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今年2回目の偐万葉シリーズ記事です。 偐万葉シリーズ記事としては第320弾となりますが、LAVIEN篇は2017年5月12日以来と久々のアップであります。 lavien10氏とは2013年12月以来、7年2ヶ月のお付き合い。 2013年11月頃に同氏が当ブログをお気に入りにご登録下さり、同年12月6日に同氏ブログにヤカモチ初訪問・コメントという形でブログ上の交流が始まりました。 偐万葉での同氏呼称は当初「ラビ麻呂」としていましたが、ご当人が「羅美麻呂」とこれを表記されましたので、いつの頃よりか「羅美麻呂」とお呼びさせていただいています。 偐家持が羅美麻呂に贈りて詠める歌20首ほか野に咲くも 庭にし咲くも 撫子は なべてぞはしき 花にしあれり美しく 咲くも花なり 散るも花 いかでか花に 罪あるべきや世の色も 移りにけりな ホットチョコ 飲みつつわれや 窓の雪見む (チョコ家持)(本歌)花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに (小野小町 古今集113 小倉百人一首9)(20171118ホットチョコ)あらたまの 年の緒ながく いや栄(さか)に 千代に八千代に いませわが背子(20180101富士山)みやびたる 花とや梅の 夢語(いめがた)り 酔(ゑ)ひ泣き旅人(たびと)に 一献参らむ(本歌)梅の花 夢(いめ)に語らく 風流(みやび)たる 花と吾(あれ)思(も)ふ 酒に浮かべこそ (大伴旅人 万葉集巻5-852)わがもとに 来たり憩へと 言の葉に 出さねど花は 我に笑むらし (花家持)(20180210梅の花)塵(ちり)泥(ひぢ)の 身ゆゑ銀輪 駆けたるも 願掛けはせじ 神仏めぐり (塵家持)金烏(きんう)飛び 玉兎(ぎょくと)は跳ねて 今更に 牛歩のわれは いかにとやせむ (牛家持)(注)金烏=太陽、日 玉兎=月(20181116金烏玉兎)失はれし ものの何とも 覚えねど 何か足りぬと 豊かとふ世の (健忘家持)得るものに 依りて失ふ ものあるを 忘れて今日も 進歩が通る (神話家持)(20190110何かがあった時代から何かが足りない時代へ)気のほどは ありし昔に 変らねど 盛りなる身の ほどぞ恋ひしき (小野家持)(本歌)雲の上は ありし昔に 変らねど 見し玉簾(たまだれ)の うちぞゆかしき (小野小町)(20190928吾妻橋)さいはひは 手に取り持てば 薄雪の ごとにとけゆき はかなくぞなる(注)偐万葉掲載にあたり、第5句、初案「はかなくなれり」を「はかなくぞなる」に修正。すでにあるを それと知らぬが さいはひか うしなひてのち それとひと知る(注)偐万葉掲載にあたり、初句、初案「すでにあり」を「すでにあるを」に修正。庭の梅 咲きてあれるを 遠山に 咲くとふ梅を 思ひつつぞ居り梅の花 咲ける盛りを めでもせず 散るをし惜しと 言ふはをこなり(注)をこ=烏滸(20200114 easy come easy go)リンク不備 千住の橋の わが記事に ありとや見せつ 君が橋めぐり (千住家持)(20200123隅田川橋めぐり)銀輪は 道たづたづし MB(エムビー)は 置きてわが背子 歩(かち)にて行(ゆ)かせ (ラビ妻)(注)MB=マウンテンバイク(本歌)夕やみは 路みちたづたづし 月待ちて 行(ゆ)かせ吾背子 その間にも見む (大宅女(おほやかめ) 万葉集巻4-709)隙を見て 家内(かない)に入(い)るを はかるとも よに横着の 蝉は許さじ (ラビ丸)(本歌)夜をこめて 鳥のそらねは はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ (清少納言 後拾遺集940 小倉百人一首62)これやこの あらぬさまなる 年明けは 遠きに富士を 見つつ過ぐさな (偐ラヴィ麻呂)(注)初案「見つつ過ごさな」を「見つつ過ぐさな」に修正。(20210101富士山遠望) 羅美麻呂が追和せる句春の昊(そら) 白くも友に とはの富士 (羅美麻呂)言の葉は 散りぬるものを 人たるは これによるほか すべなかりける (偐言持)(20210226言霊) なお、参考までに付言しますと、今回の記事で、偐万葉LAVIEN篇に掲載のヤカモチ歌も107首となり、遅ればせながら、100首の大台を超えることと相成りました。<脚注>掲載の写真は全てlavien10氏のブログからの転載です。<参考1>過去の偐万葉・LAVIEN篇はコチラからどうぞ。 lavien10氏のブログはコチラからどうぞ。<参考2>各人別ヤカモチ歌ランキング(2021年2月28日現在)1.735首 ビッグジョン7777氏(ビグジョン篇)2.584首 英坊3氏(英坊篇)3.435首 松風氏(松風篇)4.380首 大和はまほろば氏(大和はまほろば篇)5.341首 ひろろdec氏(ひろろ篇)6.340首 木の花桜氏(木の花桜篇)7.286首 ひろみちゃん8021氏(ひろみ篇)8.272首 真澄氏(真澄篇)9.262首 ふぁみり~キャンパー氏(ふぁみキャンパー篇)10. 247首 小万知氏(若草篇)11. 237首 ふろう閑人氏(閑人篇)12. 180首 偐山頭火氏(若草篇)13. 153首 furano-craft氏(ふらの篇)14. 149首 もも☆どんぶらこ氏(もも篇)15. 145首 るるら氏(るるら篇)16. 135首 童子森の母氏(童子森の母篇)17. 130首 カコちゃん08氏(カコちゃん08篇)18. 115首 カマトポチ氏(カマトポチ篇)19. 107首 lavien10氏(LAVIEN篇)
2021.02.28
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本日(24日)、友人・岬麻呂氏より旅便りが届きました。 コロナ禍の影響で、年明けの初旅・宮古島、1月末の沖縄・寒緋桜を自粛中止、来る3月初旬の奄美大島、同下旬の鹿児島への旅は予定運航便の欠航で中止を余儀なくされるなど、岬麻呂氏の旅計画も異変続きのようですが、今回の2月計画分は予定通りに飛行機が運航されるということでもあったので、緊急事態宣言延長下ではあるが、計画通りに実施されたようであります。 従って、同氏にとってこれが今年の初旅ということになります。 2月16日~19日の3泊4日の石垣島へのご夫婦旅。 例によって、詳細は、下掲の「旅・岬巡り報告266」をご参照下さい。(旅・岬巡り報告266・石垣島&同写真説明)2月16日関西空港→新石垣空港→観音崎灯台→御神崎灯台→川平湾→富野小中学校入口道路際にカエンボク発見→平久保崎灯台→玉取崎展望台→ホテルミヤヒラ(3連泊) 往路飛行機は搭乗割合3分1程度のガラ空き状態。 快晴。レンタカーにて石垣島右回り観光。(川平湾) 川平湾は石垣島を代表する景勝地であるが、観光客の姿はなく、グラスボートも手持無沙汰。来ぬ客を 来むとし待つは 烏滸なりと 川平の船の 白きため息 (在原川平)(富野小中学校入口道路脇のカエンボク) ジャカランダ、ホウオウボクと並び世界三大花木とされるカエンボクが富野小中学校への入口道路脇に咲いているのを発見。 露地に咲いているカエンボクを目にされたのは、岬麻呂氏にとっても初めてであったとのこと。 そして、満開の寒緋桜も、一足早い春を告げていました。(寒緋桜)(平久保崎) 平久保崎には灯台があるが、駐車スペースが少ないため、駐車に苦労するのが常のこの場所。今はガラ空きで駐車も楽々。2月17日 小雨、強風。 波照間航路は欠航。 波照間行きは諦め、西表島に切り替え、大原港に渡る。大原港→白浜港→(白浜からは陸路なく連絡船で船浮へ)→イダの浜→(浦内川観光船運休中→月の浜→星砂の浜→由布島水牛車休園中→仲間川観光船運休中)→南風見田の浜 天候も悪く、観光関連諸施設・営業が休止中にて、観光としては散々な一日であったようですが、船浮への連絡船での地元の人達との交流や食事処の休業で窮地に陥るところを救ってくれた連絡船船長からの昼食弁当の提供など、「人の情けが心に沁みる嬉しい思い出の旅」となったのは何よりでありました。(イダの浜)イダの浜 おのれ寄す波 吹く風の 音ばかりなり 小雨そほ降り (イダ麻呂)(本歌)弥彦(いやひこ) おのれ神(かむ)さび 青雲(あをくも)の たなびく日すら 小雨(こさめ)そほ降る (万葉集巻16-3883)(南風見田の浜)2月18日 曇り強風・午後から晴れ。 波照間便はこの日も欠航。 石垣島島内を今度は左回りにドライブ。(玉取崎展望台) 島は右回り、湖は左回りというのが、左側通行の車(一応銀輪も車であるから、同様である。)の場合の合理的な周回作法と心得るが、「同じ風景が異なって見える」のであれば、二日と開けずに同じ島内めぐりをするとなると、逆回りが合理的というものであるでしょう。2月19日川平湾→富野小中学校入口道路脇のカエンボク再訪→新石垣空港→関西空港 カエンボクを再訪される際に、カンムリワシも目撃されたようで、素敵な1枚が加わりました。 とてもよく撮れています。(富野小中学校入口道路脇のカエンボク再訪)(カンムリワシ) 以上です。 今日もご覧いただき、ありがとうございました。<参考>過去の岬麻呂旅便り記事はコチラ。フォト蔵アルバム・岬麻呂写真集はコチラ。
2021.02.24
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ながらくブログの更新を怠って居りました。 単にサボっていただけであります。 余りサボり過ぎて皆さんから忘れられてしまってもいけませんので、再開であります(笑)。 今日はヒヨドリさんであります。(ヒヨドリ<鵯>)<参考>ヒヨドリ・Wikipedia ヒヨドリはよく見かける鳥であるが、このようにアップで撮影したのは初めてのこと。 こちらを見ているようです。(同上A) 目が合ってしまいましたが、物陰からそっと撮影しています。 アングルの所為もあるが、何ともコロンコロンに太って見える。(同上B) ヒヨドリの万葉歌については、この2首をあげて置きましょうか。 万葉集に「呼子鳥」として登場する鳥がいる。 人を呼ぶような声で鳴く鳥ということで、「呼子鳥」というのだろうが、この鳥が何の鳥であるかについては未詳である。 カッコウだろうというのが有力説であるが、ウグイス、ホトトギス、ツツドリ、ツグミなどと並んでヒヨドリだという説もある。 まあ、猿の声だという説もあるので、山路を歩いていて、人を呼ぶような声で鳴く鳥や獣のことを「呼子鳥」と言ったに過ぎず、特定の鳥を指した言葉ではないのかも知れないのだが、今日は「ヒヨドリ説」を採用することとしました。 こういうのを「ヒヨリミ(日和見)主義」とも言いますな(笑)。(同上C) さて、呼子鳥を詠んだ万葉歌は数首あるが、この2首が最もよく知られているのではないでしょうか。大和には 鳴きてか来(く)らむ 呼子鳥(よぶこどり) 象(きさ)の中山 呼びそ越ゆなる (高市黒人 万葉集巻1-70)神奈備の 磐瀬(いはせ)の社(もり)の 呼子鳥 いたくな鳴きそ 我(あ)が恋まさる (鏡王女 同巻8-1419) カッコウは「かく恋ふ」と鳴くからカッコウと呼ぶということなら、上の2首の「呼子鳥」はカッコウが似合いで、「ヒーヨ、ヒーヨ」と鳴くヒヨドリはかなり分が悪いように思われる(笑)。 しかし、今日は「ヒヨドリ説」で日和見を押し通すこととします。(同上D) 何と言っても、今日のヒヨドリは可愛いではないか。 こんなに可愛く写っているのだから、「ヒーヨ」と鳴いても「呼子鳥」の資格があるというものである。(同上E) もう一つ、こじつけの万葉歌を紹介します。天皇、太后共に大納言藤原の家に幸(いでま)しし日、黄葉(もみち)せる沢蘭(さはあららぎ)一株(ひともと)を抜き取りて、内侍佐佐貴山君(ささきのやまのきみ)に持たしめ、大納言藤原卿と陪従の大夫等とに遣賜(たま)へる御歌一首命婦誦(よ)みて曰くこの里は 継ぎて霜や置く 夏の野に わが見し草は もみちたりけり (孝謙天皇 同巻19-4267) 上の歌は、孝謙天皇が母である光明皇太后と共に藤原仲麻呂邸を訪問した際に、女官に持ってやらせた歌であるが、題詞にある「沢蘭」は、サワヒヨドリ(ヒヨドリバナ)のことである。<参考>ヒヨドリバナ・Wikipedia 鳥で分が悪いなら草花で、という「ヒヨドリ主義」的、いや「日和見主義」的な方向転換であります。 フジバカマに似た花であるが、ヒヨドリが鳴く頃に開花することからこの名がついたとされる。フジバカマに群がる蝶・アサギマダラはこの花にも群がる。 だんだん話が迷路に入り込みつつあるようなので、鳥のヒヨドリに話を戻します。(同上F) 小鳥は、やはり横向きの姿がいいようです。(同上G) ヒヨドリ「写真撮るのん、ええ加減にやめて欲しいわ。」 ヤカモチ「はい、わかりました。」 ヒヨドリとながらく遊ばせてもらいました。<参考>鳥関連過去記事はコチラ。
2021.02.19
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今日2月9日は「肉の日」とのこと。 ならば、野菜の日は8月31日だろうと調べると、果たしてその通りでありました(笑)。 このような語呂合わせによる「〇〇の日」というのは他にも色々あるようですが、かつて「数字変換可能短歌」というのを作って記事にしたことがあります。これと同じ語呂合わせ遊びですな。<参考>数字変換可能短歌・俳句 2012.4.1. 数字変換が可能な文字は下記の通りであるから、これらの文字のみで、歌や俳句を作るという「言葉遊び」である。 い(1)、お(0)、く(9)、こ・ご(5)、さ・ざ(3)、し(4)、じ・ぢ(2又は4)、つ(2)、と・ど(10)、な(7)、に(2)、は・ば・ぱ(8)、ひ・び・ぴ(1)、ふ・ぶ・ぷ(2)、み(3)、む(6)、や(8)、よ(4)、れ(0)、ろ(6)、いち(1)、ふた(2)、さん・ざん(3)、よん(4)、ろく(6)、はち(8)、きゅう・ぎゅう(9)、じゅう(10)、とほ(10)、みそ(30)、よそ(40)、いそ(50)、むそ(60)、ななそ(70)、やそ(80)、くそ(90)、もも(100)、ち・せん(1000)、まん(10000)、てん(10)等 さて、話(874)は変わって、前頁の記事で、カイツブリかとカメラを向けたらカモのようでガッカリしたと書きましたが、そのカモらしき鳥の写真がこれであります。(カモ?) カモであるカモしれないし、別の種類の鳥カモしれない(笑)。 カモにも色々な種類がいて、その区別はヤカモチには容易ではないのであるが、少なくとも、マガモとかカルガモとかいった馴染みのカモではないことだけは確かであるカモ。 ここは、花園中央公園の遊水池。カモやサギはよく見かける。(カモ) こちらは、間違いなくカモである。 こんな風に池の中州と言うか、葦辺の干潟のようになっている場所に上がり、群れて休憩している。(カモたち) カメラをもう少しひいてみると、こんな感じです。(同上) この遊水池の東側、水門を隔てて恩智川が南から北へと流れている。 従って、この遊水池に飛来する鳥たちは、恩智川づたいにやって来るのであろう。(恩智川を泳ぐカモ) カモの泳ぐ傍らの中州に、アオサギが立ち尽くしていました。 まあ、座り込んでいるサギなんぞは見たことないが。(アオサギ) 寒風に吹かれて、胸の飾り羽がそよぎ、翻り、揺れる。 時に、思索に耽る哲学者のような雰囲気を醸すアオサギであるが、このアオサギ君は、何やらもの寂しく、落ちぶれて尾羽打ち枯らした感じがするのは、風でヒラヒラしている胸の飾り羽の所為でもあるか。(同上) 再び、遊水池に戻って・・・オオバンも泳いでいました。 このオオバンについては、ヤカモチはながらく水掻きがない水鳥であると誤解をしていました。 昔、新潟県の福島潟に銀輪散歩した際に、野鳥監視員だというお方に出会い、立話、歩き話でありますが、色々と野鳥保護についてのお話を伺ったことがありました。その折に、バンとオオバンについても説明を受けたのですが、監視員の方は、バンについて、水掻きがないので、首を振って泳ぎ、それによって推進力を補っている、というような説明をされたのだろうと思います。 これを、バン、オオバンに共通のことと誤解して、オオバンにも水掻きがないと誤解してしまったのでありました。 最近になってネットでの説明を見て、オオバンには、指間をつなぐ弁膜のような完全な水掻きではないが、木の葉形状の水掻き(弁足)があること、従って、水掻きがないバンに比べると泳ぎは上手いということを知ったのでありました。<参考>オオバン・Wikipedia バン・Wikipedia(オオバン) バンもオオバンもクイナの仲間。 ツル目クイナ科バン属、ツル目クイナ科オオバン属、というのがそれぞれの生物分類上の位置づけとなります。 嘴の延長のような額板が特徴で、白いのがオオバン、赤いのがバン。 このような顕著な特徴を持つ鳥は、見わけも容易なので、ヤカモチもすぐにその名前を覚えたという次第。 バンは漢字では鷭。オオバンは大鷭。 まあ、大伴家持はオオバン・ヤカモチとも読めますから、それで覚えたとも言えますかね(笑)。 してみると、オオバンからバンが派生し、それは淳和天皇の時代のことであったということにもなりますかね。 オオバン「そんなことにはなりません。」(同上) しかし、このように後ろを向かれてしまうと、オオバンとは分からないのでありますから、ヤカモチの知識もいい加減なものであります。(同上) 水中に頭を突っ込んだかと思うと、何やら黒っぽいものを口に咥えたようで、嘴の間に黒い丸いものが写っている。(同上) さて、話(874)変わって、陸上の黒い鳥と言えば、カラスのクロスケ或いはカラスのカンタローであります。(カラス) 石のベンチに座っているヤカモチの目の前を、カラスはひょっこひょっこと歩いて通り過ぎて行きました。万葉歌の「瞼腫れて」という、そのままの顔で。 コイツは人畜無害と、どうやらカラスからも見くびられたようだ。(同上) 少し、離れた場所を歩き回り、何をついばんでいるのか、時々地面をつついたりしている。 カラスをからかいついでに、カラスの万葉歌でもご鑑賞下さい。暁(あかとき)と 夜烏(よがらす)鳴けど この森の 木末(こぬれ)が上(うへ)は いまだ静けし (万葉集巻7-1263)朝烏 早くな鳴きそ わが背子が 朝明(あさけ)の姿 見れば悲しも (同上巻12-3095)烏とふ 大(おほ)をそ鳥の まさでにも 来(き)まさぬ君を ころくとそ鳴く (同上巻14-3521)婆羅門(ばらもん)の 作れる小田(をだ)を 食(は)む烏 瞼(まなぶた)腫れて 幡桙(はたほこ)にをり (高宮王 同上巻16-3856)(同上) カラスが高い木の上とか屋根の上とかに止まって、カァ~と鳴いているのはよく見かけるが、このカラス、地べたを歩き回りながら、時折、カァ~と鳴く。 コチラをからかっているのか、それとも威嚇しているのか。 まあ、カラスの勝手でしょ、ということでもあれば、無意味な詮索は止しにしましょう。 逆光での撮影であったので、写真写りはイマイチであったが、下の写真はその表情も撮れていて、まずまずの出来である。 この写真で見る限り、ヤカモチへの敵意はないようでありますが、さりとて親愛の表情でもない。 カラス「お前もそんな顔をしとる。」(同上) 今日は、銀輪散歩で見かけた鳥たちの記事でありました。<参考>鳥関連過去記事はコチラ。
2021.02.09
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花園中央公園の池にはカイツブリが生息している。 時々見かけるのであるがこれまで撮影に成功していない。 今日、銀輪散歩の帰り、その池の前を通った時に、それらしき鳥と見えたので、池のヘリに立って、カメラを向けてみた。 ズームアップすると、カイツブリらしくない。カモのようでガッカリ。 それでも何枚か写真に撮って、ふと足元を見ると、ヌートリアが岸に上がって、ちょこちょこと歩いて行く。 恩智川で見かけたヌートリアに比べると少し小型のようだが、まだ子どもなんだろうか。(ヌートリアA) 草の芽などを食べているのか、何やらムシャムシャとやっている。(同上) 後ろ足が随分大きい。(同上) 多少、当方を意識してもいるようだが、さほど警戒する風でもなく、行ったり来たりする。 すると、もう一匹、別のヌートリアBが居ました。こちらの方は警戒心がより強いらしく、カメラを向けて近づくと、水の中に入って、ヌートリアAの方へ泳いで行き、上陸して、ABが仲良く並んだ。(ヌートリアAB) ヌートリアのツーショットは初めて。人もなき 国もあらぬか わが二人 寄り添ひありて たぐひて居らむ (ヌーヤカモチ)(同上) <参考>ヌートリア・Wikipedia この池は遊水池にて、恩智川と水門でつながっている。 恩智川をねぐらとしていた、三六橋下のヌートリアSとどういう関係なのか不明であるが、ヌートリアSよりもヌートリアA、Bは小型のように見えるから、A、BはSの子どもである可能性もある。もしそうなら、繁殖していることになり、ネズミ算式に急増するということもあり得ることになる。 こんな巨大なネズミが大きく増えたら困る気もするが、近くで見るAとBは猫よりも少し小型で可愛らしく、このままそっとして置いてあげたいとも思う(笑)。<参考>ヌートリアの過去記事 ヌートリア現れる 2020.5.9. 再びヌートリア 2020.11.30.
2021.02.05
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立春。ツグミと遊ぶ。 銀輪散歩で立ち寄った花園中央公園でツグミを見かけました。 遠目には、ムクドリかと思たのですが、カメラでズームアップすると、ツグミでありました。(ツグミ)<参考>ツグミ・Wikipedia ちょこまかと動くので、ズームで追いかけるのは、一苦労。(同上) ツグミは渡り鳥。 夏季にシベリア中部・南部で繁殖し、冬季になると南下、日本にも越冬のため渡来し、当初は山地の森林などで群れて生息し、その後平地に分散移動するという。ムクドリなどは常時群れで行動するが、ツグミは分散移動後は群れるということはないそうです。(同上) なかなか可愛い鳥である。 ツグミは万葉集には登場しないが、近縁種のトラツグミは万葉集の「ぬえ鳥」のこととされているので、その歌でも紹介しながら、閑話を続けることといたしましょう。<参考>トラツグミ・Wikipedia 万葉集には、ぬえ鳥(鵺鳥または鵺)そのものを詠んだ歌がある訳ではなく、「ぬえ鳥の」という枕詞として登場するだけである。ひさかたの 天(あま)の川原(かはら)に ぬえ鳥(どり)の うら泣きましつ すべなきまでに (柿本人麻呂歌集 万葉集巻10-1997)<(ひさかたの)天の川原に(ぬえ鳥の)しのび泣きしておられました、どうしようもないほどに。>よしゑやし 直(ただ)ならずとも ぬえ鳥(どり)の うら泣き居(を)りと 告げむ子もがも (同上 万葉集巻10-2031)<よし、どうともなれ、直接逢うのでなくてもいい、(ぬえ鳥の)心の中で泣いているとあの人に告げ知らせてくれる人が居たらなあ。> 上の2首はいずれも七夕をテーマにした歌である。牽牛と織女が天の川を挟んで逢えないで嘆いていることを詠っている。 短歌はこの2首のみで、あとは全て長歌である。 参考までに「ぬえ鳥の」の部分だけ抜き書きすると、「・・ぬえこ鳥 うらなけ居れば・・」(軍王 万葉集巻1-5)「・・ぬえ鳥の 片恋づま 朝鳥の 通はす君が・・」(柿本人麻呂 万葉集巻2-196)「・・ぬえ鳥の のどよひ居るに・・」(貧窮問答歌・山上憶良 万葉集巻5-892)「・・ぬえ鳥の うら泣けしつつ・・」(大伴家持 万葉集巻17-3978)である。 いずれも、「うら泣く」(忍び泣く)や「片恋づま」、「喉よひ」など「泣く」に関連した言葉にかかる枕詞として使われている。<追記注:2021.2.4.>上の山上憶良の貧窮問答歌の「ぬえ鳥ののどよひ居るに」については、「ぬえ鳥の」を枕詞とは見ず、「トラツグミがヒーヒーとか細い声で鳴くように泣いているその上に」と解釈する見解もあるようだから、この見解に立てば、トラツグミ(ぬえ鳥)そのものが詠まれている歌ということになる。(同上) ツグミという名は、口をつぐむ、の「つぐみ」で、この鳥は殆ど鳴かないということで、このように呼ばれるようになったという説があるようだが、今日の花園中央公園では、チッチーとか何とか、時折鳴いてもいました。 スズメであれムクドリであれ群れる鳥は互いに意思疎通の必要もあって鳴く関係で、時にはうるさいほどであるが、単独行動の多いツグミは別に口をつぐんでいる訳ではなく、鳴く必要がないから鳴かないだけのことなんだろう。こちらに渡って来た当初の森林での群れ生活では結構騒がしく鳴いていたのではないかと推測します。(同上) ツグミの特徴は目の上の白い太い眉のような模様である。 オスかメスかは不明であるが、なかなかの「イケメン」である。(同上) 夏になる前には、シベリア方面へと旅立つのであろうが、彼らには緊急事態宣言も検疫も関係ないから、この先、コロナ禍がどういう展開になろうと関係なく、再び、何処かの森に集結し、シベリア方面へと旅立つのであろう。 今日から春。 シベリアへと旅立つまでの間、 日本の春を心置きなく楽しまれよ(笑)。<参考>鳥関連過去記事はコチラ。
2021.02.03
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今日は月例の墓参。 月例とは言え、年末に墓参する関係で、毎年1月は月初の墓参はしないことから、2月初旬がその年の最初の墓参となるので、今日が今年最初の墓参ということになる。 夜来の雨も朝には止み、予定通りに墓参。 出掛けの玄関先の庭のマンリョウの赤い実に見送られての出発です。(マンリョウ) 実の数を正確に数えた訳ではないが、この一株になっている実は、ざっとみて200粒はあるようだ。よって二百万両の木と命名した次第。 そして、ロウバイの花咲く坂道を上って行くと・・。(ロウバイ)(同上) 門前の言葉の寺、教覚寺である。(教覚寺) 一昨年の秋から本堂や門の改修工事が始まり、これに伴い、昨年末まで「門前の言葉」のない寺となっていましたが、今日はどうか。(門前の言葉) はい、門前の言葉、復活であります。 今日の言葉は、 一人で出来ることなんて たかが知れているけれど ぼくから始めなければ 何も変わらない でありました。(イヌツゲ 葉が対生でなく互生なので、ツゲではなくイヌツゲ。) イヌツゲの木に、小さな黄色い花が咲いていると思ってカメラを向けてみましたが、花ではなく新芽でありました。 考えてみれば、イヌツゲの花は白い花であった筈。 花期は3~4月だから、その頃に花を探してみよう。 そして、オニグルミ。(オニグルミ) 犬の次は鬼という訳ではないけれど、今日が節分とあれば、鬼は外せないと言うか、見過ごせない(笑)。 遠目には、鳥の巣か、ヤドリギの塊かとも見えましたが、近寄ってみると胡桃の実でありました。 そして墓地に到着。(墓地からの眺め・パノラマ撮影) 今日は、雨上がりということもあって、六甲の山々や淡路島の影は見えず、でありました。 我が家の墓の隣には、同姓の遠い親戚の墓があり、その隣には同じく同姓の「先祖代々墓」と刻された古い墓があるが、この古い墓については、我が家との関連などは聞かされていないので、よくは存じ上げない。 そしてこれと並ぶ形で江戸時代末期の更に古い墓がある。この墓石には姓名などが刻されていたのかどうか、摩耗が激しくて、何ともよく分からないので、更にも不明である。 (江戸時代の墓石) 江戸時代の墓石は頭頂部が少し丸みを帯びた形をしていて、四隅が尖っているという独特のフォルムなので、すぐにそれと分かる。 この古い墓は、正面には「南無阿弥陀仏」と刻されていて、左側面には「客坊村」という字が刻されている。背面にも何やら字らしきものが彫られているようなのだが、摩耗していて読み取れない。 そして、右側面には「嘉永三庚戌年」という字が見える。 嘉永3年庚戌(かのえいぬ)の年に建立された墓であることが分かる。 嘉永3年は西暦では1850年であるから、今から171年前頃に建立された墓ということになる。 黒船来航が嘉永6年(1853年)だから、その3年前、大政奉還が慶応3年(1867年)、明治新政府樹立が明治元年(1868年)であるから、その17~18年前ということになる。 まあ、単なるお隣さんなのか、先祖のどなたかであるのか、気にしながらも、今日までずっと無視し続けている墓である。 墓参の帰り道で見かけた、「今週の一枚」という光景。(コロナ渦中の今週の一枚・不安な生活に笑顔スポットを) これは、N氏がご自宅の車庫スペースを展示スペースに転用されて、絵や写真その他の展示物を展示して、道行く人々へのメッセージを発信されているというもので、時々面白く拝見させていただいているのであるが、今日はカエル君の勢ぞろいでありました。 枚岡の自然と文化を大事にする懇談会、通称「ええやんか枚岡の会」発行(発行責任者N氏)の無料配布のパンフレット(下掲)が、この展示物の前のケースに入れられていましたので、一部頂戴して来ました。(同上・パンフレット) このパンフレット(二つ折り)を開くと、右上に掲載の写真のように屏風型に立てることができる仕掛けになっている。 その心は、以下の通りという訳です。(同上・パンフレットより) なかなか愉快な企画です。
2021.02.02
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