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本日の読書会は、昔、智麻呂氏がK教会で牧師をされていた頃、聾者の方にも牧師の説教がその場で伝わるようにと始められた礼拝時の手話通訳を担当されていたY氏ご夫妻に、ご参加戴いた。Yご夫妻はその頃は聾学校の先生をされていたのであるが、詳しい経緯は知らないが、智麻呂氏とYご夫妻との間で何らかの話があり、聾者の方も参加できる礼拝が実現したのであったのだろう。もう40年以上も前の話である。 Y夫人の方が最近になって息子さんに智麻呂氏に会いたいと仰るようになったとかで、息子さんが色々問い合わせをされて、智麻呂氏の現住所・電話番号をお知りになり、ご連絡して来られたたことから、今回の運びとなったものである。Y夫人にとってはK教会での智麻呂氏との出会いとそこでの聾者礼拝における手話通訳の活動が、幸せな思い出として心に残っているということでもあるのだろう。 Y夫人のお父様は聾者であったとのことだが、日本の手話の原形を作られた方でもあったらしく、Y夫人もそれを継承して、聾者に福音を伝えることを己が使命として、夫のY氏と共に手話通訳に生涯を捧げて来られた方である。 そんな訳で、折角智麻呂氏に会いに来られるなら、読書会開催の日に来て戴いて、Y夫人に手話のことなどをお話戴こうということに、恒郎女様の機転にて、なったという次第。 手話通訳の草分け的な方であり、特にキリスト教会に於ける手話言語では第一人者と言ってもよい方の話である。最近の教会での手話通訳者が本来の手話言語の意味を理解しないままに通訳するので、正しく伝わらなかったり、誤解や失望を聾者に与えている面があると、嘆いておられた。「神」や「聖母マリア」や「キリスト」などの手話表現についても、教本自体に不適切、誤りが多々あるとか。 美しい日本語がどんどん失われ、乱れていると言われるのと同じことが、手話言語の世界でもあるということなのか。所作の持つ意味も変ってゆくとなると、手話言語もその影響を受けざるを得ず、色々と難しい問題があるのかな、と思ったり。日頃手話について考えたこともなかったので、夫人の仰っていることが正しく理解できているのかも怪しいのであるが、美しい、人の心に響く手話言語であるべき、とりわけ教会に於ける手話言語はそういう側面を失うと、「聖母マリア」がただの「若い女」になってしまったりもしかねない、というようなことを仰っていたのかな、と感じた次第。手話言語にも形としての美しさとか所作の優美さとか、表情があるのでしょう。単に情報を伝えるだけが言語の役割ではなく、言語の持つ表情というものがあり、我々はその表情に含まれている意味補完的要素と共に情報の交換をしているのである。場面によっては、この意味補完的要素が主役となることもあるのだ。だから、美しい言葉とか、そうでない言葉とか、言われもするのだ。手話言語もきっと同じなんでしょう。 それにしても、手と指の動きと形であのようにも色々と複雑なことが伝えうるという人間の能力に、驚嘆である。言語は左脳の領域とか言うが、手話言語は何となく右脳が支配しているみたいな気がするのだが、実の処はどうなのだろう。 まあ、色々と日頃考えなかったことを考えさせられた本日の読書会であり、面白くもありました。また、Yご夫妻を車でお連れ下さった息子さんとも交流を持てたことはよかった。彼もまた祖父、両親からその素晴らしい手話を継承されているのでもある。 もうY夫人は80歳、Y氏は83か84歳である。どうぞお二人ともいつまでもお元気に長生きされますように、お祈り申し上げます。
2009.05.31
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本日の朝の銀輪散歩は北隣の大東市にある野崎観音へ。お染め久松のあの野崎観音である。夕刻は南隣の八尾市へ。いずれも恩智川沿いの自転車道を中心に走る、お馴染コースである。見かけた花などもご紹介します。銀輪花散歩でもあります。(野崎観音・本堂)(安産の祈りの犬が本堂の軒裏に一杯吊り下げられています。)(鐘楼)(江口之君堂)(野崎観音の見晴らし台からの眺め) 下方に見えている緑地が本ブログでも何度か紹介している「深北緑地」である。(お染め久松の塚)(アジサイ)(カキツバタかと思ったが、ハナショウブでした。)(シャクナゲ)(カシワバアジサイ)(アオキ)(ユキノシタ) 以上は野崎観音の境内にて見かけた花です。 なお、本ブログの関連記事は次の通りです。 野崎観音 2007.8.14. 2009.1.6. 深北緑地 2008.6.7. 2008.6.5. <参考>野崎観音 お染め久松 野崎小唄 夕刻の銀輪散歩は朝と反対方向に、南へ向かう。真澄さんも大和はまほろばさんもブログに立葵を取り上げておられたので小生もパチリ1枚。(タチアオイ) 立葵の本ブログ内の関連記事は2008.6.27.です。(コマツヨイグサ)(恩智川辺の夕照)
2009.05.30
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朝は晴れて美しい青空でしたが、昼ごろになって雨がぱらつくなど、はっきりしない天気にて、軽く銀輪散歩です。(池島治水緑地公園) 花園中央公園から南に恩智川沿いに少し行くと池島治水緑地公園がある。未だ、東半分が工事中で未完成であるが、この緑地を見下ろすように架かっている弥生橋がいい雰囲気を醸している。後方は生駒山系の山なみです。(弥生橋) 大和川や石川方面へと走る時はこの橋を渡って恩智川沿いに行くことが多い偐家持です。(シモツケソウ) シモツケソウは花園中央公園のものです。未だ五分咲き位、盛りはこれからです。白とピンクが混ざって植えられています。恩智川沿いの自転車道にもシモツケソウが咲き出しています。朝風の 妹は呼ぶらむ いざ行かな しもつけ草の 咲けるこの道 (偐家持)(ドクダミ) ドクダミはおまけ、我が家の庭の片隅に咲いていました。ぱらついた雨で葉が濡れています。その名と香りに似合わず花は可憐で美しい。(ハルジオン) ハルジオン(春紫苑)は恩智川沿いの自転車道の道の辺に咲いていました。白と薄紫とがありましたが、写真ではどちらも白く写っていて区別がつきません。ヒメジョオンと似ているので、蕾が俯いていること、折ると茎の中が空洞になっていること、根元にも葉があること、背丈が50~80cm位で低いこと、などからハルジオンと判断しました。春紫苑( はるじおん) 咲きたる野辺に 吹く風と 惜しみ行かむや 五月( ごがつ)の愛( は)しき (偐家持)(ガクアジサイ)(アジサイ) アジサイも咲き始めました。間もなく梅雨入りですね。仲間と熊野旅行したのはアジサイの花咲く頃。アジサイの花越しに雲立ち昇る那智の山々を眺めたことが思い出されますが、その中には、今は亡き寿郎女さんも居られました。彼女にささげる1首です。あぢさゐの 花咲く見れば 思はるる 雨の熊野路 在りし日の妹 (偐家持)(ナガミヒナゲシ) ついこの間まで美しく可憐に咲いていたナガミヒナゲシも散ってしまって、その名残だけが残っていました。形と色が面白いので撮ってみました。虞美人の 花は散れども 五月雨の 道に楽しき 老いの身のあり (偐家持)
2009.05.29
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本日は朝から雨。銀輪散歩も休みにて、偐万葉・大和はまほろば篇(その2)であります。前回の「大和はまほろば篇」はこちらをクリックして下さい。大和はまほろば氏のブログはこちらをクリックして下さい。 偐家持の、大和の国まほろばの麻呂に贈りて、詠める歌36首浮見堂 向かへる画家の 肩辺(かたへ)にも 花の雲あり 春日(はるひ)は照れり月待ちて 妹と見しかも 浮見堂 春べは花の 下道ひとり野苺の 白き花笑み 吾妹子の 迎へか来らむ 山越えの道これやこの 蟹もめだかも さわらびも 売るも買はぬも 道の駅ゆく (蟹丸)桜花 散りぬるあとの なごりには 水無き空に 鯉ぞ泳げる (偐貫之)ハナミズキ 咲きぬる朝の 風吹けば 水なき空の 鯉(恋)にあるらし (偐貫之二世)あでやかに 濡れて悲しき 牡丹花 初瀬の雨も 恋に泣くらむ (偐演歌)葱坊主 色即是空 蝶の来て かつても知らぬ 恋もするかも (偐はりまや橋)桐の葉の 落ちて咲くなる 葵もや 菊咲く時は 枯れてしあらむ (偐流転)小手毬の 花は咲けども 少子化の 波に泳ぐしか なき鯉のぼり (偐定家)昼顔の 花咲きにけり 道の辺に 我が待つ夏の 風も吹くらし田起こしは 虫迷惑で 鳥はしゃぎ 大和まほろば 見つつもあらむ (偐虫麻呂)みそさざい 他所見せしから 若草の うぐひす未だ 赦さざりける (千年の嫉妬)奈良山の 手向(たむ)けに咲ける 藤の花 散らず在り待て わがゆく日まで神南備(かんなび)の 山に向かひて 祈り松 丹(に)の穂に満てる 秋の実りのまほろばの 君は泊瀬(はつせ)の タケルかや あきつもなびき 添ひてあるなれ草の香の 立つ夏の日の 風さやに 爺が南瓜(かぼちゃ)の 畑(はた)にも吹き来(く)蓮の葉の 舟のたゆたひ 白玉の 露もしばしの 夢見にあらし桐の花 咲けども怪しき 空模様 葵まつりの 近づくなるか嵐過ぎ リラのかをりが 戻るかな 我も一杯 熱き珈琲嵐過ぎ リラのかをりが 戻るかな 海辺の白き 道し思ほゆアマポーラ 化粧始める 雨のあと 佐保の河原に 夕月立ちぬめだか売る 店の戸が開く 子供の日 雲立つ遠き 夏の日恋し咲く順が 決まってをりぬ 銭葵 ときに間違ふ 奴もやあらむ (偐割込)田を作る 後追ひかける 鳥の群 その鳥追へる まほろばの君 (偐連鎖)丘の上 一気に登る 子供の日 うぐひすと待つ 若草の山 (偐磐媛)白もよし 紫もよし 藤の花 奈良の大路に 今し咲くらむひょっこりと 夏の蜻蛉(とんぼ)が 来てとまる 秋津島なり 大和の国は薔薇園の 甘いかをりに 酔ひ痴れて 胡蝶の夢の いまだ醒めなく鳴きつかれ 老鶯天を 仰ぐかな 早や真夏日の 空の恨めし純白の 池の精なる 羊草 馬去りぬれば 咲くといふらしかへるでの 青葉のひまに 鳴く鳥の 声の恋(こほ)しき 佐保の川の上(へ)黒馬の 恋ひや渡れる 石橋(いははし)も 童女(わらはめ)遊ぶ 夏の午後かな しのぶれど 佐保の撫子 たれゆゑに みだれそめにし われならなくに (佐保左大臣 偐融)撫子の 心は知らね 朝寝髪 乱れて今朝は ものをこそ思へ (待賢門院佐保川)きんぱうじゅ あかきぶらしの ほそきはの ひまにもすめる なつのそらかな (河内八一)<注>上記和歌のうち上3句の文字の色が茶色になっているものは、大和はまほろば氏の作られた俳句に下2句を偐家持が勝手に付け加えて和歌にしたものであります。元歌の言葉やテーマを踏まえて歌にするのを本歌取りと言いますが、この本歌取りの歌になぞらえ、これを下取りの歌と名付けることとします(笑)。なお、写真はすべて同氏のブログからの転載です。
2009.05.28
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最近の銀輪散歩で見かけた花を掲載して置きます。 先ずは、霊山寺で見た花です。(5月24日)(ヤマボウシ)(カルミア) 富雄川の河原にはカラスノエンドウ(ヤハズエンドウ)に草の形はよく似ているが、花が全く違っていて、もっと豊かであでやかな、ナヨクサフジが至る処に群生していました。(5月24日)(ナヨクサフジ) そして、こんな花も。これはよく見かけるが、名は知らない花。(5月24日)(ヒルザキツキミソウ) 花園中央公園にはオトギリソウも咲き始めました。(5月26日)(オトギリソウ<金枝梅>) ちょっと以前になりますが、恩智川沿いの道にカナメモチの若葉が美しく輝いていました。(5月9日)(カナメモチ) 江坂の公園のクスノキです。クスノキの白い花が一面に。(5月12日)(クスノキ)(クスノキの花)
2009.05.26
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本日は、母校の大学の後援会の評議員会に出席するため、午後から中之島へ。同窓会長は4月からお役ご免になったが、こちらの方は6月一杯まで任期が残っている。会場に入る前に喫煙コーナーへ。最近は館内全面禁煙という建物が多いが、ここもそれで、喫煙場所はビルの横の通路脇に設けてある。つまりビルの外である。まあ、喫煙者は肩身が狭くなるばかりである。しかし、喫煙者同士、見知らぬ人と軽い会話が成立したりもするので、片隅の喫煙場所も悪いばかりではない。最近の中之島の変貌ぶりは著しい。喫煙場所から見える建物は新しいものが殆どで、昔の光景は??思い出せない。 午後3時過ぎに会議が終了したので、古くからの知人、友人の一人である画家の I 氏が心斎橋で個展を開いておられるというので、お訪ねすることに。 昨日は凡鬼さんご夫妻が見に行かれたようだが、小万知さんは明日見に行かれるとか。その合間を縫ってという訳でもありませぬが、出掛けついでの今日が丁度良かったという次第。今回は雪の積もった中に黒々とした木が何本か描かれているという絵があって、ブリューゲルの絵を連想したりもしましたが、こういう連想が作者の意図にそったものかどうかよくは分からないので、口にはせずにいました。カラスウリとか、赤い空を背景に「はざぎ(稲架木)」のような木が並んでいる絵など、素敵な絵が多くありましたが、写真は撮ってないので、紹介できません。 案内状のハガキにあった絵だけを紹介して置きます。ハガキからの撮影ですから、少し色合いが違うかも知れませんが。
2009.05.25
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今日は中学の恩師、I 先生の墓参。ついでに、銀輪散歩も。 近鉄富雄駅で自転車を組立て出発。(恩師の墓) (バラ園の坂道を上ると霊苑。) 墓参の後、霊山寺を見学。何度も来ているのに、霊山寺には入ったことがなかった。 <霊山寺>(本堂)(太子堂)(三重塔)(行者堂)(奥之院への道)(奥之院)(バラ園) 霊山寺北側の葛上神社でお弁当タイム。<葛上神社> 昨年とは反対に今回は下流へ走ることに。富雄川から大和川に入り、龍田越えで大阪府柏原市経由恩智川沿いに花園中央公園へ6~70km位だろうか。(葛上神社)(富雄川自転車道)(富雄川) 富雄川を暫く下流に走ると上宮遺跡公園がある。(上宮遺跡)(犬養万葉歌碑)斑鳩( いかるが)の 因可( よるか)の池の 宜( よろ)しくも 君をいはねば 思ひぞ吾( わ)がする (万葉集巻12-3020)<斑鳩の因可の池のヨルではないが、宜しくあなたのことを人が言わないので、私は思い悩んでいます。>(会津八一歌碑) 法隆寺五重塔を仰ぎ見て ちとせあまり みたびめぐれる ももとせを ひとひのごとく たてるこのたふ(在原業平歌碑)ちはやふる かみよもきかず たつた川 からくれなゐに 水くくるとは(片岡山の飢人の歌碑)いかるがや 富の緒川の たえばこそ わがおほきみの み名をわすれめ (日本霊異記上第四話)(聖徳太子歌碑)しなてる 片岡山に 飯(いひ)に飢(ゑ)て 臥(こ)やせる その旅人あはれ 親無しに 汝(なれ)生(な)りけめや さす竹の 君はや無き 飯に飢て 臥やせる その旅人あはれ (日本書紀 推古天皇21年12月の条) 万葉集にも同様の歌がある。家にあらば 妹が手まかむ 草まくら 旅に臥( こや)せる この旅人( たびと)あはれ (万葉集巻3-415 聖徳太子)<家であったら妻の手枕だろうに、草を枕の旅先でひとり倒れ臥している、この旅人は気の毒だ。>(富雄川と大和川合流地点)(大和川)(斑鳩方面を望む)(王寺付近) 写真掲載一日限度量に達し、以下は写真無し。文章も以下省略です。
2009.05.24
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奈良銀輪散歩シリーズ第三弾です。これで一応完結とします。 本日は平城京公園から薬師寺です。(平城京址公園) 平城京公園から、薬師寺・唐招提寺へは公園の西側の秋篠川自転車道を走れば一直線であるが、散歩が目的であるから、敢えて遠回りし、東側の佐保川沿いを走ることにする。(R122号沿いのレストラン「草の戸」) 薬師寺到着。しばし薬師寺の景観をお楽しみ下さいませ。(薬師寺東塔と金堂)(西塔)(大講堂)(回廊)(回廊からの眺め)(梅の実) 梅の実が地面にこぼれている様も何やらゆかしき心地して・・。(会津八一歌碑)すゐえんの あまつをとめが ころもでの ひまにもすめる あきのそらかな 東塔の九輪の上の水煙の隙間に秋の澄んだ青い空が見えたということは、会津八一さんは視力が良かったということですな。彼は眼鏡をかけていたと思うのだが・・。さて、本日は初夏にて曇り空にてもあり、偐家持の視力では、水煙の天津乙女も隙間も朦朧として、定かならずですな。 回廊には鉢植えがずらりと並んでいました。何の花かと思いきや、オオヤマレンゲでした。何とも美しい花である。(オオヤマレンゲ)(ウケザキオオヤマレンゲ) 回廊に何故オオヤマレンゲの鉢植えが並べられているのかは、下記の写真に書いてあります。(唐招提寺) 鑑真和上は奈良国立博物館の方へご出張につき、唐招提寺にはちょっとご挨拶だけにして置きました。<参考>薬師寺ホームページ 唐招提寺2010プロジェクト
2009.05.23
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本日は近鉄奈良駅から御魂鎮まる田原の里への銀輪散歩である。田原の里は奈良市街からは高円山を回り込んだ処にある。茶畑の中に志貴皇子の御陵(田原西陵)と光仁天皇陵(田原東陵)や太安万侶の墓などがあるが、訪れる人も殆どなく静かな山里である。小生お気に入りの地のひとつで、これまでにも何回か訪れているが、自転車では、坂、坂、坂だから、相当に厳しいコースである。その分、下りの爽快さもあるということではあるのだが。何度行ってもぐにゃぐにゃした田園の道を走って(歩いて)いると方向を間違ってしまうのでもある。が、それもまた楽しいという、心和む快適な道なのである。(岩井川ダム) 途中にある岩井川ダムの周回道は未だ立ち入り禁止なのかも知れなかったが、通行止めの柵が通路脇に倒されていて、通路が開放されていたのでグルリと一周走ってみた。 <参考>岩井川ダム(田原西陵) 田原西陵は志貴皇子の墓である。志貴皇子は天智天皇の子であるが、万葉集に優れた歌を残している。志貴皇子の子の白壁王が称徳女帝の後を継いで天皇(光仁天皇)になったことから、その子の桓武天皇の時に、春日宮天皇という名を贈られている。 <参考>志貴皇子(御陵入口の万葉歌碑) (参道にて見かけた草花)石( いは)ばしる 垂水( たるみ)の上の さ蕨( わらび)の 萌え出づる春に なりにけるかも (巻8ー1418) 上記写真の歌碑では「~たるみがをかの・・・もえいづるころに~」となっているが、やっぱりこの歌は上のようでなくてはならないのだ。 さ蕨ならぬ、線香花火のようなちょっと珍しい花をご陵の参道で見つけたが、なんという花であるのだろう。(写真右)(十輪寺) 田原西陵から東陵へ向かう途中に十輪寺というお寺があった。立ち寄ってみると、夏支度の大掃除の最中らしく、お寺の方が拭き掃除など忙しそうに立ち働いておられました。本堂の前のベンチにカーペットが干されている。写真を撮ろうとすると、お寺の方が忙しい中、カーペットを片づけて下さいました。お邪魔をしてはいけないと、早々に退散いたしましたが、嬉しいお心遣いでありました。 <参考>十輪寺(田原東陵) 田原東陵は光仁天皇陵である。光仁天皇は称徳天皇で天武系の血筋が絶え、天智系の天皇が復活した最初の天皇であり、志貴皇子の子である。次の天皇となる桓武天皇の父親でもある。自分に皇位が回って来るなどとは思いもせず、大安寺で酒を喰らってくすぶっていた白壁王に皇位のチャンスが巡って来たというのも歴史の悪戯、運命という奴ですな。 <参考>光仁天皇(田原の里の道) 田原西陵から少し奈良側に戻った処、ヘリポート前の脇道にある犬養万葉歌碑に挨拶をしてから帰途につくことに。(犬養万葉歌碑)むささびは 木末( こぬれ)求むと あしひきの 山の猟夫( さつを)に あひにけるかも (巻3-267)<むささびは梢を求めようとして、山の猟師に捕えられてしまったことだ。> 帰途、春日病院の売店に立ち寄り、水分補給のため、お茶を購入。ついでに、アイスクリームを買って、バス停のベンチで食べていると、道路の反対側のバス停ベンチでは青年が自転車の後輪を外してパンクの修理中であった。車がひっきりなく走るので、声はかけなかったが心の中でエールを送って、小生はなら町へと。さあ、帰ろう。(元興寺極楽坊) <参考>元興寺極楽坊(なら町の町家)(狂言大蔵流宗家屋敷跡)(猿沢池)
2009.05.20
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奈良銀輪散歩シリーズ第一弾です。本日は近鉄奈良駅から新薬師寺・白毫寺などを巡って平城京公園というコースです。(鷺池と浮見堂)(比売神社) (神像石) 十市皇女は額田王と大海人皇子(天武天皇)の娘であり、天智天皇の子、大友皇子(弘文天皇)の妃となるが、壬申の乱で父親と夫が敵対し、夫である大友皇子が敗死することになるという悲劇の女性である。新薬師寺の門前の一角にある比売神社は彼女を祀っているが、この地にあった比売塚が彼女の墓であるとする説に基づくもので、1981年に建立された新しい神社である。 <参考>十市皇女、比売神社(万葉歌碑) 河上( かはのへ)の ゆつ岩群( いはむら)に 草むさず 常にもがもな 常処女( とこをとめ)にて (巻1-22)<川のほとりの神聖な岩々に草が生えていないように、いつまでも変りなくあって欲しいものです。常処女のように。> 猟高( かりたか)の 高円山を 高みかも 出で来る月の 遅く照るらむ (巻6-981 大伴坂上郎女)<猟高(高円山西麓鹿野園付近)の高円山が高いせいでしょうか、出て来る月が遅く照るようです。>(鏡神社) 鏡神社には藤原広嗣が祀られている。広嗣は藤原宇合の長子であるが、太宰府に左遷された後、藤原広嗣の乱を起こし、捕縛され斬首される。このような人物が祀られているというのは、彼の怨霊を鎮めるためのものであったのだろう。彼の歌も万葉に登場する。女性に贈った歌であるが、歌は女性の返歌の方が一枚上であるように思われる。この花の 一辧( ひとよ)のうちに 百種( ももくさ)の 言( こと)ぞ隠( こも)れる おほろかにすな (巻8ー1456)この花の 一辧( ひとよ)のうちは 百種( ももくさ)の 言( こと)持ちかねて 折らえけらずや (巻8ー1457)<広嗣 「この花の一枝のうちには沢山の言葉がつまっているのだよ。おろそかにしなさんな。」><娘子 「この花の一枝のうちには沢山のお言葉がつまっているのですね。それで、その重みにたえきれず、折られてしまったのでしょうか。」>(新薬師寺) <新薬師寺のホームページ>(白毫寺碑と万葉歌碑)をみなへし 秋萩凌( しの)ぎ さを鹿の 露分け鳴かむ 高円の野ぞ (巻20-4297) <おみなえしや秋萩を踏みしだき、牡鹿が露を散らしつつ鳴くのであろう、高円の野よ。>(白毫寺山門)(白毫寺本堂) 白毫寺は志貴皇子の山荘があった場所だと言われている。志貴皇子の墓(御陵)は高円山の裏側、田原の里にあるが、ここ白毫寺には志貴皇子の薨去を傷んで笠金村が作った歌の歌碑がある。揮毫は犬養孝先生である。高円の 野辺の秋萩 いたづらに 咲きか散るらむ 見る人無しに (巻2-231 笠金村)(犬養万葉歌碑)(茨) <関西花の寺第十八番 白毫寺> 白毫寺の南西に護国神社の森がある。森の木陰に暫し憩う。境内にこれまた簡易な万葉歌碑があちこちに・・。遷都1300年に向けてか、このような碑が急増しているようだ。(護国神社の森)(護国神社の万葉歌碑)(能登川と岩井川の合流点)(率川神社)(率川神社万葉歌碑)葉根かづら 今する妹を うら若み いざ率川( いざかは)の 音の清( さや)けさ (巻7-1112)<はねかづらを今つけているおとめがうら若く初々しいので、いざいざと誘う、その率川(いざかわ)の瀬音のすがすがしいことよ。>
2009.05.19
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本日は友人のオガクニマン氏のお誘いを受け、自宅を自転車(MTB)で出発、京阪電車枚方公園駅前の喫茶店でオ氏と落合い、枚方駅近くの、オ氏が見つけたという洒落た料理屋で昼食を共に。オ氏としては、車でそこへ案内するつもりでいたようだが、小生が無粋な自転車でまかり来したものだから、已む無く彼も自転車でということになる。彼の地元と言う訳か成り行きにて、今日の昼食は彼のご馳走ということに相成りました。いやはや、ご馳走様でした。 昼食後、旧京街道を自転車で走る。昔の面影を偲ばせる古い建物もそこかしこに残る、なかなか風情のある道でもある。 京都(伏見)と大阪を結ぶ「京街道」は、上りは陸路、下りは淀川の水路を利用というのが一般的であったらしい。それというのも、船では、下りが京都から大阪まで半日半夜要しただけなのに、大阪から京都への上りは一日一夜と倍の時間を要した上に、船賃も2~3倍もしたからである。そんな訳で街道筋の枚方宿は「片宿」といって、上りの旅人だけが利用する宿場であったということだそうな。 枚方公園駅から500m位の処に、往時の船宿「鍵屋」の建物が今にそのままのこされていて、それが「鍵屋資料館」として一般に公開されているというので、オ氏と連れ立って見学に立ち寄った。建物の裏は堤防とその上を走る国道を挟んで、すぐ淀川である。往時は船でそのまま、鍵屋の一階に乗り入れることが出来るようになっていたのである。まあ、船版のモーテルのようなものですな。(鍵屋資料館)(直江兼続とお船) 何故ここに兼続殿がおはしましけるか?どうやら、枚方パークの菊人形のお流れのようである。 往路2時間、復路2時間弱の丁度良い銀輪散歩と相成りました。 <参考> 枚方宿 くらわんか舟 枚方市立鍵屋資料館
2009.05.18
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(承前) つづきです。中村城址の丘の上にお城の天守閣風の郷土歴史資料館があり、入館してみた。天守閣最上層は展望台になっていて、四万十川、後川を一望できる。(歴史資料館の最上階からの眺め)四万十の 風に吹かれて ゆく鳥に あらねど旅は 道がまにまに (偐家持)(臨済宗の寺、太平寺)(中村駅)(中村駅前のオブジェ)(はりまや橋)(追手門)(詰門)(国宝・高知城天守閣)(一豊妻像) (山内一豊像)(立志社之碑) <立志社>(龍馬生誕地之碑)(潮江天満宮) <潮江天満宮>(神門) (菅原道真歌碑)海ならず たたへる水の 底までも 清き心は 月ぞてらさむ(新古今集1697)(石立八幡宮)(江の川)(上:鏡川、下:鏡川自転車道) 坂本龍馬も子供の頃はこの川で泳いだという、鏡川の川べりの自転車道を上流目指して走ることに。 もっとも、少し行った処でアクシデントが発生した。実は前日から前ブレーキがぺキぺキという妙な音を立てて違和感があったのだが、突如パキッと音を立てて切れてしまったのである。道行く人に自転車屋さんの所在を尋ね、修理のために引き返す。幸い、直ぐに見つかり、人の良さそうなお爺ちゃんがテキパキと修繕して下さったので、ロスタイムは30分位で済んだのはラッキーでした。 自転車の旅はこういう想定外のことが起こるものでなのである。それをも面白いと思うのが、旅を楽しむコツである(やせ我慢?笑)。(鏡川緑化公園)(新月橋)(鏡川の上流、岩ヶ淵地区)(白花栴檀) 鏡川の川辺に、遠目からは満開の桜かと見まがう白い花をいっぱいに付けた大木があった。近づいてみると栴檀であった。 栴檀は、万葉集では「あふち<楝>」として登場する花であるが、こんなに見事な花を見るのは初めてである。木の下で行き合ったご婦人は「桜栴檀」だと言っておられたが、シロバナセンダンが正しい名のようだ。 普通の栴檀は薄紫色の花であるが、これは白い花で、花も小振りで密集している感じである。鏡川 もとほり来れば 大空に 咲きて匂へり あふちの花は (偐家持)妹が見し 楝( あふち)の花は 散りぬべし わが泣く涙 いまだ干( ひ)なくに (巻5-798 山上憶良)<妻が見たおうちの花はもう散ってしまったことだろう。彼女が亡くなって私の涙がまだ乾きもしないのに。>珠に貫く 楝( あふち)を家に 植ゑたらば 山霍公鳥( やまほととぎす) 離( か)れず来( こ)むかも (巻17-3910 大伴書持)<ホトトギスが珠として貫く楝の花を家に植えたら、ホトトギスはいつも来てくれるかなあ。>ほととぎす 楝( あふち)の枝に 行きて居( ゐ)ば 花は散らむな 珠と見るまで (巻17-3913 大伴家持)<霍公鳥が楝の枝に来て止まったなら、花は散ることだろう。珠かと見紛うほど。>
2009.05.18
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(承前) 二日目は四万十川の背後をながれる後川(うしろがわ)を走って、途中から四万十川に入り、前日の折り返し地点の佐田沈下橋の更に上流を目指す。日差しは夏のそれにも近いが、風がひんやりしているので、木陰に入ると一気に涼しくなるし、川面から吹いて来る風が汗ばんだ体を心地よく冷やしてくれる。(四万十川自転車道・下流)(四万十川自転車道・上流)(三里沈下橋) 右岸の標識は「深木沈下橋」、左岸の標識は「三里沈下橋」、どっちが本名なのか?調べると、「深木」は通称とのことでした。 <参考> 四万十川の沈下橋 沈下橋(高瀬沈下橋)(高瀬沈下橋のたもとに野苺がひとつ。)野苺の 赤き実ひとつ 高瀬なる 沈下橋ゆく 小舟のありき (偐家持)(四万十川)(四万十川河川敷の緑) 上のユキノシタを写真に撮っていたら、道の反対側で小梅を収穫しているご婦人が居られました。漬けて商品として出荷するのだという。ホテルでの朝食にあった小梅はこの方が出荷されたものであったかも知れないなどと想像すると愉快な気分に・・。 上は、ツユクサに似た草であるが、花が白色で三菱の形をしている。三菱の祖、岩崎弥太郎は土佐の出身だから、この地に三菱の草花があってもおかしくはないが・・、何という花だろう。初めて目にする。(郷土歴史資料館) 中村城址の丘が公園になっていて、お城の形をした歴史資料館がある。下からはお城と見えたので訪ねむと坂道を自転車を押して登る。すると、幸徳秋水の碑があった。彼は中村の出身であったのですな。(幸徳秋水詩碑) 區々成敗且休論 千古唯応意気存 如是而生如是死 罪人又覚布衣尊 死刑宣告之日 偶成 秋水 区々たる成敗 且(しばらく)論ずるを休(や)めよ 千古、唯(た)だ応(まさ)に意気を存すべし 是(か)くの如くして生き、是(か)くの如く死す 罪人、また覚ゆ 布衣の尊きを <参考>幸徳秋水 (つづく)
2009.05.17
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13~15日の日程で四万十川と高知市鏡川の河畔を走って来ました。 パソコン持参するも、四万十市(中村)はe-mobileの圏外にてブログにアクセス出来ず。また、二日目は夕刻に中村から高知へ特急で移動しましたが、高知駅で下車した際に座席にパソコンの充電器やe-mobileのアンテナなどを入れた袋を置き忘れ、深夜になって岡山の児島駅まで行ってしまっていることが判明。よって、この日もブログへのアクセス不能。帰宅してやっと児島駅から宅配便で届けて戴いたので、今頃になって、ブログアップです。 どなたかは存じませぬが、忘れ物をお届け戴いた方、JRの高知駅、岡山駅、児島駅の係の方々、大変お手を煩わせ申し訳ありませんでした。この場にて心よりお礼とお詫びを申し上げます。(四万十川)四万十は 川面光りて 水青く 山さみどりに 風さやけかり (偐家持)(赤鉄橋上から)(上野神社)(佐田沈下橋)(佐田沈下橋上から)せせらぎの 音のみしてや 四万十の 夏や待つらむ 佐田沈下橋 (偐家持)(四万十川詩碑) 川辺の道に詩碑があったが、作者がいかなる人かは知らね、四万十を故郷とする詩人でもあるか。詩碑の内容は下記の通りに読めましたが・・。 四万十川 おもうほど おもうほどに ふるさとは 雨と嵐 山峡の 水もくるうて 流れあふれる 豪雨の日 天のはげしきを おもうほど おもうほどに ふるさとの雨の降る日は美(かな)し 四万十川の水の にごる日はかなし 大江尚雄(チガヤ) チガヤは万葉集では「浅茅(あさぢ)」、「ちばな」、「つばな」などとして登場します。この草の若芽は食用にしたようで、紀女郎と大伴家持との間の戯れ歌のやり取りでもそれと知れます。(巻8ー1460~2参照)浅茅原( あさぢはら) つばらつばらに もの思( も)へば 故( ふ)りにし郷( さと)し 思( おも)ほゆるかも (巻3-333 大伴旅人)<浅いチガヤの原(を見つつ)、つくづくともの思いに耽ると、あの明日香故郷が懐かしく思われることよ>山高み 夕日隠( かく)りぬ 浅茅原( あさぢはら) 後( のち)見むために 標( しめ)結( ゆ)はましを (巻7-1342)<山が高いので夕日が隠れてしまった。浅茅原をあとでまた見るために、しるしを結んで置こうものを。>君に似る 草と見しより わが標( し)めし 野山の浅茅( あさぢ) 人な刈りそね (巻7-1347)<あなたに似る草と思って見て以来、私がしるしをつけて置いた野山の浅茅を、人よ刈ることなかれ。>(つづく)
2009.05.17
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第34回智麻呂絵画展 本日はまたまた智麻呂絵画展であります。智麻呂ファンの皆様、どうぞごゆっくりご覧下さいませ。(薔薇-1)わが屋戸に 咲きて匂へり 薔薇の花 つばらつばらに 見つつもあらむ (偐家持) <注>つばらつばらに=些細な点までも詳しく、一々に(薔薇-2)(薔薇ご本人) 薔薇は智麻呂邸のご近所のAさん邸のガレージに咲いているものです。智麻呂氏の絵のファンはご近所にも沢山居られて、色んなお花をご提供下さいます。このような方にも支えられて智麻呂氏の絵はあるのでもあります。ということで、絵のモデルの薔薇ご本人にもご登場いただきました。智麻呂氏から場所を教えて戴いて、智麻呂邸からの帰途に偐家持がそっと撮影して来ました。まあ、無断撮影ですが、これ位ならいいでしょう。(テッセン)(紫陽花) 紫陽花の 八重咲く如く やつ代( よ)にを いませわが背子 見つつ思( しの)はむ (巻20-4448 橘諸兄)<紫陽花が八重に咲くようにいつまでも長生きして下さいよ、あなた。紫陽花を見ながらあなたのことを思っていましょう。>(杜若) この杜若は、これまで智麻呂氏が描かれた絵の中では最大のもので、相当に力の入った作品です。アヤメ、カキツバタは氏の最も好きな花の一つでもありますので、とりわけ創作意欲が湧いたのでしょう。 この花は、車椅子での散歩の時、道端に折られて打ち捨てられているのを見つけ、自宅に持ち帰り、花瓶に活けて、元気にしてあげたものだそうです。何だか大伴旅人の和歌の「あを桐の木と琴の話」を思い出します。 かくして杜若はこのような素晴らしい絵となって永遠の命を得ました。住吉( すみのえ)の 浅沢小野( あさざはをの)の 杜若 衣( きぬ)に摺( す)りつけ 着( き)む日知らずも (巻7-1361)<住吉の浅沢の小野に咲く杜若を、衣に摺りつけ着る日が、いつとも知れないことだ。>
2009.05.11
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先日(4月20日)のブログでご紹介した「S--塾」の万葉ウォーキングで、大学同窓の先輩、後輩諸氏と一緒に、平城京公園~平城天皇陵~磐媛陵~法華寺~佐保川畔万葉歌碑~聖武天皇・光明皇后陵を歩いて来ました。今日は全国的に晴天の好天気でありましたが、各地で真夏日になるなど、随分と暑い日となりました。参加者には80才を超えるご高齢の方もおられましたが、皆さん元気に歩かれました。立派なものです。 今回のウォーキングは講師役を仰せつかった小生が選定したコースにて、高齢者でも歩けるようにと平坦なコースにし、距離も11~2km程度のものにしましたが、気温が予想を上回るものとなったのは、想定外のことでした。朝10時に近鉄西大寺駅を出発し、磐媛陵の近くでお弁当タイムと講義タイム(万葉集第2巻冒頭の磐媛の歌4首は、ちゃんと犬養節で皆で朗誦しましたよ)、法華寺近くの喫茶店で休憩タイムを取るなどしつつ、のんびり、ゆっくりペースで歩いたので、ゴールの奈良駅到着は午後4時半を過ぎていました。小生の想定したゴールタイム午後3時からは約90分遅れとなりましたが、まずまずのいい時間の到着でした。参加者の皆さんも楽しんで戴けたようにて、まあ、成功であったのではないかと思っています(笑)。 近鉄奈良駅前で解散した後、世話役のM氏と同期のK君との3人で喫茶店に入り、今年初めてのかき氷を食べました。まあ、それ程に暑かったということです。ご参加戴いた皆さん、どうもお疲れ様でした。(平城京公園、大極殿址付近に咲き群れていた花、タチカタバミか?)(法華寺に向かう途中。後方建物は法華寺郵便局。参加者の中の最長老M大先輩です。頑張って居られます。)(万葉歌碑<法華寺境内にある。>)上の歌碑の歌は山部赤人が藤原家(法華寺は藤原不比等の屋敷のあった場所)の山池を詠んだもので、万葉集には次のように出ている。 山部宿禰赤人、故太政大臣藤原家の山池を詠める歌一首いにしへの ふるき堤は 年深み 池のなぎさに 水草(みくさ)生(お)ひにけり (巻3-378 山部赤人)(佐保川畔)関連記事:4月20日「磐媛皇后と光明皇后」 5月 3日「奈良青葉散歩」
2009.05.10
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偐万葉・松風篇(その2) 本日は午後からは久々に好い天気となったので、銀輪散歩をして来ましたが、さしたる収穫もこれなくあれば、昨日に続いて「偐万葉」といたします。 偐万葉・松風篇(その2)であります。前回35首を掲載しましたが、その後今日まで、早くも35首となっています。松風氏の絵は何とも歌心を誘うものあり、で同氏の迷惑も顧みず、感想代りに同氏のブログに書き込んだ自作歌が知らぬうちにたまってしまいました。前回と合わせて全70首になりました。余り歌数が増え過ぎると、制限字数を超えてしまい、一回では掲載できなくなりますので、この辺で(その2)を掲載することとします。 毎日、素敵な絵を見せて下さる松風氏に感謝です。同氏は只今、北海道に旅行されていますから、ブログも一休みということで、書き込み和歌をまとめるのに、丁度よいタイミングかとも存じます(笑)。 松風氏のブログの<入口> 前回の「偐万葉・松風篇」の記事(2009.3.27.) 偐家持が松風朝臣麻呂(まつかぜのあそんまろ)に贈りて詠める歌35首芽吹き時 命の流れ のびやかに ほつ枝に青き 春の空ありナルシスの 花は含(ふふ)めり 吹く風に 青き波立つ 我が丘の春水仙の まだ咲かなくも 春の丘 たぐひてあれば 待つもやうれし眺むれば 道ゆく人の それぞれの 春の日はあり 鶴見の丘は遠山の 桜の花や 亡き父の 忌日は春の 霞みてかなしあゆの風 吹き来(く)を待ちつ 不死鳥は 遠きふるさと 偲びてあるか冬こそは 慈愛の季節 木々はみな 草に日差しを 与へるならし銀輪の 鴨驚かせ 行くなるか 鶴見大池 池の辺の春ピーマンの 赤くなりゆく 秋暮れて 酒ひとり汲む 何としなけど世は花の 盛りなるかや 吾(あ)は知らじ 在るがままにぞ 吾(あ)が枝伸べむ大池は 春となるらし 花霞 水際(みぎは)に鳥の 群れ鳴く見れば自らの 上枝(ほつえ)の影を うつしつつ 二人し行くを 見やる木のあり真澄鏡(まそかがみ) 照る大池に 飛ぶ鳥の 声の霞みて 春のかなしき我ここに 軽やかに在り 白き木の 風も知らにと 吹き渡りゆく春雨の しくしく降るに 松風の 鶴見の君は いかにやおはす降り積める 枯葉の暗(くれ)に われ在りて オサムシならむ 雨の日なればさみどりの 芽吹きの風の やはらにも 吾(われ)に吹き来や 鶴見の苑は枯れたると 見えし古木(ふるき)に 芽吹くあり 吾(われ)にもなほし たぎれるありて春をゆく 人の片辺(かたへ)に さみどりの 芽吹きのありて 軽(かろ)き風吹く雨上がり 鶴見の空は 灰色の 大(おほ)なるシャボンの 玉のたゆたひたなぐもり はるけき時ゆ 風や吹け 遊子はひとり 丘の上ゆく神の手の 待てといふにや あらざるか 人取りつきて その手登れる若葉萌ゆ 木はすずかけに ひよどりの とまりか来らむ ひと恋(こほ)しきと見渡せば ひとつ銀輪 あるばかり 鶴見の苫屋の 春の朝寒 (偐俊成)我が恋ふは 青き色なり 苑の池 映して赤き 薔薇の咲くともさはやかに 水面(みなも)に青き 風吹けば やがても赤き 薔薇にぞ憩へ流れゆく 水もやさしみ 淀川の 岸辺に暮るる この日の惜しき空暗く 嵐かも疾き 鶴見野に 雨も降り来や 人影もなき支え木の 外れカタカタ 幹を打つ 音の高しも 吾が孤悲(こひ)益さるなすことも なくて昼寝の 老水車 枯れしか水の あともなき春丘の上の 青める草の 波立ちて 夏へと風は 時招くらし無花果の 青き葉の風 吹きも来て ダビデの庭の 白き石踏む佇めば エホバの神の まなざしか ダビデの庭に ほむら立ちける (隣のソロモン)吾背子の 絵にもや見ゆる 色ありて 春から夏への ときはゆくらむ虞美人の 花咲く見れば 我が丘に はやしも夏の 近づくならし(絵は松風氏のブログからの転載です。)
2009.05.08
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♪雨が降ります、雨が降る、遊びに行きたし、傘はなし~ 傘はあるけど 銀輪は 濡れてまでゆく ものにはあらじ、という訳で「偐万葉・どち篇」であります。若草のどち、同窓のどち、ブログのどち、などと、どち(友人)にも色々ありますが、ここはそのいづれにも入らないどちに贈りたる歌を集めてみました。 偐家持の茨田童子(まむたのどうじ)に贈りて詠める歌7首山陰(やまかげ)を 風切りゆきし かわせみの あと追ひ春は 川面(かはも)に立ちぬ茨(うまら)咲く 田辺の道を ゆく背子の 童子(わらは)のごとや 笑みなつかしき有間山 ゐなの笹原 雨降れば 濡れそよ人は 疲れもぞする (偐弐三異)相見むと たなばたつめに 恋ひてしも 業(なり)ましませば 逢ひかつましじ玉の床(とこ) 昔も今も 縁なけど 草の床こそ ゆかし気ぞする我が背子の いくのの道の 遠ければ まだきくも見ず 竹田の秋野 (胡式部内侍)綿の実の 弾けて白き 秋の道 ゆけば稲田の 風もさやけし 偐家持の虫飼蝶麻呂(むしかひのてふまろ)に贈りて詠める歌6首青葉吹く 風いや重けど 佐奈田辺に 身をやつくして 恋ふる児もがも網持たば 重もや狂ふと 姫の云ふ 我は知らねど さもやありなむひとはみな 狂わぬものの あるべきや 狂ひてこそぞ あはれ知るなれさにはあれ しげ我が前に あるときは 網な持ちそと 蝶も云ふらむたかみくら 音には聞きし 播磨富士 見ゆれどそれと 知らず来にけり我背子は つらら有馬と 六甲(むこ)行けど 春立ちぬれば 泡とや流る 偐家持の近江連多田麻呂(あふみのむらじただまろ)に贈りて詠める歌1首我がゆきし あと踏みゆける 我が背子に 金色(こんじき)光る 銀杏笑みしか 偐家持の岬野連吾妻麻呂(みさきのむらじあづままろ)に贈りて詠める歌10首夕日をや ウトロプユニに 我待てば 人恋ひしきと 蝦夷鹿の来る丹頂の 鶴舞見しに 阿寒への 道に臥(こ)やせる 鹿の哀れぞ清隆寺 千島桜の 盛りにて 春競ふらむ 山桜花湧別に 咲くチューリップ 滝上の 芝の桜の 花にも酔ひし能取湖の サンゴの草の 赤き海 渡れる風に 波立つらしも赤岳は 秋づきにけり もみつ葉の 赤き流れの 山の道ゆくオホーツク いざよふ波か 木綿花(ゆふはな)と 咲きし能取(のとり)の はるけき岬みちのくの 背子ゆく道の 桜花 咲きて今年も 笑みてあるらしお岩木の 真白き山は 花雲の 木の間に見えて 神さびにけり名にし負ふ 一本桜 朝ドラの 夢の続きを 飽かずや見らむ 偐家持のオガクニマンことオガ朝臣国麻呂(おがのあそんくにまろ)に 贈りて詠める歌10首銀(しろがね)も 金(くがね)も銅(どう)も 何せんに 負けてぞ知れる もののありせば (五輪憶良<いつわのおくら>)風の盆 過ぎておとなふ 人もなき 八尾(やつを)の町を ひとりゆかまし奥山の 磐井に咲きし 山吹を 見ずや来にけり 秋風の吹く平城(なら)山の 野辺の秋萩 散りぬれば 秋風寒く 古(いにしへ)恋(こほ)し春立つや 梅の花咲き 幸(さ)きかれと 妹背の契り 言祝ぐならむ はしき子の 花と咲くらし 花嫁の 父とふものの 何とや云はむ朝風の いまだ寒くも 君が家(いへ)の 芽吹く庭木に 春来たるべしカサカサと かろき骨にし なり果つも 魂(たま)は浄土に 往きて生まれむ神南備の 山にしあれば 富士の山 見つつも行かむ 甲斐の墾道(はりみち) カーナビの 山梨行きは 富士見つつ ゆるり行かれよ 夏目そうせくな (偐千円札) (注)上記各氏のうちブログを開設されているのは次の2氏です。 茨田童子氏のブログの<入口> 茨田童子氏のホームページの<入口> オガクニマン氏のブログの<入口>
2009.05.07
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第33回智麻呂絵画展 昨日、智麻呂氏から鮎の絵手紙が届いた。鮎と言っても鮎の形のお菓子ですが・・。これで、作品が6点に達しましたので、第33回智麻呂絵画展を開催致します。(外は風強く、雨も降っていますな。こういう時は智麻呂氏の絵と万葉集の和歌をお楽しみ下さいませ。)(杜若)常ならぬ 人国山(ひとくにやま)の 秋津野の 杜若(かきつばた)をし 夢(いめ)に見るかも (巻7-1345)杜若 衣(きぬ)に摺(す)りつけ 大夫(ますらを)の 着襲(きそ)ひ狩する 月は来(き)にけり (巻17-3921 大伴家持)(つつじ)風早(かざはや)の 美保の浦廻の 白(しら)つつじ 見れどもさぶし 亡き人思へば (巻3-434 河辺の宮人)山越えて 遠津(とほつ)の浜の 石(いそ)つつじ わが来るまでに 含(ふふ)みてあり待て (巻7-1188)(カラー)わがためと 織女(たなばたつめ)の その屋戸(やど)に 織る白たへは 織りてけむかも (巻10-2027)(彦星「わたしのために織女がその家で織っている白い布は、もう織り上がったんだろうか?」)君にあはず 久しき時ゆ 織る機(はた)の 白たへ衣(ころも) あかづくまでに (巻10-2028)(織女「あなたにお逢いできずにいた、その長い時間は、織り上げた白い衣に垢がついてしまう程に、長い時間でありましたワ。」)(マーガレットとヒメフヨウ)(藤)藤波(ふぢなみ)の 花は盛りに なりにけり 平城(なら)の京(みやこ)を 思ほすや君 (巻3-330 大伴四綱)藤波の 影なす海の 底清み 沈(しづ)く石をも 珠とそわが見る (巻19-4199 大伴家持)(鮎)年のはに 鮎し走らば 辟田川(さきたがは) 鵜八つ潜(かづ)けて 川瀬尋ねむ (巻19-4158 大伴家持)(毎年、鮎が走り泳ぐころになったら、壁田川に鵜を8羽潜らせて、川瀬をたどって行こう。)
2009.05.05
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俳句・川柳100句(前) 友人の凡鬼さんや、ブログの「大和はまほろば」さんの俳句に刺戟されて、見様見真似で作り始めた俳句というか、川柳というか、それもどきもいつしか溜まって100句を越えました。すべて、他人様のブログや本ブログへのコメントに答えて、書き込んだ5、7、5であるが、100句分を取り敢えず掲載して置きます。字数オーバーにつき二回分割にて掲載です。 誰も読む人もないでしょうが、こちらに掲載してしまえば、パソコンのドキュメントのメモ帳から抹消できるというメリットがあるのだ(笑)。 俳句は原則として「筆蕪蕉」(筆不精)という名で作ることにしていますが、違う名にした方が滑稽味が増すと思った時は適宜に別の名を使っています。和歌に於ける「偐家持」と「偐定家」、「偐〇〇」と同じ関係でありますな。 筆蕪蕉の作りたる俳句とも川柳ともつかぬもの100句義仲寺(ぎちゅうじ)の 夢もうれしき 小雪かな (偐芭蕉)早春賦 弥勒のあとから 雪割草 (筆蕪蕉)我妹子の 追羽根と見し 桐の花 (筆蕪蕉)あぢさゐの 花に変りぬ 月暦 (筆蕪蕉)雨垂れの 音聞いて居り 花あぢさゐ(筆蕪蕉)雲の上も 田植えなるらし 五月雨(さつきあめ) (筆蕪蕉)ほほづきは 祖母の面影 夏の風 (筆蕪蕉)夏の夜の 諸行無常も 朝となり (偐寝不足)綿の実の はじけて秋野 猫じゃらし(筆蕪蕉)土筆(つくし)描く 絵筆も春を よろこびて (筆蕪蕉)秋暮れて まだ割れもせぬ 夕(ゆふ)柘榴(ざくろ) (筆蕪蕉)花よりも 葉ぞうつくしと 聞くや菊(筆蕪蕉)秋風や 長堤の道 空青し (筆蕪蕉)柿の実を 少し残せや 浅間山 (筆蕪蕉)またいつか 見むその笑顔 師走空(しはすぞら) (筆蕪蕉)み仏の 笑みに暮れゆく 師走かな (筆蕪蕉)師走空 笑ふて泣いて 月ゆきぬ (筆蕪蕉)湯豆腐の 湯気の向かうに 母の笑み(筆蕪蕉)またひとつ 老いを重ねて 寝正月 (筆蕪蕉)水仙の 花に寒月 かかり居り (筆蕪蕉)菜の花や 梅も小さき 春と咲き (筆蕪蕉)蝶の花 咲きて春節 迎へけり (筆蕪蕉)無花果の 鉢植え替えて 春を待つ (筆蕪蕉)梅の花 あれやこれやの おらが春 (偐一茶)つくしつむ 子に口つぐむ つぐみかな(筆蕪蕉)やせすずめ 負けるなとかや 偐一茶(偐一茶)寒すずめ メタボ雀を 見上げ居り (偐一茶)枯野ゆく 鵙(もず)は贄(にへ)にて 縄張りぬ (筆蕪蕉)うらうらに 照れる春日(はるひ)や 長話 (偐主婦)水仙の 花に見惚れて 風ぬるみ (筆蕪蕉)いろどらに 続けと咲くや 梅の花 (筆蕪蕉)いろせ追ひ 咲くや桜の 春待たむ (筆蕪蕉)梅桜 慕ひて芽吹く 糸柳 (筆蕪蕉)るるりらと 鳴く春山の 瑠璃びたき(筆蕪蕉)東風(あゆのかぜ)も 汚れにけりや 胡沙(こさ)といひ (筆蕪蕉)風流の 胡沙(こさ)も不安や 今の春 (筆蕪蕉)水底に 青き空あり 花散りぬ (筆蕪蕉)茅葺の 春雨(あめ)に去来の 影や見ゆ (筆蕪蕉)梅の花 ゆきつもどりつ 春の来る (筆蕪蕉)蜂も熊も 山頭火も居る 華厳の湯 (筆蕪蕉)あちこちに へそありお茶を 沸かしかね(筆蕪蕉)山覚めて 鳥鳴き空も 笑ひけり (花鳥風月)空笑みて 雲は昼寝の 春の風 (花鳥風月)春の風 花を散らして 月を待ち (花鳥風月)月待ちて 散りゆく花の 影や見む (花鳥風月)飛び梅も 明けて咲くらむ 牛の歳 (筆蕪蕉)春立つを 鬼も待つらむ 豆炒る香 (筆蕪蕉)香具山の うらに雛壇 桃の苑 (筆蕪蕉)長谷寺の 牡丹見て来よ 雨ぽつり (筆蕪蕉)蝶の来て あやめの風に 鯉のぼり (筆蕪蕉)<残り50句は前ページをご覧下さい。>
2009.05.04
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俳句・川柳100句(後)(つづき)後半の50句です。<よくよく数えたら78句あります。合計128句ですが、タイトルは100句のままにしておきます。>紫陽花の 色それぞれの 雨は降り (筆蕪蕉)朝顔に 消(け)のこる露も 空の色 (筆蕪蕉)梅の香を つつみ持てゆく 土手の風(筆蕪蕉)ふるさとや 笑みてかなしき 蝶の花(筆蕪蕉)雲とゆく 水の流れの ままの春 (筆蕪蕉)菜の花の 風に吹かれて 蝶のゆく (筆蕪蕉)蝶となり 菜の花見て来(こ) 春の風 (筆蕪蕉)しかと聞く 佐保姫の歌 春の風 (筆蕪蕉)いそいそと 群れて来る来る 春の鹿 (筆蕪蕉)ぞろぞろと 来るぞ来る来る 春の鹿 (筆蕪蕉)梅の香の かすかに乱れ 人走る (筆蕪蕉)日の照れば 石も語りぬ 春の丘 (筆蕪蕉)嘴細(はしぼそ)も 黒き合羽や 春の雨 (偐旅烏) なにせ、しがねえ旅烏にてござんす(笑)。去年(こぞ)夏の 媼(おうな)に会ひたし 竹干す田 (筆蕪蕉)目白チュン 花もつぼめる 余寒かな (偐一茶)梅の香と 朝床に寝む 小雨かな (筆蕪蕉)水仙も みずせんとや読む 首寒し (偐太郎)木瓜の花 見つめ我慢の うさぎの子 (偐待呆)落椿 踏まずも行かむ 回り道 (筆蕪蕉)珈琲の 香をやまとひて 春の午後 (筆蕪蕉)散り敷ける 様もよければ 花の道 (筆蕪蕉)一輪の 花こそよけれ 旅の宿 (筆蕪蕉)もてなしの 椿一輪 花の笑み (筆蕪蕉)一輪の 椿あしらひ 気は澄めり (筆蕪蕉)甘過ぎる 春風となり 沈丁花 (筆蕪蕉)青雲(あをぐも)や 凛と目白も 決意あり (筆蕪蕉)ひよどりは ツツジ食はせて 黙らせよ(筆蕪蕉)躑躅花 食ひ過ぎたるか ひよどり肥え(偐義経)タンポポに 聞いてみたくも アブの名は(筆蕪蕉)寒梅は 見ずや三枚 笹衣(ささごろも) (笹団子)池面(いけめん)に そぞろ春日(はるひ)や 奈良の鹿 (偐面食)この道も たんぽぽなりの 春となり (筆蕪蕉)たんぽぽは 自分なりに 春をゆき (筆蕪蕉)悠久の 古都の春なり しかと見む (筆蕪蕉)くらがりも 春は明るき 石畳 (筆蕪蕉)房手折り ミモザに雨を 貰ふ朝 (筆蕪蕉)猫楊 切られて白き 不精髭 (筆蕪蕉)野良猫と なりては髭も 剃りかねる (筆蕪蕉)寒くとも やはり野に置け 猫楊 (筆蕪蕉)ハクモクレン 白き炎や 春の夢 (筆蕪蕉)椿落つ 水の音ひとつ 手水鉢 (筆蕪蕉)落ち椿 へりに一輪 手水鉢 (筆蕪蕉)家づとに 蝌蚪(かと)とる児らの 影伸びて (筆蕪蕉)おさな児は 蝌蚪(かと)家づとに 夢見かな (筆蕪蕉)春風の 音流れゆき 木は芽吹く (筆蕪蕉)細道に 青き芽吹きや 春の風 (筆蕪蕉)多々良川 落花の道に 踏み惑ひ (筆蕪蕉)レンゲ咲く 花野の空に 寝てみたく (偐法群栖)絵筆置き 春は風とや 遊ぶべし (筆蕪蕉)縦断で 渋滞招く 夏の鹿 (偐馬鹿)恋あさり 角で衝突 秋の鹿 (偐馬鹿)空腹で 辛抱足らん 冬の鹿 (偐馬鹿)義清の 思ひ何処や 春霧(き)れて (偐村上)美しき 人の眠るや 墓地の桜(はな) (筆蕪蕉)西行はん 三途河原に 花見かな (偐西走)憂き身をも 映すさくらの 浮見堂 (筆蕪蕉)春風の 朝霞なる 鳥の声 (筆蕪蕉)軽やかに 白き孤独の 原の風 (筆蕪蕉)沢蟹の 上の早蕨 道の駅 (筆蕪蕉)伏せ字でも 俳句なるかや 春の蝶 (春蝶)札付きの 大根だけが 花咲かす (筆蕪蕉)なにとなく かなしき色や さるすべり (筆蕪蕉)菜の花の 気兼ねの春も はや暮れぬ (筆蕪蕉)ジャムパンに あらねジャパンの ひと日かな(筆蕪蕉)菜の花は 朝日の桜に 気兼ねして (筆蕪蕉)蜂ひとつ 飛び来たりける つつじ花 (筆蕪蕉)雨降れば 仕舞うほかなき 牡丹餅も (偐餅屋)虞美人の 人目忍んで 夏の駅 (筆蕪蕉)降雨(項羽)恋ひ 花や咲かせる ひなげしは(偐楚歌)春なれば 惑ひもあるや 花と蝶 (偐森進)数寄者と 我が名呼ばれむ 揚羽蝶 (偐芭蕉)花漁り これも仕事と 春の蝶 (偐夜蝶)厚化粧 して花街の 揚羽蝶 (偐生堂)昼休み 待てぬやうなり 腹時計 (偐早弁)腹時計 鳴り昼休み 花時計 (偐弁当)腹時計 取り上げ天智 水流す (偐漏刻)腹時計 四苦八苦して 四句出し (偐苦吟)山頭火 うしろ冬瓜 まえ白菜 (偐徘徊)
2009.05.04
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今日は自転車は置いて、平城京公園から奈良を散歩して来ました。先日に続いて再び佐保川べりを歩いてみました。桜、楓の若葉が美しい。(楓の青葉)(アヤメ)(オオテマリ)(カラタチ) 最近、カラタチは余り見かけない。昔はこの木は魔除けの効ありと垣根などによく植えられていたのであるが、トゲが敬遠されてか今は殆ど姿を消してしまっている。青々とした若葉が瑞々しく、美しい。そして、懐かしい、別にアゲハ蝶の幼虫になった訳ではないが・・。 スミレと共に咲いている小さな黄色い花はなんという名であるか知らないが、平城京址公園の草原のそこかしこに群生している。(アカツメクサ) (コノテガシワ)奈良山の 児手柏の 両面(ふたおも)に 左(か)にも右(かく)にも 佞人(ねじけびと)の徒(とも) (巻16-3836 消奈行文大夫)(犬養万葉歌碑)打上 佐保能河原之 青柳者 今者春部登 成尓鶏類鴨 (巻8-1433)うちのぼる 佐保の川原の 青柳は 今は春へと なりにけるかも (大伴坂上郎女)(長屋王歌碑)佐保過ぎて 寧楽の手向に 置く幣(ぬさ)は 妹を目離(か)れず 相見しめとぞ (長屋王 巻3-300)(第一次大極殿<上>などの建物復元模型) 上記の建物模型は平城京址公園の遺構展示館内にある。遷都1300年の来年には、現在工事中の第二次大極殿が実物大で見ることが出来るという次第。<2009年5月10日追記>本日の万葉ウォ-クで遺構展示館に立ち寄って、ボランティアガイドの方にお聴きした処によれば、現在、復元工事されている大極殿は、第二次のそれではなく、第一次のそれであるとのこと。然らば、上記の模型と同じものが実物大で出現することになる。年内にはその完成した姿が奈良の空に現出するとか。楽しみなことです。
2009.05.03
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本日は、朝は月例の墓参。墓への道の辺にタビラコとヒナゲシの花が咲いていたので、また写真に。先日のこの両者の写真がもひとつであったので、再掲して置きます。(コオニタビラコ)(ヒナゲシ) 墓参から帰宅すると、友人の岬野吾妻麻呂氏から東北の旅の写真便りが送られて来ていました。小生の墓参が恒例のものなら、この時期の吾妻麻呂の東北桜旅行も毎年恒例のものでありますな。本日はその写真の一部をご紹介して置きましょう。紙焼写真からの転載なので鮮明さは落ちますが・・。みちのくの 背子ゆく道の 桜花 咲きて今年も 笑みてあるらし(偐家持)お岩木の 真白き山は 花雲の 木の間に見えて 神さびにけり(偐家持)名にし負ふ 一本桜 朝ドラの 夢の続きを 飽かずや見らむ(偐家持)
2009.05.02
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いよいよ5月。青葉の美しい5月。風のすがしき5月。何事かよきことの始まる5月。 今日からその5月である。とは言え、世間はゴールデンウィークとあれば、サンデー毎日の偐家持はこの時期に遠出をする必要もなく、近隣散歩の銀輪散歩である。 朝風にやさしく吹かれながら、花園公園から市内北部方面をぐるり一回りしてまいりました。花も色とりどりに咲いて目を楽しませてくれるが、この時期はやはり何と言っても青葉の美しさが一番である。(緩衝緑地公園・加納地区) 公園の木々はどれも若々しい青葉の色に輝いて・・、高木たちの陰につましくあるニシキギの群れも瑞々しい葉を繁らせて美しい。(ニシキギ) 自転車を停め、近づいてよく見ると葉の陰に小さな花を付けている。ツツジのように葉を押しのけて咲く花もいいが、このような、誰に見られるということもないのに、しっかりと咲いている花もいい。(ニシキギの花)ニシキギの 花は葉陰に 咲きや散る 見る人なけれ 神がまにまに (偐家持)(これはウツギかな?) だんだん目線が下へ下へ、自らの足元に。足元にはタンポポの綿帽子。草が風にかすかに揺れる。(タンポポ)次の風 待ちてやあらむ たんぽぽの 白き穂の立つ 五月の朝は (偐家持) 恩智川に注ぎ込んでいる小川、日下川に沿って生駒山方向に登って行く。やがて、坂道が険しくなり、息が荒くなる。少しひと休み、立ち寄った公園には鯨が泳いでいました。奥の方では、ご老人たちがゲートボールを楽しんで居られました。道は更に登っている。さて、もうひと頑張りするか。体は軽く汗ばんでいる。(日下公園)メーデーと まかり越したる 鯨の子 水は差すめえ 日の下行かむ (偐労働者)
2009.05.01
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