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史実暗示発掘,常陸国佐竹氏と頭白上人特別資料編No.8:頭白上人出自考察表:佐竹一族VS怨敵_小田一族,昔話に史実の暗示発掘,【特別資料編_「頭白上人」出自考察】:佐竹一族_VS_怨敵「小田一族」◆「頭白上人」と佐竹氏の過去_謎を紐解く特集のTOP、◆頭白上人の出自考察「=親探し」にキーを握る人物探察表<◆現在シリーズ直前の頁から読む=No.7「頭白上人」なる謎多々のお坊様が、1516年:五輪の塔建立時、発言。「いつか次世代の世、武士に生まれ代わって、必ず小田に復讐してやる!」彼は佐竹一族の血と思われますが、事情によって僧の身。そこで、現在の表は、彼の出自を考察する為の一覧。考察の基本&解説は、本文からどうぞ。永年バトルの佐竹と小田の間、政略上の婚姻、養子は、半人質同然。摩擦が生じると当然犠牲発生。また、屈服時には、主な男児を涙呑んで出家させて凌ぐ。「頭白上人」もなんらかの犠牲を背負った身。謎多々の人物「頭白上人」の親を、以下表をご参考に、探索してみて下さい。・尚、本文にも記載しましたが、彼は必ずしも佐竹本筋ではなく、枝葉家系の可能性もありますが、考察領域が膨大化するため、現在表は本筋にスポットしてます。歴代佐竹◆数字は、当主として何代目の意、◆左端セルのアルファベットは分類上の群、◆左端セルの◎、△、×:「頭白上人」上発言時を基点に、この人物の生存期間として可能か否か、・(◎=可能、△=多分死亡後、×=無関係の古い時代、及び、死亡済時代)◆(注意】:この一族は、暦年の間、まるごと同姓同名が居ます。・・◇佐竹義重(4代目、18代目)、◇佐竹義篤(9代目、16代目)、◇佐竹義宣(10代目、19代目)・・他歴代佐竹常陸国|茨城県時代A×1.佐竹昌義、 2.佐竹隆義、 3.佐竹秀義 、4.佐竹義重 、5.佐竹長義、 6.佐竹義胤 、7.佐竹行義、 8.佐竹貞義 、9.佐竹義篤、10.佐竹義宣(1346~ 1389)、11.佐竹義盛 、12.佐竹義人(上杉憲定の次男。婿養子IN)、13.佐竹義俊B~【B群】14.佐竹義治、15.佐竹義舜、16.佐竹義篤義篤 、17.佐竹義昭 (1531~1565)、・・:【頭白上人出自関連世代&上人発言時の世代】【C群】18.佐竹義重:【小田氏を破り、小田城を奪取世代】【D群】19.佐竹義宣:【常陸国を去り、久保田藩(秋田)移住世代】【E群】20.佐竹義隆以降のメンバーは、現在頁一番下行 :【上記の19代義宣をスタートに、以降奥州の久保田藩(秋田)暮らしの者世代】B◎佐竹怨敵小田氏と小田城コメントいずれの家も地域の名家。双方、鎌倉府の「関東八屋形」に列せられた身分。ライバル&宿敵。◆主な本拠地:(常陸国太田、水戸、出羽国久保田)◆清和源氏(祖:新羅三郎義光)◆家祖:佐竹昌義 ◆出身地:常陸国久慈郡佐竹郷◆本拠:常陸国筑波郡小田邑(茨城県つくば市小田)◆家祖:八田知家(宇都宮氏の一門)14代:佐竹義治(1443~1490)一旦太田城から追放される。後で帰り咲く。だが、一族内紛の真最中で、佐竹の弱体化。小田成治(1449~1514)=小田政治の養父。娘の一人が、怨敵「佐竹」の「佐竹17代義篤(=左斜下枠)」に嫁ぐ。頭白上人曰く。「いつか次世代の世、武士に生れ代って、必ず小田に復讐してやる!おのれ!小田左京大夫!小田城を奪ってやる」<小田左京大夫とは、真下▼この人物>15代:佐竹義舜(1470~1517)岩城常隆の娘婿。一族内紛:「山入氏」に敗北。太田城を追われる。舅の岩城常隆を頼って大山城に居住。1504年太田城回復。この後、佐竹一門内紛の種上記の「山入氏」を滅ぼし安定化に尽力◎(1516年)頭白上人発言事件16代:佐竹義篤(1507~1545):妻は小田成治(右斜め上枠)の娘小田政治=左京大夫(1492~1548)頭白上人が憎む張本人17代:佐竹義昭 (1531~1565)C△?18代:佐竹義重(1547~1612)<佐竹勢力を倍増拡大した英雄的存在人物>★永禄12年(1569)手這坂の戦いにて小田城奪取。小田氏治(1534or1531~1602)佐竹に小田城を奪われた張本人。D×19代:佐竹義宣(1570~1633)・◇生れは太田城→居城変更「水戸城」へ。・◇関が原(1600)の後、秋田へ左遷。(1602~1633年は移封先の久保田(秋田)藩主 )<小田城その後>佐竹の支城的役目=佐竹親戚筋が城主◆元亀元年(1570):太田資正。◆同元亀3年(1572):梶原政景(太田資正の倅)。他:小場義宗(17代当首佐竹義昭の3男)他が城主<しかし、廃城に!>佐竹家の転封に伴い、慶長7年(1602)廃城。・・<小田氏のその後は現在頁最下段>久保田藩|秋田世代×E×19.佐竹義宣(1602-1633)、20.佐竹義隆(義宣弟岩城貞隆長男)、21.佐竹義処、22. 佐竹義格、23.佐竹義峯、24.佐竹義真、25.佐竹義明、26.佐竹義敦、27.佐竹義和、28.佐竹義厚、29.佐竹義睦、30.佐竹義堯、・・(廃藩置県)以降略小田氏のその後◆1569年:小田氏治は佐竹義重に敗れ「小田城」喪失。◆1583年:佐竹氏に完全に臣従。◆1590年:大名としての小田氏は滅亡=豊臣秀吉に所領を没収され、結城氏と佐竹氏に分割配分される。理由は、秀吉の小田原征伐に無参加。命令よりも、自分の所領奪還に夢中。勝手な戦をやっていたから・・という理由の罰を受けた為。さらなるその後=この一族は、ここで絶滅したわけでない。◆1591年:小田氏治は、浅野長政の仲介で秀吉に謝罪。結城秀康(※)に娘を側室として差出し、以降秀康客分として凌ぐ。・結城秀康(※)=【徳川家康の次男、豊臣秀吉の養子だったが、後でさらに結城晴朝の養子に出される。】<結城秀康関連>家康の倅一覧(落胤込み)リンク表家康の正妻2人+15人の側室、及び、その生んだ倅総括一覧徳川家康の「女達」Sec.3「氷見のお万の方」&「結城秀康」◆小田氏治の倅、「小田友治」は、別名「八田左近 」。これは後に、先祖の名、八田に改名した為。子供の時、北条氏康との同盟の証として人質に出され、以降、北条氏の家臣。北条滅亡後は秀吉の家臣に。家康時代には、上記の結城秀康の家臣に。サイトTOPは犬猫サイト<「頭白上人」と佐竹氏の過去_謎を紐解く<謎解きNo.1<・・<No.7<No.8(現在頁)=【特別資料編_「頭白上人」出自考察】:佐竹一族_VS_怨敵「小田一族」
2013.08.12
史実暗示発掘,常陸の国佐竹氏と頭白上人,昔話_お化けの団子と頭白上人と佐竹氏の過去_謎を紐解くNo.7,他愛ない昔話から史実の暗示を発掘,史実と実在の当該人物追及シリーズ,常陸国「佐竹氏」と、「頭白上人」_No.7伝説の「頭白上人」と佐竹氏の過去_謎を紐解く(SERIES_9)「頭白上人」が「小田政治:左京大夫(1492~1548)」を憎む訳を考察【第2項目】_その3ぐんと後の世、佐竹義宣なる人物の発言。「我は、頭白上人の生まれ代わりじゃ!!」「小田城」のその後と、佐竹内の「枝葉」考察領域拡大ヒント初めから読む=謎解き編のNo.1(謎解きのポイントMENU)<前頁から読む=No.6・・関連:「頭白上人の出生伝説」=「昔話_お化けの団子_No.1&No.2」その後の城主ところで、「佐竹」が「小田」から奪った「小田城」について:その後、城主は、◆翌元亀元年(1570):に太田資正。◆同元亀3年(1572):梶原政景(太田資正の倅)。他:小場義宗( 17代当首佐竹義昭の3男 )など、親戚縁者が城主を務める。そもそも、佐竹の本拠地は、常陸国太田。家祖「佐竹昌義」の出身地は、常陸国久慈郡佐竹郷だが、その後の基点は、上記の太田と水戸。即ち、小田城は、佐竹の手持ち時代、いわば支城の役目。その為、佐竹家の中、最高家格の者が入ることはない。地位的にはサブ。▼「頭白上人」のいかにも悔しそうな発言から想定されるのは、おそらく、天の巡り如何では、「本来なら自分がここの城主なのに!!」・・のニュアンスが漂うことから、支城担当の家系か?とも解することもできる。となれば、捜索の網(=頭白上人の親探し)を、一族内の各枝葉まで、相当広めねばならない。▼その為、「頭白上人」が必ずしも、ジャスト「佐竹」の苗字かどうかは複雑すぎて断言できないが、少なくとも、佐竹一族にはまず、間違いないだろう。「頭白上人」がここまで執着した小田城のラストは哀れ。佐竹が、この城をゲットするのは、随分早期であり、永禄12年(1569)。「頭白上人」が叫んだのは永正13(1516)年だから、53年後。ところが、前述のとおり、関が原の戦_慶長5年(1600)の戦後、佐竹は、久保田藩(秋田県)に転封されてしまう為、この移封に伴い、慶長7年(1602)、なんと!この城は廃城にされてしまった!!この城「小田城」に係る夢も、悲しみの歴史も、全て水の泡!!それでは、前述延々、各頁の話が、何に由来するか、「考察年表」を次頁に添付します。枝葉親族まで広げると膨大化する為、本筋「佐竹」歴代にスポットしてますが、確かに、本筋内だけでも、敵方に人質同然の養子、及び、政略の婚姻は、各世代、複数存在してます。お子様バージョン昔話の中の重要キーワード。▼「婿は舅と反りがあわず家出。妻はお家を捨て、夫を追い、これまた家出。」が暗示するパターンに該当しそうな人物は、・・つまり、たくさん居ます。なんといっても、この時代の欠点は、女性に係る情報が実に薄いこと。死亡状況なんて殆ど皆無。母側から追求は不可能。婿側からも、ズバリ!この人物に違いない!と割り出せないのは残念ですが、随時、【No.6】のミニ表:「この時代前後に実在する佐竹一族と、怨敵「小田」側の人物」と見比べながら、そこから先は皆様、十人十色の捜索ゲームをどうぞ!!NEXTは【特別資料編】「頭白上人」と佐竹氏の過去_謎を紐解く「佐竹一族_VS_怨敵「小田一族」考察年表サイトTOPは犬猫サイト<他愛ない昔話から史実の暗示を発掘,史実と実在の当該人物追及シリーズ【関連】「昔話お化けの団子」<No.1<No.2【謎解きコース】「「頭白上人」と佐竹氏の過去_謎を紐解く」<謎解きNo.1<・・<No.6<No.7(現在頁)<★NEXT_No.8ここに記事が一番たくさんあります!▼
2013.08.11
史実暗示発掘,常陸の国佐竹氏と頭白上人,昔話_お化けの団子と頭白上人と佐竹氏の過去_謎を紐解くNo.6,他愛ない昔話から史実の暗示を発掘,史実と実在の当該人物追及シリーズ,常陸国「佐竹氏」と、「頭白上人」_No.6伝説の「頭白上人」と佐竹氏の過去_謎を紐解く(SERIES_8)「頭白上人」が「小田政治:左京大夫(1492~1548)」を憎む訳を考察【第2項目】_その2ぐんと後の世、佐竹義宣なる人物の発言。「我は、頭白上人の生まれ代わりじゃ!!」血族の臭い!「血の遺伝!」と、複数の白髪人物の暗示_その2初めから読む=謎解き編のNo.1(謎解きのポイントMENU)<前頁から読む=No.5・・関連:「頭白上人の出生伝説」=「昔話_お化けの団子_No.1&No.2」歴代佐竹の中、政略結婚の生贄、犠牲の人質同然の養子なども多い。敵側に差し出される。そして、ズバリ!怨敵「小田」側から取った養子や縁組もある。例えば、10代目側の同姓同名「佐竹義宣(1346~ 1389)」は小田の血。かなり優秀な人物だったが、小田混じりとして、警戒されて、監視の目を生涯背負っている。こうしてみると、小田も佐竹も、お互いさんながら・・・。尚、佐竹が暫し弱まっていた理由のひとつに、お家内分裂で余計な労力損失。佐竹一門の内紛、山入氏とのいざこざは100年以上続いた。「頭白上人」の過激発言時「、永正13(1516)年」、・・この時代前後に実在する佐竹一族と、怨敵「小田」側の人物詳しくは後続頁『【特別資料編】佐竹一族_VS_怨敵「小田一族」考察年表』に記載します。現在頁には、簡単に略型。 尚、真下に表記した人物以外にも、こーゆー緊迫時は特に、養子(人質)作戦、及び、敗戦後、惜しい倅を他意無しの証として出家させてしまう例は多大。この時代前後に実在する佐竹一族と、怨敵「小田」側の人物頭白上人の出自考察「=親探し」にキーを握る人物佐竹頭白上人小田◆怨敵同士の政略結婚「=人質同然」の者の存在が明確なPOINT=頭白上人の出自考察に重要な当該人物=物語伝説に落ちてるヒント「婿は舅と決裂家出、妻は追って家出の果て死亡」の暗示に近い事象彷彿場面(気になる事象を色付の太字で記載:追放、婿、嫁など)中央の細い枠=頭白上人発言事件(1516)と、本人生存期間と想定可能の領域14代:佐竹義治(1443~1490)一旦太田城から追放される。後で帰り咲く。だが、一族内紛の真最中で、佐竹の弱体化。◎小田成治(1449~1514)=小田政治の養父。娘の一人が、怨敵「佐竹」の「佐竹17代義篤(=左斜下枠)」に嫁ぐ。15代:佐竹義舜(1470~1517)岩城常隆の娘婿。一族内紛:「山入氏」に敗北。太田城を追われる。舅の岩城常隆を頼って大山城に居住。1504年太田城回復。この後、佐竹一門内紛の種上記の「山入氏」を滅ぼし安定化に尽力◎ (1516)発言事件16代:佐竹義篤(1507~1545):妻は小田成治(右斜め上枠)の娘小田政治=左京大夫(1492~1548)頭白上人が憎む張本人17代:佐竹義昭 (1531~1565)◎以降3名は、頭白上人の出自紐解く「=親探し」には無関係=小田城を佐竹が奪取した重要史実の関連者18代:佐竹義重(1547~1612)★永禄12年(1569)手這坂の戦いにて小田城奪取。 △?多分死亡小田氏治(1534or1531~1602)佐竹に小田城を奪われた張本人。19代:佐竹義宣(1570~1633)関が原の後、秋田へ左遷。多分×死亡後→中央枠解説佐竹義宣が「己は頭白上人の生まれ変り」と言っている以上、頭白本人は既に死亡済のはず。「小田城」のその後と、佐竹内の「枝葉」考察領域拡大ヒントサイトTOPは犬猫サイト<他愛ない昔話から史実の暗示を発掘,史実と実在の当該人物追及シリーズ【関連】「昔話お化けの団子」<No.1<No.2【謎解きコース】「「頭白上人」と佐竹氏の過去_謎を紐解く」<謎解きNo.1<・・<No.5<No.6(現在頁)<★NEXT_No.7
2013.08.11
史実暗示発掘,常陸の国佐竹氏と頭白上人,昔話_お化けの団子と頭白上人と佐竹氏の過去_謎を紐解くNo.5,他愛ない昔話から史実の暗示を発掘,史実と実在の当該人物追及シリーズ,常陸国「佐竹氏」と、「頭白上人」_No.5伝説の「頭白上人」と佐竹氏の過去_謎を紐解く(SERIES_7)「頭白上人」が「小田政治:左京大夫(1492~1548)」を憎む訳を考察佐竹の手持ちに化した「小田城」_もしや、頭白上人の祈りは、天に届いたか?【第2項目】_その1ぐんと後の世、佐竹義宣なる人物の発言。「我は、頭白上人の生まれ代わりじゃ!!」佐竹一族の挽回!勢力回復時代到来!初めから読む=謎解き編のNo.1(謎解きのポイントMENU)<前頁から読む=No.4・・関連:「頭白上人の出生伝説」=「昔話_お化けの団子_No.1&No.2」「頭白上人」のおっそろしい!祈りが天に届いたのでしょうかネ!!佐竹一族の念願、叶って、返せ我らが領土!は・・・返ってきた領土!!となる!!▼小田は、手這坂の戦い(永禄12年(1569))に敗れ、小田城は佐竹氏のものとなる!!そのスーパーヒーローは、 佐竹義重(1547~1612:佐竹18代)でありました。この人物は、佐竹義宣なる人物のお父さん。「頭白上人」の夢は、比較的早く叶ったことになる。そして、その次世代「佐竹義宣」が語る。「我は、頭白上人の生まれ代わりじゃ!!」急降下、晩年の「小田左京太夫」前述のとおり、「小田政治(1492~1548)=小田左京太夫」とは、まさに小田家のスーパーヒーロー。ところが、晩年、流石に弱ってまいります。 運命の分かれ道は、天文14(1545)年。河越夜戦での失敗。彼は足利晴氏に味方。ところが、結果は敗戦。ここで運命の女神は小田に手の平を返す。急上昇の折れ線グラフは、突如、急降下へ向かう。そして、極み付けは、倅「小田氏治(1534or1531~1602)」。頼りの倅ながら、彼も彼流、かなり頑張るが、強豪、上杉謙信に、やられた後の傷が深い。苦境続き。弱った暁、そこで、もれなくご登場が、 佐竹義重(1547~1612:佐竹18代)でありました。人の弱みに付け入るは、戦国の掟!チャンス到来!佐竹義重が襲い掛かる!!▼★永禄12年(1569)、手這坂の戦いにて、小田氏治は、佐竹義重にコテンパー!にやられ敗戦。なんと、小田城を佐竹に奪取されてしまった!!小田氏治とは、「頭白上人」が死ぬほど憎んだ男「小田政治=小田左京太夫」の倅であります。▼「頭白上人」のおっそろしい!祈りが天に届いたのでしょうかネ!!倅の代に祟り?!佐竹義宣曰く「我は、頭白上人の生まれ代わりじゃ!!」発言の意味あいを、よ~く考察まず、佐竹義宣とは、歴代佐竹の中、最低でも二人は居ます。一人目は、10代目「1346~ 1389」。そして二人目が19代目「1570~1633」。つまり、ここでいう当該は、後者、19代目側の佐竹義宣であり、前述の佐竹家スーパーヒーローの佐竹義重(1547~1612:佐竹18代)の倅。その彼が発した言葉が、「我は、頭白上人の生まれ代わりじゃ!!」なのであります。初め、これを読み知った時、思わず頭抱えました。▼英雄は、親父の義重であり、小田城を奪い取ったのも父の実績だというのに、なぜ、彼がこの発言?▼かなり、悩んだわけですが、恐らく、「臥薪嘗胆の身」を語ってるのではないかと思います。まさか、父の実績を自分の実績と錯覚するほど、彼は「お目出度い!性格」ではありません。彼は、かなりの苦労人・・・ですから。<苦労人_19代目当主_佐竹義宣>1600年の関が原では、一種灰色高官が発覚。戦後処理は、久保田(秋田)藩に転封されてしまいます。彼は、石田三成の義(※コレ、別枠に後述します。)を立てて、西軍に加担していたのです。かつて、己を救ってくれた男「石田三成」を裏切れなかった。▼首は繋がったものの、左遷。当時、秋田といえば、ああ絶望!!奥州の果て!!▼無論、この背負ったマイナス要因は、1614&1615年の大阪の陣(冬&夏)で、名誉挽回。久保田藩の手柄は多大。おかげで、無事、秋田で佐竹は歴代繋がる。そこで、あらためて佐竹義宣発言のおさらい:「我は頭白上人の生まれ代わりじゃ!!」・の意味恐らく、「臥薪嘗胆の身」を語ってるのでしょう。己は、堪え凌ぎ、されど、子孫の為、己は自ら、踏み台、礎となって影で支えよう。・・・示唆するは、そんな、あたりではなかろうか。▼唇噛みつつ、我が身を僧の身のまま無念にも果てた「頭白上人」の苦しみを、己の身に重ねている。・・・それは、一族の為に。己を堪えた。人一倍、一族の未来を祈る。ここでいう「臥薪嘗胆」とは、一般的なニュアンスと少々異なる。心の誓いは絶大なれど、客観的に見ると動作的には、かなり静的。堪えているから。血族の臭い!「血の遺伝!」と、複数の白髪人物の暗示_その1もうひとつ、「頭白上人」が、佐竹の血ではなかろうか!!と思えるポイント・・<これもヒントの主は「19代目側の佐竹義宣」>まず、どうやら、佐竹義宣は、若白髪の傾向があった様子。「頭白上人」のように、先天的に真っ白ではないでしょうが、もしかして、遺伝とは言わないが・・・その傾向か?実は、この佐竹義宣、「白髪」のキーワードに、余程ご縁があったらしく、転封先の久保田藩時代にも「白髪老人」の夢を見ています。夢枕、白髪老人が現れ、夢のお告げ。その仙人のような「白髪老人」曰く。「我は、この地の白狐。せめて、ほんの僅かとて、我らにも、領地をお与え下され。」▼なんだか、自然動物との共存、環境保全みたいな・・・妙っ!な暗示ですが。実は、この話は、別件、秋田側に残る別の伝説。白狐の正体らしきに絡むのが、「飛脚の与次郎」という男。長くなるので、現在特集では詳細割愛。しかし、暗示するのは、困窮の身の者。「困窮の身」といえど、それは、単に貧しいという意味以外で、関が原の結果、負け人側(西軍)に加担したハンディを背負う者もその対象。佐竹義宣(19代当主)は他所者も人材登用している。与次郎も他所者。彼は哀れ、何者かに殺害されてしまった。隠密の嫌疑もかかったようだ。佐竹義宣は、大層、彼の死を嘆いて哀れんだと言う。(この話伝説的ながら、暗示は奥深い。)因みに、関が原の首謀者として、斬首された西軍の実質TOP「石田三成」の渾名は「佐和山の狐」。救いたいのに救えなかった男。救いたいのに救えなった己、心の罪の呵責。これは辛い。己が背負った損よりも、永久に心に痛い。佐竹義宣とは、「義」を貫きたいが故に、損を被ったり、悩んだりの人生。★見捨てるのが下手な人。★ 悩めるハムレットじゃないが・・・義の為に、絶えず懊悩する人であった!いずれにせよ、佐竹義宣は、相当、心に「頭白上人」の存在が随時、ひっかかっていたようだ。一族の為に、背負った己の宿命に耐えて、それでも尚、一族の繁栄を祈った苦渋の人。何か共通点があるのだろう。伝説に登場する「頭白上人」の言葉は過激だが、裏を返すと、発言こそ過激なれど、結局、行動は、一族全体を思うが故、耐えて偲ぶ側に留まったのではなかろうか。歴代佐竹の中、サイトTOPは犬猫サイト<他愛ない昔話から史実の暗示を発掘,史実と実在の当該人物追及シリーズ【関連】「昔話お化けの団子」<No.1<No.2【謎解きコース】「「頭白上人」と佐竹氏の過去_謎を紐解く」<謎解きNo.1<・・<No.4<No.5(現在頁)<★NEXT_No.6
2013.08.11
史実暗示発掘,常陸の国佐竹氏と頭白上人,昔話_お化けの団子と頭白上人と佐竹氏の過去_謎を紐解くNo.4,他愛ない昔話から史実の暗示を発掘,史実と実在の当該人物追及シリーズ,常陸国「佐竹氏」と、「頭白上人」_No.4伝説の「頭白上人」と佐竹氏の過去_謎を紐解く(SERIES_6)「頭白上人」が「小田政治:左京大夫(1492~1548)」を憎む訳を考察関連:「頭白上人の出生伝説」=「昔話_お化けの団子_No.1&No.2」【第1項目】_その4◆成人した「頭白上人」が、後に建立した「五輪の塔」、◆建立時のエピソードと、本人発言。「頭白上人」が小田左京大夫を憎む訳【◆直因と、◆想定される「永年蓄積した総合的な原因全般」】初めから読む=謎解き編のNo.1(謎解きのポイントMENU)<前頁から読む=No.3まず、「頭白上人」の大激怒事件は、永正13(1516)年、母の弔い塔「五重の塔」建立時。【即ち、直因はこちら。】▼直因=「弔いの神聖なる儀式の最中、鷹狩の殺生を行った不届きが許せないから。」▼しかし、これは、あくまで直因にすぎず、実質的ウェイトは高くない。要するに、恨みが累積しているのです。何もかにも、あやつが悪い!・・イコール=彼が殿様の地位にあること自体が許せない!!全盛を奮っているのが悔しい!そして今、悲しみを負わされた一族を尻目に、鷹狩なんぞという名の遊び!・・・ますます頭に来た!・というかんじ。▼そして、生きながらにして、怨念オバケ!みたいな発言を。▼「小田の城を我が物にしてくれるわ!!次に生まれる時には、必ず武士に生まれてやるぞ!!武士に生まれて、奪取してやる!!思い知れ!」▼この部分は、複数のエッセンスが混入している。暦年、血涙堪えた男の姿が浮き彫り。◆今、己が、悔しながら、僧籍にあること。武士の身と異なる我が身が切ない。情けない。撃つに撃てない。それのみならず、今ここに僧籍にあることは、一族の為、脱する事が許されぬ悔しさ。仮に軽挙して、還俗して戦いを挑むなれば、やってできぬことはないが、一族の誰かが犠牲になる雁字搦めシステム下にある。それが人質。嫁だ、婿だ、養子だ・・・と言いつつ人質。動けば誰かが誅殺される。◆小田城が、小田氏の持ち物であること。かつては、この領域も、我の一族の持ち物だったのに!!・・・と悔しい思い。現世が「小田の世」になってしまった以上、本来、義に相反する事とて申し立てできない。弔い儀式の最中に殺生という不謹慎さえ、勝てば官軍。殿なれば悪も善!!(ここで、ちょいmemo)小田城は、その名からすると、当然「小田」のモノなのだろうが、この城の争奪戦は永年凄い。頻繁に小田の手を離れていることから、結果から見ると、「小田」のモノと言い難い。◆しかも、この直前はその極み付け。複数の覇者が出たり入ったり滅んだり。◆その為、「頭白上人」が「本来なれば、俺のモノなのに!!」と思っても不自然はない。特に、このショートフレーズ部分は、最も悲壮!&絶望的!・・「次に生まれる時には、必ず武士に生まれてみせようぞ!!」▼悲しきかな、「頭白上人」本人が、今すぐ奪還作戦は不可能なのだと自覚しているのが明確。▼現況、小田の全盛は揺ぎ無い。とても、この代のうちに小田を破るは不可能。本音は、おそらくコレでしょう。▼ 「我が一族の時代よ、蘇れ!否、必ず、奪い取ってみせるぞ!!我が代に不可なれば、次世代には、必ずこの屈辱晴らしてやる!」「小田左京太夫」の表記と、「小田政治(1492~1548)」について皆様おなじみの昔話とは少々異なる「民伝承」に、上記の「五重の塔」建立時の事件と発言が、記載されているわけですが、そもそも、こーゆー話全般として、ズバリ人物名固有名詞は記載されません。表記があるのは、「小田左京太夫」のみ。長い年月でゆくと、小田左京太夫は複数居るかもしれません。但し、事件時の永正13(1516)年から割り出すと、当該に「小田政治(1492~1548)」が浮き彫りになりますから、私が、この固有名詞「小田政治」の文字列を追加して記載しています。案の定、この小田政治左京太夫とは、実にやり手!小田家にとって、空前のスーパーヒーロー。彼の代で、小田家はドドッ!と勢力を拡大しております。即ち、敵方の者にしてみれば、なるほど、最も腹立たしい男となるわけです。佐竹一族の挽回!勢力回復時代到来!サイトTOPは犬猫サイト<他愛ない昔話から史実の暗示を発掘,史実と実在の当該人物追及シリーズ【関連】「昔話お化けの団子」<No.1<No.2【謎解きコース】「「頭白上人」と佐竹氏の過去_謎を紐解く」<謎解きNo.1<No.2<No.3<No.4(現在頁)<★NEXT_No.5
2013.08.11
史実暗示発掘,常陸の国佐竹氏と頭白上人,昔話_お化けの団子と頭白上人と佐竹氏の過去_謎を紐解くNo.3,他愛ない昔話から史実の暗示を発掘,史実と実在の当該人物追及シリーズ,常陸国「佐竹氏」と、「頭白上人」_No.3伝説の「頭白上人」と佐竹氏の過去_謎を紐解く(SERIES_5)「頭白上人」が「小田政治:左京大夫(1492~1548)」を憎む訳を考察関連:「頭白上人の出生伝説」=「昔話_お化けの団子_No.1&No.2」【第一項目】_その3◆成人した「頭白上人」が、後に建立した「五輪の塔」、◆建立時のエピソードと、本人発言。小田左京大夫立ち去りて、無念、「五輪の塔」初めから読む=謎解き編のNo.1<前頁から読む=No.2やがて、再び、軍勢の音。馬の嘶き。小田の殿様ご一行が、遠くに駆け去る気配。・・不謹慎にも、この大切な日を無視して、鷹狩で遊んだ殿様は、去ってゆく。風に靡く幾つもの陣幟が、だんだん小さくなって、後は、砂埃が立ち上るのみ。緊張が解けた。周囲の者は、冷汗を拭った。皆が、やっと、この時、一段落。彼らは、寄って集って、怒りに震え立つ「頭白上人」を抑えていたのだった。彼らは、跪いて、己の無礼を詫びた。彼らも泣いている。「ご上人様、今は小田の世でござりまする故・・・。」後半は言葉にならない。その時、「頭白上人」は再び叫んだ。空を仰いで、天空に向けて叫んだ。「おのれ!小田の愚か者めが!小田左京太夫めが!!今に見ておれ!己の愚かさに憂き目を見ようぞ!必ず復讐されようぞ!」ここまで言い切ると、暫し唇を噛んだ彼ながら、再び、台詞を吐ききった。「おのれ!小田左京太夫めが!!我は、次の世、生まれ代わって、次なるは、必ず「武士」に生まれてみせようぞ!・・・そして、小田の城を我が物にしてくれるわ!!思い知れ!!」坊様が叫んだ!我を忘れて叫んでいた!世にも不思議な物語!!「お坊様の雄たけび!」上記の話、少し解説加えます。それにしても、世にも不思議な光景と思いませんか?確かに、弔いの儀式の時、殺生はけしからん。確かに、母への思慕満タン感情の時、滅茶苦茶は、誰しも頭に来る。ところが、このお坊様の血の熱いこと!!そんじょそこらの侍も顔負け!しかしながら、こうして、きっちり、談話が残ってるあたりが、尚のこと不思議。世が「小田の世」なれば、こんなヤバい現場の言動は、あっても、文章にはヤバイから残さない。これは、ジャストお寺さんの者というよりも、彼の傍に居た特殊な存在の者を示唆する。要するに、この「頭白上人」は、なりゆきお坊様ながら、本来なれば、どこぞの若様。皆様ご存知の解り易い例でゆくと、時代も場所も全然関係ないですが、源頼朝や源義経あたりのお子様時代を思い浮かべて下さいますと、ピンと来ると思います。彼らの周囲には、いつの間にやら、かつての臣が姿を民や商人に窶しては接近。頭を丸めて、修行僧に化けるなどして、結局お傍に寄り添う。似たようなパターンと思います。小田に敗れ、敗走した臣の内、浪人となった彼らが、その我が子を小僧さんとして、若様のお傍に送り込んでいたことでしょう。「頭白上人」の周囲には、形はあくまで僧でありながら、いつしか、「頭白上人」ブレーンができあがっていたのが解ります。それでなければ、こんなヤバイ発言、心で思えど、まさか口に出すことはできません。どうやら、この坊様の出自は、どう考えても侍。しかも、小田に敗れた側のお家。なんといってもお坊様の雄たけびたるや、古今東西、実に希少なハナシ!!しかも、凄い迫力!!「おのれ!小田の愚か者めが!小田左京太夫めが!!今に見ておれ!己の愚かさに憂き目を見ようぞ!必ず復讐されようぞ!我は、次の世、生まれ代わって、次なるは、必ず「武士」に生まれてみせようぞ!・・・そして、小田の城を我が物にしてくれるわ!!思い知れ!!」▼ここで、クッキリ解るのが、まずは、死ぬほど、「小田政治:左京大夫(1492~1548)」を憎んでいる。そして、はっきりと言っている。「小田の城を我が物にしてくれるわ!!」▼これは、「返せ!我らの北方領土!」・・・じゃないが、ニュアンスは、まさにソレ!!▼本来なれば我らのモノなのに悔しい!必ず奪い返してやる!!のお心丸見え!追われて憂き目を見て、やや遠方の地、細々と、一族の生き残りが小っちゃな城に只今、辛うじて繋いでいる・・・かつての栄華は、どこへやら!!数々の悪い条件を飲んで屈服。必死の命乞いで、首だけは繋がった。・・その当該とは、この段階、佐竹一族である。現に、この後、数代の後、佐竹義宣なる人物が出没する。その発言。「我は、頭白上人の生まれ代わりじゃ!!」実質、この佐竹義宣なる人物ご本人の代の前、その父_義重によって、佐竹は、猛烈に盛り返す。永年の恨み。小田は追われ、追われ、天正元年(1573)、小田は、手這坂の戦いに敗れ、小田城は佐竹氏のものとなる!!▼念願、叶って、返せ我らが領土!は・・・返ってきた領土!!とはいえ、ここまでなれば、たまたまの偶然ではないのか?程度のハナシで沈没してしまいますが、どうやら、まんざらでもないのです。戦国の世、戦に負けて弱った側とは、最期の伝に命乞い。たとえ雀の涙程度の僅かな領土とて、お恵み頂いて、僻地に追われようが、お家は、なんとしてでも残したい。そこで、政略結婚。結婚というより、人質提供。追従の証に、泣く泣く我が子を送り込む。婿殿やら、嫁さんやら・・・。それだけじゃ、まだ足りない。戦争の首謀者の首は勿論ご提供。近日未来に謀反の兆しに至らぬように、一族の男児は、斬首を免れる幼少児とて、もれなく出家させて、寺に放り込み、他意無しの姿を立証せねばならぬ。実は、調べてみたところ、佐竹も例外ではありません。後半に、サイト名物「考察年表」を添付致します。但し、その前に、ややっこしい年表の前、謎解きNo.1のメニューに記載しました段取りに則って、【二つ目の項目_佐竹義宣なる人物の発言】の項目へ書き進める為に、「頭白上人」が小田左京大夫を憎む訳・・・をご案内します。頭白上人」が小田左京大夫を憎む訳・・【◆直因と、◆想定される「永年蓄積した総合的な原因全般」】サイトTOPは犬猫サイト<他愛ない昔話から史実の暗示を発掘,史実と実在の当該人物追及シリーズ【関連】「昔話お化けの団子」<No.1<No.2【謎解きコース】「「頭白上人」と佐竹氏の過去_謎を紐解く」<謎解きNo.1<No.2<No.3(現在頁)<★NEXT_No.4
2013.08.10
史実暗示発掘,常陸の国佐竹氏と頭白上人,昔話_お化けの団子と頭白上人と佐竹氏の過去_謎を紐解くNo.2,他愛ない昔話から史実の暗示を発掘,史実と実在の当該人物追及シリーズ,常陸国「佐竹氏」と、「頭白上人」_No.2伝説の「頭白上人」と佐竹氏の過去_謎を紐解く(SERIES_4)「頭白上人」が「小田政治:左京大夫(1492~1548)」を憎む訳を考察関連:「頭白上人の出生伝説」=「昔話_お化けの団子_No.1&No.2」【第一項目】_その2◆成人した「頭白上人」が、後に建立した「五輪の塔」、◆建立時のエピソードと、本人発言。「五輪の塔」建立時の事件と概要:【永正13(1516)年】前頁から読む=謎解き編のNo.1ここは、常陸の国、新治村の山里。「頭白上人」は、母の無念を思い、心を込めて、「五輪の塔」を建立した。彼は、長年、心の中に思い描き続けた母の偶像。少年の頃、小さな寺小僧だった頃、幾度も瞼を閉じて、仏に祈っては、母の姿を追い求めたものだった。己を生んで間もなく、何者かに殺されたという母。しかし、いくら祈れど、御仏は、その姿を再生してはくれなかった。新生児の己は、確実に、その母に会っていながら、悲しきかな赤ん坊。いくら思ってみても、その姿を思い出すことなどできるわけがない。さて、今日は、全国行脚の旅を終えて、寺に戻る前に、この地に立ち寄った。赤ん坊の己が拾われたという地が、どうやら、このあたりらしいと聞き知っていた。即ち、母に縁ある地として、この地に供養塔を建てようと心に決めたからだった。さてと、いよいよ完成。今、あらためて、心の中、暖め続けた母の偶像を、脳裏に呼び起こして、ここで、厳かなる儀式を行った。多感な少年期、生の感情をあえて堪え、今日に至る。されど、これを機会に、悟りを開き、現世に心惑わされず、仏の道に生涯を捧げよう・・・母の霊に誓った。なぜか、頬を伝う銀の雫。お坊様とて、人知れず涙する。お坊様とて、母恋しい。ここで、彼は静々と読経を。なんちゅう!美しい光景!!・・・空は澄み渡り、小鳥が囀り、爽やかな高原の風。突然の轟音!無謀者の殺生「鷹狩」ところがギッチョン!次の瞬間!!突如、けたたましい男達の雄たけび。鎧が擦れ合う耳障りな金属音。馬の蹄の音。草木がゆれて、逃げ惑う鳥達の羽音と悲鳴。上空には、幾多の矢羽が飛び交う。「なんちゅうザマよ!何ごとぞ!この聖なる儀式を無茶苦茶にしたるは何者ぞ! ・・たとえ、それが、どこの誰とて、我は許さぬ!成敗してくれるわ!!」・・怒り爆裂!!「頭白上人」は叫んだ!!不遇の最期を遂げた母を弔う大切な儀式の真っ最中なれば、彼は、どーしても我慢できなかった。お坊様だというのに、まるで武者震い!!「犯人は、一体、何者ぞ!!ただでは、すませぬ!!」▼神聖なる儀式の最中、殺生は禁物である。その為、事前に、周囲の民に、その旨は徹して伝えてある。ところが、この気配は、まさに鷹狩り。殺生の極み付け!!「約束事を破るは、なんちゅう不届き者め!!」彼は、カンカンになって、怒った。名のごとく、頭髪は生まれながらにして白髪だが、肌の色も抜けるように白い、この見るからに聖人の「頭白上人」の形相は一変。色白だから、血が上ると、並の色じゃない!!顔面は、まるごと、真っ赤!!血の色、そのまんま!!「誰じゃ!許さんぞ!!」・・大声で喚いた。次の瞬間、付き人達やら、身の回り、雑用係りで追従してきた小僧さん達が、必死で彼を抑えた。それもそのはず、風に靡くは、なんと、小田の陣幟であった!!なんと犯人は、小田の殿様!!「小田政治:左京大夫」であった。大勢の臣を従え、堂々と、鷹狩のお遊び!!これは、相手が悪すぎる。相手が殿様なれば、罰するも、苦情申しつけも、万事不可能!!従者達は、必死の説得。「ご上人様、どうか、どうか、ここは、堪えなされ!!小田の寺に災いが及びまする!されば、なんとしてでも、今は、堪えなされ!!」<ここで、歴史背景>長年、この常陸の国は、群雄割拠。戦国侍達の興亡の繰り返し。互いに攻めて殺して、領地を奪ったり、その一方は、奪われて、地の果てに追われ、惨めに凌ぐ。中でも、小田と佐竹の攻防戦が著しい。只今、この時は、悔しながら、この周辺、広域に及び、小田の全盛時代。ましてや、あの時、民の憐憫の情を持って、拾われた赤ん坊は、「小田の寺」に厄介になり、今日。今でこそ、上人と呼ばれる身になったものの、小僧さん時代の彼は、人知れず、唇噛んでいたことだろう。「己は、悔しながら、小田に拾われて首が繋がった身にすぎない。犬猫の子のごとく拾われた!!」おまけに民の噂。幽霊に育てられた哀れな赤ん坊だと。出産後間もなく他界した母親は、現世に残した我が子の未練から、夜な夜な、現れては、乳を与え、成仏できずに彷徨ったという。団子屋の親父に拾って貰ってなければ、腐って死んでいた赤ん坊にすぎないと・・・!この話が、昔話_お化けの団子やがて、再び、軍勢の音。馬の嘶き。小田の殿様ご一行が、遠くに駆け去る気配。サイトTOPは犬猫サイト<他愛ない昔話から史実の暗示を発掘,史実と実在の当該人物追及シリーズ【関連】「昔話お化けの団子」<No.1<No.2【謎解きコース】「「頭白上人」と佐竹氏の過去_謎を紐解く」<謎解きNo.1<No.2(現在頁)<★NEXT_No.3
2013.08.10
昔話から史実暗示発掘,常陸の国佐竹氏と頭白上人,伝説の「お化けの団子」と頭白上人と佐竹氏の過去_謎を紐解くNo.1,他愛ない昔話から史実の暗示を発掘,史実と実在の当該人物追及シリーズ,常陸国「佐竹氏」と、「頭白上人」_No.1伝説の「頭白上人」と佐竹氏の過去_謎を紐解く(SERIES_3)「頭白上人」が「小田政治:左京大夫(1492~1548)」を憎む訳を考察関連:「頭白上人の出生伝説」=「昔話_お化けの団子_No.1&No.2」さて、頭白上人たるや、その正体は何者だろうか!!時は、永正12(1515)年、常陸の国、伝説の上人、・・その謎に迫る!!他愛のない伝説、昔話から、物語上の当該人物を、史実に照合してみます。「頭白上人」が「小田政治:左京大夫」を憎む訳を考察前述の昔話「お化けの団子_No.1&No.2」のストーリーは、お子様用昔話にも掲載される程、お気軽系昔話。登場人物の「頭白上人」なるお坊さんは実在の人ながら、その出生は、まるごと、伝説!第一のキーは、その母にある。母の無念の死。「頭白上人」を産んで、まもなく無念の死を遂げた母が、現世に残した赤子が不憫で、成仏できず、乳を与えに、舞い戻る・・という話。即ち、暫し、お化けに育てられた!という形になる。その際、お化け!の母が、栄養補給に、夜な夜な、団子屋の門を叩き、団子を買って食べては、授乳した!・・・その為、今日、物語としては、「お化けの団子ストーリー」として有名。ところが、この話、よくよく、他の事象にも照らし合わせ、考察しますと、随分、気になる点が多い。そこで、可愛いお子様バージョン話を卒業して、ここから先が、史実発掘の正念場!どうやら、この「頭白上人」なるお坊様、出自は、きっと佐竹の血。即ち、本来なら侍の家。ところが、訳あって、生まれながら、その宿命は、お坊様に。それでは、その謎解き、スタートいたします。考察の方向は2種類。【一つ目の項目】は、成人した「頭白上人」が、後に建立した「五輪の塔」。建立時のエピソードと、本人発言。【二つ目の項目】は、ぐんと後の世、佐竹義宣なる人物の発言。「我は、頭白上人の生まれ代わりじゃ!!」<その前に、発掘のタネ=物語の中に落ちてる簡単なヒント>生まれながらにして白髪の赤ちゃんだった。父は養子婿。舅と対立して家出。母はその後を追い、不遇の死を遂げる。母は死んだが、新生児の本人「後の頭白上人」は、奇跡的に救われ、生き延びる。小田の寺に引き取られ、育ててもらい、なりゆき、職業はお坊様に。後述しますが、これが悔しそう!!随分、過激なお坊様!! 【第一項目】◆成人した「頭白上人」が、後に建立した「五輪の塔」、◆建立時のエピソードと、本人発言。「おのれ!小田左京太夫めが!!我は、次の世、生まれ代わって、次なるは、必ず「武士」に生まれてみせようぞ!・・・そして、小田の城を我が物にしてくれるわ!!思い知れ!!」母の供養の為に建立した塔の前、彼は、そう叫んでいた!お坊様が叫んだ!前述(お気軽昔話版_No.1)のとおり、舞台は、常陸の国。今日でいうと、茨城県太田市近辺のご様子。時は永正(1500年代初期)のこと。「頭白上人」という名の天台宗高僧がおりました。この人物は、永正12(1515)年、全国行脚の旅を終えて、帰寺の直前、旧新治村(現在の土浦市)に立ち寄る。ここでちょいmemo◆新生児の時、小田の寺に預けられたという事から、帰るべき寺は、小田氏勢力下の何れかの寺◆隣接地の新治村に、なにか縁があるのが明確。彼が、わざわざ、ここに立ち寄ったのは、訳がある。それは、母の弔い。供養の為に「五輪の塔」建立が目的。事実、今日、この「五輪の塔」は、土浦の重要文化財として実在する。建立年は、この翌年、1516年である旨、碑文にもしっかと残る。ここでちょいmemo◆1516年に「五輪の塔」建立していることから、大体といえど、この頃、彼は多分成人。少年なわけはない・・とすれば、即ち、この人物が生まれたのは、1400年代の中~後期となる。「五輪の塔」建立時の事件と概要サイトTOPは犬猫サイト<他愛ない昔話から史実の暗示を発掘,史実と実在の当該人物追及シリーズ【関連】「昔話お化けの団子」<No.1<No.2【謎解きコース】「「頭白上人」と佐竹氏の過去_謎を紐解く」<No.1(現在頁)<★NEXT_No.2
2013.08.10
御伽噺に秘めた実在戦国侍死の決意,悲劇,ぶんぶく茶釜に登場する謎の人物_守鶴,史実照合謎解きNo.35,実在人物発掘,秘めたるは戦国侍の涙,物語伝承&絵画等に史実照合_実在人物発掘シリーズ,茂林寺狸と館林城と城狐「ぶんぶく茶釜」に化けていたと象徴される謎の人物「守鶴」を実在の人物に発掘物語、伝承、絵画等に、史実照合「実在人物」発掘シリーズ謎解き「ぶんぶく茶釜」編_秘めたるは「戦国侍の涙」_No.35ぶんぶく茶釜に潜む史実探求シリーズ」目次<【考察総合表】ぶんぶく茶釜,守鶴実在人物を想定紐解く考察表&ガイド<・・現在頁は、真上の「総合表の補足解説編3」です。補足項目MENU物語上に於ける「狸の正体」がバレた!場面に該当する表記抜粋自称「狸の化身(守鶴)」によるラスト演説=天正15年(1587)2月28日その詳細から各種考察◇守鶴が再現した「源平合戦の屋島の戦い」と、「釈迦の入滅」が意味するモノとは▲前頁No.34、▼現在頁ぶんぶく茶釜の「紫金銅」◇「紫金銅」の技術」は、当初日本になかった。唐よりの舶来品の可能性大。◇赤井氏と、文屋氏と、遣唐使と、紫金銅「大林正通」と「守鶴」と「茂林寺」他:青柳氏守鶴の正体考察「補足解説」3■【3】_ぶんぶく茶釜の「紫金銅」・◇ぶんぶく茶釜の「紫金銅」の技術」は、当初日本になかった。唐よりの舶来品の可能性大。・◇赤井氏と、文屋氏と、遣唐使と、紫金銅<紫金銅(しきんどう)とは?>紫金銅=赤銅より多めに金を加えたもの 「紫金銅分福茶釜」の◇「紫金銅の技術」は、当初日本になかった。貴重品。家宝(多分舶来品)を守鶴が持ち込んだ。これ、鑑定せよとは申しませんが、製造が、大体いつの時代かが解れば、ことによると、スゴイ話ですよね。昔の文屋一族で資料が得やすい人物として下行記載の「文屋康秀」という人物が居るわけですが、この人物が生きた時代は因みに、 800年代。死亡は仁和元年(885年)とされています。この人は歌人として知られますが、遣隋使は600年~618年に約5回派遣。一方、遣唐使は、630年~894年の間に15回位。博学の者、僧などが選ばれて派遣されています。その中に、「文屋某が居て何をした?」までは調べてませんが、少し臭いませんか?▼文屋の子孫らしき人物(※この地に於ける赤井氏とは、ルーツが昔の文屋)が、家宝として古代舶来の「紫金銅」を別れの記念に贈ったとすれば、なかなか辻褄があいますね。守鶴は、こんな事も言ってるわけでして。▼「我は、数千年を生きた狸じゃ。我は、かつて、インドで釈迦の説法を受け、中国(=唐)を渡って日本へ来たのじゃ。」▼数千年生きたは、適当に聞き流しても、案外、この釜、ホントに、ご先祖さんのお土産だったりして!!ご先祖さんに、遣唐使が居たんじゃないでしょうかネ!!少々ふざけた文章書いてしまいましたが、実は半分以上、本気でそう思っています。遣唐使まで、手を伸ばして、頑張ってを紐解く気力が無いだけであります。<◇赤井氏と、文屋氏と、遣唐使と、紫金銅・・・あらためて、ぶんぶく茶釜の「ぶんぶく」ネーミングと、文屋の名>誇り高い名族「文屋」のプライド。■館林城(=尾曳城)の築城者「赤井照光」と「赤井氏」について「赤井氏」は、謎多大。頻繁に名前が出てくるわりには、トンネルから出てきて、トンネルに消えてゆく。いつも、最初と最後が見えない不思議な人物が多く、また一人で複数名乗っている様子も見受けられる。 いわゆる諱、字、通称、号・・といった見解だけではなさそう。専門家の間でさえ判然としない要素多大の一族。墓を見つけても、束になって皆さん一族情報きっちり揃って出てきません。照光(勝光)、照忠、照康、照景等が居るのですが、上記の通りトンネル隠れん坊&不透明。【考察総合表】ぶんぶく茶釜,守鶴実在人物を想定紐解く考察表&ガイドの中にもチョロチョロ出てきますからご参照。以下に多少、複数の説:ご参考までに。表内の文字列もご一緒にご覧ください。ここには略します。■赤井文三(文屋三郎)、赤井文六(文屋六郎) 。出所古文書表現▼文明3年(1471年)に上杉軍が赤井文六、文三の居城の「館林城」を攻略した。館林に於ける「赤井氏」とは、館林の上野文屋氏である!・・・の巻。館林の上野文屋氏とは:文屋康秀の後裔。「赤井氏」は、先祖の代か、尾曳城建設にかかわった世代ジャストか、そこは判然としませんが、文屋姓を名乗っていたとされる。文屋氏とは:天武天皇の皇子長皇子の後裔氏族文屋康秀とは?:年不詳?~ 仁和元年(885年)の?月?日は、平安時代前期の歌人ハテナだらけですが、実在は明確。絵画も残っている人物。▼というわけで、なんだかスカッとしませんが、自称天皇の血を引く尊い血筋の一族。文屋康秀も、確かに、博学多識。それは、さておき、とりあえず、文屋が絡むのは、事実のようです。★誇り高い名族「文屋」の誇り。ここでおさらい。◇赤井氏と、文屋氏と、遣唐使と、紫金銅・・・あらためて、ぶんぶく茶釜の「ぶんぶく」ネーミングと、文屋の名。■ぶんぶくネーミングのいわれについて一般には、ぶんぶくと絶えることなく沸いて出るからの意と、本人スピーチ内のキーワード(前頁)にもあるように、皆に福を分けて与えるから「分福」の意の二つが言われています。ところが、上記内容をふまえて考察すると、ふと臭いませんか?誇り高い名族「文屋」の「文(ぶん)」と、皆に幸有れ!祈りの気持ちが「福」を与えたいの意。尊い身分の人が、自分の名前の文字を第三者に与えるとは、昔は、最大の贈り物でした。なんとなく、そんな気がしますね。去り行く者が、恐らく落命するであろう宿命を自覚した者が、世話になった皆に、心を込めて贈り物。それが、真心。「この茶釜は、必ず皆に、福を分け与えてくれるぞ。この茶釜の湯で喉を潤す者は、開運出世・寿命長久等・・・、八つの功徳に授かるのじゃ。」と言っていますが、己の死を決意した者が、皆に真心を込めて、そう語った以上、拝むだけでご利益は、案外ホンモノになるかもしれませんね。■【4】_「大林正通」と「守鶴」と「茂林寺」■「茂林寺」とは?=◇応永33(1426)年、「大林正通」が守鶴を伴い、館林の地に来住し、小庵を結ぶ。◇青龍山茂林寺。分福茶釜の寺として知られる。(青龍山:青い色も、龍も足利のトレードマーク)◇応永33年(1426):「大林正通」和尚によって開山された曹洞宗寺院。現在群馬県館林市。■「大林正通」とは?=◇「華叟正蕚(かそうしょうがく )の弟子。◇美濃国土岐氏出身 ・・(「華叟正萼」とは美濃竜泰寺(=岐阜県の龍泰寺【華叟派】)を開山&創始した祖。)■【5】_上野青柳城(=青柳城)と「青柳氏」についてこちらは、赤井一族と異なり、かなり、はっきりしています。上野青柳城:長野県東筑摩郡筑北村坂北にあった。赤井氏の本拠。青柳三代の墓は硯水寺(清長が父を供養に建立)にある。青柳氏:清長、頼長他寺伝に、「青柳城主_赤井正光(照光)は・・・」という表記がある事と、一般資料で今日解っている事柄として、赤井氏は、青柳氏の配下にあって館林の城に居城していた。その事実から、「青柳>赤井」の図式は確実。 【考察総合表】ぶんぶく茶釜,守鶴実在人物を想定紐解く考察表&ガイドにも書きましたが、■はじめの構図:足利>小笠原>青柳>赤井しかし、上杉が攻め来て憂いをこうむるが、小笠原が武田に敗れると、赤井氏は、長尾(上杉の親族だが上杉と対立)に政略結婚にて、繋ぐ。青柳は武田と結び、存続したが、滅んだかに見えた小笠原は生き残る。小笠原は、徳川家康の後ろ盾を得て盛り返す。こうなると、一度、武田に転んだ男「青柳」を、小笠原としては、断固許せない。案の定、イヤな結果。天正15年(1587)2月28日。青柳頼長(青柳城主)が、小笠原に捕らえられて、誅殺されてしまった。守鶴が飛び去ったのは、まさに、同一の年「天正15年(1587)」でありました。
2013.06.24
「ぶんぶく茶釜」に登場する謎の人物_守鶴,史実照合謎解きNo.34,実在人物発掘,秘めたるは「戦国侍の涙」,物語伝承&絵画等に、史実照合「実在人物」発掘シリーズ,茂林寺狸と館林城と城狐,「ぶんぶく茶釜」に化けていたと象徴される謎の人物「守鶴」を実在の人物に発掘物語、伝承、絵画等に、史実照合「実在人物」発掘シリーズ謎解き「ぶんぶく茶釜」編_秘めたるは「戦国侍の涙」_No.34ぶんぶく茶釜に潜む史実探求シリーズ」目次<【考察総合表】ぶんぶく茶釜,守鶴実在人物を想定紐解く考察表&ガイド<考察補足1(No.33)・・現在頁は、真上の「総合表の補足解説編2」です。補足項目MENU物語上に於ける「狸の正体」がバレた!場面に該当する表記抜粋自称「狸の化身(守鶴)」によるラスト演説=天正15年(1587)2月28日その詳細から各種考察◇守鶴が再現した「源平合戦の屋島の戦い」と、「釈迦の入滅」が意味するモノとはぶんぶく茶釜の「紫金銅」◇「紫金銅」の技術」は、当初日本になかった。唐よりの舶来品の可能性大。◇赤井氏と、文屋氏と、遣唐使と、紫金銅「大林正通」と「守鶴」と「茂林寺」他:青柳氏守鶴の正体考察「補足解説」■【1】_物語上に於ける「狸の正体」がバレた!場面に該当する表記抜粋10世「天南正青」和尚の代に、守鶴が昼寝をしている様子を別の僧が覗くと、なんと!守鶴の股から狸の尾が生えていた。■【2】_自称「狸の化身(守鶴)」によるラスト演説その詳細から各種考察自称「狸の化身(守鶴)」によるラスト演説=天正15年(1587)2月28日まるで、子供だましのふざけたスピーチ、大演説をして去ってゆく彼ですが、その「まやかしスピーチ」をよくよく、読み解くと、随分、ヒントが落ちています。また、死を決意した戦国侍の涙が、ひしひしと胸に迫ってまいります。■別れに、あの茶釜をこの寺に授けよう。【総合表の1570年枠ご参照】 7世「月舟正初」和尚の代に茂林寺で千人法会会催。大勢の来客を賄う湯釜が、ぶんぶく茶釜。この頃、この寺は大評判。修行僧は1000人超。■我は、この国「日本」に来てから800年。茂林寺に住んでから、120年じゃ。・・・・・(実際は161年ですが!(現在頁上側の時代うんぬん行ご参照「1426~1587年」))その一方で、大人の僧達には解る。恰もその目で見たがごとくリアルに再現できる、真に迫る詠い込みの訳とは、まさに、死の決意以外のなにものでもないと・・・。ここまで、ゴソゴソ、読み調べているうちに、思わず、貰い泣きしてしまいました。寺伝には、こうあります。この後、守鶴は、名残を惜しんで涙にむせぶ人々の前、狢の姿となり、飛び去った。これは、何を意味するか?飄々と文字列で表していますが、人々とは、当然ながら、寺の使用人や、雑夫だけじゃないわけでして、現(うつつ)に流されることなく、仏に捧げた身の尊いお坊さん達ながら、彼らも思わず、涙した・・・それが伝わってまいります。守鶴が飛び去ったのは、天正15年(1587)2月28日。さて、この天正15年、少し向こう側の町、松本城(=当時の深志城)では、青柳頼長(青柳城主)が捕らえられて、誅殺されています。小笠原に捕まって殺られてしまいました。さてさて、まさに、同一の年であります!!守鶴は赤井氏系の者と思われますが、青柳は無縁ではありません。もっとも密接な同一ブレーン。青柳城で生まれた赤井氏親族も居ます。政権が滅んだのです。この時、実権を握るは北条。北条にとって、赤井と、青柳はいうなれば、指名手配の男!!
2013.06.24
「ぶんぶく茶釜」に登場する謎の人物_守鶴,史実照合謎解きNo.33,実在人物発掘,秘めたるは「戦国侍の涙」,物語伝承&絵画等に、史実照合「実在人物」発掘シリーズ,茂林寺狸と館林城と城狐,「ぶんぶく茶釜」に化けていたと象徴される謎の人物「守鶴」を実在の人物に発掘物語、伝承、絵画等に、史実照合「実在人物」発掘シリーズ謎解き「ぶんぶく茶釜」編_秘めたるは「戦国侍の涙」_No.33茂林寺たぬき赤井きつね青柳先に、【考察総合表】の頁を既にお読み下さった皆様は、次の頁:No.34_守鶴の正体考察「補足解説2」直行便なさって頂いても、話が見えると思います。【現在特集】ぶんぶく茶釜に潜む史実探求シリーズ」目次<【考察総合表】ぶんぶく茶釜,守鶴実在人物を想定紐解く考察表&ガイド・・現在頁は、真上の「総合表の補足解説編」です。表内、メインイベントともいえるセルは、1587(天正15)年枠です。御伽噺で有名なぶんぶく茶釜ながら、「茶釜に化けていたとされる狸殿」には、まざまざと悲壮感が伝わってまいります。狸とは、あくまで象徴であり、実在した戦国侍なのです。しかも、これは最悪の窮地。まさに、死を決断した涙の決別場面。「守鶴」と称して、この寺に身を置いていたものの、いよいよ窮地。皆に迷惑をかけぬように、決心して去ってゆきます。彼は皆に、正体を伏せて、ここに潜伏していた身であったことが解りました。「我の正体を見破られた以上、これ以上、この寺に世話になるわけにゆかぬのう。世話になった。さらば!」しかも、去るといっても、行き先は・・・自動的に「冥土」。それしかありません。その訳は後述。物語の中、正体とは、「実は狸だった!」という形で描かれていますし、実際、本人もそう言ったわけですが、匿ったとなれば寺に危機が及ぶ重大人物を示唆しています。となれば、時代背景でゆくと、時の権力者「北条」にとって指名手配中の者!!ますます、赤井氏と、青柳氏が、プンプン臭います。(これは、延々長いので表をご参照)実際、この「守鶴」という人物は、自称狸もしくは洛と称しています。それは、皆を困らせぬ為に。薄々怪しいと思っていたであろう若い僧や、小僧さん達が、ズバリ、その正体を知って動揺しないように、また、TOPの和尚さんは、当然知っての上でしょうから、彼にも迷惑をかけぬように、子供騙しのごとく、「我は、人でない。洛である。狸の化身。」などと称して、自分の口からは、けっして実は某である旨を明かすことなく、この寺を去ってゆきます。まるで、子供だましのふざけたスピーチ、大演説をして去ってゆく彼ですが、その「まやかしスピーチ」をよくよく、読み解くと、随分、ヒントが落ちています。また、死を決意した戦国侍の涙が、ひしひしと胸に迫ってまいります。■ちなみに、時代は?というと、ご参考までに▼■問題の人物「守鶴」が登場するのは、足利尊氏による「室町時代」の1426年。■「守鶴」が寺を飛び去るのは、天正15年2月28日(1587年:寺伝に表記有り)■「守鶴」は、象徴描写では、一種の怪物君(洛、狸の化身)ですから、一人の人物が超長生きで、なぜか161年もこの寺に居たことになるわけですが、即ち、本人だけでなく、一族の縁を示唆。それでは、現在頁のMENU概略。物語上に於ける「狸の正体」がバレた!場面に該当する表記抜粋自称「狸の化身(守鶴)」によるラスト演説=天正15年(1587)2月28日その詳細から各種考察◇守鶴が再現した「源平合戦の屋島の戦い」と、「釈迦の入滅」が意味するモノとはぶんぶく茶釜の「紫金銅」◇「紫金銅」の技術」は、当初日本になかった。唐よりの舶来品の可能性大。◇赤井氏と、文屋氏と、遣唐使と、紫金銅「大林正通」と「守鶴」と「茂林寺」他:青柳氏守鶴の正体考察「補足解説」つまり、守鶴の正体は、2通り考えられる。・(■【想定1】青柳頼長本人、■【想定2】謎の人物赤井照景または、赤井の血を引く者。)因みに、赤井照景は、暫し「下野房」と称して、仏門に入った後、環俗。この人物に限らず、上記延々のとおり、赤井氏の誰かが想定される。史実上、途中から、なぜか、行方不明の赤井が複数存在。尚、本人は、寺の初代に世話になったとも言っているが、実は、自分がじゃなくて、先祖が。「赤井氏」は「青柳氏」と主従または血縁など、密接な関係であり、茂林寺による表記では、「青柳城主_赤井正光(照光)」の表記がある。実際は、 青柳氏の城は、「上野青柳城(長野県東筑摩郡筑北村坂北)」の為、寺伝による青柳城主とは、青柳配下のココ地元館林における佐貫荘の城主「赤井氏」示唆。 狐を助けた男は、「赤井氏」。緑茂る茂林寺に絡む「青柳氏」は、自称「狸の化身」。なんだか、「赤い狐」と、「緑の狸」を彷彿してしまう!!・・が、紐解いて見るなれば、実際は、とても悲しい。守鶴の正体考察「補足解説」_秘めたるは戦国侍の涙サイトTOPは犬猫サイト<■幕末玄関、■ワクワクドキドキ!各種記事玄関【現在特集】ぶんぶく茶釜に潜む史実探求シリーズ」目次<【考察総合表】ぶんぶく茶釜,守鶴実在人物を想定紐解く考察表&ガイド<【現在頁】表の補足解説編(No.33)<★NEXT:No.34・・
2013.06.24
ハーメルンの笛吹き男物語と1284年史実,グリム童話編,物語の暗示紐解く考察特集No.8,暗示と社会背景考察,ハーメルンの笛吹き男編(その5),史実のハーメルン事象考察表(後半)物語「ハーメルンの笛吹き男」と、史実のハーメルン事象考察表(後半=No.8)初めから読む:No.1<・・<No.4「ハーメルンの笛吹き男:あらすじ大脈」<・・<No.6<【現在頁】=有名なグリム童話「ハーメルンの笛吹き男」スポット:暗示を紐解く考察編(その5)・・大人が読む「物語絵本の裏庭」_封印された「グリム童話の謎33話」特集_その8さて、ここで考察!1284年6月26日、ハーメルンでは何が起きた!?「130人の子供が失踪!」のキーワードが暗示するモノを、史実に考察探索!!必ず!解説本文頁ご参照(No.5、No.6):箇条書だけで読むと錯覚の恐れ有りの為、必読オススメ。ハーメルン事象考察表(前半:No.7)<考察表(後半:次頁No.8)=現在頁項7農奴の支配図式司教(各宗派各異なる教会組織)>各地の管轄修道院>現場政務担当「領主=守護」>民農奴これについて:◇本文No.6必読。◇真下枠「項8の【B】枠必読。教会の幹部達が、前頁の「植民請負人=ロカトール(考察表前半編:No.7の「項6」真上テキストリンク先)」を雇い、動かしている。日時見解おまとめ一望統合考察は、前の頁「No.7」の「項1」にあります。項8【A】1284年6月26日説▼ハーメルンのマルクト教会■同教会のステンドグラスに記述が残る数値が先の1284/6/26。 ▽・1284年、聖ヨハネとパウロの記念日_6/26、色とりどり衣装の笛吹き男によって、・ハーメルンの子供達130人が誘い出され、「コッペンの処刑場」の付近で居なくなった!【B】1284年7月26日=植民説ハーメルンの旧家壁から発見された文章による。◇1284/7/26、笛吹き男が130人の子供を街の外へ連れ去った。◇多分、彼は、モラヴィア(現在のチェコ)への植民活動をしていたオロモウツの司教「ブルーノ・フォン・シャウンブルク」の代理人であったという。◇シャウンブルク司教自身も、ボヘミア王オタカル2世の代理人として行動していた。・・(密かに著を残した人物が、怒りを滲ませているのが感じられます。)【C】1260年 7月28日廃村のゼデミューンデに於ける戦闘=領域支配を巡る争いこの戦闘の原因は、従来のフルダ修道院が、ミンデン司教に、密かに売却を。領主「エーフェルシュタイン家」もトカゲの尻尾。民を決起させたが敗北にて、同家は滅亡。民も大勢が死亡。その結果、生き残りの民にとっては、被支配者が変動。■<旧システムによるハーメルンの民被支配者図式>・・フルダ修道院>領主様(=守護)は、エーフェルシュタイン家■<新システムによるハーメルンの民被支配者図式>・・ミンデン司教>ご新規の新領主様(=守護)■この時、戦犯処理にて首謀者達、及び市民が捕縛され、ミンデンに護送され多くが刑死。→二つ上枠の【A】行:キーワード「コッペンの処刑場」の付近で居なくなった!」と合致。故に、この説でゆくと、1284年とは、皆の錯覚であり、示唆する事実は1260年であるとの説を提唱しているのが、シュパヌート氏。彼は、1940 年に「ハーメルン市史」を書いた。【D】1212年説扇動者「ニコラス」とドイツの少年十字軍(平均年齢15歳)=1212年事実、この年、ドイツの少年達が大勢、敬謙なる宗教観念から、志願して少年十字軍に従軍。この場合のニコラスとは、扇動者とも、先導者とも双方言える。熱狂的宗教観念の人。このチームは、徒歩、アルプス越でローマへ。幸い、戦闘に参加せず帰宅を試みるが、過酷な旅アルプス越、殆ど落命。<他に他所地方ながら参考:エティエンヌの少年十字軍:平均年齢12歳>このチームは、船で移動。沈没溺死に加え、生き残りも、商人に騙され、アレクサンドリアで奴隷商人に売られてしまった。コレ、初めから少々胡散臭い。12歳未満も居るわけで、コレを戦士として掻き集めた目的はハテ?彼らも敬謙なる信者少年。神の為に戦おうと決意。(現在頁の一番下薄水色ナビ行下に、年少少年が決起した日本の話「二本松バナー」あります。【E】1376年7月22日他、多説ロバート・ブラウニングによる1842年公表内容。他、大勢の学者による別の多説、多期日指定有り。<おまとめ>ここに、無性に悲しい要素を感じるのは、期日が、何れであるかについて、誰一人解らなくなっていることです。前述延々のとおり、とりあえず、1284年6月26日説の形で、メモリー&セレモニーが行われ、人の心に今尚、記憶が風化せずに存在しているわりには、絶対にこの日だ!と自信持って言える人が居なくなっていること。これは、戦闘犠牲者及び、首謀者が処刑された1260年の「ゼデミューンデに於ける戦闘」と、口巧みな、植民請負人=「ロカトール」によって、若者達が異国に連れ攫われた悲しい記憶、二つ以上の悲しみが、長い年月の間、ごっちゃになってしまったから。しかし、記録文書が、よりにもよって、壁の中に埋まっていた事を加味すると、悲しい事件そのもの以上に、彼らの沈黙の訳のほうが悲しい気がします。政権が交代したのです。従前の政権側に立って、勇気を振り絞って、勇ましく戦った農民達の子孫は、日本の言語でいえば、いわば明治維新の「勝てば官軍、負ければ賊軍」と同じ。「私の父は、新政府と戦って死にました。私の兄は、首謀者として、新政権側に処刑されました!」・・・だなんて、言えない。悲しみを継承しない為に、子孫にさえ語らず、冥土に持ち去った世代があったことの象徴と思います。永年の沈黙のうちに、具体的事象期日が、次世代達の間、ほんとに解らなくなってしまったのでしょう。貧しい農民が、勇気出して、戦った理由が、その根底に深く信望する宗教観念があったこと。▼異なる神と神が、時に及んで、こんなことになる。どっちも、べつに異教徒ではないのに、統合組織と方針が違う。▼善良な民が犠牲になった。信じることによって、救われたいからこそ信じた者が、結果として、信じたが故の悲しい結末。なんともいえない気分であります。サクッ!と超略型に、あらすじはNo.4みるみる間に、子供達がみんな、踊りながら、その洞窟に入ってゆきます。最後に、男もその中へ、姿を消しました。そして、二度と、誰一人、帰ってこなかったのでした。<今や、真実も洞窟の中!>サイトTOPは犬猫サイト<わくわくドキドキ色んな記事<【大人が読む「物語絵本の裏庭」暗示を紐解く考察編特集】:No.1<・・<No.6<No.7<(現在頁)No.8この段階、大人の兵は殆ど壊滅。子供と、老人が戦って散った。勝敗は、まるごと解りきっていたが、武士を貫いた。岡山篤次郎_13歳(二本松藩:維新の悲劇)お母ちゃん、名札一杯つけておいてね。砲にあたりゃ、おいら、粉々だよ。一杯ついてたら、砕けても、おいらだってわかってもらえるから・・・■上のテキストリンクは少年個別短編■下バナーはトータルTOP
2013.05.11
ハーメルンの笛吹き男物語と1284年史実,グリム童話編,物語の暗示紐解く考察特集No.7,暗示と社会背景考察,ハーメルンの笛吹き男編(その4),史実のハーメルン事象考察表(前半)物語「ハーメルンの笛吹き男」と、史実のハーメルン事象考察表(前半)初めから読む:No.1<・・<No.4「ハーメルンの笛吹き男:あらすじ大脈」<No.5<前頁から読む:No.6<【現在頁】=有名なグリム童話「ハーメルンの笛吹き男」スポット:暗示を紐解く考察編(その4)・・大人が読む「物語絵本の裏庭」_封印された「グリム童話の謎33話」特集_その7:ハーメルン事象考察表さて、ここで考察!1284年6月26日、ハーメルンでは何が起きた!?「130人の子供が失踪!」のキーワードが暗示するモノを、史実に考察探索!!必ず!解説本文頁ご参照(No.5、No.6):箇条書だけで読むと錯覚の恐れ有りの為、必読オススメ。考察表(前半)=現在頁:No.7<考察表(後半:次頁No.8)★項8★日時見解(項7ご参照【A】1284年6月26日:修復された(※)ハーメルンのマルクト教会のステンドグラスに残された記(6/26とは、聖ヨハネとパウロの記念日)※修復とは、一回破壊されているが後に専門家達の力で修復。【B】1284年7月26日:ハーメルンの旧家の壁から発見された文章による。この文章では殖民説。【C】1260年 7月28日:廃村ゼデミューンデに於ける戦闘の史実。大勢が死亡。【D】1212年説:少年十字軍。【E】1376年7月22日、【他多説有り】【A】について:・宗教的に、【B】の約1ヶ月前に繰り上げするなれば、丁度、6/26の「聖ヨハネ&パウロ記念日」。・儀式の時に、忘れず、この犠牲者達へ、冥福の祈りを一緒に捧げてあげることができる。項2130名失踪の暗示見解<多説有り>■土砂崩れ大量死亡事故、■軍事行為(徴兵)&戦争、■疫病(黒死病、ハンセン病、他)■巡礼行為&宗教的開拓移住(一種洗脳されたような要素を含む:下欄「集団移民」枠ご参照。)いずれにせよ130名が失踪。不帰の人に。項3農奴と貧困と人身売買■貧乏人の子沢山=子の人身売買は実際あった。貧困、滞納の家の子、及び、孤児&私生児等。<貧困極限&飢餓時の全世界的:子売り>元々貧困。その上、子の結婚、死亡等の際、いちいち税金を毟り取られる。なんと「死亡税」さえ存在。労働力頭数減少とて、減税しまいとする雁字搦めシステム。項 4「子」表記に係る見解少年or子供と思い込み用心!戦闘と、移住も考察範囲子とは上下関係の示唆、「配下の者」の意、その可能性多大。=「子」とは必ずしも、「少年&子供」でない。■下男をボーイというのと同じ。身分の低い者を「少年」と呼んだ。後の研究で、子供ばかりという意味に解釈された可能性もある。■「神の子」と同様感覚で、◎◎修道院管轄地の民=「◎◎の子」。■開拓の為に移住した貧しい異国民を、「◎◎の子」と称した。これも上記の◎◎修道院管轄地の民の見解由来。◎◎地域の民=◎◎の子。彼らは、農奴。日本史に出てくる「守護」に配属された隷属的存在の農民と同じ。それを踏まえると、失踪した「130人の子」とは、開拓の為に移住を試みた者も、戦闘員になりうる年齢の若者達も想定の範囲内。◇親から見れば、彼らも我が子でもある。◇宗教儀式の際、当該地区の民の死を悼み祈る時、「神の子」の見解から、「子」の表記も自然。項5暗示&象徴と、物語的装飾アタマ切り分け民間伝承及び、それに基づく各作者の物語内に存在する気になるキーワード事実の「暗示&象徴」と、「物語的装飾」:双方の要素が混在してるが、線引き切り分は専門家も困難。<例>■洞窟の暗示:ハンセン病提唱学者も居る。事実、中世ヨーロッパでは、彼らを洞窟などに隔離。■ねずみ(レミング)の集団水飛び込み自殺現象・◇これは物語的装飾の可能性大。実際、鼠害は幾多。その上、事実、周回タイプの鼠駆除業者が居た。・◇鼠は極度過密になると、神経過敏異常現象で子育て拒否になったり、他固体が子殺し現象も言われる。また、伝説?or事実?の点について、私は主張できる知識ありませんから割愛ながら、集団水飛び込み現象は、この時代、既に民に口述伝播されていた為、物語に、使った可能性有り。■色とりどりの衣装の男描写◇当地教会では、死神、悪魔、悪い魔術師(=マグス)との見解を示す。◇但し、これは、事実、彼らの視覚上、派手&妙な衣装の者だった可能性有り。・実際、下枠の▼「植民請負人」達は、派手に着飾っていたとされる資料も見つかっている。■盲目と聾唖の二人だけ置いてきぼり。■「コッペンの処刑場」の付近で居なくなった!・これ、▲気になりますね。なんらかの事後、首謀者処刑者発生?→項8の【C】枠ご参照。1284年でなくて、1260年なれば、確かに、戦犯処理市民処刑の史実有り!項 6集団移民と、東方植民地植民請負人=「ロカトール」・・子供を連れ去った男の暗示と史実考察■【1】度重なる歴史上の戦闘にて、勝者の特権。領地拡大チャンス。植民地ゲット。すると、そこに開拓用に利用すべき人材が必要となる。この村も貧困。■【2】(ポメルン、ブランデンブルク、ウッカーマルク、プリクニッツ)各地方に於ける司教及び、公爵達が、新天地開拓の野望から、人材募集の軌跡有り。■【3】彼らは、自分で動かず、請負人を使う。それが、上記の「ロカトール」。この「ロカトール」とは、まず、口が巧みで甘言をばら撒く。高収入の口約束、及び、神のお導き等。他に彼らの特徴として、衣装が派手。■【4】この結果、数千人の若者が、「ザクセン」、「ヴェストファーレン」を去り、上記【2】の地域へ移住。これを、東方植民地移住と称する。■【5】ユルゲン・ウドルフ(言語学者)研究:遠方地に存在した「ハーメルン特有の苗字」から移住説提唱・◇プリクニッツ&ウッカーマルクの町に存在した「ハーメルン特有の苗字」・◇ポメルン地方(現在のポーランド)に存在した「ハーメルン特有の苗字」・◇他に、トランシルヴァニアに彼らの出没形跡を語る歴史的文書が存在する。・<彼らは、ジーベンビュルゲン(トランシルヴァニア)の創建者となった・・他記述が残る。項7農奴の支配図式司教(各宗派各異なる教会組織)>各地の管轄修道院>現場政務担当「領主=守護」>民農奴これについて:◇本文No.6必読。◇次頁の項8の【B】枠必読。教会の幹部達が、真上枠の「植民請負人=ロカトール」を雇い、動かしている。次頁「考察表(後半:次頁No.8)」に日時見解「期日別詳細」コーナーへ続きます。サクッ!と超略型に、あらすじはNo.4みるみる間に、子供達がみんな、踊りながら、その洞窟に入ってゆきます。最後に、男もその中へ、姿を消しました。そして、二度と、誰一人、帰ってこなかったのでした。NEXTは、:考察表(後半部)No.8へGO!サイトTOPは犬猫サイト<わくわくドキドキ!色んな記事玄関<飼い主さんの読書コーナー<【大人が読む「物語絵本の裏庭」暗示を紐解く考察編特集_グリム編】:No.1<・・<No.5<No.6<(現在頁)No.7<NEXT:No.8
2013.05.11
ハーメルンの笛吹き男物語と1284年史実,グリム童話編,物語の暗示紐解く考察特集No.6,暗示と社会背景考察,ハーメルンの笛吹き男編(その3)大人が読む「物語絵本の裏庭」_封印された「グリム童話の謎33話」_その6さて、ここで考察!1284年6月26日、ハーメルンでは何が起きた!?有名なグリム童話「ハーメルンの笛吹き男」スポット:暗示を紐解く考察編(その3)封印されなかった側のグリム童話から、比較考察の巻1284年6月26日、実際、ドイツのハーメルンで130人の少年が失踪!初めから読む:No.1<前々頁から読む:No.4「あらすじ大脈」■No.1:今回特集のタイトルどおり「封印されていた33話」の本掲載。■現在頁:封印されなかった側のグリム童話「ハーメルンの笛吹き男」から比較考察、その続き(本文解説その2)です。みるみる間に、子供達がみんな、踊りながら、その洞窟に入ってゆきます。最後に、男もその中へ、姿を消しました。▼そして、二度と、誰一人、帰ってこなかったのでした。<前頁から読む:No.5「本文解説その1」大勢の学者が多説提唱する為、実に、ややっこしいですが!どれも大切。但し、現代の世、有力視されているのは、他所の地域に連れ去られ、永久に不帰となった移住民:「東方植民地」。この説のようです。これが、ズバリ1284年限定!の証拠は、民家の壁内から発見された文書(※下側行記載)以外の情報から、確かめ算として代入できる情報が無い為、残念ながら私的には、今のところ、ピンときてませんが、確かに、ニュアンス的には、そう感じられることと、後の世の研究にて、ハーメルン地方の人々が、はるばるトランシルヴァニア地方に移動していた形跡が唱えられています。それは苗字等に由来。本来この地には存在しなかった苗字のルーツを手繰ると、ハーメルンの移住形跡と合致。次頁のNo.7&No.8に「おまとめ考察表」があります。ご参照。現在頁下側NEXTボタンからどうぞ。そして、もうひとつ、悲しい裏事情が、潜んでいます。なぜ、こんなに大切な事なのに、期日が、判然としないか?それについては、どうやら、支配者の交代、裏幕に滅んだ者。それが絡みます。滅んだ側は、死者に口無し。付随した者は、生き残っても沈黙。1284/7/26の数値は、古い民家、壁の中に書類が埋もれていたというこの事象、軽く滑り流して中身だけに注目してはいけない要素を感じます。何のために壁の中?。1260/7/28の戦闘の敗北にて、旧支配者「エーフェルシュタイン家」が滅んでいます。彼らは農民といえど、いわゆる農奴。支配者とは、漠然とイメージするは、ご領主様!でしょうが、それだけではありません。弱い農民に、鬼のように税を搾り取る悪徳ご領主様!の姿は、現代の世、多くの人のイメージにピンときますが、いうなれば、彼らは地元の守護職、現場担当者にすぎません。図式:司教(各宗派各異なる教会組織)>各地の管轄修道院>現場政務担当「領主=守護」>民(農奴)【国王>各地の領主】この先入観が、頭の中、強く作用してしまいますが、実際は、植民地時代の渦の中、教会組織そのものが、実は、領地拡大意欲多大。彼らの上には、管轄修道院があり、そのまた上には、司教様がいらっしゃる。歴史の興亡。各地の支配権の争い。開拓の志と宗教観念はワンセット。勝って植民地をゲットすると、そこには、開拓の人材が必要となる。お国の支配領域に変動が生じると、教会組織も必死の領地拡大。実際、この村も、維持が苦しくなった旧教会組織の幹部が、現場に事前伝達することなく、別の組織に売り払った悲劇が絡んでいます。そこで、鬼の領主様!?までが、トカゲの尻尾。徹底抗戦を訴え、民を決起させた旧支配者「エーフェルシュタイン家」も滅亡。その一方、農村事情はというと、民は貧困の子沢山。子供が生まれるはいいが、子が結婚すると、「結婚税」、子が死ぬと「死亡税」を毟り取られる。働き手が減ったからといって、減税で楽できない雁字搦めシステムがてんこもり。次男、三男は、親にとって苦悩のお材料。口減らしはイヤでも、生き残る為には、願望の一種。食えなくて、泣く々、子を人身売買は、たえず、長い歴史の間、どこの国&地域にも存在してました。飢餓の極み時期なれば、売買の目的がカリバリズムに当該した証拠も、全世界の中、複数国史実に浮上。(我が子は食えん!:究極にはソレも発生:不自然な切断形の遺骨で立証されている。)そんな矢先に、開拓の為、人材ゲットに、教会の手先商人が動く。人材募集係り。このケースの場合、上記と異なり、親が女々しく、人様に言えない恥ずかしい子売りをやらかすでなく、なにやら、素晴らしい志だの、なんだかんだ大義名分、若者自ら、奮い立つ。手先商人とは、口が巧み。彼らは、甘言をばらまいて、神のお導きを軽々しく口走り、敬謙なる信者である農民達の心を掴んで、いわば人買人。植民請負人=「ロカトール」と呼ばれた。彼らの特徴のひとつに、衣装が派手。これまた、物語に出てくる描写に合致します。その他、着目ポイントとして、▼たかが物語と軽視することなく、物語に描写されているひとつひとつの表現は、永年、民の口述伝承に由来するものが多い点です。上記の「衣装が派手」描写が、植民請負人=「ロカトール」の示唆に繋がるように、他にも、気になる描写フレーズから、アタマを捻る価値有りの言語は、幾多とあります。後述表内に添付しますが、ここに一例記述するなれば、◇「洞窟に大勢が消えた!」とは何を示唆するか、◇ネズミ話は、一体なんだ?なども、思考サイクルからデリートするのは、勿体無い。アタマの片隅に置いておくと、後でヒントになりそうなフレーズは、民の伝承内に一杯ありまして、それらが、多くの作家達の作品内に、各所散りばめられています。但し、これだけ読んで、あっ!そうか!と思い込むと、これまた盲点。▼凝り固まらずに、ぐんと視野を広げると、1284年の数値事態が、永年の皆の錯覚で、全然違う年代であるとする説も沢山ありますから、後続頁の表内に、後述します。例えば、ぐ~んと前に遡る1212年には、「少年十字軍」という悲しい事件も発生しているのです。これは、あくまでドイツの少年達であり、ハーメルンと限定された記述は見つかっていないわけですが、徒歩で、アルプス越の過酷な旅、彼らは、実際戦闘には参加してませんが、殆どが落命しています。ドイツ以外の例でゆくと、別のチームの「少年十字軍」は、志は露と消え、船の沈没で殆ど溺死。その上、今度は、生き残り全員、悪い商人に騙されて、奴隷売り商人に、売り飛ばされてしまいました。こうして、視野を広げてみると、確かに、少年ばかりが大勢失踪して、永久に帰らぬ人になった悲しい犠牲事件とは、確かに史実に存在するわけです。・・・というわけで!★私的には、この数値あたりが、最も気になる範囲でありますが、▼1284年6月26日、もしくは、同年の7月26日 、1260年7月28日▼皆様は、これに固まることなく、広く、考察してみて下さい。上記の話、根拠として、考察材料に、以下に、一覧表をご案内します。▼さて、ここで考察!1284年6月26日、ハーメルンでは何が起きた!?ハーメルン事象考察表:No.7へGO!サイトTOPは犬猫サイト<わくわくドキドキ!色んな記事玄関<飼い主さんの読書コーナー<【大人が読む「物語絵本の裏庭」暗示を紐解く考察編特集_グリム編】:No.1<・・<No.5<(現在頁)No.6<NEXT:No.7
2013.05.11
ハーメルンの笛吹き男物語と1284年史実,グリム童話編,物語の暗示紐解く考察特集No.5,暗示と社会背景考察,ハーメルンの笛吹き男編(その2)大人が読む「物語絵本の裏庭」_封印された「グリム童話の謎33話」_その5さて、ここで考察!1284年6月26日、ハーメルンでは何が起きた!?有名なグリム童話「ハーメルンの笛吹き男」スポット:暗示を紐解く考察編(その2)封印されなかった側のグリム童話から、比較考察の巻1284年6月26日、実際、ドイツのハーメルンで130人の少年が失踪!初めから読む:No.1<前頁から読む:No.4「あらすじ大脈」■No.1:今回特集のタイトルどおり「封印されていた33話」の本掲載。■現在頁:封印されなかった側のグリム童話「ハーメルンの笛吹き男」から比較考察、その続きです。みるみる間に、子供達がみんな、踊りながら、その洞窟に入ってゆきます。最後に、男もその中へ、姿を消しました。▼そして、二度と、誰一人、帰ってこなかったのでした。1284年6月26日、実際、ドイツのハーメルンで130人の「子供」が失踪!しています。■後述しますが、ここでいう「子供」とは、案外「子供」限定でなく、【宗教的「子」の定義】である可能性多大。■期日についても、1284年6月26日に限らず、その前後周囲、広く念頭に置いておく必要があります。1284/7/26の数値:古い民家の壁から見つかった古い書類に記載されていた数値1284/6/26の数値:「聖ヨハネ&パウロ記念日」:教会のステンドグラスから発見された数値他にも複数数値:後述▼さて、ここで考察!・・この「1284年6月26日」とは、一体何が起きた!?ハーメルンでは何が起きた!?大勢の学者が多説提唱する為、実に、ややっこしいですが!どれも大切。まずはポイントから。これには、時の権力所在(支配体制)と、宗教、農奴&貧困、これが絡みます。それと、もうひとつ、大切なポイント。:「消えた130人」と、「"子"の定義」▼■【見解1】_「消えた130人」の示唆を紐解く材料ポイント(これは、1284年に限定せず、もの凄く、年代視野を広げて考察提唱された内容を含みます。)他所の地域に連れ去られ、永久に不帰となった移住民:「東方植民地」戦闘に巻き込まれ落命した青年達:ゼデミューンデの戦闘(1260年)洞窟に消えたのキーワードが示唆する「疫病者の隔離」:黒死病、ハンセン病他少年十字軍(1212年)他多説■【見解2】_「130人の子供」とは?の定義=「子」なのか、「子供」なのかを慎重に考察「130人の子供」とは?の定義を考察する際、必ずしも「子供or少年達」と思い込むと、考察の領域が狭まって、盲点が生じます。▼宗教上、「皆は、神の子」という表現があるように、記録を残した教会の記述にある「子供」とは、「この教会に於ける神の子達が130人」・・という見解も想定の範囲内。▼そうすると、◇戦闘に巻き込まれた青年も、◇開拓の為に駆り出され、移住を余儀なくされた民も、考察対象に、含まれてきます。然るに、複数の事件、事象が当該として、多くの学者が多説を提唱しています。結論から言うと、永年に渡って、全世界のあらゆる専門家が多説提唱にて、結論は不明です。但し、1284年6月26日、もしくは、同年の7月26日 、そしてもうひとつ、1260年7月28日などが、重要な期日数値として、浮上してまいります。▼一般に、とりあえず統一化しないと、セレモニー儀式ができない為、1284年6月26日が通常言われているわけですが、どうやら、6/26よりも、年代は、1260年と、1284年と二種類あって矛盾するものの、1284/7/26、1260/7/28のほうも、史実として重要視すべき要素は多大と感じます。▼因みに、■1284/7/26の数値は、古い民家の壁から見つかった古い書類に記載されていた数値。■1260/7/28は、近郊で戦闘が発生。大勢が死亡、犠牲になっている日。■1284年6月26日とは、「聖ヨハネ&パウロ記念日」なのです。▼可愛そうな民の為に、永久に、永代、この事を忘れずに、メモリアルセレモニーを継承する為、大切な儀式の日に、折り重ねてあるのかもしれませんし、また、この日に儀式の為集結した民に、一大決議が布告された日として記録された可能性も全面否定はできません。 ▼ここでいう「一大決議」とは、後述の戦闘に絡みます。この時代、善良な村の民は、国同士の野望、領地拡大、興亡の渦の中、戦乱に飲み込まれてしまいます。史実として証拠が挙がった数値年代は「1260年」であり、「1284年」と矛盾するわけですが、大勢の青年が1260/7/28、廃村ゼデミューンデに於ける戦闘の史実があり、この日、大勢が死亡しています。案外、「1284年」にも、現代の世、証拠物件が挙がっていない別件の小反乱事件が発生した可能性も否定できないわけですが、上記の「ゼデミューンデの戦闘(1260年)」の段階で、 旧支配者である「エーフェルシュタイン家」が滅んでいます(※下側行ご参照)から、彼らの生与奪権をこの段階握っているのは、別の新しいご領主様。彼らは相手変われど隷属の地位。▼人生経験豊かな村の長老達にとって、新天地で成功!とやらは、どうせ、怪しい!と、内心思いつつ、逆らえない。純情な若者達が、甘言に載せられ、すっかりその気。▼踊りながら(※)洞窟に消えていった子供の姿の暗示とは、意向に逆らえずに、泣く泣く、屈服して、若者達を奪い取られた親達の苦悩、・・それかもしれません。踊りながら(※):煽動されて、大志を胸に若者が。実際は、単なる新天地の開拓用の、都合の良い使い捨て利用人材現代の世も「舞踏禁止の道路」があります。それは、彼らが行進して行ったと伝わる道路。大勢の学者が多説提唱する為、実に、ややっこしいですが!どれも大切。但し、現代の世、有力視されているのは、犬猫の可愛服&用品、人の暮らし&グルメ&KIDS▼サイトTOPは犬猫サイト<飼い主さんの読書コーナー<【大人が読む「物語絵本の裏庭」暗示を紐解く考察編特集】:No.1<・・<No.4<(現在頁)No.5<NEXT:No.6
2013.05.11
ハーメルンの笛吹き男物語と1284年史実,グリム童話の暗示紐解く考察特集,封印されたグリム童話33話,封印の訳と社会背景考察「物語メルヘンの裏庭」No.4,封印されなかった側のグリム童話から、比較考察の巻大人が読む「物語絵本の裏庭」ご免あそばせ!ホントは怖いゾ!_No.4封印された「グリム童話の謎33話」_その4有名な一話「ハーメルンの笛吹き男」スポット考察編封印されなかった側のグリム童話から、比較考察の巻1284年6月26日、実際、ドイツのハーメルンで130人の少年が失踪!初めから読む:No.1<前頁から読む:No.3(No.1~No.3には、今回特集のタイトルどおりの「封印されていた33話」の本を掲載しています。)<グリム兄弟「ヤーコプ・グリム&ヴィルヘルム・グリム 」>現在頁では、折角グリム兄弟スポットですから、有名なお話「ハーメルンの笛吹き男」封印されなかった側のグリム童話から、比較考察の巻1284年6月26日、実際、ドイツのハーメルンで130人の少年が失踪!まずは、サクッ!と超略型に、あらすじ。昔々、ドイツのハーメルンでは、鼠の大量発生で、村人は困っていました。農作物が食い荒らされて、ただでさえ貧しいのに、これじゃ暮らしてゆけない。すると、なんとも不思議な衣装の男が出没。色とりどりの服を着たこの男は、笛を吹きながら、やってきた。彼が言うには、こうだった。「私が鼠を退治してあげましょう。そのかわり、ちゃんと報酬払って下さいね。」▼結果として、男は約束どおり、見事、鼠を退治したのです。不思議な笛の音色。それにつられて、大量の鼠が、街中から繰り出してきた。男はズンズンと川側へ、突き進む。すると、鼠達は、あっちゅう間に、川に溺れて、全部死んでしまいました。マル!!▼功績を治めたこの男が、いざ、街に戻り、約束の報酬を要求すると、街の民は、急にお金が、もったいなくなって、支払いを渋りました。▼すると、どうでしょう。男は、またしても、笛を吹きました。▼男の衣装は、まるでピエロさん。子供の目には、とっても刺激的。なんか、楽しい事起きるかな?付いて行ってみようかな?それに、なんといっても、笛の音色が、面白くて楽しくて。あっちゅう間に、子供の大行列。 笛吹き男の後には、街中の子供達が付いてゆく。ペーペレペー、ペーペレペー、不思議な笛の音。▼この行列は、やがて村はずれ、なにやら山の中に向かってゆくのでありました。親が呼んでも、誰が呼んでも、誰一人、振り返らない。子供達は、一匹くっついたみたいに、まるで夢中なのです。▼子供達は、悪い魔法にかけられてしまったのでしょうか?▼そして、ついに、とんでもないことになりました。鼠達が、笛の音に連れ攫われたように、今度は、街中の子供がみ~んな、くっついて行って・・・しまった!・・のでした!!▼男は、笛を吹きながら、遠く、洞窟の方角へ。みるみる間に、子供達がみんな、踊りながら、その洞窟に入ってゆきます。最後に、男もその中へ、姿を消しました。▼そして、二度と、誰一人、帰ってこなかったのでした。唯一例外は、不自由な子供二人だけでした。全盲の子と、足の不自由な子(※)・・・でした。幾多の説&出版の際、子供向け配慮アレンジ有りにて、詳細は一杯。全盲と聾唖ともされる。さて、ここで考察!1284年6月26日、ハーメルンでは何が起きた!?!物語の暗示を考察の巻へ!犬猫の可愛服&用品、人の暮らし&グルメ&KIDS▼サイトTOPは犬猫サイト<飼い主さんの読書コーナー<【大人が読む「物語絵本の裏庭」暗示を紐解く考察編特集】:No.1<No.2<No.3<(現在頁)No.4<NEXT:No.5
2013.05.11
グリム童話の暗示紐解く考察特集,封印されたグリム童話33話,封印の訳と社会背景考察「物語メルヘンの裏庭」No.3,名作物語も御伽噺も実は怖い,大人が読む「物語絵本の裏庭」ご免あそばせ!ホントは怖いゾ!_No.3封印されたメルヘン「グリム童話の謎33話」他可愛メルヘンも、日本の御伽噺も、実は、怖っ!&悲しい!どーせなら、この際、開き直って、”考えすぎて!”・・みませんか?闇に葬られた作品「グリム童話33話」_その3現在シリーズは、薄気味悪い恐怖嗜好の話ではありません!暗示を紐解く考察ご免あそばせ!ホントは怖い!!・・・が、なんか訳があった!!土壇場キャンセル封印の訳考察初めから読む:No.1<前頁から読む:No.2(No.1には、もう一種類、本を掲載しています。)<グリム兄弟「ヤーコプ・グリム&ヴィルヘルム・グリム 」>グリム兄弟が、悩んだ暁、自ら削除した「問題の33話」の続き。語り部「グリム兄弟」が、ゴクン!と飲み込み、デリートした訳考察書き手とは、正直でありたい。正義の味方でありたい。だから書いた。だから架空象徴と装飾の蓑を着せた。されど、そこに現実の壁。現世は誰の世?勇気だけじゃ、生き残れない。筆折るしかない。いくら「おとぎ話=架空!=童話にすぎない!」・・と、こってり装飾の蓑を着せたところで、いつ何時、魔法が溶けるか解ったもんじゃない。大昔のイソップも、ラストは、本音がバレて処刑されたと伝わる。(大昔だから、諸説有りながら)お腹をパンパンに膨らませて破裂して死んだカエルも王様!獣と鳥類のケンカでズルく立ち回ったコウモリ君も、時の誰~れかさん!こうしてみると、童話の衣は、大人への魔法。無事スルーのトンネル。▼お偉いさん達は、民を泣かせて搾り取った金と財宝に埋もれ、時の権力に胡坐かいて、キンキラキンのお城で、日夜、酒色に溺れ・・・なのだが、ところが、ぎっちょん!世の中、だからといって、油断禁物!・・・残念ながら、みんなが揃い揃って馬鹿じゃない。▼調子にのったら、危ない!墓穴がまん前。童話の中で、よく出てくる表現「魔法が溶ける」、その恐怖は、語り部、著者が、自ら背負う業。目を背けたいが、これが事実なんだ!勇気振り絞って、誰かが、書き始めても、悩んで、結局ひっこめる。書けば、意外な角度の存在、別の特定第三者個人攻撃になる懸念もあるし・・。結局、ひっこめる。また、世の中には、いろんな人間が居るから、知ったが故に、わざわざ、ご丁寧に実行してみたくなる妙~っ!なへんてこりん!の発生も否めない危険要素まで心配になる。つまるところ、即ちマイナス要因のほうがウェイト的に高すぎるから・・迷宮入り。疲れすぎて、壊れない程度に、自分の中に、あらかじめ防波堤築いてから、・・・宜しければ、読んで、疲れて、唸ってみて下さい!!上の本、収録33話は、共通の様子ながら、2冊を、お好みで、選んで下さい。売り切防止の意も含め、ここに、二冊共に、No.1に添付しました。No.1頁内、左側は初回版。<封印された33話>■【1】サヨナキドリとメクラトカゲ、■【2】小刀を持った手、■【3】子どもたちの屠殺ごっこ(第一話)、■【4】子どもたちの屠殺ごっこ(第二話)、■【5】死神とガチョウ番、■【6】テーブルとロバと棍棒、■【7】ふうがわりな食事会、■【8】青髭、■【9】長い鼻、■【10】まぬけのハンス、■【11】白い鳩、■【12】忠実な名づけ親の雀、■【13】人食い鬼、■【14】なでしこ、■【15】家具職人とろくろ職人の話、■【16】木馬、■【17】鍛冶屋と悪魔、■【18】三人姉妹、■【19】夏の庭と冬の庭、■【20】土の中のこびと、■【21】からす、■【22】白鳥王子、■【23】ライオンとカエル、■【24】飢え死にしそうな子どもたち、■【25】憂いの聖女、■【26】えんどう豆の試験、■【27】泥棒と息子たち、■【28】絞首台の男、■【29】黄金の小さな足、■【30】大しらみ、■【31】ひどい姑、■【32】柩の中の王女と墓守、■【33】ハンスの奥さん<上記とは別見解>白雪姫も、ピーターパンも、桃太郎も怖いぞ!!中央は、夢一杯、可愛い子供達に「ピーターパン」▼ _ _折角グリム兄弟スポットだから、次頁は、有名なお話「ハーメルンの笛吹き男」封印されなかった側のグリム童話から、比較考察の巻1284年6月26日、実際、ドイツのハーメルンで130人の少年が失踪!犬猫の可愛服&用品、人の暮らし&グルメ&KIDS▼サイトTOPは犬猫サイト<飼い主さんの読書コーナー<【大人が読む「物語絵本の裏庭」暗示を紐解く考察編特集】:No.1<No.2<(現在頁)No.3<NEXT:No.4
2013.05.10
グリム童話の暗示紐解く考察特集,封印されたグリム童話33話,封印の訳と社会背景考察「物語メルヘンの裏庭」No.2,名作物語も御伽噺も実は怖い,大人が読む「物語絵本の裏庭」ご免あそばせ!ホントは怖いゾ!_No.2残酷すぎて封印されたメルヘン「グリム童話の謎33話」他可愛メルヘンも、日本の御伽噺も、実は、怖っ!&悲しい!どーせなら、この際、開き直って、”考えすぎて!”・・みませんか?闇に葬られた作品「グリム童話33話」_その2ご免あそばせ!ホントは怖い!!初めから読む:No.1(No.1には、もう一種類、本を掲載しています。)<グリム兄弟「ヤーコプ・グリム&ヴィルヘルム・グリム 」>さて、そこで、グリム兄弟が、悩んだ暁、削除した「問題の33話」の続き。前述のとおり、「とても、子供達には、読ませられんな!」と判断したのが最大の要因ながら、きっと、まだ訳がある。世に憚る意も否定できないし、それ以上に奥深い要素も多大。英雄も偉人も正義の味方も、・・親兄弟を血祭りにあげる例!それは、ゲゲッとなるほど、史実に多い。グリム童話に関係ないですが、血で血を洗う例<ギリシャ神話にもこのとおり>作品「「オレステスの後悔」◆耳を塞いで、逃げようと足掻いてる青年=「オレステス」=主人公◆胸にナイフが刺さって絶命女性=「オレステス」の母:オレステスが正義の為、意を決して、実の母を殺した。母が実の父を殺したから。父の仇討ち。だが、永久に消えない悔恨の情。◆他女性は「復讐の女神」と,「呪いのコーラス合唱隊」 ___上記の話はこのシリーズ内「(各作品に潜む謎解き)No.4」▼<コレまた、人だから・・!!>いわゆる正史とは、だいたい、こーゆーオチで物語を伝播する。▼偉大なる人物は、情に流されることなく、大儀の為に、心鬼にして、自ら肉親を殺害したのであった!!されど、大層、懊悩したのだ!・・と素晴らしい美談に化ける。家康のシナリオ美化修正術seriesも「考えすぎ人間series」にあります。▼ところが、いつの時代のどこの国の話にせよ、いずれにしても、素直に、その立場で読むと、特有の世界に引き込まれて、貰い泣きして戦慄が走る。日本の歌舞伎も同様。泣ける。実弟「佐々木高綱」の首実験に対処する実兄「佐々木盛綱」の姿に、貰い泣きするは、『盛綱陣屋』の巻。首級は偽者と知りつつ、偽りの証言を為した彼は後で責任切腹に。(この話:脱線するので、現在頁では詳細割愛)▼それでいながら、今度は、反対の立場で読んだら、どんでん返し!・・殺しは殺し!卑劣は卑劣!見殺しは見殺し!容認も沈黙も言い換えれば残虐!・・・★どっちも自分!!★また、語り部本人が、土壇場キャンセルもしくは、婉曲表現に身を任すには、こーゆー見解も混じる。▼富める人が絞るから、食うに食えぬ貧民は、窮地の祟り!ゲッソリ!グロテスクは創作の世界じゃなくて、食い詰めているから、事実。いちいち書きたくない!とんでもない事をやらかす。「だから下賎の民!けしからん!」と、ここに、またしてもさらに差別が露骨に。ますます貧富の差。だが、しかし、その立場なれば・・きっと、そうなる。これまた、ゲゲッ!人事でない。語り部「グリム兄弟」が、ゴクン!と飲み込み、デリートした訳考察犬猫の可愛服&用品、人の暮らし&グルメ&KIDS▼サイトTOPは犬猫サイト<飼い主さんの読書コーナー<【大人が読む「物語絵本の裏庭」暗示を紐解く考察編特集】:No.1<(現在頁)No.2<NEXT:No.3<
2013.05.10
名作物語も御伽噺も実は怖い,暗示紐解く考察特集,大人が読む「物語絵本の裏庭」No.1,隠蔽と美化修正の訳,残酷すぎて封印されたメルヘン「グリム童話の謎33話」他,ご免あそばせ!ホントは怖いゾ!の巻,本,【楽天市場】大人が読む「物語絵本の裏庭」ご免あそばせ!ホントは怖いゾ!_No.1残酷すぎて封印されたメルヘン「グリム童話の謎33話」他【現在シリーズMENU概略】【特徴=二本立て】■史実照合考察&資料表のお硬いバージョンと、■子供も読める童話&お気軽バラエティーNo.1~3:「グリム兄弟」自ら、封印&公表しなかった作品について(■ゴクン!と飲み込み、デリートした訳考察、■封印された作品詳細ご紹介No.4~6:ハーメルンの笛吹き男物語と1284年史実照合!(この時、ハーメルンでは実際、何が起きた?!童話の暗示を紐解く!No.7~8:資料表編■物語「ハーメルンの笛吹き男」と、史実のハーメルン事象考察表■1284年6月26日、ハーメルンでは何が起きた!?◇「130人の子供が失踪!」のキーワードが暗示するモノを、史実に考察探索!!◇風化した記憶の中、年月日の錯覚か?少年や若者が集団犠牲となった史実を複数ご紹介姉妹編=「子供用純情モード」:▼大人もうるるん!可愛いアニメ物語絵本「可愛動物と子供達:夢とメロディーと「メルヘン物語」&可愛動物ぬいぐるみ特集!」子供編No.4&No.5絵本:◇ながぐつをはいた猫、◇みにくいあひるのこ、◇ジャックと豆の木、◇かちかち山の狸さん、◇ぶんぶく茶釜、◇狐ちゃん話2種、◇日本昔話かるた・・他可愛メルヘンも、日本の御伽噺も、実は、怖っ!&悲しい!どーせなら、この際、開き直って、”考えすぎて!”・・みませんか?闇に葬られた作品「グリム童話33話」ご免あそばせ!ホントは怖い!! _ _▼中央の名画カルタは全然「怖い!」に関係ない!・・が、冷汗っ!全問正解!オール解るお人、いらっしゃるカナ?採用試験なら、自慢じゃないが、100%落ちる!ああ、ソレ知ってる。有名なあの人のアレだよ・・・と言いつつ、ソレもアレも正しく言えない!アタマは病気!ご立派プライスの専門芸術書は、とても買えないお財布事情?でも、これなら広く浅く!!イイカモ! 上の本、収録33話は、共通の様子ながら、2冊を、お好みで、選んで下さい。売り切防止の意も含め、ここに、二冊共に添付しました。左側は初回版。グリム兄弟「ヤーコプ・グリム&ヴィルヘルム・グリム 」:謎の「33話」(その1)闇に葬られた作品「33話」・・・とはいえど、これは、けっして、グリムが怖い人!とか、問題有りにて、第三者の判断で発禁になった!のではありません。グリム兄弟「ヤーコプ&ヴィルヘルム」自らの判断で、発表の際、削除された問題の作品。「とても、子供達には、読ませられんな!」と判断して、彼らが削除。さて、されば、なぜ?に、何が言いたくて、当初、この作品を??その考察。そこにポイントして、解り易い解説付の本です。オカルト主義に突っ走るでなく、にもかかわらず、どうしてかな?・・そこらへんを、じわっと考察の書。それを知らずに読み始めると、ゲロッ!グロテスク!猥褻!など、びっくりするかもしれませんが、わざわざ、筆を取るからには、当初、なんらかの伝えたい意志があったから。西洋史も日本史も、つまるところ、かつての偉人達は、血で血を洗う残酷&卑劣。言うなれば、栄誉とは、即ち、どこぞに人柱!・・ともいえる。グリム兄弟も、当時の現世実態に向かって、ホントは、なんか言いたかったのでしょう。なんとなく合点のゆかぬオチに少々悩む地域浸透型の言い伝え物語も、御伽噺の蓑を被って語り伝えられる幾つかのお話も、アタマ捻って読むと、もしや、あの人?・・だなんて場面は一杯。また、なんか、奥歯にモノが詰まったみたいな、言いたいくせに、憚って婉曲させて、おかげで、結局、解らんぞ!状態とか。示唆するモノを、土壇場で語り部自ら、飲み込んで隠蔽してしまう。それに加えて、物語では、とんでもなく悪い人!に描かれてるその人物を、別の尺度で見ると、実は、その正反対だった・・もよくある話。敗者側の立場で見直すと、百八十度、でんぐり返る。「勝てば官軍!負ければ賊軍!」この言語は、1868年、日本の明治維新以来ですが、太古の昔から、古今東西、全世界共通。負けたら悪です。弁明の余地は許されない!勝ったら、時に及んで、残酷も、脚色されて美談に化ける。見えない裏幕で、へんてこりん!が一杯あったのでしょうね。▼されど、いざ、自分が、その立場なれば、きっと、イヤだけど、おんなじ・・なんだろうナァ。英雄も偉人も正義の味方も、・・親兄弟を血祭りにあげる・・ゲゲッとなるほど、史実に多い。▼コレまた、人だから・・!!No.2へGO!サイトTOPは犬猫サイト<わくわくドキドキ!色んな記事玄関<飼い主さんの読書コーナー<【大人が読む「物語絵本の裏庭」暗示を紐解く考察編特集】:No.1(現在頁)<★NEXT:No.2
2013.05.10
絵画紐解く謎,女帝の死暗示,二大神対立源流,キリスト教とイスラム教の大昔考察,「ゼノビアの発見」小編No.5,絵画が暗示する女帝ゼノビアの黄色い布の暗示,ウィリアム・アドルフ・ブグローの絵画と神話化された女帝,宗教観念の源流ヒント,本と絵画とコラム,ウィリアム・アドルフ・ブグローの絵画No.17時には骨休め!考えすぎ人間へシリーズ「女帝の死が暗示するもの」絵画が紐解く「重いテーマ」:女帝「ゼノビア」の黄色い布の暗示背筋がゾクゾク!だけど、ワクワク!おもろ怖っ!神話に潜む謎解きウィリアム・アドルフ・ブグローの絵画_No.17姉妹編「絵画で紐解く魅惑のギリシャ神話(No.1~No.12)」=ギリシャ神話を2倍!楽しく読み解く作品「ゼノビアの発見」と神話化された実在の女帝_(その5)陰に潜む小難しいテーマ「異なる思想:異なる宗教観念の源流発祥」まとめ考察:漂う異種の宗教源流&発祥モト:異なる民族の異なる思想_(前頁の続き)ウィリアム・アドルフ・ブグローの絵画:初めから読む:No.1◆ウィリアム・アドルフ・ブグローの絵画「ゼノビアの発見」に絡む話(その5)【項】_「キリスト教圏と、イスラム教圏」という形の塗り分け見解発生以前のずっと大昔に漂うその匂い源流(現在頁は、この項目の続き)<前頁:作品「ゼノビアの発見」と神話化された実在の女帝編_(その4)】具体的に何という名の宗教同士が対立したからだと、断定して書くわけには、ゆきませんが、宗教名自体は二次的要因であり、そもそも、異なる民族が、それぞれ崇拝する対象も異なれば、生活様式&文化は、古来より存在する。その為、異教徒という具体的言語を、この時代に当て填めて表現できませんが、そのかわり、「異文化、異思想に、屈してなるものか!」・・・これは、ずっと大昔から、人が人であり、その文化とその信念で暮らしてきた以上、存在したことだろう。孤島の日本列島に住む我々日本人とは、一番、そのあたり鈍いのだが、もしも、それまでの生活様式、文化、全部、否定されたとしたら・・・これは、根深い!彼らにとっては、人権の否定にも等しいわけで、それゆえ、命も惜しまない。時にこれが殺意に。宗教は史実の中、二次的、聖戦の用語に時には使用されたと言えば、大変恐縮かつ語弊ありますが、・・・根源は、宗教という言語以前の要素に潜んでいるのがわかる。<現在頁下側に考察参考枠有り>【おまとめ項目】:異種の思想、異種の民族:異種の宗教に掛かる発祥源流考察参考メモ【あらかじめ注】宗教問題の難しい現世のポイントをコメントする気は全然ありません!!あくまで、それ以前の段階、生活様式&文化に於ける「異文化、異思想」として、捕らえ、書いています。今までやってきたこと、築きあげたこと、守り通してきたこと、もしもある日、全部否定されて、全部悪!と言われたら・・・人とは、青い炎が燃え盛る。現代の国内、思想の為に生じる殺意といえば、日本で、ごく平凡に暮らす私が身近な自分の例で説明できませんが、一般的に、たまにあるパターンとしては、芸術家の卵さんが、咲けばいいが、咲けずに低迷している時、現実主義の家系にあって、それを「非現実的な夢想!」として全面否定され、現実的な生業を強制された時の怒り・・・ぐらいしかアタマに今、浮かばず恐縮ながら・・・。強要されても、おんなじ色には染まれない!その人は、その人らしい根本まで覆す事はできない。古来どおり、古来のならわしで、生き続けたい・・・それが人だから。「たとえ、国が滅んで、肉体は朽ちても、魂は不滅じゃ!」▼ 生き残りの民族による心の叫び。それが、「ゾシモス」が書き残した彼流史伝「ゼノビアの死」であり、▼目に見えぬ「その叫び声」を過去の歴史に掛かる絵画という形で、極めて冷静に、客観的に、ぐんと後の時代の人間が、表現したのが、▼画家「ウィリアム・アドルフ・ブグロー(1825~1905)」であり、その作品が、今回のテーマ、彼の作品「ゼノビアの発見」といえるだろう。なんといっても、印象的なのは、象徴の「黄色い布」が、全てを代弁している。イスラム圏に於ける:◆黄色の布、◆染料サフラン、◆絹の布イスラム圏に於ける象徴の色とは、漠然と緑をイメージするが、過去の幾つかの場面、黄色も重要な意味合いの色として登場している。裏を返して言うと、中世ヨーロッパでは、「黄色」を忌み嫌う傾向も生じた。即ち異教徒の暗示。イスラム圏に於ける「黄色い布」は、権力と勇気と富のシンボル。象徴題材のひとつ。黄色の色彩、その染料は「サフラン」である。随分お贅沢な材料。だから、勇気は二次的ながら、まさしく「権力と富」のキーワードに、ぴったり。その「権力と富」の根源が、勇気と不屈の彼らの正義感に結びつくのだろう。因みに、高貴な人物が身につける「黄色い布」とは、綿等の安価素材ではなく、絹である。★サフランで染め抜いた黄色い絹の布。女帝の胸にやんわりと巻かれた 「黄色い布」とは、まさに、コレ「サフランで染め抜いた黄色い絹の布」でありましょう!!サフランも、絹もオリエント、シルクロードのタマモノ。初めからお読み下さいました皆様には、ピンと来ると思いますが、彼女とは国籍不明、謎の出自。親は解れど、これまた謎多々。但し、父は、アラビアの人。シリア部族長他歴任。一応、ローマ市民権取得した存在。謎めいたままに解き明かされぬ彼女の要素は、同じ色には、染められても染まれない!断固染まるまい!!・・・ざっと、このあたりを示唆していることでしょう。【おまとめ項目】:異種の思想、異種の民族:異種の宗教に掛かる発祥源流考察参考メモイエス・キリスト(紀元前4年頃 - 紀元後28年頃)イスラム教:始原は「西暦610年頃」ユダヤ教:紀元前1280年頃、<ローマ帝国とキリスト教>ローマ帝国◆王政時代 紀元前753年 - 紀元前509年 ◆共和制時代 紀元前508年 - 紀元前27年 ◆帝政時代 紀元前27年 - 西暦1453年ローマ帝国が、キリスト教を国教となす時期ローマ帝国が、キリスト教を国教となす時期は、ぐんと後「392年」である。392年、テオドシウス1世(ローマ皇帝)が、古くからの神々崇拝を、廃止。正式にキリスト教を国教とした。その結果、395年、ローマは、再び分離。今度は致命的分離。◇東ローマ帝国、&、◇西ローマ帝国に分裂して、各々立国。ウィリアム・アドルフ・ブグロー◆ 1825/11/30~1905/8/19(満79歳死亡)。フランスの画家。1825(=文政8年):幕府が外国船打払令:(将軍は11代徳川家斉時代)1905(=明治38年):前年(1904)に日露戦争終了。そこで、この年、ポーツマス条約こんな後の時代の画家が、大昔をみごと暗示した。日本は孤島で同一民族&宗教は自由とて、根本的に争いに繋がる巨大な宗教ウェーブはやってこないから、我々日本人は鈍いが、彼らの場合、第二の摩擦音が生じた時、ふと大昔の事柄に、重いテーマを填め込んで描き出している。ウィリアム・アドルフ・ブグローの作品とは、ますます魅力が一杯だ。絵画パレードと、おすすめ解説本は、真下リンクの【その1】▼からどうぞ!サイトTOPは犬猫サイト<ブグローの絵画:ギリシャ神話を紐解く小特集:No.1<・・・<No.13=作品「女帝ゼノビアの発見」が暗示するモノ編【その1】<【その4】No.16<【その5】No.17(現在頁)
2013.03.31
絵画が紐解く謎,女帝の死と暗示,異なる二大神対立の源流,キリスト教とイスラム教の大昔考察,「ゼノビアの発見」小編No.4,絵画が暗示する女帝ゼノビアの黄色い布の暗示,ウィリアム・アドルフ・ブグロー絵画と神話化された女帝,宗教観念の源流ヒント,本と絵画とコラム,ウィリアム・アドルフ・ブグロー絵画No.16時には骨休め!考えすぎ人間へシリーズ「女帝の死が暗示するもの」絵画が紐解く「重いテーマ」:女帝「ゼノビア」の黄色い布の暗示背筋がゾクゾク!だけど、ワクワク!おもろ怖っ!神話に潜む謎解きウィリアム・アドルフ・ブグローの絵画_No.16姉妹編「絵画で紐解く魅惑のギリシャ神話(No.1~No.12)」=ギリシャ神話を2倍!楽しく読み解く作品「ゼノビアの発見」と神話化された実在の女帝_(その4)陰に潜む小難しいテーマ「異なる思想:異なる宗教観念の源流発祥」ウィリアム・アドルフ・ブグローの絵画:初めから読む:No.1<前頁:作品「ゼノビアの発見」と神話化された実在の女帝編_(その3)】◆ウィリアム・アドルフ・ブグローの絵画「ゼノビアの発見」に絡む話(その4)<異なる民族と異なる思想が見え隠れ:ゼノビアの出自の謎>さて、上記のとおり、夫「オダエナトゥス」と、前妻の子は、死を遂げる。そこで、女帝「ゼノビア」による全盛時代到来。乗っ取ったんだか、他勢力によって暗殺された?のか、そこは、判然としないが、少なくとも、涙の女房が亭主の仇討ち、凛として立つ!のシナリオは、相当、きな臭い。<クンクン臭う!_(その1)は、父の血:民族性>因みに、彼女の父「ザッバイ」は、先祖の代に既に、ローマ市民権を得ているが、民族的か、宗教的か、何れにせよ、屈して追従するものの、内心不満を抱える異種の存在。彼女はその血を引いている。<クンクン臭う!_(その2)は、ゼノビア本人の出身国はどこだ!まるで謎>「ゼノビア」とは、実に謎多い存在。彼女は多国語に堪能だったといわれる。エジプト語、ラテン語、ギリシア語、シリア語、アラビア語・・・!大層な才女。彼女は、自分で「私はクレオパトラの再来なのよ!」と言ったり、「エジプトの女王」と言ったり。ますます、メイドイン、どこの国出身なのか、謎めいている。だが他に、彼女の描写でふと気になるのが2点。瞳の色は漆黒。そして笑うと白い歯が真珠のごとく輝く。これは、典型的白色人種と異なるの示唆。黒い瞳は言うまでもないし、白い歯が目立つのは、肌の色。勿論、我々日本人のような黄色でもなければ、赤銅色ではない。されど、真っ白でなくて、微妙な小麦色ってところでありましょう。このあたりからも、この人物、クンクン臭いますね!!異なるから、屈したくない意地が。<女帝ゼノビアの英雄的戦死は偶像崇拝のなせる業!実は、屈して生きていた!の説>実のところ、ゼノビアは、ちゃっかり生き延びていた可能性が高い。その説では、ちゃんと生き残り、再婚するわ、子も生まれるは・・と全く別の話。因みに、彼女を跪かせる、もしくは、処刑したとされる張本人ローマ皇帝「アウレリアヌス」は、275年に暗殺されている。この暗殺に直接関与痕跡はどこにもありませんし、後はおそらくホントに屈して流れに染まった余生でしょうが、彼女のパターンは、時期不適切なければ、一度鞘に填まり起動時期を窺う怖さがある。壺の中の猛毒コブラみたいな!嫁として収まりつつ、なぜか夫と前妻の子がコロッ!その後、政権掌握。過去の経緯がその証拠。いずれにせよ、パルミラ王国が敗れたのは、273年。その2年後の275年には、これまたなぜか、その仇敵ともいえるローマ皇帝「アウレリアヌス」が暗殺死を遂げている!!<実は、生きていた!説の裏づけ各種>子の名前も記録に残れば、屋敷を与えられ、裕福な暮らし・・etcと色々ある。即ち、屈して生きた説のほうが有力。但し、一番、納得ゆくシーンは、アウレリアヌスの凱旋式に、死んだはずの、ゼノビアご本人が、参列の事実!!ひとたび、有名無実と転落していたローマ帝国は、東西分離の歴有り。西は、ガリア帝国。東は、女帝ゼノビア張本人による「パルミラ王国」。▼ところが、そんなローマ帝国に、英傑皇帝「アウレリアヌス(270年に皇帝即位)」ご登場!これにて、一気に歴史が塗り替えられる。彼の実力は凄い。▼274年、西は、ガリア帝国が、ついに降伏した。この目出度い「アウレリアヌス凱旋式」にゼノビアご本人が、参列させられている。処刑を免れたも、これまた実力として評価価値有り。涙の女房凛として立つの美談シナリオ、またしても使ったか?私は、ただの女にすぎません!!・・と!ガリア帝国の滅亡(274年)より、一年前の273年に滅んだ「パルミラ王国」。★国の滅亡と同時に死んだはずの「ゼノビア」が、そこに居る!! にもかかわらず、「ゼノビアは勇戦死を遂げたのだ!!」と、必死の一種信仰にも近い、この不思議な伝説は、何に由来するか?を考察▼実は屈して生きた人を死んだことにしてまで、叫びたい気分とは!!▼★「たとえ、国が滅んで、肉体は朽ちても、魂は不滅じゃ!」まとめ考察:漂う異種の宗教源流&発祥モト:異なる民族の異なる思想【ご参照=おまとめ項目】=次頁:異種の思想、異種の民族:異種の宗教に掛かる発祥源流考察参考メモ「キリスト教圏と、イスラム教圏」という形の塗り分け見解発生以前のずっと大昔に漂うその匂い源流上記のとおり、彼女に関しては、厳密な出自、人種、国籍、宗教観念など、詳細は、実に謎だらけの存在ながら、この時、古代ローマ帝国に滅んだものは、奥深い。異なる民族の信仰した異なる思想が、この瞬間、終焉を遂げたのは事実だろう。次頁の「おまとめ項目」のとおり、この時代、「キリスト教圏と、イスラム教圏」という形の塗り分けは、できない。この名で語るに相応しい宗教確立は、まだ先の時代であり、この時代、この見解は、まだ存在していない。しかも、ローマが、キリスト教を国教となすのは、ずっと先の392年のことである。但し、具体的に何という名の宗教同士が対立したからだと、断定して書くわけには、ゆきませんが、宗教名自体は二次的要因であり、そもそも、異なる民族が、それぞれ崇拝する対象も異なれば、生活様式&文化は、古来より存在する。その為、異教徒という具体的言語がこの時代存在しなかったかもしれませんが、そのかわり、「異文化、異思想に、屈してなるものか!」・・・これは、サイトTOPは犬猫サイト<◆時には骨休め!SERIES<ブグローの絵画:ギリシャ神話を紐解く小特集:No.1<・・・<No.12<No.13=作品「女帝ゼノビアの発見」が暗示するモノ編【その1】<【その2】No.14<【その3】No.15<【その4】No.16(現在頁)<★NEXT★:【その5】No.17・・
2013.03.31
絵画が紐解く魅惑と謎,女帝の死と暗示「ゼノビアの発見」No.3,絵画が暗示する重いテーマ:女帝ゼノビアの黄色い布の暗示,ウィリアム・アドルフ・ブグローの絵画と神話化された女帝,姉妹編「絵画で紐解く魅惑のギリシャ神話」,異なる思想と異なる宗教観念の源流ヒント,キリスト教とイスラム教の大昔考察,本と絵画とコラム,ウィリアム・アドルフ・ブグローの絵画_No.15時には骨休め!考えすぎ人間へシリーズ「女帝の死が暗示するもの」絵画が紐解く「重いテーマ」:女帝「ゼノビア」の黄色い布の暗示背筋がゾクゾク!だけど、ワクワク!おもろ怖っ!神話に潜む謎解きウィリアム・アドルフ・ブグローの絵画_No.15姉妹編「絵画で紐解く魅惑のギリシャ神話(No.1~No.12)」=ギリシャ神話を2倍!楽しく読み解く作品「ゼノビアの発見」と神話化された実在の女帝_(その3)陰に潜む小難しいテーマ「異なる思想:異なる宗教観念の源流発祥」ウィリアム・アドルフ・ブグローの絵画:初めから読む:No.1<前頁:作品「ゼノビアの発見」と神話化された実在の女帝編_(その2)】◆ウィリアム・アドルフ・ブグローの絵画「ゼノビアの発見」に絡む話(その3)<女帝「ゼノビア」とは?>(当該絵画は現在頁下側)◆女帝「ゼノビア」:フルネームは、セプティミア・バトザッバイ・ゼノビアという。◆彼女は、3世紀に存在したパルミラ王国の「女王」 。パルミラ王国◇260?頃~ 273年:この国はローマ帝国に敗れて滅びる。◇創設者は、夫の「オダエナトゥス」、◇夫の死後、彼女が女帝となり君臨。◆ゼノビア生存について:アバウトしか解らない。なんせ古い。(約240年~約274年or実は以降も生きた!説有:生存説のほうが有力)◆父:ザッバイ:(アラビアの人:シリア部族長他歴任:一応、ローマ市民権取得した存在)、◆母:国籍不明:複数説有り(ギリシャ人説、エジプト人説他)◆夫:ゼノビア本人:セプティミウス・オダエナトゥスの後妻とされる。<女帝「ゼノビア」の偶像イメージ?>次々と「領土」を拡大していったこの女帝。男勝りの戦上手の武将派女帝。服装もチャラチャラ姫様風ドレスではなく、どことなく男っぽい武装流。騎馬術も巧み。自ら戦場に立ち、指揮をする。戦士女王。なかなか、興味深い。<女帝ゼノビアの野心と繁栄:夫の国乗っ取りか?&拡大>思想の為なれば、夫の寝首を掻くも然り!の怖い女・・・の確率高い!<彼女の王国「パルミラ王国」繁栄&衰亡を簡単に>夫時代にローマ皇帝「ガッリエヌス」に信頼され、本人時代は、さらに領土拡大。東部殆ど全域一任される。ところが、凄い勢力で、めきめき拡大。これを脅威と感じた次期皇帝「アウレリアヌス」に攻め滅ぼされる。そもそも、この所以は、夫と前妻の子暗殺死に由来する。「涙の女房」が、凛として立つ美談のシナリオ。だがしかし、これは実は、夫の国乗っ取りか?とも言われる謎部分。即ち、この説でゆくと、暗殺の発進元はご本人。亭主と前妻の子を暗殺してでも、権力を手中に治めようとしたその野心は、はたして、なにものだろうか?ここに、またしても、異なる民族と異なる思想が見え隠れ。ご参照:後続頁に、ラスト項:【まとめ項:漂う異種の宗教源流&発祥モト:異なる民族の異なる思想】の枠を組みます。<上記の流れ>◆夫の「オダエナトゥス」は戦功優秀。ガッリエヌス(古代ローマ帝国皇帝:218年頃~ 268年)の信頼を勝ち取る。ローマ帝国に於ける東部属州を委任された。彼はパルミラを根拠地(いわば首都の役目)に、半独立(パルミラ王国)の状態を獲得する。▼ところが、本人と前妻の子は暗殺死を遂げる。その後、後妻の「女帝ゼノビア」時代の到来。▼この頃、ローマ帝国は、「サーサーン朝」の度々に及ぶ侵略戦争に悩まされる。この機に乗じて、「女帝ゼノビア」は、国を守る為にと称して、断然、領土拡大成功。皇帝直轄領も次々と、手中に収める脅威的実力。エジプト、小アジア迄全部彼女のモノと化ける。さて、こうなると、ローマ帝国としては、いやな予感。次期ローマ皇帝「アウレリアヌス」は、この「女帝ゼノビア」に脅威を感じ、分離自治の地位を剥奪すべく降伏勧告。しかし、ゼノビアは、堂々反旗を翻す。ここに、黄色い布を巻き、勇戦して死亡した女帝の伝説が残る。これは、「believer!達」の仕業!そうあって欲しい!そうでなくては困る!女帝は、思想と民族の為に、勇戦して死んだ!!と!! ・・・(後述:ゼノビアは、ちゃっかり生き延びていた可能性!のほうが高い。)▼女帝の死後(or、喪失:喪失とは、捕縛され連れ去らわれ、彼女本人は屈服状態を示唆)も、パルミラ市として、この生き残りの種族は、勇戦して、ほんの暫し自治を保つが、273年、パルミラ王国は、最期の抵抗虚しく、ローマ帝国に徹底的に潰され、完全瓦解。絵画の中、描かれている他の人物が、その当該と想定されますが、具体的に各人物までは、私は調べてません。ご興味のある方は、どうぞ、発掘してみて下さい。ますます面白いと思います。羊飼いの持つ杖みたいなの保持した男、中国の笠帽子みたいなの被った人物等、非常に、気になりますが、凝り性につき、私は、このあたりで撤退して、ゼノビア本人を掘っ繰り返します。 ★次頁は★<異なる民族と異なる思想が見え隠れ:ゼノビアの出自の謎さて、上記のとおり、夫「オダエナトゥス」と、前妻の子は、死を遂げる。そこで、女帝「ゼノビア」による全盛時代到来。乗っ取ったんだか、他勢力によって暗殺された?のか、そこは、判然としないが、少なくとも、涙の女房が亭主の仇討ち、凛として立つ!のシナリオは、相当、きな臭い。クンクン臭う!_(その1)は、父の血:民族性クンクン臭う!_(その2)は、ゼノビア本人の出身国はどこだ!まるで謎!怪しいぞ!サイトTOPは犬猫サイト<◆時には骨休め!SERIES<ブグローの絵画:ギリシャ神話を紐解く小特集:No.1<・・・<No.12<No.13=作品「女帝ゼノビアの発見」が暗示するモノ編【その1】<【その2】No.14<【その3】No.15(現在頁)<★NEXT★:【その4】No.16・・
2013.03.31
絵画が紐解く魅惑と謎,女帝の死と暗示「ゼノビアの発見」No.2,絵画が暗示する重いテーマ:女帝ゼノビアの黄色い布の暗示,ウィリアム・アドルフ・ブグローの絵画と神話化された女帝,姉妹編「絵画で紐解く魅惑のギリシャ神話」,異なる思想と異なる宗教観念の源流ヒント,キリスト教とイスラム教の大昔考察,本と絵画とコラム,ウィリアム・アドルフ・ブグローの絵画_No.14時には骨休め!考えすぎ人間へシリーズ「女帝の死が暗示するもの」絵画が紐解く「重いテーマ」:女帝「ゼノビア」の黄色い布の暗示背筋がゾクゾク!だけど、ワクワク!おもろ怖っ!神話に潜む謎解きウィリアム・アドルフ・ブグローの絵画_No.14姉妹編「絵画で紐解く魅惑のギリシャ神話(No.1~No.12)」=ギリシャ神話を2倍!楽しく読み解く作品「ゼノビアの発見」と神話化された実在の女帝_(その2)陰に潜む小難しいテーマ「異なる思想:異なる宗教観念の源流発祥」ウィリアム・アドルフ・ブグローの絵画:初めから読む:No.1<前頁:作品「ゼノビアの発見」と神話化された実在の女帝編_(その1)】◆ウィリアム・アドルフ・ブグローの絵画「ゼノビアの発見」に絡む話(その2)絵画を用心深く、ご覧下さい。二つの暗示。【1】_黄色い布、【2】_黒犬らしき不思議な陰が青年の足元に! 【3】_右下若者の本体と、その影の「形の相違!」・・・宗教観念の対立、臭いませんか?こんな古い時代に、既にして対立の兆し!!上記の 【2_黒犬の暗示】&【2_青年の影と運命の暗示】については前の頁(その1)に、記載しました。現在頁は【1】_黄色い布の暗示「異なる思想:異なる宗教観念の源流発祥」です!この絵画が描く姿は「ゾシモス」という人物が書き残した「女帝の英雄的勇戦死」説に基づく。【1】_黄色い布の暗示絵画の中、落胆した様子の人々が、女帝の屍を引き上げる様子。ここで、ひとつポイントは、女帝の胸から腰に巻きつけられた「黄色い布」。これは、正義と勇気の象徴。戦に負け、罪人となされたゼノビアは、死刑の前に、見せしめの為、市中を引き回された。その際、彼女は、最期の抵抗。「どうせ死ぬのなれば、私が正義であったことを知らしめて、死のう!」この「黄色い布」は、彼女自ら、巻きつけた・・と「ゾシモス」は伝える。<支持派の願望と、実際の矛盾(実は死んでない!説)の謎については後述>「たとえ、この命が朽ちても、真意に於ける絶対正義は普遍よ!必ず蘇る!民の幸は、このアタシが築いたこの国の正義なのよ!今に見ていなさい!悪は必ず滅びる!!」・・・女帝の意地!幸せの黄色いハンカチーフの発祥とは、全然関係ないし、左記はもっと新しい時代の発想ながら、「黄色い布」に篭められたなんらかのニュアンスは、想像を絶する程古い時代であったことも、同時に窺い知れる。ところが、ここで言わんとする「黄色い布」のニュアンスは、別見解。どう考えても、「イスラムの見解」に随分合致する。そのソースを以下に順次書いてまいります。<この美談に伝わる「女帝ゼノビア」の敗北の時と死の様子>敗北を悟った彼女は、ごく一部の護衛隊に守られ、泣く泣くりペルシアへ逃亡を開始。しかし、無念。ユーフラテス川を渡る直前、ローマ軍に捕縛された。女帝は、最終段階の死刑を受ける前、引き回しの刑の途上、死亡したとされる説も多大の上、「ゾシモス」は率先して、「そうなのだ!死んだのだ!」と、力んで書き残す。ウィリアム・アドルフ・ブグローの絵画「ゼノビアの発見」に描かれた姿は、まさに、このシーン。命果てたのか、それとも、屈辱の罪人として、ローマ王の前、引き出されるを拒否して、自ら舌を噛み切るなど自殺を図った結果なのか、そのあたりは不明ながら。後述しますが、実は、この女帝、カッコ良く死なずに、実は屈して、生き延びた説有力。対して、この英雄的死亡の伝説は「ゾシモス」という人物が書き残した由来。思想の為に、それを支持する民族の為に、カッコ良く死んだ女帝の伝説を信じて疑わず、永久に崇め続けたい人々(民族)が居たことの立証だろう。女帝「ゼノビア」とは?サイトTOPは犬猫サイト<◆時には骨休め!SERIES<ブグローの絵画:ギリシャ神話を紐解く小特集:No.1<・・・<No.12<No.13=作品「女帝ゼノビアの発見」が暗示するモノ編【その1】<【その2】No.14(現在頁)<★NEXT★:【その3】No.15・・
2013.03.31
絵画が紐解く魅惑と謎,女帝の悲劇_ゼノビアの発見No.1,絵画が暗示する重いテーマ:女帝ゼノビアの黄色い布の暗示,ウィリアム・アドルフ・ブグローの絵画と神話化された女帝,異なる思想と異なる宗教観念の源流ヒント,キリスト教とイスラム教の大昔考察,本と絵画とコラム,ウィリアム・アドルフ・ブグロー絵画No.13絵画が紐解く「重いテーマ」:女帝「ゼノビア」の黄色い布の暗示背筋がゾクゾク!だけど、ワクワク!おもろ怖っ!神話に潜む謎解きウィリアム・アドルフ・ブグローの絵画_No.13姉妹編「絵画で紐解く魅惑のギリシャ神話(No.1~No.12)」=ギリシャ神話を2倍!楽しく読み解く作品「ゼノビアの発見」と神話化された実在の女帝_(その1)陰に潜む小難しいテーマ「異なる思想:異なる宗教観念の源流発祥」ウィリアム・アドルフ・ブグローの絵画:初めから読む:No.1<前頁【ギリシャ神話編】から読む:No.12【「プシュケー(蝶の翼を授かった娘)の禁断の恋」」編】◆ウィリアム・アドルフ・ブグローの絵画「ゼノビアの発見」に絡む話この絵画を是非凝視!のポイント3箇所・◆黄色い布、◆黒犬、◆黒犬の上に呆然と立つ若者の本体と、その影の「形の相違!!」 ご注目ポイントは胸に巻かれた「黄色い布」◆女帝ゼノビアとは、架空の神話上の人もしくは、神ではなく、実在の人であり、パルミラ王国の女帝。生存は(約240年~約274年orそれ以降実は生存説も)。この女帝は武装して自ら戦場で指揮する女性。『ローマ帝国衰亡史』の中 登場する実在の人。しかしながら、神話化される程、大層神々しい存在。実在は確かながら、生死その他、実に謎だらけ。その女帝の死とは何を物語るか?について、画家「ウィリアム・アドルフ・ブグロー」が一枚の絵画に描き出した。★事実上の屈服と、思想魂不滅の意地<「黄色い布」と正義と富と勇気ニュアンス:彼ら同一民族もしくは同一思想支持派の祈り>【支持派の願望】「たとえ肉体が滅んで朽ちても、思想と我らの魂は不滅!」の象徴<支持派の願望と、実際の矛盾(実は死んでない!説)の謎については後述>この絵画は、よくよく見ると、陰に潜むテーマは、かなり小難しい!のが解った。「異なる思想:異なる宗教観念の源流発祥」を暗示している。絵画を用心深く、ご覧下さい。3つの暗示。【1】_黄色い布、【2】_黒犬らしき不思議な陰が若者の足元に!【3】_若者の本体と、その影の「形の相違!!」宗教観念の対立、臭いませんか?こんな古い時代に、既にして対立の兆し!【1_黄色い布】に掛かる話は長いので、先に、簡単に、【2_黒犬らしき不思議な陰】& 【3】_右下若者の本体と、その影の「形の相違!!」について書きます。【2】_黒犬らしき不思議な陰が暗示するもの!・・&【3】_若者の本体と、その影の「形の相違!!」【あらかじめ注】イスラム教の観念の中、今日の全ての国、全てのみなさんがそうだとは申しませんが、過去において明らかに言われた事柄として。なんと、彼らの世界において、「黒犬とは、悪魔と見なされた!」史実が幾多と存在します。絵画の中、そーいえば、この犬は、立ってるのやら、寝ているのやら、とても地上のイキモノ状態には見えません。あきらかに、なんらかの暗示。その姿は、女帝の足元に、嗅ぎ寄るような不気味なポーズながら、異次元に居る存在。一応、青年が踏んづけていますが、へこんでもいなければ、青年は、勇ましくやっつけて踏んづけたというより、その存在に気がついていないようなニュアンス。この若い青年が、はたして、ゼノビアの生んだ倅「ウァバッラトゥス」なのか否かは、私には断言できませんが、確率としては低くない。倅は不気味な影に飲み込まれた・・の暗示かな?★その訳は、絵画内、この若者の影にご注目▼呆然として、ナヨッ!ともたれている若者の影は、若者のポーズと全然違う。影は棒立ち!足の形が全然違うでしょ!つまり、この若者の運命に、なにかが起きるぞの暗示!しかも、影のアタマの天辺は、なんだか、ボッサボサの鶏冠だか、インディアンの羽冠だか、ちょっと不思議な形。なにやら、怪物やら、死神らしきに侵されてしまう様子を影に創作されて描かれたこの若者は、なぜか、皆と異なり丸裸。運命の絶望的結末の暗示。それらのことから、多分、倅「ウァバッラトゥス」と思います。他人物と異なり、屈強の男と言うには相応しくないヒョロヒョロの四肢と、たよんない顔の表情は、少年を物語る。他の男達は筋肉隆々です。この違い。ますます、多分倅。彼の絵画は、こうして凝視してみると、背筋がゾクゾク!だけど、ワクワク!おもろ怖っ!神話&伝説に潜む謎解き全盛時代のゼノビアは、本来ローマ皇帝のみ名乗るを許される称号「アウグストゥス(オーガスト)」を倅に勝手に与え、そう名乗らせ、自分の王国「パルミラ」の次期皇帝の座に彼女が祭り上げていた。・・(この倅も少年であったことから、殺されず、母と一緒に暗黙に存命した可能性大ながら)この絵画は、登場人物達にとっての黒犬を、忍び寄る不気味な陰「悪魔の到来!」として描いている。されば、悪魔の暗示である「黒犬」が寄る不気味な気配と、女帝の死をワンセットにして、ここに物語る「重いテーマ」を順次、推察、解き明かしてまいります。脱線ながら:当サイトサイトTOPは犬猫サイトの為、私的には「黒犬ちゃんに対する偏見、なんとかしてくれ!我が家の犬も黒い!優しい性格なのに怖いと誤解される!」もしも、そーゆーお悩み有り飼い主さんの場合、是非、可愛い服着せましょう!TOPから各種、犬服記事有ります。脱線話は、程ほどに切り上げまして、再び、ちょいと重いテーマながら、かなり背筋がゾクゾク!ドキドキ!一枚の絵画に潜む暗示の話、その続き。それには、前述の「【1】_黄色い布」が重要要素。▼絵画に描写された黄色い布を身に巻きつけた女帝の死と、忍び寄る悪魔の陰、それは、陰に潜むは、少し小難しいテーマながら、「異なる思想:異なる宗教観念の源流発祥」です!!<支持派の願望と、実際の矛盾(実は死んでない!説)の謎については後述>この絵画が描く姿は「ゾシモス」という人物が書き残した「女帝の英雄的勇戦死」説に基づく。【1】黄色い布の暗示サイトTOPは犬猫サイト<◆時には骨休め!SERIES<ブグローの絵画:ギリシャ神話を紐解く小特集:No.1<・・・<No.12<No.13(現在頁)=作品「女帝ゼノビアの発見」が暗示するモノ編【その1】<★NEXT:No.14・・
2013.03.31
水戸藩徳川光圀_桃源遺事と桃太郎伝説No.7,追従3人家来、翁、鬼:当該人物特定,提唱!「桃太郎モデル実在人物」とは、まさにこの人!!桃太郎伝説と「水戸の徳川光圀:桃源遺事」_No.7当シリーズ内、各頁共通POINTキーワード記号◆【A】川を流れ来る大きな桃、◆【B】こんなに綺麗な桃!勿体無い!、◆【C】鬼退治、◆【D】「犬、キジ、猿」3匹トリオ、◆【E】お婆さん&お爺さん、◆「桃源遺事」によるフレーズ、「水になしとせよ!」とは:この頁:No.3◆関連資料はこの頁:水戸藩考察特集:目次【3_3】_徳川光圀について「桃源遺事」から光圀コンプレックス己の出生事情=生まれてはならなかったこの身実在の桃太郎モデル人物について、私的に、この人物を提唱?!させて頂いております!「桃から生まれた桃太郎」とは・・・・・なんと、この人物「徳川光圀」であります!!<光圀の父「水戸藩主初代_頼房」の恋と不始末_続き(3_3)>・・・初めから読む<前の頁から読む:No.6武佐がその手で、生まれたての赤ん坊を取り上げた。元気な男の子だった。・・・(▲【桃太郎伝説に対比】:流れてきた桃を掴んだのは、お婆さん【A】)武佐は、涙が毀れた。前途多難。この子に未来は、あるのだろうか。発覚すれば、夫の之次は切腹申し付けられるかもしれない。だが、こんなに可愛い子供を、どうして水になしとせよ・・・ができるものか!!【A】すぐ近くには、「千波湖」がある。そこから流れ出る清らかな川がある。子を産み落とした娘「久」は、泣いている。ただひたすら泣いている。色白の美しい娘だった。頬は、柔らかで桃色。【B】その頬から、銀の滴が零れ落ちる。不憫な娘。身分が原因で、誰一人、この目出度い出産を讃えてくれる者はない。武佐(=老婆)は、語った。「泣くでないぞ。そなたは良い娘じゃ。そなたに罪はない。この子はのう、あの清らかな川から授かったのじゃ。天の恵みじゃ。・・・安心なされ。そなたは、ここにおれば、危険じゃ。必ず追っ手が・・・。されば、一日も早く、この場を逃れるのじゃ。この子は、我に任せて下され。必ず、育ててみせましょう。」「久」が生んだこの子は、三木夫婦が、「長丸」と名付けて、天涯、我が子として育てる覚悟だった。三木之次は、名誉も地位も既に捨てた男。江戸藩邸を離れ、こんな山奥にひっこんだ身。この子さえ、無事育てばいい。それでいい。地位も金も何も要らない。この子が、まさに、後の「光圀」である。光圀は、この老夫婦が実の親と信じて育つ。(幼少につき、老人から子供が生まれる矛盾なんぞ、解らないから、無邪気に育つ。)大自然に囲まれて、元気一杯、無邪気に、野山を駆け回る。元気な男の子。そして、月日が流れ、やがて、運命の時。寛永9年(1632)1月24日のことだった。二代目将軍「徳川秀忠」が、ご逝去。すると、不思議なことに、じわじわ、英勝院が動き出した。英勝院とは、「頼房」の養母。徳川家康の側室の一人。今までは、鬼のように「頼房」の不始末を叱責していた。その人物が、なんと動き出した。将軍家では、代が代って、三代目「徳川家光」が立つ。英勝院は、巧に「家光」に接近。ついに、「家光」の心を掴んだ。「家光」も実父「秀忠」に愛されずに育った子。英勝院に涙話を聞かされ、いてもたってもいられなくなったのだろう。英勝院は正式に「将軍家光」の許可を得た。家光は断言した。「 老夫婦の家に居る幼児「長丸」とやらを、正式に認知してやるべきじゃ。このまま、放置はならぬ!頼房に、我が子として、認知させよ!それだけじゃない。城に入れて、堂々藩主の子として、それに相応しい教育をせよ!」4歳で認知された「長丸」は、名を「千代丸」と改め、さらに、じわじわ努力続ける英勝院の力。8歳の時、「将軍家光」の謁見を許され、次期藩主の座まで許しを得た。「家光」は、この子の顔を見るなり、気に入った。自分の名前「家光」の名から「光」の文字を与えた。ここで、千代丸は、「光国」と再度改名。「光国」が「光圀」になるのは、ずっと後。50歳の時、自分で改名している。自称正義の味方、光圀は、5代将軍綱吉の悪政を強烈批判。口だけじゃなくて、強烈行動に出た。(犬皮事件他:No.9)家来を連れて、鬼が島の鬼を退治した。物語に代入すると、鬼ヶ島から勝利を飾って帰ってきた桃太郎は、悪い鬼から宝を奪い取って、お爺さんとお婆さんにお土産として与える。その為、お爺さんとお婆さんは、幸せに暮らしたとさ・・・がオチ。実際は、綱吉よりも、光圀のほうが先に死んでしまいますし、光圀が生まれた頃、既に老齢だった三木夫婦が、この頃まで生きていたらオバケです。そこは、この物語を語った人物の心の願望浪漫。苦労させられたけど、きっとこの夫婦は、幸せだったに違いない。育てた子供は、立派な二代目藩主となり、立派な功績を。冥土から、地上を見守り、あたかも宝を得たごとく、満面笑顔であったことだろう・・・と。最後に一言、鬼ヶ島に付随する地名は、主に四国、瀬戸内海、中国地方に多い。イマジネーションとして、「鬼ヶ島」が登場した理由に、作者の時代、その人物は、水戸側ではなく、上記地方在住していたのではなかろうか。こればかりは想像の領域ながら。全国を渡り歩いた家来の「佐々宗淳」の末裔が、少々気になる。この人物縁戚居住は、上記地方に縁が深い。作者は、妙に、水戸ご老公の事象に詳しい。それでいて、犬皮事件を知らないらしく、家来三匹組に「キジと猿」の他、「犬」も入れて設定してるあたり、ぐんと時代が後の世代なんだろうな・・・ふと、思う。■徳川光圀出自&出生コンプレックス徳川光圀とは、本来、堕胎命令にて、この世に、生まれ出でるは許されぬ子だった!「水になしとせよ」・・・川に流され消えたはずの命だった。・・・どんぶらこ、どんぶらこ、川から大きな桃が流れ来る。桃から生まれた桃太郎。<そのヒントは、> 「桃源遺事」に落ちていた!!「桃源遺事」とは、三木之次夫婦の孫、及びその世代の家臣末裔達が書いた書物。故に、桃太郎モデルとは水戸の徳川光圀であった!!・・・以上が、私流提唱?!でござりまする!!父の頼房が、身分の異なる「久」に妊娠させてしまった子。史実:家来の「三木之次」家で産み落とされて、この夫婦が育てた。桃太郎物語に挿入すると、:この夫婦が、「山へ芝刈りの翁」と、「川へ洗濯の老婆」に該当することになる。◆徳川光圀(1628~1701年):常陸国水戸藩第2代藩主。寛永5年(1628)6月10日誕生。73歳で死亡。詳しくは、(水戸学が幕末攘夷着火材に化けた訳特集目次)からどうぞ。NEXT付録は、芥川龍之介作による彼流の「おどろ怖い芥川オリジナル桃太郎」!・・・NEXTサイトTOP< 幕末玄関_<人物名から追跡<水戸藩考察特集:目次<桃太郎伝説と「水戸の徳川光圀:桃源遺事」特集<No.1<・・<No.6<(現在頁)No.7<付録:No.8=上の大きなリンクTEXT「NEXT」をON!文章&解説(c)by rankten_@piyo:20121010:ON
2012.10.10
水戸藩徳川光圀_桃源遺事と桃太郎伝説No.6,追従3人家来、翁、鬼:当該人物特定, _提唱!「桃太郎モデル実在人物」とは、まさにこの人!!桃太郎伝説と「水戸の徳川光圀:桃源遺事」_No.6当シリーズ内、各頁共通POINTキーワード記号◆【A】川を流れ来る大きな桃、◆【B】こんなに綺麗な桃!勿体無い!、◆【C】鬼退治、◆【D】「犬、キジ、猿」3匹トリオ、◆【E】お婆さん&お爺さん、【3_2】_徳川光圀について「桃源遺事」から_その続き光圀コンプレックス:己の出生事情=生まれてはならなかったこの身関連資料はこの頁:水戸藩考察特集:目次初めから読む<前の頁から読む:No.5<光圀の父「水戸藩主初代_頼房」の恋と不始末の続き>老齢の三木之次は、黙って、若い主君、頼房を見つめた。頼房の目は、涙を堪え、哀願するにも等しい。「仁兵衛(=三木之次)よ!頼む。なんとか、世(私)の本音に気付いておくれ・・!」三木之次は、頼房が赤ん坊だった頃からずっと仕えた老臣。頼房は、実の父、家康になぜか、しだいに、疎まれてしまった哀れな子。三木之次は、万事見てきた。幼くして、名義上だけ藩主になった頼房の為に、実質の領地管理は、この三木之次が代行してきた。三木之次は考えた。頼房様が、心から甘えられる相手とは、世の中に、この己一人しかいない!!己は家臣なれど、心は頼房様の「最大の理解者」なのじゃ!他に、誰が、この哀れな頼房様の心を解ってくれるだろうか!!今の頼房様を救えるのは、この日本中、己一人しか居ない!三木之次は、腹を括った。万事、己が被ろう。今さら命は惜しくない!!光圀誕生は1628年にて、既に大殿「家康」は他界しているが、現行は、2代目将軍「秀忠」。「秀忠」は、実の父「家康」といえど、父を恐れ敬っている人物。兄弟が、実際、父の家康に殺されていることを知っている。それでいて、戦国武将の掟「根絶やしの法則」の価値を、理解している。父は、父なりに正解なのだ。その為、断じて、父の法則性を変更することはない。この段階、水戸は御三家といえど、拘束事項が多い。紀伊や尾張に比較すると下のライン。・・(この件、差別待遇etc.については、下のバナー目次から、当該項目頁へどうぞ。)その為、水戸が分際を弁えず、独断で私生児を許した事情を仮に、将軍が察知するなれば、何が発生しても不思議はない。お家取り潰しの危機。断固隠蔽するしかなかった。いたしかたあるまい。将軍のお怒りに触れた時には、己が、万事被って、己が切腹するしかあるまい。今さら命は惜しくない!!三木之次は、腹を括った。三木之次は長年勤めた江戸の藩邸の任を辞して、妻の武佐と二人、水戸の田舎に下がった。彼は、黙って、人目を避けて、田舎のあずま家に、ひっこんだ。夜更けに、密かに、頼房が妊娠させてしまった問題の娘を、自宅に招き居れた。「そなたは、ここで産み落とせ。泣くでないぞ。我らが、ここにおる!」(注1)後、3代将軍家光の代で初に「頼房」は「徳川」の姓が許され、以降、徳川だが、この頃、彼の姓は分家の証「松平」であった。他にも、制限要素多大。天下の御三家と呼ばれるは、もう少し後の時代。水戸デビューは差別待遇であった。(注2)実は、頼房が「久」に妊娠させてしまったのは2回目。一回目の子が「頼重」。「頼重」の時も、同じくこの「三木之次」が奔走。堕胎命令に逆らえぬ身の頼房を哀れみ、江戸藩邸付随の己の家で隠れ産ませ、彼の養母「英勝院(目次からどうぞ)」に相談して、辻褄あわせに、急ぎ養子に出して、やっとこすっとこ、命だけは救った実績者。▼この人物「頼重(=光圀の同腹兄)」がキーワード。彼は、養子に出されましたが、無事、晴れて讃岐高松藩主になります。この地域一帯広域には、桃太郎伝説の関連地名「鬼ヶ島」、 「鬼ヶ城」などが複数存在する。しかし、失敗も二度目となれば、今度は、許されまい。水戸の郊外、三木之次の家は、質素なあばら家。「世間に隠れ、できるだけ山奥に下がろうや。」心優しい妻の武佐は、黙って頷いた。老夫婦は、覚悟を決めた。妻の武佐は、哀れな娘「久」を激励してあげた。そして、「久」は、寛永5年(1628)6月10日、密かに、ここで光圀を産み落とした。武佐がその手で、生まれたての赤ん坊を取り上げた。元気な男の子だった。・・・(▲【桃太郎伝説に対比】:流れてきた桃を掴んだのは、お婆さん【A】)武佐は、涙が毀れ落ちた。サイトTOP< 幕末玄関_<人物名から追跡<水戸藩考察特集:目次<桃太郎伝説と「水戸の徳川光圀:桃源遺事」特集<No.1<・・<No.5<No.6(現在頁)<No.7・・・文章&解説(c)by rankten_@piyo:20121010:ON猫ちゃん系記事総合玄関(洋服、用品、真剣介護▼
2012.10.10
水戸藩徳川光圀_桃源遺事と桃太郎伝説No.5,追従3人家来、翁、鬼:当該人物特定,桃太郎伝説と「水戸の徳川光圀:桃源遺事」_No.5【2】_「桃源遺事」によるフレーズ、「水になしとせよ!」と対比参照【2の2】_川で桃を拾ってくれた「翁」&「老婆」実在の桃太郎モデル人物について、初めから読む<前の頁から読む:No.4実在の桃太郎モデル人物について、私的に、この人物を提唱?!させて頂いております!「桃から生まれた桃太郎」とは・・・・・なんと、この人物「徳川光圀」であります!!<川で桃を拾ってくれた「おばあさん」&その夫「おじいさん」:人物代入>▼<当該人物>:三木之次&妻「武佐」夫婦(=光圀を隠れ育ててくれた夫婦)三木之次とは、詳しくは、上バナー目次から当該項目頁で解りますが、簡単に言うと、光圀の父「頼房」の家来。頼房は藩主といえども、束縛に苦しむ身。(資料目次) 恋してはならぬ低身分の娘に恋して、娘に妊娠させてしまった。藩&お家の都合上、堕胎命令が下る。三木之次夫婦がこの娘を密かに自宅に引き受け、隠れ産ませた子供、それが徳川光圀。(この娘とは、後に側室身分に引上げられ、光圀の母「久」となりますが、発端は側室にもなれぬ身)■堕胎命令に係るフレーズは、「水になし申様にせよ・・【A】」・・▲どんぶらこ、どんぶらこ、川から流れてくる▲■三木之次は、水戸の江戸藩邸常勤でしたが、水戸に下がり、人目を避けて、あずま家で「久」に子を産ませました。桃肌、若い娘。桃から生まれた男の子。【B】■水に流されて消えてしまったはずの小さな命。【A】■やがて、その子は、すくすく育ち、勇敢に戦う。■光圀に係る資料の内、「桃源遺事」があります。=【B】というものがある。これは、光圀の隠居後の西山荘縁の里が、「桃源郷」。桃太郎物語作者は、おそらく、ここにヒントを拾って「桃太郎」とネーミングしたのではなかろうか。当シリーズ内、各頁共通POINTキーワード記号◆【A】川を流れ来る大きな桃、◆【B】こんなに綺麗な桃!勿体無い!、◆【C】鬼退治、◆【D】「犬、キジ、猿」3匹トリオ、◆【E】お婆さん&お爺さん、◆関連資料はこの頁:水戸藩考察特集:目次【3_1】_徳川光圀について「桃源遺事」から光圀コンプレックス己の出生事情=生まれてはならなかったこの身光圀の父「水戸藩主初代_頼房」の恋と不始末許されぬ恋の物語。それが、初代「松平頼房((注1)後の徳川頼房)」に於ける悲しい実話。愛してはならぬ身分の娘と恋に陥る。娘の名は久という。お手付を起因に側室に引上げるも不可能。身分が低かった。正妻はないが、既に、身分的に相応しい側室が与えられているこの身。されど、恋は魔物。やがて、久の妊娠が明らかに。久は、いわば家来の娘。老女(お城の正式お女中)のそのまた、お手伝い娘にすぎない。(水戸藩考察特集:目次)お腹の大きくなってきた久の姿に、老女は激怒。「不謹慎極まりない!なんと淫らな娘か!」頼房が必死で庇う。しかし、これが、さらに事態を重くした。頼房は家康の子であり、天下の御三家のひとつ、松平の水戸藩創立を許された名誉の身に見えるが、実は、数々の制限付き。尾張、紀伊に比べ、地位が低かった。勝手なふるまいは許されない。ましてや、他の側室は、公家から貰った由緒正しい家筋。なぜに、こんな愚かな真似を!藩主様とは、名ばかり。頼房も叱責を受ける。八方塞がり。どうにも、こうにも・・・できない。やがて、頼房は、心鬼にして、愛しい人「久」に決断を!(注2:NEXT頁に表記)水になし(堕胎)と、させよ!頼房は、さらに言う。忠臣の「三木之次」を呼び、「久」の身柄を預ける。必ず、水になしとせよ!そなたに万事、任せる。老齢の三木之次は、黙って、頼房を見つめた。そして、その心を読んでみた。確かに、その目は言っていた。「仁兵衛(=三木之次)よ!頼む。なんとか、世(私)の本音に気付いておくれ・・!」・・・その目は、涙を堪え、哀願するにも等しい。サイトTOP< 幕末玄関_<人物名から追跡<水戸藩考察特集:目次<桃太郎伝説と「水戸の徳川光圀:桃源遺事」特集<No.1<・・<No.4<(現在頁)No.5<No.6・・・文章&解説(c)by rankten_@piyo:20121010:ON★
2012.10.10
水戸藩徳川光圀_桃源遺事と桃太郎伝説No.4,追従3人家来、翁、鬼:当該人物特定,提唱!「桃太郎モデル実在人物」とは、まさにこの人!!桃太郎伝説と「水戸の徳川光圀:桃源遺事」_No.4関連資料はこの頁:水戸藩考察特集:目次実在の桃太郎モデル人物について、初めから読む<前の頁から読む:No.3実在の桃太郎モデル人物について、私的に、この人物を提唱?!させて頂いております!「桃から生まれた桃太郎」とは・・・・・なんと、この人物「徳川光圀」であります!!当シリーズ内、各頁共通POINTキーワード記号◆【A】川を流れ来る大きな桃、◆【B】こんなに綺麗な桃!勿体無い!、◆【C】鬼退治、◆【D】「犬、キジ、猿」3匹トリオ、◆【E】お婆さん&お爺さん、【2】_「桃源遺事」によるフレーズ、「水になしとせよ!」と対比参照【2の1】_桃太郎の家来:「犬、キジ、猿」について<桃太郎の家来:「犬、キジ、猿」について>私の考えが、もしも確実なれば、▼当該人物の「徳川光圀」パターンに代入しますと、下記人物群を示唆していると思います。▼「犬、キジ、猿」=「伊藤友玄、小野言員、内藤高康」一般に、光圀の家来、右腕といえば、安積澹泊と、佐々宗淳が有名。ところが、この安積と、佐々は、光圀が立派になってから、水戸藩自慢の「大日本史編纂」作業で活躍した儒者タイプ。(とはいえ、佐々は、オールデスクワーク派でなく、前述のとおり、全国歩き廻っていますが【現在シリーズTOPからご覧下さい】)・・・。それに、比較すると、上の3人組は、もっと初期段階の若い光圀時代から追従した家来。この三人は、さぞ苦労したことでしょう。光圀は、5歳の時、初に認知され、同時に専任の「傅役」として、父「頼房」が、3人を任命。(認知可能となったのは、三代将軍家光と、養母英勝院の力)複雑な出生事情で育った光圀は、やはり、ひねくれ者時代有り。上記のうち、小野言員は、素行が悪く不良同然の光圀に、必死の説得「小野言員諫草」を書いて、更生を嘆願しています。(家来のこと:資料No.16、No.18・・他:資料目次)<桃太郎物語が語り始められた時期について>・・・・【桃太郎の家来:「犬、キジ、猿」】枠ご参照【D】私の考えでは、おそらく、光圀が生きた頃より、最低でも2~3世代回転した後と思います。作者は、色々知っているようでいて、やはり遠い要素有り。(これも後述)光圀時代に生きた家来、及び、次世代(家来の倅、孫時代)には、積極的に、光圀に係る資料が、書き残されました。色々調べてみると、作者は、それらの資料を読み知っているのが随所解ります。但し、万民にウケる楽しいお話に置き換えて作るには、丁度、「孫悟空」をベースに敷くのがグットプラン。そこで、丁度、家来も三人。3匹代入はピッタリ。<桃太郎物語作者が、上記資料が書かれた時代よりも、後に生まれた人物と推定する訳>なぜなれば、光圀現役時代を知っている者なれば、おっそろしくて、とてもこの三匹設定はできません!!キジと猿はいいのですが、「犬」だけは、非常にマズい!!作者世代では、多分、光圀の犬皮事件(No.9)を知らなかったのではないでしょうか?尚、苦笑しますが、鬼の征伐とは・・・多分「五代将軍_綱吉」=【C】を含み隠し示唆している。綱吉、ちょっと、お気の毒ながら、鬼ヶ島に住んでる悪い鬼とは、五代将軍_徳川綱吉!!でありましょう。同じく犬好き人間の私とて、こればかりは、弁護できない!最初から変!な男だったわけではないんですが・・・。(彼も可愛そうなんですよ。小声でしか言えないが。この時代、民は飢餓の絶頂期。「生類哀れみの令」に限らず、悪政。この綱吉に、一発強烈渇を入れて、結果、「天下の副将軍!さすが水戸のご老公様!!」と、民が大フィーバーしたのは事実であります。(綱吉については、後日、別編でこの件ご案内予定。全体の流れの中、小記述は、資料目次から当該頁で概略有り。)桃太郎さん、桃太郎さん、お腰につけたキビダンゴ、ひとつ、私に下さいな。あげましょう、あげましょう。これから、鬼の征伐に、ついてくるなら、あげましょう。もしも、私が「犬」だったら、光圀の側だけは、たとえ死んでも、近付きません!!皮を剥がれるくらいなら、キビダンゴどころか、たとえ飢えて死んでも、かまわない!!光圀の家来なんて、まっぴら御免!これだけは、絶対イヤダ!!上記は、半分冗談ですが、現役世代に近い人ならば、一瞬「ウッ!」とイヤな連想したはず。それほど、光圀のこの事件は過激。本人は正義の為・・・らしいんですが、中には、思い出したくない人も居たはずです。作者が仮に、現役世代なれば、子供達に語り聞かせる者の立場を思えば、きっと、別の動物に代入したはず。その為、物語発生は、ぐんと世代が後の事と考えられる根拠は、そこにあります。それでいて、赤の他人じゃないな!家来の末裔に絡む人物だろうなと思える要素があります。【【2の2】_川で桃を拾ってくれた「老婆」&その夫「翁」桃太郎物語作者は、光圀に係る資料が、書き残されました時代よりも後に生まれた人物と思います。資料といえば、義公遺事、西山遺事、義公行実、玄桐筆事、等の他。(家来達が残したか各種資料:No.18:他に、「桃源遺事」があります。=【B】。隠居後の光圀縁の建造物や地名、各種ある中、西山荘が、有名。その里は、称して、桃源郷でもあります。作者は、おそらく、上記資料をひととおり知っている。その上、読み知った知識だけでなく、 語り伝えられた要素を感じます。家来家系の末裔の臭い有り。サイトTOP< 幕末玄関_<人物名から追跡<水戸藩考察特集:目次<桃太郎伝説と「水戸の徳川光圀:桃源遺事」特集<No.1<No.2<No.3<(現在頁)No.4<No.5・・・文章&解説(c)by rankten_@piyo:20121010:ON
2012.10.10
水戸藩徳川光圀_桃源遺事と桃太郎伝説No.3,追従3人家来、翁、鬼:当該人物特定,提唱!「桃太郎モデル実在人物」とは、まさにこの人!!桃太郎伝説と「水戸の徳川光圀:桃源遺事」_No.3関連資料はこの頁:水戸藩考察特集:目次実在の桃太郎モデル人物について、初めから読む<前の頁から読む実在の桃太郎モデル人物について、私的に、この人物を提唱?!させて頂いております!「桃から生まれた桃太郎」とは・・・・・なんと、この人物「徳川光圀」であります!!【1】_桃太郎物語:まずはフレーズまずは基本を馬鹿にせず、「桃太郎物語フレーズ」を頭に流し入れる。当シリーズ内、各頁共通POINTキーワード記号◆【A】川を流れ来る大きな桃、◆【B】こんなに綺麗な桃!勿体無い!、◆【C】鬼退治、◆【D】「犬、キジ、猿」3匹トリオ、◆【E】お婆さん&お爺さん、お爺さんは、山へ芝刈りへ。お婆さんは、川へ洗濯へ。すると、どうでしょう。なんと不思議!大きなものが、流れてまいります。どんぶらこ、どんぶらこっ!と・・・何か丸くて大きなものが、川を流れてきます。不思議に思ったおばあさんは、よ~く見てみました。すると、どうでしょう。どんぶらこ、どんぶらこと、・・川を流れ来るのは、それは、なんと、大きな桃【A】ではありませんか!!おばあさんは大仰天!!「不思議なことも、あれば、あるものじゃ・・。こんなに大きくて綺麗な桃が・・・!勿体無い!!【B】」おばあさんは、我を忘れて、必死で、その桃を、どうにか拾いあげました。おばあさんは、その桃を、大切に抱えて、家へ持って帰ります。すると、どうでしょう。ある日、桃がパカッ!と割れて・・・なんと、元気な男の子!が生まれました!!・・これぞ、まさしく、「桃から生まれた桃太郎」・・・でありました。この子を、[お婆さんも、お爺さんも【E】]、一生懸命育てました。すくすく育った男の子は、桃太郎と名付けられて、やがて、鬼ヶ島に行き、鬼退治【C】を。途中で、「犬、キジ、猿【D】」を家来に従えます。桃太郎は、忠義を誓った彼らに、吉備団子(or黍団子)を与えました。桃太郎さん、桃太郎さん、お腰につけたキビダンゴ、ひとつ、私に下さいな。あげましょう、あげましょう。これから、鬼の征伐に、ついてくるなら、あげましょう。★【POINT_2点】:■桃は水に流されてきた。【A】■それを拾って帰ったのはお婆さんですが、生まれた子供を大切に育てた人物は「お爺さんとお婆さん」【E】【2】_「桃源遺事」によるフレーズ、「水になしとせよ!」<桃源遺事>御母公(注1)、西山公(注2)を御懐胎なされ候節、ゆゑあって、水になし申し様にと威公(注3)、仁兵衛(注4)夫婦に仰付けられ候所に、仁兵衛私宅にて、密に、御誕生なし奉り、深く隠し御養育仕候・・・。(注釈1):御母公 :出産当時は、「久」という名の一人の娘にすぎない。身分が低かった。(母の出自と身分:No.18、詳しいエピソードは、No.2:初代藩主「頼房」の隠し子事件)後、光圀が認知される段階から、身分が整えられて、正式に「側室」の地位に昇格する。その為、この文章「桃源遺事」に於いて敬称「御母公」と表記される。即ち「久」のこと。(注釈2)西山公:徳川光圀は隠居後、西山荘に在住することから、西山公と呼ばれる。(注釈3)威公:光圀の父「頼房」のこと。「頼房」は水戸松平(後に徳川姓)の初代藩主。(注釈4)仁兵衛:三木之次のこと。三木之次とは、徳川家康が、我が子「頼房」に、つけてやった家来。その為、光圀出世時には、当然老人。光圀は、認知されるまでの間、自分は、老夫婦の子と思いこんで、育っている。幼い光圀本人(当時は初め「長丸」)幼児の為、老人から子供が生まれる訳ない事、解らない。母「久」は、公認の立場でないことから、産み落とすのみにて、母として育てるを許されず、そのまま、この家を去っている。尚、この「桃源遺事」とは、三木之次の孫「三木之次幹」らが書いている。【2の1】_桃太郎の家来:「犬、キジ、猿」についてサイトTOP< 幕末玄関_<人物名から追跡<水戸藩考察特集:目次<桃太郎伝説と「水戸の徳川光圀:桃源遺事」特集<No.1<No.2<(現在頁)No.3<No.4・・・文章&解説(c)by rankten_@piyo:20121010:ON
2012.10.10
水戸藩徳川光圀_桃源遺事と桃太郎伝説No.2,追従3人家来、翁、鬼:当該人物特定,提唱!「桃太郎モデル実在人物」とは、まさにこの人!!桃太郎伝説と「水戸の徳川光圀:桃源遺事」_No.2関連資料はこの頁:水戸藩考察特集:目次実在の桃太郎モデル人物について、前の頁から読む実在の桃太郎モデル人物について、私的に、この人物を提唱?!させて頂いております!「桃から生まれた桃太郎」とは・・・・・なんと、この人物「徳川光圀」であります!!上記の補足要綱の続き:現在頁=「桃太郎と三匹が、なにやら旅に出る様子と、実際の家来」項目から。前の頁No.1にある「補足要綱」▼■関連地名と伝承の地、■桃太郎を育てた夫婦が、なぜか、老夫婦の訳(当該人物特定)■隠居後に纏わる施設関連地名と、彼に係る資料、■桃が川から流れてきたセンテンスと、堕胎命令の関連性<桃太郎と三匹が、なにやら旅に出る様子と、実際の家来>■実際の光圀は、移動範囲狭い。西は鎌倉、東は、日光東照宮、勿来の関。ところが、この人物の夢は蝦夷ゲット:No.15。また、大日本史編纂の作業に着手した際には、光圀本人はウロチョロできないが、彼の手足となって、全国歩き回った家来は、上記の三人組とは別で「佐々宗淳:No.17」という。この人物の出身は、四国。しかも、「佐々」一族の内、仕えた主によっては、岡山方面にも縁戚が居る。「佐々」の旅行程に詳しい彼の末裔も桃太郎伝説クリエイトに絡まっていまいか?■三人トリオ「伊藤友玄、小野言員、内藤高康」は、若い頃の光圀世話掛ですから、暴れん坊でワルだった光圀に、いつも苦労しつつ、追従しています。行動エリアは、全国スケールではなく、そこらの近郊ながら、へんてこりんな冒険ごっこ(※)にも、いやいや追従。(終いに、小野言員は、光圀に、更生すべく嘆願。)(※冒険ごっこ):悪戯ならいいですが、若い頃の光圀は、荒れていた為、かなり殺伐。水戸老公は、妙に「斬殺」の腕が素人レベルではありません。武士道とは全く異なる恐ろしい殺傷技、妙に板についております。(この事件から推察つくと思います。No.10:「藤井紋太夫」斬殺事件)この三人組、「伊藤友玄・小野言員・内藤高康」は、光圀が名前をそれまでの幼名から元服して、「光国」と改めた寛永13年(1636)から専任の「傅役」となっています。「光圀」の名は、50歳の時、自分で改名。元服から、それまでの名前は「光国」です。この「光国」という名は、英勝院の活躍により、三代将軍家光からの偏諱の「光」を文字を、与えられて「光国」と改めています。( 光圀が認知される行程と、英勝院の活躍:No.6)<水戸と高松絡み絶大のはずが、その点アピール希薄の訳>上記のとおり、高松松平は、立藩した初期から、江戸中期までは水戸連携モードでしたが、幕末転回に狂いが生じます。高松第10代藩主の「頼胤」の正室は11代将軍徳川家斉の17女。また、養子にした頼聰(9代頼恕の4男)の妻が、井伊直弼の娘「千代姫」。故に、幕府によって、斉昭(水戸9代藩主)が蟄居に追い込まれた時、幕府応援側に回る。土壇場で高松は官軍に転んでしまいますが、いずれにせよ、幕末段階では、声を大にして、「当藩は水戸の親戚である!」と語らぬ状態に転じています。<水戸、岡山、高松の三点連携軌跡は、他にも見えています。>◆伊曽乃神社(愛媛県)に光圀縁の品「墨梅画双幅」という絵画有り。この絵は、松平頼元(=光圀の別腹弟【1629~1693】:常陸国額田藩初代:)から、備中宝福寺(岡山県)の和尚が、貰い受け、最終、伊曽乃神社に伝わったとされる品。◆光圀の上の兄「頼重」は、高松藩初代藩主。(地理的に近いにも関わらず、高松藩としての名前が出てこないのは、おそらく、上記の幕末時点の影響があると思います。)家臣の内、上記の「佐々宗淳」は、独特の人生ルートを経由して光圀に仕えています。お坊さん時代を経験した個性派。その人物が、国史編纂業務の為に、再び、全国周遊。親戚縁者にお坊さん居たかもしれませんね。丁度、岡山には「佐々」一族も居るし・・。「佐々宗淳」の父は、生駒騒動のおかげで一度失業しますが、宇陀松山藩「織田高長」に仕える。その一方、備前岡山の「佐々」一族は、加藤の家臣。生駒騒動(1635位~1640):讃岐高松藩「生駒家」のお家騒動。そもそもこれが原因で、生駒家は追放されて、この藩には新規「水戸の頼重(光圀の兄)」が入った。<物語が生まれた時代:作者がヒントにしたものについて:「西遊記」・・転じて「孫悟空」JAPANバージョン>桃太郎の家来は「犬、キジ、猿」。ところが、三蔵法師の「孫悟空」に於ける家来は「孫悟空、猪八戒、沙悟浄」)現代人の漫画キャラとしては、「猿、猪、河童のような?謎の動物」のイメージ。昔の日本人の発想は、中国の思想に影響多大。中国の故事を読んで深く感動した皆さんは、大勢いらっしゃいます。今回、ご提案の張本人「徳川光圀」も同じく。隠居後の施設などについて、随分、お気に入りの故事由来のネーミングをやら、縁の品を入手したりしています。それは、さておき、まずは、桃太郎物語とは、パターン的に、上記の「孫悟空」JAPANバージョンなのは、言うまでもないと思います。堅苦しい英雄伝の形じゃなくて、広く万民に伝えたい人物が、遠い昔に居たんだなあ・・。それこそ浪漫であります。私提唱説!の「桃太郎のモデル人物=「徳川光圀」である!」の訳について、まずは、歴史も大好きタイプさんなれば、是非こちら、ご参照をおすすめします。■歴史背景、■対人&憎悪、■人脈絡み糸、■人物の感情推移をふまえながらお読み頂きますと、やがて、自動的にピーンと来ると思います。(但し、多項目につき、超ヘビー)がっちり読まずに、齧り読みだと解らないと思います。しんどいの平気!&とことん追求派さんにおすすめします。▼水戸学が幕末攘夷着火材に化けた訳:水戸藩流歴代ストレス目次▼★但し、どっぷり追求研究派になるつもりはナイヨ!の皆様には、以下にざっくりガイド。まずは、私生児として生まれ、認知されぬどころか、堕胎!の宿命を背負った光圀について。出生コンプレックスと、「桃源遺事」によるフレーズ、「水になしとせよ!」、及び、「桃太郎物語」に於ける「桃が川から流れてきた様子に係るセンテンス」を、次に対比させて、書き抜きしてみます。昔々・・お爺さんとお婆さん・・・すると、どうでしょう!サイトTOP< 幕末玄関_<人物名から追跡<水戸藩考察特集:目次<桃太郎伝説と「水戸の徳川光圀:桃源遺事」特集<No.1<(現在頁)No.2<No.3・・・文章&解説(c)by rankten_@piyo:20121010:ON
2012.10.10
水戸藩徳川光圀_桃源遺事と桃太郎伝説No.1,追従3人家来、翁、鬼:当該人物特定,提唱!「桃太郎モデル実在人物」とは、まさにこの人!!桃太郎伝説と「水戸の徳川光圀:桃源遺事」_No.1関連資料はこの頁:水戸藩考察特集:目次実在の桃太郎モデル人物について、これについては、何分昔話につき、他説あります。「浦島太郎」もそうですが、時代と共に、「暗黙の主人公」に示唆する人物が、変遷しています。その時代ごとに、語り手の脳裏にある人物が、異なるからでしょう。(浦島についてはこちら:タツノオトシゴ現世竜宮城)桃太郎も同様でして、古くは太古の昔、吉備津彦命他、ヤマタノオロチの時代に於ける「なんとらかんとかだかのミコト」説複数。その正反対に最新系パロディー、昭和平成系では、シラケ小話バージョンまである。それでゆくと、「お婆さんは、桃を持って帰りました。勿体ないので、戸棚に大切に保管しました。数日して、戸棚を開いてみました。すると、どうでしょう!なんと、桃は、・・・腐っていました。以上終わり!ゲロッ!」・・・とか。まあ、これは、極端な例ですが、いずれにせよ、時代と共に沢山の説、沢山の当該人物は、存在するのだろうと思います。しかしながら、ひとつ、みんなの脳裏にくっついているあの物語とは、十中八九、これではないだろうか?とふと、気になる人物発見にて、ご案内します。▼実在の桃太郎モデル人物について、私的に、この人物を提唱?!させて頂きます!「桃から生まれた桃太郎」とは・・・・・なんと、この人物「徳川光圀」であります!!私の考えでは、当該人物は以下のとおり。詳細は、後項目に順次、ソースを明かします。まずは、以下に概要まで。▼■桃太郎=「徳川光圀」■家来の三匹トリオ(犬、猿、雉)=「伊藤友玄、小野言員、内藤高康」■桃を川で拾ってきたお婆さんとお爺さん=「三木之次(=仁兵衛)&妻「武佐」夫婦」■「徳川光圀」資料の内、「桃源遺事」有り。 隠居場所は、西山荘(桃源郷)。 「徳川光圀」とは、発端、私生児でありました。お家の事情にて、「水になしとせよ!」=「堕胎せよ!」とされた子でした。(▲どんぶらこ、どんぶらこ、川から流れ来た桃。川に流れ消えたはずの桃から生まれた子)隠れ育てたのが、上記「三木之次夫婦」=老夫婦(=頼房(=光圀の父:初代藩主)の家来)(▲お婆さんが、川で流れ来る桃を拾って・・・)■鬼ヶ島に住んでる悪い鬼とは:五代将軍_徳川綱吉!!光圀は、綱吉の悪政に強烈渇を入れて、民衆から「天下の副将軍!」と絶賛されている。(c)by rankten_@piyo:20121010:ON上記の補足要綱<関連地名と伝承の地>「徳川光圀」は水戸(茨城県)ですが、同腹兄の「頼重」は讃岐高松藩主■桃太郎伝説関連地名「鬼ヶ島、鬼ヶ城」が絡まる地名が存在する地域・四国、瀬戸内海の島々、岡山方面など:■この兄弟は、母の身分問題から同一コンプレックスに苦労した身。故に兄弟愛深く、後々歴代、養子の送り込み、受け入れの繰り返し。縁多大。伴い家来の血筋も交互往復。この兄弟の出生コンプレックス:母は身分が低い。側室取立ても不可能。お家の為、堕胎命令を受けた身。家来の「三木之次」が、妊娠中の娘「久」を自宅に隠れ匿い産ませた。(三木は主君「頼房」の尻拭い)<桃太郎を育てた夫婦が、なぜか、老夫婦の訳>■上記の「三木之次」とは、家康の家来。家康が、我が子の「頼房(光圀の父)」につけてやった家来。故に、光圀誕生の頃は、当然、かなりの老齢。<隠居後に纏わる施設関連地名と、彼に係る資料>西山荘(桃源郷)、「桃源遺事」:(他にも資料などについての頁:No.18)<桃が川から流れてきたセンテンスと、堕胎命令の関連性>■「桃源遺事」によると、堕胎命令のフレーズは、「水になしとせよ」■そこで、桃から生まれた子を密かに育てた夫婦は、確かに老夫婦=三木之次夫妻。・・・川に流れて消えたはずの命を拾ったのが、三木之次=老夫婦。<桃太郎と三匹が、なにやら旅に出る様子と、実際の家来>私提唱説!の「桃太郎のモデル人物=「徳川光圀」である!」の訳について、但し、まずは、上のNEXTボタンからNo.2へGO!まずは、歴史も大好きタイプさんなれば、是非こちら、ご参照をおすすめします。■歴史背景、■対人&憎悪、■人脈絡み糸、■人物の感情推移をふまえながらお読み頂きますと、やがて、自動的にピーンと来ると思います。(但し、多項目につき、超ヘビー)がっちり読まずに、齧り読みだと解らないと思います。しんどいの平気!&とことん追求派さんにおすすめします。▼水戸学が幕末攘夷着火材に化けた訳:水戸藩流歴代ストレス目次▼サイトTOP< 幕末玄関_<人物名から追跡<水戸藩考察特集:目次<桃太郎伝説と「水戸の徳川光圀:桃源遺事」特集<No.1(現在頁)<No.2・・・文章&解説(c)by rankten_@piyo:20121010:ON
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