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昼は咲き 夜は恋ひ寝(ヌ)る 合歓木(ネブ)の花 君のみ見めや 戯奴(ワケ)さへに見よ…紀女郎(巻8-1461)我妹子が 形見の合歓木は 花のみに 咲きてけだしく 実にならじかも…大伴家持(巻8-1463)ネムノキは日が暮れると葉を閉じて寝たようになるのでこの名がついたとか。万葉では「ねぶ」。合歓木は中国から入って来た表記で、男女相歓び合う、の意。マメ科の落葉高木。淡紅色の妖艶で美しい花を咲かせる。大山の 坂の上なる 合歓木の花 ほつ枝に光り 夕風の吹く大山の 坂の上なる 合歓木の花 咲きて今宵の 月や待つらむ偐家持
2007.07.28
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はまなすの 葉にや隠れる 赤き実の 思ひは益せど 告げず来にけり「はまなす」は「浜梨(ハマナシ)」がなまったもの。バラ科の落葉低木。初夏に紫紅色の大形の花を咲かせる。果実は食用、根皮は染料、花は香水の原料になる。
2007.07.27
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吹く風に えのころぐさの 穂の揺れて 野辺に連れ来よ 幼き我を野辺ゆけば 狗尾草の さみどりの 深き海なり 里山の風偐家持
2007.07.25
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梅雨も明けたようです。百日紅の花が咲いている。百日紅 つましく燃ゆる 夏空の この夕影に 生駒風吹く夕風の 吹き渡りゆく 大空に 咲きてありけり 百日紅の花花も美しいし、漢字で書くと風情もあるのに、サルスベリなんぞと誰が名付けたのか。この名では和歌にはチョット馴染みにくいというもの。万葉に出て来る「くそかづら」(ヘクソカズラ)はもっと酷い名だが、花は可憐なるも、臭い匂いがするのが災いしたようだ。私達は子供の頃ヤイトバナと呼んでいたが、花の名はせめてもこれ位にしてあげて欲しいものだと思う。偐ヤカモチ
2007.07.24
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早池峰の 岩間に凛と 薄雪草 その花もがも 継ぎて見が欲し
2007.07.22
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本日は若草読書会の日。槙麻呂殿の発表にて浅田次郎「月島慕情」を取り上げる。偐家持はこの作家は何故か今まで読まずに来た。今回槙麻呂殿のお薦めで短篇集を文庫本で数冊読む機会を得た。面白く読ませるし、読んでいて何やら快いのであるが、話が出来すぎで、うますぎて、抵抗なくすぅーっと胸に入り、通り過ぎてしまい、読後の印象は却って薄くなってしまう感じも。通俗的と云われる所以か。読書会メンバーの色々な感想面白くありました。芝居好きの槙麻呂殿愛読の作家であるのも頷けます。東北の山を登山している重麻呂殿よりハヤチネウスユキソウの写真メール届く。
2007.07.22
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月草の 色はかなきと ひとは云へ 思ひの深き 色は変はらじ露草は万葉では、月草、都岐久佐、鴨頭草と表記される。「朝咲き夕は消ぬる鴨頭草の消ぬべき恋もわれはするかも(万葉集巻10-2291)」青い花で衣を摺り染めにしたが、染めが着きやすいからつきくさと名付けられた。もっともつきくさの染め色、縹(はなだ)は移ろいやすい(滋賀県草津市では、アオクサと呼び、現在も染料の原料として栽培されている)。鴨頭草は花の形が鴨の頭に似ていると見た処からの名。ツユクサの花は朝咲き夕にはしぼんでしまうので、「消ゆ」、命のはかなさの比喩として歌われる。…偐家持…
2007.07.09
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狛島を 漕ぎ行く狭手彦 佐用姫の 領巾振る嶺を 何と見しやも領巾振の 嶺の佐用姫 松原に 架けしや虹の 先し船行く大伴狭手彦は、我偐家持なれば、我が祖先と云ふべく、任那を助け新羅を討たむと、佐用姫を松浦にのこして船出せしは、宣化2(536)年のことにてありけり。恋人の松浦佐用姫、別れを悲しみ鏡山(唐津市)に登りて、狭手彦が船を呼び戻さむと領巾振りしとか。よりて鏡山は古より「領巾振の嶺」と云へり。
2007.07.07
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富田山頭火氏と偐家持との合作、「草の細道―銀輪万葉集」第一巻が完成した。この「草の細道」は、若草読書会での仲間との交流によって生まれたものと云うべきである。敬愛する智麻呂師の挿し絵しかり、但馬山平氏の有り難き讃歌しかり。感謝です。題名の「草の細道―銀輪万葉集」からして、景子郎女様が決めて下さったようなもの。これら全ての方が若草読書会の仲間である。そして偐家持のかけがえのない大切な友である。 **** 偐家持 ****
2007.07.06
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