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第163回智麻呂絵画展 昨日、智麻呂邸をお訪ねし、新作絵画8点を「仕入れ」て参りました。手許にある作品9点と合わせて全17点をご紹介申し上げます。どうぞ、ごゆるりとご覧下さいませ。 <参考>他の智麻呂絵画展は下記からご覧になれます。 第1回展~第100回展 第101回展~第200回展 第201回展~ いつもの絵画展と違っていきなりケーキです。 これは7月6日に智麻呂邸を訪問した際に偐家持館長が持参したケーキです。8日が智麻呂さんのお誕生日であることに気付き、少し早いがとバースデイ・ケーキ代わりにお持ちしました。(ケーキ)(モデルはこれ。) 偐家持関係のついでにこの絵を次に並べることとしました。 当ブログの6月26日記事「銀輪花逍遥・雲行くままに」に掲載の写真から絵にされたものです。ビロード草とかフランネル草などとも呼ばれるスイセンノウの花です。(スイセンノウ<酔仙翁>) 次からはご来場の皆さまへの暑中見舞いも兼ねての絵であります。若草読書会のメンバーであるリチ女さん、祥麻呂さん、和郎女さんからの贈り物で、涼を感じて戴き、偐山頭火さんからの贈り物で体力を付けて戴こう、という趣向であります。(江戸の水菓子) 先ずは、リチ女さんからの「江戸の水菓子」です。 金魚が涼しそうです。(同上) 次は祥麻呂さんからの朝顔です。(朝顔<江戸紫>) (蛍の紙製灯篭) (大蒜) 上左は、智麻呂絵画ではありませんが、和郎女さんから届けられたもので、6日にお訪ねした折に見せて戴いたもの。スイッチを押すとライトが灯り、蛍が光り、涼やかなせせらぎの音が流れます。いかにも和郎女さんらしい暑中見舞いです。 上右は、偐山頭火さんが持って来られた大きな大蒜です。大伴家持は「石麻呂にわれもの申す夏痩せによしといふものぞ鰻とり召せ」と詠いましたが、偐山頭火さんはきっと「智麻呂にわれもの申す夏バテによしといふものぞにんにくとり召せ」とでも仰りたかったのでしょう。皆さまもお宜しければおひとつどうぞ(笑)。(鬼灯) 上のホオズキは智麻呂さんのご友人、坂〇さんが下さったものです。 以下の5点、百合からクレマチスとある花までは、小万知写真集から絵にされたものです。(百合)(蓮)(ヒメタイサンボク)(フクシア)(クレマチスとあるが、正確にはハンショウヅルです。) クレマチスとありますが、クレマチスというとテッセンなどを思い浮かべてしまうヤカモチはちょっと疑問を持ちましたので、調べてみると、これは、クレマチスの一種でハンショウヅルという植物でした。 以下の3点は智麻呂さんがデイサービスに通われている施設「アンデスのトマト」の催し、「お買い物デー」で、智麻呂さんが買い求められた花たちです。 百合は元々お好きな花ですから順当。次の唐辛子はそのいろどりと形の面白さに惹かれて絵に画いてみたくなられたのでしょう。そして、最後のサンダーソニア。この釣鐘型の花というのは、何であれ智麻呂さんの絵心に響くものがあるようです。(もう一つの百合)(唐辛子) ヤカモチ館長は、牡丹もあれば、「唐獅子牡丹」ならぬ「唐辛子牡丹」で面白いのに、と思ったりするのですが、画伯はそんな馬鹿なことは考えないから画伯なのである。(サンダーソニア) 次のカーネーションは、もう一つのデイサービスの施設、福寿苑でのお誕生日会で頂戴されたものとのこと。冒頭のケーキの処で申し上げた通り、今月は智麻呂さんの誕生月。傘寿という節目の目出度い誕生日ということでありました。これからも益々お元気に絵を描き続けられますように、智麻呂絵画ファンの一人として、ヤカモチも切に願うものであります。 そして何よりも先ず言って置かなけれならないのは、その智麻呂さんを支えて居られる奥様の恒郎女さまへの感謝の表明として、このカーネーションの絵は描かれたものでもあるということであります。(カーネーション) で、最後は、皆さまも既にお馴染みの、五〇さんからのハムの絵です。 ヤカモチ館長はいい加減なもので、横浜の五〇さんとか、鎌倉の五〇さんとか、これまで、その時の雰囲気でデタラメな紹介をして参りましたので、昨日は、恒郎女さんから「川崎の五〇さんですよ」と念を押されました。このことを付け加えて、過去の絵画展で間違った紹介をしているやも知れぬ件、此処で謹んで訂正させて戴くこととします。遡って訂正しないところが、偐万葉風なのであります。(ハム) 今回は絵画点数も多く、早くも字数制限一杯のよう。これにてお開きとします。本日もご覧下さり、有難うございました。
2015.07.28
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友人の岬麻呂さんも同じ頃に北海道を旅行されていたようで、北海道からの旅便りと写真が届きました。当方の積丹・余市・小樽の旅の記事で紹介が遅れましたが、同じ北海道関連ということで、続きに掲載させて戴きます。13日から16日まで旭川・美瑛・富良野・十勝など「花めぐりの旅」であったようです。(富良野・麓郷展望台からの眺め) 同氏の説明によると「麓郷の最東端・丘の上にある展望台」で、同氏のお気に入りの場所とのこと。富良野への旅では毎度立ち寄って居られるらしい。(富良野らしい風景) 麓郷から国道38号に出る麓郷東山線の途中の風景とのこと。奥に見えているのは富良野連山。左から、富良野旭岳、前富良野岳、富良野岳、上富良野岳。 麓郷と言えば、わがブロ友のfurano-craft氏の根拠地ということで何やら親近感を覚えるのだが、小生には未踏の地である。(メコノプシス<ヒマラヤの青いケシ>) この青いケシの花は大雪森のガーデンで撮影されたもの。小生は実物を見たことはないが、智麻呂さんの絵(第1回智麻呂絵画展)で承知している花である。(コマクサ) こちらのコマクサは旭岳姿見の池(標高1650m)近くの高山に自生していたものを望遠で撮影されたとのこと。 この花は小生も白馬岳に登った折などに見ているが、それはピンクの花にてこのような白い花ではなかったので、白いコマクサもあることは今回初めて知りました。(ショウジョウバカマ) この花の撮影場所は定かではありませんが、上のコマクサと同じ場所で撮られたのでしょうか。撮影していたプロカメラマンから「ほんの短い期間咲くだけなので、見ることができたのは幸運です。」と言われたと同氏は書いて居られます。 <参考>過去の「岬麻呂旅便り」の全記事はコチラから。 岬麻呂写真集(フォト蔵アルバム)
2015.07.27
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(承前) 水天宮から小樽公園を目指す。ここに3つ目の啄木歌碑があるそうな。 これがまた結構な坂道になっている。小樽は坂の町です。(日本基督教団小樽公園通教会) 小樽公園への道の途中にあったキリスト教会。この建物も小樽市指定歴史的建造物になっている。 教会から先の坂道が右にカーブして勾配がきつくなっているが、其処が小樽公園の入口である。啄木の歌碑は入口左側の小高い場所の一角にありました。(小樽公園内の石川啄木歌碑)こころよく 我にはたらく 仕事あれ それを仕遂げて 死なむと思ふ (啄木) 不本意な仕事、生活のためだけの仕事はつまらないが、それは仕事の方の問題ではなく「自我の思い」の問題に過ぎない。何であれ全うな仕事であるなら無心に取り組めば其処に自ずからなる面白さというものが見出せるというもの。 「こころよき疲れなるかな息もつかず仕事をしたる後のこの疲れ」と詠い、「何に限らず一日暇なく仕事をした後の心持ちは喩うるものもなく楽しい。人生の深い意味は、けだしここにあるのだろう」(啄木ローマ字日記)と書いた啄木だから、そのことはよく分かっている筈。職場での人間関係や生活苦からの諸々の問題が、仕事と無心に向き合うことを妨げ、労働から「快い疲れ」を奪う。小樽での啄木も亦そのような状況にあったのでしょうか。こころよく 我に走れる 道のあれ 銀輪駆けて 死なむと思ふ (石川冗談) 小樽公園から来た道を引き返し、偶々見付けた小さな町のレストランで遅めの昼食。注文して料理が出て来るのを待っていると、祭囃子の音が近付いて来た。店の外に出てみたら運河付近で見かけた住吉神社の祭礼の行列である。街中をくまなく練り歩いているのだろうか。カメラを向けて4枚写真を撮りました。 (住吉神社の祭礼の行列) 昼食後、店の人に住吉神社の所在を尋ねると、歩くとかなりかかりますよ、と言う答え。自転車だと言うと、それならスグです、と道を教えて戴く。(住吉神社) 住吉神社は国道5号沿い、入舟十字街から200m余坂を上った処にある。鎮座150年記念祭という旗がありましたから、幕末期に創建された神社である。 住吉大社は大阪の神社であるから、一応ご挨拶して置くことに。尤も、神輿は神様の乗り物、現在神輿は街中を行進中の行列の中だから、それに乗って居られるなら、こちらは留守宅ということになるのであるが。(同上・拝殿) 神社を後にし、南小樽駅方向に走り、海岸べりへ。(南小樽駅) 海岸通りを暫し銀輪散歩するも、自転車で走ることに専念、写真がない。日が暮れる前にはホテルに帰るべしで、帰途に。出鱈目に走っていたので、道がよく分からなくなったりもしたが、やがて見覚えのある道に出て、トンネルを三つ越えて、ホテルへの坂道に取りかかる。小樽水族館までも坂道であるが、そこから先の展望広場へは更に急坂。ホテルはその展望広場から更に上らなくてはならない。途中から押して行く。(小樽夕照) ホテルの6階に展望デッキがあり、そこから夕日を撮ろうとカメラを向ける。しかし、日没までは未だかなり時間がある。半袖のTシャツ1枚では海からの風が強く寒くなって来て、ひとまず部屋へ。 再度出直して来て撮ったのが下の写真。他の宿泊客の方も何人かが写真を撮りに来て居られました。しかし、も一つの夕日でした。(同上・日没) 翌日は帰る日。タクシーでフェリー乗り場へ。朝10時半の出航である。海上から神威岬をもう一度眺めてみようと船で帰ることに。物好きなことです(笑)。 (新日本海フェリー) (小樽出航)(カモメたち) 船室のデッキには見送りのカモメさんたちが。(同上) (海上から日和山灯台、高島岬を望む。)(積丹岬付近、中央に見えている黒い岩影は女郎子岩か?)(海上から望む神威岬と神威岩) 神威岬と神威岩が見えて来ました。(遠く蝦夷富士<羊蹄山>も見える。) やがて遠くに富士山のような姿の山影が見えて来ました。蝦夷富士と呼ばれる羊蹄山なのでしょう。 船は一夜明けての翌朝6時に新潟入港であるから、スローな旅である。しかし、たまにはこういうのも悪くはない。粟島も以前銀輪散歩でちょっとだけ立ち寄ったことがあるがこの角度から島を眺めるのは初めてである。(新潟県沖、粟島の島影) 新潟からは空路で伊丹へ。トレイン・アンド・バイシクルの旅であったが、飛行機、船、列車、バス、タクシーと全ての乗り物と併用の自転車旅という邪道トレンクルの旅となりました。 長らくお付き合い下さり有難うございました。これにて積丹、余市、小樽の銀輪散歩お開きと致します。<完>
2015.07.26
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(承前) もう一つのニシン御殿なるものがあるとのことで、旧青山邸に向かいましたが、これはご覧のような豪邸。貴賓館というレストランになっているようで、ここで食事をするのでなければ中には入れないようです。(旧青山家ニシン御殿・貴賓館)(同上) 小樽と言えば運河ですが、その市街地に行くにはトンネルを三つ越えなければならない。一つ目のトンネルを出た処で二つ目のトンネルはこれを迂回する道があるのでそれを行く。するとこんな小さな海水浴場がありました。 少しだけ浜に出て遊んで行く。目の前の岬を潜るトンネルが新高島トンネルで、それを過ぎると小樽の中心へと入って行くことになる。(祝津豊井浜海水浴場) 新高島トンネルを越えて暫く行くと小樽博物館がありましたがパス。向かいには手宮洞窟遺跡なるものがあったので、入館してみた。館内は暗い。洞窟の壁をガラス越しに覗く窓があり、そこには縄文時代の人が彫った浮彫壁画で、狩りをする人や動物を描いたものがあると言うが判然とはしない。(小樽博物館庭のラッセル車) やがて、小樽運河にやって来ました。ここは前日の早朝にも神威岬へと出掛ける前に少し走っているので、写真はそれらを一部併用です。(運河公園・旧日本郵船小樽支店)(同上) (同上・説明碑)(バラかと思ったが八重咲きのハマナスのよう。) 運河沿いに咲いていたのは八重咲きのハマナス。八重のハマナスの花なんぞ見たことがない。バラかと思ったが葉がハマナスのそれ。実が生っていればバラではなくハマナスだと断定できるのだが、実は見えない。山吹や柘榴と同じで八重咲きは実を付けないのか。これで、これがバラだったらお笑い草だが、同じ仲間なのだから似ていて当然である。(住吉神社の祭礼の行列) お囃子の音が聞こえて来たと思ったら祭りの行列。住吉神社の祭礼でした。(同上)(運河沿いの建物)(同上)(同上・旧大家倉庫)(色内1丁目交差点・右正面建物は小樽運河プラザ) この運河プラザでお土産を買いましたが、上の写真は前日の早朝のものにて、未だ人影もなく閉まっています。 この交差点を奥に坂を上って行くと小樽駅。小樽駅前の石川啄木歌碑を訪ねることとする。小樽には石川啄木の歌碑が3基ある。それを巡ってみることにします。 啄木は1907年、函館、札幌を経て9月末に小樽にやって来て、小樽日報の記者となる。同僚に野口雨情が居て、彼が当時の主筆と対立関係にあり、ごたごたの末、雨情が退社に追い込まれるが、此の時、雨情の側に立った啄木も12月に退社に追い込まれ、翌1908年1月に家族を小樽に残したまま釧路新聞に移っている。(小樽駅前の石川啄木歌碑) この歌碑の歌は釧路へと単身旅立つ時のものである。 もう一つの歌碑は水天宮境内にあるという。 水天宮は運河がお終いになる辺りで右に坂を上って行き、路地を左に入って更に坂道を上った処にある。(運河沿い)(小樽運河説明碑) 水天宮にさしかかる道で、一人旅の若い女性から道を尋ねられる。小樽駅へはどう行けばよいかと。こちらは自転車で軽装。地元の人間に見えたのであろう。銀輪散歩の旅ではよくこういうことがある。こちらも旅行者だから「存じません」でもいいのだが、ついつい教えてしまうのは「世話焼き大阪人」の血である(笑)。(水天宮) (水天宮境内からの眺め)(水天宮境内の石川啄木歌碑)かなしきは 小樽の町よ 歌ふこと なき人人の 聲の荒さよ (啄木) 小樽の人は、この歌によって啄木に余りいい感じを持たないのだと言うが、本当だろうか。かなしきは 啄木の歌よ 聲荒き 小樽の人の 心に触れずや (偐小樽人)(つづく)
2015.07.25
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(承前) 本日(と言っても7月16日のことですが)は朝から小樽銀輪散歩です。宿泊ホテルが小樽市街から少し離れた高島岬背後の丘の上にあるので、そこからの出発となります。 ホテルから少し下った処にある展望広場から撮った写真がこれ。 何か記憶にある眺め、と思いきや、友人の岬麻呂氏から送られて来た写真と同じアングルであるのでした。同氏も此処に立たれたのかと思うと愉快な気分。 <参考>「岬麻呂旅便り・小笠原諸島(付北海道旅行)」2015.6.9.(高島岬の日和山灯台と小樽鰊御殿) 先ずは、手近な処で、眼下に見えるニシン御殿と灯台に行ってみる。と言っても直接には行けず、いったん海岸べりの道路まで下りて、そこから再び坂道を上らなければならないのであるが。(小樽鰊御殿) 御殿の裏に回ると由来を記した石碑があったが、それによると、この建物は此処にあったのではなく、北海道炭鉱汽船株式会社が創立70周年記念事業の一環として、昭和33年に、泊村にあった建物を譲り受けてこの地に移築し、小樽市に寄贈したものだそうな。 (由来記の碑) (裏から見た御殿)(八田尚之文学碑)<参考>八田尚之・Wikipedia 御殿の敷地内には八田尚之という方の碑がありました。存じ上げぬ名でありましたが、調べると小樽出身の脚本家でありました。 御殿の前に自転車を停めて、徒歩で灯台へと向かう。(日和山灯台) 灯台の赤い色は雪が降り積もっても海上からそれと分かるようにということなんでしょうが、美しい灯台です。 灯台周辺に咲いていた花たちです。 上はホテル前の花壇にカモミールなどと一緒に植えられていた花と同じでしたからハーブの1種で、在来の野草ではないようだ。花壇に植えられた園芸種の種が風に運ばれてここに咲いているのだと見ましたが、さてどうでしょう。花壇には花の名も書かれていたのですが、カタカナの名前にて思い出せません(笑)。 こちらは、野草でしょう。エノコログサの仲間かと思いますが、毛が短く端正な姿です。これでは「猫じゃらし」にはならないでしょうから、ネコジャレズと名付けて置きましょう(笑)。(ナデシコの群生) そして、ナデシコの群生。ナデシコは大伴家持が愛した花。万葉の花に出会えてようやくに銀輪万葉らしくなりました(笑)。なでしこの その花咲ける 高島の 岬の朝を ともにし行かな (偐家持)(本歌)なでしこの その花にもが 朝な朝な 手に取り持ちて 恋ひぬ日無けむ (大伴家持 万葉集巻3-408) そして、アザミ。未だ蕾にて花の色は不明であるが、神威岬で見たのと同じ、白いアザミであるのだろうか。(アザミ)(日和山灯台からの眺望) 上の写真で遠くに見えているビル街は札幌のそれでしょう。(同上)(同上 小樽の中心市街は中央の岬の向こう側にある。) 海辺の道に戻り、小樽市街へと走る。この道は鰊街道と呼ばれているようです。鰊番屋などの建物が道沿いに残っていて趣のある景観を成している。 説明はそれぞれの説明板の記載に委ねますので、それをご参照下さい。ヤカモチには如何なる知識もありませぬ。(旧白鳥家番屋)(同上説明板)(茨木家中出張番屋)(同上説明板)(鰊街道沿いの建物)(同上) 字数制限のようです。本日はここまでとします。(つづく)
2015.07.24
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(承前) 下戸のヤカモチ。ウヰスキーには何の興味もないのであるが、列車待ちの時間つぶしとてニッカウヰスキー北海道工場(余市蒸溜所)を見学させて戴く。(ニッカウヰスキー北海道工場 花が植えられている道が国道229号) 受付を通ると係の若い女性が出て来られて駐輪場へとご案内戴く。そこでパンフレットと共に渡されたものは、自転車も一応車両なので飲酒運転になるということで試飲は出来ないというワッペンでした。 まあ、下戸ヤカモチ、当初から試飲する心算はないので「はい、承知」であります(笑)。 (単式蒸留器<ポット・スチル>) (工場創立当時の事務所) (リタハウス) (竹鶴正孝翁像)(旧竹鶴邸) (第1号貯蔵庫) (同上) (ウイスキー博物館) (同・有料試飲コーナー) (ウイスキー博物館内に再現されたリタ夫人生家のリビング) (第1号ウイスキー)(無料試飲場のあるニッカ会館) ざっと駆け足で広い工場内の見学を終えました。 国道229号を余市橋へと向かう。この通りはリタ夫人に因んでリタ・ロードと呼ばれているらしい。(余市宇宙記念館) 余市橋の手前に余市宇宙記念館があった。宇宙飛行士の毛利衛さんがこの余市のご出身というのは今回知りました。 しかし、入館している余裕はない。余市橋から川沿いの道に入り、少しばかり上流まで走る。(余市川畔の道 奥に見えているのは田川橋)(同上) 時間があれば余市川をもっと上流まで走りたいところであったが、もう引き返さないと予定の列車に間に合わない。余市駅へと引き返し、列車で小樽駅へ。(小樽駅) 小樽駅から迎えの車でホテルへ。 ということで、本日はここまでとします。(つづく)
2015.07.23
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(承前) 神威岬から余市方面へと引き返します。往路のバスの車窓から眺めた海岸の景色を再び楽しみながら。(積丹岬へ) 積丹岬の手前ではキャンプをしている人たちも。(野塚キャンプ場) 次に立ち寄ったのは旧余市福原漁場。 漁場というのは、鰊定置網漁の経営者たる親方の住居と魚肥や身欠き鰊の加工施設、それらの貯蔵庫などを備えたものである。朝ドラ「マッサン」のシーンでもお馴染みのもの。ドラマではウヰスキー造りに適切な場所を探して北海道にやって来たマッサンが世話になるのがニシン漁師の親方・森野熊虎。その熊虎のニシン御殿のモデルとなったのが、この福原漁場である。(旧余市福原漁場・案内板)(同上・土倉<左>と石蔵<右>)(同上・主屋)(同上・主屋表側)(同上・主屋内部) (同上・主屋・台所)(同上・主屋・親方家族の部屋) (同上・主屋・仏間) (同上・主屋・客間)(同上・石蔵) (同上・石蔵内部) 石蔵内部にはニシンの加工機具のほか、北前船の模型も展示されている。北前船の航路に当たる港の絵もズラリ並べられていました。 上方から交易品を運んだ北前船は、空になった帰り船に魚肥としての鰊を積んで帰るのであるが、その肥料が河内木綿の綿花の栽培を支える肥料となったようだから、これらの施設も我が河内と深い関係があったことになる。ということで、表敬訪問でもあります。(同上)(納屋場) (米・味噌倉) (網倉)(網倉から石蔵、主屋方向を眺める。) 福原漁場を出て旧下余市運上家へと向かうが、漁港に出てしまい、見ずに通り過ぎてしまいました。漁港では、定置網でしょうか、男たちが黙々と漁網の手入れをしていました。(モイレ<茂入>漁港) 運上家(うんじょうや)というのは、江戸時代、松前藩がアイヌ民族との交易のために建てた建物とのこと。網の手入れをする男たちを撮っているヤカモチの背後にそれはあったようですが、気付かぬままに岬をひと回りして余市川河口に架かる大川橋のたもとに出てしまったという次第。ヤカモチ銀輪散歩にはよくあることです。(余市川河口) 大川橋の欄干には野口雨情の歌碑。(大川橋) トレンクルの後輪タイヤの空気が抜けているようなので、取り敢えず自転車屋を探す。睦公園の北側にあった斎藤自転車商会で空気入れを拝借し、事なきを得ました。 余市駅まで行き、小樽への列車の時刻表を確認し、宿泊ホテルへ電話し小樽駅前での迎車の時間の確認を取る。(JR函館本線余市駅) 迎車の時刻に合わせて乗るべき列車の発車時刻を調べると1時間半程度の時間がある。ということでこの時間を利用して、ニッカウヰスキー北海道工場の見学と余市川畔の銀輪散歩に出掛けることとしましたが、それは明日のこととします。(つづく)
2015.07.22
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(承前) 神威岬の駐車場前にあるカムイ屋と表示された建物内の食堂で少し早い昼食を済ませて余市方向へと向かうのであるが、その前に神威岬で目にした花たちを紹介して置くこととします。 と言っても、花の名が殆ど分からない。ご存じの方にはご教示願いたいものであります。(浜茄子) まあ、ハマナスは小生でも分かるので、まず、ハマナスから。(同上・蕾) 次の花からが名が分からない。(ツリガネニンジンに似た花) ツリガネニンジンみたいな花を咲かせているが勿論それではない。カムイノツリガネヘンジン(神威の釣鐘変人)とでもして置きましょう。(同上)(エゾフウロでしょうか。) 葉はフウロのそれ。アメリカフウロのような小さな花ではなく、しっかりした大きな花である。ハマフウロでしょうか。エゾフウロでしょうか。(同上)(エゾノカワラマツバ?) 上はスギナみたいな茎と葉の植物。小さな黄色の4弁の花が群れ咲いている。エゾノカワラマツバと紹介されているネット記事がありましたので、一応それとして置きます。(エゾノヨロイグサ) シシウドが咲いて居ると写真に撮ったのですが、北海道にシシウドが咲くのかどうかと調べてみると、本州以南のよう。ウドと同じ仲間のエゾノヨロイグサがそれらしいので「採用」という、まあ、いい加減なことです(笑)。(同上) そのエゾノヨロイグサの後ろに白く泡立ったように咲いている花。遊歩道のあちらこちらに咲いていましたが、近くで撮ったのが下の写真。オニシモツケでしょうか。(白く泡立ったような花、オニシモツケ?)(ホトケノザニモシタキカナ) ヒメオドリコソウやホトケノザの雰囲気を持った出で立ちですが、草と言うより木の雰囲気の立派な葉のしつらえ。ということで、仏の座にもしたきかな、ということに。(草藤) 上はクサフジですな。やっと知った花に出会えました。 下は雪割草かと思える可憐な花。真夏に雪割でもあるまいから何と名付けましょう。(雪割草みたいな花)(ニガナみたいですからエゾニガナとでも呼んで置くか。) 上はニガナ、ノゲシみたいな花ですが何とも定め難い。エゾニガナとでもして置けばそれらしいか。(アカツメグサとクサフジに交じって「エゾニガナ」)(白いアザミ) これはアザミでしょうね。白いアザミというのは余り見ないので、やはりエゾシロアザミとでも呼ばなければならないのでしょうか。(大きなマムシグサかと思ったが上のエゾノヨロイグサのよう。) 蕗やイタドリもありましたが何れも巨大で普通に見掛けるそれの3~4倍の大きさ。そんなことで、これも巨大なマムシグサかと思いましたが、写真で見比べるとどうやら上で先に紹介したエゾノヨロイグサのようです。(ニガナに似た白い花) 野菊のような白い花ですが、これも何とは知らぬ花。エゾニガナというのは上で使ってしまったからエゾノギクとして置きますか。(オカトラノオの一種でしょうか。) トラノオも色々と種類があるようですが、これは何と言うトラノオなんでしょう。(同上) 神威岬で見掛けた蜘蛛も掲載して置きます。 見たことのない蜘蛛でしたがヤエンオニグモという蜘蛛のようです。(神威岬の蜘蛛 ヤエンオニグモ)(黒い恋人) ちょっと、話が脱線しますが、第79回智麻呂絵画展に、北海道土産の「白い恋人」が登場しています。それはご近所の奥様が北海道旅行の土産にとお持ち下さったもの。大阪人は「面白い恋人」というパロディのお菓子を作ってしまう駄洒落好き人間ですが、ご当地北海道にもそのような人が居られるようで「黒い恋人」というお菓子が土産物店のカムイ屋に置いてありました。黒いヤカモチにはこちらの方が似合いと智麻呂さんへの土産に加えることとしました。尤も購入したのはカムイ岬でではなく帰りの船の中ででしたが。 大阪で「腹黒い恋人」が発売されればもっと「面白い」けれど、「腹黒い」では「鼻白む」ことにて、それはさすがに無いでしょう(笑)。 花散歩の最後が「ハナ白む」駄洒落となってしまいましたので、ひとまずここでお開き。続きは明日とします。(つづく)
2015.07.21
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小樽・余市・積丹半島を銀輪散歩して来ましたが、万葉歌は新潟県の弥彦と宮城県の多賀城で尽きて居り、北海道となると銀輪万葉という訳にも参らず、どうまとめて良いのやら戸惑って居ります(笑)。加えて、道中で撮った写真がどの辺りの写真なのかが時間の経過と共に怪しくなって、その整理にも結構の時間を要しました。 ということで、取り敢えず神威(カムイ)岬をご紹介します。積丹半島の先っぽにある神威岬や積丹岬へは小樽からバスで2時間程度の距離。スピードの出ないわがトレンクルでは些か心許なく、トンネルも多い道なので、バスと併用ということにしました。 トレンクルとはトレイン・アンド・バイシクルの略であるから、列車との併用を想定した自転車である。バスとの併用も勿論OKであるが、バス・アンド・バイシクルなら「バサンクル」と改名しなくてはなりませんかな。しかし、小生が乗る場合は、バアサンではなくジイサンなんだから、ジサンクルと言うべきか。小生の連れが乗るのがバサンクルということになる(笑)。 朝、小樽を発ってバスで神威岬へ。道中のトンネルの状態などをバスの車窓から確認し、帰途の自転車走行の参考にしようという次第。(シリパ岬) バスの車窓から積丹の海や岬の景色を楽しみつつ、神威岬へと向かう。(ローソク岩)(黄金岬と宝島)(積丹町案内図)(積丹岬遠望) 積丹岬を過ぎると前方に神威岬とその先にある神威岩が見えて来た。(神威岬遠望・日司付近から) 神威岬への坂を上ると眺望が開け、遠くに積丹岬、手前にワリシリ岬が見える。(神威岬への坂道からワリシリ岬を望む。遠くに見えるのは積丹岬)(神威岬の駐車場)(神威岬バス停)(駐車場。正面奥が展望台。神威岬は左側へ。右の建物はカム イ屋。土産物店とレストランになっている。)(神威岬への遊歩道入口)(神威岬灯台への遊歩道)(神威岬灯台) (説明文はクリックして拡大画面でお読み下さい。)(遊歩道眼下の海) 遊歩道の眼下には積丹ブルーと言われる青い海。波が砕けて烏瓜の花が咲いたように白く泡立つ。烏瓜は別名玉梓(たまづさ)とも呼ばれるから、この白波は玉梓の花の波でもある。玉梓の 花にも咲くや 積丹の 岬の岩に かなし波散る (偐家持)(神威岩) (神威岬から沼前岬、ジュウボウ岬を遠望。) 岬の突端から展望台へと引き返しましょう。途中には電磁台跡がありました。(電磁台跡)(同上)(展望台から神威岩を望む。)(展望台から立岩を望む。) 左手に見えている岩が立岩。別名、蛸岩である。駐車場の向かいに立岩の伝説を紹介した石碑がある。其処から眺めたのが下の写真。 立岩伝説。積丹では「鶴の恩返し」ではなく「蛸の恩返し」であるようだ。(立岩<蛸岩>・後方は沼前岬、ジュウボウ岬) (立岩伝説の碑) (お伴のトレンクル) 本日は此処までとします。(つづく)
2015.07.20
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少しブログから遠ざかっているうちにブログ開設から3000日の節目の日が過ぎてしまっていました。1000日単位で「ブログの歩み」というカテゴリで記事にする慣わしでありますので(笑)、遅ればせですが、15日に遡って記事にします。 本日(7月15日)でブログ開設3000日となりました。2000日が2012年10月18日でしたからその日から1000日が経過したこととなります。 当記事は1795件目、開設2000日の記事が1149件目、従って、直近1000日間の記事件数は646件となります。<参考>ブログ開設2000日 2012.10.18. その後の当ブログの歩みを以下に記録して置きます。2012年12月31日 20万アクセス到達2013年 1月18日 ブログ記事件数1200件達成 (注)1200件目の記事は「関ヶ原銀輪散歩(その1)」2013年 2月28日 智麻呂絵画展の智麻呂絵画1000点突破2013年 5月28日 ブログ記事件数1300件到達 (注)1300件目の記事は「鶴岡銀輪散歩(1)」2013年 5月31日 記事背景のテンプレートデザインを変更2013年 8月 2日 222222アクセス到達2013年 8月 7日 スパムコメント8件闖入、対策としてコメント画像認 証使用開始2013年10月27日 ブログ記事件数1400件到達 (注)1400件目の記事は「吉備路自転車散歩・備中国分寺から吉備津神社へ」2014年 3月 5日 ブログ記事件数1500件到達 (注)1500件目の記事は「囲碁例会・牛の巣」2014年 3月13日 ブログユーザーページの基本フォントがメイリオに 変更されたことによって、過去の記事に改行などの 乱れが発生。遡って乱れた記事の修正を開始する。 (注)現在は2011年4月26日の記事「銀輪花遍路(その 8)」まで完了済みとなっているが、それより以前 の記事は未修整。従って、一部読み辛い点もある かと存じますがご容赦願います。2014年 3月27日 25万アクセス到達2014年 8月 9日 ブログ記事件数1600件到達 (注)1600件目の記事は「偐万葉・閑人篇(その3)」2014年11月 7日 30万アクセス到達2015年 1月13日 ブログ記事件数1700件到達 (注)1700件目の記事は「大宰府銀輪散歩(1)・わが園に梅の花散る」2015年 2月22日 333333アクセス到達2015年 3月25日 35万アクセス到達2015年 4月28日 一日のアクセス数1343件(過去最高)記録2015年 6月 2日 40万アクセス到達2015年 7月15日 開設3000日を迎える(琵琶湖)
2015.07.15
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本日は大学の同窓会、青雲会の総会に出席して参りました。 会場は新大阪にあるホテル、大阪ガーデンパレス。10時開会。 10:00~10:30 総会議事 10:30~11:30 講演 11:40~14:00 懇親パーティー というスケジュール。 地下鉄御堂筋線で新大阪へ。ホームに降り立った処で小生より12年後輩の三〇弁護士と出会い、一緒に改札を出る。小生は駅からホテルまで歩く心算でいたが、三〇氏はシャトルバスでという心算であったよう。バス乗り場へと向かうが、前方から同期の佐〇君がやって来て、バスが出たばかりで次のバスは15分後の発だと言う。それではと歩くこととし、3人で会場に向かう。徒歩で10分程度の距離であるから歩いた方が早い。 (大阪ガーデンパレス、ロビー) 会場に着く。出席者は70名余。 小生の同期では、黒〇、佐〇、蝶〇各君の3名が出席。 小生らが会場に入った頃は未だ半数程度の出席状況でしたが、やがてほぼ満席になりました。 小生が大学の同窓会に関わるようになって随分になる。勤務していた会社に同窓の先輩が居て、その先輩と同期の弁護士さんが同窓会長を引き受けられたことから同先輩も同窓会の運営に関与することになったのだろうと推察するが、その先輩から「お前も手伝え」と言われて総会の受付や司会などのお手伝いをしたのであった。それが最初で、段々に引き込まれて、気が付けば副会長にさせられていました。副会長になって何年かが経過して、やがて2007年4月から2009年3月までの2年間は会長をやらされる羽目になったのでありました。そんなことでもう20年近く、同窓会総会は毎年出席である。 (受付風景) (総会場・開会前風景) 議事終了後は第二部の講演会。 講師は大阪大学副学長兼社会経済研究所教授の大竹文雄氏。講演のテーマは「行動経済学を実務に活かす」というもので、人間の心理や錯覚などに起因する行動選択と経済や幸福感との関連を面白く分かり易い形で解説戴きましたが、それは最近の同氏の著作「経済学のセンスを磨く」(日経プレミアシリーズ)をお読み戴ければ、よりよくお分かり戴けることなので、ヤカモチが下手に紹介しない方がいいでしょう(笑)。 同氏は多くの一般向け著作も出して居られるのでご存じの方も多いかと思いますが、NHK Eテレの番組「オイコノミア」で講師として出演されているので、そちらの方でご存じという方も多いかと。 (懇親会場でご挨拶される大竹教授)<参考>大竹文雄氏のホームページ 大竹文雄・Wikipedia 講演終了後は会場を隣に移して第三部の懇親パーティー。 小生の高校の先輩でもある塚〇氏の乾杯のご発声で、賑やかに楽しく始まりました。 ナナ万葉の会の万葉ウォークなどでご一緒した植〇氏や中〇氏もご出席されていました。囲碁の会でのお仲間の安〇氏、岩〇氏、廣〇氏、田〇氏、神〇氏、山〇氏もご出席でした。(懇親会場)(乾杯前の懇親会場) パーティー終了後、時間も未だ早いので、佐〇君、蝶〇君とホテル1階の喫茶店で暫し談笑。新大阪駅まで一緒に帰り、JR線で帰る彼らと別れて小生は地下鉄で帰宅。 MTBでなく電車移動なので、何処に道草するでもなく真っ直ぐに帰宅。銀輪家持から銀輪を取ったら「家」が残るだけ、ということで何処に立ち寄るという気持ちにもならずスゴスゴと帰宅したのでありました(笑)。
2015.07.11
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今日のNHK大河ドラマは禁門の変で久坂玄瑞や来島又兵衛らが自害する場面でありましたが、先月の京都・蕪村銀輪散歩で蛤御門にも立ち寄りその写真を撮っていますので、それを掲載して置きます。今回の大河ドラマは時々見る程度ですが、今日は偶々見ました。すると禁門の変の場面であり、撮影してフォト蔵にアップしたまま放置していた蛤御門の写真のことを思い出したという次第(笑)。 蛤御門から突入したのは来島又兵衛の隊で、久坂隊は丸太町通りに面する南側の堺町御門から突入しているが、こちらの御門の写真は撮っていないので掲載はできません。 <参考>禁門の変・Wikipedia(蛤御門) この門を入った奥にある椋の大木の下で、会津兵に狙撃され傷を負った来島又兵衛は自害して果てたとのこと。(同上・説明板) 門には当時の弾痕が沢山残っている。 (弾痕) (同上) 相国寺境内には薩摩藩士戦没者の慰霊塔もあるようだが、所在は知らない。先般の銀輪散歩で立ち寄った、藤原定家墓や伊藤若冲墓の隣に長州藩士戦没者の慰霊塔があるのを偶々見掛けたので撮った写真がこれ。(相国寺・長藩士戦亡霊塔) 京都は幕末関連の史蹟だらけでしょうから、これらを訪ねたらきっときりもないことになるのでしょうが、そういう銀輪散歩は偐万葉・銀輪万葉からは逸脱ということになりますかな。とは言え、先般の京都銀輪散歩で偶々撮った写真が禁門の変関連であったので、記事ネタにしないというのも勿体ないと、まことに中途半端ですが、一応のブログ記事として置きます(笑)。 藤原定家さんは「紅旗征戎吾事に非ず」と言いましたが、偐家持の偐万葉も「幕末維新吾事に非ず」なのですから、これでいいのだ(蛤バカボン)。
2015.07.05
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昨日(3日)は左目の後発白内障の治療でした。左目の視力が落ちて読書などが困難になる状態、ブログPC画面も何やら見えにくい状態になっていましたので、病院眼科を受診した処、水晶体の収まっている袋に濁りが生じている所為だろうということで、それをレーザー照射して除去しましょうという診断。その診断に基づくレーザー治療施術が昨日の午後のことでした。瞳孔が開きっぱなしになる目薬をさされて待つこと10数分。施術室に案内され、其処ででパチッ、パチッとレーザー光線で汚れを除去して戴きました。 昨年2月に白内障の手術を受けて左右とも人工水晶体になっているヤカモチの眼球でありますが、手術後快適だった視力が1年余で不調になるとは想定外のことでありました。 レーザー治療後は左目の視界は極めて明瞭となり、恰も白内障手術直後のような色彩の鮮やかさが甦りましたが、どうも左右の焦点距離に差異が生じているようで、文字などを見る時の違和感は依然残ったままです。これは眼鏡で調整するしかありませんですかね。近距離は裸眼で、遠距離は眼鏡で、というのが昨年手術時の小生の選択にて、術後最近まではそれで不自由なく来ましたが、どうやら近距離もそれ用の眼鏡が必要となるのでしょうか。 なお、今回気が付いたことは左右の眼球に視力の差異が生じた場合は、より視力の良い方の目で見るように脳の方は自動的に選択するようです。レーザー治療以前は主として右目で見ていたヤカモチですが治療以後は左目で物を見ているようです。この変換が完結するまでの過渡期は左右の葛藤があってものが見えにくくなるようですが、やがて折り合いがついて何れか一方が支配的となることによって違和感が減殺されるようです。 さて、眼球の話はこれまで。本日は月例の墓参でありました。少し小雨模様でしたが出掛けることにしました。 墓地の入口近くにある池には睡蓮が咲き、雨滴がつくる水紋も風情がある。(睡蓮の池) その前に墓参恒例の今月の言葉です。(今月の言葉) 行き詰まるのは自我の思いだけであるーー清沢満之 物事は自己の思い通りに動くものもあるが、それとは関係なく動いて行くものの方が多い。行き詰まる、というのは物事が行き詰まっているのではなく自己がこうあって欲しいと願う方向に進まない状態のことを言っているのであれば、確かに行き詰まっているのは「自我の思い」であって、物事の方ではないとも言えますかね。少し「自我の思い」から距離を置いて物事を見つめ直してみれば、その打開策も見えて来るということはあるでしょう。つまりはそういうことでしょうか。 寺の門前の言葉など「吾事に非ず」とザクロは花を付け、実を付けていました。こちらは「自我の思い」などありませんから、年々歳々、時到れば滞りなく花を咲かせ、実を生らせます。 では、墓参恒例のその前後の花散歩であります。と言っても今日は小雨にて遠回り散歩ではありませんので、往復の道すがらの花たちに過ぎません。(柘榴の花と実) 自我の思いなきは、サルスベリの花も亦同じ。(サルスベリ) 雨が降るとサルが一層滑りやすくなるというものだが、それを見越してか、隣の柿の木の切株には「サルノコシカケ」が用意されて居りました。まあ、これが「サルノコシカケ」かどうかは定かではありませぬが、サルの姿も見掛けませぬから「ドナタノコシカケ」であってもいいのではあります。(サルノコシカケ?)(ルリタマアザミ) これはルリタマアザミ。去年の今頃この花を初めて目にしてブログに載せた時に、小万知さんからその名を教わったのでありました。墓への道すがらのお家の庭にあるのですが、今年もフェンスから頭を出していました。 <参考>墓参・花散歩 2014.7.6.(ムラサキツユクサ) 先月に続いてのムラサキツユクサです。雨露を帯びたムラサキツユクサという処がミソであります。 そして次はヤブガラシの花。(ヤブガラシ) ヤブガラシの花は昨年7月の記事にて掲載済みの花で芸がない。ということで、今回は、同じ「ヤブ」仲間の「ヤブジラミ」をご紹介します。ヤブから棒でもヤブ蛇ではないでしょう。(ヤブジラミ) ヤブジラミとはまた結構な名前を頂戴したものです。本家のシラミは駆除されて目にしなくなりましたが、ヤブジラミは堅調に勢力を維持しているようです。 この花の種子は所謂「ひっつき虫」の一種。草むらに立ち入るとこいつがいっぱいズボンの裾や靴下などにくっついて往生するが、これが「ヤブジラミ」という名の由縁であれば、まあ、この有難くない名も自業自得という奴ですな。(同上)(同上)(これはヨモギの仲間でしょうか。) これはヨモギの仲間でしょうか。葉を潰して匂うとヨモギに似た香でした。ヨモギは約30種あるそうですが、その区分などはヤカモチには不可能。ヒトツバヨモギなんぞという名のヨモギもあるようですから、名前から言えばこいつの葉の形状から見てヒトツバヨモギかも知れないとヤマを張ってみましたが、勿論さしたる根拠もない、いい加減な話でありますので、マユツバヨモギであります。(同上)(ヒメジョオン) ヒメジョオンとハルジオンは似ているが、茎を折って見れば区別が出来る。茎が中空なのがハルジオン、中身が詰まっているのがヒメジョオン。だからと言って行き詰まっているわけではない。(ヒイラギナンテンの実) ヒイラギナンテンの実はブルーベリーみたいですな。 ムクゲは白花がより美しい。雨に濡れたる様はさらなり(笑)。(ムクゲ) 他愛の無い無駄話でした。 しかし、字数制限ですので、ここまでとします。
2015.07.04
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第162回智麻呂絵画展 7月最初の記事は智麻呂絵画展であります。今回も色んな花が盛り沢山の絵画展となりました。それでは、どうぞごゆるりとご覧下さいませ。 <参考>他の智麻呂絵画展は下記からご覧になれます。 第1回展~第100回展 第101回展~第200回展 第201回展~ 先ず最初は、ヤカモチ館長のブログ友達のビッグジョン氏関連の絵3点であります。同氏のブログに掲載の花の写真を印刷してお持ちして置いたのですが、絵になって居りました。 <参考>「枚方船橋川を歩く・道中の花」 2015.6.13.(ヤマモモ)(萩)(シロヤマブキ) モデルとなった写真は以下の通りです。 (ビッグジョン氏ブログからの転載) 次はダリアです。これは智麻呂さんのご友人の友〇さんがご提供下さったものです。 ダリアも品種が多く、色んな花がありますね。ヤカモチ館長の子供の頃は自宅庭にはダリアが色々と咲いていたのを記憶しています。祖母がダリアの花を好んでいたようです。そんなことで、ダリアを見ると祖母のことを思い出します。(ダリア) 次の絵が難物でした。これを見て皆さんは何の花かお分かりになりますでしょうか。 これは、先の若草読書会に小万知さんがお持ち下さったもの。ヤカモチ館長には何という名の植物なのか分からず、小万知さんにお尋ねすると小坊主弟切(コボウズオトギリ)だと教えて下さいました。お持ち下さった時には花が咲いている状態であったので、花の絵であったなら、ヤカモチ館長にもオトギリソウと判断が付いたのではないかと思います。しかし、智麻呂さんが絵にされたのは花が散って実が赤く色づいている様でありましたので、これは何?となった次第。(ヒぺリカム・アンドロサエマム<小坊主弟切>) 舌を噛みそうな学名ヒぺリカム・アンドロサエマムという名も教えて戴きましたが、これは覚えられそうもありませぬ。アンドロ爺さんさえ豆を噛む、なら覚えられますかな(笑)。 下のような花が咲くのですが、この花が絵に描かれていれば、小坊主弟切とは分からぬまでも「弟切」までは辿り着けた筈です。(画像は「季節の花300」から借用しました。)小坊主の 色付きたるも よかれども 花しなければ 話にならぬ (坊主の長話) 以下の4点、牡丹、テッセン、フリージア、桔梗も小万知さん関連の絵です。小万知写真集から絵にされました。(牡丹)(テッセン)(フリージア)(桔梗) 次の2点はデイサービスの施設「アンデスのトマト」で描かれたものです。施設の方でご用意下さった画材なのか、偶々施設に飾ってあったものを写生されたものなのか、詳細なことは存じ上げませぬ。(桑の実) 大きな桑の実が印象的ですが、このような大きな実は見たことがないですな。(薊) これは、散歩の道すがらに咲いていたアジサイのスケッチです。敢えて葉などを省略して花だけを描くことによって、図案的な面白い絵になりました。(紫陽花) では、そろそろデザートと参りましょう。 ご近所の、さわちゃん・ケンちゃん姉弟のお母様からの戴き物です。(サクランボ) 次のお菓子、クランベリー・サンドとレーズン・サンドは五〇さんからの戴き物です。横浜のKAORIという洋菓子のお店は五〇さんお気に入りのお店らしいです。(洋菓子) 最後は偐山頭火さんの姫路旅行のお土産の「丹波黒豆ケーキ」です。(黒豆ケーキ) 以上です。本日もご来館、ご観覧下さり有難うございました。
2015.07.02
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