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COLONY&Jhon Henry Schnell_No.12
■発信者本人■W. E. Veerkamp(1859/09/19~1927/06/17):「W」は多分「William」 ◇縁の地:Clark Township, Lincoln 、◇この時の居住地:Neosho, Missouri(ミズーリ) ◇発信時の発信者他情報:ニュートンカントリーの公立学校の監督者的存在TOP。校長か理事か? ◇手紙の発信期日:1919/06/02
国政調査で調べると、この人物の縁の地は、Newton, Missouri つまり、この人物は転勤などで遠隔地からやってきた者がここで就任していたのではなくて、地元出身者。 ★即ち、ビアカンプ家の親戚は、まちがいなく、このミズーリ近辺にも居ることになる。 ◇この人物の父は、下枠7人兄弟の中、第3目の「 Bartholomew Ludwig Ignatius VEERKAMP」であり、 上記、「W. E. Veerkamp」氏は、その長男として生まれている。
受 領 者
■受領者■ Lewis F. Veerkamp(1896~1930)
◇出身&生まれ:Missouri 、◇手紙を受け取った時の居住地:Wynona, Oklahoma
◇この人物の祖父は:Egbert (William) Veerkamp,(約 1834~1871):プロシア人、プロシアから入国 ◇この人物の父は:William Robert Veerkamp(1853or1856~1947)or(1865~?):ミズーリ州 (父の部分が、当該と推定される人物レイアウトが、どうも判然としないが)
▲ 上 記 解 説
■発信者の父親は兄弟の中、上から3番目、受信者の祖父は、7番目。発信者が受信者に伝えた讃えるべき そのもっと上の兄「Francis J. A」とは、上から2番目。 (詳しくは、下枠の手紙を鍵に、発掘したVeerkamp家の「そのまた昔世代」ご参照。
■この手紙の発信は1919年。文章中、その段階から考察。 「今から65年前に、Francis J. A.がカリフォルニアに開拓入植した。」の内容がある。 つまり、1845年位に、Francis J. A.が入植。 ということは、「Francis J. A」は調べてみると、1822生まれだから、入植は彼が26~27歳位の時の話。 ■尚、この手紙が発せられた時、話題の主人公の「Francis J. A」は1905年に死亡している為、 死後14年後に於いて、一族の子孫達が、先祖の功績、カリフォルニア開拓について語り合っていることになる。
Frank Veerkamp(1822/10/02~1905/03/22) ■若松コロニーの人々を救った人 ■名前:Francis J. A.Veerkamp= フランクフランシスVeerkamp ・フランクともいうようだ。 (即ち、またの表記:Frank Francis Veerkamp ) ・・らしいが、上記のとおり、考え方は複数持っておいたほうがいいかもしれない。 ■81_veerkamp家カリフォルニアファミリーの枠もご参照。
Bartholomew Lewis Ignatius Veerkamp,(1826/05/18~1904) ※「Lewis」は「Louis」、「Ludwig 」表記も有り。
【子の内、長男を抜粋:手紙発信者】▼(上枠の「発信者枠」ご参照) W. E. Veerkamp,1859/09/19~1927/06/17:Wは多分「William」
Antonia Veerkamp,(約1828~?)
Mary Veerkamp,( 約1830~?)
Anna Veerkamp, (約1832~?)
Egbert (William) Veerkamp,(約 1834~1871) ▲この人物が、【受信者: Lewis F. Veerkamp】のお爺さん