「007 スペクター」21世紀のボンドにスペクター
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林忠崇,幕末戊辰,脱藩大名_林忠崇(3編
幕末,戊辰戦争,箱館戦争,林忠崇資料編,脱藩大名:上総請西藩主:林忠崇,脱藩大名_上総請西藩主_林忠崇,若き純情:青いりんごとフランス人形_No.3,林忠崇の参戦~自首降伏までの経緯,降伏後の人生、その軌跡を追う,【楽天市場】
林忠崇,脱藩大名:上総請西藩主:林忠崇
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_函館戦争の余波<箱館戦争脇役者達SERIES<脱藩大名_上総請西藩主_
林忠崇
幕末の・・・若き純情_上総請西藩主_
林忠崇
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林忠崇
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林忠崇
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榎本武挙に対面、そして、磐城平
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)
入港の翌日、6/4日、早々に忠崇は榎本武揚に会った。輸送船の礼を述べる為である。
榎本は大歓迎だった。(手記による:榎本は無論江戸に引き返すがこの時、奥州に来ていた。)
外人のような八の字髭を蓄えたこの男。噂どおり、堂々としたものだ。
藩主の立場である己側から、わざわざ出向いたにもかかわらず、日本式の礼はしない。
頭を垂れ、腰を曲げるあのポーズには無縁のようだ。
いきなり、前へ進み出るなり、握手を求められた。
忠崇にとって、握手は、これが初体験。躊躇したものの、
勝手に強く握り締められた掌。その熱い感触は、まんざらでもなかった。
若く柔軟な林忠崇は、何事も飲み込みが早かった。
「そうだ、今という今、やれ、身分じゃ、作法じゃ、そんなものはどうでもよいのじゃ。
そんなことよりも、互いに戦士として、共に戦う志こそ尊いものなのだ。」
一人、頭の中で、新たな法則を確定した。
その実、林忠崇は、誰からも愛された。
藩主自ら脱藩参戦と聞こえきく限り、評判は高いものの、情報として年齢が先に
伝わると、皆誰しも、食わず嫌いで、はじめは嘗めてかかった。
「所詮、藩主様々。頭でっかちの、そんじょそこらの青二才と変わるまい。
むしろ、殿!である以上、どうせ、口先ばかりで、実際はお荷物、
床の間の飾り物にちがいあるまい。」
ひねた連中は、影でそう噂していた。
ところがどうだろう。いざ現れた男は、五尺六寸の堂々大男。
背筋の伸びきったこの姿勢は、見るからに、
剣で鍛え上げた者特有の凛々しさが満ち溢れていた。
物言いは実に、はきはきとして、殿につきものの『回りくどさ』も
なければ、じれったくて、しまいに苛立つあのわずらわしさは一切ない。
いざ戦場となれば、たちまち浮き出す『口先ばかりの正義漢タイプ』ではなかったのである。
その上、地位が高い者であるにも関わらず、目上の者を、きちんと敬う姿勢が実に可愛い。
江戸の新米藩主世話係の老中が、いの一番に林忠崇を絶賛した話もこれで頷ける。
感情家の榎本は、斜に構えて、内心彼という人物を探ろうとした己をただちに恥じた。
握手を求めた段階では、ひとつ、この小僧を試してみよう、そんな気持ちも
否定できなかったのだ。
しかし、今は違う。今度は、本当の握手を求めた。
「殿、戦場に於いて、今後、殿とは申しませぬ。されど、どうか宜しく
お願い申す。誠、心強い・・・!!。」
強烈な力で、忠崇の手を握り締めるなり、もう一方の手が、その手の甲に
覆いかぶさってきた。握り締めるは、ぐいぐい掴んで、上下に揺らすは・・・
握手初体験の忠崇ながら、完全にその世界に飲み込まれてしまった。
林忠崇
は、この後、それまで行動を共にしてきた人見勝太郎と、隊を分かち、
磐木平から、会津へ向けて救済にあたる使命を授かった。
また、忠崇には、実に不思議なことに、どこでどう戦っていようが、いつも、
どこからともなく、大勢の人物から、次から次と手紙が追いかけてくる。
脱藩大名は、まさに、奥州では引っ張り凧だった。
助けを求められると、絶対に断れない質なのだ。おかげで、
東へ西へ、右往左往するわけではないのだが、結局ルートは、そんな状態になった。
しかしながら、彼は夢中だ。奥州列藩を助けて、勝利を得るなれば、第二の徳川が蘇る。
忠崇がむきになるのも無理がない。自藩は実質消滅。
その上、己には戦闘に係る大義名分がある。
慶喜が大人しく全面的に身を引いたにもかかわらず、薩長の手口は、彼から全領土を取り上げた。
これが、忠崇にとっては、どうしても許せなかった。
実のところ、現実には、閏4/29存続決定、同年5月24日付、僅かながら、駿府藩主として
田安亀之助(後の徳川家達)に70万石を与えられている。しかし即時公表されたわけではなく、
ましてや、参戦中、おまけに遠方の奥州とあっては、情報が完全に遅れていた。
・・・・(彼がこの事実を知ったのは、6月29日のことである。)
薩長ごときに食われてなるものか!!無我夢中で戦った。
磐城平から会津へ
磐木平から、会津援兵に向かう。
しかし、丁度タイミングが悪かった。行く手は、敵に汚染されていた。
命からがらの逃走劇となった。これ以上とても先には進めない。
この時、失ったのが、大野禧十郎、大野静、重症は小幡直次郎、水田万吉。
しぶとい追跡に家臣を一人、また一人と失い、5人、3人、隊列は散り々になって、
もはや、絶望だった。
空腹にあえぎながら、草木に紛れて、奥深い山の中、一日中這い回った。
どこもかしこも敵が溢れかえっている。
蔦を掴んで急峻な峰をよじ登り、木の根を頼りに谷を下った。
選べる道は、人も寄せ付けぬこうしたルートしかなかった。
途中、空腹に耐え切れず、家臣が持参していた鰹節の塊を噛んでみたが、
到底歯が立たないとは、まさにこのこと。
鬱蒼とした森の中、深い谷底に流れる渓流に出た。
乾いた喉を潤し、先刻の鰹節の塊を水に浸して、噛み付いた。
香りの逸品ながら、こんな食べ方では、想像を絶する程
まずかった。吐き出したいが、飢えには勝てず、それ以上噛まずに、
無理やり、飲み込んだ。
もう、日が暮れる。家臣が言うには、日暮れは、けっして谷沿いに
下ってはならぬものだという。それは、命取りになるのだそうだ。
育ちの良い藩主には、その山の掟とやらが、さっぱり飲み込めないが、
とにかく従った。
尾根に出る為に、急斜面を再び、よじ登ることになった。
頼りになるのは、地に繁茂した蔦のつる。しがみ付いて、必死で登った。
青い林檎
登りきると、そこは、今まで潜んでいた深い谷と異なり、沈みかけの夕日が差している。
真昼の暗闇、谷底で目にした時、気がつかなかった蔦のような植物。
この光の中、見ると、山林檎か、小人林檎のような実がなっていた。
夕日に照らされて、オレンジ色に見えた。
忠崇は、20歳の青年。おまけに、人より大きいだけあって、
腹が減るのも人一倍だ。
熟れた果実に見えたのだった。
思わず、幾つか毟り採って、懐につっこんで、
皆に遅れまいと走った。
苦ければ吐けば良い。時間がない。味わってる間などないのだ。
峠に差し掛かった頃、すっかり日が暮れて、真っ暗闇になった。
家臣といっても下僕同然の従者は、こうした時、実にたよりがいのある男だった。
散り々になって、今ここにいるのは、この兵と老齢の北爪、及び己ひとり。
僅か三人になってしまった。
兵に導かれ、ようやく峠を下った。
そこには、今まで山の背が邪魔して見えなかった月が、
ぼんやりと、浮かんでいた。忠崇は、思い出した。懐の果物。
月明かりに照らされたこの道なら、歩きながら、食えるだろう。
そう思う間もなく、先に噛み付いた。
「うっ!苦っ!」
途端に声を漏らしてしまった。
兵に手を引かれて、足を引き摺りつつ、やっと歩いていた65歳の北爪。
その老人が、瞬時に蘇生した。
殿の突然の嘔吐!!
おたおたやってる場合でない。血相かえて、飛びついてきた。
「殿!いかがなされた!殿っ!お気を確かに!」
「すまぬ、大丈夫じゃ。すまぬ。
これを食おうとしたのじゃ。多分、山林檎じゃ。」
・・・忠崇は、面目丸潰れ。素直に告白した。
安堵、磐城平の城
命からがら、やっとの思いで磐城平の城に帰りついた。
幸い、道々散った別組の一部も既に到着していた。北爪は、足に数箇所傷を負っている。
いくら、年齢不似合いな程、頑丈な男、北爪とて65歳の老人なのだ。
よくも頑張って、あの急峻な峰を自力でよじ登ったものだ。
若者達に傷の手当をしてもらいながら、ふと彼が言い出した。
「殿、先刻は暗くて、よく見えませなんだ。それをお見せ下され。」
忠崇は、素直に懐をまさぐり、残りを探してみた。あった。たった一つ、無事残っていたようだ。
北爪は、灯りに照らしつつ、見るなり、吹き出した。
「殿っ!これは、林檎などでは、ござらぬ!!」
灯りの中で見たその果物は、なんと青かった。
「殿は、もう!困ったお人じゃ。
・・・殿は、まだ、青うござりますな!!」
しまいに、北爪の顔は、みるみる間に、泣き笑いになってしまった。
北爪に批難されても、腹が立つわけなどない。むしろ、まさに、そのとおりだった。
夜半には最後の組も到着した。
敵兵との斬りあい、谷へ転落して死なせてしまった者(大野禧十郎、大野静他)以外は、
どうにか全員、無事揃った。怪我人も見捨てられることなく、若手に担がれ、
ここまでたどりついた。
微かな幸福感に包まれた瞬間である。
忠崇が、言った。
「北爪、世は、今だ、これと同じじゃな。」
そこには、先刻の
『青い林檎もどき』が転がっていた。皆が、笑った。
厳密には、小幡直次郎、水田万吉が重症。その後の生死調べ中_
磐木平、月夜の夢
その晩、磐木平の城に、
ぽっかりと月が浮かんだ。
この地特有の何やら夏の白い花。それが月明かりに
照らされて、あたかも薄紅色の桜のごとく目に映る。
藩主、忠崇も、若手の家臣も、皆が爆睡だ。
日中の疲れのせいだ。
しかし、北爪だけは眠れなかった。
彼は、またしてもあの頃を思い出していた。
今は亡き、先々代、忠英と、忠崇の父、忠旭、そして、小さな少年時代の忠崇。
皆が揃って行った兎狩。誇り高い上総請西藩の伝統行事なのだ。同行を許可される家臣も誉だ。
その請西藩は、今や取り潰されて、どこにもない。
あの時、あんなに小さかった若様。
こんなに大きくなられたというのに、蔦の実を林檎と間違えて噛むとは・・・
・・・
ふと、思った。己は幸せだったに違いない。この幸せは、皆、若様に頂いたも同然じゃ。
陣中にあって、昔を思う己の老いを自嘲した。
相馬中村城、されど、意地の酒
夕べの安堵は束の間。
今度は、相馬中村から、悲壮なコールが入った。またしても手紙である。
藩主からの手紙を抱えた兵、早馬が駆け込んできた。
引っ張り凧の彼が、駆け参じたのは、相馬中村城。
7月7日、丁度七夕の夜だった。
藩主相馬誠胤
は、16歳である。
忠崇は自藩の経緯を代々聞かされている以上、若年藩主の危機は、痛い程に解る。
付狙われて、押し潰される前に跪かされるのが落ちだ。
いちはやく恭順に転がってしまったとしても可笑しくない。
しかし、歯を食いしばり、新政府に立ち向おうという。とても放置できなかった。
城に着くなり、大歓迎で受け入れられた。
こんな時期、戦闘の真っ最中だというのに、
信じられない大歓迎の膳が待っていた。
竜宮城ではあるまいし!
鯛や平目の舞い踊りこそ無いにせよ、
正月さながらの大ご馳走が並んでいた。
藩主自らの心づくしだという。
兵糧にも限りある状況下ながら、
忠崇には、たとえ、どんなに無理をしてでも、
感謝の意を示したかったのである。
藩主は、噂どおり、年齢相応、
表情に幼さを残した少年だった。
その少年藩主は、立ち上がり、自ら、忠崇に酌をしようとする。
新兵器をごっそり抱えて、力づくで迫り来る官軍。
対して、この藩は、時代錯誤の鎧鉄兜。銃にいたっては、
今時、火縄銃の兵もいる。新兵器など、これっぽっちも供えて
いなければ、特別に調練された新型の洋兵隊など、
どこにもない。志は清くとも、やられっぱなしになるのは
目に見えていた。
そこへ現れたのが、忠崇である。
遊撃隊同盟として加わった他藩の兵も従軍している。
彼らの中には、洋服を着て、新式の銃を抱えた者もいる。
それゆえ、藩主相馬誠胤としては、嬉しくて、ありがたくて、言葉にならぬ思いを、
少年らしく、極めて純粋に示したのである。
しかし、状況は把握できたが、酒だけは困る。なぜならば、忠崇自ら掲げた自隊の
掟として、戦場にあっては、いかなる場合にも
、一滴の酒も許されない。これが鉄則だった。
忠崇は、ストレートにその旨を告げ、丁重に断った。
16歳の藩主、相馬誠胤は、一瞬目を丸くして驚いたものの、
よくよく聞くなり、素直に受け入れ、むしろ詫びてきた。
「されば、せめて、この気恥ずかしい田舎料理ばかりではござりますが、
どうか、たくさん、召し上がって下さいますよう・・・」
やはり、少年だった。台本が崩れて、アドリブになると、たちまち、しどろもどろ。
忠崇は笑顔を返して言った。
「誠、かたじけなく存じます。されば、折角のお心、早速、遠慮なく。」
すっかり戦場に順応した忠崇は、従来の殿様暮らしの頃とうってかわって、
野や山で、手掴みで粗末な食べ物を口にして耐える強さが備えつけられた。
上品にちびりちびりやってる場合でない。第一、過激に動き回って腹ペコだ。
ダイナミックに食いつこう・・・というところだったというのに、腰を折られた。
少年藩主は、おとなしくひっこんだというのに、出者派ってきたのは老獪な家臣達だった。
なんだかんだといいつつ、酒よりも、飯に食らいつきたい忠崇を無視して、
なんとか飲ませようと、しつこい。
しかし、忠崇とて若い。初めはこの「しつこさ」の原因が解らなかった。
流石に、一口つきあわねば、藩主のプライドにも拘わるかと気になり、たった一杯だけ
口にした。しかし、それが罠だった。
あげたり、さげたり、宥めたかと思えば、おだてたり、時には隙につけこんで、
呑まぬは男らしくないとばかり、負けん気の強さを見抜いては刺激する。
老獪狸の罠である。人の良い忠崇とて、馬鹿じゃない。
気づいた以上は、もはや負けるわけにはゆかなかった。
若い脱藩藩主の英雄伝説に、それ以上に若いこの藩主、
相馬誠胤は、すっかり、ほの字というには
妙だが、完全に舞い上がっている。
それは、
林忠崇
が、伊庭八郎の剣の凄さに
感動したにも似ている。
素直であればあるほど、優れた者を
尊いと仰いでしまう少年の気質だ。
そこで、出てきたのが、この狸軍団である。
物言いも勇ましく、見かけはさらにその上をゆく大男、林忠崇。
精悍な面持ちに、引き締まった肉体は、剣客顔負けである。
されば、その本性を見るには、酔わせて垣間見ようということだった。
現在藩主は確かに、誠胤であるものの、父相馬充胤 は隠居として健在なのだ。
忠崇は、完全にむかついた。しかし、藩主に罪はない。怒ってはならぬ。
あん畜生!負けてなるものか!知って耐えて、鬼面して、飲み負かしてやった。
誰とて、死闘が好きな者はない。戦場に於いて、まさかの宴はよいが、
しかし、夕べの下らぬ戦闘に挑んだことを思えば、戦場のほうが余程ましだった。
後に
林忠崇
は、その手記で露骨にぼやいている。
「奥州の田舎侍にせよ、剣客にせよ、所詮、酒が飲めなけりゃ、つきあえぬ連中とは!!」
会津へ
しかし、ぼやいてる間もなかった。またしても手紙が来た。
会津に亡命していた旧幕府若年寄並の竹中重固からの
緊急要請である。ただごとではない。
なんとしてでも会津へ来いという。
ルートも近郊の官軍進行状況も、先日の逃走劇とは異なる。
丁度、台風の目はこの近郊から離れ、盲点でもあった。
体勢を立て直し、
林忠崇
は、北爪貢、吉田柳助、広部周助をつれて会津へ走った。
しかし、やがて会津も城門が閉ざされ、絶望だ。
奥州での闘いでは、いつも奥州兵の弱さに忠崇は嘆いた。
手記に「奥州兵皆逃げて、遊撃隊しか踏み留まらず、」と書いた。
若い忠崇はついに短気を起こした。もはや己には帰る藩もなければ、
徳川は賊の汚名を被ったままだ。死の覚悟の瞬間である。
「ああ、情けなき奥州!
徳川の運も、もはや、これまでか!」
忠崇は馬にまたがり、抜刀、孤騎、敵陣突入憤死を諮った。
しかし、65歳の家老北爪貢が馬の轡を捕らえて離さない。
引き止めようと必死だ。
これを見ていた
檜山省吾
が己が身代りに突貫しようとした。
「私が割って入ります。どうか、その間に!」
突貫突破は、完全に死を意味する。
林忠崇
は泣く々、屈辱の撤退命令を下した。
四方八方、山に囲まれた会津。何処を固めても、他からいくらでも敵が隙入る。
その上、要所要所に兵を撒き散らされる為、各隊の人数が少なすぎる実態だった。
米沢からも助けを求める手紙が来た。しかし、もはや限界だ。
8月5日、会津を後にして、相馬中村へ戻ることにした。帰ってきてくれと、こちらからも
連絡が入っていたからだった。(※
彼らの情報が遅れていたようだ。実際は8/2に相馬中村は転んでいる
)
会津での別れ
ここで、涙の別れとなった。老齢の北爪は会津に残すことにしたのである。
といっても一人ではない。
北爪貢と広部周助
の二人である。
物心ついた時から、己をずっと暖かく見守り、実の親以上に、なにかにと世話をやいては
育ててくれた北爪との別れである。
もはや絶望も同然の会津に残すも危険なれど、これ以上彼を東へ西へ連れまわすのも、
同じように死を早めるに他ならない。
しかし、つい感傷的になりがちな忠崇と異なり、
北爪
は実に落ち着いたものだ。
「殿、お任せ下され。爺いには爺いなりの知恵がござります。
なんなりと潜り抜けておみせします故、ご安堵下され。」
笑顔でそう言うのだった。そして、いきなり懐から、何やら妙なものを出して
忠崇に手渡してきた。
「殿、戦場では、ろくなものがお口に入りませぬ。さりとて、食わねば
お体にさわります。食うに食えぬ飯の時には、これをお使い下され。」
懐紙に包まれた長細い物は、鰹節の塊である。
忠崇が物言う前に、北爪が再び言った。
「殿、ご安心下され。長い間、爺いの懐にあったとて、
そやつは腐ってはおりませぬ!
・・・
殿っ!今度はちゃんと削って召し上がれ!」
そう言うなり、にたりと笑った。
形勢が瞬時に急変するこの戦場のこと。
北爪は、恐縮ながらと付け加え、
広部を伴い、一足早く、馬に跨り、峠に消えていった。
とても、65歳の老人とは思えない。その姿は、まさに矍鑠としたものだった。
相馬中村へ戻ろうと、山道を下るなり、今度は仙台藩主伊達慶邦の使いが命掛けで、駆けて来た。
根本的に立て直しをなすため、まずは仙台へ集合せよ。といった内容である。
忠崇は、ただでさえ、少ない手勢、困惑した。北爪と広部を会津に残したばかりである。
しかし、相馬中村で己を待つ16歳の少年藩主の顔が浮かんだ。
思案の結果、吉田柳助を相馬中村へ使いに出すことにした。事情を告げ侘びを入れる
ためである。しかし、吉田柳助の使命は、これだけではなかった。実にハードなものである。
相馬中村へ行った後、現状でやむをえず義理を欠いた形の米沢への連絡、庄内方面へと
大切な任命を背負った。
まさか、それが原因で、彼の運命に、謎の死が襲いかかろうとは
予測できなかったのであった。
忠崇は檜山省吾と木村嘉八郎をつれて仙台へ急行した。
現実には、8/2には、相馬中村
が新政府に転び敵に転じている。この藩が戦乱に巻き込まれたは5月。
当初、幕軍として動いた多少の実績がある為、戦死情報ではこの期間犠牲死者は賊軍扱い。ところが、8/2以降は
死者は官軍側リスト。となると、コールを送ってきた時はクライマックスの悲鳴だっただろうか?しかし微妙。
前藩主は責任辞任。新藩主は少年の為、実権はこの少年にとって続柄は叔父。前藩主は左幕で隠居謹慎。
勘ぐるなれば、末期にて、まさか律儀に返信の使者を送れまいと多寡を括り、手紙は形式上のカモフラージュか?
いずれにせよ、8/5の段階で、林はそれを知らなかった事になる。吉田柳助は悲惨だ。敵に転じた藩への使者なんて!
やはり、若く純情な藩主「林忠崇」のミステイクと言えるだろう。疑う事を知らぬ純情。
忍び寄る秋
やっとたどり着いた白石城。ここで、輪王寺宮能久親王に謁見した。
大層お褒めに預かり恐縮した。会津で短気を起こしたことなど、この瞬間に吹き飛んだ。
その後、慶邦は列藩で組みなおした組織で、もう一度再起を諮り、
皆で会津救済へ向かおう、そう言うのである。
何事にも素直な忠崇ながら、その案は解せなかった。
己がこの目で見てきたばかりなのだ。同盟は良いが、総括的司令塔がない。
慶邦は頑張っているが、皆は皆で、それぞれの藩の長が居て、結局ばらばらなのだ。
奥州列藩の弱さをいやというほど見せ付けられた。
慶邦は無理強いはしなかった。若者なれど、経験者の発言は尊重した。
しかしながら、いかに若く純情な忠崇とて、ついに頭を抱えたのはこの時期である。
引っ張り凧は、今や、皆のいいように使われて、東へ西へ。
凧は凧でも、糸の切れた凧状態に転落してしまった。
ここで彼は、意を決して、初に己の判断中心に活動を開始したのである。
あれほどまでお褒めに預かった輪王寺宮。そこに使いを送り、護衛を申し出た。
しかし、これが、どん底の極み付け。露骨に断ってきたのは、
宮に付き添う側近の
覚王院義観
。彼が曲者だった。書状はけんもほろろに突き返されて来た。
「戯けっ!この戦況に於いて、一体どこの誰が勝手に己の役柄を選ぼうと申すのじゃ!」
つまり、貴様は青い!箸にも棒にもかからぬ!
・・・意味あいは、そういうことだった。
頭が混乱した。忠崇は、手勢の多くを仙台に残し、松島、塩釜へ足を運んだ。
最新の情報網であるもうひとつの司令塔、榎本に会うためである。
会津は絶望だと言う。判断基準はあくまで徳川の名誉回復。目先に捉われて、
転倒だけはしてはならぬと励まされた。
このまま、蝦夷へ向かおうと言う。
こんな時、忠崇の念頭にすぐに浮かび上がってくる言葉はひとつだった。
忘れもしないあの箱根で
、岡田斧吉の語ったせりふ
である。
「我らの志は、徳川の回復のみ。
悪戯に憤死するは愚か。
海に出て再挙を諮るべき。
房総に敗れんか、奥州に敗れんか、
蝦夷に往いかん。」
あの蒸し暑い夏も、この宮城の地では、
残暑という間もなく、もはや終盤だ。
9月早々、朝夕には、肌寒い秋風が吹きつける。
今、初めて気がついた。赤とんぼが飛んでいた。
急変!
9月11日のこと、帰るなり、仙台藩士氏家晋からの手紙が待ち受けていた。
書状を開くなり、驚愕した。事態は急旋回していたのである。
既に輪王寺宮も折れていた。
なんと、9月9日、仙台藩は一変して、伊達慶邦が恭順に転じたというのである。
内容は一言だった。
「降伏謝罪すべし!」
米沢は9/4に既に転んでいる。そして肝心要の仙台が屈したという。
奥州列藩の要、仙台が転んだ以上、たちまち奥州は将棋倒し。
もはや、転ばぬ者は、誰一人居ない。
会津は9/22ついに降伏した。
もはや、いかに運をたよろうとて、瓦解の一途だった。
次から次へと良からぬ噂を耳にする。
庄内に派遣した
吉田柳助
は原因不明の死を遂げたという。
あとは、会津に残した北爪、広部、あの二人組からの連絡を心待ちにするものの、
なんら情報が得られなかった。
そんな殿の胸中を察して、
檜山省吾
が言う。
・・・・
「殿、どうか、こんな時こそ、睡眠が第一でござります。」
目が窪んで、顔つきまですっかり変わってしまった殿の姿。見るにしのびなく、
檜山は半泣きで、そう忠崇に懇願するのであった。この男は、忠崇が短気を起こして
敵中突入を諮ろうとした時、本気で身代わりになろうとした男である。
今度もまた、密かに彼は決心していた。この上総請西藩主_林忠崇隊に於いて、
影の司令塔は、ある意味では藩主以上に、今や行方不明となった北爪貢である。
檜山省吾
は己が自首して出る覚悟だった。
下っ端の一人や二人じゃ話にならぬとは知りつつ、肝心の北爪がもはや絶望だ。
こうなれば、打って出るしかない。徹底抗戦を若く純情な藩主に仕掛けたのは己で
殿には罪は無いと!殿を騙したのは己だ!散々喚き散らして死んでやろう・・そう考えていた。
夢
夜、忠崇は、そんな檜山に尻を叩かれ、無理やり布団に突っ込まれた。
肉体は疲労困憊だというのに、爆裂寸前の脳はオーバーヒート。
完全に不眠に陥っている。
僅かばかりの睡眠途上、たちまち、魘された。
・・・夢の中・・・
暗い。暗い。日の光も及ばぬ深い森の中。
目を凝らすと、そこには、蔦かずらが繁茂している。
微かに谷川の音が聞こえてきた。
どうやら、人里離れた相当奥深い山の中らしい。
微かに何かが、見えてきた。
家だ。小さな家がある。
山奥の小さな一軒家。古びた炭焼き小屋だろうか。
そこで背中を向けてしゃがみこんでいる老人が居る。
身なりも粗末なその男は被り物をしている。
この家の老人だろうか。
時々動いては横顔が映るが、被り物のせいで、よく見えない。
その老人が、ふと振り返って、喋り始めた。
「殿、ご安心下され。広部周助は頼もしい男でござる。
俊敏に交わしてたちまち、逃げ切りましたぞ。
必ず、ご挨拶にまいりましょうぞ。
あやつに、何なりとお申しつけ下されるが宜しかろう。」
それだけ言うと、老人は、暗闇の中、突如、消え失せた。
・・・・・・
忠崇は、魘されて、己の声で目が覚めた。
額には脂汗が滲み出し、体はぐっしょりと汗で濡れている。無意識に頭を振った。
・・・・・・
「今、確か、己は何か叫んでいたはずじゃ。」
途端に身の毛がよだった。
夢の中、己が叫んでいた・・・その言葉は
「爺いっ!爺いっ!
・・・・待ってくれ!爺いっ!!」
屈辱の決断
仙台では、新政府への償いに、夥しい数の首が討たれた。
徹底抗戦派の老中はもちろんのこと、末端に至っては、
10代の若者の果てまで、捕らえられて斬首された。
額兵隊を脱退して家に帰ろうとした少年達なのだ。
明治元年10月3日、上総請西藩主、
林忠崇
時に21歳、ついに屈辱の降伏の瞬間が来た。
徳川に忠義を誓い、
自ら藩主の座を捨てた唯一の大名、
脱藩大名_上総請西藩主_林忠崇は、自ら出頭。
ここに縄討たれた。
出頭に際して、彼は、こう言った。
「これで、己は徳川にお役目果たし申した。」
徳川再起ならぬとも、田安亀之助に僅かながら、
領地が与えられた事をさして、そう言った。
血しをの色
終わった。全て夢と散り果てた。たった半年の夢。
伊庭八郎と人見勝太郎が現れて、自ら脱藩参戦を決意したのは、同年の4月17日だった。
同じ年ながら、4月は、誉れ高き徳川の慶応だった。その慶応も消えた。
70人居た家臣は、僅か18人。賊として、皆囚われ人の屈辱を享受した。
仙台で抑留、林香院に謹慎の後、11月7日、仙台から東京へ護送された。
この時、
林忠崇
は、家臣を引き離された。
殿としての名誉剥奪の印だった。
武士の誇り、刀を取りあげられ、無様な丸腰。
後ろ手に縛られた彼。彼を乗せた青網籠は、
たった一人の罪人として、峠を下っていった。
縄目の屈辱に、彼が詠んだ
林忠崇
の
辞世の句
は、これだった。
真心のあるかなきかは、
ほふり出す腹の血しをの色にこそ知れ
■この辞世の句、何回読んでも、心の発信先は憎い官軍に対する意地とは解釈できない。やはりここが皆と異なり屈折。
己が屈した屈辱以上に、
屈して徳川報恩を疎かにした臆病者として謗られた・・・それに対する反発と見えて仕方ない。
林忠崇
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謹慎、転落、母の夢、爺いの声と広部
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