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似て非なるもの。 前頁の記事で取り上げた小川洋子氏の小説の主人公たちは「取り繕うことのできない人たち」でありますが、本日の記事は「取り繕ったブログ記事」ということになります(笑)。 先日の若草読書会の折に、煙草休憩で中座した時に撮影した植物で取り繕った記事であります。 読書会のメンバーで喫煙習慣をかたくなに守っているのはヤカモチ一人となりましたので、時々、席を外して、智麻呂邸の道向かいにある小さな公園で、煙を一人寂しく吐く、というようなことがあるのですが、そんな折にも、目についた草花などを写真に撮るのがヤカモチのならいとなっている。 で、いくつか撮影したもので、ブログ記事にしようという、まことに安易というか、不精というか、いい加減なヤカモチなのでありますが、何と言って目的もなく撮っている植物であるから、当然に脈絡が無い。 脈絡のない草花たちの記事は「銀輪花散歩」などということで誤魔化すのがヤカモチ流であるが、今回は銀輪散歩とは関係なく、喫煙時、モク逃げの折の草花たちであるから、「銀輪花散歩」でくくる訳にも参らぬ。 ブログ記事にする以上、横糸となる何か共通項は無いかと思案した結果が「似て非なるもの」ということでありました。 名前や姿がAに似ているがAではないというもの。これを「似て非なるもの」と言うが、似非・エセというのは、概ね「ニセモノ、マガイモノ」というような否定的な意味で使われる。 「偐万葉」の「偐」というのもそういう意味合いを有しているのであってみれば、まあ、当ブログには相応しい題材と言えるかも知れない、などと我田引水、ひとりよがりの記事アップなのであります。 先ずは、ハマスゲ。(ハマスゲ) 名前はハマスゲであるがスゲ(菅)の仲間ではなく、カヤツリグサの仲間である。 ヤマスゲ(山菅)というのは万葉集に登場するが、これは山に生えている菅のことという説とヤブランのことという説とがある。 ハマスゲ(浜菅)だから、浜に生えている菅のことという説もあっていいのだが、ハマスゲについては、万葉植物ではないから、そういう説が生じる余地がないのでありますな。かなし妹を いづち行かめと 山菅の 背向に寝しく 今し悔しも (万葉集巻14-3577)(注)かなし=愛(かな)し 背向=そがひ。背中合わせ。悲し煙 吐きつつ見れば 浜菅の しみみに咲ける 撮るのほかなく (煙草家持)(注)しみみに=びっしりと、ひしめき合って。(同上) ということで、ヤマスゲに似て非なるものハマスゲという訳であり、カヤツリグサの仲間・カヤツリグサ属の植物であるが、カヤツリグサそのものではない、という意味では、カヤツリグサに似て非なるものでもあるという訳であります。 次はイヌホウズキ。 こちらは、名前はホウズキに似ているがホウズキではない。(イヌホウズキ) 犬とか猿とか鼠とか烏とか雀とかが付くと本家は別にあるということを匂わせているのであるから、似て非なるもの植物であることを既にして名前が示しているという次第。 イヌホウズキ。ホウズキに似て非なるもの。 こちらは、何しろ熟しても赤くならない。真っ黒になる。 袋に収まっておらず、実はむきだしであるから、ホウズキが高級果物とするなら、こちらはひと盛りいくらという安物の果物ということになる。 このイヌホウズキに似た植物にワルナスビというのがある。 両者の大きな違いは、イヌホウズキには棘がないのに対してワルナスビには棘があるということ。両者も互いに似て非なるものである。 今回はワルナスビの写真がないが、その名からして悪者のイメージであり、その名の通り有害植物である。<参考>ワルナスビの写真掲載記事は下記。 銀輪花散歩・西洋のスモモを見たり鬼薊 2019.6.9.(同上) 次は、チチコグサモドキ。 チチコグサに似てチチコグサに非ず、ということで、チチコグサモドキという名が付いている。 チチコグサがそもそもハハコグサに似ているところから、その名が付いたのだろうと思うから、チチコグサそのものがハハコグサモドキなのである。 その意味では、チチコグサモドキはモドキのモドキで、モドキの2乗である。 正直言って、チチコグサとチチコグサモドキとの区別については、時々ヤカモチには曖昧になることがある。 ウラジロチチコグサは葉の裏が白いことと、大柄な草丈であることが多いので、これは簡単に区別できるが、チチコグサとチチコグサモドキは、両者の交配種などもあったりするのではないかと思うのだが、区別が難しいことがある。 ホソバチチコグサなどという種類もある。 草花も細部に分け入ると、ヤカモチの粗雑な頭と貧弱な視力、散漫な注意力では、お手上げとなる次第。(チチコグサモドキ)(同上) ひょっとすると、上の写真はチチコグサモドキではなくチチコグサかも知れない。そうなら、チチコグサモドキに似てチチコグサモドキに非ず、チチコグサである、と本文を訂正しなくてはならないが、似て非なるもの、というタイトルであるから、どちらがどちらであってもよい、ということで居直ることも可能か(笑)。 次は、蛾に似て蛾に非ず、銀杏である、という写真。 この辺まで来ると、さすがに苦しい(笑)。 しかし、強引・ぐ・マイウェイである。(蛾のようなイチョウの葉) これは、このような品種と言うより、脱水症状を起こして葉の外輪部から枯れて来ているということであるのかも知れない。 脱水症状、熱中症ではなく、胃腸障害だという意見もあるようですが、ここではその問題は問題外である。 まあ、蛾に見えるかどうかは、人それぞれ、かもですが、ヤカモチの目には、蛾が群がってとまっている、と見えました(笑)。 イチョウだけに「蝶」だろうという有力説もあるようです。(同上) では、馬鹿な話はこれ位で・・。 どちら様も、今日も一日どうぞお元気で。
2019.09.27
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今日は若草読書会。 午後1時半開会で、智麻呂邸若草ホールに若草読書会メンバー全14名中10名(智麻呂・恒郎女ご夫妻、凡鬼・景郎女ご夫妻、小万知さん、祥麻呂さん、槇麻呂さん、リチ女さん、偐山頭火さん、偐家持)が集合。 課題図書は小川洋子著「ことり」朝日文庫。 発表者は祥麻呂さん。(小川洋子著「ことり」朝日文庫) 祥麻呂さんから、作者のプロフィールや作品についての感想が述べられ、各自がそれぞれの感想や関連した話を述べ合うという形で、例によって脱線もありの楽しい雑談風読書会となりました。 この作家の「博士の愛した数式」という作品が祥麻呂さんを発表者として、かなりの昔に取り上げられており、若草読書会がこの作家の作品を取り上げるのは2回目になるとのことであった。小生もその作品は読んだ記憶があるのだが、小生の記憶では、読書会のメンバーではない別の友人に「面白いから」と薦められて読んだのであり、読書会の課題図書として読んだというのではないということになっている。この記憶が正しいのであれば、その際の読書会は当初から小生は欠席ということで、読まなかったということか、或は、既に読んでいたので、あらためて読み直すということをせずにいて、当日も欠席したということになるが、よくわからない。 それはともかく、この作家の作品で読んだものと言えば、「博士の愛した数式」を別とすれば「ひそやかな結晶」というものがあるだけ。 そんなことで、余り馴染みのない作家なので、「ことり」を読み終えた後、書店で目にとまった以下の小説を買い求めて、読んでみました。 世界の片隅で、不器用にそっと生きている人たち、なにがしかの欠落を持ち、周囲にうまく合わせることのできない、不器用だけれども心優しい人たち、そして、そういう人たち(作者はこのような人たちを「取り繕えない人たち」と呼んで居られるようだが)に注がれる作者のやさしい眼差し、そんなものを感じさせる作品が多い。「そんな状況は現実にはありえないだろう」というような部分も含めて、作者が織りなす世界に、何やら素直な心で、知らず心地よく浸っている自分が居たり、というような風になるのは、作者のストーリー展開、状況設定の面白さや描写の巧みさによるものということもあるが、主人公がなべて物静かで、自己主張を余りしない人たちであるからかも知れない。 恒郎女さんが「涼しい小説」、景郎女さんが「静かな小説」という感想を漏らされていたのも同様の意味かと思う。 〇「琥珀のまたたき」(講談社文庫)〇「猫を抱いて象と泳ぐ」(文春文庫) 〇「薬指の標本」(新潮文庫)〇「いつも彼らはどこかに」(新潮文庫)〇「ブラフマンの埋葬」(講談社文庫) 読書会席上で、上の文庫本は、景郎女さん、槇麻呂さん、リチ女さん、小万知さんらに差し上げました。 最近は、小説を読むことも殆どないので、読書会でこのように小説を取り上げていただくと、その周辺の作品を読むという動機付けが与えられるという意味では有難いことかもしれない。まあ、作品や作家にもよりけりではありますが・・。 午後5時頃まで、あれやこれやの話は尽きなかったのであるが、次回読書会は12月1日(日)開催、発表者は偐山頭火さん、課題図書などテーマは後日決定ということで解散となりました。 なお、凡鬼さんが「読んでみますか。」と貸して下さったのがこの本でした。(堀田百合子「ただの文士 父、堀田善衛のこと」岩波書店) 小生が堀田善衛の著作をよく読んでいたことをご存じで、お持ち下さったのかもしれないが、有難くお借りすることとしました。 作者、堀田百合子氏は堀田善衛氏の娘で、この本は父・堀田善衛のことを書いたものだという。 小生の読書も最近はこのように受け身的なものが多くなりました。
2019.09.24
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昨日の記事で、ハシドイという木の名前を知ったことを書きましたが、ライラックの和名がムラサキハシドイであるということも知りました。 となると、ライラックの実はハシドイのそれと似ているのかどうか気になるではないか。 近くの花園中央公園の一角にライラックの木があるので、今日それを見に出掛けました。 日本では、ライラックは春(4~5月)に咲くのに対して、ハシドイは夏(6~7月)に咲くとのこと。ということは、実のなる時期もライラックはハシドイよりも2ヶ月ほど早いことになる。 ということで、花園中央公園のライラックの実は、もう青い実ではなく、茶褐色になっていて、中央で弾けていました。 従って、見た感じの印象が余りにも違い過ぎていて、両者の実が似ているという印象ではなかったのですが、弾ける前の青い実の状態を想像で描いてみて、それと比べると似ているとも言えると思ったりもしましたが、下の写真を見て、皆さんはどんな印象を持たれますでしょうか。 なお、フォト蔵がメンテナンス完了直後(と言っても既に3時間以上は経過しているのだが)の所為か、写真のフォト蔵へのアップロードが全然できない状態(多分、アップロードが集中して、混み合ってしまっているのでしょう。)なので、フォト蔵の大きいサイズの写真とのリンクは、後日にさせていただきます。<追記:2019.9.22.>フォト蔵への写真アップが完了しましたので、写真をフォト蔵写真とリンクさせる修正を行いました。(ライラックの実) もう少しアップで撮ると。(同上 極小のハエがとまっていますな。) ハシドイの実も10月後半から11月には、こんな風に真ん中で二つに割れて、中から種子が現れるのだろうと思います。 ハシドイの種子は翼を持った翼果だとのことでしたが、試しにライラックの実から種子を取り出してみました。すると、下の写真のように種子は翼状の袋に包まれていることが分かりました。両者が同じ仲間の植物であることが納得されるとともに、ライラックの和名がムラサキハシドイであるということにも納得でありました。(ライラックの種子) 中央の茶褐色の部分が種子。周囲の色の薄い部分が翼です。翼部分が種子を包む袋となって種子を保護しています。風で飛ばされやすくする機能に加えて種子を保護する機能も兼ね備えているのでしょう。 ハシドイの実よりもライラックのそれはかなり小さいものです。半分以下のサイズかと思います。 以上、昨日のハシドイに関連しての参考情報ということで、ライラックの実と種子についての情報を提供させていただきました。
2019.09.21
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毛馬閘門近くの公園にて見かけた「奇妙な形の実のなる木」の名は「ハシドイ」であることが判明しました。 7月14日と8月7日の記事(下記<参考>参照)で紹介した木の実。名前が分からずにいましたが、今日、偶然にその名を知ることとなりましたので、ご報告申し上げます。<参考> 囲碁例会・奇妙な形の実のなる木再訪 2019.8.7. 蕪村公園と奇妙な実のなる木 2019.7.14.(再掲・ハシドイ) たまたま、他の木の実についてその名を調べていたら、下記の記事に遭遇、その名前が判明したという次第。〇四季の山野草・ハシドイ<参考>ハシドイ・Wikipedia ハシドイという名前は耳慣れないが、ライラックの別名がムラサキハシドイだそうだから、何となく花のイメージもできるというもの。 その語源については定かではないが、花が枝先に集まって咲くということで「端集い」が語源ではないかという説があるとのこと。 この説に従うなら、旧仮名遣いでは「はしどひ」と表記するのが正しいことになる。われはもや はしどひ知りぬ けふまでも 知らざるその名 はしどひ知りぬ (藤原端足)(本歌)われはもや 安見児得たり 皆人の 得がてにすとふ 安見児得たり (藤原鎌足 万葉集巻2-95) この青い実が茶褐色になると、真ん中で弾けて二つに割れて、中から2個の翼のある種子が現れるということなので、それも見届けたいし、春には、その咲き集う花も見届けたいものである。 ハシドイは一件落着となったが、こちらの実のなる木が新たに「不明」の木となりましたので、気になる木の数はプラマイ・ゼロであります。(不明) 葉はこんな感じ。(同上) 木の全体像はこんな風です。(同上) 菩提樹ではないか、という気もするが確信がない。 こちらの木も、いつの日か向こうから「かくかくしかじかです。」と名乗ってくれるまで、待つことにいたしましょう。
2019.09.20
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銀輪散歩で見掛けた花たちです。 先ずはサルスベリから。(サルスベリ) こんな風に低い木で群れ咲いている姿は余り見かけないので、遠目にはツツジのようにも見えたが、季節的に変だと近付くとサルスベリでした。 この木ならサルもスベりようがないから、サルスベリではなくサルスベレズまたはサルスベラズと呼ぶべきかもしれない。(同上) もっと接近してみると、既に実がなっていました。(サルスベリの実) そして、花をよく見ると、チリチリしたのが花弁か花萼で、それらが取り巻いている中心に蕊がある。してみれば、サルスベリの花というのは、このひとかたまりが一個の花ということになるのですな。今までチリチリした小さな花が集まっているのかと思い込んでいましたが、そうではないようです。(サルスベリの花) これ全体で一個の花ということになるのか。 とすれば、大変ユニークな姿の花である。 次は、サルつながりでサルビアです。(サルビア) サルの群れならぬサルビアの群れであります。(同上) 個々には大した花ではないが、これ位群れるとなかなかなもの。まあ、これはこれで美しいのではありますが、やはり野にそっと一輪控えめに咲いている花のそこはかとなき風情には及びませぬかな。 そんな風情に咲いていたのがこの花。 ツルボです。(ツルボ) ツルボは「蔓穂」と表記する。 こちらは群生することはなく、草叢にポツンと一つ顔を出しているような感じで咲いているのがいい。(同上) ちょっと場違いな処に咲いてしまいました、と戸惑っているような感じで咲いているのでした。(同上) 少し離れた処にも咲いていました。(同上)<参考>ツルボ・Wikipedia そして、秋はやはり何と言っても、萩です。(ハギ) 万葉集で最も多く詠われている花が萩の花。<参考>萩の万葉歌は下記記事にその一部を列記しています。 萩の花 2009.8.29.(同上) 萩は萩でもアレチヌスビトハギなどという外来の植物があるが、これは似て非なるもの。もう一つ外来のものでイタチハギという植物もあるが、これは似ても似つかぬものであります。<参考>アレチヌスビトハギ・Wikipedia イタチハギ・Wikipedia これに対してメドハギは、ハギの仲間ですから、枝垂れないけれどハギということでいいでしょう。(メドハギ) もう少し花をアップで。(同上)<参考>メドハギ・Wikipedia 萩はヤカモチ好みの花。メドハギもまあ好みの花の範囲。しかし、イタチハギやアレチヌスビトハギは範囲外になります。
2019.09.18
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偐万葉・若草篇(その24) 本日は、偐万葉シリーズ第307弾、若草篇(その24)とします。<参考>過去の偐万葉・若草篇はコチラから。 偐家持が小万知に贈りて詠める歌14首ほかヤカモチの 心のほどは 秘したるも しらず色にぞ 出でてもあるか (丸秘家持)親鳥も ももの思ひも みな人の 思ひも同じ 無事に巣立てと (鳩居堂仙人)旅立ちの 日には贈らむ ひと枝の 言の葉添へて 山鳩の歌 (鳩居堂仙人)(20181129キジバトのヒナ)ああ師走 山橘の 実をめでる ゆとりの欲しと 小万知や走る煤逃げの ヤカモチわれは なんのかの 言ひて銀輪 徘徊の日々白い蘭を 智麻呂さんが 絵にかいて くれたので今日は 蘭記念日です (俵小万知)(本歌)「この味がいいね」と君が言ったから 七月六日はサラダ記念日 (俵万智)(20181213智麻呂絵画展)若草の 春待つ山の辺 行く道に 石蕗(つはぶき)咲くなる 岩陰にして(水原王)(本歌)吉野なる夏実の川の川淀に鴨そ鳴くなる山陰にして(湯原王 万葉集巻3-375)腰痛の おそれある身は そのポーズ まだとりもせず 天の橋立 (小式部外侍)(本歌)大江山 いく野の道の とほければ まだふみもみず 天の橋立 (小式部内侍 金葉集586 小倉百人一首60)ひさかたの 雨も降らねば 蓮葉(はちすは)に 溜れる水の 玉見ずわれは (空梅雨小町) ひさかたの 雨も降らねば 蓮葉に 一滴水を 垂らしても見む (空梅雨家持)(本歌)ひさかたの 雨も降らぬか 蓮葉に 溜れる水の 玉に似る見む (万葉集巻16-3837)蕪村殿 句碑十三基 梅雨に濡れ(元句)鳥羽殿へ 五六騎いそぐ 野分哉 (蕪村)京の夏 ひねもす蕪村 蕪村かな(元句)春の海 終日のたり のたりかな (蕪村)耳よりの 話は耳の 日にあれな 鼻の日などは 口惜しきこと (目家持)逝く夏を 惜しみて鳴くか 法師蝉 わが待つ秋に 恋ひてこそ鳴け (蝉家持)葦の丈 長くそなりぬ 堀に入り 刈りにか刈らむ 見つつか居らむ (言はぬ媛皇后)(本歌)君が行き 日(け)長くなりぬ 山尋ね 迎へか行かむ 待ちにか待たむ (磐之媛皇后 万葉集巻2-85)小万知さんが いいことあるよと くれたから 今日はぼくらの 四つ葉記念日 (五葉松) 偐家持が偐山頭火に贈りて詠める歌8首ほか 並びに偐山頭火が詠める歌2首ほか柿積めば 医者が詰むなり 西吉野 (まさか子規)薮医者は 柿で八年 永らへて 薬師(くすし)は柿を 煎じたりして (桃栗病院)わが山の 柿の実なるか 庭に積みし 今年の柿の 残りたるかも (吉野柿持)(本歌)わが園の 李(すもも)の花か 庭に落(ふ)りし はだれのいまだ 残りたるかも (大伴家持 万葉集巻19-4140)上首尾と ならぬが上用 饅頭と 栗のごとには ならぬも道理 (栗饅頭火) 偐山頭火が贈り来れる句に偐家持が付けたる脇句花弁(はなし)の 落ちをさがしつ 落ちが無く (お粗末山頭火) 発見率に 落ちをぞ見しか (落ち武者火)欲は捨て 蓮のうてなに われはもや 極楽とんぼと なりて憩はな (銀やんま) <替え歌>奥田池(偐木ひろし) 時の流れに 流されて ずっと忘れて いたけれど 蓮の葉っぱに 奥田の池を 思い出してる 二人の爺よ <元歌>千曲川(五木ひろし) 水の流れに 花びらを そっと浮かべて 泣いたひと 忘れな草に かえらぬ恋を 思い出させる 信濃の旅よ 偐山頭火が贈り来れる句に偐家持が付けたる脇句うろ覚え 覚醒すると 恥ずかしき (偐山頭火)玉と拾はむ 細石(さざれし)もなし (偐家持)(本歌)信濃なる ちくまの川の さゝれしも きみしふみては 玉とひろはむ (万葉集巻14-3400) 偐山頭火の贈り来れる歌1首に偐家持が追和せる歌1首閉鎖とは さを差すものぞ ヤフー殿 八十のネットで 怪しき我とは (闇山頭火)(本歌)紫は 灰指すものぞ 海石榴市(つばいち)の 八十の衢(ちまた)に 逢へる児や誰 (万葉集巻12-3101)ソフトとは やさしきものを 閉鎖とは ヤボのヤフーの 仕草にしあり (愚痴家持)(本歌)忘れ草 わが下紐に 着けたれど 醜(しこ)の醜草(しこぐさ) 言(こと)にしありけり (大伴家持 万葉集巻4-727)きみが行き われは後追ふ あべの筋 呼びやとめむか 待ちにか待たむ (言はん之媛皇后)(本歌)君が行(ゆ)き 日(け)長くなりぬ 山尋ね 迎へか行かむ 待ちにか待たむ (磐媛皇后 万葉集巻2-85)(20190728磐之媛万葉歌碑・偐山頭火氏ブログより転載) 偐山頭火が返せる歌1首我が行き 君が呼び止め 後ずさり 難解本線 半解途中 (小言聴かん徳)(注)難解本線=南海本線 半解途中=阪堺(線)途中あびるほど 食ふことなかれ にんにくは あひるの肉に 合ふも合はずも (家鴨家持)モネの真似 してもみよとか 睡蓮の 写真を置きて 偐頭火去り (山頭水) 偐山頭火氏が贈り来れる句に偐家持が付けたる脇句西洋の 坊主に描かる 高野くん (偐坊主)それ南無三や 大日如来 (偐こうや)<参考>偐山頭火氏のブログはコチラ。
2019.09.17
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昨日は、大阪カジノに反対する市民の会結成1周年記念集会に参加して参りました。 午前中は所用があったのだが、午後2時開会ということなので、大学同期の友人H君の要請に応えて出席させていただいた次第。 会場は、阪急宝塚線・豊中駅前のエトレ5階・豊中市立男女共同参画センターの「すてっぷホール」。 この会による集会に参加するのはこれが2回目。今回は会の総会も兼ねての集会でありました。H君はこの会の事務局長という立場。<参考>カジノはあかん!という市民集会に 2019.3.23.(会場風景)(講演) 総会の議事終了後、高橋敏信弁護士による講演「カジノ解禁の法的問題点」があり、4時半閉会。 講演内容(目次のみ) 第1 民間賭博は違法とされてきた 1 賭博は犯罪とされてきた(刑事) 2 賭博を犯罪とする根拠(判例 最高裁昭和25年11月22日判決から) 3 民間賭博違法を前提とした民事上の判断 4 既存ギャンブルの存在 5 公営ギャンブルの違法性阻却の説明(8要件) →カジノ解禁は上記要件を満たしていないのではないか。 6 IRカジノの違法性阻却についての説明 第2 ギャンブル被害の状況 1 ギャンブル依存症の現状 2 ギャンブル被害は、本人だけの問題ではない 3 ギャンブル依存症対策の動き 第3 今回のカジノ実施法の問題点 1 手続きの流れ 2 手続きの流れ 国も法のプロセスをゆがめている。 3 ギャンブル依存症対策が不十分 4 他の懸念への対策は大丈夫か 5 実施協定の内容は大丈夫か 第4 住民意思反映欠如の問題点 1 法は住民意思の反映を求めている。 2 法が想定する開業までのプロセス 3 大阪府市の住民へのアプローチ →住民の具体的な意見を聞かず、進めているのではないか。 第5 最後に 民間賭博を解禁する必要などないし、違法性阻却事由もない。 カジノ解禁による弊害の除去などできていない。 これ以上損が拡大しないうちに撤回すべき。(カジノ設置に関するQ&A・日本弁護士連合会作成パンフレット)(同上)<参考>10月にはこんな集会も予定されています。(カジノあかん!10.22.市民集会チラシ)
2019.09.15
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何と言ってブログネタもないので、実のある話を。 と言っても、実があるだけで、実のない話であります(笑)。 銀輪散歩で見掛けた実を並べただけの実のない話と言う訳であります。 先ずはカエデ。 実と言うよりは種と言うのが相応しい気もする実であります。 このように翼の付いた形姿の実は翼果と言う。 ニレやケヤキやトネリコなどの実も翼果であるが、翼果で誰もが知っているのはカエデのそれであろう。(カエデの実)(同上) カエデの枝が枝垂れて、実がたわわに生っている。 種子を風で運んで貰おうというのが、翼果を付ける木の戦略であるから、果実に養分を蓄えて鳥や獣に食べて貰う必要はない。なるべく遠くまで風に運んで貰うためには実は軽量である方が都合がいいから、不必要な養分を蓄えたりはしないのである。(カエデ) カエデは元々はカヘルデ(蛙手)であったのは、その形が蛙の手の形を連想させたからとのこと。 万葉集にも「子持山若かへるでのもみつまで・・」という歌がある。 漢字では「楓」と書くが、「楓」というのは元々はカツラの木を意味するものであった。日本に入って来て、カエデにこの字を当てたのである。言わば誤用であったという次第。 カツラの木は雌雄異株で、雄カツラと雌カツラとがあり、雄カツラを「楓」と呼び、雌カツラを「桂」と呼んだ。今は雌雄を問わずカツラは「桂」と表記されるのは、楓がカエデになってしまったからなんだろう。 同じような誤用と言えば、「柏」もそうである。「松柏」などとセットで呼ばれる「柏」であるが、松柏の柏は元々はヒノキ(桧・檜)のことである。(同上) 次は、ナナカマド。(ナナカマド) 赤い実テンテン、ナナカマドの実であるが、まだ色づく前の実である。(同上) こちらは、小鳥に食べて貰って種を遠くへ運んで貰う戦略なので、実に養分を蓄え、赤く色づいて鳥たちに食べたいと思って貰う必要がある。 我々人間に「赤い実が可愛いね。」と言って貰うために赤くなる訳ではないのである。 赤い実と言えば、センリョウもそうですね。 こちらもまだ青いセンリョウの実です。(センリョウ)(同上) この実の3か月前(6月18日)の状態はこんなでした。 まだ、実になるのか芽になるのか定かではないような幼い実でした。(3か月前のセンリョウ)(同上) 今日撮ったセンリョウの実について、6月にも撮影した写真があったことから、並べてみたら、ブログ記事になるかと思い付いたのですが、実際に記事にしてみると、そうでもないのでした。 要は料理の仕方の問題。よって、腕に覚えのない料理人ヤカモチ、居直りを決め込むこととし、「実のない話」と弁解的・言い訳的タイトルを付けることで誤魔化そうという魂胆でありました。 実のない話でも「実」の写真があるからいいだろうという次第。
2019.09.11
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第212回智麻呂絵画展 昨日、智麻呂邸を訪問、新作7点を仕入れて参りましたので、智麻呂絵画展開催といたします。<参考>過去の智麻呂絵画展は下記から。 第1回展~第100回展 第101回展~第200回展 第201回展~ フォト蔵の智麻呂絵画集アルバムはコチラ。 今回は、絵の題材がなくて、恒郎女さん曰く「ひろみちゃんに助けられて、何とか作品数が揃いました。」とのこと。新作・全7点のうち4点がひろみの郎女さんがお持ち下さった花などを題材にした絵であったからです。 他の3点のうち2点は偐山頭火さん関係、1点は智麻呂家の冷蔵庫にあった野菜たちの絵と言う次第。 では、まず、ちょっと智麻呂絵画らしからぬ絵から。(こうやくん) これは、偐山頭火さんのお土産。 高野山開創1200年と銘打たれたクリアファイル左下部に描かれていたこうやくんの挿画を少しアレンジして模写されました。 まず、ゆるキャラで和んでいただいて、素直な心で当絵画展をご覧いただこうというヤカモチ館長の戦略であります。 同じく、偐山頭火さん提供の睡蓮の写真を写生されたのが次の絵です。(睡蓮)モネの真似 してもみよとか 睡蓮の 写真を置きて 偐頭火去り (山頭水) 偐山頭火さんの意図のほどは存じ上げぬが、睡蓮はモネという単細胞ヤカモチ館長の駄洒落的推量であります。 で、次は、いよいよ題材が底をついたので、奥方の恒郎女さんが冷蔵庫から適当に引っぱり出して来た野菜たちの絵です。(野菜たち) パプリカ、トマト、サツマイモ、キュウリが動員されてモデルとなりましたが、何やら楽しい雰囲気を醸しています。 さて、以下がひろみの郎女さん関連の絵になります。 先ずは、上の野菜との関連で、ゴーヤから。(ゴーヤ) 次は、ザクロ。(ザクロ) そして、ガイラルディア。 キク科の花であるが、こういう名前では、歌にはなりにくいから、何か適切な和名があった方がいいと思うのだが、どんなものでしょう。 名前にも、学名、和名、園芸種名、商品名と色々なレベルがあるが、歴史的由来、文化的由来などが伴わない名前、またはそのような由来を有していてもそれを知らないという名前は、地名などもそうであるが、何かよそよそしくて馴染めない感じがするとと共に、その名を覚えても、いつの間にかすっかり忘れてしまっているということが多いように思う。(ガイラルディア) この花、ガイラルディア・アリゾナ・アプリコットという名前のようだが、これは園芸品種名なのか商品名なのか。まあ、どちらであれ、とても覚える気にはならない、と言うか、何日か後にはきっと忘れていると思う(笑)。 次はルドベキア。 この花は野生化していて、道端などでも、最近はよく見かける花であるが、絵ではちょっと印象の違う花姿になっている。従って、ルドベキアではない可能性も否定できないが、絵画展は花図鑑ではないので、単に「花」であってもいい訳でアルベキア。(ルドベキア) このルドベキアもそうであるが、上の睡蓮など、今回は些かピントの甘い写真になっていて、大きいサイズの写真で見ると、少しぼやけた感じになってしまっているものがあります。 この点は、ヤカモチ館長の撮影手腕が拙劣であることを示すものにて、ご寛恕のほどお願い申し上げます。追って撮影し直す機会がありましたら、もう少し鮮明なものに貼り替えることも検討します。
2019.09.07
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友人の岬麻呂氏からの旅便りが届いています。3日に届きましたが、墓参、囲碁例会の記事があって、本日のご紹介となりました。<参考>岬麻呂旅便りの過去記事はコチラ。 フォト蔵の岬麻呂写真集はコチラ。 今回は8月27日~30日、3泊4日の宮古島への旅。夏の海と世界三大花木の一つであるホウオウボクの花が目的のご夫婦旅であったようです。 宮古島は今回で13回目のご訪問とのこと。(旅・岬巡り報告242&同写真説明) 宮古島には宮古空港というのがあるが、宮古島の西側の島にも下地空港というのがある。宮古島の西側にある伊良部島と宮古島とは伊良部大橋でつながっている。下地空港のある下地島は伊良部島と細い水路を隔ててその西側にある島。上空からだとこの両島は一体化して一つの島のように見える。 下地空港はパイロット養成のための空港であったが、今年7月から一般空港としても使用されるようになったそうで、今回の旅では関西空港からこの下地空港というルートで宮古島へと向かわれたようであります。(下地空港) 上は、その下地島の写真ですが、2009年2月の宮古島への旅の帰途、機内から撮影されたものです。参考にとメールで送って下さいました。 メールでの岬麻呂氏からの説明文を以下に引用して置きます。 1.中央右の水路の左側が下地島、右側が伊良部島 2.滑走路上部、海に突き出た部分が車両通行禁止で徒歩で見学できる 3.水路の上部(薄茶色)の海が「佐和田の浜」 4.水路の下側、右の砂浜が「渡口の浜」 今回の旅では、雲が多かったこと、延着で夕刻到着となったことなどもあって、このような写真が撮れなかったようです。 では、上の写真説明に掲載の写真、別途メール送信にて鮮明なものを頂戴しているので、以下にこれをご紹介申し上げます。 先ずは、旅のの主目的の一つ、ホウオウボクの花です。(ホウオウボク)(同上) もう一つの目的である「夏の海」も。 池間大橋の海。(池間大橋の東側の海。北<正面奥>に見えているのが池間島) 池間島大橋から東方向に見えるのが大神島。(池間大橋から見た大神島) その大神島から眺めた池間大橋の写真がこれ。(大神島から望む池間大橋) 飛んでいる白い鳥はカモメ。夏の海に 我が恋ひ来れば 神の島 うまし海ぞ かまめ飛び立つ (偐家持) 今日、宮古島は台風13号の暴風雨圏に入ったらしいですから、この「美(うま)し海」も荒ぶる神の表情に変わっているのかも知れませんが、上の写真のそれはまことに美しい海です。 伊良部島の渡口の浜。(渡口の浜) 上の下地空港の写真に写っている渡口の浜から推測すれば、奥に見えている陸地は下地島なんでしょう。 次は、東平安名崎。(東平安名崎) 地理感が無いので、東平安名崎が何処にあるのか分からなかったので、地図で調べてみると、宮古島の南東に突き出た岬であることが分かりました。(追記:注)参考までにと岬麻呂氏から 宮古島北部が写っている上空からの写真が送られてまいりましたので、追加でこれを掲載させていただきます。(宮古島の航空写真・岬麻呂氏2009年2月撮影)※この写真は、今回の記事に登場する池間大橋や池間島、大神島などの位置関係を理解する上で大いに参考になるかと思います。1.上部の島が池間島(池間大橋が細く見える)2.右側の小さい島が大神島3.クワガタの角のように見えるのが、宮古島の最北端。左の岬が西平安名崎、右が池間大橋。東平安名崎は写っていないが、西平安名崎と島の対角線上の位置にある。大神島の南西方向になる。「東」は以前は「あがり・太陽が出てくる方角」と呼ばれていたが、解りにくいのでいつの間にか「東(ひがし)平安名崎」になったとのこと。西平安名崎も太陽が海に入るので「西」は本来「いり・代表的な島の名前・西表島」であるが、同じように「にしへんなざき」と呼ばれるようになった。 岬の左側の巨石群は明和の大津波で岬の右側の海域から左側の海域に移動したものと言い伝えられているとのこと。 そう言えば、今日は、南海トラフ大地震が発生し津波がやって来るという想定の下での、大阪府全域にわたっての避難訓練があり、スマホに2回エリアメールが入りました。 余談でした。 次は、宮古島と伊良部島とを結ぶ伊良部大橋。(伊良部大橋) この写真は、今回3連泊されたホテル「平良港アトールエメラルド」の窓から撮影されたものだそうです。 次は来間大橋。(来間大橋) 最後は、宮古島・上野「ドイツ文化村」の海。(ドイツ文化村に面した海) 今日は、岬麻呂旅便りの記事でした。 それぞれの写真をクリックして大きいサイズのフォト蔵写真でご覧いただくと、より迫力のある眺めを楽しめます。
2019.09.05
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今日は囲碁例会の日。 午後は雨の予報であったがMTB(マウンテンバイク)で出掛けることに。 例の「奇妙な形の実のなる木」を見るためもあってMTBにした次第。 大阪城公園から大川べりの自転車道に入り、その木のある公園へと向かいました。 大阪城には立ち寄らなかったのだが、以前の銀輪散歩で撮影した大阪城の写真などがブログ未掲載のままになっているので、取り敢えずこれらをアップして置きます。(大阪城) カメラを構えていると伊丹空港へと着陸する飛行機が視界に入って来ましたので、もう1枚パチリ。(大阪城と飛行機) 天守閣の裏側に回って、もう1枚。(同上) 天守閣に向かう前に立ち寄った、城内にある豊国神社の境内で見つけたのはこれ。(山口誓子句碑) 花盛ん 築城巨石 又盛ん (誓子) 裏面を見ると、「山口誓子芸術院賞受賞、天狼創刊四十周年記念、昭和六十二年九月六日建之、天狼俳句会」とある。(同上・裏面) 大阪城側から大阪城公園を眺める。(城内から大阪城公園の堀外周道路を眺める。) 今日は、上の写真に写っている堀の向こう側を右から左へと走り抜けたのでありました。それが通常のルートなので、今日もその通りに走ったという次第。 大川べりの自転車道に入る。 人工の砂浜は既に承知しているが、この角度からの写真は撮っていなかったような気がするので、撮ってみました。(人口の砂浜) どのような趣旨でこのような砂浜が設けられているのかは存じ上げない。 また、今まで気が付かなかったが、都島橋の手前には、こんな碑がありました。(大阪市水道発祥之地碑)(同上・説明プレート)<追記>上記説明プレートに記載の「前方の煉瓦造りの桝」の写真を撮っていなかったので、本日(2012.10.2.)囲碁例会の往路で撮影して参りました。(大阪市上水道発祥の地・取水施設跡の一部) 奇妙な形の実のなる木のある公園の手前の、春風橋が見えて来た。(右に見えるのが春風橋、正面奥が毛馬橋。) 大阪城での飛行機ではないが、大川の川面に現れたのはボートの青年。(同上) 大阪市立大学ボート部の建物が途中にあったから、同ボート部の学生さんかも知れない。 春風橋の向こう側、毛馬橋の手前の森が目的の木のある公園である。 問題の木の実。余り有意な変化はなしです。(奇妙な形の実のなる木)(同上) 実の色が黄味を増したこと、表面にぶつぶつが目立って来たことなどが変化でしょうか。このぶつぶつはひょっとすると虫が卵を産み付けたのかもしれない。(同上) 隣には大きな木があり、赤く色づいた小さな実を付けている。 エノキ(榎)である。(エノキ)(エノキの実)(同上) 道向かいの蕪村公園で少し休憩。 毛馬橋を渡って、梅田スカイビルへと向かう。(毛馬橋) 道なりに走ると、中津駅前近くに出る。 梅田スカイビル到着11時20分。ちょっと早過ぎる到着。 里山を散策して、里山にあるカフェテリアで昼食。 その後、タワーイースト1階の喫茶店「POUND HOUSE」(今日、この名をそれと知りました。何度も入っているのに店の名には注意が向いてなくて、ずっと?でした。)で珈琲休憩。12時40分になったので、ガーデン5棟の5階の部屋に上がる。美術クラブの方々が談笑して居られましたが、囲碁クラブの人の姿はなし。 碁盤や碁笥を設営している処へ福麻呂氏が来られる。 先ず、同氏とお手合わせ。中押し勝ち。 村〇氏、竹〇氏、平◎氏、平〇氏がお見えになり、ヤカモチを含めて、本日の参加者は6名。 小生はこの後、平◎氏(前回から参加いただいている新メンバーである。)と打って勝ち、次に平〇氏に負け、最後に村〇氏に勝ち(これは同氏のミスによる自滅で勝ちが転がり込んで来たようなもので、いい碁ではなかった。)、3勝1敗の成績でした。これで今年の成績は24勝15敗。 帰途は、中央大通りを長田付近まで来たあたりからポツリ、ポツリと雨が落ちだした。見上げると黒い雲。 河内中野南交差点手前で本降りに。 取り敢えずスーパーの軒先に駆け込み、雨宿り。 激しい雨。稲妻が走り、バリバリドオーンと大きな雷鳴も。(雨宿りです。) ママチャリの男性も雨宿りされています。(同上)(同上) 小一時間も雨宿りしただろうか。 少し小降りになったので、MTBで雨中へ。 少し先にある喫茶店に転がり込もうという算段。 ところが、その喫茶店がこんな時に限ってお休み。 仕方がないので、「濡れついで、ままよ」と走り続ける。 雨具の用意をして来なかったので、濡れ放題になるしかないのである。 しかし、よくしたもので、段々に雨の降り方が少なくなり、余り気にならなくなりました。まあ、既にずぶ濡れですから、今更、余り関係はないのであるが、自宅に着く頃には殆ど止みかかっていました。 ということで、「行きはよいよい、帰りは大雨」の囲碁例会となった次第に御座候。
2019.09.04
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今日は月例の墓参。 先日まで秋めいた涼しい日が続いていましたが、今日はまた夏が帰って来たような暑さ。日差しの下を歩くと、腕などが焼けつくような感じ。尤も、木陰に入ると、吹き来る風が涼しく、そこはかとなく秋にて、何やら夏と秋がせめぎ合っているような具合のお天気でした。 ナツフジの咲く道を行くと、アキノノゲシが咲いているというのも、今日のお天気らしい花の咲き方と言えるかも。(ナツフジ) ムクロジの幹に絡みついているナツフジが未だ花を付けています。 もう少し坂を上った墓地の入口近くではアキノノゲシが咲いて。(アキノノゲシ) 墓参の折には必ずその門前を通る寺は本堂の改装工事中のようでした。そんなことでお取り込み中なのか、門前に毎月掲示される「言葉」も先月・8月の蓮如さんの言葉のままで、9月の言葉に更新されていない。 寺の道向かいのザクロは更に大きくなって、色も秋めいたものになって来ているのでありました。(ザクロ) もう少し近寄って・・。(同上) よく晴れた好い天気。 坂道を上った高台、山裾の高みにある墓地からは大阪平野が一望。 あべのハルカスのビルもよく見える。(墓地から大阪平野一望) あべのハルカスにズームアップ。(あべのハルカス) わが家の墓の隣には、タマスダレの花が咲いている。 尤も、下掲の写真は、墓の隣のそれではなく、途中の坂道の脇に置かれた鉢植えのものです。(タマスダレ) レインリリーともいうこの花。ゼフィランサスの仲間である。 ゼフィランサスという名は、ギリシャ神話の西風の神(ゼピュロス)とギリシャ語の花(アンサス)とをくっつけたもの。西風は春を告げる豊穣の風とされている。 ゼピュロスは、ボッティチェリの絵「プリマベーラ」や「ヴィーナスの誕生」にも登場するが、前者では右端から春風を吹き付けて居り、後者では、生まれたばかりのヴィーナスに対して、妻のフローラ(花と春の女神)と共に、風を吹きかけて、その誕生を祝し、海に生まれた彼女をその風によって陸地に送り届けようとしている。 だから、ゼフィランサスという名は春をイメージした名前なんだろうと思うが、タマスダレは、春の花と言うより夏の花である。 それはさて置き、木々たちは、ザクロもそうであるように、確実に秋の支度をしているのでありました。 墓参の後、立ち寄った花園中央公園ではコナラや銀杏も実を付けて、秋の備えであります。(コナラ) 何故か、このコナラの木、「クヌギ」という名札を付けている。確かに幹の木肌などはよく似ているが、実を見ればクヌギでないことは一目瞭然である。随分前から気になっているのだが、未だ訂正されないままになっている。 そのお隣のイチョウの木にはギンナンが沢山生っていた。(ギンナン)(同上) 今日は、夏と秋のハザマの墓参&花散歩の記事でありました。
2019.09.03
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