのせて、
満遍なく溶かし込んでいる。

彩色の若い流れ星達は、次々と、惜しげなく、皆、地平線側の碧い海目掛けて、飛び込んでゆく。
海面を炎のごとく焦がしては、波間に消え去ってゆく。
・・・


中島は、それらの星達を、一人一人、落ち着いた表情で
見送っては、ゆっくりと頷いてみせた。

遥かなる天上よ
そこには、皆が居る・・・








流れ星達は、次々と、惜しげなく、地平線側の碧い海目掛けて、飛び込んでゆく。

それは、なんのためらいもなく、次から次と現われては、海に溶け込み、瞬時に眩い脚光を放つ。
海面を炎のごとく焦がしては波間に消え去ってゆく。


星達を海に浮かべ、一句浮かばぬものかと考えた。
・・・・

疲れ果てて、横で眠り込んでいる次男の横顔。まだ幼さが残る。その寝顔が痛々しく思えて仕方ない。
五月というのに、この地はまだ肌寒い。中島は、箱館の商人から入手した「毛布」とやらを、
そっと彼にかけてやった。





この穏やかな気分は何物か・・・ふいに悪寒が走った。
がしかし、慌てて、それを打ち消すまでもない。解りきったことではないか。
雪解けて、北の大地に緑萌え、遅れ桜、北桜。それもすでに散り果てた。

蝦夷までやってきたのはなぜだったろうか?もういちど自分に問い返してみた。
己はどうするつもりで来たのだろう?本当は、どうしたかったのだ?

自問自答。やつれた頬に皮肉な笑みが浮かんで消えた。
夜が白んで、星達の宵の饗宴はいつの間にやら消え去っている。
東側の内浦湾側に目を向けると、地平線の向こう側が、微かに赤く染まり始めてきた。
山側に視線を移して見ると、そこには、碧い針葉樹の樹海が続いている。

常緑の針葉樹は、落葉した無残な姿をけっして人に曝け出しはしない。
ふと思い返せば、あの激寒の冬間も、この樹木達だけはなんら動じることもなく
広葉樹のように、暴風にぐらぐら揺れたりしなかった。
まして、その碧さは凛として、不動の威厳をなしている。

一寸先も見えぬ程の猛吹雪にさえ衰えもせず、
朽ちもせず寧ろ輝いていた。

己の負けだろうか・・・

雪が溶け去った今、こうして見ると、
その碧さがさらに一層と増して、目に眩しい。



はるか向こう側、頂に雪化粧した羊蹄山がどっしりと構えている。
夜が白んで、その羊蹄の麓から、朝日が昇り始めてきた。

巨大な蝦夷富士、羊蹄に遮られて、その先が見えない。何も見えない。
果てしなく広大な蝦夷の地は、残酷なほどに延々と・・・・遥か彼方まで続いているという。


眩い朝日が、木々の碧さに透過され、一瞬目が眩んで、
中島は、思わず目を伏せた。

その時だ、突然、静粛を破って、鋭い鳥の声が響き渡った。
それは紛れもなく、ほととぎすの声だ。
中島はこの地に来てから、その声を耳にしたのは、今日が初めてだった。

ほんの一瞬、目を閉じている間に、初めて聞いた鳥の声。


瞬きの刹那、またひとつ、僅かに遅れをとっていた。

この地にも、ついに・・・
・・・まさか、夏が来ようとしているのだろうか。

北国の・・・遅い初夏の兆し。
この声を自分が聞くのは、もはや、
これが最初で最期になるのではあるまいか。
・・・山々の碧さが目に沁みた。


THE_END

中島に追従して散った命は、倅よりも、もっと幼い浦賀同心の少年達も

嵐吹く夕べの五部咲き桜と蕾桜,中島隊の少年達


付き従った者は、非常に若い。22歳と19歳の息子。従者も同様に清らかで勇敢な若者だ。
悲しいことに、若者達の命も共に散らせてしまった。この点においては特に責任重大だ。
ここに、中島が、彼ら少年の両親達に送った悲痛な手紙がある。
「あらし吹くゆうべの花ぞめでたけれ。ちらで過ぐべき世にしあらねば」:(表示先頁最下枠_中島親子の詩の枠ご参照)

■また、中島隊の他にも、額兵隊など彼を応援して散った他隊の犠牲者も数多く、痛々しい。
共に散った犠牲者などについて

■なぜ、中島は、ここまで頑張って死なねばならなかったか・・・について
  • 如何に幕臣といえど、先祖代々ご安泰の世襲族ではなかった。
    元は歴代、越前加賀藩主_前田家の家臣。中島五郎八の代で急死、この代で、家督相続間に合わず、お家断絶。
    子の定房は浪人となる苦渋を嘗めた。浪人から、身を起こし、実力&能力で下田奉行に採用された。
    まさに徳川報恩が家訓。 もう少し詳しく1 中島の訳、中島家のルーツ 中島にとっての「心の英雄感」

■中島の詰める千代台砲台の欠点を指摘したブリュネと中島、本当にトラブルだったかどうかについて
■「碧い」という文字が連発してる訳
オチはつまり真下行。オススメ本ご紹介の頁各種は、 幕末_WITH_LOVE玄関 から、お好みでお探し頂けます。
一例として、■ 戊辰、函館戦争おすすめBOOK 、■ 新撰組,黒船以降、幕末維新の人 、などがあります。
ドラマを見てしまうと、できあがってしまう。小説と史実解説、複数、別の著者、読み合わせて頂けましたら幸いです。
食い違った部分、矛盾点、謎のポイント、残したまま、そこからはイマジネーションで・・・
歴史を読みながら、ゆっくりと、自分探しの旅・・・歩んでみてくださいね!



函館に「碧血碑」という碑があります。
中島親子の碑は別途ありますが、故事が誠なれば、
どうか、親子と従者の血にもその奇跡を与えたまえ!

・・・三年経つと、英雄の血は碧く輝く。


碧く、碧く、
光を放って輝き燃えよ!


碧い、碧い、なぜゆえ碧い_完

箱館総攻撃

幕末_WITH_LOVE玄関

なぜ、こんなことになってしまったのか?もう少し詳しく



流れ:不穏な年明け、急旋回の3月から宮古湾海戦迄

中島三郎助と蝦夷桜

砲台構造に係る両者の衝突の真偽

ブリュネと中島三郎助

資料編

中島三郎助えとせとら
これで終焉のはずが・・、生き残った中島の老臣は、たった一人、
散るを必然として、挑んで散った。涙の報恩殉死_柴田伸助

咲けよ!夢花_浦賀同心:柴田伸助

それ以前、もともと戊辰は、どのように拗れていったのかについて、
下枠、小笠原長行シリーズから多少ご覧いただけるかと思います。頁内ナビで各種資料頁リンク有
文章解説(c)by rankten_@piyo、
写真等、素材については頁下表示



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