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偐万葉・るるら篇(その2) るるらさんのブログに書き込んだりした歌もその後30首となりましたので、この辺で纏めて置きます。余り数が増えてしまうと、一回では掲載できなくなりますので。かくて、本日は、偐万葉・るるら篇(その2)です。 偐家持がるるらの郎女に贈りて詠める歌30首さみどりの 光る風かも 草の波 立ちてかそけき 音の散りゆく白玉の 露の光と 吾妹子(わぎもこ)の 歌は生まれぬ 宇美のさや風ふくからに チューリップの首 はね飛ばす むべ山風を 嵐といふらむ (花屋安秀<はなやのやすいで>) (注)上3句は大和はまほろば氏の俳句です。花衣(はなごろも) 心にまとふ ものなれば 吾妹(わぎも)は既に まとひてやある 古(いにしへ)に 恋ふらむ妹の ゆく道の 片辺(かたへ)に春の 花は匂へりつはものの 思ひいづちや 葉漏れ日の 静かなりけり 陣の越道多々良風 いたくな吹きそ もののふの 胸の燠(おき)はも 未(いま)だ消えなく (偐楠公)言の葉の 舞ひや散るらむ 多々良風 小町が袖に いたづらに吹く (偐トトロ)たまゆらの 身にもあはれは 知らるれば 畳に揺らぐ 葉漏れ日のあり 夏や立つ 今はた恋ひし 平城山(ならやま)の 手向(たむ)けの朝に あざみの咲ける野いちごの 赤き実ひとつ 朝露の 消(け)ぬべき恋を 吾(われ)はするかもカーナビを 切った途端に 道迷ふ 吾が恋の道 地図のなかりき (偐方向音痴) (注)上3句はるるら氏の川柳です。山川を 隔(へな)り逢へずも 杜若(かきつばた) 共にぞ見しは 逢ふにし似たり様々な もの様々に 美しき 五月(ごがつ)の空の 光なりけり燕尾服 ならぬ合羽で 旅立たむ 咥へ楊枝も 伊達にはあらね (燕の紋次郎)宗像の 杜(もり)に光の 赤く立ち 今し出づらし 市杵島姫(いちきしまひめ) 宗像の 天津乙女の 羽衣は 薄きむらさき ほつ枝にぞ見ゆ うすべにの つばきのはなは いとけなき いのちのいろや ははのこひしきわがにはに つばきのはなは さきたれど うゑししちちの いまはゐまさずちんこんの うたにおもかげ たちぬれば またもかなしき ごがつのくれて さ丹塗りの 橋にはあらね 弥生橋 パリ風なれど 河内女(かはちめ)のゆく (弥生橋虫麻呂)あぢさゐの 花咲く雨の 細道を ちひさき傘の ふたつゆく見ゆあぢさゐの 色は移ろへ 吾が思(も)ひの 色は変らじ なほしぞ益さる 筑紫女(つくしめ)の てもとの狂ひ 花火玉 落ちてののちの 淡路山火事 (偐河内消防団)わが里に かかれる虹の きざはしの 光砕けて そこに散りけむ (偐難波夫人)押し照るや 難波の宮の 夕虹は いつし筑紫の 妹がりゆきしあぢさゐの ま白き花に うす紅の つけたる標(しめ)を 妹見つらむか (偐人麻呂) あぢさゐの 花それぞれの 色に降る 雨もよかりき 新しき傘 うつしよの 花のあかりを むねの灯と ともし常世(とこよ)の 闇もゆかまし美しき もの見し人の 胸にこそ 在りてあれるや 神のみ国は関連記事偐万葉・るるら篇(その1)(2009.4.24)るるらさんのブログ「るるらの日記」 (注)本ページの写真は全てるるらさんのブログからの転載であります。<追記・注>写真の一部に横倒しの歪んだ画像になっているものがあったので、2020年11月13日これを復元修正しました。●過去記事の写真が歪んでいたりすること 2020.10.12.
2009.06.27
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偐万葉・お蔵百人一首篇(その2) ~大和はまほろば氏の俳句に寄せて~ 大和はまほろば氏のブログの俳句に小倉百人一首の下2句を改変してくっ付けて戯れ歌にするという遊びに嵌っていて、本日で24首となりましたので、その2としてブログにアップします。 余り面白くないのもありますが、ひとつ位はニヤリとして下さい。(その1)の16首と合わせると、これではや40首となります。元歌と比べてお楽しみ下さい。(注)赤字が大和さんの俳句、黒字が偐定家の下付け2句。幻の 庁舎に響く 霧笛かな 橋のつもりも 不可となりぬる (陽成院難航) 筑波嶺の 峰よりおつる みなの川 恋ぞつもりて 淵となりぬる (陽成院)鳧(けり)の声 運んで来たる 青田風 ころもほすてふ 雨もやみたり (持統洗濯機) 春すぎて 夏きにけらし 白妙の ころもほすてふ 天の香具山 (持統天皇)親子鹿 公園の草 滴るゝ 子叱るべきかと 奈良の母かな (三条通り突き当り) 心にも あらでうき世に ながらへば こひしかるべき 夜半の月かな (三条院)タワービル 間をよぎる 通り雨 けふここら辺の 傘の売れるや ( 伊勢の傘屋 ) いにしへの 奈良の都の 八重桜 けふ九重に にほひぬるかな (伊勢大輔)夏蝶の 一休みする 森の闇 まだ職もなし 明日も探すだけ (小式部内職) 大江山 いく野の道の とほければ まだふみもみず 天の橋立 (小式部内侍)老夫婦 語ることなき 田植かな 言はでこの苗 直ぐしてよとや (伊勢の田植え) 難波潟 みじかき葦の ふしの間も あはでこの世を すぐしてよとや (伊勢)山みちの 笹百合揺れる 伊賀の風 吹けそよひどき もの忘れする (蕉風亭大弐三位) ありま山 猪名の笹原 風ふけば いでそよ人を わすれやはする (大弐三位)山みちの 笹百合揺れる 伊賀の風 いままた旅の あてもなき道 (柴又式部) あらざらむ この世のほかの 思ひ出に いまひとたびの あふこともがな (和泉式部)三輪山に 百合を摘み取る 乙女かな いまひとたびの みゆきまたなむ (偐貞信公)三輪山に 百合を摘み取る 乙女かな 今ひと束の 百合根なんぼや (ゆり値ひた下がり姫) 小倉山 峰のもみぢ葉 心あらば いまひとたびの みゆきまたなむ (貞信公)百合の花 力の限り 咲きにけり 赤白ばかり 薄き色なし (白黒つけたがる壬生忠岑) ありあけの つれなくみえし わかれより あかつきばかり うきものはなし (壬生忠岑)二番茶の 畑を飛び交ふ つばくらめ 芦屋で饅頭 飽きるほど喰ひ (小豆大納言経信) 夕されば 門田の稲葉 おとづれて 葦のまろやに 秋風ぞふく (大納言経信)茶の村を グリーンウェーブと 名付けけり よをうじやまと ひとはいふとも (茶筅法師) わが庵は 都のたつみ しかぞすむ 世をうぢ山と 人はいふなり (喜撰法師)永田町 二匹の鳩の 声荒し 麻生の船の つなでかなしも (鎌倉左大臣、鳩場のカモメ) 世の中は つねにもがもな なぎさこぐ あまの小舟の つなでかなしも (鎌倉右大臣)凌霄(のうぜん)に 雨はまだかと 尋ねけり 梅雨と見し余の 今はくやしき (気象予報官藤原清輔) ながらへば またこのごろや しのばれむ うしとみし世ぞ いまはこひしき (藤原清輔朝臣)夕立に ぬれて笑ひたる 石仏 腹立つ筈の ずぶ濡れの袖 (さすが大僧正慈円) おほけなく うき世の民に おほふかな わがたつ杣に すみぞめの袖 (前大僧正慈円)人の来ぬ 畑の海芋 華やぎて むべ里芋も カラーといふらむ (芋屋の康秀) ふくからに 秋の草木の しをるれば むべ山風を 嵐といふらむ (文屋康秀)石仏に 浄土へ向かふ 道尋ね わが心がけ 変へもせぬまま (転地天皇) 秋の田の かりほのいほの とまをあらみ わがころもでは 露にぬれつつ (天智天皇)白樫の 森を飛び出す 梅雨の蝶 なけなしの金 持ち出でつるかな (素性不明法師) いまこむと いひしばかりに 長月の ありあけの月を まちいでつるかな (素性法師)サリー着た 人とすれちがふ 夏の午後 からくれなゐと これもいふなり (なるように業平)木漏れ日の 道でサリーと すれちがふ からすれちがひ 佐保の川なり (行き違ひ業平) ちはやぶる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは (在原業平朝臣)筵から 種の零れる 梅雨晴間 あらはれわたる 日々の悪行 (悪代官定頼) 朝ぼらけ 宇治の川霧 たえだえに あらはれわたる 瀬瀬の網代木 (権中納言定頼)延命の 酒を賜る 竹供養 をとめの浴衣 しばし眺めむ (僧正変昭) 天つ風 雲のかよひ路 ふきとぢよ をとめの姿 しばしとどめむ (僧正遍昭)竹供養 かぐや姫まで 来てをりぬ 昼は消えつつ 地酒こそ呑む (大中臣の嗅ぐや呑み姫) みかき守 衛士のたく火の 夜はもえ 昼はきえつつ ものをこそおもへ (大中臣能宣朝臣)<関連記事>偐万葉・お蔵百人一首篇(その1)偐万葉・大和はまほろば篇偐万葉・大和はまほろば篇(その2)
2009.06.24
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偐万葉・真澄篇(その2) 恒例の偐万葉です。真澄篇その2です。真澄さんの最近の絵は背景の色がよくて、どんどん素敵になっています。小生のコメント和歌もかなりの数となりましたので、この辺で纏めて置きます。 偐家持が真澄郎女に贈りて詠める歌33首望月の 真澄み鏡に 照る宵の 花の下道 集ふやをとめ野に花を あまねく飾り 日の神は 春の女神を 妻とやすらむ日の神の 花妻なれや 光る春 プリマヴェーラと 名付けけらしも二上(ふたかみ)に 白き雲立つ 遠き日の 道を踏みてぞ ここまで来(こ)しかさらさらと 微塵の砂の 光降り 天女の吹ける 笛の音(ね)流る百日紅(さるすべり) 真夏悲しく 咲くといふ 花にしあれば 吾(われ)恋ひ待たむ年月は 還(かへ)り芽吹けど 人はなく こゆほととぎす 鳴き渡りゆく花模様 回り万華の はるけくも 乙女は時の 旅をゆくらしあらたしき 風は今しも 吹くなるか 身をやかざさむ 青きその風刈り入れの 神の鋏の 入(い)る時の 近づくならむ 目覚めてぞあれ迎へあらば 常世(とこよ)の国の いづくとも うねうね道を 登りもゆかめ言の葉は ひとり色づく ものなれば 木(気)にはなるとも やがて散るなり (偐饒舌)葦原の 中つ国はも 雲立ちて 乙女の舞へば 鳥もや来鳴く金色の 雲は乙女の 夢舞台 舞ひてやもがも 遊びてもがも近頃は 寄りてたかりて 悪知恵の あだ花咲きて 文殊も悶ず (悶殊忙殺)近頃は 象もいささか 乱れがち 不覚普賢も もてあましがち (普賢実行)わが行きの 時のいつしか 晴れたる日 迦陵頻伽の 声やするらむ (偐往生院)ガムランの 熱き祈りの 音のして 白き指先 蝶となるらし薄絹の 夏の衣に 宵待ちの 窓辺に寄れば 背子の来るらしあぢさゐの 花さみどりに 咲きやらず 髫髪放(うなゐはな)りは 舞ひ遊ぶらむ妹とゆく 夏野の道に たちあふひ 咲きしはいつし 遠山の雲百日紅 まだ咲かなくも 夏の児の 薄き衣に 風の色あり海坂(うなさか)を 越ゆらむときは 立つ浪の まにまにぞあれ 笑みてしあらむ幸福(しあはせ)は スズランの音 なきがごと 知らじやすでに 汝(な)が横に添ふゴムスクの 町はいづくや 初恋は 夢見の町に 咲くものならし枇杷の実や 甘くはかなき 夏の実の 思ひ過ぐべき 恋にはあらね (偐琵琶湖)いさや風 天津乙女の 領巾(ひれ)に吹き こつまなんきん 熟れゆく夏は浅き夢 見しや醒めてや うつつには 南瓜花(かぼちゃばな)咲き 夏は来にけりくちなしの 花まだ咲かなくも まどろみの 夢見のうちに 散らぬものかは戯れの 軽きウインク 夕焼けに 恋となりゆく 愛(は)しき我妹子いざやいざ ゆかめやゆかむ もろともに 金色光る 慈愛の国へ(偐般若心経)朱雀門 遅き昼餉の あとのチャイ 甘きに思ふ 遠き夏の日むらさきの 匂へる茄子の 実のなれば 味噌つけ焼きて 我喰ひめやも (大茄子皇子)<上記の絵は全て真澄さんのブログからの転載です。> 偐万葉・真澄篇(その1) 真澄さんのブログ
2009.06.22
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第4回和郎女作品展 本日は、久しぶりに和郎女作品展開催といたします。皆さまのご来場、心よりお待ち申し上げます。(あやめ)(花菖蒲)(兜)(瓢箪)(恵比寿)(梟)(睡蓮と蛙)(鰈)(朝顔)(朝顔2) 下の作品は桜ですからちょっと季節が合いませんが、来年までは待てないから掲載します(笑)。(さくらさくら) 第3回作品展(2009.6.1.)
2009.06.21
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17日、新潟県村上市の沖合の小島、粟島に遊ぶ。当初は村上の三面川を自転車で走るつもりで出掛けたのだが、その前に岩船港を見てみむと足を延ばす。 港に大きな船が停泊しているので近寄ってみると、船腹に「フェリーあわしま」とあった。沖の粟島へ行くフェリーが丁度出港するところなのだ。乗船客の切符の検札をしている係の人が「乗りますか。」と声を掛けてきた。「帰りの船は何時か」と訊くと、午後3時だという。島で3時間過ごせる計算なので、乗ってみることに。行き当たりばったりの銀輪万葉だから、こういうこともありだ。岩船港発10時半粟島内浦港着12時の1時間半の船旅。 青い日本海に遠く浮かぶ粟島が少しずつ近付いて来る感じがいい。その昔、黄金色の夕日沈む海に浮かぶこの島は、西方浄土の入口とみなされたとか。そんなことも成程と納得される眺めである。 西方浄土入口くんだりまで行ったお陰で、三面川沿い走行は次の機会となりました(笑)。(フェリーあわしま・岩船港)(岩船港) 船が白い波を立て進む。海面をしきりにトビウオが飛翔する。やがて、はっきりと島影が見え、少しずつそれが大きくなって来る。(粟島)(粟島)(内浦港)(万葉歌碑と芭蕉句碑) 内浦港12時上陸。何とここに万葉歌碑が。新潟の万葉歌といえば、沼名(ぬな)川(姫川?)を歌った1首(巻13-3247)と弥彦山を歌った2首(巻16-3883~4)だけの筈だが。波の間ゆ 雲居に見ゆる 粟島の 逢はぬものゆゑ 吾に寄する児ら(巻12-3167) 近年、この歌は、威奈大村が慶雲2年(705)に越後の国守に任ぜられ岩船の柵に滞在している時に詠んだものという説がなされているらしい。 威奈大村については、四天王寺所蔵の国宝銅盒子(骨蔵器)の銘文に「威奈鏡公の第三子で、慶雲四年に病に臥し、46歳で越の城にて没した」という記事がある。威奈鏡公(鏡王)は額田王の父とも言われるから、威奈大村は額田王の兄弟ということにもなる。 ひょいと乗ったフェリーで着いた島で、万葉との思わぬ出会いがあった。この説、どのような根拠で主張されているものかは知らぬが、面白い。(与謝野晶子歌碑)(野馬公園の野馬像) 粟島には野生馬が生息していたらしい。昭和7年に最後の1頭が死んで絶滅したとのこと。 この野生馬、源義経が奥州へ落ちのびる途中、解き放した馬が泳ぎ渡ったものだという伝説が残っているらしいが、いくら何でもそれは無理な話。 この馬の像は皇居前の楠正成像の馬のモデルになったものとの説明書き。確かにポーズは似ている。(粟島の道) 今回は衝動的に船に乗ってのハプニング。ゆっくり島めぐりもできず。次は島で1泊するつもりで来島するか。 自転車で一周するもよし、山道を歩くもよし。何もない島だが、何と言っても西方浄土の入口なのだ(笑)。全てを忘れ一日ぼんやり過ごすのも悪くはなかろう。(この磯にはウミウシが沢山いた。)(粟島の海)(展望台)(展望台からの眺め)(イワユリ)(瀬波の海岸)(村上駅) 村上駅前で夕食を済ませてホテルへ。翌18日は生憎の雨、サイクリングは中止、早々に帰途につく。波の音 運べる風の 白き道 ゆけど粟島 あふ人もなき (偐家持) 青き海 青き島影 粟島の 浮かみて遠く 波の間に見ゆ (偐家持)
2009.06.19
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昨日、銀輪散歩していると、何かが右の肩にぶつかりとまりました。ゴマダラカミキリでした。子供の頃はよく見かけましたが、久しぶりにその尊顔を拝する栄を得ました(笑)。自転車を降りて、肩から地面に移動して貰って、写真のモデルになって戴きましたが、忙しなく歩き回るのでなかなかうまく撮れません。やがて、棒杭によじ登り、先端で翅を広げると、ふあーっと飛び去って行きました。カミキリコプターですな。飛ぶ瞬間はピンボケでした。生まれたる ばかりなりしや ごまだらの 青きかみきり いのちも青き (偐家持)(ゴマダラカミキリ) ゴマダラカミキリを見ていて、何となく柊南天(ヒイラギナンテン)を連想しましたが、恩智川辺の道にあるこの木が、美しく青い実をつけています。先月の旅行で高知市の潮江天満宮の境内でも、その実の色に魅せられて写真に撮ったりしましたが、ついでに、この機会にこれもブログにアップしましょう。梅雨の入り 柊南天 固き葉の 裏に熟れ行く 青深みかも (偐家持)(柊南天) 下の写真は潮江天満宮の菅原道真の歌碑の傍らに植わっていたヒイラギナンテンです。 関係ありませんが、本日のカラーは青のようですから、我が家の庭に咲く青い花も添えて置きましょう。
2009.06.15
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大和はまほろばさんが先日、梔子の花の写真をブログにアップされていたので、9日に、花園公園の梔子や如何にと銀輪散歩の途中に寄ってみたのですが、まだ青い蕾(下記写真)でした。 すると、昨日は真澄さんが梔子の花の絵をブログに。いよいよ、気になって、昨日は午後4時頃から、銀輪散歩ついでに、また花園公園の梔子の木を見に行きました。やはり上の写真と余り様子に変化なし。しかし、別の処ではもう咲いているのがありました。クチナシの花、今年初見です。(クチナシ) そして、この時期はやはりアジサイ。6月定番の花。 ガクアジサイも味があっていい。蝶が戯れている風情の花。万葉の頃のアジサイは、このガクアジサイだということだが・・。 このアジサイは何とかいうのだが、思い出せない。蝶の部分が優雅というか、エレガントになっている。あぢさゐの 花には蝶の 白き夢 暮れゆく道の 灯りなるらむ (偐家持) そして、何ともう合歓の木がもう花をつけているのでありました。(合歓の木) 花園公園から、恩智川沿いに北に走り、緩衝緑地公園をぐるり一巡する。ここでも合歓の木が美しい花を付けていました。 昨年夏、千曲川の道を自転車で走った時に見かけた、見事な合歓の木の花のことなども思い出されました。合歓の花 暮れゆく夏の 夕風に たれや待つらむ うすべに化粧 (偐家持)(合歓の花) 緩衝緑地公園(加納地区)では合歓の木の近くに石榴の花も咲いていました。妹行ける 道の片辺に 今日もかも 咲くらむ石榴 朱夏の花なり (偐家持) (ザクロの花) そして、再び、花園公園に帰って来ると、さっきは気付かなかったのですが、アジサイの傍に、何と萩の花まで咲いていました。もう、頭の中は季節が混乱し出しているのでした。(萩)人はみな 秋こそ萩と いふなれど 夏もよけれと わが庭に咲く (偐家持) 混乱ついでに、こんな花も見かけたので掲載して置きます。何という花かは知らぬが、派手なのと可憐なのと好対照なふたつの花です。派手なのはカンナみたいなんだけど、こんな豹柄模様のカンナってあるのかな?地味な方のは小さい花で、蔓性の植物です。豹柄は 難波をみなの しるしとは たれやいひけむ 花も真似たり (偐家持) そして、最後はオトギリソウ(ヒペリカム)です。品種は上と下で異なりますが、下のは金枝梅というのだろうと思います。 そんなことをしているうちに、日も落ちかかって来ました。帰宅することとします。(花園ラグビー場のスタンドにかかる夕日)
2009.06.14
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第37回智麻呂絵画展 つい先日第36回を開催したばかりですが、素敵な新作が入荷していますので、第37回智麻呂絵画展の開催でございます。(花菖蒲) この花ショウブは智麻呂氏がデイサービスに行かれて、そこで描かれたもの。人気者の智麻呂氏には女性ファンも多く、施設に来られている色んな女性の方が、この絵を欲しがられたそうですが、とにかく偐家持美術館長に見せなくてはと、これらの要望を断然拒絶、しっかり確保し、ご自宅に持ち帰って戴いたもの。かくて皆さまにご覧戴くことが出来た次第。 そんな訳なので、けん家持にてこの絵を数枚A4版にプリントアウトし、智麻呂氏に差し上げることと致しました。明日またデイサービスに行かれるので、所望された方々にそれをお配りすることが出来ます。また、人気度がアップしますな(笑)。花菖蒲 咲きて一陣 風吹けば 若き公達(きんだち) 今立たすらし (偐家持)(百合) この百合は偐山頭火氏がお持ち下さったもの。彼もこの頃はよく花を持って来られますが、どうやら、少しイメージチェンジを図っておられるようですな。 イエス・ウイ・キャンと言って置きましょう(笑)。でも、やっぱり鯖街道を走って、鯖なんかをご持参戴く方が似合いの図に、小生にはどうしても思えてしまいますな(笑)。それにしても見事な百合の花です。これは、山頭火夫人のお見立てのなせることかな?道の辺の 草深百合の 花咲(はなゑみ)に 咲(ゑ)まししからに 妻といふべしや (巻7-1257)(道のべの草深く咲く百合の花のように私が笑ったからといって、私をもう妻と呼ぶべきでしょうか。)(そら豆) そら豆は小万知さんのお土産。「小万知豆」です(笑)。前回では、下書きスケッチをいち早く公開しましたが、これは「けん家持」の勇み足。完成作品は1莢増えて3莢になっていました。色も瑞々しく質感がとてもよく出ていて、味のある絵になっていると思います。(百合の絵手紙とその下絵スケッチ)さ百合花 後(ゆり)も逢はむと 思へこそ 今のまさかも うるはしみすれ (大伴家持 巻18-4088)(さ百合花のように、「後(ゆり)」にもまた逢おうと思うからこそ、今のこの宴を楽しみたいと存じます。)(百合の花) こちらの百合と下のアジサイはご親戚の方がお持ち下さったものとか。 今を盛りと山頭火百合と咲き競っていました。花に囲まれ、智麻呂氏はご機嫌なのだ。本当に花をいとおしむように、丁寧に描かれる。その様は、まるで花と楽しげに会話されているみたいなのである。 散歩などで、道端で心惹かれる花を目にすると、もうそこで散歩はストップしてしまうのである。付き添っておられる奥様にとっては、道の辺の花も油断できない大敵なのである(笑)。 小生なんかが見落としているもの、漠としか見ていないものを、智麻呂氏は、はっきりと詳細に、緻密に見ておられるのでしょうな。(ガクアジサイ)がくあぢさゐ 深く青める 星々の 夜空に咲ける 織女(たなばたつめ)か(偐家持)(アザミ) 平城山(ならやま)に もとほり来れば 朝露に 濡れてや光る 夏野のあざみ (偐家持)
2009.06.11
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偐万葉・お蔵百人一首篇(その1) ~大和はまほろば氏の俳句に寄せて~ 本日は午後は梅雨の晴れ間となりそうですから、午後から、銀輪散歩してみますかな。 それはさて置き、この処、本ブログでもご紹介した、「大和はまほろば」氏のブログに遊びに行き、同氏の作られた俳句に「小倉百人一首」の歌の下の句を改変してくっつけ、戯れ歌にするという、言葉遊びを楽しんでいます。 同氏の俳句に対する冒涜にもなり兼ねぬこと故、同氏のクレームが付けばすぐにも中止するつもりでしたが、同氏も好意的に受け止めて下さっているご様子なので、小生のこの不届き千万な行為も認知戴けたものと理解し、本日はその戯れ歌をご紹介することと致します。(赤字部分が大和はまほろば氏の俳句、黒字部分が偐家持<いや、偐定家かな?>が付け加えた下二句と作者名です。全部黒字のが2首ありますが、これには大和まほろば氏の俳句は入っていません。後に小倉百人一首の元歌も参考までに掲載して置きました。)アマリリス どでかい顔して 咲きにけり アマリてなどか スリムの恋ひし (偐参議等) 浅茅生の 小野の篠原 しのぶれど あまりてなどか 人のこひしき(参議等)紀の寺や 裸仏と 花衣 着る心なく 腹の出るらむ (偐紀友則) ひさかたの 光のどけき 春の日に しづごころなく 花のちるらむ(紀友則)気づかれず 泰山木の 花匂ふ 白きを見れば 余も老けにける (老いの家持) かささぎの わたせる橋に おく霜の しろきをみれば 夜ぞふけにける(中納言家持)田植え機の 音に怯える 早苗かな 身のいたづらに なりぬべきかと (偐農業再生大臣 藤原伊尹) あはれとも いふべき人は おもほえで 身のいたづらに なりぬべきかな(謙徳公・藤原伊尹)仙人掌(さぼてん)が アカンベーして 咲きにけり むかしはもっと つつましかりき (偐藤原敦忠)相見ての 始めの頃の なつかしき 今はものをも 思はざりけり (偐古女房藤原夫人) あひみての のちの心に くらぶれば むかしはものを おもはざりけり (中納言敦忠)菖蒲園 飛石のうへ 雀ゐて 身をつくしては 恋ひわたりかぬ (皇嘉門院別当雀) 難波江の 芦のかりねの ひと夜ゆゑ 身をつくしてや こひわたるべき(皇嘉門院別当)翅のなか 瑠璃色光る 夏の蝶 負けじや花の 咲きもこそすれ (紀伊しじみ) おとにきく たかしの浜の あだ波は かけじや袖の ぬれもこそすれ (祐子内親王家紀伊)飛び立ちて のち降りるあたり 鷺の影 ひとに見られて 降りるよしなき (藤原鷺方) 名にしおはば 逢坂山の さねかずら 人にしられで くるよしもがな (三条右大臣 藤原定方)梔子に 顔近づける 雨の朝 花ぞむかしの 香には匂へど (偐紀面見よ) 人はいさ 心もしらず ふるさとは 花ぞむかしの 香ににほひける (紀貫之)透百合(すかしゆり) 田舎娘の 顔をして ただありったけの おめかしを見し (後生大事の左大臣 藤原実定) ほととぎす なきつるかたを ながむれば ただありあけの 月ぞのこれる (後徳大寺左大臣)西空を いぶかってをり 梅雨の蝶 雨期に堪へぬは わが身なりけり (偐道因法師) おもひわび さても命は あるものを うきにたへぬは 涙なりけり (道因法師)君の名は 未央柳(びやうやなぎ)と 申します ひとこそ知らね 告げる間もなし (偐二条院讃岐うどん) わが袖は 潮干にみえぬ 沖の石の 人こそしらね かわくまもなし(二条院讃岐)走梅雨(はしりづゆ) 五十(ごと)払いの日と 重なりて 混みまどはせる 高速の道 (凡高速躬恒) 心あてに をらばやをらむ 初霜の おきまどはせる 白菊の花(凡河内躬恒)時の日や 首をかしげる 時計草 かこちがほなる わがにはの花 (偐東奔西行) なげけとて 月やはものを おもはする かこち顔なる わが涙かな(西行法師)道因は 憂きにたへねど 能因は 龍田の川の 錦なりけり (農道に迷子) 嵐ふく 三室の山の もみぢ葉は 竜田の川の 錦なりけり(能因法師)<参考>大和はまほろばさんのブログ入口(コチラ) 関連記事2009.5.28.偐万葉大和はまほろば篇(その2) 2009.4.7. 偐万葉大和はまほろば篇(その1) 昨日、小万知さんからメールで戴いたササユリの写真を掲載して置きます。 一輪に 咲きてこそよき 笹百合の 真白き花に やはらかき雨 (偐家持)
2009.06.11
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第36回智麻呂絵画展 智麻呂絵画展、36回目の開催です。 今回も多数のご来場お待ち致して居ります。(紫陽花)あぢさゐの 花咲く道の 野仏の 笑みも濡れけり ひとりし行かむ (偐家持)(ピラミッドアジサイ)(カンパニュラ・風鈴草) 恒郎女様の俳句に、偐家持が下7,7を付けて和歌にしてみました。(笑)梅雨の間の 蛍の宿か かんぱにゅら 雨降る夏の 夜道照らさね (偐家持)(そら豆)そら豆の 青きいのちは やはらかき 莢に包まれ 夢見の眠り (偐家持) (母の日) この花は恒郎女様が、先の母の日にお嬢様のMさんから贈られたものです。カーネーションは母の日の花として世界共通。グローバルスタンダードの最初ですな。日本には江戸時代に渡来、「あんじゃべる」とか「あんじゃ」とか呼ばれていたそうです。母の日の あんじゃの赤き 花束は やさしき母の 笑みの顔なれ (偐家持)(マンゴー) 智麻呂氏の描かれたマンゴーはこれが3作目。だんだんとマンゴーの品質が上がって来ているような気がします。過去の絵と比べてみました。(マンゴー1号) (マンゴー2号)子供らの 遊ぶ声して マンゴーの 実の熟しゆく 部屋昼下がり (偐家持)
2009.06.09
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今日、銀輪散歩で花園公園に立ち寄り、一回りして公園を出ようとしていたら、ご年配の男性の方が、通りがかった人に道を尋ねている感じ。 「どうされましたか」と声を掛けると、東花園駅はどちらへ行けばいいのか、とのこと。どうやら方向を間違われて駅と反対方向に来てしまい、公園に迷い込まれたよう。こちらはヒマだから、駅近くまでご案内することに。 自転車を超スローにして、その方の歩く速度に合わせつつ、駅まで雑談しながら、ご一緒した。彼はこの近くの会社の面接試験を受けにやって来た帰りだという。厳しい状況でなかなか職がなくて、と彼。こちらはもう早々と会社を辞めて遊んでいる身なので、「おいくつですか?」と尋ねると68才だという。小生と似た年齢位か、少し下位の答えを期待していたのに、大先輩でありました。68才で未だ職を探している方を目の前にすると、遊んでいる自分が何か申し訳ない気分にも、ちょっとなって、しばし絶句でした。 駅の近くまで来て、彼も道が分かったようなので、お別れすることに、今回の面接でうまく採用されますように、と心の中で祈りつつ。 (なお、上の花園ラグビー場の写真は今年2月の写真です。今日は花園公園の写真、撮っていませんので・・) もうひとつ。大学同期で近頃何かと親しくしているF君から、「退任します」メールがあり、お疲れ様メールを返したら、今日そのお礼メールが入っていました。彼は東京在住だが、大阪出張の折に食事を共にしたりして来た仲。今月の株主総会で役員を退任し、晴れて自由の身になるというもの。この点では、小生が3年先輩なので、「卒業おめでとう」メールを打った次第。例によって、彼へのメールに添えた歌は以下の通り。あぢさゐの 八重に咲きてぞ まつ風も 君にや吹き来 すがし野の道 (偐家持)藤の花 継ぎて咲くなれ 歳ごとに 丹の穂満つ田の うましその道 (偐家持)
2009.06.08
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本日は「偐万葉・siinomi篇」であります。 siinomiさんはこの春先から本ブログにご訪問いただくようになりましたが、宮崎在住の女性の方です。膝を悪くされて現在リハビリを頑張って居られます。この方のブログに書き込んだ歌もいつしか25首になっていましたので、この辺でまとめて置きます。 偐家持が椎実郎女に贈りて詠める歌25首日向(ひむか)ゆか 来(きた)れる人の 言の葉に 我は嬉しみ 春はも来(こ)しかはくもくれん はやもや咲くや 日向(ひむか)なる 妹立つ庭は 春盛りなりフリージア 真白き花の 甘き香は 春の少女(をとめ)か 夢あどけなき桜花 咲くを今かと 待つもよし 盛りも散るも なほしゆかしき天女らの 舞ひぬる後の 水遊び 忘れし衣の 花と咲くかも既にして 若かへるでの 赤ければ 寝る間もなきや 毛の国の人日向路は 今し田植えの ときならし 早稲田の苗の 運ばれゆけばシクラメン われならなくに くれなゐの 恋の炎と 咲きや燃えける春爛漫 甘きショコラの 香りして 舌も喜び はなも愛でむや散り紛ふ 花の中ゆく 草枕 旅はひたすら 青空のもとキャラメルの ほのかに苦く 甘き香の 母は呼びしか 幼き我を通帳を 凍結せるや 冷蔵庫 オレオレ詐欺も 手出しはすめえ (偐霜焼)低利ゆゑ 通帳入れし 冷蔵庫 せめても氷(高利) 漬けにやあらむ (偐薄氷)東(ひむかし)の 果ての黄金(くがね)の 国にして 聖母の花は 白くや咲きぬマンゴーの かき氷かや 日向には 早や一杯の 夏来たるらし紫の 匂へる芋の 美味くあれば ひとつならずも われ食はめやも (偐天武)高値だす 紫の芋 品薄で ひと盛も見ずや 君が欲しがる (芋田王)生駒山 手向けに咲くや 藤の花 見れども飽かず 恋ひつつ行かむ甘夏の コロンとありて 立つ夏の 甘き香にして 五月なりけり椎の葉に さやげる風の 立つ夏の 日にしぞあれば 膝もよかりき (偐リハビリ)折々の 花に季節を 映しつつ 背子の描ける 絵をや届けむ貌花(かほばな)の 深きむらさき 置く露に 映し夏野の 朝の明けゆく 妹が家の ハイビスカスの 花咲きて 夏は来ぬらし 朝のすがしき野の花も ゆかし銀輪 初夏の風 吹かるがままの あてもなき道さるすべり まださかなくも せんにちこう ただひたすらに あかくさきたり (偐三日紅) siinomi1566さんのブログ入口<こちら>
2009.06.07
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昨日は、第468回大槻能楽堂自主公演能ナイトシアターに行ってまいりました。 演目は狂言が「長光」、能が「天鼓」。 前シテ・後シテの浅井文義先生は、小生の謡曲の師匠H先生の師匠であるということもあって、H先生と小生と一緒に謡曲を稽古しているB氏の3人で観能せむとて、出掛けたもの。早くに着き過ぎたので、難波宮址など周辺を少し散策してから、大槻能楽堂へ。H先生とB氏はすでに来て居られて、会場にて合流。<大槻能楽堂ホームページ> 能・天鼓は、後漢時代の中国の話をもとに世阿弥元清が創作した曲にて、そのあらすじは次の通り。 後漢の世に、天から降り下った鼓を持つ天鼓という少年がいた。彼が見事に打ち鳴らす鼓の評判を聞きつけた帝はその鼓を召し上げようとする。少年はそれを拒み、鼓を持って山中に逃げるが、探し出されて呂水の江に沈められてしまう。 かくて帝は鼓を手に入れるが、誰が打っても音が出ない。そこで、天鼓の父親の王伯に打たせてみようと、勅使を遣わせる。王伯は己れの嘆き悲しみを述べるが、勅使に促されて鼓を打つと、妙なる音が鳴った。その音を聞き哀れを催した帝は、涙しつつ、管弦講で天鼓の霊を慰めると約束して、王伯を家に帰す。 呂水の堤に鼓を置き、供養を始めると、天鼓の霊が現れ、供養に感謝し、鼓を打ちながら、舞楽を奏するが、夜明けに消えてゆく。この天鼓の霊の舞が見もの。笛が盤渉(ばんしき)調という常より高い調子となり、シテは橋掛を使ったり、鼓を打ったりして、鼓を愛しむ心が強調される。なお、盤渉は水に関係ある場合に用いられる調子とのこと。(大槻能楽堂・能舞台)(パンフレット)(難波宮址) 難波宮は、大化改新の後、孝徳天皇が営んだ長柄豊崎宮と聖武天皇の難波宮があるが、その二つが重なって発掘されている。 孝徳天皇が、中大兄皇子と対立し、皇后の間人皇女ほか役人を引き連れ中大兄が明日香に帰ってしまい、一人取り残されることとなり、憤怒と悲嘆の余り病死してしまったのも、この宮であったのですな。彼の死がその息子、有間皇子の悲劇に繋がり、万葉集の名歌も生まれることとなったのではある。 鉗(かなぎ)着け 吾が飼ふ駒は 引出(ひきで)せず 吾が飼ふ駒を 人見つらむか (日本書紀孝徳天皇4年7月条) この宮跡と大槻能楽堂の間の道を東に行くと、史蹟・越中井がある。昔、ここには細川越中守忠興の屋敷があり、その屋敷の台所の井戸を今に遺すと伝えられ、徳富蘇峰筆の碑が立っている。細川ガラシャ夫人が自らの命を絶った最後の地でもある。これまた悲劇の女性につながる場所でありました。(越中井)散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ (細川ガラシャ辞世の歌) 帰宅する頃は夜も更けて、雲間に月が美しく。<参考> 難波宮址 細川ガラシャ夫人
2009.06.06
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銀輪花散歩です。花園中央公園の花菖蒲が見頃を迎えています。アヤメ類は智麻呂氏の大好きな花でありますな。そんな訳でもありませぬが、本日の銀輪花散歩はハナショウブから始めることといたしましょう。(花菖蒲)むらさきの 花に消( け)のこる 白玉の 露の命の 惜しくもあるか (偐家持)薄衣( うすぎぬ)の ま白き花の 夕風に 揺れてや妹の 吾を待つらむか (偐家持)立ち姿 あふひはよけれ 花菖蒲 負けじと背伸び してや咲くらむ (偐家持) <注>「あふひ」は葵(あふひ)と「逢ふ日」の掛け詞(立葵)(シモツケソウ)朝まだき ほどろに咲くや しもつけ草 夏野に降れる 白雪の花 (偐家持) <注>「ほどろに」は、「まだらに」、「まばらに」、「むらむらに」、 「ばらばらに」などの意。(コマツヨイグサ) (不詳)わらはめの あはき恋なれ 宵待てず はやも夢見の こまつよひぐさ (偐家持)
2009.06.04
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第35回智麻呂絵画展 友人の凡鬼さんから同氏の手元にある智麻呂氏からの絵手紙6点が郵送されて来ました。ということで、先日撮影の新作と合わせての第35回智麻呂絵画展開催でございます。<凡鬼コレクションより6作品> 俳句は凡鬼氏の作です。けん家持が無理をお願いして今回のためにお作り戴きました。と言っても所要時間1時間ほどです。俳句や和歌はその即興性が面白いのでありますが、いやいや、凡鬼様、有難うございました。(兜)しんぶんし 兜に変身 端午の日 (凡鬼)下校時の 道草もあり 子どもの日 (凡鬼)鯉幟 庇の下へ 雨宿り (凡鬼)鯉幟 今日一日の 雨宿り (凡鬼)(ムクゲ)眠さうな 気持の言の葉 むくげかな (凡鬼)むくげ見し 成都の芙蓉 しのびつつ (凡鬼)(スイセン)怯む気を 奮ひ立たすや 水仙花 (凡鬼)(コスモス)自生する コスモス低きも 風を呼ぶ (凡鬼)(カンパニュラ)真ッ白な 蛍袋や 恋の黙(もだ) (凡鬼)カンパニュラ 賢治の顔と 夏の空 (凡鬼)(大根)貸し農園 細き大根 いとほしむ (凡鬼)<以下は最新作です。>(枇杷の実)枇杷の実の 熟れゆく頃や 通り雨 しばし宿らむ 鈴なりの木に (偐家持)(アルストロメリア)異国風 はなの言の葉 うすべにに あるすとろめりあ 今し咲くなれ (偐家持)(躑躅)山つつじ 群れ過ぎず咲き 宇治山の 峠の道の 涼しかりけり (偐家持)(カンパニュラ)風鈴の 音むらさきに 花咲きて 風のかそけき 夏の夕暮れ (偐家持) (四万十川のり)四万十の 川面の光 吹く風も 家づとならむ つばらにぞ見む (偐家持)
2009.06.03
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第3回和郎女作品展 久しぶりですが和郎女作品展を開催致します。 昨日の読書会の際に和郎女様が作品をお持ち下さいましたので、開催できる運びとなりました。(兜)(明かりをつけましょ、ぼんぼりに♪)(源氏物語) 以上の作品は以前に撮影したものの未掲載であったものです。以下の作品からが、昨日撮影の新しい作品です。(7月)秋風の 吹きにし日より いつしかと わが待ち恋ひし 君ぞ来ませる (万葉集巻8ー1523 山上憶良)(8月)朝顔の 浴衣のをとめ 手に持てる 袋に赤き 金魚のひとつ (偐家持)(9月)中秋の 玉兎の餅の つくを見む (筆蕪蕉)(10月)雀らも 稲刈り待ちて かしましき (筆蕪蕉)(11月)大坂を わが越え来れば 二上( ふたがみ)に もみぢ葉流る 時雨( しぐれ)ふりつつ (万葉集巻10-2185)(12月)クリスマス キャロルの道に 雪の舞ふ (筆蕪蕉)(1月)おひばねの 音の途切れて 笑ひ声 (筆蕪蕉) 次の帽子は、コーヒーフレッシュの使用済みプラスチック容器を芯にして作られた小さな帽子です。さて、どれがお似合いですかな。(帽子たち) まだまだ作品はあるのですが、今回はここまで。 あとは次回のお楽しみに。<関連記事>第1回和郎女作品展(2009年1月22日) 第2回和郎女作品展(2009年2月16日)
2009.06.01
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