ニジンスキー生涯,蒼いペガサスの時(4編

ニジンスキー生涯,魅惑のバレエダンサー,蒼いペガサスの時_No.4,輝ける脚光の人は天涯「何物かによる囚われ人」,戦争,愛の虜,牧神の存在,神との結婚,薔薇の精,牧神の午後に係る資料表,関連人物一覧,謎のトライアングル(構成の3辺),ペトルーシュカを演じた彼について補足,


蒼いペガサスの時ニジンスキー生涯

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蒼いペガサスの時_ニジンスキー_No.4


美を追求して燃え尽きた人々_No.4_ニジンスキー編より、「蒼いペガサスの時」その4
ニジンスキー&周囲相関略表:舞い落ちる後半生まで、

No.1


1_天才少年
1900(10歳)舞踊学校入学
1908(18歳)主役抜擢
2_セルゲイ・ディアギレフとの出会い
(黄金時代到来 ~追放迄)
1909(19歳)ディアギレフの劇場へ移動
2_A_宙に静止した男
1911(21歳)『薔薇の精』脚光
1912(22歳)『牧神の午後 』
大反響とスキャンダルの嵐
2_B_事件!ニジンスキーの電撃結婚!
■篭を飛び出した小鳥

ディアギレフの隙
二人のブエノスアイレス


No.2
ディアギレフの怒り_楽園追放
1913(23歳):結婚・ 団から解雇追放される!
3_彷徨い人
■悲しきかなプロディースの力、事業力,
■戦争による抑留経験
 ◎自立旗揚げ失敗。
 ◎ ▼ 第一次世界大戦(1914~1918)
 1914(24歳):ハンガリーで被拘留。(露国籍の為)


4_ディアギレフの元へ復帰から、壊滅の兆し迄
1916(26歳)活躍中ながら精神に異常の兆候
・察知したディアギレフ立ち去る
5_神との結婚、シュティーングスターの時
■妻_ロモラ_それでも愛してしまった人だから
1919(29歳)1月:「神との結婚」と自称公演が最後
1919(29歳)3月:精神病院入院
6_またしても戦争!そして戦争が彼を苛む。
  妄想の中蠢いては彼を支配する「牧神サテュロス」

■逃亡、精神を患う悲壮な結末,
第二次世界大戦(1939~1945:彼約49歳~55歳)
・ナチスの虎口脱出。 潜伏、逃れ英国へ。
7_夜空に蘇れ!蒼いペガサスの時
_オチの「ペガサス」とは、何故ペガサス?かというと
謎のトライアングル(構成の3辺)
■1_戦争による抑留経験と精神、彼の病気のこと

No.3
■2A_脳内を蠢く「牧神の存在に係る資料表」

現在頁=No.4
■2B_ニジンスキーが牧神の存在を描き出す為に、
如何に努力を続け、意識がそれに囚われていたかについて
■3_馬に生まれたい発言

皆が認知するアーティスト生命は
1908(18歳)~1919(29歳),11年・輝いていた期間正味8年
■伝説の「宙に静止した美少年」
ニジンスキー: ■バレエダンサー、■振付師
1890/3/12~1950/4/8:
『ペトルーシュカ』
ニジンスキーが演じたその他の作品補足
無機質の人形が、恋をした!その悲しみを演じた彼について。

謎のトライアングル(構成の3辺)_その2






ニジンスキーは、
「今度生まれる時には、馬になりたい」
と語ったとされている。



謎のトライアングル(構成の3辺)
■1_戦争による抑留経験と精神、彼の病気のこと,
■2A_脳内を蠢く「牧神の存在に係る資料表」
(▲ 前頁 :▼現在頁)
■2B_ニジンスキーが牧神の存在を描き出す為に、
如何に努力を続け、意識がそれに囚われていたか
についてまとめ
■3_馬に生まれたい発言

(注)以下表現について:けっして猥褻の為に記したものではありません。しかし彼のテーマにはサガが
深く関与する為、驚かないで下さい。
ニジンスキーが牧神の存在を描き出す為に、如何に努力を続け、
意識が、それに囚われていたかについてまとめ
■2_ 脳内を蠢く「牧神の存在の資料表」 を見比べながらご覧下さい。

【「妄想の中、彼を支配してやまぬ「牧神サテュロス」の呪文、生き煮えか?」
というキャッチを書かせて頂いた訳について】


神話の中、サテュロスは別に変な呪文唱えていません。むしろ、 呪いの篭められた笛 を、そうと知らずに
拾って使った為、呪文の餌食になって身を滅ぼした犠牲者。それが、命はあれど、正常な意識を失った
ニジンスキーと、上記、神話、「戦いに敗れ、 生きながらにして全身の皮を剥がされて 死んだ」
というサテュロスの一人の宿命とカブったからです。
b8.jpg

牧神の証、
笛を吹いています。

のどかな田園風景

舞台芸術と衣装は、
「牧神の存在の資料表」
のバクスト


■バレエ人ニジンスキーは、志半ばに、病魔に敗れ、
生きたままに、バレエ人としての機能を剥がされてしまった
また、皮を剥がされて死んだサテュロスの悲劇の発端は、 拾った笛 。しかし、その笛には呪文が。
そうと知らず、一生懸命練習して、とても上手になって得意になって、恐れ多くもアポローンと決戦。
それが命取り。

■頑張って素晴らしい振り付けを描き出そうと、牧神研究に没頭したニジンスキー。
「牧神の午後」の振り付の仕事を初に、若いニジンスキーに、思い切って与えてやったのは、ディアギレフ。
本来なら、この期間、振り付け契約はフォーキン。負けてなるものか、猛烈に頑張ったニジンスキー目に浮かぶ。
ニジンスキーも、いわば、棚からボタ餅。 拾った仕事 。若いながらも初めて一人前の振り付家と
してオーナーに認められた。発奮して頑張った。

■_呪文についてと、■_神話が暗示するもの

■上記悲劇のサテュロスの 笛にくっついていた「呪文」とは
もともとの笛の主は、笛を吹く時の顔が滑稽だと皆にいちゃもんつけられて、頭に来て、本当は捨てたくない
大切な笛だが、悔しいから捨てた。その為、拾ったヤツ!が得意顔で笛吹く姿想像すると悔しい。
だから、 いつまでも調子にのってられないように、「身に不幸の呪文」 を。


■優れていると理由で、たまたま優遇されて今日が得られただけの者。
それを忘れるな。 有頂天は身の破滅を招くぞ!分相応を弁えよ。=身の程知らずへの教訓的。
寓話の裏に潜む教訓的な要素は、恐らく身分か、差別人種か、そのへんは
明確ではないにせよ、やはり、牧神の存在は「けっして高身分」ではないこと,
権限に制限がある身分であることを示唆している。能力的に認められて特例的に
「制限つき身分」を与えられた者、現地採用の別民族の地方警備員か、傭兵あがりの者か・・・。

【低い身分を示唆するもの】

下半身が動物であること、そして、総合的に優れた存在でないことの証に、不死ではないことと、
「快楽好き」の存在とされている。その為、人の体と異なって、用も無いのに、いつでも絶えず、
異様にピョン状態であることが神話上提示されている。これも、侮蔑の念、下等身分の暗示。
モトの出は、四足同然の輩的発想だろうか。



インテリのディアギレフは、いつも早めに思いついた題材を手帳に書いておく習性がある。
ディアギレフとフォーキンの間、この一件、構想段階で、論争があったのかは判然とつきとめられないのですが、
堅物のフォーキンが「性」が絡む件につき、蹴ったネタだったとしたら、非常にイヤですね。まるで因縁。

大仕事を貰った若いニジンスキー。ディアギレフも、デザイナーの上記バクストを連れて、
練習開始前の初期段階から、指摘したり、アドバイスしたり、熱心にニジンスキーを応援していたの
ですが、上記結果になった後、疲れたのか、やはりフォーキンの正当性と意識の中天秤して、
後悔した要素も。その後はネタ変更。

ところが、ニジンスキー本人は、諦め切れません。あたかも牧神の虜になったがごとく、
抑留中にも、まだ頑張ってコレオグラフィー(舞踊の振付)を作成。ずっと、ずっと、「神」に執着。

病に蝕まれて正常な意識が危うい中、それでも、どうしても描きたくて、
入院の僅か3ヶ月前、彼のラスト公演。それは「神との結婚」発言となりました。



■_牧神の午後、万民的なイメージと、ニジンスキーの描いた世界のギャップ

人々は、無論、この詩の根底に「性」が絡むのは知っているが、それはあくまでぼんやりとした夢だけ
であって、のどかな田園風景と暖かな陽光のロマンチックのみ期待していた率が高かった。
その為、 真意を追求したニジンスキー の振り付が大騒動へ発展。

■うららかな陽の光。のんびりとした田園風景。
広々とした草原。地平線の彼方まで、何も無い。そこにあるのは緑豊かな世界。羊が居て、
羊飼いが居て、羊と羊飼いを守る神、「牧神」が居て・・・。
何んにもない田舎で退屈だから、牧神は暢気に笛を吹いてばかり・・・。

されど、その光景は、都会の雑踏の中、生きる者にとって、空想の中、思うだけでユートピア。
朗らかに、人が人らしく暮らせる憧れの世界。都会の煩雑な日常からふと逃れて、仮に、
こんな暮らしができたならばいい。人はふと夢で憧れる。
ドビュッシーの曲、『牧神の午後への前奏曲』が、それをさらにふんわりと包み込む。

人々は、その朗らかさな架空の世界、ふんわりとした夢の境地をイメージしている。
ディアギレフの率いるバレエ・リュスによる『牧神の午後』上演の際、人々は皆、それを期待していた。
美しくて、のどかで、限りなく心のびやかで・・・。

なんといっても、あの美少年ニジンスキーが主演とくるから、
うっとりするような美しい動きと表情、さぞ華麗で、素敵なスーパージャンプを
再び見せてくれるにちがいない。・・・皆の期待は、ざっとこんなところだっただろうか。

その一方で、ニジンスキーは

■美しい世界を超越して、真意を表現しようとした。それこそ美と考えた。

現実の壁に屈して、絶望、懊悩。その姿を熱演した。
綿雲みたいに、意味不明にぽわん!とした曖昧な美しさじゃなくて。それが、彼の振り付。

b9.jpg
愚かしくも欲して止まぬは人の常、
結果屈して醜態を曝すも人。
人らしいからこそ、真意の美ではないのか?

ニジンスキーの振り付が、冒涜!淫!と
ブーイング騒動となる。

現れたニンフ達に誘惑を試みるも、皆逃げ去り、
牧神は絶望。ふと気がつくと、彼女達の一人が、
あわてて落としていったベールが一枚。

その時、牧神は・・・。
大熱演のニジンスキー・・・だったのだが、
責めの嵐が・・・。

しかし、これが騒動になった。冒涜!淫!と猛烈攻撃を受ける。
淫!と攻撃された訳、上のイメージ図から、なんとなく解りますか?彼は、あくまで芸術。
しかしながら斬新。 「愚かしくも欲して止まぬは人の常、結果屈して醜態を曝すも人。」の表現を、
この場合は、ニンフ(=妖精のような)が落としていったベールを見つめ、思わず、
自ら慰めるらしき振り付けを行った。失恋して絶望した男の姿を、彼は、彼流に描いた。
人らしく。人だからこそ愚かしく、それゆえ、醜態を曝すも人・・・という詰め。
だが、これが、大騒ぎとなった。

前頁の 「牧神の存在の資料表」 内の「衣装に係る内容」のとおり、今日の美的感覚では、
まさに素晴らしい芸術と感じられるが、多くの婦人達が期待していた
「可愛らしい美少年」は、実に奇異な衣装で登場する。

その上、『絶望、懊悩』の表現は、人々にとって、
グロテスクと感じられた。

また、主題をそこに提示したニジンスキーの今回の演技は、
上記内容である以上、華麗に宙を舞うスーパージャンプの
連続披露はしなかった。



前回の公演_ 宙に静止した美少年
1911(21歳)『薔薇の精』脚光

驚異的跳躍力。華麗に宙を舞うスーパージャンプの
美少年。しかも、宙に静止するという。
曳き込まれる!怖美しい!異次元の世界。

その噂で、持ちきりだった。人々の期待していたイメージは、
まさにこれだった故、衝撃的だった。

b10.jpg
こんなに、こんなに、大熱演だったのに・・・。
絶望の牧神の姿。

■どん底に突き落とされたニジンスキー。
人気絶頂の若いエース。前回の「薔薇の精」の振り付は、
ベテランのフォーキン。

対して、今回は、『振り付』という大仕事も
彼自身に任された。猛烈に頑張った結果が
まさに因縁のごとく。闇の教訓。
有頂天は身の破滅を招く!分相応を弁えよ。

の領域に陥った。・・・


<まるで運命は因縁!彼が描き出そうとした世界の呪い!が、彼本人に乗り移ってしまった!!>

<No.2&No.3ご参照:現在頁下側に頁移動ボタンあります。>

■サテュロス(唯一でなく複数居る)のひとり マルシュアースは、

hataアポローンと音楽の腕を競って敗れ、
生きながら全身の皮を剥がされて死んだという恐ろしい結末が、この神話の
主人公「サテュロス」の宿命。発端は拾った笛に
篭められていた呪文
それと知らず夢中になり身を滅ぼす話・・・なのだが、
まさに!ニジンスキーの人生そのものが、ソレになってしまった!!


  • 名誉の振り付け師の座を剥奪されたのがベテラン「フォーキン」。
    丁度、神話の中、笛を捨てた人物みたいな・・存在。小僧のニジンスキーに地位を奪われた。

  • 分わきまえず・・じゃないが、まあ経験浅い若者「ニジンスキー」は、あたかも
    呪いの呪文の笛を拾った「サテュロス」同様の結末。夢と可能性、全て、病魔の餌食となり、
    生きながらにして、皮を剥がされて殺された 「サテュロス」そっくり!!恐ろしい!因果。
  • 「ニジンスキー」は、生きて命あれど、廃人。人は狂人と言う。精神が蝕まれているから。
    命がけで頑張ったバレエの世界に、二度と復帰できぬ人となる。やがて入院。
    生きながらにして、皮を剥がされてしまった!!



前の頁から読む: No.1 No.2 No.3 <No.4は現在頁

『牧神の午後』とは前述のとおり、あくまで芸術の世界ですが、かなり「円熟の性」が絡む題材。
20歳をちょいと越したばかりの青年の人生経験からでは抽出するは、かなり背伸びであったのは否定
できない。前述のとおり1912年の初公演の際は、芸術と、各芸術家への冒涜!とばかり、
『淫』の烙印を押されるところだった。

無論、市民の中にも支持者は居た。それらの少数支持者とは、神話理解派のインテリ達。
彼らの主張は、「これを『淫』と言うなれば、それは貴殿の無知の証。貴殿が神話を理解してない
証拠だ!」という主旨。とにもかくにも、町の人々までが大論争。

何はともあれ、幕が降りた途端、ブーイングが発生したのは、ニジンスキーにとって、
相当悔しい思いをしたことだろう。

この時、劇場側は素早く対処。「新型の芸術は一回見ただけでは理解できぬものです。ではもう一度。」
とスピーチ。その上、なんともう一回やり直して見せるはめになり、また、後日2度目上演の際は
トラブルを懸念して、初回とは異なる振り付けに切り替え、軌道修正した経緯がある。
何れにせよ、ニジンスキー本人として、満足な仕上がりではなかったことになる。

斬新すぎて人々に理解し難かったのも事実。現に、ニジンスキー以前に、この発端ともいえる
マラルメ( 前頁表 ご参照)の詩も、つっかえつっかえ、世に出るまで大変手間と歳月を要した題材。

しかし、ニジンスキー本人は、満足な仕上がりにならなかった最大の原因を、己の未熟と自責。
今度こそ、大成功させたかったのだろう。


【未熟とは・・・】

振り付家としての経験不足もあるところながら、まず題材がサガだから、20歳そこらの
自分のサガ経験では、相当無理があったこと、背伸びしたこと、結婚して初めて強烈に自覚
したかもしれない。

裏を返してみるなれば、もしも、あの時、ニジンスキーが、本題そのものからかけ離れた
美しく綺麗なバレエばかりに固執して仕上げて、観衆の期待どおり華麗なるスーパージャンプ
の連発披露していたとしたら、確かに無難であり、ブーイング発生はありえなかったものの、
敵は、きっと「あの若者は、そもそも、この神話の本題を把握していない。」だとか、
「あの年齢では、抽出できるわけがない。」だとか・・・、そんな形での攻撃が発生しなかったとは
断言できない。



というわけで、かつて『牧神の午後』を上演した時、ニジンスキーは、どの程度の経験あったのか不明
ですが、少なくとも「円熟の性」ではなかったはず。唯一、快楽とやら・・・なれば、ディアギレフとの縁で
知ったから知らぬか程度。その段階で、この難しい題材を演じたのだから相当無理があった。

その苦い経験で、心は再度、今度こそ誠の『牧神の午後』再上演を・・・と夢見ていたのではないだろうか。
そう思えてしかたない。

知識先行、目や頭で覚えた芸術知識と肉体的、人生経験的アンパランスが、自分自身
稚拙に思えて、心の中、つっかえていたのではあるまいか。

しかし、今は異なる。愛して結ばれた。妻が居る。夫になった一人の大人の男。
きっと、ニジンスキーとしては、大人になった自分の本当の『牧神の午後』をもう一度TRYした
かったのだろう。小僧の背伸びじゃなくて。

しかし、戦争と抑留、恐怖。苛まれた精神と戦いながらのこと。
美を追求する感性豊かな人物故、『牧神』の存在そのものが脳内で絡んでは縺れ、
終いには感性が輝く程、その精神が追い詰められて支障に至ったかもしれない。


■3_「馬に生まれたい」発言にモノ思う




ニジンスキーは、「今度生まれる時には、馬になりたい」
と語ったとされている。
また、入院直前に書き上げた彼の書のタイトルは
「神と肉体」。神の存在の描写を、彼がいかに必死で
模索していたかが伺われる。彼は、描き出す為に、随分
神話研究に没頭して深めた。


前回の公演『薔薇の精』の時、彼の高い跳躍は、
あたかも宙に停止したかのごとく、観衆は皆錯覚したという。




もっと華麗に、もっと高く跳びたい。飛ぶがごとく、もしも人が跳べるものなれば・・・。
・・・これは、技術面側で、欲して止まぬ永久の願望。
ギリシア神話に登場する複数の馬達の内、翼を持つのはペガサス。

もっと高く、もっと自由に飛びたい。

それは、人の領域を脱して、神・・・ではなく、むしろ馬。美しい鬣をなびかせ、逞しい四肢。
人に生まれた者に許された能力を遥かに上回る・・・鮮やかな跳躍。それは馬。


夜空に蘇れ!天翔の翼、蒼く輝け!幻のペガサスよ!
b12.jpg
もっと艶やかに、飛びたい。
もしも天が許すなれば
・・・飛翔の時を得られるなれば、
もっともっと高く飛びたい。

もっと自由に、
何者にも囚われることなく、
華麗に高らかに飛びたい。

跳ぶだけじゃなくて、
囚われることなく自由に
飛翔の時を得たい!!


彼が思い描いた夢の世界だったかもしれない。



輝ける脚光の人は永久の
『囚われ人』だった。


ある時は、愛の虜になって苦しみ、
やっと鳥篭から逃げたら、今度は戦争による抑留。
そして最後は妄想に囚われた。0183.gif



まさにシューティングスターのごとく、蒼く蒼く燃え尽きたニジンスキー
0183.gif輝いた男の生命は儚かった。眩い程に輝いて瞬く間に、
夜空の彼方、消え去った。蒼く蒼く輝いて、燃え尽きた。


Shooting star*_Vaslav Fomich Nijinsky

b11.jpg
せめて、夢の中、天に翔て
高く高く舞い上がれ!
もっともっと自由に、
のびやかに翼広げて、
羽ばたいてくれ!

夜空に輝いて、もう一度
その鮮やかな姿を見せてくれ!

ニジンスキーよ、貴方は
愛されているのだから・・・。


a1.jpg


Shooting star*_Vaslav Fomich Nijinsky
ニジンスキーが演じたその他・補足
無機質の人形、ピエロ、踊り子・・・全部「悲しみ」の象徴

_


このバレエ『ペトルーシュカ』のテーマで
ニジンスキーが描いた世界は、
人格を否定された人形が、人に恋する!!
許されぬ愛!!
  • ペトルーシュカ人形を楽天から発見できなかった為、
    イメージ用に、別タイプ別国商品ながら。
  • この上なく悲しんでいるのに、人形だから、とんちんかん
    な顔して、思いを伝えたくてもギクシャクとして・・
    だからこそ、ますます悲しい!

前述数ページに及ぶ今回の特集では、「薔薇の精」と「牧神の午後」を中心にまとめましたが、
彼が演じた作品の中、『ペトルーシュカ』も印象的。

『ペトルーシュカ』とは、人形。藁で作った無機質の・・・ただの人形。
その単なる人形が、恋をした!・・・その悲劇を、ニジンスキーは見事演じきった。

ものの例えに、よく言われる象徴言葉。 無機質の人形、ピエロ、踊り子。全部「悲しみ」の象徴。
人形の『ペトルーシュカ』とは、平たく言えば、いうなれば「ピノキオ」みたいな存在。

hataこれを演じたニジンスキーは、ピエロのような とんちんかんで派手な衣装を着て、
主人公が人形だから、ぎくしゃくと、ぎこちない動きで踊る。
顔の表情も、すっとんきょうで・・・。みごと人形。


だがしかし、これには、思わず、泣けてしまった。

他の作品と異なり、題材が人形だから、情熱的で人間的な動きをできない。
顔も、恰も無表情。 この制約事項の中で、見事に「最大限の悲しみ」を、彼のバレエに描き切った。
  • (これは、演じる側として、猛烈に難しい!熱心になればなるほど、人間臭くなってしまうから。

とんちんかんな人形が、くるりくるり、ぎくしゃく動く。人目を避けて、誰も見てない時に、
一人、悲しみの演舞。 人形なのに、恋をしてしまったから!!苦しくて、悲しくて!

彼は人間ではない。人格を否定された人形。だが、人を愛して恋する気持ちは、生の人間と同じ。
だけど、人形だから、それは許されない。また、なんとかして、それを表意したくても、
五体が人形。だから、ぎくしゃく。己自身、苛立ちと悲しみ。

無機質の人形『ペトルーシュカ』を題材に象徴したこの作品。秘められたものは、奥深い。
それは、封じ込められた制約の存在を強いられた存在の人。人なのに、人じゃない。
自由は許されない。最大限の「悲しみと苦しみの感情」。

ロシア史には、 農奴の存在 が。おそらくだが・・・、これと無縁では、あるまい。
人格の否定が、隠れ潜んでいる。

この難しい題材をみごと、描ききった彼。それは、彼自身、懊悩していたから。
最大限に描きたい。クリエイトしたい。だが、アーティストの壁。度重なるスランプ。

動きたくて、描きたくて、もがき続ける。それは恰も、赤い血が流れる人間と異なる人形のごとく。
これが、暦年、彼に蓄積してゆく。

もしも、翼があれば。もしも、魔法の力が得られたら・・・。もっと自由に、もっと高く飛躍できたなら。
脳内に蠢く牧神の魔術の生贄。戦争と差別。拘留。転落。精神を蝕まれた病。
今度、生まれる時には、馬に生まれたい・・・。謎めいた発言を残して、ニジンスキーは冥土へ。



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