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偐万葉・ふらの篇(その9) 本日は、シリーズ第313弾、偐万葉・ふらの篇(その9)であります。 ブロ友、furano-craft氏とのお付き合いは、2013年3月6日に始まります。当時は、楽天プロフィール(以下、「楽プロ」という。2018年2月1日サービス終了)という楽天版ツイッターのようなサービスがあり、楽天ブログ記事を楽プロに自動投稿できるようになっていました。その楽プロにこの日ナイスをしていただいたのが契機となってブログ交流が始まったという次第。 従って、7年2か月のお付き合いということになります。 偐万葉では、例によって、同氏を「ふら麻呂」という勝手名でお呼びさせていただいています。 前回の「ふらの篇」は2017年2月16日でしたから、3年余ぶりの久々の「ふらの篇」であります。<参考>過去の偐万葉ふらの篇はコチラから。 furano-craft氏のブログはコチラから。 同氏経営の木力工房のホームページはコチラから。 当ブログの木力工房関連記事はコチラから。 偐家持がふら麻呂に贈りて詠める歌20首春まけて 碁盤の烏鷺か 麓郷の 道にはだれの 消え残りたる (烏鷺覚え)(本歌)わが園の 李(すもも)の花か 庭に降る はだれのいまだ 残りたるかも (大伴家持 万葉集巻19-4140)(注)春まけて=春が来て 烏鷺=囲碁のことを「烏鷺の戦い」などと言う。 はだれ=薄雪、まばらに積もった雪。麓郷の 槐水楢(ゑんじゅみづなら) クラフトに 森にも我(わ)にも 春は来(きた)れる (森人麻呂)麓郷の 光れる春の 朝食は バターナイフも 水楢がよし (森人麻呂) (20170325水楢のバターナイフなど)これ見よと えぞのオコジョが さししめす 木の葉にいかな 言の葉ぞある (20170328メッセージスタンド)削りたる ちさき鉋(かんな)と い並びつ 春待つらしも 槐(えんじゅ)の靴べら (箆(へら)家持) (20170407槐の靴ベラ)平昌(ピョンチャン)の 花火と共に 我が背子の 帰りぞ来たる 二月九日(にがつここのか)まだ森は 雪に閉ざしつ しかすがに 春は背子にし 今日立つらむかわが辞書に 無き気温なり 氷点下 21度の 富良野の朝よ (20180209麓郷の森)スプーンひとつ 仕上げるごとに われはまた 元気を木より 貰ひてぞ来(こ)し (匙麻呂) (20181209スプーン)ああ富良野 白銀(しろがね)の野よ いや遠に 神さび白き 十勝の山よ (山部白人(やまべのしろひと)) (20181213富良野)富良野原に 雪踏みしめて 立つ鹿の 姿見る日々 冬もかなしき (犬丸大夫)(本歌)奥山に もみぢふみわけ 鳴く鹿の こゑきくときぞ 秋はかなしき (猿丸大夫 古今集215 小倉百人一首5) (20181219蝦夷鹿)北の地の 木地師にあれや 我背子の つくる富良野の 木の皿よしも (惟喬偐王)(注)惟喬親王=文徳天皇第一皇子。木地師の祖とされる。 (20190125木力工房)吹かば吹け 夜半の嵐の 何かせむ 今日一日(けふいちにち)を 生きむ我なり麓郷の 森はまだ雪 残しつつ 春の光は 背子が肩辺(かたへ)に (20190322靴ベラ)マンホール 臍の祭と ある富良野 背子より写真 はるばる届く(関連句)旧里(ふるさと)やへその緒に泣(なく)としの暮(芭蕉 「笈の小文」) (20190329富良野市のマンホール)焼き入れの 槐(かい)の香すがし welcome(ウェルカム)の 文字に吹き来(こ)よ はつ夏の風 (ウェル亀家持) (20190508槐の木でWelcomeボード)われらまた 此処に集ひて ワン・チーム ともにし生きて ともにしなさむ (麓郷麻呂) (20191202森の妖精たち)皐月闇 照らせ真白き その花の 色も祈りの エゾエンゴサク (白家持) (20200510白花エンゴサク)富良野より コロナの禍(まが)を 祓へとか ここだうれしき 勾玉届く勾玉を 魔除け槐( えんじゅ)の 木でなすは 君が祈りか ありがたかりき (槐の勾玉 製作:furano-craft氏、撮影:ヤカモチ) (20190129furano-craft氏アトリエ)(注)掲載の写真はfurano-craft氏撮影または同氏ブログからの転載です。
2020.05.30
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今日は、銀輪散歩で見かけた虫たちです。 まずはオオスカシバ。(オオスカシバ)<参考>オオスカシバ・Wikipedia 翅には鱗粉がなく透明。蛾には見えないのであるが、スズメガの仲間である。高速で翅を動かしホバリングしながら花の蜜を吸う。撮影する側としては花に止まって欲しいのであるが、なかなか止まってはくれない。 花から花へと飛び回るのでなかなか近寄れず、離れた距離からズームで撮るしかないのであるが、その割にはそこそこの画像になりました。(同上) 以前、胴体の鱗粉も落としてしまって黒くなっているオオスカシバを撮ったことがある筈と調べると、5年前のことでした。<参考>銀輪虫散歩 2015.10.6. オオスカシバは、チョウ目・スズメガ科・オオスカシバ属であるが、次のお馴染みのモンシロチョウは、チョウ目・シロチョウ科・シロチョウ属である。 両者は、同じチョウ目でも、見た目は全く別ですな。(モンシロチョウ)<参考>モンシロチョウ・Wikipedia オオスカシバを撮っていたら、モンシロチョウもやって来たというようなことで、ついでの撮影であります。 こちらは止まってくれるので比較的撮影しやすい。 それでも寒い季節と違って活発に飛び回り、接近しすぎると他へ飛び移ってしまうので、これもズームです。(同上)(同上) 次は、カミキリムシの仲間、キクスイカミキリです。 コウチュウ目・カミキリムシ科・キクスイカミキリ属。(キクスイカミキリ)<参考>キクスイカミキリ・Wikipedia カミキリムシの仲間と言っても、体長1cm程度の小さな虫である。 その名の通り、キク科の植物の茎に産卵するので菊栽培農家にとっては憎き天敵である。 キクスイと言っても「菊水」ではなく「菊吸い」なのである。 この日も道端の草に止まっていたのだが、その葉からも分るようにキク科の植物、ヨモギである。(同上) 虫散歩の虫も、段々と嫌われ族の方に入って行きます。 次はカメムシ。 よく見かけるマルカメムシです。 いつだったか、大阪駅の環状線ホームへと上がるエスカレーターで目の前の若い女性の長い髪の毛だったか肩だったかにこいつがとまっていたことがあった。その旨、声を掛けてこいつを追い払ってあげましたが、声を掛けずにそんなことをしたら、変な誤解を受けたことでしょうな。(マルカメムシ)<参考>マルカメムシ・Wikipedia 小さな虫であるが侮ってはいけない。不用意に触れると、強烈な、あのカメムシ臭を浴びせられて、手からその臭いがとれないことになる。(同上) このマルカメムシがいたのはカラスノエンドウ。 カメとカラスは相性がいいのだろうか(笑)。 ウジャウジャといました。 カラスノエンドウに限らず、マメ科の植物を好んで食べるようで、産卵もその食草にし、幼虫はその草の汁を吸って成長するとのこと。 そんなことで体型もマメ型になっているということか(笑)。(同上) 次も嫌われ者の蚊です。 と言っても、銀輪散歩で出会ったと言うのではなく、パソコンのキーボードの上で息絶えていた蚊です。イエカにしては色が黒く、ヤブカかも。 調べると、ヤブカも色々。 ヤマトヤブカ、ネッタイシマカ、ヒトスジシマカ、ヤマダシマカなどと奥が深いのは流石に「藪」蚊だけのことはある、であります。 結局、こいつが何というヤブカであるかは「藪の中」という次第。(ヤブカ)ヤブカ・Wikipedia ネッタイシマカやヒトスジシマカであったら、デング熱などを媒介する蚊ということになる。 まあ、PCのキーボードの上でデングリ返っているようではデング熱を媒介する元気もなさそうだから、藪をつつくことはせず、「ヤブカ」ということにして置きます。(同上) そして、最後は、正体不明の極小の虫。 石の上に座っていたら、ズボンの膝付近に止まった虫である。 体長が5mm位で、肉眼ではよく分からなかったのであるが、写真をPCに取り込んで拡大してみると、ウンカやヨコバイに似た形の虫であることに気づいた。 それで、セミの仲間、ウンカ、ヨコバイ、キジラミ、アワフキムシなど心当たりをあたってみたが、これらの中にこれだという虫を発見することはできず、「正体不明」でアップです。 こういうのを、ギブアップと言います(笑)。(正体不明の虫) 虫の居る場所はヤカモチの綿パンの上。 線の一つ一つがズボンの生地の織り目ですから、2本で1mm位の幅になるでしょうか。(同上) 糸状の長い触覚が頭部にありますから、ウンカやヨコバイとは違う種類のようです。頭部が何やらグロテスクで、こんな頭の虫はこれまで見たことがありません。 斜め後ろから見ると、ニイニイゼミの超小型に見えなくもない虫。 ヤカモチのズボンが気に入ったのか、撮影を済ませて用無しとなった後もなかなか立ち去ろうとしない。 手で追い払うとようやく去って行きましたが、余りにも小さ過ぎる虫なので、立ち去った瞬間に、恰も忽然と消えた感じ。右か左か、上か下か、どちら方向に去ったのかさえも分らずでありました。(同上) 以上、本日は、行き倒れのヤブ蚊や正体不明の謎の虫も含めての、銀輪虫散歩でありました。<追記:参考>過去の虫関係記事はコチラ。
2020.05.29
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銀輪散歩で出会った猫の数もそこそこになりましたので、本日は第2回ヤカモチ的ネコ歩きであります。 まずは、花園中央公園で出会った猫たちから。 茶色の猫なので「一茶」という名がいいかと思いましたが、イマイチなので、「麦茶」としました。まあ、「むぎちゃ」と読んでいただいてもいいのですが、「いっさ」から来ていますので「ばくさ」または「ばくちゃ」と読んでいただく方が適切かと。(茶色猫の花園麦茶) 声をかけると振り返りました。 シロツメクサの咲き群れる中で、絵になる姿であります。麦茶「うん?ワシのこと呼んだか?」ヤカモチ「小林一茶とはどういうご関係ですか?」麦茶「あれは、ワシの弟子や。」 麦茶氏によると、一茶が柏原市の玉手山で詠んだ句は麦茶氏の句を真似たものだそうな。 猫折々 振り返り見る 花の園 (麦茶) 雲折々(をりをり) 適(まさ)に青葉見ゆ 玉手山 (一茶) 初夏や 猫も木陰を したふ哉 (麦茶) 初蝉や 人松陰を したふ比(ころ) (一茶) 小林一茶のこの句碑は玉手山公園内にある。 かなり前に撮影したものだが、ブログ未掲載のままとなっているようなので、ついでに掲載して置きます。(玉手山の一茶句碑)(同上・副碑) 桜広場とプラネタリウムのある建物「ドリーム21」との間に、小さな竹林がある。その中に虎ならぬ猫が居た。(お前はジャックナイフか?) どんな顔をして虎を気取っているのか、と見ると。 その顔は見覚えがあるぞ。 前回のネコ歩きで見かけたジャックナイフ君ではないか。ジャックナイフ「また、お前か。うるさい奴やなあ。今日は何の用や?」ヤカモチ「いや、別に用はありません。通りすがりです。」ヤカモチ「石原裕次郎の歌に『花園の 藪の前を通ったら おゝきな顔して ジャックナイフが 寝ていたよ~』というのがありましたかね。」ジャックナイフ「ワシに喧嘩売っとんのか、お前。」ヤカモチ「いえ、そんなつもりは。ちょっとした冗談です。」 こちらの三毛猫は通路に寝そべっていましたから、大きな顔して、というのなら、こっちの方かもしれません。後ろ姿にてその大きな顔を拝見することは叶いませんでしたが、噂では、三毛猫ホームズの助手で三毛猫ステイホームズという名の猫だそうな。 彼女も今は、緊急事態宣言解除で、あちらこちらと出歩いていて、行く先々で「ゴーホーム」と言われているのかも。(三毛猫ステイホームズ) 花園ラグビー場の近くでは、美形の猫と目が合ってしまいました。 うん?楊貴妃?と思いましたが、よく見ると右の耳が桜耳。オス猫であることに気づきました。 さては、お前があの有名な「三毛紫田舎源氏」なのか。(三毛紫田舎源氏) 目が合うと彼は固まってしまった。たづねても われこそとはめ 道もなく 深き蓬の もとの心を (光源氏 源氏物語「蓬生」)(訪ねて行って私の方から問おう、深き蓬にうもれているあなたの心を)(同上) 台本にない田舎家持が現れたので、どういうアドリブで切り抜けるべきか決めかねて固まってしまったようであります。カ~ット!! 物語の展開や人の(いや猫の)恋路を邪魔するは野暮の骨頂、無礼千万と言うもの。 「始めから其処に居なかったかのようにヤカモチは立ち去った。」 猫紫田舎式部さんは、急遽このように書き加えました。 ヤカモチはそっとその場を離れます。さりとても 心残りの この道の 末摘花の 末は知らずも (田舎家持) かくて猫源氏物語も原作通りに進行することとなりました。 桜広場に戻ります。(寅女<とらめ>ちゃん) こちらで会ったは、まだあどけない感じの少女・寅女ちゃん。 何やら周囲を気にしている。キョロ、キョロ、キョロ。 そして目が合った。(同上)ヤカモチ「こっちへおいで。」とらめちゃん「知らないおじさんから声をかけられても、近づいてはいけないの。」 トラ猫なので「寅さん」と思ったが、何年か前に「寅さん」猫は当ブログに登場しているので、そして何やら幼い感じもあったので「寅ちゃん」ということにしたが、耳を見ると左が桜耳、メス猫でした。 ということで「寅女」として「とらめ」ちゃんとしました。 とらめ、というのは役行者、小角の母親の名前と同じですな。 役行者の母親は、渡都岐比売(とときひめ)、白専女(しらとうめ)などとも呼ばれるが、都良売または刀良売(とらめ)である。 いつであったか、友人の偐山頭火氏と「とらめ」さんの墓を訪ねたことがある。調べてみようと、右欄のキーワードリサーチに「とらめの墓」と打ち込んで検索してみると、それは11年前の3月のことだと判明いたしました。<参考>飛鳥から大和高田へ 2009.3.20. 既にさくら猫となってしまっているから、彼女が子猫を産むことはないが、もし、さくら猫になっていなければ、将来、きっと、「役小角」ならぬ「役小猫」の母親になっていたことでしょう。 さて、次は池島神社の猫たちです。(池島神社の猫たち) どなたかが与えたエサを3匹の猫が食べていて、もう1匹のやや小柄な猫はこれに加わる様子がなく、こちらを見ている。 花園中央公園に居る猫たちは殆どみな避妊去勢手術を受けたさくら猫であるが、こちらの猫たちはそうではないようで、耳が桜耳になっていない。(同上) 一番太った猫が先ず立ち去り、2匹が食べる。(同上) 2匹が食べ続け、小柄な1匹は相変わらずこちらを見ている。 猫にも順位があって、順位の上の猫が食べ終わるまで下位の猫は待たなくてはならないのだろうか。(同上)※耳が完全な形なので所謂「さくら猫」ではない。 こちらを見ているばかりのこの猫。左目はこちらを見ているが、右目は違う方向を見ているようでもある。(池の島子) これも池島神社に居た猫であるが、上の猫たちを見た日には見かけなかったので、彼らのグループには属していないのだろう。 この猫も桜耳ではないので、雌雄の別は不明。池の島子と名付けることとしました。 浦の島子を文字って「池の島子」である。 浦の島子とは、ご存じ「浦島太郎」のことであるから、こちらは「池島次郎」とでもして置くか。 万葉集にも浦島伝説を詠んだ歌がある。 「水上の浦の島子を詠みし一首」とある高橋虫麻呂の長歌1首と反歌1首である。 長歌は一部略して引用すると、次の通りである。春の日の 霞める時に 住吉(すみのえ)の 岸に出で居(ゐ)て 釣船(つりぶね)の とをらふ見れば 古(いにしへ)の ことそ思ほゆる 水上(みづのえ)の 浦の島子が 鰹(かつを)釣り 鯛(たひ)釣り誇り 七日(なぬか)まで 家にも来ずて 海坂(うなさか)を 過ぎて漕ぎ行くに わたつみの 神の娘子(をとめ)に たまさかに い漕ぎ向かひ・・(中略)・・住吉(すみのえ)に 帰り来たりて 家(いへ)見れど 家(いへ)も見かねて 里見れど 里も見かねて 怪しみと・・(中略)・・玉くしげ 少し開くに 白雲(しらくも)の 箱より出でて 常世辺(とこよへ)に たなびきぬれば 立ち走り 叫び袖振り こいまろび 足ずりしつつ たちまちに 心消失(けう)せぬ 若かりし 肌も皺(しわ)みぬ 黒かりし 髪も白(しら)けぬ ゆなゆなは 息(いき)さへ絶えて 後(のち)つひに 命(いのち)死にける 水上(みづのえ)の 浦の島子が 家所(いへどころ)見ゆ (高橋虫麻呂 万葉集巻9-1740) 反歌は、「常世の国でずっと暮らしていられたのに、自業自得、馬鹿な奴だなあ」という歌である。常世辺(とこよへ)に 住むべきものを 剣(つるぎ)大刀(たち) 己(な)が心から おそやこの君 (同上 巻9-1741)(注)この歌の浦島伝説伝承地については色々説があるようだが、京都府与謝郡伊根町本庄浜、同竹野郡網野町水之江浜、大阪市の住吉の浜、など。(同上) 池の島子さん、左目が、眼病でも患っているのか、何やら泣きはらしたようになっている。故郷に帰って来たら、家も村もかき消えていて、知る人もなく、どうしていいのかわからず、悲しみ、泣いている浦の島子の目もこんな風であったかも。そして、玉手箱を開けて、たちまち白髪の老人となってしまったというのを思わせる白い毛。そんな姿から浦の島子に掛けて「池の島子」という名が思い浮かんだのでありましたが、さて、池の島子さんは、実のところ、どんな境遇でありますのやら。 何やらびくびく、おどおどしている風であったのが気にかかりました。(同上)樫の実の ひとり行く子や うらぶれて 池の島子も 悲しきろかも (池家持) 以上、本日は、ヤカモチ的ネコ歩き記事第2弾でした。<参考>過去の犬、猫関連記事はコチラから。
2020.05.27
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昨日(24日)は、久しぶりに深北緑地を訪ねました。 この日の銀輪散歩のコースは、自宅→花園中央公園→恩智川沿いの道→加納緑地→恩智川沿いの道→JR住道駅前→寝屋川沿いの道→深北緑地→野崎まいり公園→旧東高野街道→国道旧170号→石切神社→枚岡神社→自宅、というもの。(深北緑地) 緑地の森の中に入って、しばし休憩。 最高気温28~29度という予報の通りに暑い日となり、自転車を走らせていると汗、汗である。 木陰に入ると空気がひんやりして、涼しい風が心地よい。(同上) 目の前の水面に浮かぶ丸木には亀が甲羅干し。 左手の方から鴨が2羽泳いで来た。しばらくしてもう1羽がやって来て、前を泳いでいる1羽に何やらちょっかいを出す。出された方の鴨はそれを嫌がる風にしていたが、両者に小競り合いのようなものが生じてバタバタと羽ばたきするなど、騒がしくなる。ちょっかいをかけられていた方の鴨がついに逃げ出すのであるか、飛び立つ。ちょっかいをかけていた方の鴨がそれを追いかけて飛び立つ。すると、もう1羽の鴨が両者を追いかけて飛び立ち、3羽の鴨は森の向こうへと消え去る。鴨のドタバタ騒ぎがなくなって水面は元の静寂に。 亀は我関せずと身じろぎもしない。 風が草をそよがせている。 水際をゲンゴロウかガムシかは分らぬが水生甲虫が泳いで来て、足元のコンクリート擁壁の水際にとまる。 写真に撮ろうとカメラを構えた途端に水中へ潜ってしまい、撮影失敗。 背中に模様があったから、シマゲンゴロウの仲間であったのかもしれない。 ゲンゴロウがいたコンクリート擁壁に赤い粒々の塊。 これは確かジャンボタニシの卵の筈と撮影。(ジャンボタニシの卵) ジャンボタニシ。正しくはスクミリンゴガイという外来の巻貝で、繁殖力が強く、生態系を乱すほか、稲作などにも被害を与える厄介な外来生物で、防除対象となっている有害生物らしい。水中にこれを落とすと水中では孵化できないとのことだが、これは帰宅して調べて知った後知恵。そうと知っていれば、棒切れか何かでそぎ落として、水中に沈めたものを。 森の中にはビワの木があって、青い実をつけていました。(ビワの実) この日は日曜日とあって、子ども連れの人々の姿が多くみられました。 いろいろな遊具がある、恐竜ひろば、砦ひろば、ロケットひろばなどでは子どもたちの声が賑やかなことでした。(深北緑地 芝生広場 後方は生駒山) 砦ひろばへと向かう途中で見かけたキンポウジュの花は見事でした。(キンポウジュ<金宝樹・別名:ブラシノキ) 深北緑地をぐるり巡ってから野崎観音方面へと向かいますが、この後の写真はありません。(深北緑地位置、コース<一部>地図) 野崎観音への立ち寄りは、門前の急坂の上りを忌避して麓の「野崎まいり公園」で一休み。石切神社、枚岡神社経由で帰宅でした。 石切神社から坂道を上って山麓の道を枚岡神社へと向かいましたので、昨日の立ち寄りではないのですが、国道旧170号沿いをそのまま南へと向かうと、西ノ辻遺跡記念碑があり、その写真が手元にありますので、ついでに紹介して置きます。(額田西ノ辻石器時代遺跡碑) この碑は元々はもう一つ南側の辻にあったようだが、今は現在地に移されている。(同上・副碑)※クリックして大きいサイズでご覧下さい。 上の副碑に添えられている地図を拡大して新石切駅などの位置を書き加えると、下の図になります。(西ノ辻遺跡発掘地付近図) 以上、昨日(24日)と17日の銀輪散歩を合わせての近隣散歩記事でありました。<参考>近隣散歩関連過去記事は下記をご覧ください。 近隣散歩(その1) 近隣散歩(その2)
2020.05.25
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(2020.5.13.富田林まで銀輪散歩の続編) 5月12日に石川自転車道を走ってみようと銀輪散歩に出かけたことは、13日の記事で紹介済みであるが、その折には、大伴という名前の土地付近で引き返して来たのでした。 以前よりその付近が大伴という地名であることは承知していたのだが、大伴家持の「大伴」と何らかの関係があるのかどうか、ぼんやりとした関心は持ったものの、特に調べるということもせずにいたのでしたが、地図を見ていて、大伴黒主神社が少し先に行ったところにあることを発見したので、昨日(22日)、もう一度、富田林方面へ出かけることにしました。 前回は、何処と言って目的地もなかったので、恩智川沿いを走る遠回りコースで大和川畔へと走りましたが、今回は、目的地が明確なので、外環状道路(R170)を走り、恩智川と外環が交差する恩智から恩智川沿いの道に入るという、少しばかり近道コースを走りました。 これだと自宅から42~3分で大和川畔に到着できる。 石川自転車道に入る。 河川敷にはセンダンの大木が所々にあり、丁度これが花の盛り。(センダンの大木) センダンの花は薄紫色なのだが、このように白っぽく見えるものもありました。(同上) センダン(栴檀)の別名は「楝」。万葉植物である。 旧仮名だと「あふち」、現代仮名だと「おうち」と書く。 万葉ではこの楝という名で詠われている。 楝の歌で一番有名なのは、山上憶良が妻を亡くした大伴旅人の気持ちになって詠んだこの歌だろう。妹が見し 楝(あふち)の花は 散りぬべし わが泣く涙 いまだ干(ひ)なくに (山上憶良 万葉集巻5-798) 大伴家持にも、その弟の大伴書持にも楝の歌がある。珠に貫(ぬ)く 楝(あふち)を家に 植ゑたらば 山霍公鳥(やまほととぎす) 離(か)れず来(こ)むかも (大伴書持 同巻17-3910)ほととぎす 楝(あふち)の枝に 行きて居(ゐ)ば 花は散らむな 珠と見るまで (大伴家持 同巻17-3913) 何れも楝の花を詠んだ歌であるが、その花はこんな花である。(センダンの花)(同上) 今回は、接近して花を大きく撮った写真がないので、過去記事のそれを再掲載して置きます。(同上 2014.5.16.奥浜名湖銀輪散歩(その3)から再掲載) 石川自転車道を石川サイクル橋まで走る。 石川サイクル橋を渡って石川東岸(右岸)の道に移る。(石川サイクル橋から石川下流を望む。)(石川サイクル橋から石川上流を望む。)※写真中央の橋は新北橋。この上流に金剛大橋があり、その手前で左側(東側)から流れ込んでいる川が佐備川である。左寄り奥に見える小高い丘が金胎寺山か。この丘の向こう側は河内長野市。観心寺・後村上天皇陵がある。 石川東岸の道を上流へと走ると石川に流れ込んでいる佐備川に至る。 佐備川河口に架かっている橋が大伴橋。(佐備川河口の橋・大伴橋とマイMTB) はい、佐備川河口、大伴橋北詰に到着。(大伴橋銘板)(佐備川) 少し角度を変えて撮るとPLの塔が見えているのでありました。(佐備川、大伴橋、奥にPL大平和祈念塔) 佐備川沿いに上流へ。次の橋が新旭橋。 金剛大橋から延びている道、府道705号(富田林五条線)に出る。 この道を終点まで行けば、金剛山ロープウェイ乗り場であるが、勿論、そんな遠くまでは今回は行けない。(新旭橋・府道705号 金剛大橋方向が奥。) いよいよ、大伴黒主神社へと向かいます。 ここで、参考までに地図を掲載して置きます。(大伴黒主神社位置図)※写真をクリックすると大きいサイズの写真が別窓で開きます。(同上) 神社への道はちょっと分かりにくい。 この地区の公民館の隣にあるので、その案内標識に従って行くといいのだが、そんなこととは知らなかったので、脇道に入るタイミングが分からず、少し行き過ぎてしまう。 そして到着。 こじんまりとした神社である。(大伴黒主神社) この付近の「大伴」という地名は、この大伴黒主に関係したものなら、大伴家持などの「大伴」とは無関係ということになる。 大伴黒主は大伴氏の末裔ではない。 大伴氏は、平安時代初期、淳和天皇の時に「伴」と改名しているから、大伴黒主が大伴氏の出自であるなら伴黒主でなくてはならないことになる。 大伴黒主の出自は明らかではなく、猿丸大夫の子説や近江の豪族・大友氏説などがあるようですが、大友氏説が有力なようです。それに立てば大友黒主ということになる。 因みに、大伴氏の伴氏改名の経緯は、次のようなもの。 桓武天皇には、皇后乙牟漏(藤原良継の娘)との間に安殿親王(後の平城天皇)、神野親王(後の嵯峨天皇)があり、夫人旅子(藤原百川の娘)との間に大伴親王(後の淳和天皇)がいた。 大伴親王が即位して淳和天皇となると、天皇の諱(忌み名。実名のこと)である「大伴」を、臣下である大伴氏が名乗るのは畏れ多いとして伴氏に改めたという次第。 余談になるが、8年前に藤原旅子の御陵を訪ねたことがある。 その参道入り口に「三ノ宮神社」があったことを記憶している。 その時には彼女の息子の淳和天皇が桓武天皇の三男、つまり三ノ宮に当たるということに思い至らず、立ち寄らずにやり過ごしましたが、あれは淳和天皇を祀っている神社であったのだということに今頃になって気づきました。<参考>京都南部銀輪散歩・桓武天皇母陵、同夫人陵へ 2012.3.25.(同上) 大伴黒主が大友氏に所縁があるのなら、大友皇子(弘文天皇)、与多王、三井寺などとも関係があるということになるが、大津市南志賀にも大伴黒主神社があるようなので、いずれ訪ねてみよう。 近江に関係の黒主の神社が、何故、富田林市山中田地区にあるのか。 それは江戸時代に起こった当地区・山中田村での大火災が原因しているとのことですが、それは後述します。 ともかく、この地の地名、大伴というのは、大伴氏が古代にはこの地を支配していたことに由来するらしいですから、やはり「大伴氏」関係の地名であるようです。<参考>大友黒主・Wikipedia 大伴黒主と言えば、六歌仙の一人。 六歌仙というのもいい加減なもので、紀貫之さんの手になるという古今和歌集の仮名序に名を挙げられた6人の歌人を六歌仙と言っているに過ぎないのである。 その中で、大伴黒主は、 「その様、卑し。言はば、薪(たきぎ)負へる山人の、花の陰(かげ)に休めるがごとし。」と散々な言われようである。 まあ、黒主に限らず、他の5人も似たり寄ったりの言われようであり、名の挙げられていないその他の歌人については、そもそも歌の何であるかが分かっていない、と切って捨てられているから、黒主さんもそう悲観することはないのではある。 他者の歌についてここまで言ってしまっては、他者からは「では、お前の歌はどうなのだ」という反発が当然に考えられますから、自分の歌が詠めなくなるのでは、と思うのが凡人の感覚。紀貫之さんは、そのツラが雪まみれになっても平気という、その名の通りにツラの皮が相当に厚いようで、そんなことは気にもかけないということなんでしょう。(同上) ついでに、他の5人についての紀貫之コメントを下記して置きます。僧正遍昭は「歌の様は得たれども、誠(まこと)少なし。たとへば、絵に描ける女(をうな)を見て、徒らに心を動かすがごとし。」在原業平は「その心余りて、言葉足らず。萎める花の、色無くて、匂ひ残れるがごとし。」文屋康秀は「言葉巧みにて、その様身に負はず。言はば、商(あき)人の、良き衣(きぬ)着たらむがごとし。」喜撰法師は「言葉微(かす)かにして、始め、終り、確かならず。言はば、秋の月を見るに、暁の雲に、遭へるがごとし。」小野小町は「古(いにしへ)の衣通姫の流なり。哀れな様にて、強からず。言はば、好(よ)き女(をうな)の、悩める所(ところ)有るに似たり。強からぬは、女(をうな)の歌なればなるべし。」 仮名序の原文はウィキソースでも読めますので、それのリンクを貼るとともに、六歌仙に関する部分を以下に転記して置きましょう。 そうじやうへぜうは、歌のさまはえたれども、まことすくなし。たとへば、ゑにかけるをうなを見て、いたづらに心をうごかすがごとし。 ありはらのなりひらは、そのこゝろあまりて、ことばたらず。しぼめるはなの、いろなくて、にほひのこれるがごとし。 ふんやのやすひでは、ことばゝたくみにて、そのさまみにおはず。いはゞ、あき人の、よきゝぬをきたらむがごとし。 うぢやまのそうきせんは、ことばかすかにして、はじめ、をはり、たしかならず。いはゞ、あきの月をみるに、あかつきのくもに、あへるがごとし。よめるうた、おほくきこえねば、かれこれをかよはして、よくしらず。 をのゝこまちは、いにしへのそとほりひめのりうなり。あはれなるやうにて、つよからず。いはゞ、よきをうなの、なやめるところあるにゝたり。つよからぬは、をうなのうたなればなるべし。おほとものくろぬしは、そのさま、いやし。いはゞ、たきゞおへるやまびとの、はなのかげにやすめるがごとし。 このほかの人々、そのなきこゆる、のべにおふるかづらの、はひゝろごり、はやしにしげきこのはのごとくに、おほかれど、うたとのみおもひて、そのさましらぬなるべし。<参考>古今和歌集仮名序・Wikisource(同上・本殿) さて、大伴黒主神社が当地・山中田地区にある由縁です。 この大伴黒主神社の背後の丘陵部には西大寺山古墳群と呼ばれる古墳時代前期から終末期にかけての古墳群があります。その北端に夫婦塚と呼ばれる古墳があり、大伴黒主夫婦の墓と伝承されていました。 江戸時代、これを開墾して田畑にしようと、塚の取り壊しにかかると、中から黒蛇が現われ、山中田村に逃げ込み、姿を消します。 すると、その年に山中田村で大火災が発生。村の半分以上が焼失。 村人たちは、大伴黒主の祟りだと考えました。その祟りを恐れて、神社を建て、大伴黒主を祀ることにしました。これが、当地に大伴黒主神社がある由縁だそうです。 大伴の地に紛らわしくもある大伴黒主神社でありますが、古今集に所収の大伴黒主の歌3首を紹介申し上げて、銀輪散歩終了とさせていただきます。春さめの ふるは涙か 桜花 ちるををしまぬ 人にしなければ (古今集88) 思(おもひ)いでて 恋しき時は 初雁の なきてわたるを 人知るらめや (同735)鏡山 いざたちよりて 見てゆかむ 年へぬる身は 老いやしぬると (同899)(注)899番歌は、左注に「この歌は、或る人の曰く、大伴黒主が也」とあるによるものである。 以上です。
2020.05.23
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関西3府県も緊急事態宣言解除となるようで、少しホッとする気分ではありますが、コロナ以前のような生活に戻れるということではないので、悩ましいところです。 ということで、今日も近隣花散歩であります。 と言っても、ブログ上の「今日」のこと。 実際の撮影日は少し前のこととなります。 まずは、クローバー、シロツメクサです。(シロツメクサの群れ)(同上)※<参考>シロツメクサ・Wikipedia クローバーと言うと「四つ葉のクローバー」を見つけた者には幸運が訪れるなどの伝説があって、これを見つけると何やらめでたい気分になるというものだが、かなり前に四つ葉や五つ葉のクローバーを見つけたことをブログ記事にした記憶があるので、調べてみたら、12年も前のことでした。<参考>四つ葉と五つ葉 2008.6.26. このような例外的な多数葉が生じるのは、突然変異によるものもあるそうだが、その多くは、葉になる前の段階でその原基が外的な何らかの力を受けて傷つくことによって起こる形態形成の異常なのだそうな。 で、四つ葉、五つ葉どころか、56枚葉のクローバーも発見されているというから驚きである。(下記<参考>参照)<参考>四つ葉のクローバー・Wikipedia 四つ葉のクローバーを見つけたかったら、クローバーの葉が芽生える前にそのあたりを何度も何度も踏み荒らして、葉になる前の原基細胞を傷つけるようにすればいいということになるが、そんなことをして何になる、でしょうか。しかし、一定の区画に限って踏み荒らしてみて、そこに多数葉のクローバーが、踏み荒らしていない同面積の他区画よりも有意に多く現出したなら、上記のことが実証されたことになる(笑)。 次は、マンテマ。 と言っても、シロバナマンテマです。(シロバナマンテマ)※マンテマ・Wikipedia マンテマの花を初めて目にしたのは、富山県の魚津から富山へと銀輪散歩していた時のこと。<参考>魚津から富山へ銀輪万葉(その2) 2011.5.23. そして、マンテマの仲間のシロバナマンテマと出会ったのは2017年6月のこと。<参考>銀輪花散歩・水無き月の空の下にも 2017.6.1. そのシロバナマンテマが花園中央公園にも咲いていました。 シロバナと言っても、このようにピンクかかった色のものもある。 マンテマの花弁に比べてシロバナマンテマの花弁はやや細長い形状。(同上) 次は、ヒメコバンソウ。(ヒメコバンソウ)※ヒメコバンソウ・Wikipedia ヒメコバンソウも何度か記事アップしているかと思う。 もっと接近して撮ったクローズアップ写真は、下記の<参考>記事に掲載しています。<参考>銀輪花散歩・西洋のスモモを見たり鬼薊 2019.6.9.(同上) そして、昔ながらのオオバコです。(オオバコ)※オオバコ・Wikipedia近頃は 帰化なるものも 多けれど むかしながらの 大葉子ぞこれ (平家持)(本歌)さざ波や 志賀のみやこは あれにしを むかしながらの 山ざくらかな (平忠度 千載集)(同上)(同上)(同上) 以上です。ことさらに ものめづらしき ものなくも あれやこれやの けふの花かな (花家持)<追記・参考> 花関連の過去記事は下記をクリックしてご覧ください。 花(1)2007~2011 花(2)2012~2016 花(3)2017~2020.3. 花(4)2020.4.~
2020.05.21
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花園中央公園の一角、コナラかクヌギかの木にこんなキノコが生えているのに気づきました。(キクラゲまたはその仲間?)※キクラゲ・Wikipedia キクラゲがこんなところに生えているとは思いもしないことで、これがそうなのかどうか分からないのですが、どう見てもキクラゲにしか見えないので、キクラゲということにして置きます。 蜘蛛の糸のようなものが絡まっているが、蜘蛛の糸なのか、このキノコの菌糸なのか、というようなことも気になる。 下の写真では、まだ小さな赤ちゃんみたいな子実体も見られるから、これらがどんな風に大きくなってゆくのかも楽しみである。(同上) キクラゲと言っても色々あるようで、キクラゲ科キクラゲ属ではキクラゲとアラゲキクラゲなど。シロキクラゲ科シロキクラゲ属ではシロキクラゲとハナビラニカワタケなど。 これはそれほど白っぽくもないから、キクラゲかアラゲキクラゲかのどちらかなんだろうと思う。 キクラゲは漢字では「木耳」と書くが、下の写真などは、まさに木の耳である。(同上) 上の写真は横から逆光で撮影したもの。 ゼラチン質というかニカワ質というか、それが逆光で透けて見え、確かに耳殻を連想させる形姿である。 もう一つ「木蛾」と書く漢字もあるようだが、こちらは横からではなく、真上から見た場合の姿が「蛾」が止まっているようにも見えることからの命名なんだろう。 残念ながら、生えている位置が少し高い場所であったので、上から見下ろすというアングルでの写真は撮れなかったので、「木蛾」という命名を納得させる写真はありません。 キクラゲなら食用になるが、これを採取して食べてみようという気にはならない。 今後の成長具合を観察することとしましょう。食べてしまっては、その楽しみがないというものである。 尤も、キノコは寄生された木にとっては有害なものであるから、公園管理者がこれに気が付くと除去してしまうということも考えられるほか、キクラゲだと気づき、取って食べようとする人もあるかも知れないから、いつまでコイツが此処に生存し続けることができるかは神のみぞ知るで、長期間の観察が保証されている訳ではない。 さて、キノコついでに、サルノコシカケの仲間と思われるキノコの写真もあるので、この機会に掲載して置くことにします。(サルノコシカケ)※サルノコシカケ科・Wikipedia サルノコシカケという和名を持つキノコの種があるのではなく、一定のグループのキノコを総称してサルノコシカケ科というくくりをしているに過ぎないらしい。植物分類学上は、それも見解の違いがあって決着がつかないことから暫定的に認められている科名に過ぎないという。まさにその名の通りの、一時の「腰掛け」的な科名だそうな。 そういうこととは別に、一般にサルノコシカケとされているキノコはある訳であり、子どもの頃に「これがサルノコシカケ」と教えられ、そう思って来たのは、このようなコルク質の固い半円形の大型のキノコであるが、これの種名や属名がなんであるのかは知らぬことであるので、サルノコシカケということにして置きます。 このキノコを撮影したのは、先月10日に枚岡展望台へと山道を歩いた折のことである。<参考>枚岡展望台 2020.4.11. その隣に生えていたのが次のキノコ。黒っぽい色になっているが、これも同じ種類のキノコだと思う。(同上) 草花の名前もややこしいが、キノコの名前はそれ以上にややこしい。 それはさて置き、今後キクラゲの観察を続けるとしたら、キクラゲの生えている木の近くにサルノコシカケでもあれば、観察には便利なのですが、花園中央公園にはサルスベリはあるけれどサルノコシカケは見当たらないようです。キクラゲを つばらにぞ見む 木の下の 蔭にもがもな サルノコシカケ (猿家持)枚岡の 山より花園 公園に あるを見が欲し サルノコシカケ (猿家持)キクラゲは 見た目耳にて 食すれば クラゲのごとと その名は言へる (水母家持) 今日の記事も一応は「花散歩」の記事ということになりますかな。
2020.05.19
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2000点突破記念第217回智麻呂絵画展を開催したのが、本年、つまり令和2年(2020年)2月22日。「2」づくしの日でありましたが、それからもう3か月近くになります。 智麻呂絵画ファンの皆さまは、「智麻呂絵画展はいつ開催されるのか」と心待ちにされているかと思いますが、智麻呂画伯は只今入院中にて絵の制作が叶いません。 入院がこんなにも長くなろうとは思いもしなかったので、お元気になられて、絵を再開された後に、実はこんなことがあって少し開催が間延びしました、というようなご報告を申し上げようという考えもあって、今日までブログ上は同氏のご入院のことには触れずに参りました。 しかし、ご入院が予想外の長期となり、絵の再開は更にも遅れそうでありますので、概略を皆さまにもご報告させていただくこととします。 去る3月7日デイサービスに行って居られた智麻呂氏が当該施設にて発熱。新型コロナ感染症の流行が拡大し始めていた時期でもあったので、かかりつけのお医者様のご指示に従い、A病院に緊急入院、検査の結果コロナについては陰性で、腎炎による発熱でした。 3月9日、A病院で主治医から病状と治療方針などの説明があり、奥様の恒郎女さん、長女のKお嬢さんと一緒にヤカモチ館長も、これを拝聴しました。 その後、順調に回復されて腎炎は軽快に向かわれたものの、長期間ベッドに寝たきりであったことから筋力が低下、介助によって自身で立つということができていたそれまでの状態に戻すにはリハビリが必要だということで、4月14日にリハビリテーション病院に転院されました。 この間、コロナ感染症対策が病院でも順次強化され、家族の面会、付き添いなども禁止されるに至り、日々の智麻呂氏の状況を直接に知るということは、奥様にもできないことになってしまいましたが、転院の際にのみ許された付き添いの折の智麻呂氏のご様子は、至ってお元気であったとのことでありました。 しかし、昨日、奥様の恒郎女さんとお電話でお話しした限りでは、状況は左程には進展して居らず、ご自宅に帰ることができるまでになるには、まだかなりの日時を要するようです。 コロナ感染防止対策とは言え、面会も一切許されないというのは、患者にとっても家族にとっても大変酷なことです。 一日も早く全快、完全復活の日が到来することを願ってやみません。 頑張れ、智麻呂画伯です。 ということで、智麻呂画伯、奥様の恒郎女さんへの元気づけにでもなればとの思いで、本日はミニ智麻呂絵画展を開催することとしました。 3月7日の発熱以前に描かれた絵が2点、わが手元にありますので、それをご紹介申し上げます。(金柑 from二嬢さん) キンカンは、中国、長江中流域原産とのことで、日本へは江戸時代、文政9年(1826年)に渡来したとのこと。鎌倉時代後期から室町時代初期に入って来たと書かれているものもあるので、真偽のほどは知らず、であります。 金橘、姫橘という別名があり、俳句では秋の季語らしい。 花言葉は「思い出」、「感謝」とのこと。 このキンカンは智麻呂ご夫妻の二番目のお嬢さんがお持ちになったものとのことですが、花言葉の「感謝」という意味、思いを込めてのものであったのかも知れません。 ヤカモチ館長は1月29日生まれ。1月29日の誕生日の花が「金柑」であることを何かで知ったが、以来ヤカモチはキンカンに対しては、少しばかりシンキンカンを抱いているという次第(笑)。(苺 from偐山頭火氏) この美味しそうな苺は、偐山頭火氏がお持ち下さったものだそうな。 何処やらのイチゴというようなことを恒郎女さんからお聞きしたような記憶がぼんやりあるが、思い出せない。 普通、イチゴの詰め合わせだと、ヘタの部分を隠すようにして並べるものであるが、智麻呂氏的には、このヘタがなくては「イチゴに非ず」のようで、どのイチゴもしっかりとヘタの部分が描かれています。 これぞ智麻呂式と言うべきか、みんな律儀にヘタを見せているところが愉快であります。 因みに、「ヘタ」は、漢字では「草カンムリ」に「帯」の旧字の「帶」と書いて「蔕」であるが、元々は萼である。花の場合は「萼」と言い、実の場合は「蔕」と言う。花だとアゴで、実だとオビか。 尤も、実の場合でもヒラヒラしている部分は萼と言い、その付け根部分を蔕と言うなどという説もあるようですから、花の場合にはヒラヒラした上の突き出た部分に着目して「萼」としたのに対して、実の場合には、下の部分、ぐるりと取り囲んでいる付け根部分に着目して「蔕」と名付けたのかも知れない。 ところで、こういう風に「ヘタ」のことをあれこれ評するヤカモチの口出しのことを「へたな口出し」と言い、「へたに口出しをして、かえって物事をややこしくする」などと揶揄されるのがオチですから、これで止めることとします。 まあ、こんな具合にヤカモチが軽口をたたけるように、智麻呂画伯には早くお元気になっていただきたいものであります。 以上、ミニ智麻呂絵画展でありました。 一日も早い、智麻呂画伯のご退院を祈りつつ・・。<参考>過去の智麻呂絵画展の記事は下記をクリックしてご覧下さい。智麻呂絵画展(1)~(100)智麻呂絵画展(101)~(200)智麻呂絵画展(201)~
2020.05.17
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昨日(15日)、北海道は富良野のブロ友、furano-craft氏から贈り物が届きました。 これまでにも、同氏からは色々な木工作品を頂戴していますが、今回、「槐の勾玉を作りましたのでご笑納下さいませ。」として送られて来たのは、こんな作品でした。(槐の勾玉のストラップ furano-craft氏作)富良野より コロナのまがを 祓へとか ここだうれしき 勾玉届く勾玉を 魔除け槐の 木でなすは 君が祈りか ありがたかりき (同上) 槐(えんじゅ)の木も勾玉も邪を払う魔除けの霊力があるとされているから、この両者が手を結んだ、槐の勾玉は、二倍の効力、霊験あらたかなものと言うべきでしょう。コロナに負けるな、コロナに打ち勝てという同氏からのエールであり、心強いメッセージでもあります。 furano-craftさん、どうもありがとうございました。<参考> furano-craft氏のブログはコチラ。 木力工房のホームページはコチラ。 フォト蔵のマイアルバム「木力工房関係」写真はコチラ。 偐万葉・ふらの篇はコチラ。 また、何日か前に、友人の利麻呂氏からは、「新型コロナに負けずに頑張りましょう。終息後に再会できる日を楽しみにしています。」というような文面の絵葉書が届いています。(南條亮ジオラマ記念館の絵葉書) それにしても、何故「南條亮ジオラマ記念館」の絵葉書なのか。 利麻呂氏は、この今は亡き人形作家・南條亮氏のファンである、或いは同氏を応援されていたというようなことなんだろうか。 大阪方式による制限解除の第一段階は、博物館、美術館、図書館などの施設の営業再開のようですから、この記念館も営業再開となるのかも知れないが、自宅から泉佐野までの正味の銀輪散歩はかなりハードになるから、そう簡単には出かけ兼ねるというものではある。<参考>南條亮ジオラマ記念館・facebook 入場無料!人形が語る懐かしの昭和-大阪「ジオラマ記念館」 囲碁の会も休会で、利麻呂氏とも長らく顔を合わせていない。その他の囲碁仲間とも同様である。 年2回開催の大学同期会・夕々の会の5月例会も中止、7月の同窓会総会も11月に延期の件が検討されていて、その方向で決まる見込み。若草読書会も暫く休会。 あれやこれやの友人との交流も同様に「自粛モード」である。 そんな中で、電話であれ、メールであれ、手紙や葉書であれ、このような便りが届くというのは、元気でいます、ということの証しでもあるから、嬉しいことであります。 そして、今朝は大学同期の油〇君から電話。夕々の会の今月の開催はないのかという問い合わせの電話であった。彼はこのところ会には欠席続きで長らく顔を合わせていないのであったが、このような問い合わせをして来たということは、コロナ自粛などで人との接触が何かと希薄になっている昨今、人恋しい気持ちになったということであるのかも知れない。 コロナ下の 自粛堪へてそ また逢はな わが思(も)ふ人の みな幸(さ)きくあれ (偐家持)
2020.05.16
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本日は、銀輪散歩で出くわした石塔と古墳です。 たまたま、出くわしたというのではなく、枚岡神社の参道脇に設置されているこの看板で見つけて、銀輪散歩のついでに立ち寄ったものであります。(東大阪市文化財ハイキングコース案内看板) と言っても、分からないでしょうから、先ず、上の写真をクリックしていただくと、大きいサイズの写真が別窓で開きます。更に、元画像サイズを選択いただくとより大きなサイズ写真になります。その写真のやや左寄り中央に石切剣箭神社があるかと思いますが、その下方に塚山古墳と観音寺という文字が見えると思います。 この二つについては、何の知識もなかったので、訪ねてみようと予てより思っていたこともあって、昨日(14日)の銀輪散歩のついでに立ち寄ってみることとしたのでありました。 先ず、観音寺です。(花國山観音寺・本堂) 融通念仏宗のお寺のようです。 山号は花國山。平野大念仏寺の末寺。 本尊は、阿弥陀三尊来迎図(1639年<寛永16年>作)とのことだが、当山中興の元興上人の手になる千手観音菩薩像と33体の観音菩薩像が併せ祀られていることから、観音霊場の寺院でもあるようで、寺の前には「河内西国二十七番霊場」という看板が掲示されている。 詳しいことは下記<参考>をご参照下さい。<参考>花国山観音寺・大阪再発見 第二十七番 花国山観音寺・Pilgrim東西南北巡礼記 門を入ったすぐ右手に、市の有形文化財に指定されている石造十三重塔がある。写真をご覧いただいてお分かりのように、2枚分の屋根石が欠落していて、現状は十一重石塔となっている。(同上・石造十三重塔) 永仁2年(1294年)建立の石塔とのことである。(同上・説明碑) この寺の北側の路地を東に入って行くと、民家に囲まれた中に、塚山古墳がある。 まだ、発掘調査はされていないようで、現地説明碑のようなものは何もないが、5世紀後半から6世紀前半頃にかけて築造された可能性のある円墳らしい。(塚山古墳) ネット検索すると「東大阪市埋蔵文化財発掘調査概報・平成21年度」というのが見つかった。(東大阪市埋蔵文化財発掘調査概報)※クリックして大きいサイズの写真でお読み下さい。(同上・第5章 塚山古墳の現況測量)(同上)(同上・東大阪市の遺跡分布図)(同上・測量図)※上の写真の左上に表示の通路を左から入って来て、通路を挟んでお向かいのお家の玄関先から撮影したのが、6枚上の「塚山古墳」とあるカラー写真です。(同上・上空からの写真) 上空からの撮影は無理なので、墳丘に登ってみた。(墳丘上・南西方向)(同上・北東方向) ただ、草が繁茂しているだけ。 何もない。当然ですな。 ぐるり見回してみると、こんな眺望です。(墳丘上からの眺め・南東→南→西→北方向)(同上・北→東→南東方向 後方は生駒山。) 古墳に隣接する民家の飼い犬たちが「怪しい奴」と盛んに吠え立てる。 確かに「怪しい奴」には違いないヤカモチなので、仕方がない。 長居は無用。早々に退散でありました。 馴染みの喫茶店・ペリカンの家に近いので、立ち寄って珈琲休憩。 見覚えのある自転車・ブリジストン君が駐輪してあったので、冨麻呂氏が来て居られるのだな、と思いつつわが愛車のMTBを店の前に駐輪していると、店のドア横の喫煙ベンチの方から「お久しぶりです。」との声。冨麻呂氏であった。同氏や店主ももの郎女さんとそのご亭主のもも麻呂氏らと少しばかり雑談して店を出る。 花園中央公園に立ち寄って、野の花の写真を少しばかり撮って帰途に。 先日、ヌートリアを見かけた三六橋の上から恩智川をのぞき込むと、またまたヌートリア君が泳いでいた。すぐにセイヨウカラシナの藪の中に隠れてしまったが、どうやら彼は「通りすがり」の旅ヌートリアではなく、この一角を棲み処とする定住ヌートリア君のようです。 彼も緊急事態宣言未解除の大阪府民とあって、遠出は自粛、近所を徘徊のヤカモチ同様に、持て余し気味の日々を送っているようであります。
2020.05.15
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過日、友人のオガクニマン氏から電話があり、自転車を新しく買って乗り回しているとのこと。 それはいい心がけ、と褒めてあげようと思ったら、何と、電動自転車だとのこと。まあ、電動自転車でも車よりは運動にはなるというものだが、ヤカモチに言わせれば、邪道。アシストがない方が運動量も増え、身体にはいいに決まっているのに、電動アシストはそれを減殺してしまう「便利」という「有害」なものが付いた自転車にて、それはもう「自転車」とは言えない、中途半端な代物。体力を鍛えることを諦めた人の乗り物である。 彼曰く「アシは痛くならないのだが、ケツが痛くなる。」と。 ヤカモチ「まだ尻が青いってことやね。」 アシを鍛えることをハナから放棄しているのだから、せめてもケツを鍛えよ、というのがケツ論であったが、そのうちにツラの皮くらいにはケツの皮も厚くなって、さほどに痛くもなくなるでしょうから、放って置きましょう(笑)。<参考>まだまだケツが青い!? 2020.5.5. かく言うヤカモチも9日、10日、11日と三日連続で家に籠りっきりで、外出自粛に協力した形に。しかし、さすがに限界。こんなことでは、ヤカモチも電動アシストのお世話にならざるをえなくなると、昨日(12日)は、少しロングライドの銀輪散歩をしてきました。 何処と言って、目的地も定めず、石川自転車道を少しばかり走ってみようと出かけた次第。富田林まで行って引き返すという「ただ漫然と走っただけ」のものでありましたが、往復で60~70km程度はありましたから、久々にまとまった距離を走ったことになり、気分は上々でありました。 最初の立ち寄り先は、5月1日の記事で紹介したレンゲ田。<参考>群れて咲けこそ花にしあれば 2020.5.1. 既に、レンゲソウの花の姿はなく、実になっていました。(レンゲソウの実) 豆莢のような実が10個程度、花のあった場所は此処ですよという感じで生っています。 レンゲソウの花が何個かの花が集合して一つの花序を形成しているということが、実の姿を見ることによってよく理解できる。 実の下部から垂れ下がっている白い紙切れのようなものは、花びらの残骸だろうか。(同上) 豆莢には、よくみるとアブラムシが沢山たかっている。 カラスノエンドウにも、アブラムシがびっしりという光景がよく見られるが、実の形状やアブラムシのたかり具合から両者が植物分類上は近い関係にあることが見てとれるなどというのは、素人の暴論か。 レンゲ田の方は、今やノビエが繁茂する稗田に変身しようとしている。(タイヌビエ<田犬稗>) イヌビエ、ケイヌビエ、タイヌビエ、ヒメタイヌビエなどを総称してノビエ(野稗)というそうだが、これはタイヌビエでしょうか。(同上)れんげ田も 稗田になりて はつ夏の 風渡り行く 銀輪の道 (輪家持) レンゲソウを緑肥として田に鋤き込むなら、ヒエがはびこる前にこれをなすべきかと思うが、ここは耕作放棄地なのか。<追記> 上の草は、ヒエではなくカズノコグサという植物のようです。 カズノコグサ・雑草図鑑 或る草について、ニワホコリかカゼクサかどちらだろうとイネ科植物を調べていて、この草がタイヌビエではなく、カズノコグサであることに気づきましたので、訂正します。 従って、ヤカモチ歌の「稗田」は的外れということになりますが、間違い記念として、敢えてそのまま残し置くこととします。(ハハコグサ<母子草>) チチコグサやチチコグサモドキはよく見かけるが、ハハコグサはそれほどでもないので、「やあ、お久しぶり」という感じ。(同上) こちらにはハエがとまっていました。 わがカメラは主人の撮影意図を読み違えたか、花にピントを合わせず、ハエの方にピントを合わせたようです。 五月蝿は万葉仮名。「さばへ」と訓み、「五月蝿なす」という形で、「騒ぐ」にかかる枕詞として使われている。<参考>〇大伴家持作安積皇子挽歌(巻3-478)では「五月蝿成」 「・・五月蝿なす 騒ぐ舎人は 白たへに ころも取り着て・・」〇山上憶良作沈痾自哀歌(巻5-897)では「五月蝿奈周」 「・・五月蝿なす 騒ぐ子どもを 棄つてては 死には知らず・・」 原型は「さ蝿なす」で、蝿の群がり飛ぶ羽音が沸き上がるというイメージから生まれた言葉だろうから、何となく不吉で忌まわしいものが付きまとう言葉という感じがする。現代では、そういうイメージを引きずっているのかどうか知らぬが、これを「うるさい(五月蝿い)」と読む。 まあ、上の写真の蝿も五月の蝿ではあるが、緊急事態宣言延長下ということで、群れず一匹のみで居るから「うるさい」というものではない。 「さびしい」とか「わびしい」という訓が似合いである。コロナ下は 五月の蝿も 樫の実の 一人しあるか われもしかあり (偐家持)(同上) 恩智川沿いの道に出て、南へと走る。 走ったコースの概略は下記地図の通り。(銀輪散歩コース地図) 特にコースを定めず、漫然と走ったので、実際はわき道に入ったり、行きどまりで引き返したりと、地図では表現できないものがあるが、記憶を頼りに地図で表現すると、概ねこんな感じになる。 (詳細コース図2&3)※赤線往路、青線復路 (詳細コース図4&5) (詳細コース図6&7) 大和川畔に到着。 土手に、こんな花が群れ咲いていましたが、名前は不明。(名前不詳の黄色の花)(同上) 花の形状は、ウンランに似て、特徴のあるものだが、多分この花は初めて目にするものではないかと。<追記>この花はセイヨウヒキヨモギでした。ネット検索の結果、ウンラン→ゴマノハグサ科→セイヨウヒキヨモギという順序でこの花の名に到達しました。※なお、現在の分類体系では、ヒキヨモギもセイヨウヒキヨモギもゴマノハグサ科からハマウツボ科に移されている。<参考>セイヨウヒキヨモギ(同上) 大和川に架かる人道橋を渡って、石川河川敷の自転車道へと入る。(石川自転車道) 自転車道と言ってしまっては、ウオークやジョギングをして居られるお方には申し訳ないことになるが、自転車族ヤカモチとしては「自転車道、サイクリングロード」である。正しくは自転車・歩行者専用道。 この道は、もう数えきれない位に走っているお馴染みの道である。 両サイドにはナヨクサフジが咲き群れて、目を楽しませてくれる。(ナヨクサフジ) 新大黒橋を渡って、右岸(東岸)沿いの道に移る。 石川に東側から流れ込んでいる川は、北から順に飛鳥川、梅川、千早川、佐備川、石見川となるが、時々、梅川と千早川とを混同することがある。 今回もその混同による錯覚があって、梅川を千早川と勘違いして、この川沿いを行く。何か感じが違うことに、やがて気づくのであるが、まだ疑いを持っていなくて、千早川畔だと思って撮った写真が次の写真。(梅川河口付近・石川との合流点近く) 白鷺3羽が目にとまったので、川原に下りて暫し休憩。(同上) 川原から上がって、東の方向を見ると、源氏三代墓のある小高い森の風景なので、あれっと初めて「?」が点灯。ほどなく「通法寺」という標識が目に入り、思っていた道とは違う道を走っていることに気づく。 太子町南交差点で右折、西に向かい、喜志大橋を渡って、石川自転車道(左岸・西岸の道)に復帰。石川サイクル橋で再び右岸(東岸)に渡り、佐備川が石川に流れ込んでいるところに架かる大伴橋の手前で左折し、府道33号・富田林太子線を東へ。突き当りの大ヶ塚交差点まで来て、さて何処へ行くつもりなのかと自問しても答はなし(笑)。時刻もそろそろ帰り支度をした方がいいと促しているので、引き返すことに。 この付近の地名は北大伴町とか南大伴町である。大伴氏と関係あるのかないのか存じ上げぬが、ヤカモチ銀輪散歩なら、大伴の地で引き返すというのも一つのキリというものである。 石川サイクル橋に戻る。(石川サイクル橋・東岸側から) この橋は、その名が示すように、自転車・歩行者専用の橋である。(同上・西岸側から) ここで、タバコを一服とベンチに腰を下ろすが、ライターを持たずに家を出たようで、是非に及ばず、水分補給のみで「煙分補給」はお預け。家を出て、既に3時間以上にもなるのに、タバコのことが頭に浮かぶことはなかったので、ライター不所持を今頃になって気づいたという次第。 このアト、河川敷の自転車道を走るので、コンビニがある訳もなければ、柏原市に入って、近鉄安堂駅の先のコンビニまで禁煙するしかない。 あとは、ひたすら走るだけ。 石川自転車道に別れを告げ、大和川を渡り、コンビニでライターを買い求めて、煙分を補給して一息つけてから、恩智川沿いの道に入る。 柏原市、八尾市を経て、東大阪市域に入る。 池島の集落に入ったところで、こんな燈籠がありました。(池島神社の石灯籠) と言っても、今回初めて気が付いた訳ではない。何度もこの前を通っていて、下掲の説明版も読んでいて、その由縁も承知しているのだが、ブログに取り上げる気もしなかったので、撮影することなく今日に至っていたという次第。 今回の記事カテゴリが「近隣散歩」であるから、これ位を載せないことには、カテゴリと記事内容に齟齬をきたす、ということでの無理矢理採用であります。(同上・説明版) このアト、花園中央公園に立ち寄って、帰宅。 銀輪散歩、無事終了です。 久々のロングライドで、足はそこそこ疲れたけれど、ケツはそれほど痛くはなかった、というのが結論。 これで起承転結、相整い候かと。<参考>近隣散歩関係過去記事は下記から。 近隣散歩(その1) 近隣散歩(その2) 花関係記事は下記から。 花(1) 花(2) 花(3) 花(4)
2020.05.13
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昨日は、ヌートリアの出現で、「花」カテゴリではない記事で気分転換となりましたが、今日はまた「花」カテゴリの記事となります。 直近の「花」の記事(一昨日)の末尾は、大伴家持の次の歌でした。八千種の 花はうつろふ 常磐なる 松のさ枝を 吾は結ばな こんなことを言ってしまっては、花散歩打ち切り宣言みたいなものであるから、ヤカモチが修正宣言をすることとします。うつろへど 花は咲くもの 懲りずまに 変らずのちも 吾は遊ばな ということで、花散歩開始であります。(ニワゼキショウ)<参考>ニワゼキショウ・Wikipedia はい、ニワゼキショウ(庭石菖)です。 再開にしては地味過ぎる花かも知れないが、小さな花が好みのヤカモチの花散歩としては、上々の出だしというものである。 ショウブ科ショウブ属のセキショウ(石菖)に葉が似ていることと庭先によく咲くことからニワゼキショウと名付けられたようであるが、こちらはアヤメ科ニワゼキショウ属である。 この花は受精すると一日で萎んでしまうから、上の写真のように群れ咲いて目立つのは朝のうち。夕方に同じ場所に来てみると、花はさほどには目立たないということになる。(同上) 花は、白または白紫色のものと赤紫色のものがある。 花の中心部は黄色。中心付近の花弁が紫色や黄色に色づいている。 ニワゼキショウにも色々な種類があるようですが、その区別などはイマイチよく分からない。オオニワゼキショウは花が淡青白色でニワゼキショウよりも花が小振りで、草丈が高い、などと説明されているが、両者の交配種もあるようで、その区別は容易ではなさそう。 虫の視線で撮ってみると。(同上) 既に実もたくさんなっている。(同上)(同上)(同上) 上の花は青い色素が形成されない形質なのか、花弁の中央を走る線も黄色である。よく見かけるのは下の写真のような紫色の線が走り、中心部近くの黄色の周囲が紫色に着色した花である。(同上) それともう一つ、赤紫色の花もよく見かける。(同上) 光線の関係か、こんな風に撮れた写真も。(同上) 見上げれば、葉桜の木。草茂る 道刈りあけて 山里は 花見し人の 心をぞ知る (山家集175)という西行さんの歌がある。 花が散ってしまうと、花見に訪れた人たちも、誰一人見向きもしなくなるということを詠んだものだが、ヤカモチも同様で、ニワゼキショウの花に目が行ってしまって頭上の桜の木に気が付かなかったのでありました。山里の 花見し人に あらざれど 庭石菖に うつつ行くわれ (花家持) さて、小さき花ばかりだと肩が凝る(笑)。 先日のブログで、「花」ブログ記事用に撮影ストックした写真の在庫も残り少なくなったというようなことを書いたら、ブロ友のひろみちゃん氏から「オオヤマレンゲがそろそろ咲く頃だから、これを撮られたらどうでしょうか。」というようなご助言がありました。 それで、喫茶・ペリカンの家に立ち寄るついでか、花を撮るついでに同喫茶店に立ち寄ることにしたのか、定かではないが、オオヤマレンゲを今年も撮影して来ましたので、これを紹介します。(オオヤマレンゲ) この花の純白はいつ見ても美しい。 まだ、ほとんどが蕾であったが、3~4輪ばかりは咲いていました。(同上) 西行さんが「夜さへさらす布」と詠んだのは卯の花であるが、オオヤマレンゲの白さも、そのような白さである。<参考>まがふべき月なき頃の卯の花は夜さへさらす布かとぞ見る(山家集177)(同上) 上の写真では、何かの虫の幼虫が居候して居りましたが、これもご愛嬌であります。 PCの写真ストックを渉猟していると、古い写真ですが、フォト蔵に未登録の花の写真がありました。ハマナスの花ですが、何処で撮ったものか記憶がはっきりしない。 しかし、そろそろこの花が咲いていてもいい季節。 ということで、フォト蔵に登録し、花散歩記事に採用です。(ハマナス・白花) オオヤマレンゲの花びらはやや厚手。 ハマナスの花びらは薄手。こちらの方が夏向きです。(同上) この花の白さもいい。白妙の 衣重ぬる 浜茄子の 花にそよ吹け 初夏の風 (白家持) これも西行さんの下記歌が元歌です。白妙の 衣重ぬる 月影の さゆる真袖に かゝる白露 (山家集630) 今日は、西行デーであります。(同上) ピンクの花も。(ハマナス・赤花) 白花もいいが、赤花もいい。(同上)くれなゐの 色に染み行く 浜茄子の 花に夕日の 影も添ひたる (夕家持) はい、西行さんの歌はこれです。紅の 色に袂の しぐれつゝ 袖に秋ある 心地こそすれ (山家集704)(同上) 今日は、花らしき花にて、比較的まともな花散歩となりました。<追記・参考> 花関連の過去記事は下記をクリックしてご覧ください。 花(1)2007~2011 花(2)2012~2016 花(3)2017~2020.3. 花(4)2020.4.~
2020.05.10
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偐山頭火氏のコメントで、「か」と「ま」の続きの摩訶不思議な話を、というご要望がありましたが、今日は、「か」と「ま」の続きの話ではなく、「か」と「ま」の間にある「ぬ」の話であります。 というのも、昨日の銀輪散歩で思いもかけない動物を見かけたからであります。 場所は恩智川。 外環状道路(R170号)の鷹殿交差点西側、恩智川に架かる三六橋の下付近でのこと。大きな鯉が泳ぐ中に妙な動物が泳いでいる。(ヌートリア?) 橋の上から川面を覗いていたのだが、最初にそれに気づいた時は、背中を見せて、橋から遠ざかって行くところであったので、後ろ姿。何とも不明。 頭からお尻までの体長は40~50センチ位、猫程度の大きさだが、尻尾はネズミのそれのように黒っぽく細長いひも状。ネズミにしては巨大過ぎる。 幸い、右に旋回してコチラ向きに方向転換、顔が見えた。(同上) 何だか見たような気がする動物。カピバラを小さくしたような奴。 しかし、名前が思い出せない。 結局、帰宅し、「ネズミの仲間」でネット検索してヌートリアという名前を目にするまで「ヌートリア」という語は思い出せなかったのであるが、この字を見た瞬間に、これだと思い当たったのではありました。 勿論、ヌートリアの実物を見たことなどないので、断言はできないのであるが、こいつはきっとヌートリアに違いないと思ったった次第。(同上)<参考>ヌートリア・Wikipedia しかし、何故、ヌートリアが恩智川にいるのか? ヌートリアは南米が原産地。 ウィキぺディアによると、その事情は次のようだ。 「日本では、大日本帝国陸軍向けの毛皮採取を目的として導入されたが、第二次世界大戦終戦後、需要が激減したことに伴い、飼育されていた個体の多くが野外に放逐された。また、1950年代の毛皮ブームでは、本種の飼育が流行したが、その後の毛皮価格の暴落に伴い、このときも多数の個体が野に放たれ、野生化している。これらの子孫が各地に定着し、やはり特定外来生物のアライグマと同様に、野外繁殖が問題となっている。」 アライグマとかハクビシンとかのことは知っていたが、このヌートリアも特定外来生物に指定され、防除対象となっている動物であったのでした。 わが恩智川もヌートリアにノットラレないようにしなければならないが、その駆除は大変そうだ。(同上) 珍しい動物と遭遇したと喜んだヤカモチでしたが、歓迎されない有害生物とあっては、喜んでもいられないということです。 さりとて、どうすればいいのか。 アライグマに関して、以前、市の担当課へ電話で問い合わせしたことがあり、その時の経験から、市は害獣駆除には少しも熱心ではなく、面倒くさいということがよくわかる応対であった経験からして、市役所に通報しても駆除に動き出すとは思えないから、放って置くこととしよう。 それでなくとも今はコロナ、コロナで、ヌートリアどころではないだろうから。 彼は、悠然と泳ぎ、花や葉をすっかり落としてしまって、荒れ放題の藪といった状態のセイヨウカラシナの草むらに消えて行きました。 今は、恩智川には大きな鯉がウジャウジャといるが、その鯉に負けぬ位にヌートリアがウジャウジャと増えたら、さぞや不気味な川となることであろう。 それはともかく、ブログ的には助かりました(笑)。 そう言えば、今年は子年でした。ブログネタ 尽きんとする日 ヌートリア ぬっとや出でて 助太刀すらし (鼠小僧)
2020.05.09
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今日も「花」ですが、普通には「花」とは言わない花であります。 昨日のカエデが「か」文字であったので、今日も「か」文字続きで樫の木、カシであります。 時期的には、もう殆どのカシが花を落としてしまっていて、木の根元付近をを中心に、その周囲を薄茶色に染めて、その残骸が堆積しているのではないかと思いますが、これは4月16日撮影の写真です。(カシの花) これではちょっと分かりにくいので、もう少しズームアップして。(同上) カシは雌雄同株。 このように垂れさがっているのは雄花。雌花は若枝の付け根に直立した短いもので、目立ちにくいので、撮影は難しい。 カシにも、アラカシ、アカガシ、シラカシ、イチイガシ、ウバメガシ、ウラジロガシなどと、色々種類があるようですが、この木がなんというカシなのかまでは分かりません。関西地方にはアラカシが多いというからアラカシかも知れないし、木肌が赤っぽく写っているからアカガシかも知れない。(同上) カシの出て来る歌は、万葉集に短歌2首、長歌1首の計3首ある。長歌は高橋虫麻呂の「河内の大橋をひとり行く娘子を見る歌」で、ひとりにかかる枕詞の「橿の実の」という形で使われている。<参考>河内の大橋をひとり行く娘子を見る歌については下記記事参照 第2回ナナ万葉の会 2014.5.22.(現代語訳付き) 銀輪散歩・霞立つ野の上の方に 2014.3.2. カシの実は、殻に一個の実がなるので、「ひとり」にかかる枕詞になったと考えられている。 短歌の方は、額田王の歌と柿本人麻呂歌集歌の2首であるが、額田王のそれは上二句が未だ解読されていない難訓歌である。 どなたか解読に挑戦なさいませんか。莫木囂交圓隣之大相七兄爪湯気 わが背子が い立たせりけむ 厳橿が本 (額田王 万葉集巻1-9)手に余る 歌にしあれり 額田なる おほきみ詠める むつ橿が歌 (獏家持) 額田王の上二句は意味不詳であるが、三句目以下は「わがいとしい背の君が立っていらしたであろう、神聖なカシの木の下」という意味である。 「厳(いつ)」という字が付されているのは、それが神聖なものであることを意味する。 もう一つの柿本人麻呂歌集の歌はこれ。あしひきの 山道も知らず 白橿の 枝もとををに 雪の降れれば (柿本人麻呂歌集 万葉集巻10-2315) 白橿も神聖な木。古事記歌謡にも「御諸の厳白檮がもと・・」というのがあり、「厳」が付されている。神武天皇が即位した地が橿原であるというのも、橿を神聖な木とする考え方と無関係ではあるまい。 ところで、カシは、今は「樫」と表記するが、万葉集では「橿」と表記されている。「樫」というのは日本で作り出された国字であって、中国からの漢字ではない。中国で「橿」と言えばモチノキまたはマユミの木のことであるという。万葉人はカシに「橿」という字を当てたのである。 昨日の記事の「楓」とよく似ている。 こういうケースは他にも多くあるのだろうと思うが、今思い浮かぶ例としては「柏」だろうか。「松柏」という言葉があるように、「柏」はあの柏餅を包む葉の「カシワ」ではなく、本来はヒノキ(桧、檜)のことであった。それが、どこで間違ったか、カシワの木の表記としてしまったのである。 ということで、松柏の柏ではなく、松の花に話を進めます。 と言っても松花堂弁当の話ではなく、文字通り、松の花の話である。 以前に、アカマツの雄花、雌花の写真を掲載したことがあったが、今回はクロマツ(だろうと思うのであるが)の雄花、雌花である。(松の花<雄花>) 側面から伸びている茶色のものが雄花である。 雌花は先端部分に「咲く」(と言っていいのなら)。(同上<雌花>) 植物には、裸子植物と被子植物とがあって、松は裸子植物である、などということは学校で教えられて知識としてはあるものの、さて裸子植物の花の構造などについては、詳しいことを教えられたのかどうだか怪しい、教えられたが忘れてしまったのか、或いは覚えぬままスルーしたのか、よく理解していない。 従って、このアト、松ぼっくりがどんな具合に生るのか、イマイチよくイメージできないヤカモチであります。この花の観察、今後も継続する必要があるということになります。(同上) 松の万葉歌は多くある。萩や梅やもみぢの歌には及ばないが、桃や橘などと並ぶ多さで、桜よりもはるかに多く詠われている。 しかし、松の花を詠んだ歌はこの1首だけではないかと。松の花 花数にしも わが背子が 思へらなくに もとな咲きつつ (平群女郎 万葉集巻17-3942) この歌は平群女郎が大伴家持に贈った歌であるが、家持からの返歌は残されていない。この歌は下記参考記事にも現代語訳付きで掲載していますので、ご参照下さい。<参考>客坊谷から らくらく登山道へ 2020.4.13. その他の松の万葉歌もいくつか挙げて置きましょう。白波の 浜松が枝の 手向け草 幾代までにか 年の経ぬらむ (川島皇子 同巻1-34)(白波が寄せる浜辺の松に、掛けられた手向けの幣は、どれほどの年月が経ったのであろう。)磐代の 浜松が枝を 引き結び 真幸くあらば また還り見む (有間皇子 同巻2-141)(岩代の浜の松の枝を引き結んで、幸いにも無事であったなら、また帰りに見ることだろう。)一つ松 幾代か経ぬる 吹く風の 声の清きは 年深みかも (市原王 同巻6-1042)(一本松よ、お前は幾代を経たのか。吹く風の音が清らかなのは、長い年月を経て来たからなのか。)八千種の 花はうつろふ 常磐なる 松のさ枝を 吾は結ばな (大伴家持 同巻20-4501)(諸々の花は色あせ散ってしまう。常緑樹である松の枝を、私は結ぼう。) 本日は、「か」文字と「ま」文字の植物でありました。
2020.05.08
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花散歩記事用の写真在庫も残り少なくなってまいりました。 そろそろ、取材に出歩かなければならないか。 それはともかく、今日は、カエデの話。 昨日の記事が「カモジグサ」で終わりましたので、「か」文字草ではないが、同じく「か」文字の木であるカエデを取り上げる次第。 モミジと言えば、カエデのことを言う場合が多い。 カエデの品種名で〇〇モミジというのもあったりするから、カエデとモミジは一体化しつつある。そんなこともあって、カエデが脚光を浴びるのは秋というのが相場となっている。 しかし、五月の若カエデも秋のそれに劣らず美しい。見方によれば、秋よりも美しいかもしれない。(青楓) カエデは漢字では楓と書く。 中国では「楓」と書けば「木犀」のことらしいが、日本ではカエデのことである。 しかし、昔からずっとそうであったかと言うと、そうでもなくて、平安時代初期には「楓」と言えば「桂」のことであったようです。 万葉集の歌でも「楓」と書いて「かつら」と読ませているのがある。もみちする時になるらし月人の かつらの枝の色づく見れば (巻10-2202)(原文)黄葉為 時尓成良之 月人 楓枝乃 色付見者 新撰字鏡には「楓 香樹 加豆良」とあり、倭名類聚鈔には「楓 一名攝 風攝二音 和名乎加豆良」とあることからも、楓を「かづら、かつら」と読んだのは確かである。 今、我々が「桂」と呼んでいる木は、雌雄異株で、雄株のカツラと雌株のカツラとがあり、雄カツラに「楓」という字を当て、雌カツラに「桂」という字を当てたのである。そして、一般に「かつら」と言えば雄カツラである「楓」のことを意味したのである。 上の万葉歌の意味は「黄葉する時になるらしい。月の男がかざすかつらの木の枝が色づくのを見れば。」というもの。 古代の人は、月には桂の巨木が生えていて、それが黄葉するので、秋の月はひときわ鮮やかに輝くのだと考えたよう。 これは、古代中国の伝説によるものである。<参考>西陽雑俎・前巻1・天咫、其の他 「旧言、月中有桂、有蟾蜍、故異書言、月桂高五百丈」 ※蟾蜍=せんじょ。ヒキガエルのこと。 西王母の秘薬を盗んだ「こう娥」が月に逃げ 込み、ヒキガエルになったという後漢書の記 述による。 ※こう娥の「こう」は女ヘンに亘と書く。(同上) 新撰字鏡に「香樹」とあるが、桂の木には香りがないこと、中国で「桂」というのは木犀であること、などから、この木は「桂」ではなく「木犀」だとする説もあるとのことだが、「楓」「桂」だけでもややこしいのに「木犀」まで割り込んで来ると、何の話をしているのか分からなくなるので、木犀のことは無視します。 ともかく、月には桂があると古代の人は考えた。 月桂を攀じる、という言葉は「出世する」という意味で使われるが、ここで、月桂樹というクスノキ科の常緑樹のことが思い浮かぶ。この木は地中海沿岸原産の木で、ギリシャ・ローマ世界では神聖な木(アポロンの聖樹)とされ、古代ギリシャではこの若枝で編んだ月桂冠を勝利者や優秀な者に授与するということが行われた。 古代中国の月桂と古代ギリシャ・ローマ世界の月桂樹との関係がどうなのかは知らぬが、世界の中心に、天界・地上界・地下界を貫く、聖なる巨大な1本の木(宇宙樹、世界樹)があって、それが世界の秩序を体現しているという思想は、広く世界各地の民族の伝説に見られることであるので、根は同じものであるのだろう。 月桂樹はクスノキ科であるから芳香がある。ローリエはこの葉でハーブとして料理に使われる。英語ではローレルで、わが母校の前身たる旧制高校寮歌の歌詞にもローレルという言葉が含まれて居り、その同窓会の名称はローレル会と称していたかと記憶する。 話が脱線しているようだが、「かつら」が香樹だとしている新撰字鏡の記述からは、この月桂樹こそが相応しいのではないか、ということを言ってみたかったのであります。月桂樹も雌雄異株であるから、この場合は、雄株の月桂樹が「楓」ということになる。 木犀を無視したのに、月桂樹が割り込んで、益々ややこしいことになりました。 話を戻して、月が秋にひときわ美しくなるのは月の桂が色づくからだということを、もっと端的に詠っている歌が古今集にある。久方の 月の桂も 秋は猶 もみぢすればや 照りまさるらし (壬生忠岑 古今集巻4-194) さて、ここまでは「楓」という漢字に、導かれての話にて、カエデよりもカツラ(桂)の話になってしまいました。 ここまでは序論、そろそろカエデの本論に入ります。 長い序論やなあ~。 すみません。(同上) カエデは万葉では「かへるで」である。わが屋戸に もみつかへるで 見るごとに 妹を懸けつつ 恋ひぬ日は無し (大伴田村大嬢 万葉集巻8-1623) この歌の「かへるで」は、原文では「蝦手」である。子持山 若かへるでの 黄葉もみつまで 寝もと吾わは思もふ 汝なは何あどか思もふ (東歌 万葉集巻14-3494) この歌の「かへるで」は、原文では「可敝流弖」である。 新撰字鏡では「鶏冠樹、加戸天」とあり、倭名類聚鈔では「楊氏漢語抄云鷄冠木 賀倍天乃木 辨式立成云 鷄頭樹 加比留提乃木 今案是一木名也」とある。 蛙の手だけでなくニワトリのトサカまで話が広がっては収拾がつかなくなるので、話はここまで。(注)鷄冠木、鷄頭樹の「鷄」は、原文では「鳥」を「隹」にした字である。(同上) 蛙については、カエルに対してカワズという言葉もある。 万葉集でも、河津、川津、川豆、河蝦などの表記で「蛙」の歌がある。 この両語は、かえる(旧仮名では「かへる」)は日常語、かわず(旧仮名では「かはづ」)は歌語として使い分けがされて来たようである。 カエデの葉が蛙の手に似ているから「カエルデ」と呼ぶようになったというのも、それは日常生活の中でのこと。それは、口語的世界の中で生まれた自然発生的な語であるから、「かえるで(かへるで)」なのである。文語的世界の言葉である歌語の「かはづ」と結びついて「かはづで」などという語は生まれようもなかったのであろう。 万葉の「かはづ」は、河鹿、カジカガエルのことである。 万葉の蝉がすべてヒグラシであるのと同じ。 彼らはこれらの生物を視覚的に認識して歌に詠んでいるのではなく、その鳴き声を聴覚的に認識して詠んでいるのである。 よって、万葉の蛙と蝉は「声優」だということになる。(同上) そのカエデですが、花園中央公園では、早くも実を付けている木もありました。(カエデの花と実) 天才バカボン風に言えば、トンボとカエルが結婚するとトンボガエルなのだ、ということになるが、トンボとカエデが結婚したら竹トンボになるのかもしれない。カエデの実は竹トンボとよく似た形をして居り、飛ぶ原理も同じである。 結局、本論の方もカエデの話よりもカエルの話になってしまいました。 しかし、今日はこれでいいのだ。おしまい。
2020.05.07
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さて、本日も「花」の話。 話にも、「身近な話」もあれば「短い話」もあり、「耳寄りな話」もあれば「片寄った話」もある。「耳の痛い話」もあれば「片腹痛い話」もある。 「まどろっこしい話」は「退屈な話」、聞いているだけで目がとろんとなり、まどろみ始めるというもの。 「まどろむ」というのは「目(ま)泥む」が語源ではないかと思うが、ヤカモチ的「耳寄りな話」に碌なものはないのだから、まどろみつつこれを聞くべしというのが、上のタイトルの意味にして、目と耳を並べて洒落としたつもり。 しかし、目と耳では目鼻がつかぬことで、この先の話の成り行きは推して知るべしであることを、お断り申し上げて本題に入ります。 ミミナグサということで、耳よりな話という何の工夫もない駄洒落から入るあたりがヤカモチ的なのであります。 今日の花散歩は、オランダミミナグサから。(オランダミミナグサ) ハコベによく似た白い小さな花を咲かせるこの草。どこででもよく見かける雑草であるが、オランダなどというインターナショナルな名が示すようにヨーロッパからの帰化植物である。 ミミナグサ属の植物。 ミミナグサ、オランダミミナグサ、オオミミナグサ、オオバナノミミナグサ、コバノミミナグサ、ミヤマミミナグサ、タカネミミナグサ、クモマミミナグサと山のてっぺんから雲間にまで進出という草である。一方でタガソデソウ(誰が袖草)などという洒落た名をもらっているこの仲間もいる。 これらの区別はヤカモチが事に非ずでありますが、ミミナグサとオランダミミナグサとの区別位は知って置いてもいいのではないかと思う。(同上) 先ず、萼片と花弁の長さである。 ミミナグサは萼と花弁の長さがほぼ同じ。従って、蕾段階では花弁が萼に隠れてしまって、ほぼ見えないということが多い。 これに対して、オランダミミナグサは花弁の長さが萼片と同じかそれよりも長い。従って、蕾段階でも花弁が外にはみ出ているのが普通。 オオミミナグサやオオバナノミミナグサなどは花弁が萼よりもはるかに長いので、大きく花弁がはみ出しているのだが、オランダミミナグサはそれほどでないが少しはみ出していることが多い。 普通よく目にするのは、ミミナグサとオランダミミナグサであるから、はみ出しているのはオランダミミナグサと判断してもいいだろう。(ミミナグサ) もう一つの区別方法は、花柄の長さである。 ミミナグサは茎から萼片の長さと同じくらいの長さの柄が伸びてその先に花を付ける。これに対してオランダミミナグサは花柄がほとんど無く、茎に直接くっ付くようにして花を付ける。 三つ目の違いは、上のミミナグサの写真のように、茎や葉や萼片が赤紫がかった色になっているのに対して、オランダミミナグサは緑色である。(オランダミミナグサ)<参考>オランダミミナグサ・Wikipedia 普通、道ばたや公園で見かけるのは殆どがオランダミミナグサである。田んぼの畦道など、田舎で見かけた場合は、ミミナグサであることもあるので、上の区別方法で見分けるといいでしょう。 で、見分けてどうするの? それを言っちゃあ、おしめぇよ。 次は、ノゲシとオニノゲシ。(ノゲシ<左>とオニノゲシ<右>)<参考>ノゲシ・Wikipedia オニノゲシ・Wikipedia これは、過日の枚岡梅林で並んでいるところを見つけたもの。 両者が並ぶと、その体格の違いが一目瞭然ですが、これは左側のノゲシが余りにも貧弱過ぎたせいで、違いが強調され過ぎています。(オニノゲシ) 名前に「鬼」と付くだけあって、いかにも荒々しい出で立ちである。 鬼野芥子と言うからには、こうでなくてはならない。鬼とふは かくにこそあれ 棘とふ棘 猛り怒れや 葉にたて波うて (偐鬼) 次はカモジグサ。 これも枚岡梅林でのもの。(カモジグサ)<参考>カモジグサ・Wikipedia(同上) かもじ、であるから髪のこと。 しかし、これは茶髪にて黒髪ではない。(同上) やっぱり茶髪ですな。わが丘は 紫立てる 茶のカモジ 黒髪山の カモジ見が欲し (緋文字)(カモジグサとカラスノエンドウ) か文字なら私も「か」文字、とカラスが割り込んで来ました。(同上) 確かに、カラスも「か」文字には違いない。 それにしても、カラスノエンドウと言うに、これではカラスノブエンリョではないか。 「今日はカラスの話ではなく、髪の話だ。」と言うも、 「髪は烏の濡れ羽色」などと言って、ひき下がろうとしない。(同上) こんなのを相手にしていたら、鴎も亀も蟹も蚊さえも「私も『か』文字」とやって来て、どさくさ紛れに特殊サギなんかも参加し兼ねず、収拾がつかなくなると危惧されましたので、早々にお引き取り願いました。 要請ではなく指示でありました。 さすがに「神様」は「ワシも『か』文字であるぞよ」などとは仰らないかとは思いましたが。 ということで、一件落着。 みみ寄りな話も、花だけに、お決まりの「実のない話」となりました。
2020.05.06
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昨日は偐万葉で気分転換しましたので、本日はまた「花」であります。 コロナ対策で撮り集めた「花」の写真がまだかなり在庫があります。 ヤカモチ的花散歩は、花らしくない花が多くなるので、先ずは誰が見ても花だろうという花から。(ハルジオンとイヌガラシ) 秋に咲くシオン(紫苑)は、オニノシコグサ(鬼の醜草)、ジュウゴヤソウ(十五夜草)、オモイグサ(思い草)などの別名を持ち、大人びた女性の雰囲気なのに対して、春に咲く、このハルジオン(春紫苑)は少女っぽいというか、童女のようなイメージの花である。(注)紫苑の「苑」は正しくは、草カンムリに宛と書くのであるが、当ブログでは使えない文字なので、便宜的に苑と表記している。 これによく似たヒメジョオン(姫女苑)はハルジオンより少しお姉さんっぽい感じか(笑)。(ハルジオンとキツネノボタン) ハルジオンは黄色の花と相性がいいのだろうか。イヌガラシやキツネノボタンが寄り添っているのが面白い。 狼の中でおとなしい性格の奴を飼いならし、何代にもわたって人間は犬と共に生きてきた。だから、犬はヒトになつくが、狐はヒトをだますことはあってもなつくことはない。 しかし、ハルジオンにはイヌは勿論、キツネもなついているようだ。 ピンク系統の花と黄色系統の花で小さな花と言えば、アメリカフウロとカタバミであるが、この両者も時に寄り添っていることがある。 しかし、この両者の場合は、「寄り添っている」という感じではなく「競り合っている」という感じがするのは何故だろう。(アメリカフウロ) フウロもカタバミも色々な品種があって、ややこしい。(カタバミ)(同上) 黄色の花では、ヘビイチゴ(蛇苺)のそれも可愛い。(ヘビイチゴ) 次はマツバウンラン(松葉海蘭)の接写です。(マツバウンラン) ツタバウンランやムラサキサギゴケ、トキワハゼ、カキドオシなどが地を這うようにして咲くのに対して、マツバウンランは細長い花茎をすっくと立てて、高い位置に咲くので、彼らと見間違うということはない。中空に浮かんでいるように咲いているのである。 群生して咲き、風に揺れている様は格別である。(同上)わが恋ふる 松葉海蘭 咲きたれば そよとこそ吹け 初夏の風 (海蘭家持)(同上) 上の写真でもお分かりのように、この花の付き方は独特である。花弁と反対側に伸びている細く白い尻尾のようなものは何であるのか。 調べると、これは距(きょ)と言うらしい。花冠の基部が後ろに飛び出たもので、スミレなどでも見られるとのこと。ツリフネソウを連想したがそれと同じ構造なんだろう。ツリフネソウの距はクルリと巻いていたりするが。 この辺りから、花散歩もヤカモチ的となってまいります。 ウラジロチチコグサ(裏白父子草)です。(ウラジロチチコグサ)(同上) チチコグサも、チチコグサモドキなどという偐家持みたいな奴もいてややこしいのだが、この仲間の花は、ノボロギクと同じで、花は全て筒状花(管状花)である。舌状花はないので写真の状態で開花ということになる。(同上) キク科の花のような場合、開花というのは、蕾の状態から舌状花の花びらが外側に開くことを言うのだから、その花びららしきものが筒状・管状になっている筒状花(管状花)のみで構成されているこの花には、そもそも開花という概念は存在しない。 しかし、もっと花らしくないのがオオバコ(大葉子)。 先日、ブロ友のふろう閑人氏がヘラオオバコの写真を記事アップされていましたが、今日アップするのは別のオオバコである。普通のオオバコより、何やら毛深いというか、白い繊毛が葉や茎に密生していることから、エゾオオバコではないかと思ったのだが、その名の通り北海道や本州日本海側の海岸べりに見られる植物だとも説明されているので、わが地元の恩智川べりという発見場所から考えると、別のオオバコであるのかもしれない。(エゾオオバコ?ではなくツボミオオバコでした。) オオバコ属には、在来種では、オオバコ、エゾオオバコ、ハクサンオオバコ、トウオオバコなどがあり、日本に定着している帰化品種のオオバコについては、ヘラオオバコ、セイヨウオオバコ(オニオオバコ)、エダウチオオバコ、ツボミオオバコ(タチオオバコ)などがあるが、そのどれであるかは今のところ定かではない。<追記>本日(2020年5月27日)、上のオオバコは下掲の写真のような姿になっていましたので、エゾオオバコというのは間違いで、どうやらツボミオオバコのようです。(ツボミオオバコ 2020年5月27日の姿)(同上) 細かい繊毛がびっしりと生えている。 普通のオオバコはこんなに毛深くないという気がするので、エゾオオバコではないかと思ったのであるが・・。(同上) 道路の反対側に生えていた別のオオバコの穂を接写してみたが、こちらは余り繊毛が目立たない。上のオオバコとは品種が異なるのだろうか。 この点を除けば両者に余り差異が認められないので、何とも言えない。(同上?) オオバコの花には雌性期と雄性期があり、雌性先熟で、雌蕊が先に出、それが受粉して萎れた後に、雄蕊が出て来るとのこと。自家受粉を回避するためのシステムなんだろう。上の写真の褐色のものは、どの段階なんだろう。エゾオオバコの葯は濃紫褐色とあるから、それが顔を出した段階なのかもしれない。 オオバコは、穂茎と穂茎を交差させて互いに引き合い、茎の断裂した方が負け、という草相撲をして遊んだ草であるが、最強のオオバコはどのオオバコであるのだろう。 ヘラオオバコが背丈も高く、大型で立派なので、これが最強かもと思ったが、踏まれても大丈夫という強い耐性を持つのはオオバコで、ヘラオオバコにはそのような耐性はないとも説明されているから、やはり最強なのは子どもの頃に草相撲した、普通のオオバコなのかもしれない。エゾオオバコなどは、茎が柔らかそうで草相撲では弱そうである。 まあ、草相撲も春場所と秋場所では状況は異なるのかもしれないので、一概にどうとは言えないのかもしれませんが(笑)。 今日は、これ位にして置きます。 クサについての、まとまりのない、胡散クサい話でした。<追記・参考> 花関連の過去記事は下記をクリックしてご覧ください。 花(1)2007~2011 花(2)2012~2016 花(3)2017~2020.3. 花(4)2020.4.~
2020.05.05
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偐万葉・どち篇(その5) このところ、「花」カテゴリの記事ばかり続いていますので、ちょっと気分転換です。 偐万葉シリーズ、第312弾、偐万葉・どち篇(その5)とします。<参考>過去の偐万葉・どち篇はコチラから。1.岬麻呂関係 偐家持が岬麻呂に贈りて詠める歌20首 わが背子の さきくあれとそ さきしまに さがりばなはも 咲きのこりたる (20191225<247>サガリバナ)緋桜の 妹との旅の 名残りとて 虹も立ちける 残波(ざんぱ)の岬 (偐岬持) (20200208<249>残波岬) はろばろと 来(こし方思ほゆ 妹と我 虹も二輪に 立ちてぞあれる (偐虹持)ゆるやかに 時は流るる 与那国に 恋ひてそわが来(こ)し 風さやに吹け (偐岬持)樫の実の 一人行くらむ わが背子の 西の果てなる 与那国の旅日の本の 西の果てなる 今日の日の 最後の夕日 見らくしよしも (夕日家持)砂踏みつ 蘇鉄トンネル 越え行けば 金見が崎に 灯台見ゆる (偐岬持)徳之島の 北の果てには 花崗岩の 筵あるとふ いざ行きて見む (偐岬持)ほのほしの 浜に寄す波 いちしるく 白木綿花(しらゆふはな)に 咲きてそあれる (偐岬持)綾糸の 手毬の岬(さき)の へに立ちて 君しなに問ふ 青海原(あをうなはら)に (偐岬持)あかあかと はるか室戸の 岬(みさき)より 夜は明けゆきぬ 土佐の旅かな (偐岬持) (20200325<253>室戸岬を望む夜明け)20200325<253>白石の 千本桜 帯にして 花越しはるか 雪山蔵王 (雪花家持)若松の 城はひがんの 盛りにて 染井吉野は まだかと待ちぬ (鶴家持)大峠 のこれる雪を 踏み来れど いまだふふめり 上杉ざくら (米沢家持)石鳥居 烏帽子の杜に 高々と 花まとひつつ 青空を突く (烏帽子家持) (20200416<247>烏帽子神社)鶴岡は 花の盛りぞ 酒汲みて 清兵衛殿と 見むよしもがも (たそがれ家持)花日和 日和の山を わが二人 行けば酒田は 春盛りなり (花岬持)最上川 そひつつ行けば 新庄の 園に人なく 花のみぞ咲く (新型家持)将棋盤も 手持無沙汰か 人ひとり 花が見てゐる 天童公園 (コロナ家持)岬めぐり とて始めたる 麻呂の旅 いつよりなりし マンホール旅 (人孔家持)(注)1.掲載の歌、写真は岬麻呂旅便りシリーズ記事に掲載の歌の再掲載です。 2.掲載写真は全て岬麻呂氏撮影によるものです。 3.岬麻呂旅便り記事はコチラから。 4.岬麻呂関係歌はどち篇(その1)(その3)(その4)にも掲載。2.愛媛関係 愛媛は「めごひめ」と読みます。ヤカモチがつけた勝手名です。 愛媛さんは、ヤカモチ馴染みの喫茶店・ペリカンの家に時々お手伝いに来て居られる薫郎女さん(店主のももの郎女さんのご友人でもある)のお嬢さんです。今年から小学1年生の可愛い女の子であります。 偐家持が愛媛に贈りて詠める歌1首貝貝と わがめご比売(ひめ)は 宮古島の 旅づとなりと くれにしわれに (貝家持)(本歌)今日今日と わが待つ君は 石川の 貝に交(まじ)りて ありといはずやも (依羅娘子(よさみのをとめ) 万葉集巻2-224) (20200405宮古島の貝)3.オガクニマン関係 オ氏はヤカモチと入社同期にて若い頃からの長い付き合いの友人。 偐家持がクニ麻呂に贈りて詠める歌3首これやこの 知るも知らぬも 居並びて 待つ苦もなきや 花くじらの前 (鯨家持)(本歌)これやこの ゆくもかへるも わかれては しるもしらぬも 逢坂の関 (蝉丸 後撰集1090 小倉百人一首10)めぐりあひて 語ればそれとも 思はぬに 写真に撮れば 老いの集まり (老式部)(本歌)めぐりあひて みしやそれとも わかぬまに 雲がくれにし 夜半の月かな (紫式部 新古今集1497 小倉百人一首57)コロナ冷え かこつオ氏より 架電あり よしなしごとの あれやこれやを (冷和家持)(注)オガクニマン氏のブログはコチラから。<参考>偐万葉・オガクニ篇はコチラから。4.もりた麻呂関係 もりた麻呂こともりた氏はひろみの郎女さんのご紹介で面識を得たお方です。友人の偐山頭火氏のブロ友でもいらっしゃいます。 偐家持がもりた麻呂に贈りて詠める歌2首さくら花 ちりぬる風の なごりとて 菜の花畑に 黄なる波立つ (黄貫之)(本歌)さくら花 ちりぬる風の なごりには 水なき空に 浪ぞたちける (紀貫之 古今和歌集巻2-89)いとまあらば たずねきてみよ らくらくの 登山道なり 枚岡の山 (枚岡家持)(注)もりた氏のブログはコチラから。 もりた麻呂関係歌はどち篇(その4)にも掲載。 今回の偐万葉・どち篇(その5)掲載のヤカモチ歌26首を加えて、偐万葉掲載のヤカモチ歌累計総数は5940首になりました。 これを関係個人別に集計すると、100首以上になるお方が18名居られますので、ランキング表風にまとめると次の通りです。1位 713首:ビッグジョン7777氏、2位 583首:英坊3氏、3位 435首:松風氏、4位 380首:大和はまほろば氏、5位 341首:ひろろdec氏、6位 340首:木の花桜氏、7位 286首:ひろみちゃん8021氏、8位 272首:真澄氏、9位 243首:ふぁみり~キャンパー氏、10位 238首:小万知氏、11位 237首:ふろう閑人氏、12位 174首:偐山頭火氏、13位145首:るるら氏、14位 135首:童子森の母氏、15位 133首:furano-crft氏、16位 130首:カコちゃん氏、17位 128首:もも☆どんぶらこ氏、18位 115首:カマトポチ氏 以上です。緊急事態宣言は今月末日まで延長ということが正式に決まったようですが、皆さまに於かれましても、ご自愛専一、どうぞお元気にお過ごしになられますように。感染は なほ警戒を 要すれば 今しばらくの 自粛願はむ (偐政府)Stay Home 見えぬコロナの 対策は 人皆貝に なれよと言ふや (蜆麻呂)厳しきを 耐へたる人に みなあれな アフターコロナの 日の本行かむ (難行)(本歌)さびしさに 堪へたる人の 又もあれな いほりならべん 冬の山里(西行 山家集503)
2020.05.04
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昨日(2日)は、午前中は月例の墓参、午後は隣の大東市辺りを徘徊の銀輪散歩でした。 府県境は越えるなと言われているが、市境を越えるのは構わないのだろう。まあ、不要不急であるが、健康維持に必要な範囲内の外出ということでお許しいただくことにしよう。 先ずは墓参。 墓参の折には必ずその前を通る「門前の言葉」のお寺、まだ工事が完了せずであるから、門前の言葉は「無し」であります。 門前の言葉を見たのは昨年の9月3日が最後。 翌月10月1日の墓参の際は、もう門が取り払われていましたから、工事は昨年9月中に始まっている筈。 従って、もう7ヶ月以上にもなるのだが、遅々として進まない工事であることだ。昨日現在の状況は、下掲写真の通りです。(門前の言葉のお寺の工事進捗状況) 塀の一部が出来上がっていましたが、以前の白壁塀がブロック塀という無粋なものに変わるようです。まあ、観光寺院ではないのだから、これでもいいかである。信仰は外見に非ずで、ブロック塀だろうと何だろうと、それは寺の本質とは関係のないことであり、どうでもいいことであります。 そんなことより、この緊急事態宣言下の今、どのような門前の言葉が掲出されるのか、ちょっと興味があったりもするので、このように門がなく、門前の言葉も見られないというのが、残念至極であります。 寺の手前の空き地に咲いていた花はこれ。 花が咲くまでは、道ばたでよく見かけるナガミヒナゲシかと思っていたのですが、咲き出した花を見ると、あのオレンジ色の花ではなく、薄紅色の花でした。 ということは、ヒナゲシということになるのか。(ヒナゲシか?)<追記>これもやはりナガミヒナゲシのようです。 こんな色の花もありました。 ヒナゲシということなら、コクリコであり、虞美人草ということになるが、それはナガミヒナゲシであっても同じことか。 「嗚呼皐月仏蘭西の野は火の色す君も雛罌粟われも雛罌粟」という与謝野晶子の歌からすれば、それは真っ赤なコクリコの花でなければならないというもの。このように薄紅色では「情熱」に欠ける。晶子のコクリコではなく、ヤカモチのコクリコがいいとこである。 しかし、項羽が垓下の戦いに敗れんとした時に愛人虞美人に贈った「虞や虞や汝をいかんせん」という悲しい詩には、この薄紅色の方が似合いかもしれない。 ヤカモチ的駄洒落だと、四面楚歌も四面楚花となる。(同上)<参考>垓下の戦い・Wikipedia 墓参を済ませて、墓地の奥の方に入って行くと、ヤエムグラが実を付けていました。やへむぐら はやもや花の 散りたれば 五月の風に 実のなるも見む (葎家持)(ヤエムグラの実)(同上) ヤエムグラの実をしげしげと見ることなど、これまでになかったことであるが、これもコロナのお陰かもしれない(笑)。 ヤエムグラは茎も葉も細かい毛がびっしりと生えていて、触ると少しチクチク、ザワザワする感じだが、実にもびっしり毛が生えているのでありました。(同上) 昨日、小万知さんから教えていただいたノヂシャの花も見かけました。 尤も、これは墓参の折ではなく、午後の銀輪散歩の時でありましたが。(ノヂシャ) 今回のノヂシャは青色が薄く白っぽい色であったので、ちょっと感じが違って見える。(同上) 同じく、午後の散歩で、キュウリグサとメキシコマンネングサとの競演の姿も楽しませていただく。(青いキュウリグサと黄色のメキシコマンネングサとの競演) どういう訳か、ヤカモチは、このような小さな、極小の花に心が惹かれるのであります。万葉人の花の好みもそんなようだということをどなたかが何かに書いて居られたのを読んだように記憶するが、ヤカモチも同様である。 尤も、万葉人が好んだ花というのも、ここまで小さい花ではなかったかと思うから、ヤカモチのそれは、行き過ぎです(笑)。 次は、10日ほど前、花園中央公園で見つけた小さな花。 オオイヌノフグリに似ている花なので、それを頼りに調べると、オオイヌノフグリはクワガタソウ属の植物であることが分かり、クワガタソウ属の仲間でこれだという花はないかと検索を続けると、オオカワヂシャが該当するようであったので、これと断定したのが、次の花です。 ノヂシャと似た名前ですが、同じ仲間ではないようです。(オオカワヂシャ)(同上) この様に、何らかの手掛かりのある花の場合は、素人ヤカモチでも自力でその名前に到達することができるのであります。 勿論、それが100%正しいという保証はないのですが、まあ、間違っていてもご愛嬌と相心得候であります。 自力で発見するというのも楽しみの一つであれば、極力これに努めています。どうにも手掛かりのないときは、最後の手段として、不明でアップし、あわよくば小万知さんやビグジョンさんほかの、ご存じのお方からのご教示を待つということになります。(同上)(同上)<参考>クワガタソウ属・Wikipediaオオカワヂシャ・Wikipediaカワヂシャ・Wikipedia そして、もう一つ、同じ経緯で判明したのが、次のカワヂシャです。 上のオオカワヂシャの花が青紫色であったのに対して、花が白色、白紫色であることと花のサイズがより小型であることから、同じくクワガタソウ属の植物であるカワヂシャだと判断した次第。(カワヂシャ) 万葉人ヤカモチは、チシャというと「知佐」の歌が思い浮かび、チサの木またはチシャの木と呼ばれるエゴノキを連想してしまうのだが、ここでのチシャはこれとは無関係。ここでのチシャ(萵苣)とはレタスのこと。さて、その名の通り、これらのチシャは食べられるのだろうか。(同上) オオカワヂシャが帰化植物であるのに対して、このカワヂシャは在来種とのことです。(同上) もう一つ、芋づる式に判明したのがムシクサ(虫草)である。(ムシクサ)<参考>ムシクサ・Wikipedia(同上) 少し毛深いムシクサもありましたが、それはケムシクサという別品種に分類されることもあるようです。(ケムシクサ) ケムシクサ(毛虫草)は、「毛虫・草(ケムシ・グサ)」というのではなく、「毛・虫草(ケ・ムシクサ)」なのである。 虫草という名は、この草の子房にゾウムシの一種が虫こぶをつくることによるらしい。上の写真で紫色の実のように見えるものが写っているが、ひょっとすると、これがその虫こぶ(虫えい)かもしれない。 なお、この時期は毛虫の多い時期。この日も気がつくと右腕の肌の上を毛虫が這っていました。こういう場合、手で払うと刺されたり有害物質をまき散らされたりすることがあるので、ふ~っと強く息を吹きかけて吹き飛ばすのがよろしい。風は自然現象なので、それが強風であっても、彼はそれを外敵の攻撃とは認識しないから、悪さはしないのである。 以上、「墓参のち銀輪花散歩」の記事でしたが、午後の部、大東市方面へと走る前に、久しぶりに喫茶ペリカンの家に立ち寄り珈琲休憩としました。 夏のような暑さ。と言っても大阪は27.8度ということで、30度以上の真夏日ではなかったのでしたが、勿論、アイスコーヒーでありました。 店主のももの郎女さんとそのご主人も店に居られたので、ご両名と暫し雑談。 店の入り口ドアがリニューアルされて美しくなっていることをお褒めすることを忘れた、などと思いつつ店を後にして、大東市方面へと銀輪を走らせたのでありました。 帰宅すると午後5時半頃になっていましたから、そこそこ走ったことになりますが、それでも通常の銀輪散歩ほどではないのが、緊急事態宣言下の銀輪散歩という奴であります。
2020.05.03
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今日から5月ですが、緊急事態宣言の期間が6月6日まで延長されることになってしまいました。 まあ、予想通りと言うか、そうするしかない状況なのは誰の目にも明らかなことでありましたから、驚くようなことではない。かくて、GW明け以降も外出自粛要請なるものが継続されるという次第。 不要不急の外出は差し控えるものの、足腰が弱ってしまっては、元も子もない訳で、心身の健康維持のためにと、三密に配慮しつつ散歩や銀輪散歩に励んでいるヤカモチであるが、先日(4月29日)は恩智川べりを八尾市恩智の少し先まで、昨日(4月30日)は枚岡梅林から花園中央公園とその周辺などを、銀輪散歩しました。銀輪散歩としては距離に大いなる不足ありですが、その分、上りの坂道を極力折り込むようなコース取りをして走ることにするなど、多少の工夫を加えたりもしましたが、どうしても「おざなり」になるようで、最近は筋力が低下しつつあるという事実は否めないよう。困ったことです。 それはさて置き、その際に見かけた花などを・・ということで、またも「花」の記事であります。 緊急事態宣言下のわがブログは、確実に「花」依存症になってしまっていますが、そういう人は多いようで、公園などでは花にカメラを向ける人の姿が以前よりよく目にするようになりました。 最初の花は、レンゲソウ。 手に取るなやはり野に置け蓮華草(滝野瓢水)のレンゲソウである。 この句の蓮華草は遊女のことを言っているのだが、ヤカモチのレンゲソウはそんな深い意味はなく、正真正銘のレンゲソウそのものである。 近鉄・東花園駅から南南東1km余のところにレンゲソウが一面に咲いている田があった。自宅からこんなに近い場所にこのように見事なレンゲ田があろうとは、思いもかけない発見でありました。(レンゲ田)友ところぶれんげ田に風そよ吹きて汽車の汽笛の遠く鳴るなる(中原中也) これは一昨日(4月29日)の記事に掲載した中原中也の短歌であるが、ヤカモチの場合は、こんな具合でした。ひとり来て撮るれんげ田に風そよと 吹きてまたもやピンボケ写真(偐家持) それでも暫くレンゲと遊ばせて貰っているうちに、いくらかはましな写真も撮れました。 手に「とるな」のレンゲも、写真には「とるべし」であります。(レンゲソウ)※この写真はフォト蔵に登録する前にダウンサイジングしてしまったので大きいサイズの写真がありません。<追記:行方不明の原写真が発見できましたので、遅ればせながらこれをフォト蔵に登録し、リンクすることができました。>(同上) 今や、人は群れること相ならずでありますが、花はさに非ず。花なれば群れてこそ咲けコロナ禍を ひとり行く児の癒しともなれ (偐華)(同上) 花を見ていると無心になる。 ムシンが過ぎると相手が花だけに虫になってしまいますので、ご用心。 まあ、ヤカモチなどは既に何度も虫なっていますが、はっと気が付いてヒトに立ち返るという次第。かなり危ない状況です(笑)。(同上) 久しぶりに、恩智川畔の、元・喫茶ナナの前を通りましたが、ご覧のように「Cafe de nana」の名も消されたのか覆い隠されたのか、ナナが見えなくなっていました。(元・喫茶ナナ<左側の黄色のシェードの店舗>)(同上・在りし日の姿 2010年3月20日記事からの再掲載)<参考>喫茶ナナ関係記事はコチラから。 さて、本日のテーマは群れ咲く花です。 名前が不明なのですが、花園中央公園の一角で、こんな花を見かけましたので、紹介します。ちょっと見はキュウリグサに見えたのですが、接近してよく見ると花の形が違いました。(名前不詳)花園の 原に群れ咲く そこな草 不知(いさ)と言はすな 君が名告(の)らせ (犬上家持)(本歌)犬上の 鳥籠(とこ)の山なる 不知也(いさや)川 いさとを聞こせ わが名告(の)らすな (万葉集巻11-2710)(犬上郡の床の山のいさや川の「いさ」ではないが、「いさ」<知らん>と言って下さい。私の名は告げないで下さい。) 本歌の方は「わが名のらすな」と、万葉的個人情報保護を訴えていますが、花には個人情報保護法の適用はありませんので、ご存じのお方からの通報をお待ち申し上げます(笑)。(同上) これでは小さ過ぎるので、もう少し近寄ってみます。(同上)(同上)<追記・注>小万知さんから、この花はノヂシャだとご教授いただきました。<参考>ノヂシャ・Wikipedia ここまで大きく写すと、キュウリグサとは違うことは一目瞭然。 近くにキュウリグサも咲いていたので、その写真も後に掲載しますので、比較してみて下さい。 もう少し、この花の写真続けます。(同上)(同上) 花の付き方も葉の様子もキュウリグサとは全然違う。 では、キュウリグサの写真です。(キュウリグサ) キュウリグサは花の中心部が黄色なのが特徴。(同上) キュウリグサという名は、キュウリのような匂いがするからということだが、指でもみ潰して香を嗅いでみたが、そんな感じがしなかった。 そもそもキュウリの匂いというのがそれほど特徴があるものでもないので、指についたものを嗅いでも、ヤカモチの鈍い嗅覚では嗅ぎ取れないということかもしれない。残る手段はこの草を口にいれて噛み潰してみるということになるが、これはまだ試していない。(同上) 次の群れ咲く花は野草ではなく、あるマンションの庭の花壇に群れていた園芸種の花である。(クリムソン・クローバー) 要するに、アカツメクサの園芸品種ということなんだろう。 ストロベリートーチという名もあるようだが、これは商品名であって、植物分類上の名前ではないのだろう。 まあ、苺の松明と言われれば、姿形と色から見て、なるほどとは思うが、それだけのことで、覚える気にはならない。(同上) 次は恩智川の河川敷に繁茂のナヨクサフジ。(ナヨクサフジ)(同上) 次は、左程には群れていなかったが、ことのついでにと花園中央公園のコマツヨイグサです。(コマツヨイグサ)(同上) 群れとしては、周囲のコメツブツメクサの方がよく群れていますが、これもご愛嬌であります。 さて、下ばかり見ず、少し視線を高くしましょう。 すると、木に咲く花の群れも目に入って来る。(カナメモチ) カナメモチの花ですな。(同上)(同上)(同上) この花を最初に見た時は下のような蕾でした。(同上・蕾) で、その中に一輪だけ開花し始めている花があり、(同上) サンゴジュの花かとも思ったのですが、完全に開花すると、そうではなくカナメモチの花でした。 花は、蕾や開花し始めでは、何と断定できないことも多い。 更に、視線を高くすると、群れ咲いているのは、ハナミズキ。(ハナミズキ・赤花) 薄紅色の可愛い花たち。(同上)(同上)(同上) 白花のハナミズキも。 赤花の方は、コロコロと笑い合ったりして、さんざめいている風なのに対して、白花は静かにして、少し澄ましているような感じ、でしょうか。(ハナミズキ・白花)大空へ 心置きなく 飛んで行け おゝ白花の 花水木たち (偐水木しげる)(同上) ヤカモチはスッキリした感じの白花のハナミズキの方が、どちらかと言えば好みであるが、無邪気にさんざめいているような赤花の可愛らしさも捨てがたい。赤と白 競ひ咲くかや 花水木 空の青さに いづれか似合ふ (鼻水木家持)(同上)ひとりあるを もとより好む われなれど 群れてならぬも いとはしきなり (孤群奮闘) 今日は群花特集でした。 オマケの余談。 軍歌と言えば、右翼の街宣車がこれを高らかに鳴らしながら走って行くのがお馴染みの光景である。時には「海ゆかば・・」と大伴家持の歌を流してもくれる(笑)。 先日は、何処からかは姿が見えないのでわからなかったが、「男なら、男なら、愚痴は言うまい、嘆いちゃならぬ・・♪」という随分と古い歌を鳴り響かせながら車が走って行くようで、風がその音を運んで来ました。「顔で泣かずに腹で泣け、男ならやってみな♪」と人々を励まし、頑張れという意味なのか、文句を言わず我慢せよという意味なのか、どういうつもりで流しているのだろうか。 軍歌ではないから右翼とは限らないが、コロナ的珍現象が色々と起こっているようです。
2020.05.01
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