全14件 (14件中 1-14件目)
1
昨日・今日(27~28日)と若草読書会のメンバーと神戸のしあわせの村への一泊の小旅行をしてまいりました。 今回は課題図書もなく、和歌の課題もなく、本も読まない、そして勿論歌も詠まない、読書会となりました。心配されたこの時期のお天気でしたが、27日は薄曇り、そして今日28日は梅雨明けかと思わせる晴れの好天気にて、楽しくくつろいだ2日間を過ごすことができました。 参加者は智麻呂・恒郎女ご夫妻、凡鬼・景郎女ご夫妻、謙麻呂さん、小万知さん、祥麻呂さん、香代女さん、和麻呂さん、偐山頭火さんと小生偐家持の男女11名。 ブログ用にと10数枚の写真を撮ったのですが、操作ミスで写真が全部消えてしまい、残念ながら「しあわせの村」の園内の写真などを掲載することができません。 仕方がないので、「しあわせの村」のホームページをリンクして置きますので、園内の様子はそちらからご覧下さい。<参考>しあわせの村ホームページ (今回我々が宿泊した本館<しあわせの村ホームページより転載>) 今回は勉強も和歌もなく、園内の日本庭園その他を散策し、閑談するということでのんびりと時を過ごしましたが、夕食後の団欒では智麻呂ご夫妻が金婚式をお迎えになったことを皆でお祝いするなどのこともあって大いに盛り上がりました。なお、今回欠席のリチ女さんからは、27日朝の若草メールで和歌(下掲)によるエールを頂戴いたしました。お陰でお天気にも恵まれたようです。リチ女様どうも有難うございました。参加者の皆さまお疲れ様でした。小万知さんには、素敵な記念品のお手配をいただき感謝です。和麻呂さんには智麻呂様ご夫妻の送迎有難うございました。師を囲み 笑顔あふれる ひとときに 思いを馳せる 茜の空へ (リチ女)夕焼けの 空輝きて 楽しげな 夕べに集う 人々照らす (リチ女)(花菖蒲)●追記(2011.6.29.) 小万知さんからメールで写真の提供を受けましたので、追加で掲載します。以下の写真は全て小万知さん撮影です。(日本庭園) しあわせの村の園内は色んな花が咲いていました。萩、コスモスまで早くも咲いていましたが、この季節、紫陽花がやはり綺麗でありました。(アジサイ)(ホタルブクロ)(ネジバナ) 若草メールで寄せられていた凡鬼さんの短歌もご紹介して置きます。勿論ご本人のご承諾は得ておりませぬが、若草メールの歌にてあれば、多分お許し戴けるものと思います。青春を 共に過ごせし 友と逢ひ 語らずとても 心満ちたり (凡鬼) 語らずとても、と歌にはありますが、これは歌作りの上での綾という奴にして、実際には色んなことを語り合ったのではないかと思いますが(笑)。まあ、語り合わなくても心が通じ合っているという関係であるのであってみれば、若草読書会の集いは正に上の通りであります。<追記・注>「花菖蒲」の写真が横倒しの歪んだ画像になっていたので、2020年11月2日これを復元修正しました。●過去記事の写真が歪んでいたりすること 2020.10.12.
2011.06.28
コメント(8)
第81回智麻呂絵画展 本日はお待ち兼ね智麻呂絵画展であります。先日予告しました凡鬼さんの玉葱と景郎女さんの白紫陽花もしっかり出展であります。 そして今回は新境地の絵画、素晴らしい仏像画も登場です。どうぞ皆さま偐家持美術館提供・智麻呂ワールドにて、ごゆるりとお過ごし下さいませ。 <参考>他の智麻呂絵画展は下記から。 第1回展~第100回展 第101回展~第200回展 第201回展~(凡鬼さんの玉葱) 上は当ブログ6月14日の記事でご紹介した凡鬼さんの玉葱です。皆さまのご期待にそむかぬ見事な絵になりました。 玉葱は6月の季語でありますので、過去の凡鬼さんの6月の句に玉葱を詠んだものはないかと探しましたら1句見つかりました。此処に掲出して置きます。もっとも、玉葱そのものではなく、収穫直前の玉葱畑の風景の句ではありますが。 玉葱の倒れ伏したる収穫期 (凡鬼) 玉葱は地表部分が倒れるようになると収穫するそうな。これはブログ友のビッグジョンさんから学んだ「にわか知識」でありますが・・。玉葱は倒れ伏すと収穫。人間は倒れ伏すと救急車に収容。似て非なるものでありますな。どうぞ皆さん、どちら様もお元気でいらっしゃいますように。(景郎女さんの紫陽花) 上も同じく6月14日の記事にて予告した紫陽花。凡鬼・景郎女様ご夫妻邸のお庭に咲いていた白い紫陽花であります。(アマリリス) 上のアマリリスは、この6月初めに智麻呂・恒郎女様ご夫妻がお嬢様たちと1泊旅行された「神戸しあわせの村」で描かれたものであります。 下のゼフィランサスはデイサービスで描かれたもののようです。(ゼフィランサス)(タイサンボク) 上のタイサンボクは6月1日、下のヒイラギナンテンは6月2日の当ブログ記事に掲載の写真を絵にされたものであります。写真とは違った味わいがあって、こういう絵もなかなか楽しいものであります。(柊南天)(花菖蒲) 上の花菖蒲と下の紫陽花についての情報は持ち合わせませんが、アヤメもアジサイも智麻呂さんの好きな花であってみれば、この時期の絵画展には必ず登場の定番絵画であります。(紫陽花)(胡瓜) 上の胡瓜は見事です。ご近所の奥様からの頂き物らしいですが、こんな素敵な絵になるのであれば、偐家持も胡瓜を持ってお伺い致したくなりますなあ(笑)。(伐折羅大将) そして、これが新境地の絵であります。十二神将像の一つである伐折羅(ばさら)大将像ですが、これはかの有名な入江泰吉氏撮影にかかる、新薬師寺の像の写真から絵にされたものであります。智麻呂邸の2階の部屋を整理していたら入江泰吉氏の大版の写真が沢山出て来た中の一枚。何でも、恒郎女様の姉上が経営なさっていたお店の名が取り持つご縁で入江氏と面識を得ることとなった姉上様が、同氏から直接に頂戴した写真たちであるそうな。<参考>十二神将(枇杷) これは、ご近所に生っていた枇杷です。(立葵) これも散歩の道すがらに咲いていた立葵の花です。もうテッペンの花が咲いていますが、普通は、てっぺんの花が咲くと梅雨が明けると言うのに、今年の梅雨は未だ明ける気配がありませんな。と言うか、東北地方はやっと今日から梅雨入りらしいですな。東北地方の立葵の花は今どんな風であるのでしょうかね。 さて、今回も智麻呂絵画展にご来場下さいまして、まことに有難うございます。今回で智麻呂絵画の点数が丁度700点に達しました。これからもどんどん描き続けます(まあ、描くのは智麻呂さんで、偐家持は描け、描けと言うばかりなのですが・・)ので、どうぞ引き続き応援の程よろしくお願い申し上げます。<追記・注>写真3枚(「アマリリス」「ゼフィランサス」「タイサンボク」)が横倒しの歪んだ画像になっていたので、2020年11月2日これを復元修正しました。●過去記事の写真が歪んでいたりすること 2020.10.12.
2011.06.21
コメント(16)
偐万葉・木の花桜篇(その13) さて、本日は偐万葉シリーズ第108弾、木の花桜篇(その13)であります。 <参考>過去の偐万葉・木の花桜篇はコチラからどうぞ。 木の花桜さんのブログはコチラからどうぞ。 偐家持が木花桜姫に贈りて詠める歌19首 併せ木花桜姫の返せる歌3首ほか七(なな)いつつ そろひめでたき 吉備の地の 姫がブログに 桜花咲く思ひやる こころしみみに 浜笄(はまかんざし) 春たけ今し 日の本に咲く (陸奥支援麻呂) (注)しみみ=ぎっしり、みっしり、隙間なく一杯に ハマカンザシ=アルメリア(イソマツ科アルメリア属の多年草)の別名 木花桜姫の返せる歌笄(かんざし)に 似たる花あり 砂浜の 果ての海見る 青き空見る 招かぬに むべ烏(カラス)なり 野豌豆(ノエンドウ) 我がもの顔に 庭にぞ咲ける (烏野家持(カラスノヤカモチ))赤人も 摘み惑ふらむ 妹が庭 菫群れ咲く 野辺と見ゆれば (川部白人) 虞美人の 花にしあれり わが庭に いづかた知れず 来たりける花 (鄙芥子麻呂)コクリコと 咲きたるからは フランスの 野辺にぞ遊ぶ 八十少女(やそをとめ)らし (偐虞美人草) 桃色に 咲くタンポポは クレピスと 気取れる名にし あるもをかしき (偐蒲公英) 木花桜姫の送り来れる歌1首たぐひなき 花の姿を ヒゲ面の おやぢとみるや 露のこぼるる 偐家持の返せる歌1首ヒゲづらの 花と見しより パンジーの 花に睨まれ 困るこの頃 (パン爺麻呂(パンジーのまろ)) <替え歌>「上海帰りのリル」 「フランス帰りのリラ」船を見つめていた 空を見つめて咲くハマのキャバレーにいた 花はうすむらさき風の噂はリル 風にゆれてるリラ上海帰りのリル リル フランス帰りのリラ リラあまい切ない 思い出だけを あまい切ない 五月の風に胸にたぐって 探して歩く 一枝(ひとよ)手折(たを)りて 悲しい香りリル リル 何処に居るのかリル リラ リラ 何処に咲くのかリラだれかリルを 知らないか だれかリラを 知らないか 富士山も 11日は 雲隠れ 泣けとごとくに 雨は降るらむ (海部泣人)去年(こぞ)の種 芽吹くや吉備に この秋は 見まくの欲しき 葛(かづら)の風船 五月野(さつきの)の 烏野豌豆(カラスノエンドウ) はびこりて いづれレンゲと ひきぞわづらふ (眩三位家持)桜桃の 色あざやかに 五月雨の 道を黄色き 傘みっつ行く咲きか散る 卯の花腐(くた)し 降る雨の いやしくしくに 妹し思はゆ (偐宅守) (注)宅守=中臣宅守(なかとみのやかもり)(万葉集巻15-3723~3785参照) 木花桜姫の返せる歌卯の花に 雨降りやまず ほととぎす 声しもなくて、五月去りゆく 花蘇芳(はなずおう) 花はよかれど 繁き葉に 枯れて豆(まめ)莢(さや) 垂(た)るさまわろし (偐少納言)吾(われ)も亦 くれなゐ匂ふ 花なりと 吉備の秋風 待つとやあらむ百日紅(さるすべり) 千日紅(せんにちかう)の さにあれば われもくれなゐ 吾亦紅(われもかう)咲く 水清み 映せる空の 青や恋ひ 白き空木(うつぎ)の 花は咲くらむ (楽麻呂)松浪の 影なす堀の 水鏡 映し見むとや 空木(うつぎ)の咲ける小百合花 今し咲けども 酒ならず 召せと言へるは 一茶にあらむ (酒田山頭茶) (注)掲載の写真は全て木の花桜さんのブログからの転載です。
2011.06.17
コメント(14)
本日は雨の中、久々に母校を訪ねました。 前外務事務次官の藪中三十二氏の講演を聴講するためである。 大学の方から卒業生もどうぞという案内があったので、エントリーして聴講してまいりました。 この講演は大阪大学リーダーシップ教育研究会主催、大阪大学大学院公共政策研究科後援で行われたもので、阪大の法学部学生、大学院生らを対象にしたもの。会場は聴講の学生たちで満席、立ったまま聴講する人も後部、両サイドにズラリと、熱気ムンムンでありました。演題は「未曾有の危機にある日本という国家の命運のために、われわれは今何をなすべきか」でありましたが、外交の場で活躍して来られた氏ならではの話、大変興味深く、説得力のある力強いものでありました。講演後の質疑応答も大変活発で、質問希望者が多過ぎて、その全てには応え切れなかったため、終了後、会場外でも延々と藪中氏を囲んでのやりとりが続いていました。 講演内容については色々差しさわりもあろうかと思いますので、ここでの紹介は差し控えます。氏は昨年8月に外務事務次官を退任されたが、その際に著書(下記)を出して居られるので、それをお読み戴ければ、講演と重なる部分もあり、氏の考え方も分ると存じます。 同窓会からは徳○氏、中○氏、松○氏、そして小生と同期の黒○氏、堀○氏らが聴講されていました。藪中氏は小生と法学部の同期であるが、同期の中でもひと際光る存在であるのは言うまでもない。(「国家の命運」)藪中三十二著「国家の命運」新潮新書 定価680円(税別)(大阪大学会館・豊中キャンパス) 我々が学んだ頃の建物は殆どが無くなり、新しい建物となってしまっている中で、上の建物は昔の面影を残す数少ないものの一つである。今は内部が改装されて大阪大学会館になっているが、我々の頃は「イ号館」と呼んでいて、教養課程(一回生、二回生)の時にはこの校舎でも講義を受けたものであった。 来月の同窓会総会と懇親パーティーはこの建物で行うこととなっている。<追記・注>「国家の命運」の写真が横倒しの歪んだ画像になっていたので、2020年11月2日これを復元修正しました。●過去記事の写真が歪んでいたりすること 2020.10.12.
2011.06.16
コメント(4)
タマネギがやって来た。と言っても勝手にタマネギがやって来る訳がないのでありますが、下がそのタマネギであります。(玉葱) これは凡鬼さんの栽培されたタマネギです。 朝に恒郎女様から電話があり、凡鬼さんが菜園で作った野菜を持ってやって来られるので来ないかとのこと。当初は16日にという話であったが、その日は小生に他の予定が入っていたので、今日に変更して下さいました。 27・28日の若草読書会小旅行の打ち合わせも兼ねてのご来訪でありましたが、小生もタマネギを頂戴するという幸いに、という訳で上のタマネギ達が我が家に「やって来た」という次第。 智麻呂邸を訪問すると、玄関先に見慣れたマウンテン・バイク。偐山頭火さんが先客でした。「九州偐行乞の旅」の河内温泉大学図書館へのアップは近日中にされるようです。彼が帰って暫くして凡鬼さん来訪。奥方の景郎女さん、お嬢さんのMちゃんとその子(つまり凡鬼さんの孫)のKくん(1歳余)を伴っての来訪でした。 Kくんは車の中で眠ってしまったらしく、到着後暫くはぐっすり眠っていましたが、目覚めてからは中心的存在に。特に智麻呂さんは大喜び、その可愛い一挙一動に声を上げて嬉しそうに大笑い、大いにうけて居られました。 暫く談笑後、5時半になったので、小生はひと足お先に智麻呂邸をお暇いたしました。 智麻呂邸では新作絵画2点を撮影し、現在5点となっていますが、もう少し点数が増えてからの智麻呂展となりますので、智麻呂絵画ファンの皆さまはもう少しお待ち下さいませ(笑)。 次回絵画展には、このタマネギや景郎女さんご持参の白い紫陽花なども作品になっているのではないかと存じます。
2011.06.14
コメント(12)
1.偐行乞の旅 友人の偐山頭火氏が定年退職を機に本家山頭火を追って九州偐行乞の旅に出られ、この程「九州偐行乞の旅ー酒・温泉そして駄句」をまとめられました。河内温泉大学図書館にて公開されどなたでも閲覧できることとなるとのことですが、公開に先立って若草メンバーにメールで送って下さいました。 本日(6月11日)現在は未だ公開されていないようですが、追って公開されると存じますので、興味ある方は下記河内温泉大学図書館にて閲覧下さいませ。 河内温泉大学図書館はコチラからどうぞ。 偐山頭火氏のブログはコチラからどうぞ。(「九州偐行乞の旅」表紙)2.青い空 もう一人の友人柳生氏、こちらは小生のかつての職場仲間の一人であるが、広島原爆をテーマにした絵本を出版されました。先日、囲碁例会で梅田スカイビルに出掛けた折に偶然彼に出会い、絵本のことを知りました。早速一冊注文したら、昨日出版社から送付されて参りました。 興味を持たれましたら、下記に注文ご購読下さいませ。 株式会社 風詠社 〒553-0001大阪市福島区海老江5-2-7 (野田阪神ビル402) 電話06-6136-8657 FAX06-6136-8659 E-mail info@fueisha.com(「青い空」表紙)作・画 柳生研太郎 「青い空」発行・風詠社 発売・星雲社定価:本体1000円+税 広島で両親と共に被爆した体験をもとに描かれた作品。 2010年4月、ピースボートの世界一周の船旅に参加し た氏が、各地で核兵器廃絶のキャンペーンを行う中で作 成した紙芝居を絵本にしたものである。<追記・注>写真2枚(「九州偐行乞の旅」表紙、「青い空」表紙)が横倒しの歪んだ画像になっていたので、2020年11月2日これを復元修正しました。●過去記事の写真が歪んでいたりすること 2020.10.12.
2011.06.11
コメント(10)
本日は昼食後、銀輪散歩に。錦織公園まで走って来ました。いつもは恩智川沿いの道・大和川を渡ってからは石川自転車道を走るのであるが、今回は気分を変えて、外環状道路を走ることにしました。 大和川到着が午後1時35分。自宅を出たのが12時45分だから丁度50分掛かっている。途中馴染みの自転車屋さんに寄って空気を入れるなどのロスタイムがあったから、それがなければ45分で到着することが分かりました。(大和川) 外環状を行くと大和川の手前でJR関西本線、大和川の先で近鉄南大阪線の跨線橋を越えなくてはならないのがちょっと厄介である。(近鉄南大阪線) 上の写真は跨線橋の上から撮影。奥の緑は仲津媛(応神天皇の皇后)の御陵。その右に少し見えているのが小室山古墳。その向こうには応神天皇陵がある。 1時間余走ったので漸くのどの渇きを覚え、道路脇の自販機でお茶を購入。すると、ありました、大阪にも。先日の富山で目にして面白がった「仮面サイダー」が。隣にはゴレンシャーも。今回はパスでしたが・・(笑)。(仮面サイダー) 暫く行くと左手に応神天皇陵古墳。これは巨大過ぎてカメラには収まり切りません。で、その先の「はざみ山古墳」を撮ることに。この辺りは古墳が多い。これを廻るだけでも日が暮れるというものである。(はざみ山古墳)(PLの塔) 東大阪市から、八尾市、柏原市、藤井寺市、羽曳野市を過ぎていつの間にか富田林市に入ったよう。道路の右手に、突如、PLの塔、出現です。 暫くして左手に錦織神社が見えて来たので立ち寄る。(錦織神社)(同上。愛車のMTBも。)(本殿) 境内に、何やら石碑があるので、近くに寄って見ると、天誅組河内勢の顕彰碑であった。(天誅組河内勢顕彰碑) <参考>天誅組 天誅組の変 天誅組迷走 河内勢の最後(補記2011.6.10.)文久3年8月17日、天誅組60余人は中山忠光を盟主とし、皇軍の先鋒として、甲田水郡邸を出発し、同日長野三日市を経て、観心寺の後村上天皇陵を拝し、大楠公首塚の前で結盟を誓い、千早峠を越えて大和に入り、五条代官を屠りて、その所領を天朝直轄の御地御民と宣言し討幕の第一声を挙げた。然るに翌18日突如として京師に政変起り、朝議一変、却って叛徒として追討せられることとなる。然れども少しも之に屈せず、至誠の心一朝天に達することあるべきを確信し、兵を十津川郷に募り、吉野の山野を血汐にそめて、孤軍奮闘し、遂に刀折れ矢尽きて、僅か40日にして9月24日、或は鷲家口に戦死し、或は紀州竜神に捕えられて、翌元治元年7月20日京都に於て斬首された。実に明治維新の魁として花と咲き、花と散った人々である。(以下略)--顕彰碑の碑文より。 錦織神社を出て、暫く、集落の中の道を走るが、再び外環状道路に戻る。大谷女子大横の最後の坂道を上って、下ると、錦織公園である。先ず、ご無沙汰している喫茶店「アキ」にて珈琲でもと向かうが、「都合により暫くお休みさせていただきます。」との表示が貼り出され、お休み。仕方がないので、下って来た坂道を再び上って、公園へ。(錦織公園入口) 自販機で冷たい飲み物を買って一気飲み。ひと息つき、入口近くのベンチで休憩されていたご老人と言葉を交わしながら、小生も休憩。煙草休憩でもある。10分ほど休んだ後、公園を出発、帰途に。今回は公園散策はパスです。 帰途は途中で外環状道路から西に外れて清寧天皇陵に立ち寄る。次に外環状道路を挟んで反対側の東にある、日本武尊陵に寄り、誉田八幡宮、道明寺と、東高野街道を走り、石川べりのいつもの道に出て、大和川を渡河。恩智川沿いの道を帰る。帰宅したら5時50分。5時間余の銀輪散歩でありました。(清寧天皇陵) 清寧天皇は雄略天皇の第三皇子(母は葛城韓媛)。雄略の後を継いで即位、第22代天皇である。生まれつき白髪であった、と日本書紀に書かれている。また、子がなかったので、履中天皇の孫に当たる憶計王(後の仁賢天皇)を皇太子に、弘計王(後の顕宗天皇)を皇子にしたとある。 清寧には異母兄が2人居た。父雄略と吉備稚媛との間の子、磐城皇子と星川皇子である。稚媛は夫であった吉備上道臣田狭が任那へ派遣されている間に雄略に略奪され妻にされてしまう。彼女にとって不本意なことであったのだろう。雄略の死後、息子の星川皇子に皇位を取れと唆し、反乱を起こさせる。大連の大伴室屋は皇太子(清寧)の側につき、軍勢を送り、稚媛と星川・磐城両皇子を焼き殺してしまう。これも日本書紀に記されている話である。 大伴室屋は家持の7代前、曾曾曾曾曾祖父である(笑)。(日本武尊陵)(東高野街道)<追記・注>「PLの塔」の写真、錦織神社由緒の写真(2枚)及び天誅組関係の写真(2枚)が横倒しの歪んだ画像になっていたので、2020年11月2日これを復元修正しました。●過去記事の写真が歪んでいたりすること 2020.10.12.
2011.06.09
コメント(4)
今日は囲碁例会。先週は雨で電車で出掛けましたが、今日は好い天気なので、自転車で銀輪散歩を兼ねての自宅・梅田往復で気持ちの良い汗を流しました。 大阪城では、大手門前の広場でロードトレインと遭遇。幼稚園児たちが大勢乗り込んで、いざ出発という処でありました。(ロードトレイン) 幼稚園児で一杯のロードトレイン。この光景を見て思い出すのは、かなり以前のことだが、信楽で遺跡発掘の現地説明会があり、それに参加しようとトレンクル持参で信楽高原鉄道の列車に飛び乗ったら、丁度それがクリスマスのイベント列車で子供たちが一杯であったこと。大人といえば、その子供たちのお母さん方。車内では車掌さんがサンタクロースの扮装で子供たちにプレゼントを配っている。クリスマスの飾り付けで車内はパーティー会場の雰囲気。とんでもない場違いな処に来てしまった(乗ってしまった)と小さくなっていましたが、今日この時間にロードトレインに乗り合わせた大人が少数居られたとしたら、小生と同じ居心地悪さを感じていらっしゃったことでしょうな(笑)。(みんな楽しそうです。)<参考>ロードトレインが登場する記事 囲碁の日は銀輪(2) 2010.6.9. 囲碁5戦全敗 2010.3.15.(大阪城ー水面に映る櫓と青葉が美しい。) 本日の囲碁例会は青○氏、竹○氏、福○氏、平○氏、荒○氏、村○氏と小生の7名が出席。小生は青○氏と、続いて竹○氏と対局。2戦2勝でした。それでも今年に入ってからの成績はこれで14勝17敗ですから、まだ借金3である。阪神タイガースよりはましであるが、早く5割に戻さなくては(笑)。
2011.06.08
コメント(2)
偐万葉・真澄篇(その11)・薬師如来がやって来た 本日は我が家に薬師如来三尊がやって来られました。 と言っても、それはブログ友の真澄さんからの絵手紙でありました。 という訳で、と言ってもどういう訳だか分らぬと仰る向きもおありかと存じますが、そういう論理的整合性が破綻した地点に於いて成立しているのが当ブログでありますれば、とにもかくにも「と言う訳で」なのであります(笑)。 と言う訳で(笑)本日は、偐万葉・真澄篇(その11)と致しまする。(薬師如来) 今年はスーパークールビズにて、薬師如来様も、日光・月光菩薩様もくつろいだ感じでおはします。薬師さま 梅雨の晴れ間の 中休み 日光月光 だれてぞおはす (月日亭偐麻呂) 真澄様へ。素敵な絵手紙有難うございました。この紙面を借りお礼申し上げます(笑)。 偐家持が真澄郎女に贈りて詠める歌15首雲と散り 霧と消えぬる ことのよし もとの形ぞ 我とふなきは (霧消家持) うなそこに かづくしらたま 塵泥(ちりひぢ)の 身にもあくがる たまぞありける (塵泥家持)もみぢ葉の 散るをし見れば 何をかも 足らずといふや 神がまにまに (自足家持)山川を 隔(へ)なれど届く み思ひの 深き色にし もみぢの降れる (紅葉家持) 群青の 空は静かに 仰ぎ見よ 慈悲の女神の まなざしぞこれ (群青家持)ベツレヘムの 星にはあらね 敷島の 大和をみなは 蜜柑を摘まな (伊予娘子) 澄鏡(まそかがみ) 玉兎(ぎょくと)の道の あきらけく 吉事(よごと)しあらむ あらたまの年 (注)玉兎=月のこと。我妹子(わぎもこ)の うなじの白き さざんかの 花は咲きたり 窓辺に寄れば 鹿のこと しかとはしかし 分り兼ぬ しかとたしかめ しかるのち言はむ (鹿野鹿麻呂)梅の香に 誘はれてぞや 我もまた スプーン一杯 ほどの杏露酒(シンルチュウ)(偐酒持)金色(こんじき)の 線香花火 弾け咲く 山ぐみ春の 言祝ぎの花よりまさの いづれとまよふ あやめ花 咲きてみなもに 影のすずしき (偐三位家持) 恋初こひそ)めの 花にしあれり 白薔薇は 五月(ごがつ)の朝(あさ)の 風とや咲ける白き花 一枝(ひとよ)手折(たを)りて クレパスの 赤きをとめに 持たせてもがも (阿倍花麻呂) ほととぎす 来鳴きとよもせ 車輪梅 夏告げ花の 今しも咲けば<参考>過去の偐万葉・真澄篇はコチラからどうぞ。 真澄さんのブログはコチラからどうぞ。(注)最初の薬師如来を除き、絵画は全て真澄さんのブログから の転載です。
2011.06.06
コメント(10)
本日は青雲塾第2回万葉ウォークにて、西大寺ー菅原天満宮ー喜光寺ー垂仁天皇陵ー唐招提寺ー薬師寺ー大池(勝間田の池)ー薬師寺休丘八幡神社を歩いて来ました。 青雲塾というのは、大学の同窓会の有志で行っている勉強会・趣味の会のようなもので、今回は小生が案内役となって万葉ウォークしようというもの。一昨年に第1回目として佐保路を歩いているので、今回は第2回目万葉ウォークということになる。 近鉄西大寺駅南出口午前10時半集合。参加者は松○氏ご夫妻とご友人の大○氏、海○氏、徳○氏、塚○氏、安○氏と姪御さん、それに小生の同期の黒○氏、油○氏、佐○氏、道○氏に小生の13名。 このコースでの万葉歌ということになると、西大寺境内の孝謙天皇の歌碑の歌、喜光寺境内の石川女郎の歌碑の歌、そして最後の勝間田池の万葉歌と直接にはこの3首だけであり、万葉歌の本流からは外れた歌であるのだが、日頃余り歩いていない方でも参加し易いようにということで選定した苦肉のコースでありました。 日曜日とあって、大和路ウォークを楽しむ方も多く、集合場所の西大寺駅と菅原天満宮では、外国人も含む世界遺産を歩く何とかツアーの団体さんとも鉢合わせ、昼食場所に予定していた垂仁天皇陵前では別のグループが既に陣取ってお弁当を開いていたり、と賑やかなことでした。 唐招提寺では鑑真和上の命日が明日6日ということで、今日から3日間、和上像が特別公開されるということもあってか、いつになく大勢の参拝客で、混み合っていました。 また、唐招提寺の境内では同期の前○君が待ち受けていて、前後の時間は他の用と重なっていて駄目だけれど、この時間帯だけ参加すると言って、しばし合流してくれるハプニングもありました。 予定コースを全て回って、解散地点の西ノ京駅前到着が午後3時5分、とほぼ予定通りの時間で、無事今回のウォークを終了することができました。ご参加いただきました皆さまどうも有難うございました。 先ず、西大寺境内の孝謙天皇の歌碑です。此里者 継而霜置哉 夏野尓 吾見之草波 毛美知多里家利この里は 継ぎて霜や置く 夏の野に わが見し草は もみちたりけり (孝謙天皇 巻19-4268) この歌は孝謙天皇が光明皇太后と共に藤原仲麻呂の邸宅に行幸された際に「さはあららぎ」を1株摘み、それと共に女官に持たせ届けさせた歌であると題詞にある。後には仲麻呂との仲がギクシャクし、対立するようになり、やがて仲麻呂が謀反することとなる(藤原仲麻呂の乱)のだが、この歌の頃は未だ良好な関係にあったのであろう。 或る本には、この歌は仲麻呂家を讃えた歌と記されていたが、まあ、贈った状況を考えればそういうことになるのだろうが、歌の内容から見て、何でこれが讃えた歌になるのか、小生には理解できない。 さはあららぎ、はフジバカマに良く似た花、サワヒヨドリのこととされる。(喜光寺)(石川女郎歌碑)大き海の 水底(みなそこ)深く 思ひつつ 裳引き平(な)らしし 菅原の里 (巻20-4491 石川女郎) この石川女郎は、大津皇子とあの有名な歌を交わした石川郎女とは別人。こちらは、藤原宿奈麻呂(のちに藤原良継と改名)の妻であった女性の歌である。この良継は藤原宇合(式家)の次男。兄が広嗣である。広嗣が乱を起こした際には連座の罪で伊豆に流されたことなどが禍となり、南家の仲麻呂が勢力を伸ばす中、出世が遅れる。そんなことで悶々としていたのでもあろうか、石上宅嗣、佐伯今毛人、大伴家持らと結託して、仲麻呂暗殺を企てるが、露見して失敗。大敬罪で解官、姓も剥奪される。この時、彼は自分の単独犯だと言い張り、家持ら他の関係者は命拾いしている。そして、その1年後には仲麻呂が乱を起こし、これが彼には吉となる。仲麻呂追討に功を立て、言わば政治の表舞台に復帰を果たすことになる。この時、家持は薩摩守で都を離れていたため、功を上げるチャンスに恵まれなかったのは、運がなかったというべきか(笑)。 乱後、孝謙が重祚し称徳天皇となるが、称徳没後の皇位継承では、北家の藤原永手らと協力し白壁王擁立に尽力、光仁天皇実現となる。これで、一気に力をつけ、娘の乙牟婁が光仁の次の桓武天皇(山部王)の皇后になるなど全盛期を迎えるが、いよいよこれからという時に急死してしまう。という、まあ何と言うか、奈良時代末期らしい波乱に富んだ生涯を送っているのですな。 上の歌は、良継の愛が薄れ離別されたことを嘆き悲しんで石川女郎が作った歌であると左注に記されている。なお、乙牟婁を産んだ女性はこの石川女郎ではなく、正妻の阿倍古美奈である。 この歌碑、以前は西向きに立っていたが、先般來の境内改装工事でか、前の場所から少し西側に移動し、東向きに建てられていました。 同様に、以前はなかった会津八一の歌碑が最近建てられたようで、今回初めて目にしました。先月だったか先々月だったか下見に来た時は境内に入らなかったので、この八一の歌碑は見ていなかったのでした。(会津八一歌碑)ひとりきて かなしむてらの しらかべに 汽車のひびきの ゆきかへりつつ 会津八一の歌碑は唐招提寺にも薬師寺にもある。今回は立ち寄らなかった秋篠寺にもある。その他法華寺など奈良には八一の歌碑が多くある。(唐招提寺) 唐招提寺に入るのは久し振りである。門前はよく銀輪散歩で通るのであるが、長らく工事中であったことでもあり、入る気がしなかったのであります。(会津八一歌碑)おほてらの まろきはしらの つきかげを つちにふみつつ ものをこそおもへ 唐招提寺は、天武天皇第七皇子の新田部皇子の邸宅であった場所。新田部皇子の歌は万葉には登場しないのだが、大池(勝間田の池)に因む歌というのが新田部皇子に対する歌ということで、唐招提寺から勝間田の池へと歩くのもあながち無関係ではないという訳である。今回薬師寺参拝はパスでした。なを、西大寺境内、垂仁天皇陵の写真などは下の関連記事1.に登場し、勝間田の池(大池)などは同3.に登場しますので、省略です。興味のある方は同記事をご参照下さい。勝間田(かつまた)の 池は吾(われ)知る 蓮(はちす)なし しか言ふ君が 髭なきごとし(巻16-3835)<参考>会津八一 会津八一記念館 <関連記事>1.大和西大寺駅から矢田寺経由富雄駅まで 2011.3.5. 2.同上(その2) 2011.3.6. 3.若草歌壇2011花園篇公開ほか 2011.4.30.<追記・注>「会津八一歌碑」(喜光寺境内と唐招提寺境内)の写真(2枚)が横倒しの歪んだ画像になっていたので、2020年11月2日これらを復元修正しました。●過去記事の写真が歪んでいたりすること 2020.10.12.
2011.06.05
コメント(7)
今日は午前中墓参。午後は明日の青雲塾万葉ウォーキングの資料作りと印刷。銀輪散歩はお休みでした。 で、墓参の道すがらにロウバイの実が生っているのを見かけ、写真に撮りましたので、これを本日の記事とします。このロウバイは、今年の2月5日の墓参の時に花が咲いていて、これを写真に撮ってブログ(「山茶花、椿、蝋梅、梅そして石川散歩」2011.2.6.)に掲載した木であるので、4カ月ぶりの再登場ということになる。(ロウバイの実) ロウバイは先ず花が咲き、次に葉が出て、実が生る。実が生る頃は葉が繁り、実は葉の陰に隠れてしまうので、近付いてみないとそれとは気が付かない。まあ、花が散ってしまうと、もうそれがロウバイの木であることに、小生などは先ず気が付かないのであるから、ロウバイの実を目にする機会がなかなかないのは当然なのである。我が家の庭にはロウバイの木がありませぬゆゑ。(同上) <参考>ロウバイ(蝋梅) ロウバイの実は、余り形がよくない。何かぶっきらぼうな形というか、可愛らしさ、優雅さに欠ける気がしますな。 ところで、果実には真果と偽果があるそうな。ロウバイは偽果であるとのこと。子房が発達してその部分が果実になるものを真果というのに対し、子房以外の部分に養分を蓄えて実となるものを偽果というらしい。 イチゴ、リンゴ、ナシ、ビワ、バナナ、スイカなどはみんな偽果だそうな。まあ、偐万葉集・偐家持には真果よりも偽果の方が語呂的にはしっくり来ますな(笑)。 <参考>果実
2011.06.04
コメント(0)
第80回智麻呂絵画展 智麻呂絵画展も回を重ね今回で第80回となりました。 2008年7月4日に第1回開催ですから2年11カ月で80回を迎えたこととなります。絵画点数も今回で688点の多数となりました。 智麻呂氏の努力は言うまでもありませんが、このブログを通じてお寄せ下さる皆さまの温かい応援や周囲の色々な方のご支援・ご協力の賜物と、心から感謝し、お礼申し上げる次第であります。 では、第80回絵画展、ごゆるりとお楽しみ下さいませ。 (Sちゃんのクッキー) (家餅) 写真左はSちゃんが作ったクッキーです。先日智麻呂さんに「どうぞ」と持って来てくれたそうです。(参照:第73回 第78回) 弟のケンちゃんがお姉ちゃんに負けじと作ったのが1個混じっています。さてどれでしょう。皆さんお分かりになりますか?(笑) 右は見ての通り「家餅」です。説明は省略。気になる方は5月26日の記事(神通川銀輪万葉・その2)をご覧下さい。(ガトーショコラとフルーツケーキ) これは、I さん手作りのケーキです。いつも智麻呂さんご夫妻の許にお届け下さっていますので、当絵画展にも何回か登場済みです。 今回は、偐家持もお裾分けの栄に浴しました。I さん、どうもご馳走様でした。とても美味しかったです(笑)。 (参照:第46回 第55回 第60回 第70回)(小物入れ) これは恒郎女さんのお友達がお作りになった作品です。 つまり、これはお礼状の絵手紙という訳であります。(お地蔵さんのユスラウメ) 智麻呂邸の門前、道路を挟んで向い側に小さな地蔵堂があります。 その脇にこれまた小さな桜の木があります。 何と言う品種の桜かと思っていましたが、桜ではなくユスラウメでありました。(追記2011.6.19.)上はその後当該木をよく観察するとサクラではなくユスラウメでありましたので、記事を訂正しました。その木の写真を掲載して置きます。葉は桜のそれとは明らかに異なります。(ユスラウメ)(カキツバタ) 黄色の杜若。花の色はいかにあれ、カキツバタは智麻呂さんの好きな花だけあって、描く速度も速い。 恒郎女さんのお話では、小生が訪問するちょっと前にサラサラと描き上げてしまわれたそうな。多分、小万知写真集から絵にされたものであると思います。(鯵) 上のアジと下のタイは偐山頭火氏の九州旅行のお土産とのこと。 どちらも見事な絵になりました。 魚の絵は智麻呂氏は得意なようだ(笑)。(鯛) そして、締めくくりは梅雨の時期らしく、梅の実。 この梅もデイサービスの職員のTさんが自宅の庭の梅を一枝手折ってお持ち下さったものらしいです。(梅の実)<参考>他の智麻呂絵画展は下記から。 第1回展~第100回展 第101回展~第200回展 第201回展~<追記・注>「Sちゃんのクッキー」「小物入れ」及び「鯵」の写真が横倒しの歪んだ画像になっていたので、2020年11月2日これらを復元修正しました。●過去記事の写真が歪んでいたりすること 2020.10.12.
2011.06.03
コメント(10)
本日は実のある話を。 本当に「実」があるのです、実を言えば(笑)。 まあ、葉が出て、花が咲いたら、次は実、それが自然の流れにてあれば、当ブログもそれに倣えという訳であります。おととひの 青葉の風に 昨日(きそ)の花 今日(けふ)は実と生(な)る いざ見に行かな (偐実朝)(サンシュユの実)関連記事:サンシュユ 2011.3.21.山茱萸(やましゅゆ)の 青き実なれば 葉の陰に 隠(こも)りて秋に また来(こ)よと言ふ (夏家持)(同上) 次はミヤマトサミズキの実。 この木の花も花なんだか何だかよく分らぬ花であるが、実の方もよく見ないと実なんだか何だかよく分らぬ実なのである。み山(やま)なる 土佐の水木(みづき)と 人言へど ちっくと分からぬ 花ぜよ実ぜよ (坂上龍馬)(ミヤマトサミズキの実)関連記事:銀輪花逍遥(その5)そして花園夕照 2011.3.22.(ヒイラギナンテンの実) そしてヒイラギナンテンの実である。 この実の色は何と形容してよいのか分らない。見れども飽かず、の美しいブルーである。「限りなく透明に近いブルー」は村上龍だが、これは「限りなきやさしさに近いブルー」なのである。 やうやうに昇り来たる日の射し始めたる朝、刺々しき葉陰に青き実のみつよつなどすずやかにありたるもをかし。夜来の雨に濡れたるは言うに及ばず朝露置きてすずにぞなれるはさらなり。と、まあ、清少納言なら言いそうなごん。(同上)関連記事:ヒイラギナンテンの花 銀輪花遍路 2010.3.31. ゴマダラカミキリの飛びも来て 2009.6.15. この実の青色には、いつ見ても、何度見ても、魅せられる。 今年は実の生り方が少ないような気がしていましたが、ついにたわわになっている木を見つけました(笑)。(同上)震災の 今年も数多(さは)に 青々(あをあを)と 柊(ひひらぎ)南天(なんてん) 変らず生(な)りぬ (偐家持)(同上)<追記・注>「ヒイラギナンテンの実」の写真の一部(3枚目)が縦横比率が逆転した歪んだ画像になっていたので、2020年11月2日これを復元修正しました。●過去記事の写真が歪んでいたりすること 2020.10.12.
2011.06.02
コメント(6)
6月は雨のスタート。雨の音で目が覚めました。いや、目が覚めたら雨の音がしていた、の方が正しい表現ですかな。本日は囲碁例会ですが、雨なので、銀輪ではなく鉄路にて向うことといたしましょう。 で、本日の記事は花遍路と相成りまする。 オトギリソウが咲き始めました。 これも色々と品種があって、正確な名前は偐家持の知る処ではない。<参考>オトギリソウ キンシバイ(金糸梅)まがまがし 名にはあれども 弟切(おとぎり)の 花はやさしき 色にし咲ける (偐家持) 次はシモツケ。ピンクと白があるが、本日はピンクの花。 コデマリやユキヤナギもシモツケ属にて同じ仲間。 シモツケは木で「木下野(キシモツケ)」とも呼ぶのに対し、シモツケソウは草で「草下野(クサシモツケ)」とも呼び、別物とのこと。(シモツケ)(同上)<参考>シモツケ シモツケソウ アカバナシモツケソウしもつけは 鹿の子まだらの うすべにの 花にしあれば 我妹に似たる (偐家持)(タイサンボク)<参考>タイサンボクモンブランの ケーキ包むや 白き花 泰山木(たいさんぼく)と いふもをかしき (偐アルピニスト)(サツキツツジ)<参考>サツキ サツキツツジ五月雨(さみだれ)に 濡れてこそよき べに色の にほへをとめや さつきといへる (偐家持) さて、本日の囲碁例会は、青○氏、竹○氏、福○氏、村○氏、平○氏、荒○氏と小生の7名が出席。小生は先月欠席したので、一カ月ぶりの久々の碁となりましたが、青○氏に勝ち、竹○氏に負け、荒○氏に勝ちで2勝1敗。まずまずでした。 余談ですが、JR大阪駅が新しくなってから本日が初めての大阪駅利用にて、その様変りに驚きました。自転車ばかりでは世の中の変化に疎くなりますな(笑)。
2011.06.01
コメント(6)
全14件 (14件中 1-14件目)
1