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本日で8月も終りますが、猛暑日は未だ1週間は続くとか。 今日も暑い一日でありました。 (銀輪散歩の帰途、南の空に白い雲) さて、本日の銀輪散歩も、汗をしこたまかいただけにて、ブログでご紹介するようなことは何もありませんでした。ということで、生駒山の万葉歌を紹介して置くことと致しましょう。銀輪散歩はいつも生駒山と一緒ですから。万葉では生駒山とも、射駒山とも表記します。(花園ラグビー場から見る生駒山)やすみしし わが大君の 高(たか)敷(し)かす 大和の国は 皇祖(すめろぎ)の 神の御代より 敷きませる 国にしあれば 生(あ)れまさむ 御子(みこ)の継ぎ継ぎ 天の下 知らしまさむと 八百萬(やほよろづ) 千年(ちとせ)を兼ねて 定めけむ 平城(なら)の京師(みやこ)は かぎろひの 春にしなれば 春日山 三笠の野辺に 桜花 木(こ)の晩隠(くれがく)り 貌鳥(かほどり)は 間なくしば鳴く 露霜の 秋さり来れば 射(い)駒(こま)山 飛火(とぶひ)が岳(たけ)に 萩の枝(え)を しがらみ散らし さを鹿は 妻呼び響(とよ)む 山見れば 山も見が欲(ほ)し 里見れば 里も住みよし もののふの 八十(やそ)伴(とも)の緒の うち延(は)へて 思へりしくは 天地(あめつち)の 寄り合ひの極(きは)み 萬代に 栄えゆかむと 思へりし 大宮すらを 恃(たの)めりし 奈良の京(みやこ)を 新代(あらたよ)の 事にしあれば 大君の 引きのまにまに 春花の うつろひ易(かは)り 群(むら)鳥の 朝立ち行けば さす竹の 大宮人の 踏み平(なら)し 通ひし道は 馬も行かず 人も往(ゆ)かねば 荒れにけるかも (巻6-1047 田辺福麻呂(たなべのさきまろ)) (天下をあまねく支配しておいでになるわが大君が立派に治めておいでになる大和の 国は、皇祖神のみ代から、都としてこられた国であるので、お生まれになったみ子は、 代々ここで天下をお治めになるだろうと、千年万年の将来までもお考えになってお定 めになったであろう奈良の都は、かぎろいの立つ春になると、春日山の三笠の野辺で、 桜花の木陰に隠れて、かお鳥が絶え間なく鳴く。露や霜のおりる秋になると、生駒山の 飛火が岡で、萩の枝を身にからめては散らしながら、牡鹿は妻を呼んで鳴き声を響か せる。山を見ると山は魅力的だ。里を見ると里も住み良い様子だ。宮廷に仕える多くの 人が心を寄せて思ったことは、天地の寄り合っていた奈良の都すら、新しい時代のこと とて、大君のご指示のままに、春の花のように移り変り、群れ飛ぶ鳥のように慌ただし く朝立ちして移って行ったので、大宮人が踏みならして通った道は、今は馬も行かず人 も通らず、荒れ果ててしまったことだ。)妹がりと 馬に鞍(くら)置きて 射(い)駒(こま)山 うち越え来れば もみち散りつつ (巻10-2201) (妻のもとへと、馬に鞍を置いて、生駒山を越えて来ると、紅葉が散っていることだ。)君があたり 見つつもをらむ 生駒山 雲なたなびき 雨は降るとも (巻12-3032) (あなたがおいでになるあたりを眺めやりながら過ごしましょう。生駒山に雲がかから ないで欲しいものです。たとえ雨が降っても。)夕されば ひぐらし来鳴く 生駒山 越えてぞ吾が来る 妹が目をほり (巻15-3589 秦間満(はたのはしまろ)) (夕方になるとヒグラシが来て鳴き出す生駒山を越えて私はやって来ました。 妻に逢いたくて。)妹にあはず あらば術(すべ)なみ 石(いは)根(ね)ふむ 生駒の山を 越えてぞ吾(あ)が来(く)る (巻15-3590 同上) (妻に逢わないではいられなくて、岩を踏んで行くしかない道の、生駒山を越えて私は やって来たのだ。)難波津(なぬはと)を こぎ出(で)て見れば 神(かみ)さぶる 生駒(いこま)高嶺(たかね)に 雲ぞたなびく (巻20-4380 大田部三成(おほたべのみなり)) (難波の港を船出して眺めやると、神々しくもある生駒山に雲がたなびいていることだ。)(花園中央公園から見る生駒山)生駒山万葉歌碑
2010.08.31
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と言っても、ヤカモチのことではありません。愛用のマウンテンバイク(MTB)のことです(笑)。 前々から前輪が時々シャーシャーと異音を発していて、自転車屋さんで調整して戴いた後も直ぐにまた音を発するという具合でありましたが、前輪のディスク・ブレーキが変調をきたしていたようで、不具合のまま乗り続けたため、ディスクなどが擦り減ってしまっていて、取り替えを余儀なくされました。そんな訳で20日から昨日29日までMTBが入院治療致して居りました。 銀輪散歩はトレンクルやもう一台の自転車でも可能でしたが、何となく気乗りがしなくて、この処ずっと銀輪散歩を差し控えて居りました。お陰で読書が進みました(笑)。 だからと言う訳でもありませぬが、ブログの方もちょっとお休みさせて戴いて居りました。これも少し気乗りがしなかったものであります。気が付けば10日もサボってしまっていました。その所為で、病気でもしているのではないかとご心配して下さって、友人のオガクニマン氏から、本日電話を戴く羽目になりました。 やはり、10日もサボっては友人にまでご心配をお掛けしてしまうようでありますので、急遽ブログを開くことと致しました。さりとて、アップすべき事も何と言ってありませんので、「まあ、元気にして居ります。」という程度のものでありますれば、ご容赦の程お願い申し上げます。 昨日退院して来たばかりのMTBで近隣を軽く銀輪散歩してまいりましたが、その写真などをアップして、ヤカモチ健在のご報告とさせて戴きます(笑)。(加納・緩衝緑地公園)(同上)(同上)(加納・緩衝緑地公園から見る生駒山) 相変わらず暑い日が続いています。皆さま、どうぞ、ご自愛下さいませ。
2010.08.30
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本日は小生が勤務していた会社のグループ企業の各総務・法務担当者のOB会で、梅田へ。夕方6時半からの飲み会・食事会にて、さすがに銀輪散歩兼用とも行かず、電車で行くこととする。小生が若い頃から、会社は違えど(勿論同じ会社の人もいる。)同じグループ企業に属する会社でそれぞれに同じような仕事をして来た、先輩、仲間であってみれば、懐かしきこと頻りにて、言わば同窓会の雰囲気である。近況報告や懐旧談に花が咲きました。 出席者は福○氏、草○氏、山○氏、川○氏、松○氏、中○氏、石○氏、早○氏と小生の9名。年に2~3回のペースで開いているが、小生は2回連続して欠席しているので、久しぶりの参加でありました。 少し早く来過ぎたので阪急梅田高速バスターミナルの前の喫茶店で20分程時間を潰して(身体を冷やして)から会場に向かう。(梅田高速バスターミナル) 会場は新阪急ホテルアネックスの2階だと聞かされていたので、ともかくもホテルに向かう。(新阪急ホテルアネックス・正面) 裏に回ると様子がガラリと変る。「そうそう、DDハウス店とか書いてあった。」と、裏から入ることにする。ここで、古い友人から電話があり、下の写真の処で暫し長話。(DDHouse) エスカレーターで2階に上がると、店が何軒かある。さて、何という店であったかと携帯のスケジュール表を開いてみるが、そこには「新阪急ホテルアネックス2階」とのみ書いてあって、店の名前も電話番号も記載されていない(笑)。 さて、どうしたものかと思っていると、後から福○氏が丁度エスカレーターで上って来られて、事なきを得ました(笑)。 店の名は「くらくら」でありました。入口のよく分らぬ店でありましたな。(「くらくら」)
2010.08.19
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第62回智麻呂絵画展。 お盆も明けましたので、本日は智麻呂邸を訪問、新作6点を仕入れて参りました。神戸にお住まいのお嬢様ご夫妻が息子さん、愛犬チッチと共に帰省されていましたので、短く(と言っても1時間半弱)切り上げて参りましたが、この絵画展(第11回)でも紹介済みのチッチと初対面を果たしたのは愉快なことでありました。という訳にて、本日は智麻呂絵画展の開催であります。残暑厳しき折、智麻呂絵画にて、しばし心遊ばせ、和んで下さいましたら幸甚に存じます。(Happy Birthday) これは、智麻呂さんのお誕生日のお祝いにと、通っているデイサービスの皆さんから戴いたカーネーションです。そのお礼にと描かれたものにて、次のデイサービスの日に施設の方へ持って行かれました。(白桃) これは本ブログを通じて智麻呂絵画のファンとなられた岡山の木の花桜さんから智麻呂さんに送って下さった白桃です。この絵は既に木の花桜さんのお手許に絵手紙として届いているものでありますが、発信前にけん家持が撮影できましたので、絵画展に組み入れることが出来ました。本来は木の花桜さんのご了解を得て掲載すべきものでありますが、厚かましいヤカモチはここでも勝手に掲載なのであります(笑)。白桃の ほの甘き香の 部屋に満ち 吉備ゆ届きぬ 心の嬉し (偐家持)(カンナ) カンナは昔ながらの真夏の花にて、終戦の日の廃墟の中でカンナだけが健気に咲いている、というのが、けん家持のイメージなのですが、勿論、戦後生まれのけん家持の実体験の映像ではありませぬ。(蓮) これは、錦織公園の池に咲く蓮の花でありますが、智麻呂さんが実物を見ての写生ではなく、小万知さんが送って下さった写真を参考にしての絵画であります。(花) この花はどなたがお持ち下さったものであるのか、取材不足で手許に情報がありませぬ。(布バッグ) これは、ロゴでもうお気づきの方もいらっしゃるかと思いますが、菓子舗「千鳥屋」の布バッグです。けん家持が先日訪問させて戴いた折に、手土産にと途中の商店街にある千鳥屋さんに立ち寄った処、このバッグに何種類かのお菓子を詰め合わせにして販売していましたので、買い求めたものであります。けん家持としては、季節がよくなり、ご夫妻でお散歩にお出掛けの折に、色鉛筆や小型のスケッチブックなどを入れて車椅子に下げて置くのに丁度よいサイズかと、中味はさて置き購入したのでありますが、奥様の恒郎女様は別の用途も考えて居られて、只今はご夫妻の綱引きとなって居ります。もう少しすればご夫妻のどちらが真に「強い」かが判明することになるでしょう(笑)。(サフランモドキ<ゼフィランサス>) これも智麻呂さんがデイサービスで描かれた絵です。智麻呂さんがご自分で花の名を調べて絵に添え書きされていますが、どうやら参考にした図鑑の文字が小さ過ぎたようで、間違って転記されていました(笑)。西風の 花の咲くとふ くれなゐの その花もがも 愛(は)しき我妹子(わぎもこ) (偐家持)(百日紅と蝶) これまで智麻呂さんが描かれた虫は、蝉、蜻蛉、鈴虫、玉虫などであり、蝶は初めてでありますな。(ヨメナ) 絵だけからはヨメナともノコンギク(野紺菊)ともとれますが、偐万葉的にはヨメナの方が相応しいので、ヨメナということにさせて戴きました(笑)。 ヨメナは万葉集では「うはぎ」という名で登場する。この若菜を摘んで食用にしたのである。では、ヨメナ・スープの万葉歌をご紹介しましょう。春日野に 煙(けぶり)立つ見ゆ 少女(をとめ)らし 春野のうはぎ 摘(つ)みて煮(に)らしも (巻10-1879 作者不詳)<参考>他の智麻呂絵画展は下記から。 第1回展~第100回展 第101回展~第200回展 第201回展~
2010.08.17
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自宅を午後3時に出発。遅い銀輪散歩に出る。先ず花園中央公園へ。そこから東花園駅経由、恩智川に出て南へ。池島橋を西に渡って、第二寝屋川沿いを西へと走る。木村重成墓のある公園を過ぎ、ひたすら川沿いを走る。 第二寝屋川は中央環状線道路と交差する辺りで流れが北へと大きく蛇行するので、川沿いの道を走っていると自然に北へと向かうことになるが、ここで暫く中央環状線道路を北へ走る。近鉄奈良線のガードを潜ってから再び第二寝屋川沿いの道に戻り、更に北へ。中央大通りに出る。(第二寝屋川と川沿いの道・奥の高架のある処が中央大通り) 中央大通りに出た処で、第二寝屋川に別れて左折、西に進む。長瀬川に出た処(東大阪市西堤)で、中央大通りを渡り、長瀬川沿いに北西へ走る。(中央大通り・西堤付近)(長瀬川・中央大通り西堤付近から南を望む。)(長瀬川・中央大通りから少し北に入った処。)(長瀬川遊歩道) 放出(はなてん)付近で長瀬川は、西に向きを変えて流れて来る第二寝屋川と合流するので、再び第二寝屋川に沿って、西へ西へと走る。内環状線道路に出た処で右折、北へと進む。第二寝屋川に架かる阪東大橋を渡る。(阪東大橋の上から見る第二寝屋川。後背の山は生駒山)(JR学研都市線・放出駅。内環状道路阪東大橋の上から。) 橋を渡った処で、再び西へ。途中で阿遅速雄神社行宮という小さな祠があり、そこで暫し休憩。遅いのか速いのかよく分らぬ神様でありますな。 今里筋に出る少し手前で右折し北に進むと寝屋川に出る。極楽橋とある。極楽橋を渡ると今福小学校。そこから右折して寝屋川沿いの道を東に向かう。車の走行が結構あるので、鶴見斎場を過ぎて少し行った処辺りから、裏道を行くことにするが、人家の建て込んだ細い道を右に左に走っている間に方向が怪しくなって来た。広い道路に出た先に「茨田(まった)遊歩道」というのがあったので、暫くそれを走ることにする。もう少し北に行けば鶴見緑地であるが、今日はパスして、再び寝屋川沿いの道に戻り、東へ。(阿遅速雄神社行宮)(茨田遊歩道) 河内橋本から寺島交差点で中央環状線道路を渡り、寝屋川に別れて(寝屋川沿いに進むと深北緑地であるが、今日はこれもパス。)、鴻池新田会所の前を通って、東へ、南へ、東へ。生駒山が段々近くなって来る。やがて馴染みの緩衝緑地公園に到着。ここで暫く休憩。アブラゼミが鳴いている。混じって時間感覚の狂ったクマゼミも少し鳴いている。時計を見ると5時を少し回っている。自宅を出て丁度2時間が経ったことになる。10分程休憩した後、再び東へ。水走交差点から石切経由で我が家に到着。午後5時30分を少し回っていました。 ざっと2時間半の河内平野周回銀輪散歩でした。走行距離は正確には分かりませんが、30km余でしょうか。今回も何と言って目的もなく出掛けましたので、大した収穫もなく、写真も余り撮っていなかった銀輪散歩でありましたが、お付き合い下さって有難うございました(笑)。
2010.08.15
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昨日13日は墓参。生駒山麓の高みにある我が家の墓にお参りした後、山裾の細道を散策、遠回りして帰宅した。ススキの穂が高々と風に靡いて秋の風情をかもしていた。モミジアオイも美しく咲いていました。(ススキ)人皆は 萩を秋と云ふ 縦(よ)しわれは 尾花が末(うれ)を 秋とは言はむ (巻10-2110)(モミジアオイ) 本日14日は大学の同窓会の囲碁サークルの大会、第7回青雲会囲碁大会の日。昨年暮れ頃からこの囲碁サークルを覗くようになり、今年初めて大会にエントリーさせて戴きました。今年の参加者は、山○氏、村○氏、宮○氏、田○氏、安○氏、五○氏、新○氏、広○氏、菊○氏、岩○氏、下○氏、金○氏、藤○氏、岡○氏と小生の15名。午後1時から大阪府庁北別館内にある以和貴荘の一室を借りて始まりました。 A、B2組に別れて予選。小生は抽選でB組となり、対戦相手が山○氏、村○氏、宮○氏と決まる。いかなることにありけるか3戦全勝してしまい、勝率でB組1位になる。A組1位の菊○氏と一位決定戦つまり決勝戦となる。序盤で相手の上辺右の5石を取り込み優勢な展開となるも、中盤にかけて下辺左隅の石を殺されるなどのミスが続き雲行きが怪しくなったのであるが、菊○氏が形勢悪く挽回は無理と投げられたので中押しで小生の勝ちとなる。菊○氏が早々と投げられたのはどうも小生に優勝を譲られたのではないかという気もするのであるが、とにもかくにも初参加で優勝をしてしまいました。ラッキーと言うほかありませぬ。(予選の風景)(以和貴荘玄関先)(玄関先からは大阪城が一望できる。) 決勝戦はA組B組の1位同士で優勝戦、2位同士で3・4位決定戦、3位同士で5・6位決定戦を行うというもの。決勝戦が全て終了し、1~6位が全て決定したのが5時20分頃。その後別室で表彰式と懇親会。和やかな楽しいひと時を過ごさせて戴きました。 はからずも1年間お預かりすることとなった優勝カップと戴いたレプリカの写真も掲載して置きます。(優勝カップ)(レプリカ)
2010.08.14
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偐万葉・ビッグジョン篇(その1) 本日は偐万葉シリーズ第70弾にして、初登場、ビッグジョンさんのブログに書き込んだ歌を纏めてみました。偐万葉・ビッグジョン篇であります。 ビッグジョンさんは大阪府の枚方市か交野市か、その辺りにお住まいなので、けん家持からすれば隣人のようなものでありますが、畑仕事を楽しみつつ、ウォーキングを趣味とし、ウインドサーフィンもされるというアウトドア派。この5月頃より本歌集にご訪問下さるようになり、小生もよく同氏のブログに立ち寄らせて戴いています。 <参考>ビッグジョン7777さんのブログはコチラからどうぞ。 偐家持が交野歩麻呂(かたののほまろ)に贈りて詠める歌19首及び俳句3句 並びに歩麻呂の返しける歌2首補陀落や 九年(くとせ)掛けての 満願の 五月の背子に あぢさゐ咲きぬ (観音家持) 山吹の 散りたるあとの 名残(なごり)には 緑の風の 星や運べる (紀散之(きのちりゆき))あぢさゐの 花は咲けども 我背子は 見ずや逝くらむ ビールのにがし木の暗(くれ)に 白き天使の のこせるや いのちの莢(さや)の 幸(さ)きくあれかしわが家の うらの筍 煮る香して いささ腹空く この夕べかも竹林の 雨宿りなり 少し濡れ (筆蕪蕉) 歩麻呂の返しける歌 我が畑の 隣の群竹 吹く風に 人がいるかと おどろく夕べ (大阪畑持) 呉竹に 畑とられて 茶の湯かな (千田休)我が畑に 淡竹(はちく)は入(い)れず 稲なれば 苗もや愛(いと)し 我家(わぎへ)の飾り (ジョンの稲持) 花石榴 いかな苗木と 覚えねど 遍路立つ日や 初花咲きぬ 雨降れる 遍路ころがし 辛(から)き道 踏みてなづみて 五色(ごしき)の台(うてな)ウバユリの まだ咲かなくに 香西の 道は枇杷の実 はや摘まれける 家づとに 素麺(そうめん)遣(や)れど うどん屋の いづくあるらむ 屋島の遠し花腐(はなくた)し 雨は降るとも ほつ枝摘み 栄木(さかき)君(きみ)が家(や) 捧げぞまつらむ待てしばし 鬼とは言へど 百合の花 後(ゆり)に切るとも 咲くまで待たな木犀に 空を取られて 百合もグレ (スケ番の百合) コキアの子 まだ刷毛なるも 色づける 秋には箒木(ははきぎ) らしくもならな (100円ショップ)変換の 妙が突き出す ひま談義 トコロテン(心太)から ウイロウ(外郎)までも (心太外郎)にほのうみ 背子招くらし 海の日の 青きさざ波 白雲立てば チョットコイ コジュケイ鳴きて 近付けば アッチャイケとか 逃げ惑ひける (鳥取部追麻呂)モロヘイヤ 饂飩に入りて 帰り来は 文月(ふづき)の午後の ことにしあれり (饂飩着家持) 千里より 四里ばかり先 寝屋川へ 何面白うてや 炎天歩き (銀輪家持)唐黍は 鴉に食はれ ほろ苦き ゴーヤは白く 熟れゆくならむ (吉備家持) 歩麻呂の返しける歌 鳥は鳥 獣は獣の 食があり 人族だけは みさかいもなし (歩人) (注)掲載の写真は全てビッグジョンさんのブログからの転載です。
2010.08.12
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昨夜12時を回った深夜というのに、我が家の庭の木か近所の電柱か、その辺りでヒグラシが長らく鳴いていました。「夕さればひぐらし来鳴く」というけれど、何を間違ったか真夜中に鳴いているのだから呆れる。 クマゼミは午前中に鳴き、アブラゼミは午後から鳴くというのが蝉時計とされて来たが、近頃は午後遅くなってもクマゼミが鳴いていることもある。昨夜のヒグラシといい、午後になっても鳴いているクマゼミといい、近頃は蝉の体内時計も狂い出しているようです。多分それは夜でも照明が明々と点いているという人間様が造り出した環境が影響しているものと思う。蝉だけでなく人間も相当に体内時計が狂って来ているのではないですかね。かく言うけん家持が既にして大きく狂っているのは間違いなさそうですな(笑)。 ところで、以前にも本ブログで書きましたが、万葉に出て来る蝉はヒグラシばかり。南方系のクマゼミは未だ渡来していなかったのは肯けるとしてアブラゼミやニイニイゼミはどうしていたのでありましょうな?ひぐらしは 時と鳴けども 恋ふるにし 手弱女(たわやめ)我は 時わかず泣く (巻10-1982 作者不詳)夕されば ひぐらし来鳴く 生駒山 越えてぞ吾(あ)が来る 妹が目を欲(ほ)り (巻15-3589 秦間満(はたのはしまろ))石走(いはばし)る 瀧(たき)もとどろに 鳴く蝉(せみ)の 声をし聞けば 京都(みやこ)しおもほゆ (巻15-3617 大石蓑麻呂(おほいしのみのまろ)) さて、蝉のことは置くとして、本日は8月2回目の囲碁の日にて、また炎天下自宅から梅田まで自転車で銀輪散歩を兼ねて走って来ました。片道1時間半位ですから丁度いい運動です。 本日の参加者はAo氏、T氏、F氏、H氏、M氏に小生の6名。小生は先ずT氏とお手合わせして敗れ、黒星スタート。その後H氏、M氏と各1局して2勝。通算2勝1敗。この処、2勝1敗が続いている。阪神タイガースもこれ位のペースで勝って欲しいものです(笑)。 本日は何と言って写真を撮っていませんので、先日、友人の小万知さんが、錦織公園の「河内の里」に咲いている花だと送って下さった写真を掲載させて戴きます。 (桔梗) (緋扇) (オミナエシ) (ミソハギ)
2010.08.11
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偐万葉・松風篇(その11) 本日は偐万葉シリーズ第69弾、偐万葉・松風篇(その11)です。 松風さんの素晴らしい絵に気の向くままに添えさせて戴いた歌も今回の21首で合計300首にもなりました(笑)。松風さんの絵とともに偐家持の拙い和歌もお楽しみいただければ幸甚に存じます。 <参考>過去の偐万葉・松風篇はコチラからご覧になれます。 松風さんのブログはコチラからどうぞ。 偐家持が松風朝臣麻呂(まつかぜのあそんまろ)に贈りて詠める歌21首ほかピレネーの 西なる国の オレンジの 屋根の館(やかた)は 見るにさやけし (偐アミーゴ) ピレネーの 西なる国の 館(やかた)ある 鶴見も生駒の 西にぞあれり (河内の家持)ため息も 青き議論も 告白も 聞きしやベンチ 丘の上(へ)にあり (丘のベンチ麻呂) サルビアの 火(ほ)の穂や赤く 燃え立ちて うだるぞ夏の 盛りなりける (歩き遍路家持)しなざかる 信濃の春も 近みかも 照る日にはだれ 光る朝なり (注)はだれ=むら消えの雪 小百合花 後(ゆり)も逢はめや 我妹子(わぎもこ)の その花笑みの 笑(ゑ)まししからに争点は 何やボケたる 梅雨空の カラスも鶴見の 参院選挙 (日和見家持) 風のほか 森は音なく 神々は いづち行きけむ 白き曲道(まがりぢ)噴水に 遊ぶや兒らの 声はねて はやクマゼミも 鳴くと見えける 影にして 動かぬ風車 うち日さす 都は遠み 風も吹かなく (無風影持)丘の上(へ)の をのこや秋を 待つらむか 木間(こま)ゆ大空 蜻蛉(あきつ)の飛べば 馬駆ける かろき足音 木間(こま)ゆして 雲いちしろく 梅雨明けぬらし梅雨明けの 地を蹴り青き 馬のゆく (筆蕪蕉) うしろかげ 風はのこしぬ 銀輪の をとめの髪は 亜麻色にしてはちすはな さきてまつらむ ひさかたの あめもふらねば いまはこひしき (勝手家持)蓮池の 花もすくなく なりゆきて 退(そ)き辺(へ)に雲の 峰の立つ見ゆ (真夏家持) 薄氷 張れる岡辺の 細道を なづみぞ来れる 妹が目を欲(ほ)り鶴見野は 葉月なりけり 疾駆する 馬の蹄の 音乾きゆく (鐙(あぶみ)家持) 行く人の なけれこの道 高々に たぐひてポプラ 夏野に立てりわが背子は さみどり繁き 夏よけて 馬乗る人に 寄りてやあらむ 朝風に 光りて影の 長々と メタセコイアに 秋立ちぬらし六甲(むこ)の山 木(こ)の間(ま)に霞む 真夏日の 鶴見なりけり 行く人もなき (注)掲載の絵画は全て松風さんのブログからの転載です。
2010.08.10
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立秋は過ぎたれど相変わらずの猛暑。銀輪散歩も汗だく、自動販売機の冷たい飲み物が頼りである。 本日も軽く近隣散歩。それでも自宅が生駒山麓の西斜面の集落にあるので、坂道には事欠かない。長い坂道を何回か上り下りすると、結構な運動になるのである。(愛車のMTB)(生駒山) 今日も生駒山を友として、気儘銀輪散歩であります。神さぶる生駒高嶺も今はTV塔がズラリ。まあ、雲は万葉の昔と変りなく棚引いているのでもあるのでしょうが・・。難波津(なにはと)を こぎ出(で)て見れば 神(かみ)さぶる 生駒高嶺(いこまたかね)に 雲ぞたなびく (巻20-4380 大田部三成)(夾竹桃・後は生駒山) 恩智川まで下って来ると、夾竹桃が一杯咲いていました。写真に撮っていると、何やら視線を感じる。見下ろすと柴犬が見上げているのでありました。以前(もう数年も前のことになりますが)我が家で飼っていた犬とそっくりなので、しばらく相手をして、バイバイする。(ワンちゃん)(石切藤地蔵) 帰途、東高野街道沿いの石切藤地蔵を撮影。新石切駅から石切神社へ向かう道の辻にある。由来書きの碑文によると、この地蔵は南北朝時代(1340年前後)に建立されたもので、大阪夏の陣の折に首が行方不明となり、「首無し地蔵尊」と呼ばれたらしい。その頃から頭痛、めまい、熱病、足腰の痛み、神経痛などの病気平癒を祈願すると叶うとの信仰が広まるようになったとか。安政(1850年)頃に自然に芽生えた藤の木が大きくなって繁茂し、明治の頃から誰言うとなく「藤地蔵」と呼ばれるようになったとのことである。 さて、話はガラリ変りますが、当ブログ、お陰さまにて、本日、アクセス件数が80000件を超えました。8万件目の方は楽天ブログの方ではありませんので、残念ながら、例によってどなたとも分りませぬ。 800012010-08-08 19:23:32*.wakwak.ne.jp 800002010-08-08 18:08:16***.yahoo.net 799992010-08-08 18:00:02*.ocn.ne.jp
2010.08.08
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本日は午後2時半からと遅い銀輪散歩に。いつものように恩智川沿いに大和川まで走る。余りの暑さに柏原市役所隣のリビエラホールにある喫茶店でしばし休憩。火照った身体を少し冷やすことに。 身体が冷えて元気回復。石川自転車道に入り、久し振りに錦織公園まで行ってみることにする。 自転車(MTB)で恩智川沿いを走り始めた頃は上のような空にて、雨の降る気配はなし。しかし、石川に入った辺りで雨がポツリポツリ。そこで、雨宿りを兼ねて、足湯の出来る場所に駆け込む。(足湯) ここは、以前、友人の偐山頭火さんと石川を走った時に昼食に立ち寄って見つけたもの。今日は、若い女性二人とおばあちゃん一人の3名の先客がありました。若い女性達は車で奈良からやって来たという。おばあちゃんはご近所の方で毎日のように来ているのだという。 しばらく足を湯に浸けてリラックス。彼女たちと世間話をしているうちに雨も止んだようなので、出発することにする。足湯で足も軽くなった感じがする。(石川河川敷・この中を自転車道が走っている。) 足湯を終えて石川畔に出る。東の葛城山系の山々にはご覧のように不穏な雲がかかっている。南方向、石川の上流は、更にも怪しい雲。時々稲妻も走っている。雨雲に突っ込んで行くみたいで嫌な感じであるが、ともかくも錦織公園を目指す。(石川上流方向には黒い雨雲が・・)(石川サイクル橋) 富田林の寺内町を通り、富田林高校の前を過ぎ、近鉄線の踏切を渡り、どんどん行く。また、雨がポツリポツリ。こちら方面で馴染みの喫茶店、「アキ」で雨宿りするかと、急ぎ行くが、生憎と店はお休みで、シャッターが降りていました。長らく来ていないうちに店の前の様子が様変わりしていました。どうやら喫茶店の前でたこ焼き屋さんも始められたみたいです。こちらも勿論お休みでありましたが。(喫茶「アキ」) お休みでは仕方ないので、錦織公園に向かう。しかし、段々と雨粒が大きくなって来る。公園への最後の坂道で本降りに転じました。外環状道路の下に駆け込みそこで雨宿り。公園入口まであと50mあるかないかなのに、ここで足止めである。 自転車で新聞を配達されているとおぼしき男性も雨宿りして居られました。仕方ないから、この方と暫くお話しながら雨の止むのを待つ。道はたちまち川のようになってゆく。雨滴が白く沸き立つように撥ねる。30分位も待っただろうか、ようやく小止みになったので、残りの坂道へと飛び出し、錦織公園にやっと到着。5時を少し過ぎていました。(外環状道路の下で雨宿り。右奥の森が錦織公園である。) 公園の施設は全て営業終了。雨は止み、日差しも射して来たものの、河内の里も門を閉ざしていて入れない。4時半閉門とある。(錦織公園・雨で濡れた路面から水蒸気が立ち昇って幻想的。)(「河内の里」も閉門していて素っ気ない。)(わんぱく広場の巨大滑り台にも人影はなし。)(錦織公園) いい時間になっているので、余りゆっくりもしていられない。帰途に着く。(石川自転車道)(石川)(石川・後方に二上山が見える。) 大和川に着く頃には夕焼になっていて、街路灯の灯もともり始めました。(大和川の橋の上から下流を見る。)(近鉄電車が鉄橋を渡って行く。)(大和川夕照) 帰宅したら7時半。すっかり暮れていました。今回は錦織公園のアップダウンを登ったり、石川自転車道で全速力で走ったりと、ちょっと頑張り過ぎたようで、久し振りに少し疲れました(笑)。
2010.08.06
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昨日は、先日出版社から郵送されて来た書籍の代金を振り込むのを忘れていたことを思い出し、午後2時から外出、郵便局へ。その足で銀輪散歩に出掛けることといたしました。炎天下、何処と言って行く当てもなく、北へ西へと走っているうちに、久しぶりに鶴見緑地に行ってみようと思いつく。この日の朝、松風さんのブログで鶴見緑地のポプラの並木の絵を見たことで、そんな気になったのかも知れませんな(笑)。 公園を散策するも、絵に描かれていたポプラの木は見つけられず。それでも、松風さんの絵ですっかりお馴染みの大池や風車などを眺めながらゆっくり散策。松風絵画に登場するオヤジ達も居ましたなぁ(笑)。 そのうちに、雨がパラパラし出した。空を見上げると南・東の空は青空。丁度公園の上空が雨雲の端っこのよう。という訳で全速力で東へと避難。中央環状道路まで出ると雨はもう大したことがなくなっていたという次第。のんびり帰途につきました。 道中の写真などをご紹介して本日のブログ記事とします。(諏訪神社)(諏訪神社・拝殿) 上の神社は東大阪市吉原にある神社。出鱈目に走っているうちに出くわしたもので、正確な場所は分らない。この付近を走っていた頃は未だ鶴見緑地のことは脳裏になかったのであるが・・。 この神社は天文元年(1532年)に、信濃國諏原之庄の住人の子孫達が当地に村を開き、諏訪大明神、稲荷大明神、筑波大権現の三社を勧請したのが起源とのこと。今は諏訪神社のみが残っているとのこと。(本殿) 神社に別れて、村の中の迷路のような道を走っているうちに、鶴見緑地に行ってみようと思い付き、中央環状道路に出るまで、ともかくも西へ西へと走る。中央環状に出て北へ。古川を越えた先で西に入ると鶴見緑地公園の正面入口である。松風さんの絵の風景、メタセコイアの並木が迎えてくれる。(鶴見緑地公園入口) 入口正面の噴水では、子供達が噴き上げる水と戯れていました。(噴水で遊ぶ子供達)(大池) (桂) (竹) (向日葵) (風車)(風車の丘)(野の草と風車)野の草の 穂波に秋の 色ありて 風車の羽根は 風待つらむか (偐家持) この前まで来た時に雨が降り始める。ポプラの木を探すのは断念して、自転車を取って返す。メタセコイア並木を通って外へ。少し濡れましたが、中央環状線道路に出た頃にはもう雨から脱出していました。 で、余裕が生まれ、目に入った神社に立ち寄ったりも。(大宮神社) 以上で、昨日の銀輪散歩レポートはおしまい。 本日はこれから、梅田まで自転車で、碁をしに行って参る。 (以上4日午前9時5分記入) (追記) 碁の方は、本日はT氏、F氏、Ao氏、Ar氏、H氏、M氏に小生の7名が出席。小生の成績はAr氏に1勝、M氏に1勝、T氏に1敗で2勝1敗でありました。 <参考> 松風さんのブログ 鶴見緑地の大池(2009.4.16.)
2010.08.04
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偐万葉・木の花桜篇(その7) 本日は、偐万葉シリーズ第68弾、偐万葉・木の花桜篇(その7)であります。 偐家持が木花桜姫に贈りて詠める歌22首及び俳句2句 並びに木花桜姫の返しける歌7首ほか梅雨空の 河内に陸奥の 桜来し 吉備の桜の つなぐやえにし (河内のクロネコ)薔薇もまた 咲くにまかせよ 野にあらば おのず咲くらむ み心のまま野つ鳥の 運びや来たる 野苺の 実の照る庭の 晴れ間にあれり 木花桜姫の返しける歌我が庭に 舞ひくるものは みな愛し 雨雪さへも ともに遊ばむえにしあり 吉備の桜へ 山川を 隔(へ)なりて結ぶ 智麻呂の枇杷寝不足の なにはゴリラの 憂きことは 店に夜毎の トラのあるなり (下戸のゴリラ) かささぎの 渡せる橋も 渡りかね ながめせし間に 余も老けにける (大法螺の馬鹿持)みほとけの えにしやみ神の みちびきか 智麻呂あぢさゐ 吉備にぞ咲ける 野の花の 気配のこすや 立ち葵 高々咲ける 青き大空新暦は 夏越(なご)しの祓(はらへ) 夏盛り たなばたつ女(め)も 汗疹(あせも)やあらむ (鰻食ふ家持) 木花桜姫の返しける歌梅雨空の 雲のかなたの 天の川 君の逢瀬は ありやなしやと 石の間(ま)の コスモスにもあれ 人みなも そこにし己(おの)が 花を咲かさな立葵 疾く咲き昇れ 雨の間を 蝉鳴く空の 青きぞも欲し立葵 咲き昇りたる 青き空 (筆蕪蕉) 木花桜姫の返しける歌やすめとて 雨降りやまず 遠雷も 託(かこ)ち顔なる 銀輪の君 参議院 選挙の前の 捩り花 平等院の 前庭に咲く (光源氏蛍)もじもじと 何や告げけむ もじずりの 捩れ国会 言ふにしあるか (偐在原業平)桜姫の 尻尾踏みたる 月夜かな (筆蕪蕉) 木花桜姫の付けたる脇句鼓打つ手を 見れば毛だらけ (狸の更衣)ふつふつと 布都(ふつ)のみたまの 磐座(いはくら)は しばし待てとか 茅の輪のなかり (旧暦派) まよひてぞ ゆくがへんろの みちなれば まよひてしれる ひともみほとけ (迷ひ家持) 木花桜姫の返しける歌遍路道 まよひまよひて 知る人の 情けの中に み仏を見る立葵 ほつ枝にひとつ 花咲きて 蝉の音(と)しるき 朝となりける 木花桜姫の追和して詠める歌短きは 夏の夜の夢 沙羅の木の 明日(あした)咲く花 何を想はん 偐家持の返しける歌思ほえば ひと日十日も 変りなし 咲きてみな散る 花にしあればゴマダラは 絣の小僧 シロスジは 黄八丈着て 行くごりょうはん (足塚治虫) 野辺見れば 蒲の穂立ちぬ 横雲の 白兎(はくと)は空を 駆け行くらしもはや秋の 気配立ちぬる 朝顔の 花しも咲きて 文月(ふづき)果つらむ 木花桜姫の返しける歌夏の果て 秋は見えねど 咲く花の 涼しき色に 恋ひてありけり 吾(われ)もかく ありたきものぞ 吾亦紅 吾)も恋ふなる 秋立つ葉月 (恋の家持)ちさの実の 葉うらにさはに 生(な)る見れば わが恋ひ待てる 秋立つらしも (葉月家持) <参考>偐万葉・木の花桜篇(その1)~(その6)はコチラからご覧下さい。木の花桜さんのブログはコチラからどうぞ。(注)掲載の写真は全て木の花桜さんのブログからの転載です。
2010.08.03
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